風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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第五話 魔法使いが来た

 

 

 

 幻想郷は、緑の豊かな自然に溢れている。特に木々の葉が色付くこの季節、その色彩によってこの世界は極彩色へと変化するのだ。

 今日も今日とて僅かに冬を感じさせる秋空には、暖かい光を注ぐ太陽が煌々と輝いていた。

 雲一つの陰りさえ見当たらない、気持ちの良い快晴である。

 

 しかし悲しきかな、妖怪の跋扈するこの幻想の世界には、陰りが必要不可欠である。

 日が差せば、影が出来る。日が向きを変えれば影も変型し、片方の色が濃くなる事は同時にもう一方の濃化を意味する。幻想郷は繊細なバランスの上に成り立つ世界なのだ。

 故に、この世界には、そんな太陽の光さえ差し込まない場所も当然存在する。

 その一つが――魔法の森。

 

 鬱蒼とした森の中は一年中薄暗く、日が差しにくい影響で空気が常にジメッとしている危険な場所である。

 何が危険って、魔法の森には食人植物や幻覚キノコを始め、何と言っても有害な瘴気が満ちているのだ。

 不用心に迷い込みでもすれば、“住民”に助けられない限り行き倒れること必至だ。

 

 ――そう、この森にも少数ながら住んでいる者達がいる。

 こんな環境だからか、はたまた魔力をも含む植物が分布しているからか、この魔法の森には、魔法使いや妖精や、魔法使いになりたい人間(・・・・・・・)が住み着いたりしているのだ。

 ――まぁ後者に限っては、“可哀想な目”にあって早々に諦めた者ばかりなのだが。そこは察して貰いたい。

 並大抵の覚悟で、この森に住み着く事は不可能である。

 

 ともあれ、そんな魔法使い達は当然森の中に居を構えている。

 魔法使いの家と言えば、誰だって想像する物はほぼ同じなのではないだろうか。

 

 崩れ掛けたような、“ドロッ”としたような外観の城っぽい建物。

 中は常に薄暗く、骸骨や不気味なキノコが陳列し、決め手は勿論、中心に鎮座する大釜。

 気色の悪い色をした液体がゴボゴボと泡を立て、それに溶けた不気味な材料や怪しい薬が強烈な臭いを発し。

 夜遅くになれば、家の主たる魔女の不気味で(しわが)れた笑い声が森中に木霊(こだま)する。

 

 ――大方、そんなところだろう。もしかしたら本当に、そんな魔女も居るのかも知れないが。

 

 ところで、霊夢の友人である霧雨 魔理沙は、魔法使いである。

 雰囲気からでは凡そそうとは思えないが、あれでも彼女は一端の魔法使いなのだ。 当然家も森の中にある。

 ――そこで、果たして彼女の家は誰もが抱くようなあの想像と相違無いものなのか。

 答えは、否である。

 

 多少権力のある道具屋の娘として生まれ、そして人間として育った魔理沙には、当然人間の感性が染みついている。 文字通り人間の思考回路ではない妖怪のように、奇怪で突飛で常識外れな考え方など持ち合わせてはいないのだ。

 そんな人間の彼女が建てる家など、住む家など、想像するには何の困難もない。

 しかし、唯の家かと訊かれればそうでもない訳で。

 

 今日も彼女の家では、しばしば爆発音(・・・)が響くのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 轟、轟。 魔法の森の一角では、爆発音と共に黒い煙が立ち上っていた。

 特に珍しい出来事ではない。だからこそ、それで騒ぎ立てる住人も一人として居なかった。

 何処の誰でも、例え妖精ですら“ああまたやってるなぁ”と一瞬の意識を向けるだけである。

 そしてその起因たる少女もその事に――ひいては爆発が起きて部屋が真っ黒になった事でさえ、大した悲しみなどは感じていなかった。

 またやっちまったか、と言う程度の実に軽い悲観である。

 

「ごほっごほっ! げぇーっほっ!」

 

