レミリア提督   作:さいふぁ

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レミリア提督17 Operation Mánagarmr

 

 コロネハイカラ島は標高千七百メートル程度の成層火山が海面より突き出たほぼ円形の島である。島はサーモン海とニュージア海を隔てるニュージア諸島の一つであり、サーモン諸島共和国西部州に属する。同州最大の陸地であるニュージア島とは、狭い海峡のようなバニラ湾を挟んで対峙しており、さらに周辺には大小さまざまな島が浮かぶ。

 コロネハイカラ島自体は周辺の島々と同じく、ほぼその全域が熱帯雨林に覆われている深い緑の島であり、人の居住というのはニュージア島から移り住んだごくわずかな先住民を除けばまったくなく、森に棲むのは希少な熱帯の動物や昆虫ばかりであった。それ故か、今までこの島が有名になることなど一切なく、飛行場もなければもちろん雨林の開拓も進んでおらず、この地球上に残された数少ない秘境の地となっていた。

 そんな、熱帯の片隅にある小さく地味なこの島は、実は現在世界中の目を集めるまでに有名となっている。

 何故か?

 その理由は、この島が現在、唯一地上で人間と深海棲艦が直接砲火を交えている場所であるからだ。

 

 

 経緯はこうだ。

 元々、サーモン諸島西部州は人間側の勢力下にあった場所である。この西に広がる激戦地――サーモン海峡と最前線を支えるいくつかの泊地との間を結ぶ緩衝地帯であり、時に艦娘はこの島々を天然の要害として利用し、態勢を立て直すために一旦島影の海に集合して再出撃するなどといった作戦行動が頻繁に行われている場所だった。したがって島の周辺には誰が決めたわけでもないが、自然といくつかの艦隊集結点というのが設定されており、島に暮らす原住民にとっても、海岸から見る艦娘の姿というのは日常の一つになっているような、そんな島であった。

 ところが、最近出現した「双子の駆逐水鬼」の圧倒的戦力により、西部州周辺の海域の制海権は深海棲艦に奪取されてしまったのである。原住民の避難は直ちに開始され、その作戦こそ成功裏に終わったものの、肝心の海戦の方は艦娘側が負け続けるありさまであり、ついに深海棲艦は島々への上陸を開始、陸地の侵食を始めた。

 かくて、この上陸深海棲艦を海へ蹴落とすべく陸軍兵力が派兵されるに至ったが、肝心の補給線が駆逐水鬼によって大きな脅威に晒されており、緒戦こそ勝利を収めた陸軍も、補給が滞りがちになるにつれて徐々に追い込まれ、撤退を繰り返し、ニュージア島からは退却、コロネハイカラ島が戦場になったのだ。

 

 コロネハイカラ島は最前線の島であり、そして最終防衛線でもある。この島の陥落は陸軍の敗北を意味し、戦力的にも、全軍の士気の面でも、ニュージア諸島防衛が叶わなくなるだろう。

 優秀で手入れの届いた装備と常に潤沢な物資がある限り、陸軍が深海棲艦に勝てるのは既に実証されている。彼らが負け戦に追い込まれているのは偏に補給の不足であり、そのため陸軍から海軍を非難する声が盛大に上がっていた。無論、当の海軍も手をこまねいているわけでもなく、コロネハイカラ島の戦略的重要性を鑑み、全軍から優秀な艦娘をかき集めて討伐隊を編成、大規模作戦の実施となったのである。

 駆逐水鬼の撃破。それこそがニュージア諸島の命運を握っていた。

 

 

 ところで、駆逐水鬼はそれまで夜間にばかり襲撃を行っていたのだが、昼間に目撃されていないわけではない。むしろ、太陽の光がある分昼間の目撃の方が多く、艦隊が襲われたという情報こそないものの、その存在自体が補給線を寸断していたのである。この双子が居座る限り、物資の補充など満足に行えるはずもなく、さりとて夜間はどこから襲われるか分かったものではないので、補給など悠長なことはしていられない。

 したがって、昼間の駆逐水鬼の戦闘力は未知数であったが、積極的に襲撃を仕掛けて来ないところを見るに活動レベルは夜間よりも幾分落ちるのではないかという予測が立てられていた。そこから、昼間に駆逐水鬼を強襲する作戦が立てられたのである。

