マクロスΔ 紅翼星歌〜ホシノツバサ〜   作:木野きのこ

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Mission10 限界 ボーダーライン II

 

——夕方。

 

市場は夕飯の買い出しや、食事を摂りに来た人たちで賑わっている。

心地よい喧騒に耳を傾けながら、市場にある広場の一角から、スバルは夕日が沈むラグナの海を眺めていた。

 

「……どうしたもんかね」

 

手すりに身を預けながら、頭を抱えて大きなため息を吐いた。

アイシャにああは言ったものの、何か具体的な策や案があるわけではなかった。

それでも何とかできないかと、半日かけてメッサーについて調べてみたが、わかったことといえば——

 

出身は惑星アルヴヘイムの都市マリエンブルクということ。

そこに2年前まで新統合軍で駐屯しており、同年ヴァールによって全滅したたったひとりの生き残りであるということ。

その際、瀕死の重傷を負っていたところをアラドに救われ、今に至る。

 

——それくらいだ。

もしかしたら、メッサーは2年前に一度ヴァールになっていたのかもしれない。

そんな考えが過る。

そもそも、ワルキューレの歌を間近で聴いているスバルたちがヴァールを発症する可能性は低い。

が、絶対に発症しないわけではないとは言うものの、スバルやハヤテのように特殊な体質を持っていないアラド、チャック、ミラージュが発症していないところから、やはり可能性は低いのだろう。

そうすると、ただひとりメッサーだけがヴァールを発症していることに説明がつかないのだ。

耐性が低いパイロットは元々選ばれることのないデルタだ、メッサーは一度ヴァールに罹り、それが再発したと考えれば、すべて辻褄が合う。

認めたくはないが、そういうことなのかもしれない。

 

「浮かない顔ね」

 

ふと、後ろから声をかけられる。

振り返ると、いつものワルキューレの制服に身を包んだ美雲がいた。

人間の慣れとはかくも恐ろしいものであり、神出鬼没の美雲が突然現れたとしても、スバルは動じなくなっていた。

 

「……そう見える?」

 

「ええ。何か悩み事?」

 

菫色の髪を風になびかせ、するりと自然な動作でスバルの隣に美雲は落ち着く。

まるでそこが定位置だと言わんばかりに。

そんな美雲にもスバルは慣れたのか、特に気にした様子はない。

再び前を向くと、美雲と並んで茜色に染まった海を静かに眺める。

 

「まあ。そんなところだ」

 

「あら、話してくれないのかしら?」

 

「……こればっかりは、な。話せる内容じゃないんだ」

 

「……そう」

 

美雲の顔が少し曇る。

そのことに心が少し痛んだが、今回ばかりは誰かに相談するわけにもいかない。

メッサーのことをアイシャは他言していないと言っていた。

だからというわけではないが、軽々しく口にしていいことでもないと思っていたからだ。

 

「なら、どうして貴方はここにいるの?」

 

「え?」

 

「ひとりで悩んでたって答えなんて出ないわ。誰にも話せないなら、せめて行動に移しなさい」

 

美雲は毅然とした態度で、そう言った。

 

「行動に……?」

 

「私が貴方のことで悩んでた時、アイシャがアドバイスをくれたわ。手を握ってみろって」

 

そう言うと、今度は唐突にスバルの手を取って握りしめる、。

あまりに突然の出来事に驚いて、同時に耳まで真っ赤にして赤面した。

 

「なっ、み、美雲……?いきなり何を……」

 

「ほら、行動に移すってこんなに簡単なことなのよ」

 

「いや、たぶんそういう意味じゃ——」

 

「でも、私はこれで悩みが少し軽くなったわ」

 

「そうかもしれないけど……」

 

そこで、スバルは美雲の意図に気づいたのか、ハッとした顔になる。

 

これは、美雲なりの励ましなのだろう。

誰にも話せない悩みのひとつやふたつ、誰にだってある。そんなことはわかってる。

でもその時に周りの人間は何もしてやることはできない。

それもわかっている。

だけど、そんな時に励ますことはできる。

私がそうやって解決したように、こうすれば解決できるんじゃないか、と。

そう言われているような気がした。

 

「そうだよな、ひとりで悩んだってしょうがない。何はともあれ、行動に移さなきゃな」

 

「ええ。そうしなさい」

 

「——ありがとな、美雲」

 

感謝を述べて、そっと、繋いだ美雲の手を握り返す。

それに少し驚いた顔をする美雲だが、頬を少し赤らめるて、またヴォルドールで見せたような、特級の蕩けてしまいそうなほど甘い笑顔で——

 

「どういたしまして」

 

——そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

その室内は、モダンなアンティークで統一されていた。

宇宙の各方面に進出するような、いわゆる近未来となった今では非常に珍しいレイアウトだ。

その室内で、窓の前に佇むジュリアン・ランヴェールは静かに外を見つめていた。

真紅の瞳が捉える先には一面の銀世界が広がり、どんよりと低い雲が空を覆い、どこまでも広がっている。

彼は無意識に歌を口ずさんでいた。

それは記憶の片隅に残っている流行歌。

かすかに覚えているメロディーと歌詞を追って唇を動かす。

 

——Vamu recallmemora Echno——

 

荘厳な祈りのような歌詞であり、誰かに問いかけている歌詞にも聴こえるフレーズ。

どこかで聞いたことのある、でも誰も知らないような、そんな歌だった。

すると、後方のドアが二、三度ノックされる。

途端、現実へと引き戻されたジュリアンは、またいつもの仮面のような笑みを浮かべて振り返った。

 

「開いているよ」

 

ガチャリと音を立てて、ドアが開く。

そこに立っていたのは雪のように白い髪と瑪瑙のように黒い瞳を持った男——ヴァルター・ガーランドがいた。

 

「俺を呼んだか?大将」

 

「よく来てくれたね。まあ座るといい」

 

手で座るように促すと、ヴァルターは応接用のソファに深々と腰掛けて両手を広げて背もたれに寄りかかった。

立場上とはいえ、これから上司と会話をするという姿勢には見えない。

しかしジュリアンは、さほど気にしていないのか、対面に腰掛けると、微笑んだままゆっくり話し始める。

 

「昨日はだいぶしてやられたみたいだね」

 

「ああ、まったくだ。おかげで俺の機体はお釈迦、予備機も余ってねぇみたいだし、しばらく出撃はお預けか?」

 

「そうだね、機体が直るまでは出撃は控えてくれ。今日の出撃からも外すよう伝えてある」

 

ジュリアンから発せられたその言葉が意外だったのか、珍しくヴァルターの瞳が少し大きく開いた。

 

「おいおいおい、昨日の今日でまた出撃をさせるなんて何考えてんだ」

 

「違うよヴァルター。昨日の今日だから意味があるんだ。昨日の戦闘でこちらも被害を受けたが、そのほとんどはヴォルドール新統合軍が占めている。対してこちらは君とボーグ、あとは若干名が被害を受けただけで余力は十分だ」

 

そう言って、テーブルの上に用意しておいた紅茶を、ソーサーごと持ち上げて優雅に口に運ぶ。

 

「このブリージンガルに点在するプロトカルチャーの遺跡は、そのほとんどを調査し終えたが、惑星ラグナだけはまだだったからね、今を置いて好機はないと思う」

 

「連中も消耗しているから、回復する前に調べ物ってわけか」

 

「そういうことさ」

 

「なるほどな。まあそれはいい、小難しい話は俺に関係ないからな。で、そろそろ呼び出した理由を聞かせてくれるんだろ?」

 

ヴァルターもジュリアンと同じくティーカップを口に運ぶが、そこに紅茶を飲むという優雅さはなく、まるで酒でも呷るかのようにグイッと一口で飲み干してしまう。

 

「——実はね、君に任せたい機体があるんだ」

 

紅茶を飲み終えたジュリアンは静かにソーサーとティーカップを置くと、ひとつの端末を取り出した。

 

「それは〈Sv-262〉の代わりってことか?」

 

「いや、〈Sv-262〉は降りなくていい。任せたいのはゴーストだからね」

 

「ゴーストだぁ?〈リル・ドラケン〉だってあるのに、なんでいまさら」

 

「我々のパトロンであるイプシロン財団が珍しい機体を所有していてね、格安で譲ってもらったんだ」

 

そう言って、ゴーストの詳細が記されたホログラム・スクリーンをヴァルターへ投げて見せる。

 

「……へえ、確かにこいつは珍しいな」

 

それを見たヴァルターの口元がつり上がって、犬歯をむき出しにして笑う。

目が爛々と輝き、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のようだ。

 

「少し古い機体だが、中身は最新のものに差し替えてあるらしい。今の機体とも十分渡り合えるだろう」

 

「だろうな。〈リル・ドラケン〉に比べりゃかなりマシな部類だ。ありがたく使わせてもらうぜ大将」

 

スクリーンを消したヴァルターが立ち上がり、去ろうとするが、それを引き止めるようにジュリアンが声を上げる。

 

「ああ、それから」

 

「なんだ?まだ何かあんのか——ッ!」

 

