私は昔の夢を見ていた。艦娘・叢雲としてここに配属されたばかりの頃の夢だ。その日は那珂さんに私と曙で演習をして何も出来ずに負けた。不甲斐なかった私達は指導という名のシゴキを受けていた。
「あなた達、よくそれで艦娘になろうと思ったわね」
まだお団子ヘアーじゃない那珂さんが仁王立ちしている。私と曙はその目前で腕立て伏せをしていた。
「このクソ軽重」
私の右にいる曙がぼやく。私でも聞き取れるか微妙な音量だったが、那珂さんにはしっかり聞こえていた。
「何か言った?」
那珂さんは躊躇なく、曙を踏んだ。足で背中を押すなんて生易しいものじゃない。虫けらを踏み潰すように曙の背中を踏んづけた。
曙が短い悲鳴をあげる。
「誰が休んでいいって言ったの? 続けて」
那珂さんは足を曙の背中からどけなかった。それどころか、力を加えて押さえ付けているようにも見える。
「ちょっと! やりすぎじゃないの?」
今の私の意思に反して、若い私は抗議の声をあげた。私は知っている。この後どうなるか。
「最近の若い子は生意気だね」
那珂さんは曙の背中から足をどけた。解放された曙が頭をあげた。安心していたのも束の間、那珂さんがしゃがみ、私達の顔を覗き込む様に見ていた。
「何よ?」
興味深そうに私の顔を見る那珂さんに恐怖を覚えた。悪態をついていた曙も黙っている。那珂さんは笑顔になった。その次の瞬間、私の目前にあったのは硬いアスファルトの地面だった。
「ほら、二人とも休んでないで続けて。ご飯、食べられなくなっちゃうよ」
頭の上から那珂さんの楽しそうな声が聞こえる。必死に頭を上げようとしても上がらない。私は揺れ動く視界の中に、曙が頭を押さえ付けられているのを見つけた。きっと私も押さえ付けられているに違いない。
「両腕に両肩、胸筋、腹筋、背筋……全部使っても私の腕一本押し返せないあなた達がどうやってこの先戦っていくの? どうやって砲を撃つの? ねぇ、教えてよ」
悔しい。私は素直にそう思った。出来ることなら叫びたい。
「このクソがぁッ!」
曙は泣きながら叫んだ。腕の筋肉が震えているのがわかる。しかし、曙の頭は少しずつ上へと持ち上がっていく。
(頑張れ……!)
声には出さない。けれど曙を応援していた。けど曙の頑張りはすぐに無駄になった。
「生意気」
曙の頭が一瞬で地面に叩きつけられる。那珂さんが曙の方に力を入れた反動だろうか、引っ張られる様に私の頭が上がった。那珂さんはそんな私を見て舌打ちをした。私はこの人を憎いとさえ思い始めていた。
「曙ちゃん。よかったね。頑張りが無駄にならなかったよ」
那珂さんは精一杯の嫌味を言っていた。今の私はこの言葉の意味を知っている。
「あなたが死ねば仲間は助かる。けれど…………」
那珂さんが何かを言っている。だが私はこの言葉を聞き取れなかった。なぜなら、私に目掛けてアスファルトの地面がどんどん近づいてくるからだ。
ーーーー
顔を地面に叩きつけられる直前、私は飛び起きた。全身には嫌な汗をかいているし、心臓の鼓動も早い。私は肩で息をしていることに気がついた。こんな経験は久しぶりだ。
私はひとつ、大きな深呼吸をして、あたりを見た。医務室のベッドの上に私はいた。
何があったのか、全く思い出せない。誰が病衣を着せたのか。胸の包帯は誰が巻いたのか。何故、鈴谷が私のすぐ隣で寝ているのか。それも私の病衣とは違い、私物のものであろう可愛らしい寝間着を着ている。
「憎たらしいわね」
私は嘘を言った。鈴谷の顔を見てホッとした。
