吹羽の家――風成利器店へと訪れるのは、実はまだ数えられる程度の回数でしかない。
吹羽と初めて弾幕勝負をした時、本人不在の折に阿求と共に訪れた時、鶖飛が帰ってきた時――その他にはちょろっと暇潰しに行ったこともあったが、その回数も片手で数えれば足りるほどだ。
もともと魔理沙は人間の里には用のある時以外近寄らないので、幾ら友人とはいえ彼女の家を訪れる回数が多くないのも、まぁ当然といえば当然だった。
箒から降りて、門から入る。
人里は相変わらずだ。この大通りを見ていると幻想郷における人間の立場なんて忘れてしまいそうなほど、ここの人間たちは活気があるし、精神的にも健康だ。
生活が豊かなわけではないだろうに、それでも助け合って生きている人里の人間たち。
情けない話だが、この景色の中にいると、自分が生まれた場所を抜け出して一人魔法の森に篭ってしまった自分が少し責められているというか、ハズれているような気がして、魔理沙はこの雰囲気があまり得意ではなかった。ここを通る時は、気が付かないうちに早足になってしまう。
そうして少し歩いてから、魔理沙はその大通りから離れるように、小道へと体を滑り込ませた。
二人並べばもう歩きにくいこの小道の左右には、数枚しか葉の付いていない並木が整然と並んでいる。風にゆらゆらと揺れている葉っぱは、どうやら必死に風に抗っているようだった。
「もう冬、だなぁ」
ここを通るのも幾度目かだが、あの頃はまだ真っ赤な葉がたくさん付いていたなぁと思い出して、魔理沙は何の気無しに冬の到来を感じた。
ここを初めて通った時はまだ多少は暖かかったが、もう半袖の服では外を出歩けない気温である。寒空はいつもよりも白く見えて、太陽の光もあまり眩しく感じられない。
こうして季節を感じて、空を見上げて、ふと視線を下ろすと――そろそろ見えてくるはずなのだが。
その通りに視線を動かして魔理沙の視界に入ってきたのは、予想通りの、黒い煙。
その根元へ向かって足を早めると、数刻もしないうちに見えてくるのは看板の――“風成利器店”の文字だ。
やってるやってる、と思いながらひょこりと煙を上げる工房を覗くと、吹羽は熱心に刀を砥石に滑らせている最中だった。
「よ――」
いや待て、と。
「(っと、ずいぶん集中してるな……)」
刃を研ぐ吹羽の表情は真剣そのものだ。普段の朗らかな感じとは打って変わって、いっそ砕けた薄氷のような鋭利さが雰囲気に宿っている。
瞳の輝き具合から察するに、僅かに能力も発動しているのだろう。
どこまでも本気だな、と思って――しかしこの少女、それだけで終わらなかった。
「(そうだ! 集中してんなら、声かけんのは悪い……よな!)」
ニヤリと頬を歪めて思い直す。
誰しも集中しているところに声をかけられたら嫌なものだ。魔理沙だって実験中に話しかけられたら全力で無視するし、しつこいようなら思わず手が出る。
吹羽ほど仕事熱心ならば、この気持ちも一入なはず――そう心の中で
そう、声をかけられないなら仕方がない。
え? 鍵? 残念……そんな問題は、とっくのとうに解決している!
「(わたしに開けられない鍵は、ないんだぜ!)」
“
次いでだから靴も魔法で隠しておこう。色々と隠蔽しておかないと、吹羽が入ってきたらバレちゃうし。
イタズラ――もといサプライズは、バレないからこそ意味がある!