 もちろん、昼間の戦いで撃沈できるような生易しい相手ではない。作戦は二段階であり、昼間に攻撃を仕掛けた後、こちらの部隊は撤退。続いてコロネハイカラ島の島影に隠れながら移動させた本隊により背後から夜襲を仕掛け、連戦で疲弊したところを撃沈する。

 この軍事活動は「マーナガルム作戦」と名付けられた。

 作戦の総指揮を執るのは、南方統括泊地の海軍中将であり、彼は前線から遥か後方の泊地に座っている。最前線にいるのは「硫黄島」に乗り込むレミリア・スカーレット少将で、海軍中将の指示を受けつつ戦術指揮を行う手筈になっていた。

 

 

 

****

 

 

 

 艦娘母艦「硫黄島」の艦尾ウェルドックは早朝から喧騒に包まれていた。ドック内には六人の艦娘が各々艤装を装着しており、さらにその周りを多数の作業員が駆け回る。艦娘が身動ぎする度に兵装が擦れ、作業員たちの話声や怒鳴り声が反響し、ドックは実に騒がしい。

 今、その中の艦娘の一人としてしゃがみながら艤装を装着しつつある川内にとって、出撃前のこのような騒がしさというのは、ある種心地良さを感じさせるものだった。当然、これから艦娘達が向かう先は戦場である。川内のように悠長に構えている者は他におらず、皆眼光鋭く、黙々と準備しながらも殺気立っていた。ほんのちょっと邪魔になるだけで舌打ちが聞こえてきそうな、そんな緊張感の中にいる。

 川内は作業員に呼ばれ、艤装を付けたまま立ち上がるとガチャガチャと金属の擦れる騒がしい音を立てながらドック床面に付けられた射出用レールに足を乗せる。レールには艦娘を乗せるキャリアがセットされており、作業員がすぐに川内の足元に蹲って航行艤装をキャリアに固定した。

 「硫黄島」の艦尾ウェルドックはかなり広い空間で、艤装が巨大なことで有名な大和型や扶桑型が二人並んでも余裕がある程度には幅がある。ドック床面には二本の射出用レールがあり、それぞれのレールには三台ずつキャリアが設置されている。合計で六台、すなわち一度に一艦隊分の艦娘をセッティングし打ち出すことが出来るわけである。川内はその内進行方向左側のレール最後尾のキャリアに乗っていた。この位置は六番艦である。

 

 

 

「おはよう、諸君」

 

 頭上から、高く、朗々とした声が響いた。ドック内の騒音に負けじと発せられたその声は、はっきりと川内の鼓膜を振るわせる。

見上げると、そこに小さな提督が立っていた。

 特注したXSサイズの第三種軍装(それでも少しぶかぶかだ)を纏ったレミリアが犬走りからドックを見下ろしていた。現れた司令官の姿に、それまで出撃準備していた艦娘や作業員たちが手を止め、敬礼する。

 レミリアはこめかみに手を当てた後、「やりながら聞いてくれていいわ」と言った。お言葉に甘えて、という気配で作業員たちが仕事を再開する。一方、既にキャリアに全員乗せられ、最後の点検も終えて後は射出を待つだけになった艦娘らは、そのまま直立不動で提督を見上げ続ける。

 

「ドックの中で完全装備の艦娘が出撃待機している光景というのは、なかなかに壮観な眺めね」

 

 そろって自分を見上げる六つの顔をドック内を俯瞰しながらレミリアが語り出した。

 

「今日は運命の一戦。南方戦線の存続を左右する一大決戦。ご存知の通り、我らの眼前に立ちはだかるのは双子の駆逐水鬼よ。

この未曽有の敵に、南方戦線は崩壊寸前まで追い込まれてしまった。諸君らの中にも、それをよく知っている者もいるでしょう。まさしくこの熱帯の海で勝利し続けた百戦錬磨の強者たちですら手こずる強敵。

我らは、今までこの敵にさんざん煮え湯を飲まされて来た。沈められた輸送船はわずか半月足らずで十を超え、ニュージアの島で英霊の地に迎えられた陸兵は五百に近い。それはもう、見事な惨敗だったわ。