(無事でよかった)
軽く鈴谷の頭を撫でてやる。鈴谷は擽ったそうな反応を示し、寝返りをうった。
きっと演習は負けたのだろう。明日は反省会だ。軽いため息をつき、私は不貞寝した。
ーーーー
翌朝、私はいつも通りの時間に起きていた。鈴谷は一向に起きる気配がない。
今の私は病人扱いだろう。朝ご飯も誰かが持って来てくれる。ならばすることは一つ。二度寝しかない。私はまだ熱の抜けない布団を被り、あと一歩で寝れたはずだった。
「まだ起きんか……」
「起きてるわよ」
ノックもせずに入って来た客人、司令官を睨む。その横にはお団子が三つある那珂さんもいた。昨日見た夢のせいで背筋を正してしまう。
「ならよかった。お前に伝えることがあってな。その前に……那珂」
司令官に小突かれた那珂さんは私の前まで来ると、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。やりすぎました」
謝られるのは意外だった。
「頭を上げてください。那珂さんは……」
「敬語! 那珂ちゃん!」
この人は本当に謝る気があるのだろうか。
「……頭を上げて。那珂ちゃんは悪くないから。負けた私が悪いのよ」
軽い言葉使いとは裏腹に、私の姿勢は正しい。正直胸が痛むからやめたいけど、どうしても体がそれを拒否する。
「那珂ちゃんは叢雲ちゃんに負けたもん」
「もぉ〜……朝から騒がしいなぁ」
ようやく鈴谷が起きた。眠そうな目を擦りながら、司令官と那珂ちゃんを見ている。司令官も那珂ちゃんも鈴谷に気がつかなかったのか目を丸くしている。
「おはよう、鈴谷。邪魔したかね?」
司令官がニヤつきながら私を見る。何故かわからないけど顔が熱くなった。
「鈴谷ちゃん。まだ痛むんだけど」
那珂ちゃんが三つ目のお団子をさすりながら鈴谷を見ていた。熱くなった顔から血の気が引いていく。
「鈴谷が何かしたの……?」
那珂ちゃんが鈴谷の態度が気に食わないのは知っている。それに加えて、頭に怪我を負わせたとなればただ事じゃすまない。
「叢雲が離脱後、神通に至近距離で二発、那珂には連装砲で頭部を殴打、という報告は受けている」
「本当にびっくりした。殴り飛ばした叢雲ちゃんの後ろから鈴谷ちゃんが出てきて、こう……」
那珂ちゃんはその時の鈴谷の真似をしているのだろう。何かを避けて、何かを殴って、そのまま何かを殴っているようにしか見えなかった。
「神通は至近距離で “撃たれた” のよね?」
私が司令官に訊ねると、彼は帽子を深く被った。
「神通曰く、二回撃たれたそうだ。鈴谷の報告では二門同時斉射したから弾は二つでも、一回しか撃っていないと」
「撃ったら反動で腕が後ろに持っていかれるわよね?」
「だから、こう!」
那珂ちゃんが二回目の動きを再現する。下から抉り込むようなボディブローをしているようにしか見えない。
「鈴谷。説明しなさい」
「私、あの時必死だったから何も覚えてないんだよねぇ」
鈴谷は照れ臭そうに苦笑いを浮かべていた。
「だからーここで撃ったんだって!」
那珂ちゃんが腕を伸ばしきった状態をアピールしている。私はようやく理解した。鈴谷は神通の腹部に連装砲の砲身をえぐるように突き刺した後に撃ったのだ。想像したくない。神通にしばらく会いたくなくなった。
「もういいわ……」
「よくないよ! んで、こう!」
那珂ちゃんは突き上げた拳が反動で後ろに下がる動作をした。もうここから先はさっき見たからわかる。反動を利用して思いっきり振りかぶって、上から殴った。那珂ちゃんは私が予想していた通りのジェスチャーをした。
