New game起動?
世間を騒がせたとあるゲームがクリアされてからひと月。
未曾有のパンデミックも収まりを見せ、いまでは死闘を繰り広げたドクターたちの生活も、平和な日常そのものへと戻っていた。
「なあ、永夢。おまえ宛に手紙が届いてたぜ」
「本当に? いや、でもCRに個人宛の手紙が届くのっておかしいような……」
いま、電脳救命センター――通称CR――でパンデミックの再発防止策や、パンデミックの被害にあった人々の術後経過を確認して回っていた宝生永夢は、自分の元へとやってきた青年が手に持つ手紙を受け取るが、その顔はどうにも怪しんでいるように見える。
しかし、封書には自分の名前がしっかりと刻まれていた。
「特に嫌な感じはしなかったぞ?」
「手紙から嫌な感じを感じ取れたなら苦労はしないって。中に入っているのはただの手紙だとは思うけど、黎斗さんからだったら絶対に面倒事だしなぁ……」
永夢が思い浮かべるのは、自分と共にとあるゲームをクリアし、パンデミックに対しての抗体を作り上げた男なのだが、いかんせん日頃の言動に振り回された経験しかないため、彼からの厄介事の押し付けではないかと疑っているのだ。
そもそも、手紙を持ってきた相手が相手なだけに、余計に黎斗との関連を思い描いてしまう。
「パラド、念のために聞きたいんだけど、これは誰から?」
自分に手紙を持ってきた青年――パラドに問いかけると、彼はため息をひとつ吐きつつも口を開く。
「つまらないこと聞くなよ、永夢。それに、俺は誰からの手紙かなんて知らないぜ? なにせ、ゲームをしていて気がついたら机の上に置かれていたからな」
だが、パラドは衝撃的な事実を話始めた。
「ゲームに集中し過ぎていたとかじゃなくて?」
「さすがの俺でも人が近づけばわかる。第一、CRは全員出払ってて俺しか残っていなかったじゃないか」
「それはそうだけど……」
数時間前、CRに集まった永夢の仲間たちは全員、衛生省からの指示もあってか外に出ている。一応誰かいないとということでパラドが残ってくれていたのだが、それでは手紙が届いていることと辻褄が合わない。
「ポッピーが手紙を置いてすぐに出かけたとかは?」
「それこそ、俺が気づかないわけないだろ。ポッピーが来ていたのなら、同じ存在である俺が把握していないはずがない」
「となると、同時に黎斗さんもないか。他の人たちなら、手紙なんて書かずに連絡してくるだろうし」
パラドから受け取った手紙。
手に持つ限り、中身は薄い。便箋が一枚、畳まれて入っていればいい方だ。
しかし、困ったことに永夢の仲間の中にわざわざ手紙を書いて自分に出すような人はいないのだ。というよりも、お互いに回りくどいことをするよりも口で言った方が理解し合えるため、そうしたことを今更するような間柄ではない。
「ますますわからないな……」
「だったら開けてみればいいじゃないか。どうせ永夢宛の手紙なんだ。おまえが中身を確認するぶんには、なにも問題ないだろ?」
確かにそれは間違っていない。
この手紙は、まさに自分に届けられたもの。
「そうだね、開けようか。どうか、黎斗さんの新しい連絡手段や面倒事じゃありませんように」
過去、あらゆる手段を使ってきた彼の嫌がらせや手助けを思い出しながら、手紙の封を解く。
興味が湧いたのか、最初から持っていたのかは定かではないが、パラドも横から覗き込むようにして内容を確認しようとしていた。
「永夢、早く早く」
「僕宛なんだけど……まあいいか。じゃあ開けるよ」
自分のところに手紙を届けにきたパラドのことだ。ここで見せないよう努力しても、その後に内容を話すまで聞いてくるだろう。というところまで考えた永夢は、諦めて中身を取り出す。
「今後の僕らの予定ってわけでもないな。なんだろう、この文」
「もったいぶるなよ。なになに?」
二人して内容に目を向けると、そこに書かれていた言葉に、永夢は首を傾げ、パラドは薄く笑みを浮かべた。
『悩み多し異才を持つ少年少女に向ける。
その才能を試すことを望むのならば、
己の家族を、友人を、財産を、世界の全てを捨て、
我らの”箱庭”に来られたし』
だが、読み終えた瞬間、永夢の体が光の中へと消えていく。
「永夢!?」
パラドが瞬時に手を伸ばし、永夢の手へと触れる。
