鈴谷がここに来て一週間が過ぎようとしている。前線から離れ、稼働率が低いこの鎮守府では基本的には訓練を積み、演習で結果を出すというのが定番になりつつある。当然鈴谷もそろそろ演習に駆り出される頃だろう。私はそう考えていた。
「叢雲、少しいいか?」
デスクワークがある程度片付き、寂しくなった机の上に肘をついた司令官は私を呼ぶ。こういう時は大体彼の中で結論は出ているが、私に意見を求める。
「何かしら?」
「鈴谷のことなのだが……」
何だか少し話しにくそうだ。私は首をかしげ、話の続きを促した。
「彼女の演習はしばらく先にしようと思う」
彼はそう言ってファイルを一冊私に手渡した。その中から一枚を取りだし見てみると、鈴谷の訓練における成績であった。それを見た私は言葉を失った。他の書類も取り出して見てみる。やはりどれも似たようなものだ。
「本当に適性があるというの……?」
「艤装を装備出来るのだからあるのだろう」
鈴谷の成績は酷いものだった。細かい数字は公表出来ないが、簡単に言えば、走れない、避けれない、当たらないの三拍子が揃っている。しかし、それだけならまだよかった。鈴谷の口調に対する苦情も出始めている。司令官にあの調子じゃ、緒先輩方にはもっと砕けたものを使っているだろう。私は頭を抱えた。
「頼まれてくれるか?」
何をと聞かなくてもわかる。つまり、私に専任で教官をやれということだ。
「わかったわ…………しばらくここを空けるからよろしく」
私は重たく、上げたくない腰をあげ、鈴谷をさがしに出た。
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探し人はなかなか見つからなかった。ドックを探していると丁度遠征から帰ってきた艦隊と出会った。旗艦を勤めた曙が全員から被害を聞いている。駆逐艦で重巡洋艦をまとめているのはすごいと思う。そういえば、うちの重巡の多くはこの遠征に参加してたわね。
「あら、叢雲じゃないの」
話を聞き終わり、司令官への報告に向かう曙が私に気ついた。私は帰還した艦隊に「おつかれさま」と声をかけ、曙に歩み寄った。
「ねぇ、ここで緑の長髪でブレザー着た子を見なかった?」
「服装まではわからなかったけど、緑の長髪の子なら工廠で見たわよ」
「そう、わかったわ。ありがとう」
「どういたしまして。アイツは執務室にいる?」
「多分いるはず。サボってたらお灸を据えてあげて」
「わかったわ」
曙と別れ、私は工廠へと向かった。
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「お疲れ様。今日は開発も建造も聞いてないけど……」
「今日は探し物よ。鈴谷来てないかしら?」
「あぁ、鈴谷さんね…………」
代理でこの工廠を任されている夕張は明らかに不満そうな顔をした。夕張が人に…………それも年下にさんをつけるなんて珍しい。
「鈴谷がどうかした?」
「あの人、艤装を時間までに返さないし、訓練時間外もどっかに持ち出してるんで困ってるのよ。この前なんて、夜中にコンビニの袋持って帰ってきたし」
あの馬鹿。基本的外出には申請がいる。ここは他所に比べたら外出申請は通りやすい。というより、事後報告でも通るぐらいの緩さだ。もし有事があればどうするのかと司令官に問い詰めた時、その時はその時だと言うぐらいだ。
「後でキツく言っておくわ…………」
私は頭痛がしてきた。鈴谷は予想以上の問題児らしい。
「今も鈴谷さんの艤装がないから、多分どっか遊びに行ってるんじゃない?」
「私の艤装は動かせるかしら?首根っこ捕まえ引きずり戻してくる」
「動かせるけど…………叢雲さんがやらなくても、他の子に任せれば?」
「いえ、私がやるわ。用意して」
「了解」
夕張に急遽艤装を用意してもらい、私は比較的自由に穏やかな海に出た。
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しばらく海を航行していると、大きな音が聞こえ、遠くに大きな波しぶきがあがった。
「見つけた……あの馬鹿、あんなところで何してるのかしら?」
艤装の出力を下げ、私は鈴谷の背後からゆっくりと近づいた。鈴谷の姿がはっきりと見えるところまで近付いた。鈴谷はペットボトルの飲み物を一気に飲み干すと、その容器を投げた。放物線を描き、海に着水したそれを確認した鈴谷はそれに目掛けて砲撃をした。弾はペットボトルの遥か後ろに着弾した。その時の爆風でペットボトルはどこかへ流れて行ってしまった。鈴谷は持っていた袋からまた飲料を取り出すと再び飲み干した。
