風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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今章最終話です。


第八話 必要な応え

 

 

 

 ――一度だけ、吹羽と霊夢の弾幕ごっこを見た事がある。

 

 あれは確か、記憶の壊れた吹羽がやっとの事で調子を取り戻してから、しばらく経った頃だった。

 一人で生きて行く上で出来るようになっておいた方がいい――そう語り、彼女に弾幕ごっこを教えたのは霊夢である。基本的な概要と立ち回り、簡単なコツ、なけなしの霊力をうまく扱う術など、少々不慣れながらも真摯に教鞭を振るっていた彼女の姿は実に印象深い。

 聞き及べば、ルールなどの覚えておかなければならない事以外は、殆どを実戦を交えて教えていたそうだ。

 ――阿求が目撃したのは、そんな日々のある一戦だった。

 

 思い起こせば、これもまた印象深い記憶である。

 数多の記憶と知識を保有する阿求の脳内にあって、しかしそれは他に圧倒される事なく強い色を放っていた。

 珍しいな、と思ったのだ。

 

 何が珍しいって、あの霊夢が表情一杯に笑っていたのだ。

 普段なら絶対に見られない、感情の花が満開になった様な美しい――しかし何処か獰猛な笑顔。素の美少女っぷりも相まって、同性である阿求ですら一瞬見惚れたほどである。

 彼女がこれ程楽しげな表情をするのは、珍しい事なのだ。

 

 霊夢の感情が希薄だ、と言うわけではない。むしろ彼女は感情豊かな部類だろう。

 彼女の周囲の人妖は、その様々な個性でもって様々な接し方をする。それが友好的であれ敵対的であれ、何の感情も抱かないで相手をするなど正に不可能だし、何より霊夢は年頃の女の子だ。思春期真っ盛りである。

 ただ、それら全てを、彼女自身の大人びた思考回路が押さえ付けているだけ。冷静且つ、時には非情にすらなれるその考え方が小さい頃から根付いているために、彼女の今日の性格が出来上がっているのだ。

 だからこそ――阿求から見て、感情が思い切り顔に出た霊夢は珍しかった。

 

 そして霊夢のそんな感情を表に引っ張り出したのは間違いなく、その時彼女と弾幕を交わしていた吹羽だった。

 彼女との血湧き肉躍る激しい弾幕ごっこが、霊夢の内に潜む僅かな興味と興奮を強く刺激したのだ。

 

 実は、吹羽の言葉――人間相手には『撃ち合い』が出来ない――には少々語弊がある。正確に言うのなら、“防御手段を持たない相手には撃ち合いが出来ない”のだ。

 吹羽が『撃ち合い』を拒むのは当然ながら、彼女の使用する武器達が死の危険性を孕んでいるからだ。それについては最早語るべくもないだろう。お遊びの決闘で命を落としたなんて事になったら目も当てられないし、“それを考慮すべきである”という事は、先程真っ二つに断ち切られた大木が何よりも明確に物語っている。

 しかし逆に言えば、その危険性さえなければ吹羽でも『撃ち合い』が出来るという事である。

 基本的にその多くが特別な能力を持たない人間は、当然彼女の武器を防ぐ術を持たない。それを一般論として認識している故に、吹羽は人間とは『撃ち合い』をしない(・・・)のだ。

 

 ――しかしここでの例外が、霊夢である。

 

 彼女は人間だ。

 生粋の人間だ。

 しかし、結界を扱える(・・・・・・)人間だ。

 それはつまり、“防御手段を持った人間だ”と言う事である。

 

 吹羽との訓練に於いて、霊夢は結界を用いる事で彼女との『撃ち合い』を実現したのだ。言わば全ての武器を使用解放した、万全状態の吹羽との戦闘を。

 ――その時の霊夢が、とても楽しそうな笑顔をしていたのだ。

 霊夢とも以前から交流のある阿求からして、新たな玩具(おもちゃ)を手に入れた無邪気な子供のような笑顔。今まで見た事のない程の、歓喜の笑顔である。

 霊夢はその高い実力故に“敵”と呼べる者を持たず、弾幕ごっこに仕事以外の意味を見出してはいなかった。魔理沙のように“楽しむ”など思い付きもしなかっただろう。

 しかし、阿求は思う。

 吹羽という才能を目の当たりにして、彼女は計らずも嬉しくなったに違いない。思わず顔が笑ってしまうほど、吹羽との弾幕ごっこが楽しくなったに違いないのだ。

 ――そう確信できる笑顔だったのを、鮮明に覚えている。

 

 ああ、勿体無い。実に勿体無い。

 吹羽と魔理沙の弾幕ごっこを嘱目しながら、心の底からそう思う。

 魔理沙ほど弾幕ごっこが強い存在も多くはいない。魔理沙ほど弾幕ごっこに興味を示す人間もそうはいない。

 だからこそ――勿体無いのだ。

 

 感情を多くは表に出さない霊夢でさえ、楽しくなって笑顔を零すほどの才能と弾幕ごっこをしているというのに、今の魔理沙ではこの一戦を本当の意味では楽しみ切れない。

 今でさえあの時の霊夢と同じ様な歓喜に打ち震えているであろう彼女が、『耐久スペル方式』ではなく『撃ち合い方式』で“本気の”吹羽と戦ったならば、一体どんな表情をするのだろう。一体どんな気持ちになるのだろう。

 