振り返ったヴァルターは、ジュリアンの瞳が開かれていることに、今度こそ驚き、ギョッとした。

彼が目を開けるところを今まで見たことがなかったのであれば当然の反応である。

口元では笑っているが、ヴァルターの額を冷たい汗が一筋流れた。

 

「身体の調子はどうだい?」

 

ジュリアンはすべてを見透かしたように問いかける。

が、ヴァルターには彼の口調は問いというより確信を持って言っているように感じた。

 

「……どういう意味だ大将?」

 

「誤魔化す必要はないさ。君の身体、昨日の戦闘で、だいぶガタが来たんだろう?」

 

「…………」

 

図星を突かれ、ヴァルターは何も言えなくなる。

事実、彼は昨日の戦闘で機体のリミッターを外し、限界を超えた機動を行なったことで、内臓や骨格の一部に異常をきたしていたのだ。

 

「……何でもお見通しってわけか?」

 

「何でもではないさ。そもそも〈Sv-262(ドラケン)〉はウィンダミア人が使うことを前提に調整されている機体なんだ。地球人である君の身体にとって負担になるのは容易に想像できる」

 

「だから降りろって言うのはナシだぜ大将」

 

「そうは言わないさ。が、このまま戦い続ければそう遠くないうちに君は死ぬだろう。それでもいいのかい?」

 

「傭兵は戦ってナンボの生き物だぜ。そのうち死ぬってんなら死ぬ瞬間まで戦うのが傭兵だ。違うか?大将」

 

「……確かに。愚問だったね。でも君は我々にとって貴重な戦力なんだ。簡単に死なれては困る」

 

「……大将。アンタ何が言いたいんだ」

 

先程から質問の意図が読めないヴァルターが目を細めて訝しむ。

すると、ジュリアンはいつもの貼り付けられた仮面に氷のような冷たい笑みを浮かべ——

 

機装強化兵(サイバーグラント)に興味はないかい?」

 

——そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

見上げる空は満天の星空。

雲ひとつなく、どこまでも大空が広がっている。

 

「ここにいたのか。探したぜメッサー」

 

ふと、後ろから声をかけられる。

振り向くと、そこにいたのは夜空と同じ群青色の髪に琥珀の瞳を持つ青年——スバルがいた。

腰に手を当てやれやれというようなジェスチャーと、今しがたかけられた言葉から推察するに、どうやら自分を探していたらしい。

 

「何の用だ。スバル少尉」

 

「ちょっと話しがしたくてね」

 

右側だけ長くしたアシンメトリーの髪をかきあげて、隣に並び立つ。

月明かりを受けて、彼の耳にかけられたイヤリングが青のような、紫のような不可思議な輝きを放った気がした。

 

「先に謝っとく、すまん」

 

「何の話だ」

 

「いや、実は朝の会話をうっかり聞いちゃってな」

 

朝の会話と聞いて思い出したのは、無論アイシャに呼び出されて話をした件だろう。

もっとも、すれ違った際にワザとらしい演技をしていたところから、聞かれてたのではないかと思ってはいた。

だが、メッサーはそれを咎めることも、諌めることもなく、ただ一言——

 

「そうか」

 

——そう言うだけだった。

 

「盗み聞きしたことを怒らないのか?」

 

「咎めたところで、お前が聞いた事実が消えるわけではない」

 

「……スレてんなぁ」

 

「せめて合理的と言え」

 

「似たようなもんじゃねーか」

 

口を尖らせて文句を言うスバルを一瞥すると、メッサーは興味を失ったのか、また空を見上げ始めた。

 

「盗み聞きの懺悔ならば教会でやることだ」

 

「あいにくとオレは無宗教でね。神様なんて信じちゃいないんだ」

 

「……減らず口だけは一人前だな」

 

「半年以上も付き合ってりゃ自然と身につくもんだ」

 

またスバルの方を見るが、その目には意地でも退かないという強い意志が宿っているように見えた。

それを見てついに観念したのか、メッサーは大きなため息を吐くと——

 

「それで、何が聞きたいんだ」

 

——スバルへ向き直り、真っ直ぐに見つめる。

口では色々減らず口を叩いたものの、やはりメッサーは、立ち姿からすでに圧のようなものを放っており、気圧されてたじろいでしまうが、何とか踏ん張り同じように正面から見据える。

 

「2年前、惑星アルヴヘイムで起こったヴァールの暴動の生き残りらしいけど、この時にはもうヴァールになっていたのか?」

 

「……ああ、そうだ。2年前、たしかに俺は、一度ヴァールになった」

 

(やっぱりか)

 

「そのことは隊長も知っている」

 

「はぁ!?」

 

「隊長だけじゃない。アーネスト艦長も知っている」

 