――絶叫混じりの吹羽の声が木霊したのは、それから暫くしてのことだった。
◇
八雲 紫に出会うにはどうすればいいか、ということを、霊夢は間々訊かれることがある。
その要件は様々だが、好意的な話はとんとない。彼女は誰よりも偉大な存在であると同時に、誰よりも嫌われ者だ。
まぁその点には納得というか、むしろ否定材料が少な過ぎるというか。あの何もかもを見透かしたような態度はひたすらムカつくし、その癖真意や真実を他人に語らない。言うこと為すことが一々迂遠で胡散臭い。真正面から話すと手のひらで弄ばれているような感覚に陥る……etc。
こんなのが誰に好かれるというのか。仮にいたとしても、そいつはきっと彼女と同等の嫌な奴か、あるいは頭がおかしいか。きっとそうに決まってる。
話は戻って。
そう訊かれた際、霊夢は決まって“そんな方法ない”と答える。
能力の性質上紫はどこにでも行けるし、どこにでも居る。だがそれ故に神出鬼没で、耳を傾ける相手を選んでいるのだ。
腹立たしい話だが、あんなのでも幻想郷の創造主。彼女が日々やるべきことはたくさんある。仕事が山積みなのにどうでもいい話に付き合うわけがない。
強いて言えばマヨヒガか冥界の白玉楼にでも行けば会えるかもしれないが、尋ねてくる彼・彼女らが望んでいるのはそういう答えではないだろう。
だから、彼女と能動的に会う方法などないのだ。
嘘ではない。本当だ。
「――……」
博麗神社、居住区画。
その居間にて、霊夢は静かに座して瞑想していた。
ぴんと背筋を伸ばし、揃えられた膝の上に乗せた手指はシンメトリーかと思うほど整っている。まるで芸術品の一つかと勘違いするほどの凛とした美しさだが、浅く上下する胸が唯一、彼女の生命を感じさせる。
正確に言えば、これは瞑想ではなかった。ただより深く集中するために、視界という巨大な情報源を絶ったというだけだ。
霊術の天才、博麗 霊夢。霊力の扱いに誰よりも長けた彼女をして、今行なっていることはかなりの集中力が必要な所業だった。
「(保っていた均衡を――少し、傾けて、崩す)」
天秤を傾けるように、しかしその上に注がれた水が一滴でも落ちはしないように。
傾けて、傾けて、少しずつ傾けて――周囲の空間が揺らぎ始める感覚を頼りに、霊夢は本当に僅かずつ、均衡を崩していく。もしも失敗すれば、それは想像も付かないような大惨事を引き起こす。そんなまさに命がけの綱渡りは、さすがの霊夢でさえ緊張感を拭えなかった。
だが、やれる。集中して、手指の先の先の先にまで神経を集中させていけば、自分に操れない霊術などない。
小鳥の鳴き声と、葉擦れと、風、時計の針。自然な静寂の中に身を任せて、霊夢は意識を深く鋭く研いでいく。それを幾刻か続けて、どれだけの時間が経ったのか判別のつかなくなった頃。
極限の集中の果て、遂に一滴の滴が器からはみ出そうになった――その刹那だった。
「何をしているのかしら、霊夢」
予測通りの不機嫌な声に、霊夢はようやく手を止めた。
「……見ればわかるでしょ、って言ったら、流石に怒るわよね」
「当たり前でしょう。
どうせ失敗しないのに? ――そう言おうとして、さすがにそれは逆鱗に触れるなと思って霊夢は口を噤む。
やっていいことといけないことの分別は付いているつもりだし、果てしなくグレーゾーンなことをやった自覚はあったのだ。
だが、訊かなければならないことがあったのだから、仕方ない。
霊夢は心の中でそう弁明して、現れた声の主――八雲 紫の険悪な視線から目を逸らす。
「……手っ取り早いのよ。
「危険過ぎると、これも何度も言いました。結界の管理をあなたに任せている意味を理解してちょうだい」
「ンなこと分かってるわ」
「霊夢」
「………………」
