どこかで、歌が聞こえた。
安らぎを覚える揺籠のような調べ。
とても懐かしく、でもどこかで聞いたことのある歌。
そんな泡沫のような朧げで儚い夢を見ていた気がした。
◆
暗闇の中、泥のように重たい感覚が全身を包んでいた。
重たい瞼をゆっくり開くと、久しく感じていなかった網膜が焼けつく感覚が脳へと信号する。
どうやら相当長い間眠っていたらしい。
「ここは……」
薄暗い部屋の中、見上げる天井は見慣れないものだった。
生命維持装置の心拍数を測る音が規則的に部屋に響く。
「やっとお目覚め?」
凛と響く芯の通った声が鼓膜を揺する。
目だけを動かし声の主を確かめると、美雲・ギンヌメールが覗き込むようにして見つめていた。
「……美雲?」
「ええ、私よ」
「……オレ、生きてるのか?」
「変なこと聞くのね」
そう言うと、美雲はゆっくりと右手を持ち上げる。
それに合わせてスバルの右手も持ち上がり、固く繋がれた手が視界に入る。
その手を繋いだ温かさが皮膚を通して神経を伝わり、頭に生きていることを実感させた。
「身体はもう平気?」
「ん?ああ——」
左手で腹部をさする。
モニターの破片が刺さった箇所はほとんど塞がっているらしい。
とは言え、まだ少し痛むので完治してるわけでもなさそうではあるが。
「——なあ、オレどれくらい眠ってた?」
「そうね、1週間くらいかしら」
「そんなにか……」
痛む腹部を左手で抑えながら、ゆっくりと身体を起こす。
しばらく身体を動かしていなかったからか、全身の筋肉にうまく力が入らず、骨が軋んだような音を立てた。
見かねた美雲が支えながらスバルを起こす。
「まだ無理しちゃダメよ」
「これくらい平気だって。それより美雲——」
「何かしら?」
「——なんでオレの手をずっと握ってるんだ?」
スバルが視線を落とす。
その先には美雲の右手がスバルの右手をしっかりと握りしめられていた。
スバルが目をさましてからずっと繋がれていたその手は、身体を起こす時もずっと繋がれたままで、意識して気にしないようにしていたが、それも限界だった。
美雲はいつものようにフワリと微笑むとゆっくりと口を開く。
「アイシャに手を握ってみるといいって言われたのよ」
「……アイシャのやつ。美雲に何吹き込んでんだ」
美雲に聞こえないように振り向いてボソリと呟く。
「でも全然ダメね。何もわからないわ」
そう言うと美雲は思いのほかあっさりと手を離した。
空き手になった右手から暖かさが引いていき、少し物寂しい感じがした。
「何か悩み事か?意外だな」
「あら、私だって人並みに悩んだりするわよ」
「へえ、とてもそうは見えないけどな」
「見せないようにしてるのよ。ワルキューレはいつだってこの銀河の希望なんだから」
「——そっか。そうだよな」
「それに、まだ悩みの種がなくなったわけではないけど、少しだけ答えは出たわ」
「……どんな?」
「貴方の手を握ると安心するのよ。何故かはわからないけど」
そう言って美雲は自分の掌をじっと見つめる。
つられるようにスバルも自分の掌を見つめ、美雲に手を握られていた時を思い出す。
確かに人肌の温もりは暖かく、生を実感させた。
心なしか落ち着いていた気もするし、何より手を離された時の物寂しさもあった。
が、なぜそう感じるのかスバルには理解できなかった。
「ただ手を繋いでただけだぞ?」
「ええ、そうね。本当に不思議よね」
スバルと美雲の視線が交錯し、見つめ合う。
数秒の沈黙が続いた後、ふたり同時に吹き出して笑い合った。
◆
ひとしきり笑った後、美雲は立ち上がるとクルリと踵を返して長い髪を翼のように広げて、スバルに背を向ける。
「そろそろ行くわ。またねスバル」
ゆったりと流れる動作でドアの方へ歩いて行くが、その美雲を引き止めるようにスバルが声を上げた。
