エーテルちゃんはひとりぼっち   作:菓子ノ靴

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chapter 1 - 4 だって姫様が

中庭の、納屋を改造したアトリエは、隙間風はあるわ、底冷えはするわで、お世辞にも居心地が良い場所とは言えない。

 

ましてや業務内容を考えれば、拷問(ごうもん)にすら近いものがある。

 

新米メイドのクラリッサは、パレットを持ったお姫様の背中を眺めて、何度も、何度も、心の中に溜息を落としていた。

 

(あぁもう早く終わってくれないかなぁ……)

 

始まってから一時間くらい経っただろうか。先輩の話によれば、まだまだ先は長い。

 

ユスティヘル家のメイドの業務は、清掃や接客や事務関係の雑務まで、多岐に及ぶ。中でもエーテル姫の監視が、実に奇怪なことだが、メイドたちに充てられた最重要・最優先の役割であるらしい。ただ重要だからと言って、やり甲斐があるわけではない。むしろその逆だ。その日の監視業務に回されたメイドは、貧乏くじを引いたも同然だった。

そんな人気のない監視業務の中で、最も嫌われているのが、このアトリエだ。アトリエには、半日以上詰めるというパターンも珍しくなく、貧血で倒れるメイドが続出している。メイドたちの間で「地獄のアトリエ」と囁かれるこの仕事は、完全に押し付け合いの様相を呈していた。

 

つまりクラリッサのような新入りの、立場の弱いメイドに回ってくるのだ。

 

(寒いよぉ……お城に入りたいよぉ……)

 

だいたい、描いている絵が不気味なのだ。

何をモデルにしているのかは知らないが、一枚たりとも理解できる絵はない。見たこともない生物。おそらく天使なのだろう女性や、見るもおぞましい悪魔たち。特に悪魔の絵が多い。

 

――なんて気味の悪い女だ。

一国の姫を、そう思うのに、クラリッサはなんの(はばか)りもなかった。

 

ユスティヘル家に仕えはじめて数ヶ月。エーテル姫が、公爵夫妻と全使用人から疎まれているということは暗黙のうちに了解している。しかし城に幽閉するのではなく、政略結婚の道具にするなり、他に使い道があるように思えるが、一介の町民であるクラリッサには及びも付かない世界があるのだろう。

 

今、エーテルが取りかかっている絵は肖像画を思わせるタッチだ。だがやはりモデルになる物はない。地獄の(ほのお)もかくやという赤髪の、美しい少女の絵である。ただよく見ると、こめかみに黒い角が生えている。これも「悪魔」ということなのだろう。

 

(……こんなのばっか描いてるから、みんなから気味悪がられるんでしょ)

 

ふと、エーテルの細い肩がわなわなと震えていることに気がついた。

 

「あー! もうっ!」

 

突然の怒鳴り声に、心臓がどきりと跳ねた。

 

「は、はい!?」

 

後ろからこっそり絵を覗き込んでいたクラリッサは、冷や水をかけられたウサギのように、その場で飛び跳ねた。エーテルが振り返る前に、直立の姿勢に戻る。

 

「……いかがなさいましたか?」

「気が散る!」

 

また鼓動がうるさくなった。こっそり覗き見していたことを言っているのなら、少々まずい。

 

「……あの、なにかお気に障りましたでしょうか?」

「息遣いとか、衣擦れの音とか、耳障りなの!」

 

心配は杞憂に終わった。しかしながら、まったく別の難癖を吹っかけられてしまった。どう対処すればよいのか。どの職種でも、新人というのはマニュアル外の事態に弱いものだ。

 

「集中できないから、外で待ってなさい!」

 

そう命じられ、マニュアル人間のクラリッサは息を吹き返した。

 

「申し訳ありません、姫様。公爵様より護衛の任は常に徹底するように仰せ付かっておりますので……」

「護衛? 監視の間違いでしょ? あのね、ここには窓もないし、あなたが出入口を塞いでてくれれば逃げるなんてできっこないんだから」

「申し訳ありません、決まりですので……」

 

「あなた新人り?」

 

「はい、そうですが」

「これ以上口答えするならお義父(とう)様に言いつけて、クビにするわよ」

「えっ!?」

 