 立ち上る黒煙の根元から、霧雨 魔理沙は煙を払いながら姿を現した。

 金色の髪は僅かに跳ね、身に纏う服にも煤がこびりついている。

 言ってはなんだが、その様は何処か貧しさすら感じられる惨めなものだった。

 舞い上がった煙の柱を見上げ、ふぅと一息つく。それは決して、溜め息などではなかった。

 

「うーむ……また失敗か。やっぱり上手くいかねぇもんだなぁ」

 

 パンパンとスカートを(はた)くと、そこからも煤が煙となって襲い来る。その煙に再度咳き込むと、その苦しさに魔理沙は一つの溜め息を吐いた。

 いや、または深呼吸かも知れない。 しかし、その様子がどうにも何かに辟易しているように見えるのは、きっと見間違いではないだろう。

 魔法の研究は、壁に突き当たってばかりだ。

 

「また材料とか出してこないと……つーか、まだあったか?」

 

 失敗するのは良い。例えそれで爆発を起こし、顔が汚れ、自慢の帽子がボロボロになったとしても、自らの魔法が更に進歩するなら安いものだ。

 ただ一つ魔理沙が心配なのは、実験が失敗し過ぎて材料が底をつき、挙句何の成果も上げられない事だった。

 特に最近は、面白い魔法を思い付いても成功した事例が少ない。偶然成功しても、夢想した魔法とは程遠い矮小な魔法だったり。

 故に、材料もみるみる減っていく訳である。

 

「…………探すの面倒だな、何処に埋もれてるのかも分からんし……。あー、ちょくちょく集めときゃよかったかなぁ」

 

 魔理沙が見つめる先には、ゴタゴタと大量のものが押し込まれた物置状態の建物があった。

 その屋根上に立て掛けられているのは、木のツルなどに絡まれた大きな看板である。そこに書かれた文字は若干掠れてはいるが、『霧雨魔法店』と微かに読み取れた。

 

 中は、散乱している。

 魔理沙の収集癖が現れた結果であるところの、鉄塊やら木片やら紙切れやらキノコやら。魔法の実験が凡そ常識的な材料を必要としない点を鑑みても、物置に無造作極まりない放られ方をした品々は、どう言い繕ったとてガラクタとしか言いようがない。それらが積み重って山となり、幾多の塔を築き、小さな廃材の摩天楼を形作っている。足の踏み場などは室内面積の五十分の一にすら満たないであろうことは、ビル群を縫う通路の荒れ具合から容易に想像できた。

 

 様子を改めて確認し、魔理沙は困ったようにがしがしと後頭部を掻く。

 この中から、また材料を出さなければならない。 まだ沢山あった頃は当然材料も山になっているので見つけやすかったのだが、在庫が少なくなった事もあり、また度重なる崩落という名の散乱によって、現在は探し出すのも一苦労な状態だ。

 さっき使用した実験材料も、数十分掛けてここから探し出したものである。整頓すれば良いという話だが、生憎彼女は大雑把且つある種豪快な性格である。 拾ってきた物やその場では使わない物、趣味で集めたガラクタなどをひたすらに詰め込んだ物置を、整理しようとは思わないのだ。

 

 探すのは時間が掛かったのに、消費するのはほんの一瞬。なんと理不尽な世の中なんだ。

 魔理沙は自分の事を棚に上げ、筋違いにも嘆きたくなった。

 

「はぁ……今日の実験はこれくらいにしておくか。材料を無駄にする位ならアイデアが浮かぶの待ったほうが効率的だぜ」

 

 物置から目を逸らしながら、自分に言い聞かせるように呟く。

 そういう面倒事は後回し。なんなら新しく材料集めて、改めて山を作ればいい。

 大雑把な彼女の性格が伺えるようだった。

 

 しかしそうと決めたならば、今から何をしようか。

 今日はもう実験関係の事をしたくないし、従って今から材料集めと言うのも気が進まない。

 博麗神社に行ってもいいが、何の用事もないのにズカズカと入ったら霊夢は嫌な顔をするだろうか。まぁ今更な話なのだが。

 空を見上げて考える。

 大部分が木々に隠れてしまっているが、そこから見え隠れする空は抜けるように青い。家でゆっくりするにはあまりにも早い時間だ。天空を流れる風が雲をゆっくりと運ぶ様が見える。

 ――何処か、行って面白そうな場所はあるだろうか?

