風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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 ようやっと鶖飛戦


第四十九話 それは高潔が故に

 

 

 

「――四面楚歌、って熟語があるけど」

 

 月明かりのみが照らす戦場に、ただ鶖飛の穏やかな声のみが響き渡る。

 

 余波によって虫の鳴き声も葉々の擦れる音も消え去り、月明かりに照らされる地面には大小様々に抉れた跡があった。木々は切断されたものあればへし折られたものもある。葉などは一枚も付いていない。僅かに上空を漂っていた雲さえ吹き飛ばす余波に、全て引き千切られたのだ。風に混じる微かな血の匂いは、決して気のせいなどではないだろう。

 

 激しい戦闘の跡。鶖飛はそんな中で悠々と月を見上げると、独り言のように言葉を紡ぐ。

 

「まさに、今俺のいる状況を表すのに相応しい言葉だよな。この世界では四方八方敵だらけだ。……けど、さ」

 

 言いながら振り返る。淡く照らされた鶖飛の表情には、呆れと期待外れが浮かんでいた。

 

「そんな俺一人に劣るお前たちは、一体なんなんだ?」

 

 鶖飛が言葉を向けた先。抉れた地面と飛沫(しぶ)いた血糊を挟んだ向こう側には――

 

 

 

 傷付き、倒れ伏す四人の姿があった。

 

 

 

 誰も彼もに無数の斬り傷が刻まれている。滲んだ血液は小さな血溜まりをいくつも作り、月に照らされ赤黒く光っていた。

 

 まさに蹂躙劇。しかもそれは鶖飛一人に対して四人が手も足も出ないという、にわかには信じがたいような有様だった。

 椛は何度も臓腑を貫かれながらも、妖怪として生来の治癒力で辛うじて命を保っている。萃香は数え切れないほど身体を切断された。時には胴を一文字に薙がれ、首を掻っ切られ、頭からかち割られることもあった。寸出の霧化によってなんとか完全切断には至っていないが、咄嗟過ぎて半端な霧化だったためダメージ自体は深刻だ。霊夢は傷こそ少ないものの、先刻の戦闘に続き霊力の過剰消費によって体は動かず、また臓腑の傷が開いて口の端から血が滴っている。

 

 そして吹羽は――既に死ぬ半歩手前の深過ぎる斬り傷を負っていた。

 

 意識などはもうほとんどない。失血過多もさることながら、痛みに耐性のない吹羽の身体は臓腑にまで深く入り込んだ傷の痛みに耐えかね意識を放棄させようとしていた。

 文の時のように叫ぶことができたらどれだけ楽だったろうか。喉を震わせることにすら失神しかねないほどの激痛を伴うため、痛みにただ耐えながらか細く息をすることしか吹羽にはできない。

 それが地獄のように苦かった。もっと意識がはっきりしていたなら、確実に発狂していると確信できるほどに。

 

 だがそれでも耐えていられたのは、僅かな霊力で霊夢が治癒をしてくれているおかげだった。

 

「しぬ、んじゃ……ないわよ、吹羽……!」

 

 絞り出す声と共に、霊夢の暖かい霊力がじわじわと傷に染み込んでいく感覚があった。それはまるで切れた血管の一本一本が繋ぎ直されていくような僅かな感覚だったが、吹羽が意識を繋ぎ止めるには十分過ぎた。

 霊夢が死ぬなと言って力を振り絞ってくれている。巻き込んでしまった彼女がそこまでしてくれるならばせめて、ちゃんと目を開けていなければ。

 

 眉間に力を込めて目を向けると、椛が剣を杖にしながらふらふらと立ち上がっていた。

 

「なん、で……どうして吹羽さんを、斬ったんですか……ッ!?」

 

 血を吐き出すような逼迫した問いに、鶖飛が小首を傾げて飄々と答える。

 

「うん? 一対多数だ、斬りやすい奴から斬るのは当然だろ」

「それでも……っ、大切な妹を!」

「ああ、殺しちゃいないから問題ない。万一殺してしまってもどうにかなるがな」

「っ、この……人で無し――ッ!」

 

 あまり冷酷な返答に椛は激昂する。例え本当にどうにかなる(・・・・・・)のだとしても、大切な人に刃を向けるなど椛には全く以って理解できないし、認められないことだった。