クラリッサは急に背中が寒くなった。

 

「いい? あなたたちの仕事は私が逃げ出さないように見張ることよ。一つ覚えの猿みたいにただ見てればいいってものじゃないの。逃げ出せないようにすれば、別に見ている必要なんてないの。そんなことも分からないかしら?」

「で……ですが」

「ふぅん、口答えするの? さっき私なんて言った?」

「も、申し訳ございません!」

 

そくざに(こうべ)を垂れて許しを請う。

そんなクラリッサの視界に、純白のストッキングに包まれた足が映り込む。驚いて顔を上げると、エーテルがぐっと体を寄せてくる。間近にすると、人形のように整った顔だ。同じ年頃の子女として、クラリッサはにわかに羞恥心を抱いていた。

 

「私は! 何て! 言ったっ!」

 

「くっ……ク、クビにすると! お、おっしゃいました……」

 

「へえ? クビにされたいの? いいわよ、明日にでも――」

「い、イヤです!! お願いします! 故郷に病気がちの母がいて、弟もまだ小さく……」

「黙りなさい! あなたの身の上話なんて聞いてないわ!」

「う……ぅ……ごめんなさいぃ……」

 

視界が滲み始める。

 

同情を誘うつもりなんてなかった。だけど、他人の不幸など歯牙にもかけないという態度を見せつけられ、なぜだかどうしようもない無力感に襲われた。

 

涙が止まらない。次から次へと溢れてくる。

 

言ったことは真実だ。病床の母がいて、弟もまだ幼い。父は小さな商店を営んでいるけれど、家族を養っていくだけの稼ぎはない。だったら自分が稼ぎ頭になるんだと、いささか短絡的ではあるが、ここリハネスに出稼ぎにやってきたのだ。当初は、持ち前の容姿を活かして娼館で働こうと本気で考えていた。もちろん両親には内緒だが、他の仕事よりも高給をもらえるとあって、世間知らずの娘には現実的な方法に思えた。事実、職業紹介所の掲示板でメイド募集の張り紙を目にしていなければ――玉砕覚悟で応募していなければ――何十人もの中から運良く採用されていなければ――今頃は、娼館にいたかもしれない。

 

何があってもこの幸運を手放したくはない。

 

クラリッサの心はすでに折れていた。

 

「わかったなら行きなさい」

「……はぃ」

 

鼻をすすり目を擦りながら、お辞儀をすると、アトリエを出た。

 

出入り口の前に、泣きながら立つ。

庭師の男が心配そうにこちらを見ていたが、使用人の優劣の意識してか、声をかけてくることはなかった。

 

 

しばらく泣いてすっきりすると、クラリッサは、何も泣くことではなかっただろうと思い始めた。得てしてそんなものだ。せっかく誉れ高いユスティヘル家の使用人になれたのだ、神の加護を信じなくてどうする。こんなことで(くじ)けてどうする。気持ちを新たにすべく、頬をぱんぱんと(はた)いた。そんなクラリッサの背中に、訝しげな声がかけられる。

 

「……クラリッサ? そこで何をしてるの?」

「あ、ニコラさん。実は……」

 

振り返りざまにしようとした説明を、ニコラが強い口調で遮った。

 

「あなたまさか! エーテル姫の監……護衛じゃなかった!?」

「うぇ……あ、はい、そうですよ……?」

「姫は今どこ!?」

 

先輩メイドの鋭い剣幕に、背筋が寒くなる。

 

「アトリエの中にいるはずです」

()()じゃ駄目なのよ! どうして側から離れたの!?」

「そ、それは、姫様が、集中できないからって……」

「もういい! どいて!」

 

再び泣きそうになったクラリッサを押しのけて、ニコラがドアを叩く。

 

「姫様! ニコラです。入室してもよろしいですか?」

 

返事はない。

 

「失礼いたします。姫さ――」

 

開いたドアのノブを握ったまま動かないニコラを見て、クラリッサは全身から冷や汗が吹き出るのを感じた。




つづく( ˙ө˙

お気づきの点がございましたら、どうぞご指摘ください m(_ _)m


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