風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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 投稿時間、一時間勘違いしてました笑

 では、どうぞ。


第六十二話 悪風流転

 

 

 

 ――風を集めて、鋭く放つ。

 ――風を纏わせ、刃を振るう。

 ――指先を揺らして空に舞い、全身で風を受け止めて一体となる。

 

 そうして力を行使しているうちに、吹羽は自分の中で硬く閉ざされていた力が徐々に(ほど)けていくのを感じ取っていた。

 不自然な感覚ではない。むしろ、長らく忘れていたモノを体が思い出していくかのような、爽快感にも似た何かすら感じられた。

 

 鶖飛に対して行使した時とは違う。あの時は、どちらかと言えば怒りに任せて力を暴走させていたようなものだった。自分の意思でこの力を操るのは、実はこれが初めてだ。

 

 風神降ろしは初代当主が用いた業。そして吹羽はその生まれ変わり。

 であれば、使い方を思い出していくようなこの不可思議な感覚にも一応の説明がつくが――同時に、何処か急かされるような心地も味わっていた。

 

 もっと、もっと。

 もっともっともっともっともっと――……

 

「……ちぃッ!」

 

 “疾風”の絶え間ない弾幕に対して、魔理沙は星の弾丸を纏うようにして防いでいた。時折できてしまう“疾風”の隙間を逃さずレーザーで反撃してくるあたりさすがとしか言いようがないが、吹羽は余裕を持って避け、更に肉薄する。

 

 まずは防御を剥がす。“鎌鼬”で一点を集中的に攻撃してから勢いを乗せて“天狗風”を叩きつけると、強烈な爆風と共に星の衣が粉々に砕けた。その衝撃によって――否、衝撃にわざと流されるようにして、魔理沙はその場から離脱した。

 すかさず“鎌鼬”で追撃する。だが魔理沙は魔力を纏った箒で上手いこと掻き消してしまった。

 

「やるなぁ、畜生!」

「魔理沙さんこそ!」

 

 箒に跨り、再び飛翔を始めた魔理沙も弾幕をばら撒く。それを“太刀風”で次々切り裂いて凌ぎながら、吹羽は僅かな隙に“疾風”を放っていく。吹羽の弾はいずれも魔理沙の弾幕をものともせずに彼女の元へ辿り着くが、さすがに異変解決者というところか、軽々と避られてしまって当たらない。

 流星群のような弾幕と鋭い風の剣舞。ド派手で激しい戦闘だったが、その実、戦況は膠着していた。

 

 吹羽と魔理沙では戦い方が全く違う。言うなれば魔理沙が真に弾幕勝負が得意であるなら、吹羽はもっと実践的な――決闘のような戦闘が得意だ。

 常に無数の弾幕を認識してその中から活路を見出す魔理沙の戦い方は、高威力の単発を次々に放つだけの吹羽にとって相性が悪過ぎるのだ。

 

 なら、もっと多く、もっと速く――風のような(・・・・・)弾を!

 

 瞬間、吹羽の神力は腰に吊るされた金属に流れ込むのを止めて周囲の大気に干渉を始めた。小さく強く渦を巻き、瞬く間に無数の弾を形作ると、吹羽が駆け出すのと同時に斉射される。

 

 戦況が吹羽に傾いたのはこの時だった。

 風の音――否、大気を穿つ音。真に風の弾丸と呼べるにまで展開された弾幕は、風であるが故にある程度の遠隔操作が効く。数え切れないほどの弾丸は互いにうねり合いながらも衝突せず、一心に箒で駆ける魔理沙に追いすがる。

 吹羽は“時津風”を発動して、弾幕の流れに乗るように追撃する。風そのものとなった吹羽の遊撃は、まさしく嵐のような苛烈さを誇っていた。

 

「っ! ンにゃろうッ!」

 

 初め面食らった様子の魔理沙だったが、すぐさま順応して右へ左へ縦横無尽に弾幕を通り抜けていく。無作為なタイミングで行われる吹羽自身の斬撃には若干対応できていなかったが、身を守る魔法陣がしっかりとダメージを防いでいた。