 眼前で続く吹羽と魔理沙の弾幕ごっこを見守りながら、阿求はずっとそんな事を考えていた。

 そしてその根底にある想いとは、なに、底抜けする程に単純極まりない。

 吹羽さんはこんなにすごい子なんですよ――と、強者に類される魔理沙に見てもらいたかったのだ。

 まるで我が子自慢をする母親の様な心境だ。ちょっと恥ずかしくもある。でも、それをちゃんと理解していながらそれでもそう思ってしまうのだから、案外自分は吹羽に魅せられている人間の一人なのかも知れない。

 苦笑して、小さく息を吐く。

 それでもまぁ、いいか――と思った。

 

 “私の友達はすごい人なんだ”と誇らしく思う。それが例え、相手の意思や意見など全く介さない独り善がりな自己解釈だとしても、その何処が悪いというのか。

 決して吹羽を蔑ろにしようなどとは思っていない。ただ阿求は、彼女に自分を過小評価し過ぎる部分があるのを知っていた。

 吹羽が自分自身を下に見る分だけを正当に補正して、自分は彼女に至極真っ当な評価を下しているのだ――そんな阿求の考え方は自己満足に近くもあったが、その根底には確かに、吹羽に対する母性的な優しさが見え隠れしていた。

 

「(だから――魔理沙さん。願わくば、あなたが吹羽さんにとって良い友人でありますように……)」

 

 上空を駆け抜ける巨大な閃光と、その照射源にいる少女を見遣る。

 戦闘の余波に揺れる髪を手で押さえながら、阿求は、僅かに目を細めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――マズい。

 ――マズいマズいマズいッ!

 視界いっぱいに広がる虹色の星々を視界に捉えながら、吹羽は内心でひたすらに叫んでいた。

 そうでもしていないと――無意識に叫んでいる節も確かにあるが――魔理沙のスペルを前に、足が竦みそうになるから。

 決して魔理沙を侮っていた訳ではない。事実、一枚目のスペルで残機の半分は削られてしまった訳だし、むしろ必死で食らいついているのは吹羽の方だ。驕る道理も余裕もない。

 しかし、それでも吹羽の予想を遥かに超えていたことには変わりないのだ。

 

 吹羽に向けられた二枚目のスペルは、その威力が先程の比ではなかった。

 星弾の大きさもさる事ながら、その量までもが増加してとんでもない物量に達している。比例して弾幕の隙間は更に狭まっているし、極め付けはその中空を駆け抜ける虹色の光――というか、超巨大レーザー。

 魔理沙がスペルを唱えた直後から、吹羽はもうずっと半泣きである。

 

「はぁっ、はぁっ、ちょ、魔理沙さんっ! なんでこんな強いのっ、ボクなんか相手に……唱えたんですかぁっ!?」

「なぁ吹羽、考えてみろよ……自分の本気を相手にぶつければぶつける程、自然と距離も縮まっていく感じがする――それって、いい事だと思わないか?」

「意味分かんないですよぉっ!!」

 

 したり顔で妙な事を語る魔理沙に叫び散らし、余裕がないとばかりに振り向き際で刀を振るう。丁度真後ろに飛来していた弾幕を真っ二つにすると、ほぼ同時にその背後に飛んでいた弾幕も幾つか斬り裂かれた。

 ホッとするのも束の間、一際強い光を視界に捉えたのはその直後である。

 疲労で上手く動かない身体を反射で無理矢理動かして屈んだ刹那、吹羽のすぐ上を虹色の閃光が駆け抜けた。

 

 轟ッ、という、身の震え上がるような裂音が無遠慮に耳に突き刺さる。

 訓練時に見た、霊夢の放つ“大きな光珠”ですら怖かったのに、その何倍もの大きさを誇る超火力レーザーなど正しく戦慄もの。正しくトラウマもの。――というか、今ちょっと掠ったんですけど。

 

「くぅぅ……り、理不尽ですぅ……」

 

 背中に寒気を、目尻に熱いものを感じて、絞り出すようなか細い声が無意識に零れた。

 吹羽だって、魔理沙に悪気も殺意もないのは百も承知である。きっと、その輝くように純粋な闘争心に基いて弾幕を放っているに違いない。自分との弾幕ごっこをあれ程楽しんでくれるのなら、むしろ嬉しいくらいでもあった。

 ――だがしかし、吹羽にも許容限界というものがある訳で。

 

 ただでさえ弾幕ごっこの経験は少なく腕にも大した自信が無いというのに、何故強者たる霧雨 魔理沙の苛烈な攻撃を受けなければならないのか。

 自分でも分かる。きっと泣き出しかけている時点で既に、自分の限界点は突破寸前なのだ。

 ああ、さっきの行動が悔やまれる。堂々と「――望むところです!」とか宣った直後にこんな醜態、恥ずかし過ぎて顔から火が出そうだ。穴があったら絶対飛び込んでる。両腕に(うず)めた顔は自分のものとは思えない程に熱いし、羞恥と後悔にぐるぐるぐるぐると頭の中を掻き回されて考えが全く纏まらない。最悪だ。こんな事なら初めから弾幕勝負なんて――。

 

 そんな、急転直下の悲愴思考を繰り広げている最中である。

 吹羽は不意に、弾幕の流星群がいつの間にか止んでいることに気が付いた。

 弾幕が中途半端に止まった事を少し訝しげに思いながらも恐る恐る振り向くと――僅かに高度を落とした魔理沙が、中空で満足げに笑っていた。

 

「いやいや、予想以上に耐えるもんだからびっくりだぜ。この『ファイナルスパーク』、わたしのスペルの中でも結構強力なヤツなんだけどな」

「ぅぅ……分かってましたよっ。唱える直前、スペルを持ち替えてたの見えましたもんっ!」

「あっはは! バレてたかっ!」

 

