風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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遅くなりました……いや、色々用事があったんです。サボってたわけじゃないんですっ。

9/4 最後の部分を少しだけ修正しました。


第五十二話 兄妹

 

 

 

 強烈な破壊をもたらす大災害は、神敵と定められた鶖飛に容赦なく降りかかっていた。

 絶え間なく降り注ぐ落雷は槍の如く、雨や雹はあらゆるものを穿つ銃器のよう。風はどんな業物をも凌ぐ至高の刃となって、主たる吹羽に付き従う。その圧倒的な力は確実に鶖飛を追い詰めている。

 

 ――決着がもう間近であることは、誰の目にも明らかだった。

 

「〜〜ッ、吹羽ッ!!」

 

 雷の槍が無数に鶖飛へと降りかかる。雷速に対応できない彼はその身に穴を開けながらも飛び込み、吹羽へと鋭い剣戟を放つ。

 が、吹羽は事も無げに受け止め、次いで“太刀風”で薙ぎ払った。風が成したその刃には雨が混じり、雷が宿っていた。

 

「俺はッ、諦めねぇぞ!」

 

 雨の弾丸と雹の砲弾が鶖飛の身を打ち据えた。当然、目に捉えられないほどの速度で天から無数に降ってくるそれらは、避ける事さえ至難の極みである。

 苦悶の声と血反吐を吐く音が嵐に混じって聞こえてくると、吹羽の胸の中になにかじくじくとしたものが広がっていく気がした。

 

 どんな物をも切り裂く風の刃が風雨に混じって群を成し、鶖飛の五体を切り刻んでいく。腕、足、時には首。しかし鶖飛はその都度“再縫合(リスーチェ)”を発動し、まるで糸で縫い合わせるように即座に再生して、激しい血飛沫のみが嵐の中に舞っていた。

 想像を絶する苦痛であろうに決して諦めないその姿は、そういう性分だと知っていても、僅かな苛つきが心に積もっていく。

 もうやめて欲しい――そう思った。

 

「どれだけ傷付いても……どれだけ死んでもッ! 俺は俺たちを(・・・・)、救ってみせるッ!」

「〜〜ッ、うるさいですッ!」

 

 その怒号を表したように一際巨大な雷鳴が轟いた。空間を白く染め上げながら、閃光は瞬時に鶖飛の頭上に降りかかり、轟音と共に地面を爆散させた。

 だが、そこには刀を大上段に構えた鶖飛の姿が変わらずあった。全身血塗れではあるものの、その五体は巨大な落雷を受けてなお未だに繋がっている。そして掲げた刀には――神力の雷がバチバチと弾けていた。

 

「『返縛刺縫(へんばくしほう)』――“雷切”ぃッ!!」

「宴だよっ、“天狗風”ッ!!」

 

 “刺繍(エンブリム)”によって縛られ、鶖飛の刃となった落雷による巨大な斬撃。幾本も展開され、舞うように旋回して膨大な風を溜め込んだ“天狗風”の群れ。

 二つは二人のちょうど間で衝突し、瞬時に相殺して爆風を巻き起こした。辺りには電気の混じった風雨が吹き荒れ、吹羽の肌をもぴりぴりと刺激する。

 吹羽はその爆風にも負けず、雹と雨を引き連れて鶖飛に肉薄した。

 

「救ってもらわなくて結構ですっ! ボクはみんながいてくれれば、それで幸せなんですッ!」

「運命に縛られて! 掌の上で弄ばれて――っ!」

 

 銃撃の如き雹雨を叩き付けながら、吹羽は諸手で斬りかかった。風雨と雷を宿した“太刀風”の刃は容易に大地を引き裂き、瞬く間に鶖飛を防戦一方へと追い詰める。

 だがそんな怒涛の攻防の中、風雨による傷を顧みない鶖飛の一太刀が遂に吹羽の刀を受け止めた。

 刀の接触だけで衝撃が迸る。がちがちと火花を散らす両刀を挟んで、二人は互いに睨み合う。

 

「それで幸せな訳がない……! 自由であることがっ、唯一の……俺たちの幸せだ!」

「もう……もうそれはっ、聞き飽きました!!」

 

 空を覆う黒雲の至る所が光ったと思うと、その刹那無数の落雷が全方位から鶖飛に降りかかった。

 傍目には空間が白く染まった程度にしか見えないだろうそれは、一瞬で鶖飛の体一つに重ねられ、形容しがたい爆音を奏でた。

 