「あなた、よくそんな飲めるわね」
私が後ろから声をかけると、鈴谷は口に含んだ飲み物を盛大に吹き出した。驚いた様子で振り返った鈴谷は耳まで赤くなっていた。
「叢雲さん……どうしてここに?」
鈴谷はとてもぎこちない様子だった。
「外出許可も艤装使用許可も出してない家出少女を探すため」
私はそう言い、鈴谷の持っていた袋の中からお茶を取り出した。探し人が見つかり気が抜けたのか、私の喉は水分を欲していた。
「ほら、見ててあげるから続けなさいよ」
私がそう言い、鈴谷は緊張でガチガチになった。持っている砲が目に見えるほど揺れている。誰が見ても当たらないことは明白だ。鈴谷は片目を閉じ、狙いを定めた。砲の揺れが僅かに収まる。
(もしかしてこの子…………)
鈴谷の放った砲弾は、今度はペットボトルの付近に着弾した。命中弾と言ってもいいだろう。鈴谷は物凄く嬉しそうな顔で私に振り返った。
「まぁまぁね」
私がそう言うと、どうだと言わんとばかりの鈴谷の顔がしかめっ面に変わった。
「なんでよ、当たったじゃん」
「両目で照準しなさい。そう習わなかった?」
「どうやって撃ったって当たればいいじゃん」
どうにも、こうにも現代っ子らしい。そういえばOLの時にもこういう新入社員の教育をしたことがあった。その時はどうしていたかしらね。
「あなた、もし私たち駆逐艦と撃ち合いになったら確実に沈むわよ」
「鈴谷は重巡洋艦だもん。叢雲みたいな貧相な武装じゃ沈まないもん」
あら?この子、今私の背中のギソウじゃなくて、顔の下を見ていなかったかしら?貧相な武装とはどういう意味かしら?
「…………なら私に当ててみなさい」
「えっ?」
鈴谷の間の抜けた声が聞こえた。
「私は撃たないから。ちゃんと狙いなさい。一発でも当てられたら何でも言うこと聞いてあげる。けど、当てられずに私に触られたら私の言うこと聞いてもらうから」
「ちょ、ちょっと!」
鈴谷の声を無視し、重巡洋艦の砲の射程ギリギリまで離れた。
『いいわよ。撃ってきなさい』
無線をとばすと、僅かに時間が空いたが砲撃の音が聞こえた。
「何を躊躇しているのかしらね……」
私はそう呟くと、足の艤装の出力を一杯にした。立ち上がりこそかったるく感じるが、ある程度回ってくれば気にならない。その間も弾が雨霰の如く飛んでくるかと思えば飛んでこない。私がちょっと前までいたところの近くに着弾。
「脳に行くはずの栄養が違うところにいったのかしら?」
私は薙刀型の艤装を持ち直すと、鈴谷の方に真っ直ぐ走った。鈴谷の焦った顔が見えてくる。
「ほら、もう狙いもつけられない」
鈴谷が砲を放つと同時に私は左に進路を変え、そのまま此の字運動をしながら鈴谷との距離を詰めた。私が薙刀を振りかざすと、鈴谷は両目を瞑って出鱈目に砲を撃った。
「終わりよ」
もう鈴谷に装填するだけの時間は残されていない。私は一気に距離を詰め、空いている方の手で鈴谷の胸を掴んだ。大きくて柔らかい。私の手は私の意志に反して動き続ける。先程まで焦った顔をしていた鈴谷の顔が真っ赤に茹であがる。突如、大きな音がした途端に激痛が走った。私の意識はそこで途絶えた。
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「叢雲さん!」
私はその声で目が覚めた。目を開けると視界一杯にいろんな顔がこちらを見ている。身体を起こそうとすると、一番近くにいた夕張が慌てた顔でそれを止める。
「大丈夫ですか?」
寝起きの私を夕張は遠慮なく揺らす。もし大丈夫じゃない容態の身体だったらこんなに雑に扱わないで欲しいものだ。
「大丈夫よ……」
私は揺れる視界の中で、長門の前で正座している鈴谷を見た。夕張の腕を掴み、揺れを止めてそちらを見ると、私のまわりにいた全員が鈴谷を見た。その視線に気がついた鈴谷は今にも泣きそうだ。
「…………彼女に非はないわ。私が悪いの」
私はそう言い、身体を起こして伸びをした。肩と首がなる。そのまま立ち上がると足の筋肉が強張っているのがわかる。どうやら足にも来ているようだ。
「しかし、鈴谷が…………」
「私が悪いの」
私がそう言い、鈴谷に近付くと長門は困った顔で鈴谷から離れた。
「大丈夫?怪我してない?」
私が正座する鈴谷と目線の高さをあわせると、鈴谷は泣きそうな目で私を見た。
「鈴谷は大丈夫………本当にごめんなさい。動揺してしまって…………」
「いいの。私が悪いんだから……」
「まさか叢雲さんがそっちだとは思わなくて……私、どうしていいか……」
