風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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 佳境だから筆が進むぅ〜。
 それでも二週間以上かかるという現実。三日一投稿してた頃の俺は割と化け物だったんだな……。


第四十七話 想いを乗せて

 

 

 見開かれた瞳がぎょろぎょろと蠢く不気味な空間――スキマが開けると、そこは薄暗い森の中だった。

 陽は落ち月が登り、二人が解放された場所は明るくはあれど不気味な闇が立ち込めるような場所だ。風はなく、虫の鳴き声もなく、代わりにあるのはぴりぴりと肌を刺すような何者かの殺気。――否、本能を刺激されて興奮している獣のような気配だった。

 周囲の空気を察して、霊夢は納得の息を吐いた。

 

「なるほど、こういう状況か」

「え? どういうことですか?」

「周囲にあいつの魔力が満ちてる。その所為か妖怪やら獣やらが異常に殺気立ってるわ。つまり――」

『対策された私の能力では、ここまで送るのが限界、ということですわ』

 

 声に次いで、二人の前にスキマが開く。中から現れたのは言わすもがな八雲 紫だった。

 

「この先に彼がいます。ただ時間の猶予もない」

「ここら一体に魔力を満たしたのが果たして封印を破る時間稼ぎのためか、それとも単に紫の参戦を恐れてか……どちらにしても面倒ね。こうして――」

 

 刹那、霊夢の背後から赤い眼光を迸らせて大熊型の妖怪が襲いかかり――血飛沫をあげて四散した。

 

「向かってくるもんだから、一々処理しなきゃいけないじゃない」

 

 そう言って霊夢はちゃっかり結界で血雨を防ぐと、いつの間にか持っていた大幣を振り払った。そこに妖怪の血糊は一滴も付いておらず、代わりに込められた霊力の燐光が闇夜に舞う。

 意識が向く刹那に行われた瞬殺劇に呆然とする吹羽だったが、ハッと我に返って周囲を見回した。

 

 ぼーっとしている場合ではない。よく目を凝らせば闇夜の中にいくつもの妖怪やら獣やらの姿が確かに見えた。誰も彼もが人肉など容易く引き裂くであろう犬牙を剥き出し、本能に支配された鋭い瞳をぎらつかせている。

 少しでも隙を見せれば忽ちに襲いかかってくるだろう。

 

 周囲を警戒し始めた吹羽を尻目に、紫は大幣を肩に担ぐ霊夢を見遣った。

 

「……霊夢」

「なんと言われたってあたしは行くわよ。この子を一人でなんて行かせられないわ」

「私事を優先する気? 自分が博麗の巫女であることを忘れていないかしら」

「忘れてないわ、何もね」

 

 毅然とした言葉と同時、霊夢は今度は吹羽の背後から襲ってきた妖怪を一針の元に消し飛ばした。

 決して紫からは目を逸らさず、その純黒の瞳には信念が宿っているように思われた。

 

「あたしは博麗の巫女である前に、親友を大切にしたいただの人間よ。この子を利用したいだけのあんたに文句は言わせないわ」

「…………そんな身体で行けば、下手をすれば命を失うかもしれないのよ」

 

 心配するかのような似合わない台詞に一瞬片眉を釣り上げるが、霊夢はすぐに得心がいって不敵に笑う。

 そう、そんなこと言われるまでもない。そんな悩みは、“博麗の巫女になると決めたあの日”に済ませてきたのだ。

 

「死ぬ覚悟なんてとうの昔にしているわ」

 

 その言葉は、隣で聞いていた吹羽にはある意味辛い言葉だったかもしれない。僅かに息を呑む音も聞こえた。

 だが事実だ。自分がかつてなく弱っているのは自覚しているし、大妖怪となんてとても戦えない。それを超える鶖飛の下に行くというのだから、当然命の危険はあるだろう。紫の問い掛けは厳然たる事実で、霊夢の返答だってそれ以外にはあり得ない。

 

 しかし、そんなもの霊夢にとっては今更だ。

 今までだって修羅場は幾度と超えてきた。死にかけたこともあった。いくら弾幕ごっこが主と言えど、なんの変哲も無い人間の身で妖怪を退治するのが博麗の巫女という存在なのだ。それを今まで立派に努めてきた霊夢に、今更死ぬ覚悟がないわけがなかった。

 

 瞑目する紫の姿に、霊夢は渋い了承を垣間見る。それは諦観にも見えるものではあったが、そんなもの些事でしかない。

 霊夢は“話は終わり”とばかりに視線を外すと、改めて周囲を睥睨した。

 