 しかし吹羽は見逃さない。吹き飛んだ鶖飛はそれでも刀を手放さず、高速で吹羽の周囲を旋回していた。

 吹羽は手を大きく掲げ、権能を行使する。天空から次々と鶖飛を狙って『下降気流(ダウンバースト)』が飛来し、空間を引き裂く轟音を響かせた。

 それは彼女の怒りを表すような、極めて荒々しい権能だった。

 

「自由がなんだとか、運命がどうだとか! 勝手な尺度でボクを測らないでくださいッ!」

 

 吹羽の願いに導かれ、雨粒を乗せた暴風が駆け抜けた。鶖飛はそれに禍風で抵抗する。

 互いの風はうねり合い、絡まるようにして喰らい合う。

 

 ――結局のところ、鶖飛の何が気に食わないのかというとそういうところ(・・・・・・・)だった。

 自分は吹羽のことを最もよく理解している。だから必要なことも不必要なことも、何が幸せで何が不幸せかも、全てわかるのだと本気で思っているのだ。

 

 なにが自由だ。なにが運命だ。何事かに縛られるのは吹羽も嫌だと思えるし共感できるが、そんな彼女を縛ろうとしているのはむしろ鶖飛ではないか。

 鶖飛の掲げる幸せという“縄”。それは必ずしも吹羽の幸せには成り得ないし、それこそ霊夢が語った“押し付け”でしかない。

 

 鶖飛の決めた勝手な物差し――否、他人が勝手に定めたありとあらゆる物差し。吹羽にとってそれらは、自らの想いの程度を勝手に定めて価値を貶める、嫌悪するべきものなのだ。

 

 ――……そうだ。思えば昔から、鶖飛はこういう人だった。

 

「だいたい、鶖飛さんはいつもそうです! 厳しくするのがボクのためだって、稽古なのにろくな一本も取らせてくれないっ! 実践が全てじゃないって分からないんですかっ!」

「っ!? それはっ、加減したってためにならないだろうが! お前がいうのはただの馴れ合い――」

「ボクは! そんなものやるくらいなら約束稽古の方が良かったですッ!」

 

 何でもかんでも自分の中で完結させる。なまじなんでもできてしまうからって、鶖飛は自分の中で出した答えを無意識に“全て正しい”と思っているのだ。

 考えを改める時なんて、対立した相手が泣くなどして弱った時ばかり。優しく、そして自己中心的な鶖飛は、そこまでされないと“答え”を変えない。

 

「いつだったか、粒餡のたい焼きを頼んだのに全部こし餡で買ってきたこともありましたね! あの時は本気でぷっつんしそうになったんですよ!?」

「粒餡を食べたらっ、豆が歯にくっついたままになるかもしれないんだぞ! 可愛いお前にそんな恥をかかせるわけには――」

「余計なお世話です! 粒餡を頼んだんだから粒餡を買ってきてくれれば良かったんですよッ!」

 

 優しいのは分かっている。優秀なのは百も承知。吹羽に対してはきっと、周りが引くくらいに優しいのだろう。

 だがそれで変に気を回して周りを困惑させたことは何度もあった。直近では文を相手に刀を抜こうとして咄嗟の吹羽に止められている。

 あの時、阿求や吹羽がどれだけ慌てたのかを彼はきっと理解していない。吹羽が泣いていたからその元を断とうとした、なんて平気な顔で言うに決まっているのだ。

 

「お父さんと喧嘩した時もそうですッ! 心配になって、泣いてるんじゃないかと思って、必死に追いかけたのにっ! なんですか“気にしなくていい”って! 馬鹿にしてるんですかッ!?」

「なっ、そんなわけ――」

「馬鹿にしてるでしょう! 心配したボクの気持ちを……その程度(・・・・)だって、切り捨てたんでしょうッ!!」

「っ!」

 

 何でもかんでも背負いこんで、人の気持ちも知らないで。

 だいたい、そうやって自分で解決しようとするからこうなったんじゃないのか。一人で抱え込んだからこうなったんじゃないのか。

 霊夢もそうだが、どうして天才という人種はなんでも一人でやろうとするのか。それに振り回されるこっちの身にもなって欲しい。

 

 本当に仕方がなくて、どうしようもなくて、自分勝手で――優し過ぎる。

 