「……マジか」

 

驚きはするが、それだけだった。

冷静に考えれば、真っ当なことである。

一度ヴァールになった者、つまり暴走の危険を孕んでいる者を起用するにはそれなりのリスクが伴う。

それを隠して運用するには少なくとも隊長以上の役職者が、その事実を認知しておく必要があるのだ。

 

「……ヴァールが再発しかかってることは?」

 

「朝聞いた通りだ」

 

「アイシャとオレ以外には知られてないわけか」

 

だからアイシャはアラドやアーネストにこのことを伝えて、何とか降ろしたかったんだろう。

が、思いのほか頑固な今のメッサーではそれも意味がないと感じ、自分に白羽の矢が立てられたのだ、と思い至った。

 

「……どうすんだよ」

 

「何も。このまま任務を続けるだけだ」

 

「できるわけねーだろそんな身体で」

 

「自分の身体のことは、自分が一番よく分かっている」

 

「いーや、わかってないね。自分がどんだけでかい爆弾抱えてるか、わかってないのか?お前ほどのパイロットがヴァールになったら、反応弾より恐ろしい相手になるだろうが」

 

「その時は、俺を殺せ」

 

「ふざけんな。仲間殺しなんて二度とゴメンだ」

 

メッサーの言葉を受けて、スバルがいつになく真面目な声を返す。

それだけではない、メッサーに負けず劣らずの圧を放って睨みつけているのだ。

それを受けて、メッサーの眉が少しだけ持ち上がるが、スバルは頭を掻くような動作で誤魔化すと、またいつものヘラヘラした雰囲気に戻っていた。

 

「はぁ……そんなに飛びたいのかよ。自分が死ぬかもしれないってのに」

 

「——逆に訊こう。お前は死ぬかもしれないから機体から降りろと言われて降りるのか」

 

「いや、降りないだろうな」

 

「なら、俺が機体に乗るのも同じことだ」

 

「……要するに、理屈じゃねぇってことか」

 

スバルは呆れて、でも何か納得したように言った。

 

(結局のところ、俺もメッサーも空と可変戦闘機に魅了された、ただのバカらしい)

 

同じ穴の狢という言葉を思い出し、スバルは少し吹き出してしまった。

 

「ならもう降りろなんて言わない。でもヴァールが治るまでの間、前線を退くくらいならいいだろ?」

 

「それはできない」

 

「はぁ?なんでそうなる。降りろって言ってるわけじゃねぇんだから、いいだろそれで」

 

「俺にはやるべきことがある」

 

「……白騎士との決着か?」

 

「それもある」

 

「それ"も"?他に何があるんだよ」

 

メッサーは答えない。

答えに迷っているわけではなく、ただ答えようとしていないように見えた。

が、メッサーはおもむろに左手の袖を捲ると、その手首につけられたバングルをスバルに見せた。

月明かりを受けて銀色に輝くソレは、バングル型のオーディオプレイヤーだ。

メッサーが何やら操作すると小さなホログラム・スクリーンが表示され、曲名と曲が流れる。

 

「〈AXIA(アクシア)〉……?それにこの声は……カナメさん?」

 

「……あの歌が、あの歌声が、暴走した俺を正気に戻して、救ってくれたんだ」

 

そう言ったメッサーの顔は、まるでその時を思い出しているかのように穏やかだった。

 

「……命の恩人を護るため……か」

 

ふと、スバルもまたフロンティアにいた頃を思い出して、そっと首元に下げられたハーモニカをなぞった。

両親を失い、孤独と絶望の淵に追いやられた自分を救ってくれた歌。

数えきれないほどの恩を受け、一生をかけてでも返したいと思った人がいる。

軍属となる道を選んだ理由もそのひとつだった。

命の恩人が護りたいものを守りたい。

自分とメッサーはやはりどこか似ている、そう感じた。

 

スバルがメッサーに何かを言おうとした、その刹那。

ふたりのポケットに入っていた携帯端末がけたたましい音とともに震えた。

同時に後方のバレッタシティ各所で警報と緊急ホログラムが起動する。

 

「なんだ!?」

 

取り出した端末には緊急出動(スクランブル)要請がホログラム・スクリーンに表示される。

 

「スバル!」

 

緊張した声を上げたメッサーが見上げる先には一ダースほどの流星が雲間を縫って降下してくる。

それは災厄を告げる凶星だった。

苦々しげに舌打ちをしたメッサーは、颯爽と身を翻すと、スバルとともに〈マクロス・エリシオン〉へと向かう。

見上げる空には、半ダースほどの部隊が先んじて迎撃に出撃し、バレッタシティの空を翔けていった。


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