だからこそ、相手に不足はない! 流れ弾で沈む雑魚でも、片手で始末出来る有象無象でもない。仄暗い水底から浮かび上がって来た本物の怨念よ。ならば、諸君らは存分に戦えるでしょう。ありったけの砲弾を叩き込み、必殺の魚雷で穿て! 剛力を振るい、暴力で薙ぎ払い、火力で焼き滅ぼせ! そうして諸君の精強さを証明して見せろ」

 

 両腕を大きく広げ、朗々とした声でレミリアは叫ぶ。声はドックの中で何度も反響し、エコーが掛かって川内の脳髄まで届いた。

 余韻がまだ空間に残響している内にレミリアは広げた片腕を曲げ、手首の腕時計を覗き込んだ。

 

「もうすぐ日の出。朝日が昇るわ」

 

 彼女はドックの後方、川内たちの向く方を見やる。

 それを合図にしたかのように、タイミングを合わせてゆっくりとドックドアが開き、機械が唸り声を上げ、徐々に床面が後ろへと傾き始めた。同時に、海水が流入してレールの先が海に浸かる。

 艦娘たちが艤装を吹かし始めた。ドアの駆動音と合わさってドックはこれまで以上の騒音に包まれる。

 徐々に開いていくドックドア。それにつれ、赤い朝日に照らされる海が姿を見せる。朝の水面はとても穏やかそうで、これから激戦が始まることを予感させない。

 暁の陽光が入り口を照らし、ふわりと中に入り込んで来る。温かく、心地よい光だ。川内の見上げる前で、レミリアは眩しそうに目を細めた。

 

「諸君!」

 

 犬走りから艦娘たちと一緒に海を見ていたレミリアが再び声を張り上げた。この騒がしい空間の中で、彼女の声は小さな体のどこから出したのかと思うほどよく耳に届いた。

 

「さあ、時間だ。暁の水平線に繰りいでよ!! 出撃ッ!!」

 

 

 号令と共に、爆竹をいくつもまとめて発破させたような派手な音が鳴る。同時に、音を残して一番艦がドックから飛び出した。

 続いて、同じ音が連続して二番艦、三番艦と順次発艦していく。

 あっという間に川内の番に至り、身体が前へ凄まじい力で引っ張られる。と思ったのも束の間、着水した時の抵抗で一気にスピードが削られ、今度は前のめりになる。荒っぽい発艦方法だが、ここでこけるのは新兵だけである。

 直後に川内はスクリューが水を掴む感触を手にした。水を得た機関が喜び声のような爆音を立て、海水を撹拌し、川内の体を力強く前へと引っ張り始めた。川内も艤装に合わせ、悠々と穏やかな海面を滑る。

 前方では他のメンバーが単縦陣を形成しているところだった。各地の鎮守府や泊地から臨時で集められたためにそれぞれの所属が違い、川内を含めお互い初対面同士のこの艦隊だが、全員が己の腕に自信を持ち、名乗りを上げて出て来ただけあって、陣形の形成など当然の如くやってしまう。川内もごく自然な流れで単縦陣の最後尾に張り付いた。

 

 

 朝日が、戦場へ向かう艦娘たちを照らし出す。

 母艦である「硫黄島」は既に小さくなり、地球の巨大さを感じられる大海原には、たったの六人だけ。

 わずかに顔を東へ向ければ、すぐさま目に溢れんばかりの光が入って来て、眩しさに瞼を下ろした。

 

 川内は朝の海が好きだ。

 かつての部隊に所属していた頃、それは戦いの終わりと束の間の平穏を象徴するものであり、今では戦闘前のほんのわずかな休息の景色だった。

 これから戦闘を控えているというのに、川内の胸中は凪いだ渚のように穏やかで、ともすれば心地良さに居眠りしてしまいそうだ。不意に衝動が襲って来て、川内は大口を開けて欠伸した。

 

 

 

 

“出撃早々欠伸するなんて、随分と余裕ね”

 

 

 