 

「なんとでも言うがいいよ。理解されないのは知っている」

「そうさ、椛……お前もたった今言ったろ、“人で無し”って。わたしたち人外は、我儘を押し付けあってぶつかるもんなのさ。勝った方が己を通せる……それだけさね」

 

 椛同様ふらつきながらも、しっかりと地を踏みしめて萃香が立ち上がる。その表情には未だ獰猛な笑みが浮かんでいた。

 たしかにその通りだと思うと同時に、相変わらずどこまでも妖怪を体現したようなお人だ、と椛は彼女を横目で見遣り、次いで鶖飛を睨め付ける。

 

 戦力の差は歴然だ。人は一人では何もできないとよく聞くけれど、大妖怪を含めた四人を相手にして傷一つ負わない彼は最早なんなのだというところである。

 吹羽は最早戦えず、霊夢はその治療に追われている。鶖飛が彼女らを狙わないのはありがたいことだが、実質霊夢も戦力として数えるには無理があるだろう。

 今動けるのは、萃香と椛のみ。

 

「(……やるしかないッ!)」

 

 実力差ははっきりしていた。しかしだからといって引く椛ではない。そもそも守るために格上と刃を交えることになるのはこれが初めてではないのだ、今更気後れするほど脆弱な精神はしていない。

 

 刀を握りしめる。

 今この手に、この刀に乗っているのは、あの時萃香に証明してみせた“守る”という強い意思そのものだ。

 

「疾――ッ」

 

 地を踏み砕く音も置き去りに椛は鶖飛に肉薄した。振り被られた刀には規則的に風が纏わりつき、刀身をより大きく鋭い形へと昇華させる。

 吹羽から譲り受けた風紋刀の力をただ振り下ろすことにのみ注いだ一撃――“狼牙”である。

 大木すら唐竹割りにするそれを前に、しかし鶖飛は微笑みを崩さなかった。

 

「それは見飽きた」

 

 言うと同時、鶖飛は振り下ろされる刀身に合わせて拳を刀の腹にぶつけた。普通なら側面からの衝撃などものともしないはずの“狼牙”はしかし、跳ね飛ばされるかのように弾かれて無理矢理に体勢が崩れた。

 その隙を鶖飛が見逃すわけもない。彼が得意とする、脱力状態からの強力無比な斬撃が視界の端から襲い来る。

 

 瞬発的に力の込められた彼の一太刀は威力もさることながら、その速度が異常なまでに速い。加えて“抜き足差し足”を応用した無意識に入り込む術さえ織り込んでくるため初見はほぼ必中、例え見えるようになっても回避は難中之難である。

 そしてそれは、椛でさえも例外ではない。

 

 避けられないと判断した椛は、多少の風を操ることができる神通力で身体を翻し、鶖飛から僅かに距離をとった。

 直撃だけは絶対にできない。したが最後下半身とはおさらばすることになるのだから。

 神速で迫った刀身は避け切ることこそできなかったものの、椛の太ももを僅かに斬るのみに留まった。

 

 ――そう、刀身は(・・・)

 

「そら、刻んでやるよ」

「ッ、」

 

 刹那、椛の体を強風が包み込む。だがそれだけには止まらず、吹き荒れた風は細かい刃となって椛に襲い掛かった。咄嗟に目を庇って体を小さく丸めるが、襲い来る刃は物ともせずに椛の柔肌を無数に切り裂いた。

 非常に細かな風の刃だ。それは決して一撃で致命傷になるほどのものではないが、一瞬にして風に吹かれたもの全てを千々に刻んでいく。これが鶖飛の不可避の刃を真に不可避足らしめていた。

 

 刀身を避けようが避けまいが、確実に相手を斬り刻んでいく。これが鶖飛の風紋刀――“鬼一”である。

 

 椛は刃と自らの血に吹き巻かれながら飛ばされた。

 だが、これも先ほどまでの戦闘で幾度も受けた攻撃だ。傷も多くパフォーマンスは確実に落ちてはいるが、分かっていれば耐えられる。

 椛は血風に逆らわず体をくるりと回し木の幹に着地する。痛みに呻いている時間はない。なにせ鶖飛の頭上からは既に――萃香が追撃を始めていたのだから。

 