私の思考が一瞬止まった。鈴谷の言葉を理解した時、私の額の血管に血液が流れるのを感じた。
「この思春期真っ盛りが…………そんなこと、考えられなくしてあげるわ」
私はそう言い、その場にいた神通を呼んだ。彼女は私の一個下だ。
「この子に海軍とは何か……艦娘とは何かを教えて。二度と海にゴミ捨てられない体にしてあげて」
私がそう言うと、普段は大人しい顔をしている神通は悪い顔で嗤った。
「いいんですか?新人の重巡洋艦なら妙高さんに任せた方が……」
口では謙遜しているが、顔がやらせてくれと言っている。神通が艦娘になる前は自衛隊の教官をしていたらしい。詳しくは知らないけど、教え子に神通基準で出来るトレーニングをさせ、出来なかった分を自分の分にプラスして教え子たちの前で平然とやりのけていたらしい。要は自分がしたいトレーニングを教え子にもやらせて、出来るようにする、といったゆとり教育はどこに行ったと思うほどに自己中心的な指導だ。そしてどうやら彼女も鈴谷の態度が気に召さないようだ。
「基本的なことはあなたに任せるわ。重巡洋艦としての教育は妙高、お願いできるかしら?」
「わかりました……鈴谷さん、御愁傷様」
それまで鈴谷を非難の目で見ていた全員が気の毒そうな目をしていた。鈴谷は何が起きているのかわかっていない様子だった。そんな鈴谷の肩に神通の手がおかれた。もう彼女は逃げられない。
「じゃあ鈴谷さん。明日の明朝六時に訓練場でお待ちしております」
神通はそれだけ言い残し、軽い足取りで外に出た。それを目で追っていた私に長門は小声で話しかけてきた。
「叢雲さん……鈴谷もまだ来て日が浅い。さっき私がきっちり叱っておいたからこれで許して貰えませんか?」
普段は私に敬語を使わない長門が丁寧に鈴谷を擁護したが、私は首を横に降った。
「もし、鈴谷が泣きをいれたらそこでやめにするわ。けど、彼女が嫌だと言うまで私は何もしないわ」
長門にそう言い、私は摩耶に目で合図を送った。急に白羽の矢がだった摩耶は凄く嫌そうな顔をしたが、私の後に着いてきた。
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「それで、自分に何をしろと言うのですかか?」
私が灰皿の置かれたベンチに腰かけると、摩耶は立ったまま私に尋ねた。彼女はここに来て二年目、鈴谷の一個上になる。
「そんなに肩肘張らないで。煙草でも吸ったらどう?」
私は摩耶に灰皿に近い方に座るように促した。摩耶は頭を掻くとため息をつき、諦めたように座るとポケットから煙草を取り出した。私もポケットから電子煙草を取り出す。
「よくそれで禁煙したって言いますよね」
「火のない所に煙はたたない。だからこれは煙じゃない。故に私は禁煙したのよ」
「よくそれで満足できますよね。それで、用件は?」
偶然、摩耶と蒸気を吐き出すタイミングが被った。
「鈴谷のこと、どう思っている?」
私がそう言うと、摩耶はやっぱりという顔をして煙草の煙をゆっくりと吸い込んだ。長く、細く煙を吐き出すと、摩耶は話し始めた。
「鈴谷が艤装を持ち出して自主練していたのは知っています。それが許されることだとは……」
「あなた個人としてどう思っているかを聞いているの」
摩耶は暫く私を見ると、全てを諦めたようだ。
「今の実力とあの話し方は苦手、というより嫌いですね。けれど、人知れずに努力する性格は好きです」
「あなたならそう言うと思っていたわ」
「なんですか?自分の口も悪いから同属として見てるんですか?そうだとしたら心外なんですけど」
吸い込んだ蒸気を吐き出しながら、私は首を横に振った。
「あなたとあの子が全然違うことぐらいわかっているわよ。けど一年目で神通の訓練を受けることになったという点は同じ。あの子の面倒見てあげて」
「叢雲さんの方が仲良さそうじゃないですか。自分の時みたいに叢雲さんが見た方がいいんじゃないですか?」
「人に教えることは教わるよりも得られるものが大きいわ。自分の成長の為だと思ってやってみなさい。非行少女の面倒がどれだけ大変か、あなたも知りなさい」
「自分と鈴谷じゃ別の種類の非行少女ですけどね。まぁ、叢雲さんが言うならやるだけやりますけど」
摩耶はそう言うと短くなった煙草を灰皿に放り込んだ。中に入っている水がジュッという音をたてた。
「よろしく頼んだわよ」
「わかりましたよ。それじゃあ自分はこれで」
摩耶はそう言い残し、その場を後にした。私は蒸気をゆっくり吐きながら空を見上げた。春らしい蒼天がひろがっている。
「これから暑くなりそうね……」