ムラクモ600   作:草浪

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第14話

 

私はこの時期が好きだった。でも別に嫌いになったわけではない。何とも思えなくなったのである。

 

「もうすぐ年末か……」

 

我らが司令官は窓から見えるブラウンの衣装をまとった木々を見ながらボヤく。

 

「そうね。もうそんな時期ね」

 

秘書艦の机から見る景色は壮観だ。執務机に積もった未処理の書類の山。その後ろの窓から見える寒々しい景色とのコントラストは本当に美しい。

 

「感慨に耽っている時間があるのなら手を動かしてくれないかしら?」

 

私がそう言うと、司令官は申し訳なそうに椅子に座りなおし、書類を書く手を動かして始めた。

この時期は書類が溜まる。年末年始は民間企業が休みになる。その前に申請を回さないと、搬入される資材が滞る。となると、万が一敵がこちらに侵攻してきた時に資材が足りずに満足な出撃が出来なくなるのだ。相手方は、この時期は仕事をしたがらない。いつもは多少の融通がきく締め切りも、この時期は一切譲歩しない。

それに加えて、そうなることがわかっていながら、開発に多大な資材を回した阿呆がいるらしい。誰とは言わないわ。司令官。必要なことだったのでしょう?

声を大にして、この国を守っている私達が年中無休で働いているのにあなた達が休みってどういうことよ!、と言いたいところだけど、彼らが働いて稼いだ税金で生活している私達には何も言うことができない。

 

「なんでこんな便利な世の中で、手書きなんですかねぇ……」

 

司令官がボヤく。

私もそう思う。けれど、機密保持のため仕方ない。前はモニターを何時間も見なくていいと喜んだけど、この時期だけはそうは思わない。

動かし続けた右腕を軽く揉むと、そうとう乳酸が溜まっていたのだろう。パンパンに張っている。

 

「最近、右腕だけ太くなった気がするわ」

 

「素手で砲弾を弾くからそうなるんじゃないのかい?」

 

「なら早く私の艤装を間に合わせてちょうだい」

 

「それは明石くんに言ってくれ。そもそも、君の改二の設計書には薙刀は含まれていないのだから」

 

「あれが無いと、不安なのよ」

 

「……まぁ、なんとかするよ」

 

困ったように頭をかく司令官に違和感を覚えた。

 

「どうしたの?」

 

「あぁ、いや、なんでも無い」

 

そう言いながら、私に一枚の書類を手渡した。私はその書類を見ると、顔から血の気が引いていくのを感じた。

 

「あんた! これ! 今日の郵便で出さないと間に合わないじゃないの!」

 

「それは違う。今日の郵便回収に間に合わせないと間に合わないんだ」

 

「なお悪いわよ!」

 

「心配するな。まだ後二時間もある」

 

「二時間しかよ!」

 

結局、これに必要な資料を揃えるのに一時間。そこから吟味して申請するので一時間。書類を書き上げたのに三十分。間に合わなかった。

 

「なんですか、急に呼び出して」

 

「君は呼び出したのは他でもない」

 

訓練中の摩耶を呼び出した司令官はそれはそれはとても偉そうな態度で座っていた。それに対して、摩耶は訓練を抜け出せたことが嬉しいのだろうか、仕方なく来てやったオーラを出しながらも顔がにやけている。

 

「君にはこれをある場所に届けてもらいたい」

 

司令官は手書きで「極秘」と書かれた茶封筒を摩耶に渡した。

 

「なんか物騒っすね」

 

「そんな大層なものじゃないわ。今日までに出さなきゃいけない書類が間に合わなかっただけよ」

 

「それは違う」

 

司令官が腕を組み直し、私の方を見た。何が違うと言うのだろうか。何も知らない摩耶の前でカッコつけたいだけかしら。

 

「私が消印と必着を勘違いしていてな。つまり、そいつは今日までに相手先に届かないといけなかったということだ」

 

