イオニデスの激戦後、〈アイテール〉は無事にラグナへと帰還した。
が、搭乗していたデルタ小隊やワルキューレの心情は到底無事と言える状況ではなかった。
「えっ、ハヤテが……?」
ワルキューレの控え室は重たい空気に包まれていた。
そこでフレイアはカナメから伝えられた事実を最初は理解することができなかった。
——ハヤテが人を殺めた。
その部分だけ聞けばハヤテが犯罪者になったとしか聞こえないが、実際は戦闘でウィンダミア機を墜としたことだとゆっくりと理解する。
「えぇ……」
カナメの面持ちもどことなく重たい。
フレイアに伝えるかどうか迷ったのだろう。
いつもは明るいマキナでさえ神妙な面持ちのまま着替えている。
「…………」
自分に何ができるのだろう。
フレイアの頭の中でそんな思いが巡る。
自分はハヤテのように可変戦闘機に乗れるわけでない。
だから彼がどんな思いで戦っているかわからない。
人を殺めるという言葉は理解できても、どう言葉をかければいいのかわからない。
もしかしたら自分の歌がもっと早く届けば、ハヤテは人を殺めずに済んだかもしれない。
スバルもあんな大怪我を負わなかったのかもしれない。
そんな考えが過った。
「…………」
「早く行きなさい」
「え?」
「くだらない言葉に足元をぐらつかせてるような人間は必要ない」
「…………」
そんな
その視線はフレイアを向いておらず、興味すらないと言っているようであった。
『見つけたぞ裏切り者!!』
フレイアの脳内にイオニデスの戦いで敵のパイロットに言われた言葉が蘇る。
誹りを受ける覚悟はしていた。
自分の故郷を敵に回してでも、叶った夢を捨てたくなかったから。
でもたった一言、裏切り者と言われただけで迷っている自分がそこにはいて、それなのに覚悟ができていたと思い込んでいて、突きつけられた事実を受けて、自分が惨めで情けなくて仕方なかった。
「…………」
「美雲!」
見かねたカナメが語気を強めて声を上げる。
しかし美雲はいつものようにどこ吹く風と言わんばかりで気にしていない。
「フレフレは自分の故郷の星と戦争をしなきゃいけないんだよ!」
「……でもね、そうなったとしてもワルキューレで歌うと決めたのは他でもない、フレイア。貴方自身でしょ?」
美雲がゆったりと舞うような動作でフレイアに詰め寄る。
「それとも貴方の覚悟は所詮その程度だったってことかしら?」
細くしなやかな指が伏し目がちなフレイアの俯く顔を持ち上げる。
「生半可な覚悟で歌ったところで、この銀河全てに歌声を届けることなんてできやしない。それならいっそやめたほうがいい」
「…………」
「私たちはワルキューレ。貴方はなぜステージに立つの?何のために?どんな想いで歌っているの?」
「私は……」
「もう一度、よーく考えなさい」
艶然と微笑み、クルリと踵を返して美雲は去って行く。
フワリと菫色の髪が羽のように舞った。
「何のために……」
脳裏に浮かぶのはたった1つの思い。
歌が好きだという、シンプルだけど一番大事な理由。
子供の頃から、ウィンダミアにいた頃から、独立戦争で近代文明の産物であるコンピュータがどれだけ奪われても、規制されても手放さなかった端末が教えてくれた夢。
生きている衛星と繋がったほんの1時間とか2時間の間に銀河ネットの放送がノイズ混じりに教えてくれた歌の素晴らしさ。
それを村のみんなに聞かせるのが好きだった。
喜んでくれるみんなの笑顔が好きだった。
だからワルキューレに入って、もっといろんな人に歌を届けたいと思った。
「どんな想い……」
浮かぶのは風のように爽やかに笑う少年。
アル・シャハルで会ってから苦楽を共にしてきた仲間であり、自分がピンチになると駆けつけてくれる最高のヒーロー。
アル・シャハルで密航犯として捕まえられそうになった時も、ランドールでワクチンライブをした時も、イオニデスで戦術ライブをした時も、どんな時でも助けに来てくれた大事な人。