「で、どうすんのよ。とてもじゃないけど全部は相手し切れないわよ」

「…………尤も。本命の前に力を浪費するのは宜しくない」

「対策はあるんでしょうね」

「単純な話ですわ」

「?」

 

 簡潔に問答すると、紫は不意に腕を振るってスキマを開いた。もう何度目かになるので驚きはないが、相変わらず不気味で気持ち悪いと思ってしまう。そも紫の作り出した空間というだけで何故か嫌悪感が湧いてくる。

 ――だがそんな感情も、その中から聞こえきた声に霧散した。

 

「ぃ〜〜よっとォ! いやーやっぱこの中気持ち悪いな! ちと吐きそうになったよ!」

「それはあなたが年中酒ばかり飲んでいるからでしょう、萃香」

 

 スキマから放り出されて尚軽快に着地した小さな影――萃香は紫の軽口ににやりと口の端を歪めた。

 

 予想もしなかった登場に吹羽は目を丸くする。だって彼女は傷を負っていて、とてもではないがここには来ないと思っていたのだ。

 だがその予想はいい方向に裏切られ、萃香は数刻前の病人然とした姿とは打って変わる元気な姿を見せてくれた。大妖怪の持つ治癒力とはそんなものなのかも知れないが、彼女にも少なからず世話になった吹羽としてはそれは間違いなく嬉しいことで、悲しいことばかりで滅入っていた心に、驚愕と負けず劣らずの歓喜が湧き上がる。

 

「バカ言うな。年中酒飲んでるからこそ酒で気分悪くしたりしない体になってンのさ」

「屁理屈は後で幾らでも。最後の仕事よ萃香」

「分かってらィ。……全く、妖怪の賢者は鬼使いか荒くていけねぇ。――だが」

 

 萃香はバチン、と拳と手のひらを厳かに打ち付けた。

 

「約束は約束だ。お前の目的の助けになるって話、違えちゃ酒呑童子の名が廃らァ!」

 

 その瞬間、衝撃波が迸った。猛々しい宣言と共に一瞬の暴威が駆け抜ける。

 否――それは萃香の放った妖力だ。殺意を更に煮詰めて抽出したかのような濃密な妖力が、その小さな身体から解き放たれて大気を振動させたのだ。それが明確な衝撃波となって周囲の闇夜をぶっ叩き、木々をひしゃげさせて尚止まらず――周囲に燻っていた獣どもを一瞬で吹き飛ばす。

 

 その様子を見て、吹羽は彼女が何のために呼ばれたのかをなんとなく察した。

 方法こそ荒々しく、側にいるだけで背筋が泡立つような感覚に襲われるけれど、それだけ(・・・・)だ。本当に萃香が目の前でこの妖力を放ったなら、きっと吹羽など簡単に中てられて気を失う――もしくは消し飛ぶだろう。彼女は狙って周囲の獣のみを討ち払ったのだ。

 

 最後の仕事……それはつまり、吹羽を鶖飛の下まで送り届けること。

 

 萃香は威嚇程度に妖力を抑えると、吹羽の方に向き直った。

 

「萃香さん……」

「……こんな時が、来る予感はしてたよ」

「え?」

「お前はなにかどデカい壁にぶつかる時が来るだろう、ってね」

 

 吹羽は気弱で、小心者で、弾幕勝負こそ強くても争いなど望まない心優しい少女だ。その在り方は人間としてこそ正しいものの、霊夢や魔理沙などの言わば“戦う側”に於いては脆く儚いだけである。

 

 だが、萃香は彼女の周囲で起きつつある出来事に薄々感付いていた。

 本来なら出会うはずのなかった文との因果、妖怪の賢者からの監視等々――。人里で暮らすただの女の子ならあり得ないようなことが彼女の周囲で起きていた。

 一度起きた出来事は必ず未来へと繋がっていく。異常な出来事は同じく異常な出来事を呼び連なっていくのだ。

 そう思った時――きっと吹羽はかつてない壁にぶつかる事になる、そんな確信が生まれた。

 

「この頃起こったあらゆる物事……その中心にお前がいた。きっとお前は特異点なのさ」

「特異、点……」

「おうとも。……わたしはな吹羽、これでもお前のこと評価してるんだ。それこそ凪紗の子孫だってこと以上に、お前自身に価値があると思ってる」

 