 からからと笑う魔理沙をせめてもの抵抗として睨んでみるも、全く効果がない事が彼女の様子から分かる。

 魔理沙は吹羽の抵抗など何処吹く風、上機嫌で懐に手を突っ込むと、一枚のカードを抜き出した。

 そして快活な笑顔で、

 

「初めはこれを使おうと思ってたんだが、お前が期待以上の動きをしてくれるもんだから急遽変更したんだ。

 このスペルじゃ、お前にとって役不足だろうからな」

 

 指に挟まれたカードが光を放つ。魔理沙がそれを明後日の方向へと向けた直後、光は次第に収束して幾本かの細いレーザーとなって放たれた。同時に鞭のしなりのような配列で放たれる星の弾幕は、早さも密度も先に引けを取らず――当然ながら、それが決して薄弱なスペルでない事は見ただけで分かる。

 

 ――ただ、それを見た吹羽の心境は感嘆でも関心でも感動でもなく、ただ小さな“憤慨”だった。

 上空から笑い掛ける魔理沙を、吹羽は未だ涙の浮かぶ瞳でキッと睨み付ける。

 

「ま、魔理沙さんは、ボクを過大評価し過ぎですっ! 幾ら一枚目のスペルにちょっと着いて行けたからって、敷居を上げ過ぎですよっ!」

「あぁん? 何情けない事言ってんだよ、吹羽。わたしはお前の事信じてるぜ!」

「言葉が薄っぺら過ぎますぅっ!」

 

 精一杯の怒声である。

 こんな事言いたくはないが、知り合って精々数時間の間柄の癖してどの口が“わたしは信じてる”と語るのか。

 

 仲良くする事と信じる事は別物である。少なくとも、吹羽にとって魔理沙はまだ信じ切るには早過ぎる相手だった。

 人柄は何となく理解出来ても、彼女の性質――“器”と言い換えてもいい――を把握するには時間が余りにも足りていない。信じ切るに値する要素が欠けているのだ。

 

 今回の事が良い例である。

 信じ合える程お互いの事が分かってはいないから、魔理沙は勝手な想像に影響されて、吹羽を過大評価してしまったのだろう。その結果が、あの『ファイナルスパーク』。

 勿論、本当の勝負ならそこに文句を挟む余地など無いが、これは言わば親善試合の様なもの。譲歩し合うのは当然の事なのだ。

 だと言うのに、魔理沙ときたら――。

 

「薄っぺらくなんか、ないさ」

 

 熱くなった吹羽の頭を、妙な程に落ち着いた声がさっと突き抜けた。

 それは吹羽の言葉に対する弁明でもなく、魔理沙お得意の屁理屈でもなく、ただ相手に何事かを悟らせようと試みるような穏やかな口調だった。

 当てを外れた声音だったばかりに、彼女の声はおかしな程吹羽の頭の中を反響した。

 

「言ったはずだぜ。わたしはこの戦いで、出来るだけ深くお前の底を見てみたい。それだけの価値がお前にはあると思ってる」

「……だから、それが過大評価なんですって――」

「違うな」

 

 ――ばっさりと、身体を真っ二つにされたようだった。

 

「お前はまだ、本気じゃあないだろ。“必死”ではあるんだろうが……まだ“本気”じゃない」

「な、何の根拠で――」

「何となく分かるんだよ、そう言うの。何度も戦いを経験するとな。相手がわたしを認めてるのか見下してるのか。楽しんでるのか面倒臭がってるのか。――全力なのか、手抜きなのか」

 

 玄人の勘、と言うべきなのだろうか。

 魔理沙の言葉は、『何となく分かる』という信憑性に著しく欠けるものでありながら、何処か自信と説得力に満ちていた。

 言い分は、共感出来る。

 吹羽は弾幕ごっこに関しては素人に毛が生えた程度の経験しか積んでいない。だから、魔理沙の感性に理解は得られなかった。しかし、その感覚(・・)には、確かに覚えがあるのだ。

 

 自分が、この手で鋼を打ち付ける瞬間。その高い音色と、散る火花。燃え盛る炎の色に、肌を撫ぜる風の流れ。それらを感じる五感と何処か直接的に繋がった己の思考――。

 吹羽が普段鍛治に勤しむ中で呼吸をするようにこなす工程のそれぞれで、理屈では説明出来ない、所謂第六感的(・・・・)な感覚が確かに発現しているのだ。

 だから、分かる。

 その領域に至る者にとって“理屈がある”事は、あくまで物事を見極める上での十分条件でしかないのだ。

 尚の事、吹羽には彼女の言葉を受けたが上で、押し黙ることしか出来なかった。

 

「本気も出してないお前を見て、過大評価も何もあるかよ。そんな状態の評価なんかに意味はねぇんだ。最終的に評価が過ぎてたかどうかはわたしが見極める事だし、そもそもそう言うのは終わった後に考えるもんだろ。まだ弾幕ごっこは終わっちゃいないんだ。――だから、信じてるぜ。お前の本気が、わたしに着いてくる事に、な」

「魔理沙さん……」

 

 結局は屁理屈なのだろう、と思う。

 多少の筋だけ通して、後は相手の言い分を否定する。もしくは言葉の隙間を縫って主張を通す。魔理沙お得意の屁理屈である。彼女との会話に辟易した霊夢の表情が、目に浮かぶようだ。

 しかし(・・・)――そう、しかし(・・・)だ。

 そんな無茶苦茶な理論であっても、彼女が向けてくる期待に混じり気がない事だけは、嫌という程に伝わる。

 親が我が子に向ける愛情のような、暖かい期待。自らの子の将来を夢見るような、大きな期待。

 透き通ったその感情だけは、水が染み入るように吹羽の心に届いていた。

 