そんな彼のために歌いたいと思った。
「……私は!」
フレイアはもう俯かなかった。
伏し目がちだった若草色の瞳はしっかりと前を向いている。
目には強い光が宿っている。
何かを決心したような顔で、フレイアは控え室を飛び出して行った。
◆
「…………」
デルタ小隊の控え室もワルキューレ同じく重い空気に包まれており、全員が口をつぐんだままじっとしている。
室内を換気するための空調の音が無機質に響いていた。
ハヤテはソファに腰掛けうな垂れたまま動かず。
ミラージュは椅子に腰掛けて不安な気持ちを誤魔化すように爪を弄っているが、その甲斐もなく顔に出てしまっている。
どれほどの時間が経っただろう。
ほんの数分だったかもしれない。
もしかしたら数時間過ぎていたかもしれない。
時間感覚が麻痺した状態で待っていると、圧縮空気の抜ける音と共にドアが開く。
全員の視線が一切にその方向を向いた。
「まだ残っていたのか」
そこには神妙な面持ちのメッサーが立っていた。
室内をぐるりと見回し、呆れるようにため息を吐く。
「メッサー!スバルの容態は!?生きてるんだよな!?」
「…………」
「メッサー中尉!」
ハヤテとミラージュ、ふたりに詰め寄られメッサーは重い口を開いた。
「生きてはいる」
「生きて〈は〉?どういう意味だよメッサー!」
「言葉通りの意味だ。星那少尉は一命を取り止めたが、昏睡状態のまま目を覚ます気配はない」
「そんな……」
大きな音を立てて貧血を起こしたようにテーブルに手をつくミラージュ。
その音が静まり返った部屋にはあまりに響いた。
「お前たちが気にすることではない。すべては命令無視をした星那少尉の責任だ」
ショックを受けた様子のミラージュを一瞥して告げたメッサーの言葉は淡白で、無感情で、無機質で、機械的だった。
その言葉を受けてハヤテの目の色が変わる。
メッサーの胸ぐらを掴みに行こうとしたハヤテをチャックが間に入って止めた。
「落ち着けってハヤテ——メッサー、流石に言い過ぎだろ」
「事実だ。星那少尉は待機命令を無視して無断で出撃した挙句、作戦遂行より敵討ちを優先した。その結果があのザマだ。擁護のしようがない」
「確かにスバルは命令違反をしたかもしれない……でも言い方ってもんが」
「優しく言ったところで事実が変わるわけではない」
「いや、そうだけどよ……」
その言葉を受けてチャックはそれ以上何も言えなくなってしまう。
「感傷に浸るのも結構だが、ここから先は
いつもの仏頂面のまま告げると、クルリと踵を返して部屋を出て行く。
ドアが閉まると、再び室内に静寂が訪れた。
先ほどより重たい空気が場を包んでおり、我慢できなくなったチャックがついに口を開いた。
「ふたりとも気にすんなよ。アレもメッサーなりの気遣いってやつだ」
「ええ、わかっています」
「くっ……!」
ミラージュはある程度メッサーと付き合いがあるため何となくわかっているようだが、ハヤテは納得していないらしく、吐き捨てるように舌打ちをするとドアへ歩いて行く。
「ハヤテ?どこへ行くんですか……?」
「……少し風に当たってくる。先に帰っててくれ」
そう言い残すと、ハヤテは飛び出すようにして部屋を出て行った。
部屋にはミラージュとチャックが残される。
「…………」
「……ハヤテのことか?」
ピクッと背中と尖った耳が反応した。
それを見たチャックがふっと息を吐くように微笑む。
「行ってやれよ、教官だろ」
「ですが……」
何と声をかければいいのか……。と不安そうな顔で続ける。
「初めて人を殺して、仲間が死にかける所を目撃。色々思うところがあるんだろうさ。お前だってそうだったろ?」
「……はい。とても、とても悩みました」
「簡単に割り切れるもんじゃないことは俺だってわかる。——たぶん、今のハヤテも頭の中ではこう……いろんな感情とか考えがごちゃごちゃに混ざってるんだと思う」
「……ええと?」