「鈴谷。とりあえず謝っておきなさい」
「もう謝ったし。てか私達、今謹慎中だし」
「謹慎中?」
また不可解な単語が出てきた。目眩がしている様な気がする。きっと胸が痛いからだ。そうに違いない。
「キレた曙が加賀に殴る蹴るの暴行。加賀は至近距離での戦闘は苦手だし、演習で殴りに来るとは思っていなかったのだろう。報告の時に加賀は言っていた。あんなの演習じゃなくて、ただの殴り合いだと」
司令官は遠い目をしていた。
「あれにはびっくりしたねぇ。曙ちゃんを狙った川内ちゃんが朧ちゃん達に囲まれてボッコボコに撃ち込まれて大破判定だからね。朧ちゃんが、川内だからって調子乗りすぎです。たぶん、とか言ってたもん」
「もう聞きたくないのだけど……」
病人扱いの私が聞く話じゃない。どうやら目眩は本物だったようだ。
「妙高さんと長門さんがいなかったらヤバかったねぇ!」
「鈴谷、別に面白くないからね。もういいわ。それで、私に伝えておきたい事っていうのは謹慎のこと?」
「いや、違う。動ける様ならヒトサンマルマルに工廠に来てくれるか?叢雲の改装が決まった」
「改二だよ!私より先に改二なんて羨ましいよ!」
司令官は少し照れくさそうに、那珂ちゃんは喜んでくれているように見えた。私自身は少し複雑だった。那珂ちゃんに……那珂さんに勝てずに改装を受けることになろうとは。出来ることなら一度でもいいから勝ちたかった。
「そういえば那珂ちゃん。私に負けたって、何に負けたのかしら?」
「後輩指導」
「はい?」
自分でも間抜けな声が出たと思う。那珂ちゃんは笑ってはいるが、どこか寂しそうだった。
「叢雲ちゃんを殴った後、鈴谷ちゃんが泣きながら私達に攻撃してきてね。羨ましいなぁって。私が沈んでもあそこまで悲しむ子はいないだろうなぁって思ちゃってね」
「ちょっと! 那珂ちゃん、やめてよ!」
鈴谷が顔を真っ赤にしながら抗議の声をあげた。
「神通や川内がいるじゃない」
「あの子達に泣くことなんて教えてないもん。川内型として、水雷戦隊旗艦の意地があるからね」
珍しく那珂ちゃんが落ち込んでいる様に見えた。勘違いかもしれない。けれど、あの夢を見た意味があるとすれば、そういうことだろう。
「あなたが死ねば仲間は助かる。けれど、仲間の心は死ぬ。誰かが生き残っても意味がない。全員で生きる方法を探すのが旗艦の仕事だ。那珂さん、あの時そう言ったんですよね?」
那珂さんは目を丸くしてた。それから徐々に顔が赤くなっていく。あの時に聞き取れた訳でも、那珂さんから直接聞いた訳でもない。その後、那珂さんから指導を受けた私の想像だ。
「よく覚えてたね。けどちょっと違うよ。旗艦じゃなくて、私の仕事、だよ」
「すいません。心得違いをしてました」
那珂さんの仕事なら、今の私の仕事でもある。
鈴谷が酷い目にあわされている時、無性に腹が立った理由がようやくわかった気がする。きっと那珂さんも同じ気持ちだったのだろう。
「神通が摩耶を可愛がる理由が何となくわかったわ」
「ねぇ! 二人の世界に入らないでよ。改二って何?」
「叢雲ちゃんがますます魅力的になっちゃうってことだよ」
「魅力的?」
鈴谷の目線が私の胸に来ているのがわかる。今は包帯が巻かれているせいよ。
「鈴谷。謹慎ならちょうどいいわ。私がみっちりしごいてあげる」
鈴谷は嫌そうな顔をしていた。だけど、心底嫌そうな感じではなかった。
守らなくちゃいけない。この子も、那珂さんも、私自身も。