おとボク2 オリ主   作:まーりゃん000

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第5話

 春の麗らかな陽気が眠気を誘う、食事後の休憩時間。

 自分の席に座って窓を眺めていたクリスは、うとうとと微睡んでいた。

 空気は澄んで、空は晴れ渡り、そよ風が木々を揺らして子守歌を歌う。

 クリスの至福の時だった。

 

 眠りに入るまでの、何ともいえない良い心地。

 それがクリスは好きだった。

 けれどそれは、眠りに入るまでのほんの僅かな時間。

 出来る限り伸ばしてみるけれど、その先には本格的な眠りが待っている。

 それを避けようと思うなら、起きるしかないのだけれど。しかしそうしてしまうには余りに甘美なこの時間。

 まぶたは完全に閉じられて。もう身体を机に預けてしまおうか、と回らない頭で考えたクリスを起こしたのは、薫子の声だった。

 

「おーい。クリスー? 起きてるー?」

 

 どこか間延びした声で呼びかけられて、まぶたを開く。

 光を浴びながら微睡んでいたせいか、やや緑がかって映る世界に薫子が立っていた。

 

「薫子……ええ、起きてますよ。何か用ですか?」

「用ってほどじゃないけど、寮母さんに泊りの許可をもらったからさ。いつにするかなー、って思って」

 

 そう言われてクリスは、ケイリに予定があっただろうか、と考える。

 しかし、不特定の人と関わることを避けてきたクリスたちだから、予定などそうありはしない。

 

「そうですね。私もケイリも、予定と呼べるほどのものはありませんから、薫子たちの都合の良い時で構いませんよ」

「うーん。じゃあ、来週の金曜日にしよう! 今週は初音も由佳里お姉さまも忙しそうだしね」

「ではケイリにもそう伝えておきます」

「うん、よろしくね」

 

 とは言うものの、クリスは参加しないつもりだった。

 より正確に表すなら、参加するにはあまりに危険だった。

 

 いつの間にか、寮に遊びに行くという話は泊ることが前提になっていた。

 単に一緒に遊ぶだけなら喜んで参加したが、泊りとなるとどうしても無防備になる部分が多く、危険が多い。

 そんな危険は冒せない――そう心の隅で考えなければいけないことに、嫌になる。

 いっそ女性であれば、何の気兼ねも無く薫子たちと付き合えるのに。

 

「ところでさ、クリスって何か部活とか入るの?」

「部活、ですか?」

 

 唐突にそう聞かれ、クリスはそれが何であるかに思い至るのに少しの時間を要した。

 

「うん。……もしかして、知らなかったりする?」

「ああ、いえ。知ってはいますが、そうですね……部活ですか」

 

 さすがに知らないというわけではなかったが、初めて尽くしの学校生活で、考える余裕はなかった。

 部活というのも、学校生活の楽しみの一つだろう。どこかに入ってみるのも良いかもしれない。

 

「習い事やってる人とかは、それを部活にしてる人も多いけど、クリスは何かやってた?」

「いえ、特にこれといったものは……強いて言うなら、護身術を少し学んだことがあるぐらいですか」

 

 護身術はある程度の必要に駆られて学んだが、それも最低限しか学んでいない。

 本当に狙われてしまえば、あまり役に立たないだろうというのが理由の一つだった。

 

「へー、護身術かぁ……フェンシングとか興味ない?」

「興味はありますが、どちらかといえば運動部よりも文化部の方が気になりますね」

 

 クリスがそう言うと、薫子は意外そうな顔をする。

 

「そうなんだ。運動が得意そうなイメージがあったから、ちょっと意外」

「確かに不得意ということはありませんが、どちらかといえば、ですかね」

「そっか。でも文化部はあまり詳しくないから……そうだね、来週から部活の勧誘が始まるし、そこで色々な部活を見てみたら良いんじゃないかな」

「部活の勧誘ですか?」

 

 意味するところは解るが、光景が思い浮かばず、クリスは首をひねった。

 

「うん。対面式が終わった後から新入生は部活に入れるようになるんだけど、色んな部活が新入部員を獲得しようとして、結構賑やかになるんだ」

「賑やかに、というのは少し想像できませんね」

 

 聖應の生徒たちは皆、賑やかだとか、騒がしいとか、そういった類の言葉とは縁がなさそうに思える。

 薫子と話すようになって緊張がほぐれたのか、他のクラスメイトたちも積極的に話しかけてくれるようになったが、そうなるまでのことを考えると、あまりそういう風には思えない。

 

「見てみれば解ると思うよ。お嬢様ばかりだし、大人しい子が多いのは確かだけど、違う人種ってわけじゃないからさ」

「ふふ、確かに」

 