「シャァオラぁぁあああッ!」

 

 咆哮一発、小さくとも隕石のような破壊力を秘めた豪腕が鶖飛の頭上から飛来する。握り締められた拳は小さな流星の如く、空気の壁を容易く打ち砕いて尚衰えずに鶖飛の顔面に打ち出された。

 

 鶖飛は軽く腰を落とした。刀を縦に構え、片手を峰に添えて流星を迎える。

 両者が触れた瞬間――刀の軌道に添い、流星は地面に向かって逸れた。

 

「ちぃッ!」

「直線の力は曲げやすい」

 

 言葉を交わしたその刹那、空間を揺るがす激震が走った。鶖飛によって地面の方へ流された拳が地面に炸裂し、まさに隕石もかくやという爆発を巻き起こす。

 

 間も無く土煙の中に銀光が閃く。煙の幕を断ち割って襲い来たのはやはり鶖飛の兜割りだ。

 “見える”ものに対して吹羽と椛ほど万能ではないが、萃香もやはり歴戦の猛者。視界に入った攻撃への対処にはとっくの昔に垢抜けている。

 そして何より萃香は生粋の鬼だ。能力によって芸に富んではいるものの、やはり思考は直線的、短絡的。瞬時に出した判断は正面から迎え撃つことだった。

 萃香は拳を固く握りしめ、“鬼一”を叩き折るつもりで拳を振り抜く。

 ――そう、振り抜けてしまった。

 

「ッ、抜き足……!」

「遅い」

 

 力を込める一瞬の無意識に潜り込み、鶖飛は瞬時に横薙ぎに切り替えて萃香の懐に滑り込んでいた。そのまま萃香の胴を薙ぐべく“鬼一”が振るわれる。

 が、鶖飛はその直前で咄嗟に刀身を引いた。

 

「“白爪――」

 

 なぜなら、その横合いから。

 

「昇腕薙”ァッ!」

 

 必殺を目論んで迫る椛がいた故に。

 

 木の幹を足場に勢い付いた椛の風紋刀は大量の風を巻き込んで暴風の絶剣へと昇華していた。ただ、土煙をも巻き込んで成った剣は今回ばかりは砂塵の刃を従えて、萃香と鶖飛の間に豪速で突き込まれた。

 

 萃香への斬撃に割込めれば上々、運良く鶖飛自身が当たってくれれば万々歳。

 少しの楽観もなく振るわれた絶剣はやはり鶖飛自身を捉えることはなかったが、無秩序に飛散する砂塵の刃が鶖飛に反撃を躊躇わせる。

 

 そしてそれは、鶖飛が見せた数少ない隙に他ならなかった。

 

「“神霊――」

 

 鈴の声が響き渡る。先程まで捉えていたはずの気配が忽然と頭上に現れた、ひいてはそれに気が付けなかったことに、鶖飛は初めて驚愕を表情に浮かべた。

 

「夢想封印”ッ!!」

 

 突如上空に現れた霊夢が、七色に燦然と輝く珠を打ち出した。

 込められた霊力はまさにあらゆる魔に類する者共を打ち滅ぼす暴威そのもの。その神秘的な美しさとは裏腹に、それが人の身に許された領域を遥かに超えた破壊力を秘めているのだと一目で理解できた。

 

 瞬時に思い至る。霊夢の得意とする術の一つ――空間に穴を開けて渡る“刹那亜空穴”だ。

 霊夢は鶖飛の予想を大きく上回る速度で吹羽の治療をやり遂げ、彼のみせた千載一遇のチャンスを逃さず攻めに転じてきたのだ。

 

 彼女の挙動を“観て”知っていた椛は、振り抜いた昇腕薙を回転しながら軌道修正し、砂塵と風をさらに巻き込んで横合いから斬りかかる。

 椛に間一髪救われた萃香は既に態勢を整え終え、いつか妖怪の山を大きく抉り取った拳をもう一度振るうべく妖力を背に纏っていた。

 

 上空から“夢想封印”が。

 横合いから砂塵を纏う“白爪”が。

 真正面から“崩撃”が。

 

 これで終わらせる、という強い覚悟を持って放たれる三人の必殺が、きっと紫ですらも対処に焦るであろう威力を以って鶖飛一人に殺到する。

 