 成る程、確かに薄っぺらくなんかなかった。魔理沙の言葉は本心で、真実で、玄人の勘に基づいた正当な(・・・)期待なのだ。

 ふと思い出す。そう言えば、腹の内を曝け出すために戦ってるんだっけ。

 お互いに曝け出して、その先で理解を得るために戦う。

 友達になる為に――戦っているんだった。

 

「(……そっか。そりゃあ、失礼ですよね)」

 

 こんなにも期待してくれているのに。こんなにも友達になろうとしてくれているのに。

 自分は特に苦労もせず弾幕ごっこを終わらせて、それなりに仲良くなれればそれでいい、などと考えていた。

 ――なんて、愚かな。

 相手の気持ちも考えず、適当に話を合わせて終わらせようなど、人間として恥ずかしくないのか。よくそんな面で彼女の前に立てたものだ。全く腹立たしい。

 

 本気で向かってきてくれるのだから、本気で相手をしなければならない。それが魔理沙に対する礼儀であり、彼女の要求であり――友達になる為に、必要な事だ。

 

「……“親しき仲にも礼儀あり”という諺があります。……ごめんなさい、魔理沙さん。ボク、とっても失礼な事しちゃってました」

 

 言いながら、立ち上がる。目尻に残った熱い露をぐしぐしと擦って払い、緩んでいた指にグッと力を込めて刀を握り直す。

 振り切るように刀を払えば――地面に鋭い斬跡が走った。

 

「必死だったのは確かです。怖かったのも確かです。……大事な戦いじゃあないと思って、躊躇ってた(・・・・・)のも確かです。だけど――今度は、“本気”でいきます」

 

 翡翠の瞳に、光が宿った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 よく、“人が変わったように”という表現を目にするが、実際にその光景(・・)を目撃する者は決して多くはないと思われる。『仮に目撃したとして』、なんて例を挙げるのも困難な程だろう。

 

 何せこの御時世、いくら幻想郷と言えど人出は何時だって足りていないし、雇用など有り余っている。

 飢え困り果てて”人が変わったように”金の亡者と化す者など居なければ、逆に富み過ぎて“人が変わったように”有頂天に陥る(・・)者もまた居ない。勿論金銭問題だけに留まる話ではないが、頭からどうにかこうにか捻り出す簡単な例としては十分に役立つことだろう。人が変わってしまう程に追い詰められる状況、というのが生み出されない点に関しては、幻想郷は実にバランスのとれた世界と言える。人間にとっても、妖怪にとっても。

 

 兎にも角にも、それはモノによっては相手への認識そのものが崩壊しかねない危うい現象である訳だが――偶然にもそれに似通った光景を目にした魔理沙は、むしろ歓喜を感じていた。

 

「……へへっ、その言葉を待ってたんだぜ、わたしは!」

 

 雰囲気が変わった――いや、確かに良い意味で“人が変わった”ように感じる。

 眼下で刀を構えた吹羽の姿は先程とは打って変わり、その美しい瞳が鋭い光を放っていた。

 つい数分前まで半泣きで逃げ回っていた弱腰の少女とは思えない豹変ぶりである。

 この変化は、相対さなければ決して分かり得ないだろう。それ程までの異様な雰囲気が、今の吹羽には纏わり付いているのだ。

 まるで何もかもを見透かされているような、背筋の薄ら寒くなる感覚。ぞわぞわっ、と駆け上がるような気味の悪い感覚だ。

 

 しかし、屈しない。彼女の変化は魔理沙自身が望んだ事であり、先程諭した結果そのものである。不満などあろうはずもない。況してや恐怖なんて。

 頰を走った汗を拭い去り、魔理沙は再度スペルカードを構えた。

 

「なら、ちゃっちゃと続きを始めようか――!」

 

 返事は聞かない。そんな暇など与えるつもりは無い。魔理沙は言葉の端に重ねるようにして、意識して止めていたスペルカード――魔砲『ファイナルスパーク』――を再び解き放った。

 両手で構えたミニ八卦炉から、魔理沙の身長を裕に超える虹色の閃光が噴き出す。その周囲を補うようにして遅れて放たれるのは、同じ色をした大粒の星の弾幕だ。

 これを遠慮無しにやったから吹羽を泣かせちまったんだよな……なんて、ふと心の端がちくりと痛んだが、取り敢えず今は気にしない。あとで様子を見て謝っとくとしよう。それに――今の吹羽ならば、泣きべそどころかむしろ積極的に挑んでくるだろう。その証拠に、彼女は主砲をひらりあっさりと躱してしまった。

 

「やるな、吹羽!」

「本気ですのでっ」

 

 主砲を難なく避けようが、それを補うために放っているのが星の弾幕である。魔理沙の周囲を守るように漂っていた星々は、突然表情を変えて吹羽に襲い掛かった。

 幾波にも及ぶ流星群の波。吹羽はそれに遅れず怯まず、確実に弾丸を斬って落としていく。それは前半の攻防を嘲笑うかの如く安定化された、余裕の動きだった。

 

 やっぱり、さっき迄とは全然違う――。

 彼女の何が変わって此処まで強くなったかは分からない。目で見て分かるのは所詮外見までで、魔理沙には心の内を見透かせるほど観察眼が鋭いつもりもなければ、戦闘の最中にそれが出来るほど余裕のつもりもない。強いて予想するならば“気構えの差”とも考えられるが、果たしてそれくらいの事でこれ程動きが変わるだろうか?