 うねる弾丸の嵐を掻い潜りながら、斬撃を魔法陣で防いではレーザーで反撃。吹羽もそれを避け、受け止め、斬り裂いては魔理沙に肉薄する。無数の弾丸は常に二人を取り巻き、時折小爆発を起こしながらも空中で絡み合う。

 

「ちっ、恋符『ノンディレクショナルレーザー』ッ!」

 

 そんな中、魔理沙が次に唱えたスペルカードはまたしてもレーザー系統だった。

 これは見たことがある。彼女の“マスタースパーク”に次ぐ使用頻度を誇る内の一枚であり、四本の太めのレーザーを放つというものだ。

 だがレーザーの本数を増やしたところでどうなるというのか。こちらは四方八方から風の弾丸を無数に放て、且つ文字通り風のような速度で飛翔できる。申し訳程度に星の弾丸もばら撒いているようだが、その密度はお世辞にも高くはない。

 こんなの全然脅威じゃない――そう思ったのが、間違いだった。

 

「“韋駄て――」

「遅ェぜ!」

 

 “韋駄天”を振りかぶり魔理沙に急速接近をしようとした矢先、ブォンと鈍い羽音のようなものが頭上を駆け抜けた。

 突如手に残った不思議な喪失感に目をやると――なんと“韋駄天”の刀身が、半ばから折られていた。

 

 状況を理解する間もなく、中途半端に起動した風紋は中途半端に効果を発揮する。本来真っ直ぐに推進力を生むはずの韋駄天はてんでばらばらに力を生み出してしまい、吹羽は飛翔の制御を失ってぐるんぐるんと空中で乱れ舞う。

 

 そこに、四本のレーザーが振り下ろされた(・・・・・・・)

 吹羽は咄嗟の判断で神力を使った武器の召喚を中断し、乱回転するその一瞬に掌をレーザーへ向ける。

 

「っ、『野分』ぃッ!」

 

 暴風の砲撃が、僅かな拮抗の後にレーザーを消し飛ばす。だが、どうやらそれは一瞬のことのようで、“野分”の攻撃範囲を超えるとレーザーは何事もなく照射され続けていた。

 辛うじて避けられたが、その脅威に冷たい汗が頬を伝う。

 

 要は、鍔迫り合いのできない特大剣のようなものなのだ。よくよく考えてみれば、弾丸と違って常に照射し続けるものを半ばで消し飛ばしたところで止まるはずもない。しかも質量がそれより低ければ、先程の“韋駄天”のようにあっさりと競り負ける。真正面からなら抵抗できるだろうが、基本的には避けるしかないということだ。

 それが四本、凄まじい速度で振り回されることになる。

 ……普通に凶悪だ。

 

「くぅ……速いし、厄介……!」

 

 四色の特大剣は回転するようにして周囲を薙ぎ払う。その過程で風の弾丸も掻き消していくためろくに攻撃も出来ていない。

 吹羽は小さく悪態付きながら、ひゅるりひゅるりと避けていく。だがレーザーの速度が速度、だんだんと服の裾に擦りが目立ってくる。

 受け太刀不可の大太刀――まるで“太刀風”の魔法版と言ったところだ。避けに徹しなければならないとは、かつての文が舌を巻いたのも頷ける厄介さである。

 

 ――うん? “太刀風”……?

 

「ほらほらどうした!? 避けてばっかりじゃ勝てないぜ!」

「っ、だったら――」

 

 不意に空中で止まり、片方の“太刀風”を納刀する。それに魔理沙は訝しみながらも、だがやはり四方からレーザーで襲いかかる。

 そんな中で吹羽は、()と手を振り下ろした。神力が大気に干渉し、風を生む。天空から降り注ぐ鉄槌の如き爆風の名は――“下降気流(ダウンバースト)”。四方から襲いくる特大剣をいとも容易く消し飛ばし、一瞬の隙ができる。

 吹羽は手元の大気に神力を込めた。

 

「“斬剣――太刀風”ッ!」

 