 唐突に頭の中に響いた「声」に、川内ははっとする。痴態を見られたのかと、慌てて周囲を見回すと、艦隊の後方上空を観測用の無人偵察機がぴたりとついて来ているのが目に入った。しかし、その位置からでは川内の欠伸はカメラに映らなかったはずだ。

 

「六番艦、川内。どうした?」

 

 川内の様子の変化を認めたのだろう、カメラの向こうで艦隊の動向を見ているオペレーターが声を掛ける。

 

「いいえ、何でもありません」

 

 すぐさま川内は応答し、挙動不審を見咎められないように前を向く。

 きっと今の声は気のせいだろう。ひょっとしたら、作戦中に欠伸などかました自分自身を自制心が咎めたのかもしれない。まさか、レミリアがどこからか見ていて囁いたわけではないだろう。何せ、今の声は耳から聞こえたのではなく、直接脳内に響いたのだから。

 

“しっかり前を向いていないとこけるわよ”

「やっぱり提督じゃん」

 

 川内は口の中だけで呟いた。心中激しく動揺しているが、どうやらオペレーターに気配を悟られない程度には平静さを装えたらしい。

 

「何これ。どうなってんの」

 

 再び、川内は音にならない言葉を発する。口元で耳をそばだてないと聞こえないくらい小さな声は、川内の口腔に反響してそのまま喉に落ちて消えてしまう。風切り音や艤装の機械音でやかましいこの場では絶対に他者に聞こえないはずだ。しかし、川内は何となくそれで会話出来るような気がしたのである。

 

“テレパシーよ。声を出さなくても、言葉を思い浮かべるだけでいいわ。頭の中だけで話をする感覚ね”

“こう? 聞こえる? どうぞ”

“感度良好よ。どうぞ”

 

 予想外に川内が早く順応したことに気を良くしたのか、クスクスとレミリアが笑う。脳内で誰かが笑い声を零すという未知の感覚に、川内は何とも言えない気持ち悪さを感じて身震いした。

 

“笑わないで提督。気持ち悪いよ”

“あら、失敬したわ”

 

 なんとか自分を落ち着けた川内はようやく冷静にことを見つめ直せるようになった。まずはともかく、この状況についてもう少し説明を貰わないといけない。

 

“この会話は私と貴女の間だけにしか伝わらないわ。距離も関係ないし、回線は作戦中繋ぎっぱなしにしているから、気軽に呼んでくれればすぐ答えられるわよ”

“なるほどね。無線の代わりになると思っておけばいい?”

“そんなものかしらね。やけに飲み込みが早いじゃない”

“姫クラスの深海棲艦がね、こんな風に話し掛けてくることがあるのさ。聞こえ方はもうちょっと違うんだけど”

“へえ……”

 

 実際のところ、確かに姫クラス以上の深海棲艦はテレパシーのような声を出すことが出来る。かつて、一航戦の随伴として参加した海戦で対峙した空母水鬼という最上位の深海棲艦はこちらに話し掛けて来た。といっても、ほとんど脅しのような言葉ばかりだったが、無線もないのにやり取り出来たのは不思議である。声の響き方は、今のレミリアのように頭に直接伝わるものではなく、遠くから話し声を聞いているようなものだった。

 そういう経験があるから、突然のテレパシーにも川内は対応出来たのだ。

 

“で、提督は私と何の内緒話がしたいのさ?”

“ええ。作戦のことでちょっとね”

 

 レミリアのその一言で、川内はおおよその事情を察することが出来た。

 まず、そもそもどういう原理か知らないが、レミリアがテレパシーで川内個人にこっそり話をしている時点で、目的は今日の作戦目標とは相反するところにあるのは容易に想像がつく。この作戦自体は、後方の南方統括泊地に坐する海軍中将が指揮を執り、レミリアは言ってしまえば前線司令官程度の役割しか与えられていないわけである。指揮系統上も階級上も、当然レミリアには中将に反抗することが出来ない。だから、こうして秘密裏に話し掛けて来たのだ。

 とすれば、だいたい目的の内容は察しがつく。

 

“駆逐水鬼を、懐柔したいのかな?”

“……貴女、どうしてそんなに勘が鋭いのかしら。何か特別な生まれだとか?”