「あー、上手く言葉にできないんだけどよ。とりあえず、お前なりに出した答えってやつを教えてやればいいんじゃねえか?」
「私なりの……答え」
「ああ、答えが出たからこそ、今のミラージュがいるわけだしな」
ミラージュが顔を上げるとチャックはいつもの快活そうな笑顔で太陽のように笑っていた。
「そう、ですね」
だがまだ不安なのかミラージュは最初の一歩を踏み出せずにいるようだった。
それを見かねたチャックが迷っているミラージュの背中を叩いて押し出す。
「悩むのは後だ!当たって砕けてこい!」
「うえっ!?砕けてはダメなのでは?」
「そうか?なら全力でぶつかってこい!」
「は、はい!行ってきます!」
ようやく吹っ切れたのか、ミラージュは駆け足でドアを出て行く。
残されたチャックは満足そうに頷くと——
「さって、アイツらのために腕によりをかけて飯でも作ってやるか!」
——窓の外に見える茜色に染まるバレッタシティを見つめて誰にいうでもなく宣言していた。
◆
部屋の中は薄暗い暗室となっていた。
計器類の明かりだけが光源となり薄ぼんやりと室内を照らす。
部屋の中央に横たわる青年は生命維持装置を取り付けられ規則正しく呼吸している。
心拍を計測する電子音が静まり返った部屋に響いていた。
「…………」
その様子を美雲・ギンヌメールはガラス越しに見つめていた。
ここに来れば自身の胸中で渦巻くモヤモヤとした感覚の答えが出るのではないかと思ったからだ。
でもその答えはまだ出そうにない。
思い返すのは控え室でフレイアに言った言葉。
紛れもなく本心から出た言葉であり、自分で言っておきながら耳が痛かった。
『生半可な覚悟で歌ったところで、この銀河全てに歌声を届けることなんてできやしない。それならいっそやめたほうがいい』
覚悟ができてなかったのは一体どちらだろう。
スバルにどんなことになっても歌い続けると言ったのは誰だろう。
なぜ、スバルが撃墜されかけた瞬間を見てあれほど動揺してしまったのだろう。
そして、彼が一命は取り留めたと知って安堵したのはなぜだろう。
次から次へと疑問が湯水のように湧いてくる。
頭の中がパンクしそうだった。
こんな状態ではとても歌えそうにない。
だから、ここに来れば答えが出るのではないかと思ったのに、出てくるのは疑問ばかりだった。
「なぜ、貴方は私の心をこうも揺さぶるのかしら」
ガラスの向こうで眠る彼に答えを求めても、その手はたった一枚のかべに阻まれて届かない。
手を伸ばせば触れられる距離なのに、今はそれがとてつもなく遠く感じた。
「あら、美雲がこんなところにいるなんて珍しいわね」
ふと声をかけられる。
視線を向けると、白衣を羽織ったアイシャが、驚いた顔で見つめていた。
「貴方も研究室から出るなんて珍しいじゃない」
「あのねー。あたしだって、たまには外の空気を吸いたくなるときぐらいあるわよ」
まるでニートのような扱いの売り言葉にアイシャが買い言葉で返す。
しかしここは〈マクロス・エリシオン〉の艦内であり医療ブロック、つまり屋内である。
アイシャの言う外の空気を吸いたくなるというのは嘘だと即座に美雲は理解した。
「まあそれは建前で、ホントのこと言うと大事な機体を壊してくれた
ゆっくりと歩み寄り、美雲の隣に立つと同じようにガラス越しに眠るスバルを見つめる。
「あなたはどうしてここに来たの?他人に興味なんてほとんど持たないあなたが」
「そうね、私もそう思っていたわ。でも——」
そこで言葉を区切る。
美雲の脳内では先程巡った考えが目まぐるしく浮かんでは消える。
一瞬の逡巡の後、どう答えるか迷い、口を開く。
「——なぜかしらね。自分でもよくわからないの」
「……へぇ」
アイシャは何か含みを持たせたように意地悪く笑う。
その時美雲がどんな顔をしていたかは本人が知る由はないが、その美雲の表情を見て、アイシャのアクアマリンのように透き通った青い瞳が見抜いた。