 幼くして人として最も過酷であろう悲劇を受けて尚立ち上がり、過去の遺恨とも言うべき謂れのない非難を受けても手を差し伸べることができ、そして今のように自身のトラウマとこんなにも真摯に向かい合うことができる。

 例えそれがどれだけ人の助けを得て成したことでも、いったい誰がそれを否定できよう。無価値だと吐き捨てられよう。

 いつからだったか、初めは凪紗の子孫としか見ていなかったその人間を“風成 吹羽”として見るようになっていた。

 その意味を、萃香は不敵な笑顔に乗せて朗々と示す。

 

「人間ってものの素晴らしさをわたしは知っている。そしてその素晴らしさを教えてくれた者の中には、お前もいるんだ。そんな奴が自分の辛い過去と向き合おうとしているってンなら……助けたくなるのは当然だろう?」

 

 あるいは、妖怪らしくはないのかもしれない。

 妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退ける。それは不変のルールであり不文律だ。萃香のように人間を助けようと思うのは、ともすれば妖怪という枠組みから逸脱した行為なのかもしれない。

 妖怪は利己的に動くもの。文はかつて己の復讐心のためにだけに謀を巡らせ、今の紫ですら己の目的のために吹羽を利用しようとしているに過ぎない。かくいう萃香ですら、昔は己の快楽のためだけに人間や他の妖怪に喧嘩をふっかけて回っていたのだ。

 

 だが、己に正直になって何が悪い――そう萃香は主張する。

 

「わたしはわたしの望みでお前を助ける。ついさっきこそ霊夢との約束を力不足で破り掛けたわたしだが……お前が例え拒絶しようと、送り届けるくらいのことはしてやる。……見せておくれよ、お前が過去を乗り越えるところを」

「……はいっ」

 

 萃香の心強い宣言に対し、吹羽は思いの外嬉しく思っている自分に驚きながら返事を返す。

 きっと不安があるのだ。いくら霊夢が側にいてくれたとしても、結局ことを成すのは吹羽自身。小心者な吹羽がこんな舞台に出てきたこと自体が本来はあり得ないことである以上、吹羽は自分の思っている以上に心細い思いをしていたのも事実。

 萃香の発破は頼もしく、心地よい。頑張ろう、という気持ちにさせてくれるのだ。

 

「……あら? この感覚……」

 

 ――と、吹羽と萃香の語らいに耳を傾けていた霊夢は、ふと奇妙な感覚を覚えた。まるで本気の吹羽と相対した時のような、全てを見透かされているような薄ら寒い感覚だ。だがそこまで思い至って、ああ、と短い呼気を漏らす。

 

 そうか……あんたも吹羽を助けたいのか、と。

 

 

 

『ああ――間に合った』

 

 

 

 思ったその刹那、ふわりと背後に降り立つ気配があった。

 三人が振り向けば、視界に映ったのはふわふわと揺れる尻尾にピョコリと生えた耳。鈴を転がすような声音はもう聞き慣れたけれど、こんな状況では心強い。無くした片腕は今でも痛々しいものの、その立ち振る舞いにはもはや不自由は感じられなくなっていた。

 

 ――白狼天狗が一、犬走 椛。

 

 愛すべき友人の推参に、吹羽は喜色を色濃く表情に表した。

 

「椛さん……! 来てくれたんですね!」

「……ええ。あなたが大変な時に側にいられないのは、もう懲り懲りですから。ずいぶん探しましたが……見つかってよかった」

 

 吹羽の声にも冷静な言葉を返す椛は、刀の柄を撫でてしみじみとした表情を零した。

 ちらりと萃香の方を見遣る。その意味を正しく理解しているだろう彼女は、その視線を受けると再び()と笑った。

 

 萃香にとっては、己という艱難辛苦を乗り越えて覚悟を見せつけられた相手。そんな椛がこの場に駆けつけたことは、萃香としても非常に喜ばしいことだったのだ。

 

「今度こそは……きっと力になりますよ、吹羽さん」

 

 その言葉に宿る決意の所以を吹羽が知ることはないだろう。

 決意などという崇高なものは他人に知られて意味はなく、ただ内に秘めることに価値がある。そも椛は自分語りを好む性格でもない。生真面目で情に厚い彼女が、わざわざ吹羽に気負わせるかもしれない台詞など吐くわけもなかった。

 だが唯一、その決意を目の前で証明された萃香だけは納得、あるいは祝福でもするように頷いていた。

 

 一頻り吹羽と言葉を交わすと、椛は強張るようかのに笑顔をきゅっと引き締めた。

 そして向き直り、姿勢を正す。

 椛が見つめた先は――扇子で口元を隠した八雲 紫だった。

 