 

「(全く、面白い奴だなっ!)」

 

 星々による追撃の間に主砲の準備が整った。未だ弾丸は撃ち終わっていないが、撃つ順序に拘るつもりもない。

 魔理沙は次々放たれる弾丸を視界に収めながら、金色の瞳を鋭く細めた。

 

 弾丸が飛ぶ。配列に従ったそれは美しい軌道を描いて吹羽へと飛来するも、一太刀の下に斬り捨てられていく。彼女の白い柔肌に到達するモノは中々現れない。

 飛び、斬り払い、返す刃で舞うように斬り捨て、迫る弾丸に身を翻す。回転のままに刀を振り抜いて恐ろしく正確に星を斬り裂くと、眼前に飛来した弾丸を傾首して避ける。追撃を断ち斬るべく横薙ぎに刀を振るった――そこに、魔理沙は完全な死角を見た。

 

「そこだ――ッ!」

 

 掌に込められた魔力が、ミニ八卦炉を通して急激に膨張する。一瞬ではち切れんばかりに拡大、凝縮されたそれは次の瞬間、眩い虹色の光そのものとなって空を駆け抜けた。

 光と熱の暴風と化した魔理沙の魔力は、躊躇遠慮迷いの欠片も見せず空を引き裂き、凄まじい音を掻き鳴らして空間を支配する。

 それは最早、弾幕勝負に用いる控えめな威力のスペルカードとは思えない火力であった。

 

 完全な死角を、銃弾の如き速度で直径十尺にも及ぶ閃光が容赦無く焼き払う。溢れ出る光に彼女自身も目を眩ませながら、魔理沙は大きな手応えを感じてグッと拳を握り締めた。

 スペルはまだ数十秒と発動時間が残っている。しかし気絶させてしまえばそんなものは関係無い上、先程の主砲には威力、速度、タイミングと、勝利を捥ぎ取るだけの要素が詰まっていた。直撃は必至。そして喰らえば気絶も必至の一撃必殺。

 ――確実に、勝った(とった)

 魔理沙は確信して、頰を無意識に釣り上げた。

 

 ――これこそが、常に明るい彼女の日陰所――“短所”とも言えよう。

 短気で大雑把で、相手を見下す事こそ万一にもあり得ないが、各種実験の失敗よろしく至極簡単に油断する。

 吹羽が閃光に呑み込まれた姿も気絶した様子も見ていないのに、主観一つで勝利を妄信(・・)してしまうのも、彼女の典型的と言える悪い癖の現れだった。

 

 徐々に凋んでいく残光を眺めながら、魔理沙は勝利の笑みを浮かべる。そしてスペルカードを解除するべく、徐ろに指打ちを構えた。

 ――その時だった。

 

 ゆらり。

 視界の端で何かが踊る。

 柔らかそうだが鳥というわけでもなく、陽光の反射を感じるが舞い散る照葉樹の葉というわけでもない。

 魔理沙が“肝を潰す”感覚と共に垣間見たのは――場違いながらも見惚れそうになる程の、絹糸の如き純白の髪。

 

 ただひたすら、己の浅慮を呪わずにはいられなかった。

 

「――まだ終わってなんかないですよ、魔理沙さんっ!」

「おまっ、マジかよ! アレを避けたってのかぁッ!?」

 

 思わず喚きながら、慌てて弾幕を放ち直す。突然の発射で形がいまいち不安定に収まった弾幕は、当然ながら一太刀の下に消えていく。

 気絶どころか、吹羽はまだまだ活力に満ちていた。

 

「冗談だろ、あの速度で死角を突いたんだぞ……!? 本当にあれを避けたってんなら、そりゃ覚妖怪の所業だぜ!?」

「避けれてませんよっ。手に当たりました!」

「わたしにとっちゃ大して変わんねぇよ!」

 

 “手には当たった”? 違う、魔理沙にとっての論点はそこではない。

 今までも避けてはいたが、これまでとは明らかに回避のレベルが違ったのだ。

 完全な死角であり、それこそ心を読んででもいない限り回避不可能直撃必至の一撃を、あろうことか吹羽は避けてみせた。

 それは魔理沙に言わせれば、“離れ技”どころの話ではないのである。

 “手だけにしか当てられなかった”。

 彼女の何よりの驚愕は、その一点のみ。

 

 彼女に対して背を向けていたところから、更に言えば斬撃後の不安定な体勢のところから、果たして如何(いか)にして銃弾相当の速度を誇る超規模レーザーを避けるというのか、魔理沙には皆目見当もつかない。

 そしてそれを成し遂げた吹羽の反応速度は、客観的に見ても明らかに人間の領域を越えていた。それこそ、読心や未来予知でもしているのではないかと疑わざるを得ない程に。

 ――戦慄する他、無い。これは最早才能云々で片付くモノなのか?

