「んー、これでひと段落」
背もたれに身体を預けて大きく伸びるアイシャ。
ふと後ろを振り返れば、室内が綺麗になっていることに気づいた。
とは言え、先ほどのゴミ溜めのような部屋から、足の踏み場ができたくらいなので、依然として散らかっているという点に違いはないが、まあ先ほどに比べれば幾分片付いていた。
その片付けを行なっていた人物は機材の山をどかして開拓した応接用のソファに倒れこむようにして、疲れた、と呟いている。
「そんなに疲れてどうしたの?」
「誰のせいだと思ってるんだ」
「……?」
アイシャは何を言っているかわからないという顔になっている。
どうやら作業に集中しておりスバルの話を聞いてなかったらしい。
「いや、もういい」
それを察したスバルは、ソファの弾力を利用して跳ねるように起きると、ソファの肘掛に寄りかかりながら話を始めた。
「それで、ミズキから聞いたが話ってなんだ?」
「んー、話をする前に休憩させてくれないかしら。ずっと研究してたから疲れちゃって」
そう言うと、アイシャはスバルの返事を待たずにラボの奥にある給湯室へ消えていく。
ガチャガチャと何かを用意している音が止んだ後、再びアイシャが給湯室から顔を覗かせた。
「……何だこれ」
「あたし特製のパインサラダよ!軽食で食べようと作っておいたの」
片付けたばかりの応接用のテーブルの上にパインアップルの器に盛り付けられたサラダを置き、2人分の皿にテキパキと取り分けていく。
「え……アイシャって料理できるのか」
「意外って顔しないでくれるかしら?あたしこれでも家庭的な方なんだけど?」
笑顔で言ってはいるが目は笑っていなかった。
以前にも感じた貼り付けられた笑顔の仮面の裏に、鬼の闘気を察したスバルは誤魔化すように口笛を吹いている。
「はあ、まあ呼び出しておいて1時間も待たせたのは悪かったと思ってるし、研究室も少し片付けてくれたみたいだからお詫び兼お礼ってことよ、食べない?」
「いや、食べる」
事実スバルの胃は食べ物を欲していた。
時間的にはすでに夕食を過ぎている上、少し前にはヴァールとウィンダミア空中騎士団を相手にしてきたのだ、そこに部屋の掃除までしたとなれば胃は空っぽになり、腹の虫は食べ物を寄越せと騒ぎ立てていた。
「素直でよろしい」
サラダが盛られた皿を受け取り、一口食べる。
「……普通に食べれる、だと」
「あなたどんな物想像してたのよ……」
呆れるアイシャも一口、二口と食べる。
それから他愛のない話をしながらサラダを食し、食べ終わったところで、スバルが本題を切り出した。
「で、腹も膨れたことだし、そろそろオレを呼び出した理由を話してくれると嬉しいんだが?」
「ああ、そうね。ちょっと待って」
先ほどまで作業をしていたモニターの方に歩いていくと、ポップアップスクリーン式のメモリー端末を手に取り、それをスバルに投げて渡した。
「この間頼まれた調査の件。調べ終わったから教えようと思って」
「……そういえば頼んでたな」
端末を受け取り、早速起動する。
ポップアップスクリーンには〈
「一番古い記録は……西暦2050年か」
「それ以前のデータは存在しなかったわ」
「存在しない?無いじゃないのか?」
「ええ、どこのデータベースを漁ってもヴァルター・ガーランドに関する記述はなかったわ」
スバルが見つめるスクリーンには年表のように〈黒百合の悪魔〉の記録が映し出されていた。
西暦2050年——新統合軍所属、ウィルバー・ガーランドの私兵として、第2次統合戦争に加担。
西暦2051年〜2060年——消息不明
西暦2061年——反統合組織アルタイル所属、惑星フロンティアにて戦闘に加担。
西暦2062年〜2066年——再び消息不明
西暦2067年——ウィンダミア空中騎士団所属、第2次独立戦争に加担。
「このウィルバー・ガーランドってヤツとの血縁関係は?同じファミリーネームだが」
「そこはあたしも気になって調べてみたけど、ウィルバー・ガーランドに配偶者や子孫は存在しなかったわ」
そう言うと、ウィルバー・ガーランドのデータを表示したスクリーンをスバルへ向ける。
「第2次統合戦争で彼は戦死しているの。享年35歳、仮に子供がいたとしたら、今は15歳から20歳くらいかしら」
「そうか……」
アイシャの話を聞きながらも、上から順に目で追っていくと、西暦2061年の部分で目が止まる。
いや、それこそが一番知りたかった情報であるのだ。
6年前——すなわち西暦2061年にフロンティアで見た黒い機体に白百合のエンブレム、ランドールで交戦した同じ特徴を持った機体。
この共通点を確かめたくてアイシャに調査を依頼した。
そして、調べられた情報には西暦2061年にフロンティアにいたと記載されている。
点と点だった記憶が、業火の中去っていく〈VF-171〉の背中と〈Sv-262〉に描かれた模様が繋がった。