「……私の顔に何かついてるかしら?」
「違うわよ。——あなた、何か気になってることがあるんじゃない?」
「あら、どうして?」
「あたし、これでも人を見る目には自信があるのよ。今ここに来た理由を聞いたら何か考えてるみたいな間があったじゃない」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取るわよー」
「……ええ、確かに少し考え事をね」
「スバルの事とか?」
スバルという名前に反応したのか、美雲の眉が微かに動いた。
アイシャがそれを見逃すはずもなく、今度はニヤニヤと薄笑いを浮かべている。
「本当、何でもお見通しってこと?」
「え?え?実は適当に言ってみただけなんだけど、もしかして大当たり?」
アイシャの予想は否定だった。
だが美雲の返答は想像の斜め上をいくもので、それを受けたアイシャは目を輝かせて食い入るように迫る。
その勢いに押されて、珍しく美雲が後ずさった。
「貴方、わかってて言ったんじゃないの?」
「やーね。人を見る目に自信があるのと考えてることがわかるのはイコールじゃないわよ〜」
この場にレイナがいたならば——
「美雲が戸惑ってる。お宝画像ゲット」
——などと言って場をかき回した事だろう。
美雲が素直に物事を認めるのは確かに珍しいことではあった。
それが他人、しかも異性とあっては女性として興味がそそられない訳がないのだ。
「ほら、力になれるかわからないけど、話してみなさいよ」
コホンと咳払いをして場の空気を仕切り直す。
美雲は言おうか言うまいか、戸惑っているようだったが、やがてゆっくりと話し始めた。
「……スバルの機体が貫かれるのを見た瞬間、頭の中が真っ白になったわ。手が震えて、足も膝から下がなくなったんじゃないかって思った」
そのままゆっくりと胸に手を運んできつく拳を握りしめる。
「それから胸が締め付けられるように痛んだの。不思議よね、今までそんなことなかったのに」
「…………」
アイシャはただ黙って美雲の話に耳を傾けている。
いつもの茶化すような雰囲気はそこにはなかった。
「でも、その後スバルが生きていると知ったら、胸の痛みが嘘みたいになくなって、安心してる私がいたの。だからこんな気持ちにさせたスバルに会えば、この痛みや安心した意味がわかると思って来たのよ」
「……その答えは出た?」
「いいえ、出てないわ。むしろわからないことが増えたかしら」
「——ふーん、なるほどね」
「どう?貴方なら何かわかるのかしら?」
「まあ、なんとなくわかったわ。状況証拠しかないから確証はないけどね」
そう言うと、アイシャは白衣を翻して美雲に背中を向けて、さっさと歩いていく。
どうやら答えを美雲に話すつもりはないらしい。
「あら、力になってくれるんじゃないの?」
「うーん、そうしたいのは山々だけど、こればっかりは憶測で言うべき問題じゃないわね。本人——つまりあなた自身の気持ちの問題よ」
「……気持ちの問題?」
「試しにスバルの手でも握ってみたらー?もしかしたらすぐわかるかもねー」
アイシャは去り際に変に間延びした声でアドバイスを残して、研究ブロックへ消えて行った。
その場に残された美雲は所在なさげに立ち尽くしているが、再びスバルへ向き直ると、アイシャの言い残したアドバイスを思いだすように、自分の掌を見つめる。
手を握れ。
意味不明だった。
手を握って何がわかるのだろう。
(……そういえば)
ふと思い出したのは、マキナとレイナが手を握って寮への帰り道を歩いているところだった。
が、やはりその意味を理解することはできそうにない。
だが、ここで悶々と考えていても答えが出ないことは先刻承知していたし、今後ワルキューレとして活動していくためにも、この疑問は解決しておきたかった。
美雲は意を決したように微笑むと、スバルの眠る集中治療室へ続くドアを開けて、その中へと消えて行った。