 薫子のような人もいますしね、とは誤解を招きそうだから言わないけれど。それを考えれば、薫子の言葉はきっと間違っていないのだろう。

 

「でさ、クリスって運動どれくらいできるの?」

 

 少し話を戻して、薫子はそう尋ねて来た。

 

「どれくらい、と聞かれると答え辛いですね。比べたことが無いので……」

 

 考えてみれば、幼い頃は人並みに遊び回ることはあったものの、成長してからはあまりそういう機会も無かった。

 もちろん全く運動しないというのは健康に良くないので、それなりの運動はしてはいたが、逆にいえばそれだけに過ぎない。

 積極的に運動することはなかったし、またするわけにもいかなかった。

 それを考えると、普通の女性とそう変わりはないかもしれない。

 

「あ、そっか。じゃあ、明日が初めてになるんだね、体育」

 

 ええ――と。

 そう答えて、思い出した。

 何故今まで忘れていたのか。自分の愚かさに熱くなりそうだったが、それ以上に背筋が寒くなる。

 体育がある、ということはつまり――着替えを行わなければいけない。

 

「明日の4時間目だっけ? 楽しみだね!」

 

 いつもなら思わずこちらも口元を綻ばせてしまう、楽しそうな薫子の笑顔。

 しかし今日ばかりは悪魔が微笑んだようにクリスには思えたのだった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、姉さんは明日だったんだね。良かった」

 

 帰宅して、クリスはケイリと話した。

 

 ケイリも今日、体操着を受け取ったときに、着替えについて思い出したらしい。

 幸いにしてケイリは早速体育の授業があったため、着替えや更衣室についての情報を手に入れることが出来た。

 一応、入学するに当たって一通りの対策は考えはいたが、実践が間近に迫ると、どうしても確かめておきたくなる。

 だから、ケイリの情報は貴重だった。

 

「皆、やっぱりスタイルが気になるみたい。ちらちらと私に視線を向ける人は、少なくなかったね」

「そう、ですか……」

 

 なるべく注目を浴びたくないクリスにとって、それは喜ばしくない知らせだった。

 少し肌を見せたからといって、ばれるようなことはないとは思う。そういう風に育てられたし、努力もしている。

 けれど、見られることがないなら、それに越したことはないのだ。

 

「ロッカーは窓際のものが良いんじゃないかな。人がいないし、ロッカーの扉で身体を隠せばほとんど見えないと思う」

「なるほど」

 

 ケイリからの情報を基に、対策をより深く練る。

 できることならこのままずっと練り続けていたいのだけれど、明けない夜はなくて――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その時間はやってくる。

 

「あ、そろそろ着替えなきゃ。クリスも行こう?」

「え、ええ……そうですね」

 

 昼食を取った後。上の空で薫子たちと会話していたクリスを現実に引き戻したのは、そんな薫子の言葉だった。

 

「どうかした、クリスさん? なんだか今日は、いつもより落ち着かない感じだけれど」

 

 思わず反応が遅れてしまったクリスに、茉清がそう声をかける。

 

 茉清は、薫子の友人だったこともあり、比較的直ぐに話が出来るようになったクラスメイトの一人だった。

 薫子曰く気分屋で、実際、昨日のようにほとんど会話を交わさない日もある。

 けれど今日は積極的に会話に参加していた。

 

「そう、見えますか?」

「見えるね。体調が悪いとかであれば、早めに保健室に行くことをお勧めするよ」

「体調は大丈夫です。ただ、あまり集団で運動をする機会はなかったので……気持ちがどこか落ち着かないのは確かです」

 

 もちろん、実際は違うのだけれど、真実を言えるはずもない。

 緊張が段々と高まってきて、微かに自分の鼓動が聞こえる。

 

「そう。ならいっそ早く行ってしまった方が良さそうだな」

「じゃあ早く行こっか。楽しみだなー、今日は何やるんだろう?」

 

 何故だか死地へ赴くのが早まっていた。

 思わず逃げ出したくなる。が、そうするわけにもいかない。

 そう。いずれ訪れるなら、茉清の言うようにいっそ早く行ってしまえばこの緊張から早く解放されるのではないだろうか。

 緊張でおかしくなってきた頭でクリスはそう考え、刷り込みされた雛鳥の如く薫子たちの後を追ったのだった。

 

 そして、直ぐに後悔した。

 

「あちゃー、もう結構人いるね」

 

 薫子の言う通り、既に更衣室には少なくない人数がいた。

 女の子の匂いがする。慣れたはずの匂いだったけれど、ここは教室よりも濃くて、改めて女の子の中に居るのだと意識させられる。

 そして更衣室なのだから、当然着替えている女の子もいる。視界を占める肌色の割合が多い。

 