「稽古のこともっ、たい焼きのこともっ、他にもいっぱいありますけどっ!」

「っ、」

 

 雹雨を耐えきった鶖飛が、鋭い刺突と共に竜巻のような禍風を撃ち出した。地を抉って迫る巨大なそれに対し、吹羽は周囲に無数の“疾風”を顕現させる。

 神の雷を宿し、爆音と共に撃ち出されると、それは光条の嵐と呼ぶべき様相で容易に禍風を食い破り、次々に鶖飛へ殺到した。

 

「鶖飛さんは無理をしすぎなんです! 一人でやらなくていいことを一人で抱え込んで、勝手に決めて、行動してッ、もっと周りを見てくださいよッ! ボクたちはそんなにっ……そんなに頼りないですかっ!?」

 

 相談するということを鶖飛が知っていたら、もっと違う結末になったかもしれない。何を抱えているのか打ち明けてくれれば、二人で考えることができた。こうやって対立して、争うこともなかったのだ。

 

 吹羽はぱちんと両手を胸元で合わせた。その瞬間凄まじいつむじ風が吹羽の体を包み込み、鈴結眼が爛々とした光を宿した。

 風神の瞳が光り輝く。これは権能を行使する予兆に他ならない。

 周囲に放たれていた神力は風に導かれて渦を巻き、熱を感じるほどの密度で手のひらに収束していく。

 

 吹羽は輝く瞳で真っ直ぐに鶖飛を見つめた。

 

「みんなは絶対に殺させません。もう罪を犯さないように……ボクが鶖飛さんを止めてみせます。それがボク()にできる、唯一のお役目ですッ!!」

 

 収束した神力を引き延ばすように勢いよく両手を開くと、暴風と共に眩い光が炸裂する。それは徐々に細く薄くなり、僅かに反り返って形を成した。

 

 握り、引き抜く。

 神力の光という名の鞘を払って現れたのは――鍔も柄すら存在しない、奇妙で小さな脇差。

 

「神器『鈴支御剣(すずつかのみつるぎ)』……!」

 

 しかし、そこに秘められた神力は今までの比ではなかった。

 吹羽の支配する風に含まれる神力が単なる水溜りだと思えるほどに、その脇差には湖の如き膨大な神力が込められているのだ。

 もしも“天ノ宴霆”が広範囲に撒き散らされる天災でなく、本当の意味でただ一個人に向けられる圧倒的“攻める力”だったなら、きっとこんな形をしているのだろう。故に守るための鍔は無く、握りやすくするための柄すら無い。刀身が長い必要は無く、納めるための鞘もいらない。

 刃と茎のみの、小さく、しかし途方もなく強大な天変地異。

 

 顕現したそれは――まさしく神器と呼ぶに相応しかった。

 

「……そうか」

 

 ヒトに向けるにはあまりにも強大過ぎるそれを前に、しかし鶖飛は呟くようにそう零した。

 そこにはやはり諦観はなく、どころかありとあらゆる感情が廃されたような無機質な声音だった。

 そうしてゆっくりと刀を持ち変え――己の心臓めがけて突き刺す。

 

「!」

「ごぶ……っ、そこまで拒むなら……俺も、腹を括ろう……『我縛刺縫(がばくしほう)』!」

 

 鶖飛の血に塗れた“鬼一”は、引き抜かれた瞬間凄まじい爆風を巻き上げた。鶖飛の身体から溢れ出した魔力が、濃密な神力が満ち満ちる中でなおそれを押しのけて渦を巻く。その色は赤黒くも紫紺にも見える極めて形容し難い色。あらゆる光を飲み込んでしまいそうな底なしの闇色だった。

 

 鈴結眼を完全に開放している吹羽には見えていた。

 鶖飛の内に押し止められていた禍々しい魔力が、心臓を穿って開放したことで吹き荒れているのだ。

 傷はみるみる内に細い糸に縫いとめられて塞がっていく。また同時に、それらはしゅるりと体外にまで吹き出して魔力を巻き取り、縛り、徐々に収束して刀に納めていく。

 

「禍天『鬼一法眼(きいちほうげん)』――!」

 