「……白狼天狗。あなたがここへ来たのは天魔の差し金ですか?」

 

 紫もそれを待っていたのか、単刀直入に椛へ問う。

 薄氷の如き冷たい声音だった。椛を見る目はまさしく貴族に紛れた薄汚い平民を見るようで、「場に合わぬ者は去ね」との厳しい言葉を声音だけで叩き付けていた。

 それに気が付いた椛の目も、ついでに友人をそんな目で見られた吹羽の目も鋭く細められる。誰だって大好きな友人が見下されれば不機嫌にもなるというものだ。

 

 しかし椛はそんな紫の視線にも臆さず、憮然とした態度で言葉を返す。

 

「……ええ。天魔様の命を受け馳せ参じました」

「天狗はこの世界における勢力図を担う存在。入れ込むのは御法度とご存知かしら?」

「天魔様の命は“友として風成の子を助けよ”。私は今天狗ではなく、吹羽さんの一友人としてここにいます。その手の誹りを受ける謂れはございません」

「童の言葉遊びですわね」

「なんとでも。貴女としても戦力が増えるのは喜ばしいことなのではないのですか?」

「………………」

 

 椛の主張に対して紫はしばし考えるそぶりを見せ――

 

 

 

 椛に目掛けて、四方八方から妖力弾が殺到した。

 

 

 

「ッ!? 椛さんっ!」

 

 吹羽の咄嗟の叫びが聞こえてくる。が、椛は至って冷静に周囲を俯瞰していた。

 込められているのは身も凍るような強力極まりない妖力。ただの一発でも食らえば所詮中妖怪でしかない椛は文字通り消し飛ぶ威力だ。弾速も並みの妖怪なら視界に映すことすら困難であろう速度であり、なにより周囲を囲むように放たれるこれは単純に物量が凄まじい。

 

 ――だが、椛には視えていた。

 

 千里眼――千里先すらも見通す特別なこの眼は、鈴結眼に勝らずとも劣らない洞察力を兼ね備えているのだ。

 

 視えているなら、斬ればいい。

 妖力の呈する紫色の中に、煌めく銀色が閃いた。

 

「も、椛さん……!」

 

 地を叩く凄まじい音が吹羽の耳を襲う。大太鼓を間近で聞くよりずっと重く鈍いその音は、それが想像もできないほどにとてつもない威力であることを実に分かりやすく示していた。少なくともスペルカードルールにおいて用いて良い威力では決してないだろう。

 捲き上る土煙。僅かに見える地面のクレーター。それが椛の華奢な身体に打ち据えられたと思うと、吹羽は居ても立っても居られなかった。

 思わず駆け出し――しかしチラと視えた真白な獣耳に、足を止める。

 

「……如何でしょう、賢者様」

 

 晴れていく土煙の中に立っていたのは、先程となんら変わらない姿の椛だった。傷などなければ服が破けた様子もなく、表情に至っては普段通りの澄まし顔。とても致死の弾幕に晒されたとは思えぬ風貌である。

 困惑する吹羽だったが、言葉と共に納められた刀を見て得心した。どうやったのかは分からないが、兎角彼女は襲いくる妖力弾を全て斬り落とし、紫の攻撃を捌ききったのだ。

 

 安心の吐息を一つ。吹羽は取り敢えず椛の無事に胸を撫で下ろした。

 

「……なるほど。吼えるだけはありますわね」

「力も無いのに吼えるのはただの犬畜生です」

「然り。あなたはあくまで狼でしたわね」

 

 パチンと扇子を畳んだ紫の口元は緩やかに微笑んでいた。椛はそれに笑みを浮かべるでもなく目を伏せる。

 当然のことをしたまでだ。吹羽が大きな問題に立ち向かおうとし、それを助けようとするならば自分の価値は示さなければならない。吹羽がこの問題を解決することが紫の望みでもある以上、彼女にも試されることになるのはある程度予想していたことなのだ。

 

 ――かくして面子は整った。

 価値を見出した人間を手伝おうと語る小鬼 伊吹 萃香に、大切な友人を守ろうと剣を取った白狼天狗 犬走 椛。そして親友を裏切った兄に怒りの炎を燃やす博麗の巫女 博麗 霊夢と、己の過去に決着をつけようと苦心しながらも決めた吹羽。

 しかし、吹羽に気負いはなかった。不安はあるものの、それは変わってしまった兄に挑むことに対する当然ともいうべきものである。

 

