「今度はなんだ!?」
敵はデルタ小隊に悲しみに暮れる間を与えてくれないようだった。
コックピットから"それ"の出現を見ていたアラドが声を荒げる。
それは、おそらくこの戦場の誰もが予想しなかったことだろう。
戦火の空に突如現れた巨大な鳥を模した戦艦。
明らかに現代技術とは別系統で作られた異様な外観。
"王の居城"と形容するに相応しい船が、神殿の真上に現れた。
「……まさか、ウィンダミアの!」
目を剥くチャックの視線の先、ホログラム・スクリーンには〈VF-31E〉に搭載されたレドームが観測した情報が次々と表示されていく。
その船の巨大な熱源の中に何十、何百という小規模な熱源を感知した。
それが、バルキリーに搭載された熱核バーストエンジンによるものだと、チャックは経験から直感する。
「……おいおい、なんて数だ!大隊規模のバルキリー部隊が詰まってやがる!!」
警告するが時すでに遅し。
巨大な戦艦から、いくつもの、数多もの光が飛び出す。
〈Sv-262〉の大部隊が黒雲となってアル・シャハルの空を覆い尽くそうとしていた。
「……奴さん来るぞ!」
「くっ、なんて数だ!」
「このままでは……!」
全方位から〈ARIEL.III〉のアラートがけたたましく鳴り響く。
もはや制空権がどうという話ではない。
それは、一方的な蹂躙に近かった。
「アラド!撤退しなさい!いくらなんでも分が悪すぎる!」
逼迫した様子のアイシャが通信に割り込む。
声に焦りが含まれているところから、神殿の出現に加えて、敵の本隊まで出張ってくるとは思っていなかったらしい。
「だが!ワルキューレはどうする!」
「…………ッ!」
アイシャは答えない。
それが意味するところはひとつだけ。
下さなければならなかった。
隊長として、隊員たちの命を預かる立場として、判断を下さなければならない。
「……クソっ!」
多くの人間は、そこで決断を下すことはできない。
それは本来正しいことなのだろう。
人間としてならば、正しいことだ。
だが、彼らは戦士であり、軍人なのだ。
時には非情な決断を迫られることだってある。
アラドは、メッサーに恨まれるな、とボヤき不敵に笑うと、一転して冷徹な顔に切り替わった。
「各小隊に告ぐ!全機撤退!全速力でアル・シャハルを離脱しろ!!」
「撤退!?」
「それって……!」
「待てよ隊長!ワルキューレはどうするんだ!!」
(……やっぱりか。そう言うと思ったぜ)
ハヤテの反発は予想していた。
戦士になってから日の浅いハヤテが、この命令を受け入れるとは思っていない。
理不尽に抗うのが人間だ。
そういう意味では、合理的な判断を下すアラドも、それを仕方なくとも受け入れるチャックもミラージュも、もう人間ではないのかもしれない。
その真っ直ぐさが、少し羨ましいとアラドは思った。
しかし、だからこそ、自分たちは冷徹な軍人に徹しなければならないのだ。
「……回収用の輸送機が降下する余裕はない」
「見捨てろってことかよ!!」
「——反論は聞かん!!」
「……ッ!」
今までにないほどのアラドの剣幕に、ハヤテは何も言えなくなる。
「撤退だ!俺たちがいなくなったら誰がこの球状星団を救うんだ!!」
「……だけどよ!!」
ハヤテの顔が渋面に歪む。
操縦桿を握りしめる手が震えていた。
自分の無力さに歯嚙みをして、眼下に、戦場に残るワルキューレへと視線を移す。
「……!」
と、ハヤテの目が大きく見開かれた。
彼女たちに迫る三機の〈Sv-262〉の機影が、虹彩に反射する。