 神力で操られた大気が、吸い込まれるようにして“太刀風”の刀身を撫で付ける。通常の風量を遥かに上回る風が一振りの小さな刀に襲い掛かるが、吹羽は刀自身にも神力を流し込むことでなんとか支えていた。

 結果、形成されるのは限界を遥かに超えた長大極まる風の大太刀。十間(約20m)強にまで肥大化した“斬剣”は魔理沙の側を勢いよく掠め――レーザーの照射源を、見事に消し飛ばした。

 

「いッ!? なんだそれっ!?」

 

 その隙を逃さず、都合四度“斬剣”を振り回す。長大なものの脇差一振り分の重さしかない“太刀風”の斬撃は魔理沙には到底見切れない。

 武器の負担が大きいので乱発はできない技だが、そのおかげで恋符は遂に突破(ブレイク)。そこで立ち止まらず、吹羽と魔理沙は再び空中での弾幕併用の接近戦に移行した。

 

 “時津風”で高速の空中戦闘を実現しているが、弾幕と風の吹き荒ぶ嵐の中で二合、四合、八合と重ねるうち、いい加減魔理沙の目も慣れてきたのか吹羽の動きを目で追うようになってきていた。

 さすがに、この戦法はもう保たない。ならばいっそ斬り込んで、この状況を自ら変えるべきか。

 そう判断して、弾幕を掻い潜った魔理沙の一瞬の隙に肉薄した――その瞬間だった。

 

 ――目の前に現れた、青く輝く小さな瓶。

 

「かかったな」

 

 眼前で臨界寸前にまで押し込められた魔力の塊に、吹羽は自分の失策を悟った。

 ――これは、誘導された!?

 

「魔廃『ディープエコロジカルボム』」

 

 「存分に味わえよ」なんて台詞の伺える不敵な笑みが、全ての視界と共に青白い光に塗りつぶされる。既に攻勢に移った吹羽には避ける術などなく、凄まじい魔力の衝撃波が華奢な身体を吹き飛ばした。

 

「ぐッ、ぅう!」

「まだまだァ!」

「ッ!」

 

 これほど明確な隙を魔理沙は逃がさない。星形の弾幕が流星群のように襲い来るのを薄目で見て、吹羽は咄嗟に体を反転。無理矢理に着地し、不安定ながら真正面に飛んでくる星を“太刀風”で斬り裂いていく――が、遂に数発の弾丸を捌き切れずに被弾してしまう。

 

 身体がふらつく。太刀筋が乱れる。統率の取れていた風が、僅かに揺らぐ。

 

 それでも斬撃と弾幕の応酬は止まらない。

 

「(だめ……こんなのじゃ、足りない……!)」

 

 魔理沙との苛烈な戦闘を繰り広げながら、しかし吹羽の中には緊迫感でも高揚感でもなく、むしろ無力感や焦燥感が渦巻いていた。

 

 かつて辰真が遣っていたこの力は決してこんなものではないはずなのだ。それを知っている吹羽の記憶が、きっと、早く取り戻せと急かしている。

 取り戻さなければ、また失うぞ(・・・・・)、と。

 

 力に意味を持たせるのは自分次第だと魔理沙は言った。吹羽もそれはその通りだと思った。力そのものに意思はなく、振るうのはそれを持った人だから。

 同様にして、吹羽もこの力を得た理由を考え、探し、これからの未来で何かを成して意味を持たせなければならないのだろう。

 

 ただ、できれば――吹羽は自分の大切なものを壊さないために遣いたい、と思った。

 

 きっと辰真だって、望んで手に入れた力ではなかったはずだ。

 生まれ変わりである吹羽には分かる。信仰を一心に捧げた結果というだけであって、これほど過剰な力なんて、必要ないとさえ思っていたはずなのだ。

 ただ得てしまったが為に紫と死闘を繰り広げることになり、その果てに村を守って討ち死んだ。だがきっと、自分の大切な者達を守ることができた辰真は満たされていた。弟・嵐志のことは心残りだったろうが、それでも満たされていたはずなのだ。

 

 そう。だから――だから吹羽は、思ってしまった。

 

 

 