――博麗大結界は、大昔に初代博麗の巫女と紫が協力して発動した結界だ。
その効力は、幻想郷と外の世界との隔絶。そして幻と実体の境界線である。以前は別々の術だったらしいが、今では統合して霊夢が管理している。
論理的な結界で、且つ途方もなく強力な極大霊術だ。これがあるから幻想郷は幻想郷足らしめられていると言っても過言ではなく、故にその管理を行う博麗の巫女を手にかけることは絶対の禁忌とされている。
そしてこれこそが――あの時、鶖飛が霊夢を殺そうとした最たる理由。
紫が怒るのは当然だった。なにせ霊夢は、その管理者権限ともいうべき力を使って結界の維持を崩そうとしたのだから。目的は違うが、少なくとも他人の目にはそう映る。世界の崩壊一歩手前だったと言えば、誰もが今の霊夢を非難するだろう。
ただ、紫も伊達に霊夢を見てきたわけではない。口酸っぱく注意してきたのも事実だが――この手段で紫を呼び付ける時は、いつだって一大事であるということもよく知っていた。
「はぁ……もういいわ。それで何の用かしら」
「……少し、意見を聞きたくて」
「意見?」
居住まいを正して、頷く。それだけで察したのか、紫は目を細めると何処からか取り出した扇子をぱしりと開いた。
そうして口元を覆うと、鋭い紫の視線だけが残る。真剣な話し合いの時は、彼女はいつもこうだ。
「……前置きは不要ね」
――吹羽の件、これで終わったと思う?
霊夢の問いに、紫はすぐには答えなかった。
「中途半端だと思わない? 鶖飛がおかしくなったのは三年も前……その頃から仕組んでいたことを、こんなにあっさり諦めるかしら」
核となる
そもそも、そうして長い時間かけて計画していたことなら次善策くらい用意するだろう。何が目的なのかは見えないが、たった一つの要素が欠けた程度で頓挫するような目論見など、彼女らが企むとは思えない。
「夢子のこともそう。あれから鳴りを潜めてるけど、一体どこに消えた? まだ幻想郷のどこかにいるの? だとしたらなんでまだ留まってるのかしら……分からないことが多すぎる」
「――……」
半ば捲し立てるように疑問を並べた霊夢に対して、紫は静かに瞑目する。
そうして紫が間を作るのにも慣れている霊夢は、その純黒の瞳を
しばらくして思考を終えたのか、紫はゆっくり目を開いた。
「……今のところ――」
立ち上がり、参道のある表を眺める。その視線は石畳でも鳥居でもなく空へ――幻想郷を包む結界へと。
「博麗大結界に何かが触れた形跡はなければ、大きな事変も起こっていないわ。まさにあなたの言う通り、何もかもが鳴りを潜めている――そんな印象ね」
「……平和なのは良いことだけど……楽観はしてられないわよ」
嵐の前の静けさ、そんな慣用句が頭を過ぎる。
今が平和だからと呆けていれば、突然の事態には対応できない。それを霊夢を始めとした歴戦の猛者たちは経験則で知っているし、残念なことに、それは全て正しい。
改めて表情を引き締める霊夢を横目に、紫は言葉を続けた。
「備えておかなければ――そんな顔をしているわね」
「! ……分かってるなら、勿体ぶらないでよ。あんたなら何かしらの対策は立てているんでしょう?」
「さて……」
この後に及んではぐらかそうとする紫に、霊夢は躊躇いもなく眉を顰めた。
ここで答えを渋る理由がわからない。幻想郷を破壊しかけた事件が終わりを見ないというなら、紫こそ躍起になるべきのはずなのに。
だが、ここで熱くなっては元も子もない。霊夢は気分を整えるべく一つ息を吐いた。
「……一つ確証が欲しい。鶖飛が魔人になってた時点で予測はしていたけど……今回の件はアレが――神綺が関わってる……そう思って良いのよね?」
「………………」
その名を聞いて、紫の形の良い眉が僅かに歪んだのを霊夢は見逃さなかった。