 

 

 果たして――鶖飛は呆気なく(・・・・)暴威に呑み込まれた。

 

 

 

 吹き荒れる三つの暴威は互いにぶつかり、木々を、雲を、全てを薙ぎ倒す凄まじい旋風を巻き起こす。星をも叩き落としそうな旋風は、それを放った三人も軽く飛ばし、吹羽はその後ろで必死に顔を覆って耐えた。

 

 ふわりと着地した三人は、ぜいぜいと息を荒げて膝を突く。肩で息をするその様子に、少しの余裕も見えなかった。

 当然か。この短い攻防の中でさえ、傍目には分からないであろう命を賭けたやりとりが幾重にもあったのだ。体力は言わずもがな、精神力もがりごりと削り続けられている彼女らに余裕などあろうはずもなかった。

 

「はっ、はっ、……っ、これで、終わったか……?」

「そう思いたい……ですけど、ね……」

「………………」

 

 二人が言葉を交わす中、霊夢はジッと鶖飛が立っていた位置を睨み付けていた。三人が放った最大火力を同時に受けたその地面は大きく抉れ、今もなお濃過ぎる土煙が舞っている。

 

「あ、あの、霊夢さ――!」

 

 側に行こうとした吹羽に静止の手が上がる。そうしている間も土煙の向こうを睨み付けていた霊夢は、見れば更に目を細めて眉根に皺を寄せていた。

 

 吹羽はハッとする。

 鶖飛と交戦経験のある霊夢が警戒を解いていないのだ。とすれば、導かれることは一つだけ。

 警戒を解かない霊夢に代わり、吹羽は萃香と椛に一声を掛けようと口を開く――その刹那だった。

 

 

 

 矢が空を切るような鋭く甲高い音と共に、萃香と椛が弾丸のような速度で吹き飛ばされた。

 

 

 

 霊夢は辛うじて凌いだが、彼女の目の前には燐光を纏うガラス片のようなものが舞っていた。

 結界だ。そう思って、次いで咄嗟に、吹羽はそれを一気に砕かれて体勢を大きく崩す霊夢の前に出る。

 

 “韋駄天”顕現――。視野全開――。こんな大きな隙を、鶖飛が逃すはずはないのだから。

 

「っ、きゃあっ!?」

 

 予想通り凄まじい速度で追撃してきた何かを鈴結眼の目が捉え、それに向けて吹羽は“韋駄天”を振るう。しかし衝突したそれは吹羽が想像していたより何倍も重く、呆気なく“韋駄天”は砕かれて体勢を崩す。

 

 そこに再度飛来する攻撃。間も無く飛来したそれを避けられるはずもなく、吹羽はそれを腹に受け霊夢もろとも後方に吹き飛ばされた。彼女が咄嗟に張ってくれた結界のお陰で多少威力は緩和されていたが、華奢な少女二人をまとめて吹き飛ばすその威力に吹羽は堪らず顔を歪める。

 

「くっ……吹羽、大丈夫!?」

「う、こふっ……大丈夫、です……」

 

 咳き込みながら笑いかけるが、実際にはあまり余裕がない。鳩尾に入りなかっただけマシとも思えるが、霊夢の結界がなければおそらく吹羽の柔らかな体など容易く貫いていただろう。それほどの威力を受けても強がっていられた自分を、吹羽は内心で褒め称えたいくらいだ。

 

 霊夢に支えられながらも立ち上がる。見れば、萃香と椛は防御が間に合わなかったのか、ぐったりとして起き上がる気配がなかった。意識はあるだろうが、戦闘はできないだろう。

 それを横目で確認して前方を見遣ると――立ち込めていた土煙は既に大部分が晴れ、その中心に影が見えた。

 

「ふむ、やはりダメだな」

 

 土煙を斬り払って、無傷の(・・・)鶖飛が姿を現わす。

 霊夢が舌を打った。

 

「……今のを受けて無傷か……嫌ンなるわね」

 

 畏怖を含んだ霊夢の愚痴が耳を掠める。鶖飛は悠然とクレーターの中心から歩み出てきた。

 激しい戦闘の中にあって未だに綺麗な姿を保つ彼は、いっそ別の次元に生きている存在のように思える。どれだけ手を伸ばしても、物理的にも心理的にも触れることは叶わない――そんな風に感じられた。