(……間違いない、オレの家族を奪ったのは〈黒百合の悪魔〉だ)
身体の奥底から怒りにも似た憎悪が湧き上がってくるのを感じた。
端末を握りしめる手に力が入る。
「……スバル?」
アイシャの声で我に帰った。
顔を上げれば、心配そうな顔でスバルを覗き込んでいる。
「どうしたの?そんなに怖い顔しちゃって」
「……いや、何でもない」
すっくと立ち上がり、こちらに寄って来ようとするアイシャを手で制する。
そのままドアへ向かって歩き出すが——
「待ちなさい、スバル」
——アイシャの鋭い声で呼び止められた。
振り向かずに、顔だけ少し後ろを向け、聞いてる姿勢を伝えると、ゆっくりと話し始める。
「そろそろこの調査を依頼した理由を聞かせてくれないかしら?」
「……単に興味が湧いたんだよ。ウィンダミア人の中でひとりだけ人間だか——」
「嘘ね」
——言い切る前に、吐き捨てられた。
アイシャは普段とは打って変わってかなり真面目な顔で話している。
その目も理由を聞かせるまで帰らせないという強い意志をひしひしと発していた。
スバルは指摘に肯定も否定もせずただ黙って立っており、アイシャも同じく黙って見ていた。
「……〈フロンティア動乱〉」
長い沈黙の末、それを破ったのはアイシャだった。
その言葉を受けて、スバルは自分でも気づかないうちに、条件反射のように身体を竦ませてしまう。
だが、アイシャが確信を得るにはそれだけで十分だった。
「6年前、あなたはその動乱で家族を亡くしている。そうでしょ?」
「……ああ。その通りだ」
「そして、その家族の命を奪ったのは〈黒百合の悪魔〉かもしれない。だからあなたはあたしに調査をお願いした。違う?」
「間違ってない。……何が言いたいんだ?」
「……あなた、敵討ちなんて考えてるんじゃないでしょうね?」
「…………」
「沈黙は肯定ってことでいいのかしら」
「……だったらなんだって言うんだ?」
「やめておきなさい。そんなことをしても何も変わらないわ」
「——っ!」
思わずに振り返ってアイシャと睨み合う形になる。
互いに真っ直ぐ見つめた瞳が交錯し、空中で火花を散らす。
「お前に……お前にオレの何がわかるって言うんだ!」
先に感情が噴き出したのはスバルだった。
アイシャからの追求を逃れようと必死に繋ぎ止めていた理性がなくなり、堰を切ったようように感情が溢れ出す。
「わかるわけないじゃない。あなたの記憶や感情はあなただけの物なんだから」
対してアイシャは冷静だった。
年の功とでも言うべきだろうが、言ったところで本人は認めないことだろう。
天才のあたしはいつだって冷静なのよ!
とでも言うかもしれない。
その澄ました顔が、冷静な感情が、スバルにとっては気に食わなかった。
いや、何もかも気に食わなかったのだろう。
駄々をこねる子供のように、ただ声を荒げていた。
「だったら……!」
オレのやろうとしている事を否定するな。
わからないなら触れるな。
その言葉を発する前にアイシャの言葉が遮った。
「あたしはね、色んな人を見てきたの」
ゆっくりと、子供を宥めるように。
泣きわめく子供を寝かしつけるように。
穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「あなたのように戦いで家族を——妹を亡くした人を。恋人を亡くした人を」
不意打ちだった。
その穏やかな口調に気勢が削がれ、スバルは何も言えなくなってしまう。
「恋人を亡くした人は言ってたわ。恋人がいない世界なんか存在している価値なんてない、そう言って恋人を殺した世界を無かったことにしようとしていた」
「…………」
「妹を亡くした人は言ってたわ。妹はそんな事を望まないって。本当は、誰よりも悲しかったのは肉親である彼のはずなのにね」
「……そのふたりは、結局どうなったんだ」
「妹を亡くした人は、その死を乗り越えて守るべき人たちのために戦ったわ。そして今も戦ってる」
「……恋人を亡くした人は?」
「彼はずっと現実から目を背けて、逃げ続けて、最後は——」
そこで言葉が切られる。
察しろと言う意味ではないのは理解できた。
どう言葉にしていいか迷っているようにも見受けられる。
「——疲れ果てて、親友の前で逝ったわ」
どこか遠い空を見上げるように、彼方へと想いを馳せるように呟く。
かつて自分がいた
親友を亡くした彼の姿は痛ましかった。
だが、彼はそれ以上に心が強かった。覚悟があった。
もう2度と大事な人を失いたくない。
その意思が彼を強くさせていたと思った。
「あなたのやろうとしていることは、そう言うことよ。家族を失った現実から目を背けて、復讐に逃げても、その先にあるのは破滅だけ」
「……だとしても、オレは〈
再び背を向ける。
心は穏やかではなかったが理性が戻り先に比べれば幾分マシだった。