 あの時、自分がもっとこの力を引き出して、うまく扱えていれば、鶖飛を殺さずに済む道もあったのではないか、と。

 

 

 

 壊さない為に使いたい。使えたはずだ。

 未来でなどと楽観するのではなくて、もっと早くに使いこなせてさえいれば、鶖飛をあしらうくらいに強くなれていれば、殺さずに収めることもできたはずなのだ。

 

 自分が、弱かったばっかりに――。

 

 渦巻く感情が、振るう手に力を込めさせる。そして次第に、心の内側から後悔にも似た怒りが込み上げてくる。

 吹羽にはそれを、抑えることができなかった。

 

「〜〜ッ、『飛天』!」

 

 斬撃の合間の隙を見て、吹羽は“飛天”を目の前に顕現させる。そして中空で飛び回る魔理沙に目掛けて、“野分(・・)を遣って(・・・・)打ち出した。

 ぎゅ、ごう、と大気の軋む音がして、“野分”の強烈な烈風を巻き込んだ“飛天”はかつてないほど巨大な竜巻を形成する。魔理沙の弾幕など埃のように吹き散らしながら、殺人的な威力で宙を撃ち抜いた。

 

 落ちてくる魔理沙の姿が、視界の端に映っている。

 箒を犠牲に上手く衝撃を逃したらしい。飛翔の要を奪えたのは大きいが、直撃させられなかったのは(・・・・・・・・・・・・)痛い(・・)

 

「(こんなのじゃ……まだ、弱いっ)」

 

 落下に身を任せながらも魔理沙は幾本ものレーザーを照射する。吹羽はそれに“野分”で対抗しつつ、“時津風”で彼女の目の前へと潜り込んだ。と同時に、風を溜めていた“天狗風”で魔理沙の横腹を薙いだ。

 

 一瞬の爆風。衝撃波と何ら変わらないそれが、魔理沙の呻き声すらも掻き消した。

 吹羽は吹き飛ぶ彼女に向けて、無数の“疾風”を“野分”で撃ち出す。音すらも置き去りにした“疾風”は見事に魔理沙を幾度も打ち抜き、ばら撒いていた弾幕は途切れて消えた。

 

 ――まだ。

 

 踏み出し、大きく跳躍。両手で“大嵐”を構えた吹羽は、魔理沙の動きを封じるべく、落下の間に“風車”と“疾風”と風の弾丸を同時に展開する。魔理沙も再度展開した弾幕で対抗してくるが、物量がそもそも圧倒的に違う。魔理沙の防御は呆気なく崩れ、足や肩を斬り裂かれて体勢が大きく崩れた。

 

 ――もっと。

 

 そこに容赦なく“大嵐”を叩き込む。吹羽の持つ武器のうち最大威力を誇るそれが辛うじて張られた魔法陣の防御をいとも容易く砕き割り、魔理沙の華奢な体を打ち据えた。

 

 ――足りない。

 

 吹き飛ぶ魔理沙に“鎌鼬”と“風車”で追撃。

 風の弾丸で牽制して“韋駄天”と“天狗風”を打ち込んで防御を砕き、“野分”でかち上げ反撃を“引佐”で相殺。

 

 “時津風”で懐に潜り込んで“颪”を放ち墜落した魔理沙に“疾風”を乗せた“下降気流(ダウンバースト)”を撃ち下ろして“野分”と“風車”を幾度も放ちながら“天狗風”と“大嵐”で“疾風”を“鎌鼬”に“韋駄天”で“野分”“時津風”“大嵐”“下降気流“飛天“”引佐“野分”颪韋“”駄“天疾風“”時津”風“引佐飛““”天下“”降気流”大嵐“風車“”鎌”鼬時津“”風引“佐飛天““”野分“”“”“““”””“”““””“””““””“”――

 

 ――“太刀風”。

 

 

 

『依り代ッ!』

 

 

 

「っ!」

 

 ――……気が付くと、顔を真っ青にした魔理沙がこちらを見上げていた。

 

 華奢な体には無数の切り傷を負い、大量の血が服に滲んでほとんど血塗れになっている。尻餅をついた形で吹羽を見上げる目の端には、今にもこぼれ落ちそうな涙が溜まっていた。