 絶望しそうになる心を押さえつけて、吹羽は強く拳を握り締める。

 

「やっと張合いのある一撃がきたから受けてみたが……この程度じゃ、やっぱり吹羽は任せられないな」

「なによ、任せる気があったの。ならもう少し穏便な方法を取って欲しかったものね。相手するあたし達には迷惑千万よ」

「そう言うな。協力して戦うお前達を見ていたら少し認識が変わったんだ。やっぱり吹羽も、友達がいないよりはいた方が寂しくないだろう。俺が認められるだけの力があるなら少し考えたんだが……ダメだな、不合格だ」

「余計なお世話ね……吹羽の友達は、吹羽が選ぶものよ」

「そう。吹羽が選んで、俺が決めるんだ。所詮邪魔になれば殺す輩だしな、いれば使うがいなくても問題はない」

 

 鶖飛の周囲に禍々しい気が溢れ出した。濃度が高過ぎて視覚化されたそれは、彼が持つ膨大な魔力だろう。空気が歪む感覚がある。呼吸するのも苦しくなって、鳥肌も冷や汗も止まらない。

 

 これが、本物の殺気か。

 吹羽は狂気に溺れた時の文を思い出し、どれだけ自分の経験が浅いものだったのかを思い知った。

 

 あの時の文は、吹羽を嬲る目的で簡単に殺そうとはしなかった。その分殺気は薄かったと言える。

 けれど今の鶖飛は違う。今の彼には殺す気しかない。邪魔なものをすべて殺して、或いは吹羽をも一度殺して、全てのしがらみを排除するつもりだ。

 

「鶖飛、さん……」

「…………もう、“お兄ちゃん”とは呼んでくれないのか」

「っ、……みんなを傷付ける人を、お兄ちゃんだなんて、思いませんっ」

 

 震える喉で絞り出した声は、吹羽自身が思っていたよりもずっと弱々しいもの。だが、狂ってしまった兄への拒絶を示すにはそれでも十分だった。

 鶖飛は一瞬悲しげに目を伏せると、強く刀を振り払った。

 

「ならば仕方ない。いくら拒絶されようとも俺はお前を連れて行く。たとえこの刃を突き付けることになろうとも」

 

 瞬間、急激に風の流れが変わった。魔力と共に鶖飛から放たれるように流れていた僅かな風が、今度は彼の方へと吸い込まれている。

 ――否。吸い込んでいるのは鶖飛ではなく彼の刀、“鬼一”だった。

 

 吸い込んだ風は鍔を通り刀身を撫で、その風紋の通りに細かい風の刃を刀身の先に生成する――だけには留まらない。

 刃を含んだ風が地面にあたり、砂塵を巻き込み、視覚化された魔力をも吸い込んで膨らんだ“鬼一”は、やがて大木を包み込むほどの強い風を纏うようになった。そしてその風に巻き込まれたことごとくが、一瞬で削れ刻まれ塵へと変貌していく。

 

 明らかに先ほどまでの“鬼一”とは比べ物にならないほどの威力だ。巨大な渦を作り上げた紫紺の風は、まるで手綱を握られた怒り狂う龍のような低いうなり声を鳴らし、その凶暴性を表すかのように激しくうねっていた。

 

「……なるほど。合点がいったわ」

 

 硬い唾を飲み込んで臨戦態勢に入る吹羽の隣で、霊夢は小さく呟く。

 

「たった数年でどうやってここまでの魔力を身につけたのか、ずっと疑問だった。魔法は学ぶもの……熟達するには数年なんて短過ぎる」

 

 魔法とは、学問である。七曜の魔女も七色の人形遣いも、長い研究の果てに今の力を手にした。それを知っているからこそ、魔法使いを志す魔理沙は研究を怠らないのだ。

 だが、そうして一途に研究を続ける彼女ですら、今のような超火力を出すためには道具(ミニ八卦炉)を頼る。そこまでしないと納得のできる魔法が行使できないのだ。

 故に魔法とは、とても片手間に熟達できる甘い領域ではない。

 

 それを鶖飛は、ここまで精巧に操っている。

 