 頬を伝った汗が、嫌に冷たく感じた。

 

 星の弾幕と光の主砲。微塵も動きが衰えぬ程に僅かな体捌きで避け続ける吹羽に、魔理沙は振り絞るように弾丸を放ち続ける。

 ――しかし、相も変わらず有効打には一歩足りない。弾丸も主砲も、幾ら狙いを澄ませて放とうとも、あと数寸の所で躱されるのだ。

 

「くっ……!」

 

 やがて、再度主砲のチャージが完了する。そして星の間隙で狙いを定めて放てば、いとも容易く避けられる。

 ――それをもう何度繰り返しただろうか。

 気が付けば、スペルの制限時間はあと十数秒の所まで来ていた。このままあと一発当てられなければ、魔理沙の敗北である。

 

「(いや――勝ちてぇッ!!)」

 

 手の内のミニ八卦炉が、魔理沙の手を焦げ付かせようと凄まじい熱を放っている。掌の肉が焼け付くようだ。それはまるで、早く勝って休ませろと、訴え掛けられているよう。

 言われるまでもない。

 魔理沙は小さな仕返しのつもりで、掌の“相棒”を強く握り締めた。

 

 あと十数秒。最後のコンマ以下まで使っても、勝てるかどうかは分からない。今の吹羽はそれだけ強くて、それだけ魔理沙を追い詰めているのだ。

 ――上等じゃないか。元々こちらから持ちかけた話、ここで全てを出し切らずに何とする。

 全力で応え合ってこそ、“腹の内を曝け出す”と言うのだ。己が内に燻る何もかも、取り敢えずは全てかなぐり捨てて吐き出してしまえ。そしてそれを、目の前で舞踏する小さな強者に叩き付けろ――。

 

 当然、それで“全てを”分かり合えるなどとは思っていない。だがそうして得た理解は、一般に成立する“友情”と呼ばれるものよりも強固と成るモノ。それは、事実だ。

 そして魔理沙が吹羽に求めるものもまた、それに限りなく近しいものなのだ。

 

「さぁ――ラストスパートだぜッ!」

 

 ミニ八卦炉を構える。周囲を揺蕩う星々は、最後の力を振り絞るように強く輝き、高速――否、絶速の嵐となって吹き荒ぶ。吹羽はそれを、やはり、事も無げに避けた。

 その光景でさえ並一般の人間では体現し得ない事は分かっていながら、最早魔理沙に驚きはない。

 まぁそうだよな、今更これくらいの弾幕を避けられない訳がない。

 ただそれだけで流すに足る。

 

 あと十秒――。

 星々に紛れて放つ主砲が、烈風を纏いて空を裂く。飛んでいた星の弾幕を錐揉み状に巻き込んで飛ぶも、吹羽は主砲を避けた上で追撃する星をも斬り裂いた。

 汗の滲む額を拭いもせず、その視線は真っ直ぐに魔理沙へと。

 

 あと六秒――。

 錐揉み回転する星を処理されてすぐ、ぞりっ、と削られたような音が耳を撫でた。意識だけは前方に向けながら横目でちらと見遣れば、揺蕩う星の防壁が何故か一部分だけ消えていた。

 ――いいや違う。消されたのだ。

 見てもいなければ根拠も無い。しかし、漠然と確信がある。

 錐揉み回転する弾幕を斬り裂いたのと同時、彼女の不思議な“風紋小太刀”が防壁の一部を斬り払ったのだ。原理など触りすら分かりはしないが、今までの斬撃を見る限り、そうとしか思えない。

 そして、そんな事をする理由など一つだけだ。――次波に隙間を作り、より避けやすくする為。

 

 あと四秒――。

 おいおい、そんな対処の仕方するやつ初めてだぜ!?

 悪態付くも、その機転には素直に賞賛を送る。神掛かった回避を続ける中で、更に次弾の対象すら計ってみせるその思考速度。そして実際にやってのける剣の技量。

 全く――恐ろしい限りだ。

 

 あと二秒――。

 穴を開けられた防壁は、その隙間をそのままに外へと飛び出す。当然吹羽は斬り開いた隙間に身体を滑り込ませようとするが、そんな事が予測出来ない魔理沙ではない。

 出来上がった隙間へ――そこへと滑り込む吹羽目掛けて、今試合最後にして最高速の主砲を打ち出した。

 輝く魔力は圧縮され過ぎて、最早その虹色が強烈な白光そのものと化している。

 文字通り“光速”で駆けた最高の主砲。だがしかし――光の速度でさえ、吹羽を捉える事は叶わなかった。

 

 あと一秒――。

 ただ、吹羽の常軌を逸した実力の片鱗を見てきた魔理沙にとっては、それすら予想の範囲内。万一避けられても、その避けた先は弾幕の積乱雲の中である。

 正真正銘のコンマ一秒以下だが、当てられる可能性は無きにしも非ず。

 故意に放てる主砲を避けられた今、魔理沙に出来るのはプログラミングされた弾道――ただし無意識に込めた魔力によって威力速度は格段に上昇中――が吹羽を撃ち抜く事を信じるのみだった。

 

 走馬灯のように速度を失う世界の中で、魔理沙の意識は全てが吹羽へと注がれる。

 主砲をなんとか避けられた。掠ってもいない。横っ跳びに避けた所為で体勢はあまりにも悪く、そこに紫電の如き流星が迫る。

 行け、そこだ。そこを逃せば終わりだ。わたしの負けだ。それは嫌だ。勝ちたい。こいつに勝ちたい。

 だから、だから、頼むよ――。

 

 そして、魔理沙が目にしたのは。

 一閃の構えを取る事に何とか成功した、吹羽の姿だった。

 

 彼女の小太刀が、不思議な斬撃を纏って振り抜かれようとしている。これまでの例に漏れず恐ろしい正確さを誇る一閃は、間違いなく弾丸を両断し、スペルカードを破るだろう。

 ダメ、だったか――。

 思った、その瞬間。

 

 

 

 吹羽の膝が、弾かれたようにかくんと折れた。

 

 

 

 疲労によるミスか、足を捻ってでもしたか、刀を振り抜こうとする吹羽の姿勢は、

不自然なくらい(・・・・・・・)唐突に崩壊した。

 切っ先の傾いた刀は当然ながら一閃の狙いを明後日の方向へと彷徨わせ、吹羽は回避する機会を完全、且つ率爾と喪失。

 声を上げる間もない。

 お互いに“あっ”、とも“えっ?” とも声を吐き出さぬ内に、

 

 

 

 ――星の弾丸が額を撃ち抜く快音だけが、呆れるくらいに遠く響いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――何が起こった?