 そんな彼女を守るように、氏神――級長戸辺命の化身である白狼が吹羽の前に立ちはだかっている。

 振り上げた“太刀風”は、子犬の方が腕に噛み付いて止めていた。きゅるるるる、という鳴き声が、どこか吹羽に対して怒っているようにも聞こえる。

 

 浅く、冷たい呼気が漏れた。

 

「ぁ、ぇ……ボ、ボク、なにを……」

 

 がしゃん、と“太刀風”を取り落とす。若干血の滲んだ手を震わせながら、吹羽は一歩、二歩と後ずさった。

 

 今氏神に止められなければ、吹羽はそのまま“太刀風”を振り抜いて確実に魔理沙の首を撥ねていた。記憶が曖昧だが、あと少しで友人を惨殺していたかもしれないという事実に、全身の血の気が氷のように冷めていく。口の中がからからに乾いて、吹羽は満足に呼吸もできなくなっていた。

 なにが、なんで、自分はこんなことを――?

 

『……様子がおかしいから咄嗟に止めたけど、間一髪だったね』

『もう少しで惨事を招いていたところだ。いったいどうしたというのだ、依り代よ』

「ぅ……ボ、ボク、そんな、つもりじゃ……なん、で……」

 

 何をしようとしていたのか分からない。何を考えていたのかも分からない。まるで自分じゃない誰かがいつの間にか意識を乗っ取って、魔理沙の息の根を止めようとしていたかのような。その様を目の前で見せつけられて「お前のせいだ」と告げられたような、酷い絶望感が頭の中を支配していた。

 

 唯一覚えているのは、後悔のような怒りのような、よく分からない真っ黒な感情が溢れ出してきたこと。

 それを止めることもできなくて、むしろ当然のように受け入れてしまったような――

 

「ふ、吹羽……?」

「ッ! ご、ごめんなさ……ボク、ゎ、わかっ……ぁ……こ、こんな……!」

 

 魔理沙の視線に耐えられず、吹羽はかくんと膝を崩して座り込んだ。

 不理解と、不安と、罪悪感と、なにがなんだか分からない巨大な恐怖がぐるぐると心の中を回って、波濤のような怖気が身体を震わせる。

 滲んだ視界では魔理沙がどんな目を向けているのかも分からなかったが、それを知ることすらも怖くて、吹羽は力の入らない腰を引きずって後ずさる。

 

『……ともかく落ち着いて、依り代。大丈夫、誰も死んじゃいないよ』

「で、でも、氏神様……」

『取り乱すな。何かがおかしい』

 

 そう言って喉を鳴らす白狼と子犬。慰めてくれているような声音ではあったが、その程度で心は休まらなかった。

 

 だって、どんな理由であれ大切な友人を殺しかけたのだ。

 鶖飛と剣を交えたあの時、彼の肉を斬り、骨を断ち、生暖かい血に手が包まれる感覚は今でも手に残っていて、それを魔理沙に対してやりそうになった――それを思うと、吹羽は今にも首を掻き切りたい衝動に駆られるのだ。

 

 

 

 ――そんな資格ない癖に。

 

 

 

 心の何処かで責める声が聞こえてくる。吐き捨てるかようなその声に、吹羽は心臓が掴まれるような心地がした。

 分かっている。事実を直視したくないだけなのだ。

 弾幕勝負というある種の“遊び”の中であろうことか友人を殺めそうになり、そのくせ自分でそれを嫌悪するなんて――なんて自分勝手で、傲慢で、酷薄だろうか。

 友人の命を自分の手で脅かすなんて人としてありえないことだ。友としてありえないことだ。どんな理由があったとしても、決して許されることではない。

 

『――……!』

『――……』

 

 一度そう思い始めると悪い想像はどんどん加速して、歯止めはまるで効かなくなった。

 次々と浮かぶ自己嫌悪の言葉が頭を支配し、視線は地面に縫い付けられ、疑心暗鬼に陥った心は周囲の何もかもを恐れてただ震えることしかできない。直接脳内に響くはずの氏神の声でさえ、今の吹羽には届いていなかった。