 空恐ろしいほどの魔力濃度だった。鶖飛の内に留まっていた全魔力が成したそれは、最早“妖刀”と言って差支えがない。

 触れてしまえば最後、刻まれ削られ消し飛ばされる、禍風と風紋の力が完全に合わさった究極の形。風神の濃密な神力をすら押しのけられるそれは、単純に密度という面ではまさに吹羽の神器に対抗する最後の手段と言えた。

 

「いくぞ、吹羽」

「はい……鶖飛さん!」

 

 同時に地を踏み砕き、風を切った一瞬後には互いの刀は衝突していた。

 相容れない魔力と神力。火花こそ散らさないものの、強大な二つの力が喰らい合い周囲に強烈な衝撃を齎す。それが刹那の内に数合交わされれば、もはや災害となんら変わりはなかった。

 

 しかし二人は手を、剣を止めない。止めれば負けるのは、己の想いに他ならなかったから。

 どれだけ傷付いてでも貫き通したい想いが二人にはある。それを全力でぶつけ合っているのだ、周りを気にしている余裕などある訳がなく、互いの視界には互いの剣しか映っていなかった。

 

 氷に雷、雨に風。天候を支配する刀である“鈴支御剣”と、禍風と風紋の力で触れたものを瞬時に斬り裂き消し飛ばす“鬼一法眼”。

 二つがぶつかり合う様子は、まるで語り継がれる神話大戦のよう。或いは、悪逆非道の限りを尽くした大妖怪と、それを退治せんとする神の遣いか。

 見る者すべての全く埒外を行く強大な力のぶつかり合いは果たして――長くは、続かなかった。

 

「――ッ、」

 

 風の剣閃が迸り、軌道上の気温が急激に下降することで起こった超々局所的な“氷河期”が抉った地面を瞬時に凍らせる。次いで雷霆が四散するも、鶖飛は魔力の暴風で以って薙ぎ払い、上空から巨大な禍風を打ち下ろす。吹羽はそれを、旋風と無数の雹を含んだ刺突で迎えた。

 

 風に巻かれた雹は禍風を突き破って鶖飛を撃ち抜く。しかし彼はそれを物ともせずに兜割りを放った。吹羽は目を見開いたが、すぐさま身を翻して避けると、“鈴支御剣”を腰に引き、極限の神力を込めた。

 対する鶖飛も、“鬼一法眼”に最後の魔力を宿らせて地に引きずる。

 

 最後の一合。最後の一撃。二人は息を合わせるでもなくそれを悟って、己の想いを瞳に乗せて、視線を交わす。

 そして、

 

「「ぁぁあああアアアアッ!!」」

 

 ――空間が、弾け飛んだ。

 あまねく空と大地を塗り潰す閃光と生物の耳には聞き取れないほどの音の大爆裂。それらを伴った凄絶な衝撃波が闇夜を駆け抜けると、それは空間を含めたあらゆるものが弾け飛んでしまったかのようだった。

 

 巻き上がるはずの土煙も、空に立ち込めていた黒雲も吹き飛ばし、耳の痛くなるほどの静寂の中――

 

 

 

「っ、……ごぶ……やっぱ……勝てない、か」

 

 

 

 水音混じりの呟きは、鶖飛のものだった。

 

「さすが……自慢の、妹だ……」

「っ、……」

 

 鶖飛は、刀を突き刺したままの吹羽に崩れ落ちるようにもたれかかった。既に体に力は篭っておらず、文字通りすべての魔力を使い果たしたようだった。

 当然だ。全魔力を込めた一撃を他ならぬ吹羽が吹き飛ばしたのだから。風神の強力な神力を極限まで込めた一撃は“鬼一法眼”のみならず、突き刺した鶖飛の体に残っていた僅かな魔力すらも消し飛ばしていた。最早傷を縫う力も、腕を持ち上げる力すら残ってはいないだろう。

 

 不意に、ぬるりと熱い感覚が手に伝わってくる。

 そして、かしゃんと硬質な音が聞こえた。

 

「こっ、これで……終わり、です……鶖飛さん……っ」

「ああ……終わりだ。やっと……終わった」

 

 先ほどよりも明らかにか細い声。手に伝わる熱い感覚も手伝って、それは鶖飛の命が残り僅かであることを示していた。

 じわり、と心の何処かに真っ黒な染みが浮かび上がる。

 間違ってない。間違ってない。これでみんなが死なずに済むんだから――そうして気が付けば吹羽は、心の中でひたすらに弁明(・・)を繰り返していた。

 