「美雲」
「何かしら?」
背を向けたまま、顔だけ振り返ってスバルを見つめる。
「……心配かけたな。悪かった」
腹部が痛むので身体は曲げられない。
なので頭だけ下げて謝罪の言葉を口にする。
自業自得とはいえ周りに迷惑をかけたことに変わりはない。
本来なら目が覚めてすぐに言うべきことなのだが、言い出すことができず去り際になってしまった。
美雲はいつもの調子で艶然と微笑むと、クルリとまたターンして真っ直ぐにスバルを見つめて口を開いた。
「ええ、まったくね。このままだと命がいくつあっても足りないもの——」
「おっしゃる通りで……」
「——それに、私はもう貴方のあんな姿を見たくないわ」
美雲の脳裏には、大破した〈VF-31F〉から運び出され、担架に乗せられて運ばれて行くスバルの姿が浮かぶ。
今でこそヘラヘラ笑っているが、ほんの1週間前まで、彼は生死の境を彷徨っていたのだ。
「美雲……」
「だから無茶な戦い方はこれっきりにして」
「……ああ。今回のことで身に染みてわかったよ——」
アイシャの言葉が蘇る。
『あなたが死んだら悲しむ人は沢山いるわ。その事は忘れないで』
「——だから決めた」
顔を上げたスバルの顔はいつになく真面目で、何かを覚悟したような、そんな顔だった。
「オレは今度こそ美雲を、ワルキューレを守るために飛ぶ」
ヴァルターが憎いことに変わりはない。
彼の行った理不尽な行為を許したわけでもない。
しかし、それ以上に、ボロボロのコックピットの中、今にも消えそうなモニターと意識の中、見た彼女たちの悲しむ顔が脳裏に、瞼の裏に焼き付いて消えない。
どんなに言葉を並べても、ワルキューレを守るという使命を忘れて私怨に走り、彼女たちを危険に晒したことに変わりはない。
その結果が彼女たちを悲しませることになってしまったのも変えられない。
後悔先に立たず。
そんな言葉が浮かんだ。
だからこそ、ここからまた新しくやり直そうと、そう決めた言葉だった。
「そう、期待しているわ」
美雲の返事はいつものように簡潔で淡々としている。
素っ気ないとは思わない。
きっと彼女なりの信頼の現れなんだろう。
そう考えることにした。
音を立ててドアが閉まり、集中治療室にはスバルだけが残される。
また室内に静寂が戻り、生命維持装置の電子音だけが響く。
「そうさ、今度こそ——絶対に」
繋がっていたことを確かめるように右手を握りしめる。
かつて離してしまった手は届くことなく、二度と繋ぐことはできなくなった。
だが今は違う。
この手を伸ばせばまだ届く。
あの温もりを失わないために彼女を守る。
ひとり新たに誓いを立てた。
◆
「レディMより新たな指令が下った」
スバルが退院してから数日後。
〈マクロス・エリシオン〉ブリーフィングルームにはデルタ小隊とワルキューレの面々が集結していた。
部屋の中央にはブリージンガル球状星団の星系図が展開され、同席するアーネストを含めた一同がポップアップスクリーンを注視していた。
「ウィンダミアが占領した星で一体何を行っているのか、敵の懐に飛び込み調査する」
スバルたちを呼集した〈マクロス・エリシオン〉艦長アーネスト・ジョンソンがその大柄な体躯に違わぬ声量で告げた。
ポップアップスクリーンに拡大表示されたのは、先日フレイアがデビューライブを行った惑星ランドールと同じ恒星系で兄弟惑星のヴォルドールだった。
更新が遅れて引っ張った割にはあっさりした内容で申し訳ないです。
もしかしたら試行錯誤しすぎて文体だったりキャラがブレてるかもしれませんが、ご了承ください。
あとin率低めですがツイッターで進捗報告とかするかもしれないのでそちらもどうぞよろしくお願いします。