 世界のことなんて考えていない。霊夢たちの想いも考えてはいない。どうでもいいということではなく、殊兄のことに於いては自分の気持ちを最も尊重すべきだと吹羽は諭され、そして理解した。みんなの気持ちも思惑も、自分の想いの上に成り立っているなら一緒に連れていく。ただそれだけ。

 そも吹羽は鶖飛に――話をしに行きたいだけなのだから。

 

「行きましょう、霊夢さん。お兄ちゃんのところに」

「ええ……過去の悲劇に、決着をつけましょう」

 

 薄暗い森を超え、先で待ち受ける鶖飛の姿を幻視する。

 駆け出す四人の頭上を、大きな月が照らしていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 一方、博麗神社。

 紫によって吹羽と霊夢――次いでに萃香――が何処かへと連れていかれ、残った四人の間にはちぐはぐ(・・・・)な空気が揺蕩っていた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………っ、」

「……いい加減落ち着きなさいよ魔理沙。あんたがそんなそわそわしてたって何にもならないんだから」

「ああ!? ……あぁ、そうだな……」

 

 そわそわというより最早気が立っているのでは。

 部屋の中を行ったり来たりと落ち着きのない魔理沙を鈴仙が咎めるが、その反発具合を見てぼんやりと阿求は思った。

 気が立つのも分からないではない。事件が起きていてると知っていて自分で手を出せない歯痒さは、異変解決者と呼ばれる彼女に取っては辛いところだろう。一度挑んで負けたこともあって、きっと負けん気の強い魔理沙の悔しさは一入だ。

 

 かくいう阿求も、何もできない無力さを噛み締めていた。

 親友なのに、吹羽が大変な時に力を貸せない。戦う力どころか、これから否応なく辛い目に会うであろう吹羽に一声すらかけられないのは、まるでどこまでも続く薄暗い原始林に一人佇んでいるような暗い気持ちにさせる。

 阿求は静かに座りながらも、固く唇を噛み締めた。

 

「ねぇ御阿礼の子……稗田 阿求だったかしら」

「はい……永琳さん」

 

 そこに労わるような控えた声がかけられる。ゆっくりと顔を上げた阿求の前には、先程まで治療具の整理をしていた八意先生――八意 永琳がいた。

 

 彼女と顔を合わせるのは、幻想郷縁起に記すために取材をした時以来である。腕の良い医者で、かつて“終わらない夜の異変”を起こした黒幕である――実際は本物の月を偽物の月に入れ替えていただけで、夜が終わらないようにしていたのは紫だが――と阿求は伝え聞いている。現在は彼女の作成した薬が人里で売られていたり、急患がいた場合は彼女の住む永遠亭で受け入れてもらうこともできるようになっており、人里とも比較的友好的な関係を築いている人物だ。

 

 永琳は一言断って阿求の横に座ると、治療時とは比較にならないほど優しげな声で問いかけてきた。

 

「大丈夫? 顔色が良くないし、良かったら診ましょうか?」

「いえ、平気です……。それより、霊夢さんを治療してくださってありがとうございました」

「……礼には及ばないわ。よっぽどの理由がない限り、治療しろと言われて拒否する医者はいないわよ。手を抜いたり嫌な顔をするなら、それはもう医者とは呼べない」

 

 そういえば、鈴仙が“医者とは誰よりも患者に誠実な者である”と言っていた。

 弟子がそうであるように、やはり師も同じ信念を掲げているらしい。

 阿求は霊夢を診てくれたのが彼女で良かったと今更ながらに安堵した。

 

「ねえ、訊いてもいいかしら。私たちは霊夢からの要請を受けて来ただけであまり状況が掴めていないの。私の患者(霊夢)が行ってしまった以上、知らん振りもできないわ」

 

 一度受け持った患者を放って置けない、ということだろうと阿求は解釈する。

 彼女ら曰く、数日は目覚めないはずの麻酔を使っていたはずなのに、霊夢は気合で目覚めてみせたのだという。その際の彼女らの驚く顔を見れば、それがどれだけあり得ないことだったのかは明白というものだ。

 だが、それは逆に言えばほとんど傷が塞がっていない状態だということ。満足には動けない状態で、それでも吹羽のために着いていったということだ。彼女の傷の深さを誰よりも知っている永琳はまさに状況を知る権利があるといえよう。

 

 阿求は小さく俯いて、頭の中を整理する。永琳はその様子を黙って待っていた。

 