 けれどクリスが一番気後悔した理由はそれらではなくて、ドアを開くなり集まった女の子たちの視線だった。

 

 普段から見られることは多いが、いつもとは違う。クリスはこの中で着替えなければならないのだ。

 それに、普段よりも視線が多い。隣のクラスの生徒も混じっているからだろうか。それとも、外国人のスタイルが気になるのか。

 どちらにせよ、クリスに注目が集まっていることは確かだった。

 

「クリスさん、こっち」

 

 視線にたじろいていたクリスは、その言葉で我に返る。

 声の先では、茉清が薫子と並んでロッカーを確保していた。

 

「あ……」

 

 そのロッカーは、部屋の窓際だったけれど、扉の開く方向が違うため、身体が隠せないものだった。

 ロッカーの扉で身体を隠すという対策は意味をなさない。

 

「ありがとうございます……」

 

 だからといって折角取ってもらったロッカーを避けるのは得策とはいえない。

 怪しいし、薫子たちも避けられたようで気分が良くないだろう。

 

 ロッカーを開けて、持ってきた袋から体操着を取り出し、置く。

 この期に及んでは着替えないわけにはいかない。

 大丈夫、今までも大変なことはあったけれど、上手くやってきた。

 そう言い聞かせ、上靴を脱いでジャージのズボンに足を差し入れる。

 

「あれ、クリスはジャージなの?」

「っ、はい」

 

 何ということのない言葉なのに、思わず反応してしまった。

 辛うじて表情には出なかっただろう。けれど、反射的に顔を上げて、それを見てしまう。

 薫子と茉清の、下着姿。白く、柔らかそうな肌。

 普段は覗くことのできないそれを見て、薫子たちが女性であると――殊更に意識してしまう。

 きっと顔は赤らんでいるだろう。

 

「というか、随分ガードが堅いんだね、クリスさん」

 

 服をほとんど脱がずに着替えようとしているクリスを見て思ったのだろう、茉清はそう言った。

 そしてクリスはその言葉で、少し平静を取り戻すことが出来た。

 予想はしていた言葉だったから、答えも用意してある。

 

「そ、その……家族以外と着替えることは、あまり、なかったので……」

 

 言外に、他人に肌を見せることが恥ずかしいのだと含ませる。

 少しわざとらしくなってしまった気もしたが、茉清は納得したようだった。

 

「そういえば、温泉旅行に来た外国人も、一緒にお風呂に入ることを恥ずかしがるらしいしね」

「クリスって意外と恥ずかしがり屋なんだね」

 

 そう言って薫子たちは、視線をクリスの方から外す。

 会話が聞こえていたのか、周りの女の子たちからの視線も少なくなったように思う。

 今のうちに、と背中のファスナーを下ろしてワンピースを脱ぎ、ブラウスのボタンを手早く外す。

 クリスの肌が露わになる。

 女性として見るなら、小振りな胸。クリスの胸は偽物だから、サイズに意味はないのだけれども。

 胸は黒いブラに、同じ色の透けたレースのチューブトップブラを重ねて、胸が隠れるようにしていた。

 クリスの胸は、素のままでも一見して偽物だとは分からないだろうほどに精巧なものだけれど、隠しておくに越したことはない。

 

「よし、行くぞー! クリスも着替えた?」

 

 どきりとした。

 着替え終わった薫子がこちらを向いたのだ。

 答えを返すのは後にして、慌てて体操服の上を着てしまう。

 

「はい、今」

「じゃあ行こうか。……どうかした? 薫子さん」

 

 同じく着替え終えていた茉清が、クリスに視線を向けたまま逸らさない薫子にそう尋ねる。

 

「クリスってさ――」

「は、はい」

 

 ばれた訳はない――そう思っていても、意味ありげに見つめられると緊張する。

 

「け、けっこうセクシー、だね」

「………………はい?」

 

 思い掛けない言葉に、呆けた声を出してしまった。

 

「だ、だって、ブラジャーも黒でちょっと透けてるし、なんかちょっと映画に出てきそうな感じで……」

「……薫子さん。気持ちは解らないでもないけど、自分が変なことを言っている自覚はある?」

「えっ? へ、変かな?」

「少なくとも、敢えて言葉にすることではないんじゃないかな」

 

 変だ、と言われて慌てる薫子に茉清は冷たくそう言う。

 

「えっと、その……有り難うございます……?」

 

 とりあえず、今は難関を乗り越えたことにほっとするのだった。

 

 

 


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