私は言葉を失った。速達で出せば間に合うと思っていた私は頭の中が真っ白になった。

 

「ようやくことの重大さに気が付いたようだね」

 

どうしてこの男はこんなにも呑気でいられるのだろうか。

私は時計を見た。まだ二時過ぎ。相手先には迷惑だろうけど、今から行けばギリギリ終業時間には間に合う。

 

「摩耶だけでは話が出来ないだろう。叢雲。君も一緒に行って先方さんと話をしてきてくれ」

 

「……わかったわ……私がいないからってサボらないでよ。明日もこの寒空の下でおつかいしろなんて言われたら、パワハラで訴えてやるから」

 

「つまり、これと叢雲さんをここの住所に急いで届けろってことっすね!!」

 

話を理解した摩耶の目が輝いている。だから摩耶なのか。私はこの人選を理解した。

 

「そういうことね」

 

「わっかりました! 叢雲さん! 私の急いで部屋に来てください! 用意しとくんで」

 

摩耶は物凄く嬉しそうに執務室を出ていった。

それもそうでしょう。訓練を抜け出して、趣味のバイクを走らせられるのだから。

 

「相手先には私から言っておこう」

 

「当然よ。じゃあ行ってくるわ」

 

私は外出の身支度を整える為に自室に向かった。

 

 

ーーーー

 

相手先に迷惑になってはいけない。

久しぶりに袖を通したスーツは少し窮屈だった。シャツは新しいのを持っていたからすんなり着れたけど、パンツとジャケットが少しキツイ。

 

「新しいのを新調しないとダメかしらね」

 

着るか着ないかわからないスーツに出費するのは正直悩む。けれど、以前、司令と一緒に民間企業との会合に出席した時、艦娘の制服を着た私と礼服を着ていった司令官を蔑むような目で見てきたお偉方の目線は今でも忘れられない。

 

「こんど時間があったら見に行こうかしらね」

 

私は鏡で少しタイトなスーツ着ている自分を見た。体の線が出ていて少し恥ずかしい。

まぁ、いいわ。今は時間がない。足早に摩耶の部屋を目指した。

 

「摩耶、用意は出来たの?」

 

ノックをして摩耶の部屋に入ると、スーツ姿とは対照的に、どこのレーサーだと言いたくなるような摩耶がそこにはいた。

摩耶は私の姿を見るなり、不服そうな顔をした。

 

「叢雲さん。その格好じゃこの時期は寒いですよ?」

 

「……あんたバカなの?」

 

「失礼な……まぁ、そんな気はしてたんで叢雲さんのも用意してあります」

 

摩耶はそう言うと、これまたパッチがいっぱい貼ってある派手な色合いのツナギを私に差し出した。

 

「私でも少しゆったりめなんで、叢雲さんならその上から着れると思います」

 

「……もうなんでもいいわ」

 

私は渡されたツナギをスーツの上から着る。それでも少しサイズには余裕があった。

 

「まだ少し大きいっすね。まぁ、運転するわけじゃないんで大丈夫だとは思いますけど……叢雲さん、ブーツとか持ってます?」

 

摩耶は私が履いて着たパンプスを見ていた。そんなもの持っているわけがない。私は首を横に振った。

 

「……仕方無いっすね」

 

摩耶はビニール袋に私の履いて着たパンプスを入れると、それを私のツナギの中に突っ込んだ。どこが、とは言わないけど、その分の体積が増えた。

 

「これ、少し大きいかもしれないですけど履いてください」

 

「……ありがとう」

 

失礼な後輩だ。そう思ったけれど、背に腹は変えられない。

ブーツとヘルメットを受け取り、私はそれらを装着した。

 

「じゃあ行きましょう!」

 

摩耶は本当に嬉しそうに部屋を飛び出していく。私はその後ろを駆け足でついて行った。

 

 

ーーーー

 

「これ! すっごく煩いんだけど!」

 

『そうすか? 私は普通だと思うんですけど』

 

煩い排気音に混じり、摩耶の声がヘルメットの中で反響する。摩耶は呑気な声で受け答えをするが、アクセルを緩める気は一切ない。渋滞で並ぶ車の横を法定速度ギリギリのスピードですり抜けていく。本音を言うわ。怖い。

ようやく赤信号で止まってくれた。とりあえず、私はホッと胸を撫で下ろした。

 

『高速使わないと間に合いませんよね?』

 

この子は何を言い出すの?