 

「――あ、あるな。 行って見たいところ」

 

 うんうんと唸っていると、ふと魔理沙の頭に()ぎるアイデアがあった。

 少し前に霊夢と話していた事である。そしてその時に“その内行ってみよう”と思い、今の今まで保留にしていた。というか忘れていた。

 全くの暇となってしまった今ならベストタイミングである。研究に行き詰まったならば、好きな事でもして気分転換をするが吉。

 魔理沙は早速魔法で箒を手元に呼ぶと、勢い良く飛び乗った。

 

「へへ、暇潰しにはもってこいかもな」

 

 霊夢に聞いた話を思い出しながら、魔理沙は頰を釣りあげた。

 彼女が向かうは、人間の里である。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 何をするにも、元となる物は存在する。もっと言えば、何が完成するにも必要なものがある。

 そんなの当たり前だ、何を今更――と思うかもしれないが、これも立派な世の理の一つだ。

 例を挙げてみよう。

 この世の全てのものは原子から出来ており、その原子もまた中性子と陽子、そして電子で構成されている。

 同じように、生物が活動するにはATPというエネルギー――正確にはATPがADPとPに分解される際のエネルギー――が必要であり、そのATPを得る為にも、呼吸によって体内で多数の化学反応を経る必要がある。

 元を無くして成り立つものなど、この世には存在しないのだ。

 詰まる所何が言いたいのかと言えば、“何かを作り上げるには元となる物がなければならない”という単純な事である。

 

 この日、吹羽はいつも通り仕事に励んでいた。

 もともと阿求と会う約束をしていた為に、彼女も例の如く吹羽の仕事を眺めている。それが相変わらずくすぐったくもあったが、概ね普段通りだった。

 今回は鍬や鎌などの農具が注文されていた。

 包丁などとは製法が若干違うものの、彼女の腕ならばお手の物。『次階』到達者の鍛治技術は伊達ではない。

 鍬や鎌も広く見れば刃物の一種であり、彼女がそれを作る修行を積んでいない訳がなかった。鋼を火に掛け、昨日からの製作途中である鍬を慣れた手つきで鍛え上げていく。

 ――が、ちょっとした問題が発見されたのはその後だった。

 

「よし、これで大方完成。あとは鎌……って、あれ?」

「どうしたんですか吹羽さん?」

「ここに鋼が置いてあったと思うんですけど、阿求さん知りませんか?」

「……鋼? そこには初めから何もなかったと思いますけど……」

 

 辺りを見回し始めた阿求に続き、念の為吹羽も再度周囲を確認した。

 相変わらず大きく開いた店の玄関。異常はない。

 未だ高熱を放つ炉。残った材料が入っている様子はない。

 奥の工具置き場。整頓されてどの道具が何処に置いてあるのかが非常に分かりやすいが、それ以外にはなかった。

 ――やはり、見つからない。何処にも吹羽が求める鋼の姿はなかった。

 という事は、だ。考えられる事は、たった一つしかない。

 

「うーん、どうやら切らしちゃったみたいですね。また採ってきて製鉄してもらわないと……」

「あら、採石場か何処かに行くって事ですか?」

「まぁ、そうです。ずぅっと昔から使ってるらしい場所があるんですよ。人里からはちょっと離れちゃいますけど」

「そうですか。じゃあさっさと行ってお仕事の続きしましょう!」

「……えっ、ちょちょちょっと待ってくださいよ阿求さんっ! 人里からは離れちゃうんですってば!」

 