“そう? 提督が分かりやすいんだよ”

“分かりやすいつもりはないんだけどね。ま、察してくれているなら話が早い。懐柔というのは厳密には違うけれど、大体そんなところね。駆逐水鬼に対して揺さぶりを掛けたいの”

“それでどうなるってのさ。深海棲艦は言葉を話せても理解し合える存在じゃないよ”

“さあ? どうかしらね”

 

 根拠が何なのか、レミリアは妙に自信ありげだ。もっとも、こんなオカルト極まりないテレパシーを使えるくらいだから、ひょっとしたら川内が予想も出来ないような奇天烈な解決策でも用意しているのかもしれない。

 いずれにしろ、こうしてテレパシーで繋がっているということはレミリアの言う通りに従った方がいいということだ。どうやらテレパシーでの会話と川内が頭の中で回す思考は別領域にあるようで、考えた内容がそのままレミリアに伝わることはないようだが、逆を言えばこうして「頭と頭」の間に回線を繋げられるのだから、もしかしたら思考の盗聴も出来たりするのかもしれない。

 長く戦場に居ると、どうしても科学的に説明出来ないような不可思議な現象に出くわすことがある。その時、それを目の当たりにした兵士が抱くのは、この世界には自分たちが与り知らぬ何かがやはり存在するのだという、未知への憧憬とも恐怖とも言える感慨である。まず、そもそもの「艦娘」という存在からして、全く現代科学では説明出来ていないし、ならばテレパシーの一つや二つ、同じように説明出来ない事象があってもおかしくはないのかもしれなかった。

 ただ、今ここで考えても埒が明かないことなので、川内は取り敢えずレミリアの正体について考察することを脇に置いた。

 

“でも、貴女だって何かしら言いたくて出て来たわけよね”

“まあね。何かが変わるもんじゃないし、話が通じなかったら仕方ないと思う。その時は潔く諦めるよ”

“それでも言葉を掛けようと思ったのは、どこかに突破口があるからでしょう”

“うん。多分、あの二人は他の深海棲艦と違って理性が残っているんだと思う”

“へえ?”

 

 川内は写真を思い浮かべた。駆逐水鬼が写されていた写真だ。

 その写真には、不鮮明ながら人相を十分判別可能なくらいにしっかりと駆逐水鬼の姿が撮られていた。夜間の、それも戦闘の合間。戦闘記録用に艦娘が装備していたカメラにて撮影されている。

 駆逐水鬼はカメラを見ていた。はっきりと彼女はカメラに目を向けていた。まるで、撮ってくれと言わんばかりに。

 それは単に駆逐水鬼がカメラを持っている艦娘に向いていただけの話かもしれない。しかし、川内にはあれが単なる偶然には思えなかった。

 メッセージだ。駆逐水鬼は自ら写真に撮られることにより、誰かにメッセージを送った。その対象が誰であるかは最早言葉にする必要すらないだろう。

 彼女たちは何かを求めている。どういうつもりで駆逐水鬼がメッセージを送ったのかは知れない。それを確認するために川内は出撃したのだ。

 

“提督も同じでしょ。それに、私が想定する最悪は駆逐水鬼が四駆の二人を自分と同じ深海棲艦にしてしまうこと。絶対に防がないといけないことだし、だから提督は策を講じたんだ”

“考えていることは同じね”

“なら、利害が一致しているってことでしょ”

 

 この戦いは、単純に敵を倒して沈めればそれで済むものではない。大多数の艦娘や軍人はそう考えているかもしれないが、それではきっと作戦は失敗し、結局人類はニュージア諸島を失うことになる。何よりも、艦娘が深海棲艦になるという噂が現実となりつつある今、精一杯それに抵抗しなければならないのだ。

 ただ、果たしてそれを理解しているのは一体どれほどいるのか。レミリアと川内、あるいは舞風と野分も同じことを恐れているのかもしれない。いずれにせよ、賽はまだ投げられていないのだった。

 

 

 

****

 

 

 

 進撃は順調だった。

 幾度かの小規模な海戦を経たが、錬度の高い艦娘が集められた艦隊はさほどの被弾もなく、現れた敵をなぎ倒しながらほぼ予定通りの時刻にコロネハイカラ島北方まで到達した。

 