夢子と対峙した時、彼女がポツリとこぼした言葉を思い起こして、霊夢は更に追求する。
「夢子は“加護”がどうとかって言ってたわ。あたしたちと風神様を前にして、加護もないのにやってられない、って。それって裏を返せば、加護さえあればなんとかなるってことよね。そんな強大なもの、同じ神の力だと考えるのが普通じゃない」
「だとして、どうする気かしら」
「…………邪魔するなら、潰すだけ」
その低くドスの効いた声は、まるで空間そのものを圧迫するような重い威圧感を持っていた。
邪魔――そう、邪魔なのだ。夢子も神綺も。
昔のままだったならどれだけ良かったろう、とはもう数え切れないほど思ったことである。吹羽たち家族が揃っていて、偶に行っては鶖飛と喧嘩して、吹羽と遊んで。あの幸せだった日々の風景に、一滴悪いものが入ってしまったから、全部壊れてしまった。それが――吹羽に消えない心の傷を刻み付ける結果になっしまった。
自分たちが、ひいては吹羽が穏やかに暮らすためには、きっと彼女らが関与していてはいけないのだ。
……だから。
真っ直ぐに紫を見つめると、彼女はため息混じりに――それこそ、息の抜けるような微かな声で言葉をこぼした。
「……そう。もう決めているのね」
それだけ言うと、紫は霊夢に背を向けた。それがまるで話は終わりと言われているようで、霊夢は目の端を吊り上げて引き留めようと口を開いた――が、それよりも紫の方が早く。
「兎角、現状できることなど何もないわ。下手に騒ぎ立てても波紋を生むだけ。その気持ちは内にしまっておいて、いざと言う時に燃やしなさいな」
「……先手を取らせろって? あんたらしくないわね」
「そも私は、初めの問いに“終わっていない”とは答えていないわ」
「! それは、そうだけど……でも――」
「くどい」
ぴしゃりと響いた冷たい声が、諦めの悪い霊夢の言葉を容赦なく断つ。
その冷や水のような言葉が、紫に問いの答えを明かすつもりがないことを霊夢にまざまざと突きつけていた。
初めの問いには答えない。神綺に関する問いにも答えない。これでは呼んだ意味も現状を打ち破る術も得られないじゃないかと霊夢は拳を握りしめるが、生憎、霊夢が紫を言葉で負かしたり丸め込んだりできた記憶など、一つたりともなかった。
口を開いたまま声を詰まらせた霊夢を前に、紫は「それとも」と続ける。
振り向き際に横目で見下ろす紫の瞳は、言うことを聞かない子供を見るそれよりもよっぽど冷え切った色をして――
「そうやって独り善がりに動いて……また失敗したいのかしら」
――心臓が、どくんと大きく跳ねた。
「……あなたは感情的になると冷静でいられないのが玉に瑕ね」
大人しくしていなさい――そう言い残して、紫はスキマの中に姿を消した。
「――……」
閑散とした神社に再び静寂が戻る。いつのまにか風は止み、虫の足音さえしなくなると、この静寂は耳に痛いほどだった。
唯一、胸を内側から叩く心臓の鼓動だけが感じられる。霊夢はそれを押さえ込むように、握った拳を胸に押し当てた。
お見通し、と言うことなのだろう。
幻想郷という楽園を創造した偉大なる妖怪の賢者。言動や性格に問題はあっても、やはりその頭脳は果てしなく優秀で――霊夢の考えていることなど容易に本質を捉えて、上回る。
事実、紫のあの言葉は的確で、霊夢への牽制として完璧だった。
でも――
「だからって……どうしろってのよ」
行動しなければならないのに行動してはいけない――この歯痒さは何ものにも耐えがたい苦痛である。そしてなにより、紫の言い分が正しいと冷静に理解できてしまっている自分自身が、どこか恨めしくすらあった。
何もせず、ただ待って、吹羽の傷が勝手に治るのを待っていろと? 新しい傷が生まれるかも知れないことが、分かっていて?