 何も考えていないかのように出て行こうとする阿求を、吹羽は慌てて引き止める。振り向いた阿求の表情と言ったら、何故引き止められたのかが何もわかっていないかのようだった。

 

「な、何ですか? 早く行きま――」

「ダメですよっ! 里の外では妖怪に襲われてもおかしくないんですから!」

「むぅ、それは吹羽さんも同じじゃないですか」

「ボクは護身用の武器持ってくから良いんですっ!」

「じゃあ私にも何か貸して下さい」

「逆に怪我しそうだから却下ですよ! 本当、阿求さんに何かあったら大変なんですから!」

「なら、吹羽さんに守ってもらうしかありません。それなら万事解決ですねっ♪」

 

 ――ああもう! なんでこんな無駄に信頼が厚いんだ!

 のらりくらりと追求を逃れる阿求の態度と言葉。信頼されるのは嬉しいと思いつつ、こうして危険な場所へと赴く保険にされると言い返しにくいのが困った所であった。

 自分を信じろ! と胸を張れる程、吹羽は自分の実力に自信は無い。

 かと言って、守りきれないから付いてくるな! と言うのも、信頼を裏切るようで忍びない。

 勿論怪我をさせるよりは遥かに良いわけだが、いやはや……。

 困り果てる吹羽の苦笑いを見ても、阿求は相変わらずにっこりと笑っていた。

 一体何に悩んでいるのだろう――そんな言葉が聞こえてきそうである。

 

「とにかく! 危ないからダメです! ここで待ってて下さいっ!」

「えぇ〜、せっかく来たのに〜!」

「“小事に拘りて大事を忘るな”って諺がありますっ! 興味なんかで怪我されたらボクが嫌な気持ちになるじゃないですか!」

「……それ、使い方ちょっと違いますよ? それは目的を見失うな、って意味で……」

「ッ! う、うううるさいですよぅっ! とにかく、ダメなんですからねっ!」

「連れて行ってくれたら、後で鯛焼き買って上げますよ? 餡子が甘ぁくてとろっとろのお店知ってるんです〜」

「た、鯛焼き…………はっ! そ、それでもダメですぅっ!」

 

 一瞬頭の中を鯛焼きに支配されそうになるも、吹羽はそれでも“阿求の為”と妄想を振り払う。

 不満気に頬を膨らませる阿求の顔をなるべく見ないようにして座らせ、吹羽はやっと一息吐いた。

 全く、普段机仕事をしている割に元気なのは良い事だけれど、その勢いのまま突拍子も無い事を言うのは勘弁願いたい。

 阿求とはそれなりに長い付き合いのある吹羽の、切実な願いだった。

 

 ――ともあれ、そうしたら準備をしなければ。

 阿求を待たせるのは申し訳ないが、仕方がない事ゆえ、と吹羽は無理矢理自分を納得させた。それに、要はすぐ帰って来れば良いのだ。

 

 一度住居の方に戻って着替え、護身用に刀を一振り差して大きな袋とツルハシを持つ。これも勿論風紋付きである。風成家にある道具は大抵風紋付きなのだ。

 

「武器良し道具良し、髪留めも付いてるし、あとペンダントも……うん、ある」

 

 準備は万端。

 羽型の髪留めと勾玉のペンダントも、吹羽にとっては御守りも同然である。出かける時には必須の装備なのだ。

 そうして手早く準備を終え、阿求が暇そうにしているであろう工房へと急ぐ。幾ら共には行かないとは言え、全く気にしない訳にもいかない。

 少し慌てたように住居と工房を繋ぐ扉を開けて入ると――予想外の光景が、そこにはあった。

 

「それじゃ阿求さん、行ってきま――」

「ほーう? これとかどう使うんだろなぁ。ちょっくら借りて研究でも……」

「ああ! 勝手に持っていったら吹羽さんに怒られますよ!」

「良いだろ別に。減るもんじゃなし、借りるだけなんだからさぁ」

「私に言ってもしょうがないですし、あなたのそれは一生返ってこないじゃないですか!」

「……えっ、とぉ……」

 

 はて、この人は一体何をしているのだろう――?