「マズいッ!!」
ほとんど無意識に近かった。
敵機を捉えると同時に操縦桿を傾けたハヤテの〈VF-31J〉が、
そこには、戻れないかもしれないという懸念も、ためらいもなく、ワルキューレを守るという使命を全うしようとした騎士の姿だけがあった。
◆
空が黒く染め上げられる。
巨大な戦艦と神殿が視界を埋め尽くす。
スバルも、カナメも、マキナもレイナも、それをただ呆然と見上げることしかできなかった。
悲しむ間も与えられず、次々と変化する状況に思考が追いつかない。
「……なんだ、あれ」
「ウィンダミアの戦艦……いえ、遺跡?」
「どっちにしてもヤバい雰囲気しかしませんがね……」
「そうね……ここは退いたほうがよさそう」
踵を返して、マキナたちに駆け寄るカナメを横目に、スバルは再度、空に浮かぶ"それ"を見上げて、気づいた。
いくつもの光が立て続けに"それ"から出ていることに。
それに呼応するかのように、傍に待機している〈VF-25F/TA〉からアラートが鳴り響いた。
「!!」
コックピットに飛び乗ったスバルの視界に映ったのは、無数の敵で埋め尽くされつつある〈ARIEL.III〉のレーダーだった。
赤一色で染め上げられるレーダーは、もはや本来の機能を果たしてはいない。
「——カナメさん!敵の数が多すぎる!今すぐ離脱しなきゃマズい!!」
即座に危険と判断したスバルは〈VF-25F/TA〉を起動する。
熱核バーストエンジンが低いうなり声をあげて点火した。
スバルの声で、空を見上げたカナメも、そうしなければマズいと判断し、苦い顔で頷いた。
気を失ったまま苦悶の表情で呻く美雲をマキナとふたりで担ぐと、スバルの元へと連れてくる。
「スバルくん、美雲だけでも連れて行って!」
「——ッ!?何を言って……!」
「この状況だと、たぶん輸送機は降りれないわ。でも、バルキリー単機なら突破できるかもしれない……」
「それじゃあカナメさんたちが……!」
「でもバルキリーに全員が乗れるスペースはない。そうでしょ?」
「それは……!」
カナメの言に反論できずに口をつぐんだ、その時。
〈ARIEL.III〉が敵接近のアラートをかき鳴らし、話が中断される。
音のした方向へ視線を向ければ、真正面から三機の〈Sv-262〉がこちらへめがけて降下してきていた。
「……クソったれ!」
迎撃のため右手のガンポッドを構えた瞬間、その〈Sv-262〉の翼が爆炎を上げてもぎ取られる。
そのまま揚力を失った機体は砂丘へと墜落した。
「!?」
驚きのあまり目を剥くが、空に広がる爆煙を切り裂くようにして、"それ"は現れた。
「ワルキューレはやらせねぇ!!」
紺碧の矢の如き、一筋の彗星。
ハヤテ・インメルマンの駆る〈VF-31J〉が敵群を抜いて現れた。
「ハヤテ!?」
〈VF-31J〉は機体を反転させると、再び迫る〈Sv-262〉へ接近し、レールマシンガンと残ったミサイルで続けざまに叩き落とす。
「急いでワルキューレを回収しろスバル!」
鬼気迫る勢いのハヤテの怒声が響く。
変形、変形、変形。
ファイター、ガウォーク、バトロイドへと、止まることなく空中で躍り続ける。〈VF-31J〉が敵に囲まれながらも善戦するが、多勢に無勢という言葉がある通り、圧倒的戦力差と物量差の前に、ハヤテの集中力も精神力もすり減り、機体への被弾も増え始めた。
「スバルくん!」
叱咤するような鋭いカナメの声が飛ぶ。
(これでいいのか、星那スバル……!)