「こちら妙高。当初の接敵予想海域に入りましたが敵影ありません。確認お願いします」

 

 旗艦が無線交信している。

 艦隊は不意の急襲に備え、乙字行動をしながら周囲警戒に当たっていた。巡洋艦は偵察機を飛ばし、駆逐艦は電探とソーナーに傾注する。川内も自らが射出した偵察機と密に連絡を取り合いながら、己の目でも海を見渡し、わずかな異変でも見逃すまいとする。

 天気はすこぶる良かった。やや雲が多いので、雲間からの艦載機の奇襲に注意しなければならないが、波は比較的穏やかで走りやすい。総じて戦闘にはもってこいの状況だった。

 こんな日には水上戦闘での奇襲というのは成り立たない。潜水艦が襲ってくるならいざ知らず、視界がよく効くので敵の発見は早いだろう。

 と思ったところで、川内は慢心はいけないとかぶりを振る。先日、我らが主力艦隊は海中からヲ級の奇襲を受けたばかりではないか。深海棲艦がそういう手を使わないとは限らない。特に、駆逐水鬼はそれこそ人間と同じ知能を持っているはずだから。

 

 川内は島の方へ視線を向ける。

 コロネハイカラ島は成層火山であり、富士山のように広いすそ野を持っている。雄大な山容は深い緑に覆われ、動植物の楽園となっているそうだ。

 もしこの場で視覚的に優位に立とうと考えるなら、島を背にして姿勢を低くしながら静かに近づいて来ることだ。そうすれば、島と自分の姿が重なって見え辛いし、海面に近くなればレーダー波の乱反射で電探での感知も遅れる。

 川内は敵の立場になって考えた。駆逐水鬼が逃げの一手を取らず、襲って来るならどういう方法が合理的か、と。

 そう言えば、今川内たちがいるのは島からニキロ程しか離れていない場所だ。余りに島が近いので、そちらの方には偵察機を飛ばしていない。岩礁も多いと予想される島の 近辺に、座礁のリスクを負ってでも深海棲艦が潜んでいるとは考え辛いとされたからだ。

 だが、本当だろうか。何せ、敵はこの目の前の島にすでに上陸しているのだから、陸地から引き返して来ることもあり得るかもしれない。

 

 皆、沖を見ている。

 

 そう思った時だった。真昼の日光を浴びても尚、黒々と生い茂る島のジャングル。その影の中で動く何かがあった。否、森の中にいるのではなく、森と自らの姿を同化させているのだ。それは、島の近くを航行する際に敵に見つかりにくくする手法の一つで、小型艦の艦娘なら大抵の者は知っていることだった。特に、錬度に関わらず島嶼の多い南方で戦っていた艦娘はやり方を熟知しているだろう。

 姿勢を低くし、波を立てずに忍者のように移動する。しかし、本土や中部海域で戦ってきた艦娘は知らないかもしれない。だから、南方での経験のない艦娘ばかりが集まったこの艦隊の艦娘は誰も島へ目を向けていないのだ。

 

「敵発見! 右舷! 砲雷撃戦用意!」

 

 川内は絶叫した。発砲許可を待たずに叫ぶ。

 艦娘と深海棲艦の交戦距離は短い。目視で彼我の距離を測るとせいぜい一キロだった。

 そんなに接近を許していたのかという驚愕と、油断と索敵不足への悪態が口をつきかける。敵は既に川内の主砲の射程距離内であり、川内たちもまた敵の射程内にいる。

 

「て、敵!? 射撃許可を!」

「許可するわ」

 

 動揺する妙高に、レミリアは平然と返した。なるほど、想定の範囲内というわけか。

 川内の発砲で、敵も気付かれたと分かったのだろう。進路を合わせて波が立つくらい一気に加速し出した。川内の初弾は置いていかれるように敵艦隊の後方に着弾する。

 

「方位175に敵! 同航戦で交戦始まってます!」

 

 敵艦隊は六隻。重巡以下の艦種のみで戦艦や空母はいない。が、先頭の二隻が例の「双子の駆逐水鬼」だった。

 

「随伴を沈めなさい」

 