 黒くて大きな三角帽子とその後ろ姿を見た瞬間、吹羽が初めに考えたのはそんな事だった。

 今までだって、自分がいない間にお客さんが来る事は間々あった。大抵そういう時は専用の椅子に腰を掛けて見本の品物を物色している人が多いのだが、帽子の少女が見ていたのは見本ではなく、吹羽の大切にしている道具達だった。まるで有名な絵画の粗を探すかのように、手にとってじっと見つめているのだ。

 ――という事は、お客ではないのだろうか?

 彼女の行動に吹羽が小さく首を傾げていたところ、それにいち早く気が付いたのはやはり阿求だった。

 

「あ、吹羽さん! ごめんなさい、止めようとしたんですけど……」

「なんだよー見てただけなのに。まだわたしは借りてないぜ?」

「今までの所業を思い出してから言ってください……!」

「あのー、別に見るだけなら全然構わないんですけど……えっと……?」

 

 未だ困惑の中にいる吹羽に対して、少女は真っ直ぐ向き直る。被り直した大きな帽子の下には、眩しいばかりの笑顔が覗く。

 金色の瞳が輝いて、吹羽は少しだけどきりとした。

 

「お前が風成 吹羽……で、良いんだよな?」

「は、はい。ボクが吹羽です」

「わたしの事、覚えてるか?? 一度会った事があるんだが」

 

 彼女の眼差しに少しだけドギマギしながらも、吹羽は言われた通り記憶を辿り始めた。

 あの帽子と金の瞳、確かに何処かで見たことがあるような……あ、そうだあの人だ。

 吹羽が彼女の姿を思い出すのに、大した時間は必要無かった。

 忘れていたとは言え、出会った時の事は吹羽としても印象的な出来事だったのだ。

 そう、友人たる霊夢の家へ珍しく遊びに行った時、箒に乗って空から舞い降りて来た快活な少女。会って話したのはそれきりだったが、その可愛らしい容姿と印象的な口調がしっかりと吹羽の記憶には焼きついていた。

 そうだ、この人は霊夢さんのもう一人のお友達。

 霧雨 魔理沙さんだ――と。

 

「魔理沙さん……でしたよね。霊夢さんのお友達の」

「おっ、ちゃんと覚えててくれたのか」

「あぁはい……というか、今思い出しました。すいません忘れてて……」

「いや気にすんな。わたしの方もつい先日までお前の事忘れてたくらいだからな、お互い様だ。 へへっ」

「……あはは、じゃあそういう事にしておきますね」

 

 にかっ、と明るい笑みを浮かべる魔理沙に釣られて、思わず吹羽も軽く微笑む。

 その笑みから、なんだか親しみやすそうな人だなぁ、とぼんやり思った。

 思えば、吹羽も霊夢もあまり活動的な性格では無い。その点活発な性格――をしていそう――な魔理沙は一見正反対に見えつつも、案外自分達との相性は良いのかもしれない。

 親交の印に差し出された手を、吹羽は笑顔で取るのだった。

 

「……それで魔理沙さん、吹羽さんの家に何をしに来たんですか? ここまで来てまさか“盗みに入った”、なんて言いませんよね?」

「ああ、言わない言わない。ここにある物は盗んでもわたしにゃ使えそうにないしな」

「……理由にちょっと納得いかないんですが」

「まぁ、盗まないでくれるなら良いですよ。それで、本当に魔理沙さんは何を? 注文じゃあないんですよね?」

「ああ。ここの品はわたしが買うにはちと高過ぎる。そう言うんじゃなくて――」

 

 言葉から繋ぎ、流れるような動きで吹羽はぐいっと引き寄せられた。

 何を思う間も無く、気が付いた時には、吹羽の目の前には魔理沙の端正な顔があった。

 