「あんたが姿を消してたった数年……そんな短期間で、どうして剣の道を行くあんたがこれだけの魔力を使えるのか……まさかとは思っていたけれど」

 

 

 

 ――あんた、人間をやめたわね。

 

 

 

 霊夢の言葉に、吹羽は凍り付いた。

 

「…………ふっ、さすがは巫女か。人外への造詣は俺が思っていた以上に深いらしい」

 

 頷かず否定もせず、含んだ笑いを見せた鶖飛は徐に左手を前に差し出すと――自らの刀で、手首を切断して見せた。

 勢いよく血が吹き出し、切り離された手は宙を舞ってからボトリと落ちる。そこに血糊のシャワーが降り注いだ。

 

「っ!!」

「………………」

 

 顔を青褪めさせる吹羽を他所に、鶖飛は未だに笑みを絶やさずに。

 

「ああ、痛ェ……“再縫合(リスーチェ)”」

 

 紡がれた聞き慣れない文言に従い、鶖飛の魔力が微動する。すると驚くべきことに、切り離された手が時間が巻き戻るかのように動き出し、切断面にぴったりと張り付いた。

 切り口から滲み出す血も徐々に減り、最終的には切り口さえも分からないほど精巧に接着する。

 既に噴き出してしまった血溜まりだけを残して元通りに戻った鶖飛を睨め付け、霊夢は隠しもせずに舌打ちした。

 

「その魔法……」

「ああ、この類(・・・)の魔法をお前は知っているよな。何せ一度行った(・・・)ことがあるんだから」

 

 鶖飛は一頻り接着した手の調子を確かめると、改めて二人を真っ直ぐに見た。

 霊夢には諦めろと諭すかのように。

 吹羽には現実を無理矢理呑み込ませるかのように。

 

 

 

「そう、俺はもう人間じゃない。生まれ変わったんだ――“魔人”として」

 

 

 

 己が人外と相成った事実を、朗々と叩き付けた。

 

「……なるほど、強いのも道理というわけ。魔界の魔人どもは嫌になるくらい強いからね」

「な、なんで……なんでそんなことしたんですか!? 人間をやめちゃってまで、なんで……!」

 

 人間をやめる――それがどれだけ悲しいことなのかは、幼い吹羽にもなんとなく理解できた。

 人間は人間として生を受けて人間になる。当たり前のことだ、妖怪だって妖怪としての生を受けたから妖怪として在るのだから。それをやめるということは、人間として死を迎えるのと同じことだ。人間として死に、新たに他の生を受け、まさしく生まれ変わってしまうということ。

 

 自分の死にも他人の死にも恐れを抱く心優しい吹羽には、到底理解できない行動だった。

 人間をやめてまで――人として死んでまで、一体何が彼を動かしているのか。

 

「そんなもの決まってるだろ」

 

 その声にハッとする。確固たる意志の伺えるその声音は、彼の目的が始めから最後まで何一つ変わっていないことを示していた。

 

「吹羽……お前をこの世界から連れ出すためさ」

 

 そして邪魔なものが何もいない、真に平和な世界で二人きりで暮らす。それが初めから変わらない、たった一つの鶖飛の願い。

 

「俺は、俺たちは八雲 紫の思惑通りにはならない。俺の持ち得るすべてを以って運命に抗ってみせると――そう決めたんだ」

 

 その瞳に宿る覚悟を目の当たりに、吹羽はキツく奥歯を噛み締める。悔しさや悲しさ、遣る瀬無さがこみ上げてきて、刀を握る手にも血が滲むようだ。

 大切な人が取り返しのつかないことになってしまったその原因が自分だなんて、これ以上悔しいことなど他にない。どうにかできなかったのかと無力な自分が恨めしくなる。

 大好きだった兄の力になってあげられなかったことが、吹羽は頭の中を掻きむしりたいほどに悔しかった。

 

「さぁ、続きを始めよう。お前の覚悟は、俺の覚悟に通じるか、吹羽?」

 

 刃を差し向けてくる彼の瞳には、覚悟と殺意と少しの悲しみが映っているようだった。

 

 

 




 今話のことわざ

 なし

 これからの投稿ですが、諸事情でちょっと遅れることになりそうです。
 ではでは。

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