 レミリアが指示を飛ばす。それは、川内がレミリアに申し入れようとしていたことで、意図を先に汲み取ってくれたのだろう。まあ、これからやろうとしていることを考えれば随伴は邪魔でしかない。

 敵重巡の第一斉射。川内たちの左に弾が落ちる。遠弾だ。

 

「主砲斉射!」

 

 代わるように妙高以下、艦隊のメンバーが射撃を開始する。さすがに錬度が違うのか、初弾でいくらかが敵の随伴艦に命中し、二隻が落伍した。

 浮足立つ敵。冷静に射撃して来たのは駆逐水鬼だけだが、砲弾は今度は手前に落ちてしまう。これが演技ではないのなら、駆逐水鬼はその脅威の割に射撃が下手なのかもしれない。こうして彼女たちと昼間に撃ち合いになったのはこの戦闘が初めてで、それまで駆逐水鬼が猛威を振るったのはすべて夜戦でのことだ。

 夜戦というのは、昼戦とは違い、いかに夜闇にまぎれて接近し、敵の急所に痛打を叩き込むかがミソになる。昼戦とは求められる技能が異なり、昼間は大火力で圧倒出来る戦艦が、夜は小回りの効く駆逐艦にいとも簡単に倒されてしまうのはそういう事情があるからである。火力もさながら、機動力や隠密性が物を言う。

 要は、射撃能力より接近能力が求められるわけだから、多少射撃が下手でも、近付ければ誰でも当てられるというのだ。まして、駆逐水鬼は元は錬度の低い駆逐艦だった。昼に勝負を仕掛けてこなかったのも、まともに砲雷撃戦を出来る自信がなかったからだろう。

 下手な鉄砲も何とやらというが、腕がいいよりはましだ。随伴の掃除が終わるのを見計らって、川内は舵を切った。味方の射撃は既に駆逐水鬼に向いている。

 

「川内!?」

 

 旗艦の妙高が驚嘆して叫ぶ。

 

「何しているのですか? 戻りなさい!」

 

 制止の声を振り切って、川内は駆逐水鬼との距離を詰めていく。速度は既に最高。風切り音が耳を覆い、髪は乱れながら後方へ流れる。

 

「しゃ、射撃中止! 射撃中止! 少将、川内が!」

「そのままにして」

「え!?」

「駆逐水鬼に降伏勧告を与えるわ」

「降伏……?」

 

 川内は無線を切った。代わりに、こっそりと持ち出してきた拡声機のスイッチを入れる。

 

「私は、国連軍海軍所属川内型一番艦の川内だ!! 久しぶりだね、駆逐艦『萩風』! それと『嵐』!」

 

 顔がはっきりと見えるところまで近づく。既に双方射撃は止まっていて、誰もが彼我の間に飛び込んできた川内の動向に注目していた。

 駆逐水鬼の姿は、ほとんど艦娘そのものだ。駆逐棲姫とは違ってしっかりと両足が付いている上、身体に纏う艤装も艦娘のそれに近い。人間の男のそれのような大きな両手が生えているし、兵装には深海棲艦特有の黒い光沢もみられるが、衣装そのものは陽炎型駆逐艦のそれを彷彿させる。腰のベルトや太股のホルダー、極めつけは胸元のリボンとスカーフ。ほとんどモノトーンカラーの駆逐水鬼の恰好の中にあって、それだけがはっきりと赤色と分かった。

 今まで、これ程人に近い姿の深海棲艦など見たことがない。なるほど、これなら彼女たちの知能の高さもよく分かる。まさに二人は“元艦娘”なのだ。

 先頭を行く旗艦の方、髪が長くて胸元にリボンを結んでいるのが萩風。後ろの、短髪で胸元がスカーフになっているのが嵐だろう。二人の違いというのはその程度しかなかった。

 

「覚えてるかな? 五年前、夜襲を受けた君たちの救援に駆け付けたのよ」

 

 川内は言いながらさらに近づいていく。暗く淀んだ赤い瞳孔が二対、川内を警戒するようにじっと見つめている。その主砲はしっかりとこちらに向けられていた。

 

“まだ撃って来ないわ”

“分かってる。へまはしないさ”

 