直後、パラドの姿が粒子のように掻き消え、そして、永夢も光の中へと姿を消した。
自分の身に起きた出来事が理解できないまま、永夢は更なる窮地に立たされていた。
「な、なにこれ!?」
いきなり光の中に吸い込まれたかと思えば、空中に投げ出される形になるとは誰が予想しただろうか? それも、目測でだが上空数千メートルと来た。
「これはいくらなんでも――他にも人が!」
自分が落下中なのはわかったが、辺りを見渡すと、他にも三人、自分よりも幼い少年少女が落ちていくのが見える。
これまでも戦いの中でステージを変えてきたことはあるが、原理が同じとは思えない。ここがゲームエリアなはずがないのだから。
「前みたいにゲームの世界に呼ばれたのか? ああ、もう! とりあえずは……」
眼下に広がる世界は、広大だ。
木々が生い茂る森や滝。崖のような場所もある。けれど、このまま落下を続けたときの自分たちの落下地点は幸いにして湖だった。
この高さからの落下となると、衝撃はすさまじいものになるだろう。
ならば幸いとは言い難いのだが。
それでも、信じているものもある。ひとつのゲームを通してわかりあった、通じ合った心があることを。
(僕たちを守るための膜が張られているなんて言われたら、信じるしかないじゃないか)
そして、もうひとつ。
「開始早々にゲームオーバーになるような世界があってたまるか!」
忘れていたが、宝生永夢は生粋のゲーマーなのだ。
一部思考も、ゲームが基準になる程度には。
もしものことを想定し、あるものを握りしめていたが、ついぞ持っていた物を使うことはなく。
一緒に空中落下を果たした四人は、一切の衝撃を受けずにもれなく湖へと落ちていった。
「なんなんだこの仕打ちは。死ぬかと思ったぞ」
結論から言えば、無事だった。
永夢は陸地よりも遠い地点に落とされたため、陸地に上がる頃には、空中で見かけた三人はすでに服をかわかしたりと行動を開始しており、それぞれが罵詈雑言を吐き捨てていた。
「し、信じられないわ! まさか問答無用で引き摺り込んだ挙句、空に放り出すなんて!」
「右に同じだクソッタレ。場合によっちゃその場でゲームオーバーだぜコレ。石の中に呼び出された方がまだ親切だ」
「…………いえ、石の中に呼び出されては動けないでしょう?」
「俺は問題ない。他の奴らが同じとも思ってないけど、俺は平気だ」
「ふうん……貴方、かなり身勝手な人なわけね」
なにやら黒髪ロングの少女とヘッドホンの少年が言い合いを始めたので、陸地に上がったばかりの永夢は仲裁に入ろうと間に立つ。
「まあまあ。いまは僕たちがどうしてこんな状況に陥っているのかを先に話し合うべきで――」
「必要ない。あんたは引っ込んでな」
「あら、これは私たちの話よ。関係ない人は出てこないでくれるかしら」
割り込んだものの、すぐさま二人に押し返され、思ってもみない行動に踏ん張りが利かず、数歩後ずさったのち、間抜けな声を上げながら、またも湖へと足を滑らせてしまった。
「なっ、あ――ッ!?」
「運のない……」
もう一人。
猫を抱いている少女の呟きを最後に、永夢は再び水の中へと沈んでいった。
「さて、俺たちがいがみ合う意味もないし、建設的な話をするか」
「そうね」
そんな彼の姿を見ていた少年たちはここまでの遣り取りがなかったかのように向き合い、自然と話し合いを始めた。
「まず間違いないだろうけど、一応確認しておくぞ。もしかしてお前達にも変な手紙が?」
「そうだけど、まずは"オマエ"って呼び方を訂正して。――私は久遠飛鳥よ。以後は気を付けて。それで、そこの猫を抱きかかえている貴方は? 」
「………春日部耀。以下同文」
「そう。よろしく春日部さん。それで、野蛮で凶暴そうなそこの貴方は?」
「高圧的な自己紹介をありがとよ。見たまんま野蛮で凶暴な逆廻十六夜です。粗野で凶悪で快楽主義と三拍子そろった駄目人間なので、用法と用量を守った上で適切な態度で接してくれお嬢様」
「そう。取扱説明書をくれたら考えてあげるわ、十六夜君」
「ハハ、マジかよ。今度作っとくから覚悟しとけ、お嬢様」
三人が自己紹介を終え、後ろを振り返る。
そこには二度湖に投げ出された永夢が疲れた顔をして立っていた。
「最後に、白衣を着た貴方は?」