ワルキューレのメンバーをひとりだけ救出し、それ以外を見捨てるという選択肢の他が思い浮かばず、苦虫を噛み潰したような顔で、血が滲みそうなほど拳を握りしめる。
「スバルさん——」
そんなスバルに声をかけたのは、フレイアだった。
胸の前で手を組んで、心配と不安が入り混じった眼差しで見つめている。
「——私たちは大丈夫です!だから行ってください!」
グッと〈W〉のマークを作り、笑ってみせる。
その笑顔が、声が、手が、足が震えていた。
「フレイア……」
いくらワルキューレのメンバーといえど、フレイアはこの中では最年少だ。
お世辞にも戦いに慣れているというわけでもない。
それでも彼女は必死に恐怖を押し殺し、勇気を奮い立たせ、精一杯の強がった笑みを浮かべていたのだ。
「早くしろスバル!もう持たねえ!!」
通信機から、逼迫したハヤテの声が響く。
空ではハヤテが空中騎士団相手に大立ち回りを繰り広げており、撃墜数はすでに二桁を超えていた。
もしこれが新統合軍ならば、〈ロイ・フォッカー勲章〉を授与されていることだろう。
被弾痕が各所に見受けられるハヤテの〈VF-31J〉は追い詰められてもなお、諦めることなく戦い続ける。
だがその動きは明らかに鈍重になっていた。
そのハヤテの動きを見切ったのか、数機の〈Sv-262〉が突破して、スバルたちへ迫ろうとする。
「抜かれたッ!?」
ハヤテは一同が瞠目するような素早さで機体を反転させると、瞬時に
「行かせねえ!!」
咄嗟の判断が功を奏し、追いついたハヤテの〈VF-31J〉がレールマシンガンの一斉掃射で迫る〈Sv-262〉をすべて叩き落とすが——
「やったか!?」
——それを狙っていたのだろう。
後方から接近した一機の〈Sv-262〉から放たれたビームがエンジンと左翼に直撃した。
「うあぁっ!!」
翼を失い、揚力を失った〈VF-31J〉が砂漠へ墜落し、砂塵を巻き上げて、それきり反応がなくなる。
「「ハヤテ!!」」
スバルとフレイアの声が重なる。
だが、ふたりの呼びかけにハヤテは答えず、ただ砂嵐のノイズが返ってくるばかりだ。
「スバスバ!もう時間がないよ!」
「急いで脱出しなきゃマズい」
「…………」
スバルは応えない。
俯き、歯を食いしばって操縦桿を握りしめているだけだ。
『後は……頼む』
最後の戦いに赴く前のメッサーの言葉が蘇る。
メッサーに後を託されたのだ。
なら迷っている暇はない。場合ではない。
だからスバルは——
「……わかった」
——迷いを断つように、断腸の思いで決断を下した。
マニピュレーターを操作し、カナメとマキナと美雲を〈VF-25F/TA〉の左手ですくい上げ、コックピットへ寄せる。
近くで見た美雲は、想像より憔悴しているようで、額に脂汗を浮かべて、豪奢な紫苑の髪も、戦闘の余波と機体から発せられる風圧で乱れていた。
そんな状態の美雲を後方のシートに座らせると、カナメとマキナが飛び降りるのを見届けると、ふわりと〈VF-25F/TA〉が浮かび上がる。
先ほどから〈ARIEL.III〉がアラートをかき鳴らし続けていた。
もう残されている時間はない。
その場に残されたカナメ、マキナ、レイナ、フレイアを見つめ、叫ぶ。
「必ず助け出してみせる!だから待ってろ!!」
風防が閉じられる。
後ろ髪を引かれる思いを振り切るようにスバルは前を向くと、スロットルを全開で入れた。
戦闘機へと姿を変えた〈VF-25F/TA〉が一気に加速し、一直線に敵がひしめく空へと駆け上がっていく。
この惑星から脱出するために。
希望の灯を絶やさぬために。
*
『地を這う虫ケラめ……よくも白騎士様を!』
墜とされたキースの〈Sv-262〉を見たボーグは怒髪天を突くと言わんばかりの形相で、ルンを真紅に燃やしていた。
『ボーグ!ルンを抑えろ!』
ヘルマンの叱責すら聞こえないほど頭に血が上っているのか、ボーグはスロットルを全開に入れ、熱核バーストエンジンを噴かし、騎士たちの迎撃を掻い潜って空へと昇り続ける〈VF-25F/TA〉へ向かって一直線に突出する。
あってはならないことだった。