――断じて否。それを見過ごしたら、きっと霊夢は一生吹羽と向き合えなくなる。
ならばよろしい……考え方を変えろ。
動いてはいけないなら、
「(……上等よ紫。動くなって言うなら動かない。だけどその代わり――その範囲内では好き勝手やらせてもらうわ!)」
見られているのは百も承知、読まれているのは千も承知だ。
いいだろう。上等だ。そっちがそういう手に出るならば、こちらにも考えがある。
再び強い決意を瞳に宿すと、霊夢は神社の奥へと向かう。
手には古びた鍵。普段は決して開かないし、開く用事がない最奥の部屋へ。そこにあるのは所謂――博麗 霊夢という巫女における切り札。
長い準備は必要なものの、その存在こそ霊夢が“最強の人間”と言われる最たる理由だった。
「(……失敗しないわ、今度こそ!)」
その誓いを心に刻みつけながら、霊夢は古びた扉をゆっくりと開いた。
◇
「まったく、本当に仕方ない人ですね魔理沙さんはっ」
「あっはは! まぁそんな怒るなって。悪かったよ!」
「……ここまで心が篭ってないといっそ清々しいですよ、もう……」
不貞腐れたような声音の吹羽を見て、魔理沙はしかし一層上機嫌に笑った。御盆に盛られた煎餅を一つひょいと取ると、豪快にバリッと齧って見せる。吹羽はぷいっと顔を逸らした。
彼女が不機嫌なのは火を見るより明らかだが、魔理沙に言わせればあれほど気持ち良い驚きっぷりを見せられては上機嫌にもなろうというものだ。
にやけてしまうのは不可抗力というやつである。いやむしろ、百点満点の驚きを提供してくれた吹羽が悪いまである。
「……なんか理不尽なこと考えられてる気がします」
「なにぃ!? お前わたしの考えてる事分かるのか!?」
「能力を使わなくてもわかりますよその顔じゃっ! ていうかほんとにそんなこと考えてたんですか!?」
身を乗り出して叫ぶ吹羽を前に、魔理沙はキリッとキメ顔を作って、
「驚いたお前が悪い!」
「なんなんですかもぉーッ!」
そよ風の巡る家内に響いた柔らかい怒声に、周囲の鳥たちは一斉に飛び去った。
――魔理沙が風成利器店へ訪れて、もうそろそろ
日はまだ高いが南中はとっくに過ぎており、部屋の中を巡る風にも肌寒さが目立ち始めている。まさか冬の間も絶えずこんな冷風を取り入れているのだろうかと徐に思った魔理沙だったが、部屋の隅に準備してある布団はどうやら炬燵用らしく、冬に向けて準備くらいはしているようだ。
暖かい空気が今のように家中を巡ってくれるなら、もしかすると下手に暖炉のある家よりも暖かく感じられるかも知れない。
もしそうなら、いつかの霊夢の言葉ではないが、それこそ冬眠中の熊の如くこの家に泊まり込んで魔法の研究に打ち込むのもいい。
少し強引にでも頼めば、吹羽はそれくらい許してくれる気がした。
「それで、なにかボクに用事ですか? もし作刀がお望みなら、残念ながら明日になりますけど」
「んにゃ? 遊びに来ただけだ」
「……………………そ、そう、ですか」
あまりにあっけらかんとした切り返しに吹羽がたじろぐ。
別に用がなくちゃ来ちゃいけないわけでもあるまい、と魔理沙は勝手に思っているのだが、どうやら吹羽は何某かの用事があってきたのだと思っていたらしい。
吹羽は釈然としなさそうに頰を掻いた。
「てっきり何かあったのかと」
「何かあったとして、わざわざお前を呼びに来るような事件なんてもう起こるまいよ」
「……異変解決、とか」
「ふむ……まぁ行きたいなら連れていってやるけど、多分霊夢が恐いぜ?」
「……ですよね」