 

 湧き出て、あふれて、溢れて――今にも器が壊れてしまいそうな感覚。

 感情と思考が止まらなくて、全てが苦して、何もかもが辛い。止まらない圧迫感は吹羽から呼吸すらも奪い始め、どくんどくんという心臓の鼓動だけが嫌に大きく聞こえた。

 

「(ああ――ほんとに、変だな……)」

 

 まずい。危険だ。どこかがおかしい。

 自分の状態をぼんやりとそう認識しながらも、思考の加速は止まらないし、悪循環は転換しない。発想が急激に危ない方向へと向かっている自覚があるにも関わらず、それを覆すだけの意思が既に、吹羽からは削り取られてしまっていた。

 

 そうして、やがて呼吸すら忘れ始めたころ――虚ろな意識の中にある言葉が浮かんできた。

 

「(こんなに……苦しいなら……)」

 

 それは心の何処かで予想していた帰結の言葉であり――こうなる前の彼女なら、決して考えはしないはずの言葉で。

 

 もういっそ、死ん(・・)――

 

 

 

『危ない、依り代!』

 

 

 

 ――勢いよく体がはじき飛ばされる感覚に、吹羽の意識は急激に覚醒した。

 ハッとした時にはすでに遅く、どうやら子犬に体当たりされてその場を強引に退かされたようだった。

 

 飛ばされて、その一瞬の後。

 吹羽達のいた場所には猛烈な速度で何かが墜落し、地面を大きく炸裂させた。爆音が大気を揺らし、揺らした衝撃が周囲の木々をも無理矢理に薙ぎ倒す。もうもうと立ち込める土煙はもはや遙か天空まで上っていた。

 

 突然のことで受け身も取れなかった吹羽は、ごろごろと地面を転がって止まると、急いで土煙の中身を凝視した。

 すると見えてきたのは、何やら人型をした巨大な影。吹羽の身長など一回りも二回りも超えた、恐ろしい何かのシルエットだった。

 

『もう! 次から次へと一体何なのさ!』

『どうやらただの墜落物ではないようだが――』

 

 口に咥えた魔理沙を吹羽の近くに下ろして、氏神は苛立ちを露わに分析する。

 そして短く息を吹き出すと、それに応えるように突風が駆け抜けた。土煙が攫われて、シルエットの正体が露わになる。その巨大な姿を目の当たりにして、吹羽は――否、吹羽と魔理沙は驚愕に目を見開いた。

 

「あ、あれは……」

「あん時の……!」

 

 現れた肌は赤黒く、隆々とした筋肉質の体には血管が浮いている。頭髪はなく角もなくゴツゴツとした岩肌のような皮膚は鉛のように鈍く光っていた。一見鬼のようにも見えるが、萃香に感じるような威圧感は感じられない。

 

 見覚えがあった。

 ただ、手に持っている棍棒は砕けて先端が鋭くなっているし、もともと赤かった肌は墨汁を混ぜたように血色になっている。なにより体格そのものが一回りほど大きくなり、その目には流暢に言葉を話していた頃の理性を感じられない。

 記憶にある姿とは所々の相違があるものの、だがその特徴的な姿を忘れようはずもなかった。

 

 二人の前に現れたそれは、あの三匹の妖怪のうち(・・・・・・・・・・)の一匹(・・・)

 

 

 

 かつて吹羽が対峙した――猪哭(いなき)と呼ばれた妖怪だった。

 

 

 




 今話のことわざ

 なし
 
 
 
 
 
 
 ――ある日の日記

 魔理沙さんに酷いことをしちゃった。
 友達に刀を向けるなんて、人としていけないこと……分かってるはずなのに、体が勝手に動いてた気がする。

 魔理沙さん……きっと、怒ってるよね。
 どこか、ボクはおかしいのかもしれない。おかしいボクは、魔理沙さんと友達でいられるのかな。自信がない。

 友達……友達って、むずかしい。ボクは誰かの友達でいられてるのかな。
 
 
 

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