読み飛ばしていただいても問題ありません。
エミルの目の前には暗闇が広がっていた。
仄かな甘い香りと、鈴の音のような笑い声。両手にあるのは包帯越しの温もり。
視覚を奪われると、その他の感覚が鋭敏になると聞いていたが、まさかこれほどとは思わなかった。
「エミル様、そのままこちらに」
「はい……」
手を引かれ、甘い香りのする方へと体を倒す。胸のあたりに、むにゅりとした柔らかいものが押し付けられる。吐き気すら催すほどの緊張のなか、
柔らかいものに当たらないように、体が密着しない近さを見極めて、猿みたいに手だけを伸ばす。姫の体つきが華奢であったことに、エミルは深く感謝していた。
「背中の紐が
「……そうですか」
互い違いにかかった紐を、指先の感覚だけで、一本ずつ
「わあっ……!」
張りのない、どことなくわざとらしい、驚きの声が聞こえた。と、ほぼ同時に、エミルの体の前側が柔らかいもので押された。全身をえも言われぬ多幸感が包み、一瞬でそれが戦慄へと変わる。
「ご、ごご、ごめんなふぁい!」
きっと傍目には、目隠しをした褐色の青年が、美少女の清らかな体を抱きしめるエキセントリックな光景が広がっていることだろう。
「ふふ、
「は、離れ……」
「このほうが脱がせやすくはありませんか?」
「え……」
「脱がせやすくないですか? なら、もう少しくっつきましょうか」
「いえ、とてもヌガせやすくナリマシタ! このままでお願いシマスッ!」
目の前から、くすくすと笑う声がした。
「このままですね。わかりました」
その体は、ほっそりとした体躯からは想像もつかないほど柔らかくて、気持ち良かった。間近に嗅ぐ芳香の中には、先ほど嗅いだ時には気がつかなかった、かすかな汗の匂いも混じっている。頭がどうにかなってしまいそうだ。これで劣情を抱かない男などいるはずがない。
(……駄目だ! 何考えてるんだ!)
頭の中のエーテルを、裸にひん剥いてベッドに押し倒したところで、エミルは自らの不遜な考えを
おそらく他意はない。言葉の通り、姫は着替えを手伝ってもらおうとしているだけなのだ。城の中で育ったエーテル姫は、異性というものを知らないのだ。周りに居るのは侍女ばかり。世の男たちが彼女のような美少女に、どんな感情を持つのか、彼女はまだ知らないのだ。
その純真無垢な心を、他でもないこの手で汚すことだけはしたくない。エミルは意を決して、エーテルの体を、より近くへと抱きよせた。姫の「あっ」という声が妙に艶めかしく感ぜられたが、首を振って邪念を断ち切った。そのまま猛スピードで背中の紐を緩めていく。職業柄、手先が器用なのが幸いしたようだ。ある程度まで
めくれ落ちた上半分のドレスは、姫の腰のくびれに引っかかって、垂れ下がっているようだ。残るは下半分――スカートだが、姫のほうからは何も動きがないので、これを脱がすのもやはりエミルの役目なのだろう。
(……ええい、ままよ!)
くびれの上に溜まった布を、まとめてつかむと、足もとまで一気にずらす。心拍数がかつてない数値を叩き出している。
(な、なんとかできたぞ……)
だが、まだ関門を一つ突破したに過ぎない。
額の汗をぬぐうと、エミルは一つ息を吐く。これからはドレスを着せていくわけだが、はたして目隠しをしたままで可能なのだろうか……。
「エミル様、下着もお願いします」
「あ、そうでしたね」
エミルは再びエーテルの体を抱きよせて、背中に手を回すと、下着の結合部を指で外し……
「って、ええぇっ!?」
一体何がどうなって下着まで脱ぐ必要があるのか! エミルは愕然とした。愕然としたが今さら言っても遅すぎた。なんだか流れで脱がせちゃったよ! エミルは困惑した。冷静な判断力はとうに失われていた。もうこれはそういうことか!? このまま男女の関係に発展してしまっても良いということか? エミルは口内の唾液をすべて飲みこんだ。
(……ってそんなワケないだろ!)
頭の中のエーテルを、シーツに押しつけて胸を揉みしだいたところで、エミルは自らの不誠実さを
姫様はそんなつもりで言ったんじゃない。ただ、下着を脱ぎたかっただけだ。ドレスを着替えるとき、女性というのは下着を脱ぐものなのだ。そうに違いない! それを下心丸出しの勘違いで変な気分になって、襲いかかるなんて男としてあるまじきことだ! そう自分に言い聞かせるエミルは、やはり冷静とは程遠い。
「し、下も……その……脱ぎますか?」
「もちろんです」
「……それも僕が?」
「え? いえ、それはちょっと……。ああ、エミル様がしたいのなら話は別ですが……」
「ぐっ……」
「そんなに脱がせたいですか?」
「それは……その……姫様……僕のこと、からかってませんよね……?」
「からかってませんよ?」
どことなく愉しそうな声だった。それでも疑わない。否、一度は疑った。疑ってしまった。そんな己の心をエミルは恥じた。いくらエーテル姫でも、男にパンツを脱がせらるのには抵抗があって当たり前だ。
「少しお待ちいただけますか?」
「はい……」
エミルの前でかすかに物音がする。姫自ら
(ということは、今……!?)