以前に比べれば幾分かはマシになったようだが、相変わらず霊夢の過保護ぶりは落ち着かない。以前吹羽を連れていった時もこのことで霊夢の怒りを買ったわけだが、もし戦闘中でなかったら、きっと彼女は魔理沙に拳骨を飛ばしても許さなかっただろう。
想像だけでも寒気がする。だが、吹羽が望むのであればできるだけ叶えてやるのが友人の務めだと魔理沙は思うのだった。
仕方なさそうに煎餅を摘み始める吹羽から視線を外し、徐に部屋を見回すと、いつかの神棚が視界に入った。
相変わらず非常に綺麗にされていて、吹羽の強い信仰心を感じさせる。
こうして改めて神棚を見ると、以前阿求とここに訪れた際に起きた不思議な現象を思い出す。今考えると、あれは不躾に触れようとした魔理沙に対する風神の小さな怒りだったのだろう。
吹羽の持つ本当の能力――真の終階については魔理沙も聞いている。ここには本当に風神が宿っているのだ。
「……ん?」
「どうかしました?」
「いや……アレ」
「アレ? あぁ――」
視線で示すと、吹羽は納得したように“それ”を手に取った。
魔理沙にも見覚えのあるそれは神棚には似つかわしくないほど生地が荒れており、裾は所々破れている。畳まれているのにそれが分かるなら、実際はかなり痛んでいるのだろう。
だが、吹羽はそれを優しく胸に抱くと、愛おしそうに口元を埋めた。
「吹羽……」
「……お兄ちゃんが羽織っていたものです。せめて安らかに眠れるようにと、思って……」
上着が置かれていた側には黒塗りの太刀が置かれている。察するに鶖飛の持っていた風紋刀――“鬼一”だろう。
奉納している太刀風の真打と並べて置かれたそれは、見違えたように綺麗に磨かれている。鶖飛の安寧を願う心が窺えるようだ。
「(形見、ってことなんだろうな)」
――元気が戻ってきたようにも思えたが、きっとまだ踏ん切りが付いてはいないのだろう。
どれだけ罪を重ねたとしても、鶖飛は吹羽にとってはかけがえのない兄だ。それを手にかけて何も思わないような奴は、きっと人間として破綻している。
そんな中で、傍目にでも元気を見せている吹羽は、もしかするとかなり無理をしているのかもしれない。
友人の気持ちを思いやるくらいの気配りは、魔理沙もできる気でいた。
「なぁ吹羽、ちょっといいか?」
「? なんですか……?」
よっこらせと立ち上がって、魔理沙はきょとんとする吹羽に視線を向ける。
そしてもう一度“鬼一”を見遣って、不思議そうな吹羽に視線を戻す。
「……わたしはさ、結構不器用なもんでな。霊夢や阿求みたいに気の利いたことは言ってやれない。もしかしたら、それも余計なお節介なのかもしれないけど」
「! そんな、ことは……」
二人ならこういう時、なんと言って吹羽を慰めるのだろう。身の上が身の上の為、人との触れ合いを多く経験したとはいえない魔理沙はこうした際に遣る瀬無さを感じる。
だが人は人、自分は自分。霊夢や阿求のようにできないなら、魔理沙は魔理沙のようにやるしかない。
魔理沙は知っている。気分が滅入ったり落ち込んだりした時には気分転換すればいい、ということを。
「あの、魔理沙さん? 箒を持って……どこか行かれるんですか?」
「ばか。お前もいつもの道具持って外に出るんだよ。ちょっと森に入るぞ」
「ぇ……はい?」
帽子を被り直して、魔理沙は吹羽を催促する。渋々と準備を始める吹羽に言う。
自分にできるのはこれくらいだ、と表情で示して、
「身体を動かして、溜まったもんは吐き出そうぜ!」
そう言って、魔理沙は
今話のことわざ
なし