十二分間に合う速さで一般道を走っているじゃない。私は摩耶の肩口からハンドルに取り付けられた携帯を覗いた。一般道でナビをしているその子は、確かに到着時間はギリギリだった。けど、私は知っている。その子がさっきから何度も計算しなおして、到着時間はどんどん縮んでいる。このまま行けば三十分は縮まるんじゃなかろうか。

 

「……大丈夫じゃないの?」

 

『いやいや、渋滞とかに巻き込まれたら間に合いませんって』

 

渋滞なんて関係ないじゃない!

そう言いたかったけど、強烈な加速で言えなかった。思わずギュッと摩耶に強く抱きつく。

 

『叢雲さん、可愛いっすね! 世の男はそれでコロッといっちゃいますよ! 硬いものが当たってますけど!』

 

それはそれは楽しそうな摩耶の声が聞こえる。まず硬いものを入れたのはあなたよ。

 

『じゃあ高速使っちゃいますね!』

 

「もうなんでもいいわ……はやく降ろして……」

 

『つれないこと言わないでくださいよ〜。まぁ、なるべくはやく降ろしてあげますから!」

 

私はそれから必死に摩耶にしがみつき目を瞑っていた。

艦娘でよかったと思ったのは、目を瞑っていても体に感じるGで体重移動を合わせることが出来たこと。目的地に着いて、摩耶は本当に楽しそうに私のことを褒めていた。そんな私は疲れ果てていた。

 

 

ーーーー

 

「じゃあこれでお願いします」

 

応接室で、担当の方と話し合いを終えた私はやっと一つ終わったと安堵した。彼が余計な一言さえ言わなければ。

 

「しかし……追加で鋼材の搬入とは……いよいよ大きな作戦でも控えているのですか?」

 

「……えっ?」

 

私は素っ頓狂な声を上げてしまった。追加? 私はそんなこと聞いていない。

 

「いえ……これは口が過ぎました。この分は、しっかり年内にはどちらに届くようにしておきます」

 

私が余計なことを言うなと言っているように思ったのだろうか、彼は慌てた様子で書類をまとめると席を立った。

 

「言って貰えれば今度はこちらから出向きますので……秘密保護の観点から難しいとは思いますけど、わざわざこちらまで出向いて頂くのも申し訳ありませんから」

 

「……わかりました。こちらこそ無理を言って申し訳ありません」

 

彼が応接室の扉を開け、玄関口まで案内してくれた。その間、どういうことか何度か聞こうと思ったけれど、彼が知るわけがない。私は黙って彼の後をついて行った。

 

 

ーーーー

 

「あれ? 早かったですね」

 

私のツナギやブーツを預かった摩耶は近くの喫茶店で待っていた。

 

「えぇ。話は司令官がしてくれていたみたい。すんなりと終わったわ」

 

「そうですか」

 

摩耶は珈琲の入った大きなカップを口につけた。まだ湯気がたっていることから注文してそんなに時間は経っていないのだろう。時間がかかると踏んで大きなサイズを頼んだみたいだが、当てが外れたようだ。

 

「ゆっくり飲んでいいわよ。私も一息つきたいわ」

 

「……ここ、禁煙ですよ」

 

摩耶の一声に私の希望が全て打ち砕かれた気がした。はやく帰れば訓練に戻らざる得ない摩耶が急いだ理由がわかった。

 

「……何も頼まないのもあれだから、小さいサイズ頼んでくるわ。それ飲んだら出ましょう」

 