 予想外の出来事を目にした阿求は、ただただ茫然としていた。……いや、ここは敢えて“呆然”と表記するのが正しいのかも知れない。

 吹羽と魔理沙の弾幕ごっこが遂に、しかし予想外の形で決着したのだ。

 成る程、あれだけ苛烈で華麗な弾幕ごっこの決着である、観戦者たる阿求が感極まって“茫然”となるのも仕方がないだろう。

 でも、そうではなくて。

 “呆然”としてしまった理由はそんな事じゃなくて。

 

 スペルカードが解除されると、阿求は“はっ”として、額を(さす)りながら地面にへたり込んでいる吹羽に駆け寄った。

 本当はここで魔理沙に対する健闘を労って、賞賛の一つや二つおまけにぎゅーっと抱擁までくれてやりたい所なのだが――生憎、今の阿求は掛けるべき言葉を選ぶのに手一杯である。

 結局、咄嗟に出て来たのは、当たり障りのない“微妙な”言葉だった。

 

「お、お疲れ様です、吹羽さん……」

「あ、あははー……負けちゃいましたぁ、阿求さん……」

 

 何処か“やれやれ”といった雰囲気の弱々しい笑顔に、阿求はただただ苦笑いを返す事しかできなかった。いや、本当は気の利いた言葉とか、励ましの言葉とかを掛けてあげたいのだけど、中々いい言葉が見つからない。

 日々様々な文章表現を用いて書を綴っている彼女でさえ、先程の惨状(・・)について何を言うべきなのか、現状を持て余しているのだ。

 まぁ、吹羽の不注意というか粗忽というか、“詰めが甘い”と片付けてしまえばそれまでなのだけど。

 兎にも角にも、戦闘の内容に不相応な決着だった事は確かだ。

 

「ああの吹羽さんっ! さっきのは、そのぅ……あんまり気には――」

「いやーやっちまったなぁ吹羽! 見事に膝折ってスパーンってさ! わたしもビックリしたぜ!」

「ってちょ、魔理沙さん!?」

 

 わざわざ言うまいとしていた阿求の小さな努力は、爽やかに笑う魔理沙の一言によって砂塵に消えた。

 いや確かに、アレは吹羽が悪いとは思うけれど、それを躊躇いもせず本人の目の前で言うのは人として如何なのか。まさかこの魔法使い、“人の不幸は蜜の味”とでも宣る気ではなかろうな。

 迂闊としか言いようのない言葉を放った魔理沙をジトッと一睨みしてから、阿求は目線が合うように吹羽の隣にしゃがみこみ、そっと背に手を当てた。

 

「ふ、吹羽さん、気にする事はないですよ! 失敗なんて誰だってするんですから! 魔理沙さんはちょっとアレがアレなだけですから!」

「……おろ? 具体的な事何も言われてないのに貶されてる気がするな……?」

 

 小首を傾げる魔理沙を無視し、苦笑にならないよう気を付けながら笑い掛ける。結局いい言葉は思い浮かばなかったが、これが阿求なりに精一杯の励ましの気持ちだった。

 徐にこちらを向いた吹羽は、事も無げに笑っていた。

 

「いやぁ、気になんてしてませんよ? 確かにその……恥ずかしい、ですけど、でも! いい勝負ができて良かったと思いますっ。その分すごーく疲れちゃいましたけど結果オーライですよ! ねっ、魔理沙さんっ!」

「うん? ……ああ、そうだな。わたしも久しぶりに熱い弾幕ごっこが出来て楽しかったぜ! 今回はわたしの勝ちだが、挑戦ならいつでも受けて立つからな!」

「はい、考えておきますね!」

「……本当に大丈夫ですか? 魔理沙さんの愚痴なら後で幾らでも聞いてあげますよ?」

「……おい阿求、お前わたしに恨みでもあんのか? 今のは明らかに貶してるよな?」

 

 知りませんっ、とばかりにそっぽを向くと、魔理沙はそれ以上は何も言わなかった。

 面倒臭く感じたか、イラっとして返答するのが嫌になったか――恐らくは前者だろう――は分からないが、阿求にとってはむしろ好都合。不用意に吹羽を傷付けそうになった仕返しだ、ざまぁみろ。

 勿論、それ以上これ(・・)を引き摺るつもりはないのだけれど。

 

「ともあれ、お疲れさん。これがわたしとお前の第一歩って訳だ。膝大丈夫か? 立てるか?」

「あ、大丈夫です、立てますよ。そもそもアレは別に――」

 

 そう、言い掛けて。

 

 

 

「こぉらあんた達っ!! こんなとこで何やってんのよっ!!」

 

 

 

 ――割り込む様に響いたのは、鐘を打ち鳴らしたような少女の怒号。

 声の聞こえた方へと振り向けば、そこには案の定、少しだけしかめ面した紅白の巫女が立っていた。

 

「お、霊夢じゃんか。どうした?」

「如何したもこうしたもないわよ! こんな所でドンパチやってりゃ嫌でも気が付くし、里の人達が“妖怪が暴れてるんじゃないか”って怖がってるわ! 特に魔理沙! あんたもうちょっと自重しなさい!」