白騎士という名が、ウィンダミア人にとって、空中騎士団にとってどれほど神聖なものか、地球人たちには到底理解できないだろう。
だから余計に腹が立った。
なぜ大義のために白き翼を黒く染めた、白騎士が地に墜ち、大義も信念も持たない地球人が、自分たちの捨てた白き翼を纏い、空を舞っているのか。
『逃すものか!』
雲間に消えた〈VF-25F/TA〉を追って、〈Sv-262〉が爆発的に加速する。
許されることではないだろう。
怒りに身を任せて風に乗るなど以ての外だ。
だが、それでも墜とさなければならなかった。
そうでなければいけないのだ。
*
空中騎士団の追撃を振り切った〈VF-25F/TA〉が雲海を切って、
あと少しで合流できる、というところで、後方から接近する敵影を捉えた〈ARIEL.III〉がアラートを鳴らした。
「……送り狼か」
振り返る。
未だに目を覚まさない美雲のさらに向こう。
スバルと同じように雲海を切って一機の〈Sv-262〉が追いかけてきていた。
『逃がさん!』
直後にロックオンされたとアラートが鳴り響く。
間髪入れずにスロットルを全開で加速をかけるが、それよりも早く〈Sv-262〉から怒濤のようにミサイルが吐き出された。
「……クソったれ!」
フレアを撒き、速度を上げて振り切ろうとする。
が、後ろには美雲が乗っていることを考慮すれば、いつも通りの
いくらISCといえど、完全にGをなくすことはできないし、相当な負荷がかかるだろう。
美雲の容体がわからない今、そんな危険を冒すべきではない。
一瞬の間に、思考を駆け巡らせ回避運動に入る。
いくつものミサイルがフレアに誘導され、明後日の方角で爆発するが、それでも追尾してくるミサイルを旋回ビーム砲塔で迎え撃つ。
至近距離で爆発したミサイルの爆風で、コックピットが揺れた。
『動きが鈍い……?手負いか!』
勝機と見たボーグの〈Sv-262〉が一気に加速する。
距離を詰められまいと、スバルも再び加速をかけようとして、それは起こった。
三度、アラートが鳴り響く。
だが、それは機体を捉えたものでも、ロックオンをされたことを知らせるものではない。
機体に異常を検知したアラートだった。
「なっ……!」
スバルが目を剥いてホログラム・スクリーンを見つめる。
〈ARIEL.III〉がトルネードパック、右翼エンジンポッドに異常を確認したと表示されていた。
慌てて振り返ると、右翼に装備されたエンジンポッドが炎を吹き上げているのが見て取れる。
「……まさかさっきの爆風で!?」
『グロース!!』
驚く間も無く、後方から接近した〈Sv-262〉から、今度は逃がさないとばかりに、ミサイルとレーザーが波濤のように迫る。
逃げるためにスロットルを入れるが、右翼のエンジンポッドの出力が安定しない。
それどころか、だんだんと低下しつつある。
かと言ってフレアを撒いたところで、この機体状態ではとても逃げきれないだろう。
〈アイテール〉はもう見えているというのに。
可変戦闘機ならばすぐに詰められる距離にあるというのに。
その道が果てしなく遠い道に見えた。
「後少しだってのに……!」
万事休すという言葉が頭をよぎったその時だった。
そっと、操縦桿を握る手に、白くしなやかな手が重ねられる。
「——!?」
振り返れば、美雲が後方のシートから身を乗り出して、額に汗をかき、苦しそうに眉をひそめながらも、手を伸ばしていた。
「美雲!?何してるんだ座ってろ!」
「スバル……私は大丈夫。だから、貴方は前だけを見ていなさい……!」
重ねられた手が強く握られる。
美雲の手は、いつも以上に熱かった。
熱が出ている上に本調子ではないのだろう。
他人の心配なんてしてる余裕がないほど憔悴しているというのに、美雲は弱音一つ吐かない。
常にワルキューレのエースであろうとする力強い瞳がスバルを見つめていた。
「美雲……」
前を向いたスバルの瞳に不屈の色が宿る。
そうだ。
メッサーに託されたのだ。
カナメたちと約束したのだ。
美雲を無事に連れて帰り、そして助け出すと。
操縦桿を握りなおす。
「……少し揺れるぜ、座ってろ」
フッ、と笑った口元から、闘争心を表すように犬歯が剥き出す。
——ここから先は出たとこ勝負だ。