「ちょっと、お前自身(・・・・)に興味が出たんだ。ちぃとばかし付き合ってもらうぜ?」

 

「…………へっ?」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 例えば、こんな問題があったとしよう。

 

 ある町に暮らすA君は、極々普通の家庭で育った少年である。与えられるべき物を与えられ、愛情を溢れんばかりに注がれる幸せな環境の中にいる。

 友達も多く、時には恋人が出来たりして、実に充実した人生を送っていた。

 ある日、A君は心から愛する母親に、何時になく険しい表情でこう告げられた。

 “お前は本当は私の子供ではないのだ。本当の両親はもっと遠い所にいて、住所もはっきりしているから、そちらで暮らしたいならば止めはしない”。

 この後、A君はどうするだろうか?

 

 勿論、この答えは人それぞれだ。

 話の通り本当の親へ会いに行くのかもしれないし、ここに留まるのかもしれない。或いは、そんな重要なことを隠していた母親を恨んでここを出て行くことも出来る。また、怒りのままに殴りつけることも出来る筈。選択肢は無限にあるのだ。

 しかし――この問いを、同じように霊夢が受けたならば、彼女はきっとこう即答するだろう。

 はぁ? そんなの、ここに留まるに決まってるじゃない――と。

 

 大切なのは血筋ではなく、自分がどれだけその人に感謝しているか、どれだけ愛情をもらったか、だ。

 それを無くして母親面する“血が繋がっているだけの人”の所へなんて、何が悲しくて行かなければならないのか。

 霊夢の、家族というものへの認識の根底にはそんな考え方があった。

 何せ彼女自身――本当の両親の事を知らないのである。

 

 捨て子……そう自分を形容すると、何処か自分が寂しい人間だと蔑まれているように感じられて嫌だった。

 単に捨て子が存在する、という事実は、決して裕福な家庭が多くなく、加えて危険な妖怪の跋扈するこの世界では仕方ない事とも言える。捨てられてそのまま息絶えてしまった赤子の数など想像するのも億劫だ。

 ただ霊夢という捨て子が運良く拾われた、というだけの話。拾われただけマシな境遇だ、と考えるべきなのだろうが、その事を深く考えるのはやはり、辛い。

 それでもふと考えてしまった時、心を慰めるために思い出すのは、まさに赤ん坊だった自分を拾ってくれた“育ての親”の事だった。

 

「………………はぁ」

 

 こうして見慣れた獣道を歩んで行く度、繰り返し繰り返しそうした同じ事を考えてしまう自分に、霊夢は小さく嘆息した。

 この道を歩いていると、気が付けば同じ事を考えている。それは、自分を寂しく感じてしまう故に、望んで考えたくはない事の筈なのに。

 そしてふと脳裏に浮かんだそれを慌てて振り払っても、後に残るのは、いつまで経っても薄れはしない哀愁だけだった。

 それでも来てしまったのは、先日の吹羽と慧音の出来事を目にしたからか。本当のところは、霊夢自身も分かってはいなかった。

 

「……久し振り、母さん。また来たわよ」

 

 そうした無為な輪廻を繰り返す内、霊夢が辿り着いたのは、森を丸く切り開いた広場だった。

 別に大きな広場ではない。空から見ても、周囲の木々が目一杯枝を伸ばしている影響で見つけるのは困難だろう。

 霊夢はその中心に立てられている石に向け、優しげに語りかけている。

 ――これは、石を立てただけの簡素なお墓だった。

 

「何時かしら、前に来たの。多分半年以上前よね」

 

 見れば、前回来た時に活けておいた草花は枯れ果ててしまっている。当然の事なのだが、亡き者の眠る場所で枯れた花がある事に何となく空虚さを覚えた霊夢は、近くに生えていた数本の花を摘み取り、枯れた花と挿し替えた。

 近くに水は無く、きっとこの花も直ぐに枯れてしまうだろう。しかし、残った命で目一杯に鮮やかな色を放つその花を眺めて、霊夢は何とはなしに微笑みを零した。

 