「お前の言いたいことはわかったよ。……じゃあな」
ドアが圧縮空気の抜ける音と共に開く。
アイシャが見つめるその背中は数週間前に見たものと一緒に見えた。
「あなたが死んだら悲しむ人は沢山いるわ。その事は忘れないで」
聞こえたかは定かではない。
もしかしたらドアが閉まる音と一緒にかき消えたかもしれない。
それでもアイシャは言わずにはいられなかった。
このままだと
そう予感してならなかった。
だからこそ、アイシャはモニターを2、3度操作し、とある人物を呼び出す。
数回のコールの後に出た彼は、若干頬が上気していたが、まだ素面ではあるようだ。
「アラド、少しいいかしら」
「アイシャ博士から連絡なんて珍しいですね。一体何の用です?」
アラドはいつものようにクラゲジャーキー——珍しく最高級品と呼ばれるバレッタネコクラゲ——を齧っている。
「星那スバルについてよ」
「……?」
アラドはあいつが何かしたのか、というような怪訝な顔になっている。
そして、何かを察したかのようにクラゲジャーキーを喰い千切ると、酒飲みの緩い顔から一転して真面目な顔になるのだった。
◆
アイシャの部屋を後にしたスバルは〈裸喰娘娘〉への帰路に着いていた。
晩御飯の時間はとっくに過ぎている。
チャックはあれで真面目なところがあり、晩御飯の時間を——というより営業時間を過ぎるとどんな理由があろうとも料理を作ってはくれない。
アイシャの部屋でパインサラダをご馳走になったから空腹ではないが、やはりタンパク質が欲しかった。
『あなたが死んだら悲しむ人は沢山いるわ。その事は忘れないで』
去り際にアイシャにかけられた言葉が脳内で何度も再生される。
「そんなことわかってる。……わかってるさ」
その度にスバルは暗い影を落としながら、自分に言い聞かせるように呟く。
「あ、スバルさーん!」
「おーいスバルー!」
ふと頭上から声をかけられ、見上げると〈裸喰娘娘〉の2階、バルコニーからハヤテとフレイアが手を振っていた。
いつのまにか〈裸喰娘娘〉に着いていたらしい。
看板には〈Closed〉の札が下げられているところからやはり営業時間は終わっているらしかった。
「「おかえりー!」」
ふたり揃った声で迎えてくれる。
それが下の階にも聞こえていたのか、ドアが盛大な音と共に開かれ、ハック、ザック、エリザベスの3人が現れた。
「あー、スバル遅いよー!」
「スバルー!おっかえりー!」
「ザック!?ってうおわっ!」
ザックが飛び出して、頭突きにも似た勢いでスバルに抱きつく。
実際、頭から突っ込んできたので腹部に頭突きを食らった状態になったスバルはそのまま勢いに負けて倒れた。
「私もー!」
エリザベスが真似をして倒れているスバルの上に追撃するように飛び降りてきた。
「元気いいなお前ら……」
ふたりの頭をポンポンと撫でるとニシシと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「こらー!アンタたち!遊んでないで片付け手伝いなさい!」
〈裸喰娘娘〉の奥からマリアンヌが姿を現わすなり怒鳴り散らす。
それを受けて蜘蛛の子を散らすようにザックとエリザベスは撤退していった。
「スバスバおかえり〜」
「おかえり、スバル」
「おせーぞスバル!今日は晩飯抜きだ!」
起き上がって頭突きを受けた腹部をさすっていると、バルコニーからハヤテとフレイアの他に、マキナ、レイナ、チャックが顔を覗かせていた。
チャックは頬が紅潮しているところからアルコールを入れているのだろう。
「早く上がってこいよスバル」
ハヤテが笑顔で呼ぶ。
雲ひとつない空のように透き通った笑顔だった。
先ほど、あれだけメッサーに言われていたのに、すぐいつも通りに戻っていた。
この切り替えの早さもハヤテの長所なのだろう。
「ああ、今行くよ」
『あなたが死んだら悲しむ人は沢山いるわ。その事は忘れないで』
アイシャの言葉がまた蘇る。
デルタの仲間やワルキューレのメンバーの笑顔を見ていれば、自分がどれだけ慕われているかは一目瞭然だった。
(わかってる……だけどな)
だが、それを遮るように燃え上がった憎悪の炎は、その眼差しすら曇らせてしまう。
憎しみ抱え込んだ青年は、復讐する覚悟を胸に秘め、仲間の元へと向かった。
見上げた夜空の月はいつのまにか雲に覆われていた。
わずかに差し込んでいた月明かりでさえ厚くなる雲に覆われ、その暗い影はバレッタシティ全体を包み込み、一層暗い夜の帳を下ろす。
気のせいか気温が少し下がった気がした。
この様子では明日は天気が崩れるだろう。
はい、超シリアス回でした。
もうすごい書くの苦手で大変でした。
文章がおかしい点もあるかと思いますがそこは笑って許してください(笑)
これだけ真面目な話を書いてると、ギャグ方面に特化したぶっ飛んだ話も作りたくなる今日この頃です。