「うぉい、またわたしかよ! 何なんだ今日は! ――って、こればっかりはしゃーないか。撃ってたのわたしだもんな」

「そうよ! あんたの弾幕、雲を撃ち抜いてるのまであったわよ!?」

「ご、ごめんなさい霊夢さん。里の人達にはボクが言っておきますから、あんまりその……魔理沙さんを責めないであげて下さい」

「あー?  ……それ、あんたが言うセリフじゃあないと思うんだけど」

 

 他人に甘いというか何というか、お人好しな吹羽の言葉に片眉を釣り上げた霊夢は、腕組みしながら小さな溜め息を吐いた。それが何となく「仕方ないわね」とでも言っているように見えたのは、きっと見間違いではあるまい。

 

 毒牙を抜かれる、とでも言うのだろうか。吹羽と一緒にいると、自然と何処か心持ちが穏やかになる嫌いが、阿求にはあった。

 そして、きっと霊夢もそうなのだろう、と思う。

 彼女の態度は、吹羽とその他の者達とでは大分違う。それはもう普段の彼女からでは想像出来ないくらいに“ふんわり”としているものだから、偶にその理由について本気で考え込んでしまう事があるくらいだ。

 ――だがその孰れも、“もし霊夢が自分と同じように吹羽に魅せられた者の一人ならば”と考えてみれば、何処となく納得は出来るのだった。

 きっと吹羽にも、人を惹きつける何かがある。それが何かは分からないし、正直なところどうでもいい。

 阿求はただ――家族と記憶を失ってしまった可哀想な吹羽が、自分達の前で笑ってくれる事が、嬉しかった。

 

 自分と、霊夢と、そして魔理沙。

 “友達”である自分達が、吹羽の寂しさを和らげてあげられるのなら、それは実に本望だし――とても素敵な事だと、思う。

 

「――ま、いいわ。取り敢えず、妖怪共が寄って来る前に早く戻るわよ。相手にするのめんどくさいし」

「そうだな。……あー、おい阿求! そいつの荷物は持ってやるから、ちゃんと連れて来いよー」

「あ、はい! 分かりました!」

 

 “どーだ霊夢! 吹羽とやってわたしが勝ったぜ!?” “あーはいはい。『撃ち合い』で勝ってから自慢しなさいねー”

 いつもの軽口を交わし合う二人が、一足先に帰路を辿る。

 相変わらずな二人の様子に思わず顔が綻ぶも、遅れてはいけないと、阿求は早速傍の吹羽に微笑みかけた。

 

「さ、吹羽さん。帰りましょう?」

「――……」

「……吹羽さん?」

 

 阿求の労うような優しい声音はしかし、吹羽には少しだって聞こえていないようだった。彼女は座り込んだままで、ジッと暗い森の中を見つめているのだ。

 

 不思議に思い、釣られるように阿求も見てみるが、昼間とはいえ森は暗くて視界が悪く、彼女が何を見ているのかまでは分からない。

 ――森の中に満ちる暗闇を何処か恐ろしげに感じたのは、流石に人間の(さが)と言えよう。

 まだ正午過ぎの真昼間だが、何処の暗闇も洞窟も、陰る場所は余さず魔の領域である。動物が火を恐れるように、人間は妖怪を恐れるのだ。

 だから、催促が少しだけ強くなってしまったのも、仕方なかったのだと自己弁明しよう。

 

「――吹羽さんっ!」

「……へ? あ、はいっ、そうですね! 帰りましょうか!」

 

 “はっ”としたように顔を上げ、立ち上がろうとしてふらりフラつく。慌てて吹羽を支えると、彼女の顔に浮かんでいたのは溜め息交じりの苦笑だった。

 

「あはは……ちょっと、疲れちゃったみたいです……」

「大丈夫ですか?」

「……はい、もう大丈夫ですっ」

 

 今度はしっかりと立ち上がり、スカートの埃を軽く払って、何事も無かったかのように帰路へと足を踏み出す。

 その後ろ姿には未だちょっとだけ心配もあったが、ともかく、阿求は遅れないように吹羽の後を小走りで付いて行った。

 

 ――ふと、立ち止まって振り向く。

 何か今、かさりと音がしたような。

 

「(……いえ、気の所為……ですね)」

 

 頭を振って、考えを打ち切る。

 こんな昼間から、そんな恐怖小説のような展開があってたまるかという話。素人の自叙伝より出来が悪いじゃないか。それに実際、後ろにだって何処にだって、誰一人の影もないのだ。

 

 一つだけ、息を吐く。

 それがほっとしたから出たものなのか、はたまた何処か呆れてしまったから出たものなのか。

 正直なところでは、阿求自身にも分からなかった。

 

「阿求さーん! 置いてっちゃいますよーっ!」

「うぁあっ、待ってくださいよー!」

 

 我に返って振り向けば、吹羽が身振り手振りで“おいでおいで”をしていた。その子供っぽい仕草に苦笑を漏らしつつ、阿求は無意識に数秒前までの思考を何処か彼方へと放り投げた。

 ああ、吹羽が“おいで”と叫んでいる。ならば私に、それを拒む理由などない。早く行ってあげねば。

 そうして、声に応えながら吹羽の下へと駆けて行く。

 

 後を引くようにひらひらと舞う“羽根”には、結局最後まで気が付きもしないまま――。

 

 

 

 




・そよ風【そよ-かぜ】
 穏やかに吹く風。微風とも呼ばれる。

 今話のことわざ
(した)しき(なか)にも礼儀(れいぎ)あり」
 親密過ぎて節度を超えると不和の元になるから、親しい間柄でも礼節を重んじるべきだということ。

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