「……めそめそ悲しむのは柄じゃないって分かってるけど……やっぱり、寂しいものは寂しいわね。幾ら魔理沙や吹羽がいるって言っても、ね……」

 

 魔理沙と吹羽は、友達だ。それは自他共に認めている事であり、彼女らは霊夢の数少ない心の拠り所の一つである。話せば自然と笑えるし、別れる時には少しだけ虚しくなる。その時は確かに一人ではないだろう。

 しかし――“家族”と“友達”では全く意味が異なるのだと、霊夢は知っていた。

 

 どちらも要素の一つであり、その者を取り巻く環境の一部。それは確かだ。しかし、カテゴリが同じと言うだけで、何もかもが同じである訳ではない。

 “友達”が炬燵のような表面的な暖かさならば、“家族”は抱き締められるような内面的な暖かさと言えるだろう。

 家族がその者に向けてくる“愛情”と言う名の暖かさは、根深く心の奥底に根付いているものだ。

 そしてその愛情というものに、血の繋がりはさしたる影響力を持たない。

 

「……母さん。母さんが死んでから、もう何年になるのかしら。もう随分前の事だけど……未だに振り切れないでいるあたしは、やっぱりまだ未熟ってことなのかな」

 

 あるいは、それだけ愛情が深かったのか。己が未熟故と思うよりは、そちらの方が何処か嬉しく感じる。

 育ての親――先代の巫女は、霊夢にとっては正真正銘の母親だった。例えそこに血の繋がりなど無くとも、注がれた愛情に嘘偽りが無かったことを、勘の鋭い彼女は幼心に感付いていた。

 だからこそ、母が討たれたと知った時には――。

 

「…………はぁ。ダメね、やっぱり。母さんに笑われないようにするなら、先ずはこの暗い気持ちに整理をつけなきゃ」

 

 自分に言い聞かせるように、ぱちんと両頬を叩く。じんじんとした痛みが何処か心地良く感じたのは、きっと気の所為ではない。

 母の事を忘れる必要はないのだ。失った悲しみを忘れる必要もないのだ。それを受け入れ、乗り越える事で一回り強くなれる事を霊夢は知っている。そしてその気持ちを知っているからこそ、誰かの役に立つ事も出来るのだ。

 人としては、それで十分である。

 

 霊夢は今暫く母の墓前に座り込み、経験した様々な出来事を語った。

 異変やその首謀者、それに自分が思った事、最近困った事、そして魔理沙や吹羽との事。

 それ程長い時間ではなかったものの、彼女には確かに母が話を聞いてくれているように感じた。

 

「――さて、それじゃあ母さん。あたし、行くわね。こうしてる間に妖怪が暴れたりしてたら、みんなが困るもの」

 

 石の墓標は、応えない。

 しかし、目の前で静かに佇むその墓標が、何処か自分を鼓舞してくれているように感じるのは、ただの思い込みだろうか。

 母の眠る墓に不思議な感覚を抱くも、“幻想郷だから仕方ない”といつもの調子で切り捨てる。

 きっと母は、そこにいる。しかし、例えいなくても良い。巫女は神道の者なれど、仮に“墓には仏が眠る”という偶像崇拝を信じるならば、そこに母が眠っていると思うだけで、その網膜に像を結ぶ事が出来るのだ。

 墓とは本来、そういうものだろう。

 

「またその内来るわ、母さん。今度は、ちゃんと花も持ってね」

 

 墓に背を向けて歩き出せば、その大きな赤いリボンが風に吹かれてゆらゆらと揺れる。

 その様が、不思議なくらい暢気なように見えた。

 

 

 

 




 今話のことわざ
小事(しょうじ)(こだわ)りて大事(だいじ)(わす)るな」
 目先の小事にこだわって肝心な大事を忘れてはならない。枝葉末節のために本来の目的からそれてはいけないという戒め。

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