「なぁ、吹羽……俺たちは結局……こうして殺し合(・・・)う運命だった(・・・・・・)んだってさ」

「………………」

 

 そんな言葉と共に、柔らかく頭を撫でる感触が降ってくる。

 知っている感触だった。吹羽がもっともっと小さい頃、何度もしてもらったスキンシップ。最も好きな触れ合いの一つ。

 鶖飛は絶え絶えの呼吸を繰り返しながら、その心内を吐露した。

 

「俺は……そんな運命なんか、受け入れたくなくて……吹羽と、静かに暮らしたくて……その為だけに、すべて捨てた、のに……」

 

 ――結局こうして、殺し合うことになってしまった。

 きっと凄まじい諦観を含んでいたであろうその言葉は、鶖飛の口から吐き出されることはなく。

 代わりにか細い溜め息が吹羽の耳を掠めた。遣る瀬無さや、嘲笑などを孕んだ空っぽな音だった。

 

「(だめ……だめ……悲しんじゃ、だめ……っ)」

 

 下瞼が熱くなるのを、吹羽は目をきゅっと閉じて堪えた。

 この人は自分の大切な人達を殺そうとした敵。何も間違っていない。これで霊夢も、阿求も、椛も、みんな助かるのだから。

 ――そうして言い訳をしてみても、感情が抑えきれない。あろうことか、敵を(・・)斬ったことに対して悲しみや後悔が浮かんでくるのだ。

 それが心にぽたりと落ちて、どんどん瞼が熱くなる。

 

 吹羽はそれを必死で抑え込む。そんな感情を抱くことは、助けてくれた霊夢や椛達に対してあまりにも失礼だと思ったのだ。

 だが、しかし、だけれども……。

 

「どんな理由でもっ、鶖飛さんのしたことは……間違ってます……っ!」

「は……そうかもな。お前を、こんなに泣かせてるんじゃ……正しいはず、ないよな……」

「っ、泣いてなんか、ないです! 悲しんでなんか……さびしく、なんかぁ……!」

「はは、強がるなよ……相変わらずだな……」

 

 鶖飛は、軽く笑ってみせた。

 

「俺が、こんなに寂しいのに……お前が寂しくないわけ……ないのにな……」

 

 その言葉を聞いて、吹羽は堪らず唇を噛み締めた。歯が食い込み血が滲むのも構わず、こみ上げる感情を押し殺すようにきつく噛み締める。

 だって、許せなかった。

 負けたくせに、鶖飛は未だに考えが変わっていない。これだけ叩いてもその性根が曲がっているのだ。

 わかった気で決めつけて、吹羽の心を見透かして、そして――それが間違いなく正しい事実がなによりも憎たらしく、許せなかった。

 

「うるさいです……うるさいですっ。勝手にっ、決めないでください……っ!」

 

 血を吐き出すような、震えた声音。

 

「なんでいつもそうなんですか……分かってるじゃないですか……! こんなことしてボクが喜ばないことも、こうなったら寂しいってこともぉ……!」

「………………」

「ばか、ばかっ、ばかです、鶖飛さんはばかですっ! なんで言ってくれないんですか……! 一人で考えなくても、ボクに言ってくれれば……それで良かったじゃないですか……! 殺し合う必要なんて、なかったじゃないですかぁ……!」

 

 一言。たった一言で良かった。

 悩んでいると、困っていると言ってくれれば吹羽はどれだけだって助けになろうとしたし、一緒に考えただろう。

 殺し合う運命とやらを知っていたなら、ただ吹羽と約束すれば良かった。いつまでも仲良く家族でいよう、と小指を交わせば良かっただけなのだ。

 それが分からなかった鶖飛は、きっと馬鹿だ。寺子屋の子供にも劣る、どうしようもない馬鹿なのだ。

 

 鶖飛の服をぎゅっと掴みながら、吹羽はぺたりと座り込んだ。

 立っていることすらままならないほどに、その感情の波濤は凄まじかった。

 

「“馬鹿と天才は紙一重”って諺が、ありますっ! 鶖飛さんはばかです! ばかですよぉ……っ!」

「ああ……馬鹿だな。だけどな、吹羽。これだけは……覚えておいてほしい」

 

 こふ、と一つ血の塊を吐き出す。掠れたその声は、しかし語りかけることに躊躇いがなかった。

 正真正銘最後の力を振り絞って、鶖飛は己が最も守りたかった者へと言葉を紡ぐ。

 