「うっす」

 

私は寒いのにも関わらず、アイスコーヒーの一番小さいサイズを頼むとそれを流し込んだ。摩耶も残っていた珈琲を一気に飲み干す。そのまま大急ぎで外に出た。店員さんは不思議な人を見たに違いない。

 

「寒い」

 

「寒いのにも冷たいもの一気に飲むからですよ」

 

「ニコチンが切れかかっているのよ」

 

「その気持ち、よくわかります」

 

ーーーー

 

摩耶がバイクを止めたは無人の時間貸しの駐車場だった。

バイク一台に車一台分の駐車スペースと贅沢な止め方をしていたが、私たちの他に止めている車はない。無銭駐車防止用の鉄板が跳ね上がっているけど、その前に横向きに止められたバイクに対しては何の効果も成していない。

私は自販機であったかい珈琲を二つ買い、一本を摩耶に渡す。

 

「ありがとうございます……いやぁ〜、帰りたくないっすね」

 

煙草を吹かす摩耶が嫌そうに言う。この時間にさっきのペースで帰れば訓練に戻れてしまうからだろう。今日は夜戦訓練もあったはずだ。

 

「帰りはゆっくりでいいわ。せっかくですし寄り道でもしましょうか」

 

私がそう言うと、摩耶は目を輝かせた。

 

「マジッすか?! 叢雲さんがそう言うなら仕方無いっすね!」

 

「訓練抜け出して、お使いの足をして、また訓練に戻れなんて申し訳ないわ。今回はこっちの落ち度ですしね」

 

私は摩耶のバイクに腰掛けると、ポケットから電子煙草を取り出した。シューっという音と共にニコチンが入った蒸気が喉を通り抜ける。ゆっくり吸って、ゆっくり吐く。やっと体にニコチンが駆け巡るのを感じることができた。

 

「いつもより煙の量多いですね」

 

「今日初めての一服よ」

 

「朝から執務室に籠ってたんですか?」

 

「えぇ。この一週間、ずっとそんな感じよ。おかげでいい気分転換になったわ」

 

「多分一週間以上ですね。神通さんが、訓練に来ないってボヤいて二週間目ですから」

 

「どういう数え方してるのよ……」

 

私は蒸気を空に向かって吐き出す。煙草の煙とは違うそれがスーッと空に上り流れていく。摩耶もフゥーっと煙草の煙を吐きだす。受動喫煙が云々と言うけど、元紙巻喫煙者の私からするとその匂いも羨ましく思う時がある。煙草本来の匂い、それが恋しくなる。

 

「……そんな物欲しそうな目で見て……一本あげましょうか?」

 

「いえ、遠慮しておくわ。戻れなくなったら困るから」

 

「そうですか」

 

摩耶は一息大きく煙草を吸うと、携帯灰皿に煙草を放り込んだ。煙をゆっくりと吐きながら、バイクのエンジンに火を入れる。タンデムシートに腰掛けていた私のお尻から四気筒の心地よい振動が伝わる。

 

「暖気が終わったら行きましょうか」

 

「そうね……摩耶はドライブコースとかあるの?」

 

「そうですね……寒いかもしれないですけど、高速を少し流しましょうか。遠回りになりますけど、今から流していけばイルミネーションの点灯の時間帯に通れますね」

 

「エスコートは任せるわ」

 

「訓練サボって、こんな事してるって神通さんや鈴谷にバレたら何言われるかわかんないっすね」

 

「たまにはいいじゃない。それにあなたと二人で出掛けるのは初めてだわ」

 

「私も後ろに人を乗せたのは叢雲さんが初めてですよ」

 

そう言われるとなんだか照れるわね。

 

「何赤くなってんすか」

 

摩耶が楽しそうに言う。摩耶は空き缶を私から受け取ると、それを捨てに行った。

特に理由もないけど帰りたくない。そう思った私もどうかしている。


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