「おいおい、お嬢様。白衣を着ているんだから答えなんて決まってるだろ? こいつは科学者だよ」
「科学者にしてはちょっと……抜けてると思う」
散々な扱いであるが、このくらいなら。そう、このくらいならまだマシかもしれないと思い留まる永夢。
「僕は宝生永夢。聖都大学附属病院に勤務している研修医だよ。よろしくね」
「なんだ、やっぱり医者か。よろしく頼むぜ、お医者さん」
集まった面々を見て心からケラケラ笑う逆廻十六夜。
傲慢そうに背を向ける久遠飛鳥。
我関せず無関心を装う春日部耀。
医者として三人の検診をしようかと動き出す宝生永夢。
そんな彼らを物陰から見ていた黒ウサギと呼ばれるウサ耳の少女は、四人を紹介した人物であり、迎えに来た人物でもある。あるのだが……。
(うわぁ……なんか問題児ばっかりみたいですねえ……唯一の希望はあの白衣の方でしょうか)
召喚しておいてアレだが、彼らが協力する姿は客観的には想像できそうにない。無理に協力させれば被害を被るだろう。
黒ウサギは陰鬱そうに重くため息を吐くのだった。
「で、呼び出されたはいいけどなんで誰もいねえんだよ。この状況だと、招待状に書かれていた箱庭とかいうものの説明をする人間が現れるもんじゃねえのか?」
「そうね。なんの説明もないままでは動きようがないもの」
「………この状況に対して落ち着き過ぎているのもどうかと思うけど」
「それより、みんな痛いところや気になる箇所はないよね? 平気?」
(全くです。というか白衣の方はみなさんの心配が先なのですか……)
黒ウサギはこっそりツッコミを入れた。
もっとパニックになってくれれば飛び出しやすいのだが、場が落ち着き過ぎているので出るタイミングを計れないのだ。
「――仕方がねえな。こうなったら、そこに隠れている奴にでも話を聞くか?」
「なんだ、貴方も気づいていたの?」
「当然。かくれんぼじゃ負けなしだぜ? そっちの猫抱いてる奴も、お医者さんも気づいてるんだろ?」
「風上に立たれたら嫌でもわかる」
「うん、まあ。僕の場合は気づいたのが僕とは言い難いけど」
「……へえ? 面白いなお前達。特にお医者さんはな」
軽薄そうに笑う十六夜の目は笑っていない。永夢以外の三人は理不尽な招集を受けた腹いせに殺気の籠もった冷ややかな視線を黒ウサギに向ける。黒ウサギはやや怯んだ。
「や、やだなあ御三人様。そんな狼みたいに怖い顔で見られると黒ウサギは死んじゃいますよ? ええ、ええ、古来より孤独と狼はウサギの天敵でございます。そんな黒ウサギの脆弱な心臓に免じてここは一つ、白衣の方のように穏便に御話を聞いていただけたら嬉しいでございますョ?」
「断る」
「却下」
「お断りします」
「知っていることを全部話してくれるのなら、僕は構いませんよ」
「え、本当にございますか!? でしたらさっそく――」
「でも、僕は医者としてメンタルケアも必要と考えているので、十六夜くんたちの気が済んだらでお願いします」
「――……あっは、取りつくシマもないでございますよ!?」
バンザーイ、と降参のポーズをとる黒ウサギ。
しかしその眼は冷静に四人を値踏みしていた。
黒ウサギはおどけつつも、四人にどう接するべきか冷静に考えを張り巡らせている――と、春日部耀が不思議そうに黒ウサギの隣に立ち、黒いウサ耳を根っこから鷲掴み、
「えい」
「フギャ!」
力いっぱい引っ張った。
「ちょ、ちょっとお待ちを! 触るまでなら黙って受け入れますが、まさか初対面で遠慮無用に黒ウサギの素敵耳を引き抜きに掛かるとは、どういう了見ですか!?」
「好奇心の為せる技」
「自由にも程があります!」
「へえ? このウサ耳って本物なのか?」
今度は十六夜が右から掴んで引っ張る。
「………じゃあ私も」
「ちょ、ちょっと待――!」
今度は飛鳥が左から。
永夢はそんな四人の光景を楽しそうに眺めていた。
(この世界、やっぱり何か変だ。あのウサ耳……いいや、僕の知っているゲームに一致するキャラはいない。ということは新しいバグスター? 決めつけるのは早いな。まずは話を聞いてみないことにはどうしようもないか)
今後の身の振り方を決めかねる中、自分の中にいるもう一人と話し合いを続けながら、三人の気が済むのを待つことにした永夢だった。
新たなゲームは、いまだ始まってすらいない。