 心配なのか話し掛けて来たレミリアに、確信をもって答える。そう、まだ撃って来ない。駆逐水鬼たちはきっと、今川内のことを見極めているのだろう。敵なのか味方なのか、自分たちに害があるのかそうでないのか。

 

「そうだ。君たち、第四駆逐隊のためにね」

 

 反応したのは嵐の方だ。眉が跳ねた。

 突破口を見つけた。

 

「私たちには君たちを傷つける意思はない! 萩風、嵐。戻って来ない? 舞風と野分が待ってるよ」

 

 今度ははっきりと、嵐が目を丸くする。口が「あっ」という形に開かれ、彼女は何かに気付いたように表情を変えた。

 それに、川内は確かな手応えを感じ取る。

 行ける、と思った。

 まだ彼女たちには理性が、記憶が残っている。完全な深海棲艦になっているわけじゃない。

 

 

 だが、

 

 

 

「ウルサイッ!!」

 

 突然、絹を裂くような甲高い声が海原に響いた。

 

「ウソヲツクナ! オマエタチハ、ワタシタチヲシズメヨウトスル! ワタシタチヲ、アノ、クライミナソコニ……ッ!!」

 

 叫んだのは萩風だ。その艤装の両腕が、威嚇するように構えられる。

 

「違う! 萩風!」

「ソノナマエデヨブナァ!!」

 

 ついに爆音が轟いた。

 激情に任せて放たれた一撃。川内の肩を掠めて背後の海に着弾する。

 

“引きなさい、川内!”

 

 レミリアの声が頭の中で響く。

 

「まだだよ! もうひと押しなんだから!」

 

 感情を爆発させた萩風と、詰め寄る川内の間で嵐が戸惑ったような顔をしていた。そこに、川内は未だ突破口が閉じられていないと感じていた。まだ行ける。まだ終わっちゃいない。

 

“チッ”

 

 誰かが舌打ちした。

 刹那、背中をぞわりとした冷気が覆う。何か禍々しいものが、自分の両肩にのしかかったようなおぞましい感覚に襲われた。

 同時に、急に体が重くなった気がした。足が海に沈み込み、航行艤装の唸り声がトーンダウンしてくぐもったような音になる。誰かが川内の肩に乗り上がり、両腕を広げて目の前の二人を威嚇している、そんなビジュアルが思い浮かんだ。何もないはずなのに、黒く禍々しい何かがそこにいる。

 果たしてそれは川内だけが垣間見た幻影だったのだろうか。

 否、不可視の幻影ははっきりと萩風たちの目にも映ったらしい。むしろ、これは二人に見せるために出されたものだった。

 

「ヨルノ……!」

 

 萩風が怯む。激しく見せていた怒りは引っ込み、川内から、幻影から逃げるように海に飛び込んでしまう。後には嵐が続いた。

 

「待って!」

 

 制止の声は届かない。二人はあっという間に波間に消えてしまった。

 あの幻影は一体なんだろうか。考えるまでもなく、川内にはその犯人が分かっていた。

 

 

 

“何してんのさ、提督”

 

 ふつふつと怒りが湧いてくる。

 あともう少しだったのに。もうちょっとだったのに。

 

 直前で妨害を受けたことに、川内は珍しく怒りを抱いていた。

 

“ああでもしなければ、撃たれていたわよ”

“そんなことない。二人ともちゃんと私を見てた。言葉が通じてた。もうちょっとだったんだよ!”

“いいえ。あれが限界よ”

 

 レミリアは冷静だ。落ち着いている。

 それが、尚のこと癪に障るのだ。

 

“もういい!”

 

 テレパシーというのを一方的に遮断出来るのかは分からないが、川内ははっきりとした拒絶の意志を見せて通信を切った。代わりに無線のスイッチを入れる。

 

「川内……」

 

 直ぐに冷ややかな妙高の声がインカムから聞こえてきた。

 

「これは、一体どういうことですか?」

「どうもこうもないよ」

「後で、上に報告します。降伏勧告なんて聞いていません」

「お好きにどーぞ」

 

 怫然として川内は隊列に戻った。他のメンバーの白い目線が痛いが、気にしていないふりをして波を切ってつき進んだ。今は誰とも喋りたくない気分だったのだ。

 


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