胸の鼓動が一気に高まる。心臓の音で彼女に下心が伝わってしまわないか不安でならない。
だが姫は何を思ったか、エミルを放置してどこかへ行ってしまった。目隠しをされて動けないエミルは、棒立ちで彼女の帰りを待つしかなかった。
「準備いたしますね」
突然、耳もとで
「ひゃいっ!?」
声を上ずらせて飛び上がると、愉しそうに笑う声が響いた。
エミルはそわそわしながらも、
「手をお出しください」
「こうですか?」
ボトリ。手のひらに冷たく湿った何かが落とされる。
「それで私の体を拭いてください」
「へっ!? 何を言って……!! えっ!? む、無理っ!! 無理です!!」
エミルはぶんぶんぶんと首を振る。
「このままでは、せっかくのドレスが汚れてしまいます……それに、女の子は体が汚れていると落ち着かないものなのですよ……こんなことをお願いできるのはエミル様だけですし……いけませんか?」
姫の、雨の日に捨てられた子猫のような表情が脳裏に浮かんだ。そしてなにより彼女には男の庇護欲を掻き立てる魅力があった。
男にそんな声で、そんなことをお願いしたら、襲われてしまうよと、教えてあげるべきか、エミルは悩む。あるいはそれも純白の心にとっては不純物なのだろうか。
「……分かりました。僕に手伝えることなら、やらせていただきます」
「ではでは、早速」
歌い出しそうなくらいに、弾んだ声だった。
(……本当に無自覚なのか?)
気を抜くと心が揺らぎそうになる……。
エミルは手渡された濡れ布巾と思しきものを少し絞ってから、姫の肩のあたりにそっとあてがった。
「ひゃんっ」
「大丈夫ですか!?」
「はい……冷たくて少し驚いただけです。どうぞ続けてください」
「……し、失礼します」
肩口から肘までをゆっくりと拭いていく。二の腕や、
腕を拭き終えると、
(――やるしかない!)
肩から首もとに、濡れ布巾を滑らせる。
まずは首周りをさっと拭き上げ、そして男子禁制の地へと下りていく――。
「あんっ、んっ……」
それはもう誰がどう聞いても完全に喘ぎ声であった。
「ごめんなさいっ!!」
谷間に差しかかっていた手を離すと、エミルは勢いよく頭を下げた。
「エミル様?」
「ごめんなさい!」
「どうして謝られるのですか? 続きをお願いします」
「はっ、はい!」
手の中ですっかり温くなった濡れ布巾を、安全な場所――胸より上の部分――にあてがう。
それをゆっくりと下ろしていくと、
「あっ、んっ……」
またしても喘ぎ声であった。
「ごめんなさい!」
反射的に手を離しそうになったが、根性で抑え込んだ。同じ過ちを繰り返すと、姫を不快にさせてしまうかもしれない。
柔らかい双丘を押しのけながら、濡れ布巾を下へと進ませる。
「あっ、はあっ……」
熱っぽい吐息が顔にかかる。
「ご、ごめんなさ――むぐっ!?」
エミルの唇が何かで塞がれた。
もしや! と思ったが、思い浮かべたものとは触れた感じが違う。
これは包帯だ――つまりは姫の手だ。口を押さえたのは「謝らなくていいよ」ということだろうか。
エミルは生温かい濡れ布巾で、胸の
「あっ、んんっ……」
色っぽい声が、エミルの手の動きに合わせて響く。
山頂付近を残して胸を拭き終えると、いよいよ下の方へと――さらにアンタッチャブルな領域へとさしかかる。腰から下は、未経験の青年にはどこもかしこも刺激的すぎる。
一度後ろを向いてもらい、背中からやっていこうかとも考えたが、諦めた。なんとなくだが、姫に断られそうな気がしたからだ。
生ぬるくなった濡れ布巾を――太ももから膝へ、膝から足首へ――這わせる。
「はっ、んっ……」
姫の声が艶かしく響く。
エミルは、この特殊なシチュエーションに大いに興奮しながらも、姫のおみ足を持ち上げ、指と指の間まで丹念に拭いていった。
だが足が終わると、いよいよ拭ける場所もなくなってくる。
「姫様、後ろを向いていただけますか?」
恐る恐るたずねてみた。
「あら、まだ拭いでいないところがありませんか?」
つくづく楽しげな声だった。
「でも、そこは……」
「そこは?」
血が一ヵ所に集まっていくような感覚……。
エミルは突如、
糸が切れたように、体が崩れ落ちる。
「エミル様っ!?」
制御を失った体は、だが床を打つ前に、誰かに受け止められた。
何かクッションのようなものに顔面が埋もれている……。
(……息苦しい。……柔らかい。……温かい?)
「しっかりしてくださいっ!」
(……何だこれ? なんか落ち着くなあ)
もっと奥まで顔を沈めてみる。深さは思ったよりなかったが、顔を挟むようにかかる圧力がが増した。
「……エ、エミル様?」
(なんか変だな……この位置はおかしいよな……声が上から聞こえるし……まさかっ!?)
――しゅるる。
エミルがすべてを悟った直後、神の悪戯としか言いようのない偶然によって、目隠しの布の結び目が
闇に慣れた目に飛び込んでくる、朝の光。
そして彼女の裸。
――ぶふう!
という効果音こそなかったが、エミルは鼻から派手に血を吹いていた。
「エミル様っ!? エミル様ーっ!?」
「………ぐふっ」
麗しの姫に叫びかけられながら、エミルは意識を手放した。
前回の予告通り、
すこしHなテイストとなっております
微エロとかいうタグも追加しました……( ˙ө˙)
やりすぎた感も否めませんが。