 

 

「愛しているよ、吹羽。俺は……お兄ちゃんは、いつまでだってお前を想っているからな……」

 

 

 

 “別れの言葉”。

 それを最後に鶖飛の心臓の鼓動は動きを弱め――やがて、止まった。

 

 耳に突き刺さるような静寂の中で、吹羽は冷たくなっていく鶖飛の肩口に顔を埋めた。

 もはや嗚咽を止めるものは何もなくなっていた。呼吸をすることにも喉が支え、胸のうちから溢れ出る感情が涙となってこぼれ落ちていく。

 

「…………っ、ずるい、ですよ……そんなの……!」

 

 顕現していた“鈴支御剣”が光の粒となって消滅する。

 

「散々……散々好き勝手、して……勝手なことばっかり、言って……それで、そんなことを遺すなんて……ずるいですよぉ……!」

 

 それではまるで、今までの全てが吹羽のためだった、と言わんばかりじゃないか。

 絞り出すようなその言葉は、巨大な悔しさと悲しみが滲んでいた。

 

 いや、きっとまさにそうだったのだろう。今まで彼がその口で力強く語ってきた全ては、気狂いゆえの戯言でもなんでもなくただただ真実――鶖飛が兄として吹羽のことを想っていたがゆえの言葉だったのだ。

 

 今際の際に残したその言葉は、きっと彼の嘘偽りのない正真正銘の本心。最後の言葉がそれでは、頭が拒否しても心が揺らいでしまう。

 鶖飛を斬ってでも止めると覚悟を決めた心。間違ったことなどしていないと自らを説き伏せる心が、ひび割れてしまう気がしたのだ。

 

「ボク、だって……一人は寂しいよぉ……お兄ちゃぁん……っ!」

 

 この世界の敵だ。友人たちに非道を働いた下手人だ。親の仇だ――紛れもなく鶖飛は悪人である。

 だがそれでも血の繋がりは決して切れないし、彼と過ごした幸せな記憶は色褪せこそすれ思い出として残っている。全てを思い出した今では、ふと目を瞑れば走馬灯のように瞼の裏に映るのだ。

 

 紛れもない、実の兄。風成 鶖飛との思い出。

 こうして冷たくなってしまった鶖飛の体を抱くと、否が応でも思い知ってしまう。

 

 どんな理由があったとしても……自分は、愛する実の兄を、この手で殺したのだ。

 

 

 

「あら。鶖飛クン、死んじゃったのぉ?」

 

 

 

 唐突に降ってきた無邪気な声に、吹羽は咄嗟に頭をあげた。

 

「随分幸せそうな顔で死んでるわね。死に際くらい悔しそうな顔が見たかったんだけどなぁ、私」

 

 不謹慎なその言葉に、しかし吹羽は反応を返すことができなかった。

 あまりにも唐突過ぎて言葉が見つからなかったというのも一つ。場に不釣り合いすぎて状況が呑み込めなかったのも一つ。しかし最も大きなその要因とは――その声に、聞き覚えがあったこと(・・・・・・・・・・)

 

「あら、すごい顔してるわよ? せっかく可愛いのに勿体無い」

「な、なんで……なんであなたがここに……いるんですか……?」

 

 震えた吹羽の声音に、少女は貼り付けた笑みを深くする。

 可憐に、艶やかに。そして何より、酷薄に。

 

 

 

「夢架、さん……」

 

 

 

 薄く金色がかったふわふわの茶髪、服の上からでもよくわかる大きな胸、淡い色の清楚な着物。しかし、その表情にはいつもの鉄面皮など影も見えなかった。

 全く別人のようなその雰囲気に、吹羽は背筋が凍るような感覚に陥った。

 

「あはっ♪ こんばんは、吹羽ちゃん。とっても気持ちいい夜ね?」

 

 そう言って、月を背にして吹羽を見下ろす夢架――否、夢架と名乗る何者かは、まるで小悪魔のような笑みを浮かべた。

 

 

 




 今話のことわざ
馬鹿(ばか)天才(てんさい)紙一重(かみひとえ)
 常識に囚われず常人には理解できないことをするという点で、ある意味馬鹿も天才も同じようなものということ。
 馬鹿と天才が近しいということ。

 うん……やっと夢架?のターン。

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