「霊夢さんを傷付けたのは……吹羽さんのお兄さんです」

 

 そして、永琳たちが最も知りたいであろう情報から口にする。

 

「名は風成 鶖飛さん。数年前に吹羽さんの前から姿を消し、ここ最近になって戻ってきたばかりの方です」

「行方不明だった? そんな人間が霊夢をあそこまで追い詰めたっていうの?」

 

 無言で頷く。永琳は信じられないといった表情で一つ唾を飲み込んだ。

 永琳たちも霊夢の強さは知っている。何を隠そう、先述の“終わらない夜の異変”に於いて永遠亭の面々は一人残らず霊夢と戦い、そして敗北しているのだから。それがいくらお遊びである弾幕ごっこでの敗北であっても、霊夢の天才的戦闘センスは人外である彼女らをして戦慄させるものだったはずだ。

 

 その彼女を相手に相打ちさえさせず、剰え瀕死まで追い詰めたなど。

 

「鶖飛さんは剣の天才です。一部を除いて他のことも一通りできる万能――いえ千能(・・)の天才でしたが、剣の腕だけは突出していました。剣だけで限るなら、恐らく幻想郷の誰よりも強いでしょう」

「あなたにそこまで言わせるとは……」

 

 幻想郷の歴史。それを記憶として引き継いできた阿求ら御阿礼の子にそこまで言わしめる鶖飛の実力に、永琳は顔を引き攣らせた。

 

 記憶の引き出しをとっ散らかしてみても、鶖飛ほど剣に秀でる存在を阿求は知らない。吹羽たちはあずかり知らぬことだが、幻想郷に於いて“剣豪”に類する冥界の庭師でも恐らく鶖飛には手も足も出ないだろう。

 その様はまさに“剣鬼”。数年前の時点でそこまでの強さだったのだから、成長した彼がどれだけ強くなっているのかは阿求には計れない。

 

「同類なんですよ、霊夢さんと。あの人たちは私たちの想像を容易く超える存在なんです。……そして、そんな二人を繋ぎ合わせているのが、妹である吹羽さんなんです」

「吹羽って、あの小さい子ね。……待って、ということはあの子……あの年で実の兄と殺しあう気でいるの……!?」

 

 霊夢の負傷、紫の言葉。それらを思い出して辿り着いたその結論に、流石の永琳も顔を青褪めさせた。

 当然だ、兄弟喧嘩ならまだしも、実の家族同士で殺しあうなど率直に言って狂っている。或いはその表情は、そんな状況を否応なしに押し付けられた哀れな吹羽への憐憫のようでもあった。

 人外でもない。不老不死なわけでもない。消し飛ばしても立ち所に再生するような回復力なんて持ち合わせておらず、腹を一刺しでもすれば死ぬかもしれない儚き人間。普通の兄妹。

 そんな二人が殺し合う――そんな凄惨な事実があっていいのか。

 

 想像以上に惨い状況を聞かされて血の気が失せる永琳に阿求は――しかし、緩く首を振るって否定を示す。

 

「――殺しあう気は、きっとないと思います」

 

 そう――吹羽はきっと迷うはずだ。

 あの子は小心者で、物事を自分で決めることに踏み出し淀む。自分の決定で何かを失うのが怖いからだ。

 だから誰かに殺しあえと言われても必ず立ち止まる。失いたくないから慎重になる。そして自分が納得できるような何かを見つけるまでは先延ばしにするのだ。

 優柔不断、とも言うだろう。だが阿求は吹羽のそれを、敢えて熟慮断行であると考える。事実そうなった吹羽はかなり頑固だと阿求は知っていた。

 迷うには迷うし、答えを出すのも人より遅い。ただし一度決めるともう動かないのだ。文の一件――阿求は与り知らぬが――が良い例である。

 

「吹羽さんはきっと迷います。霊夢さんも紫さんも、何かしら彼女に言葉をかけるでしょう。でも……私は吹羽さんの出した答えが一番正しいのだと思います。必死に考えて、迷って、それでも出した答えはもしかしたらどうしようもないものかも知れません。でも――」

 

 吹羽がいいと決めたなら、自分はそれを肯定する。

 否――否定していいわけがないのだ。

 

 阿求は先程までの沈痛な面持ちに、僅かな笑みを含めて言った。その考え方が霊夢と全く同じだったことを知ったら、きっと阿求は驚きこそするだろうが、すぐに“当然だ”と胸を張るだろう。親友とは相手のことをより深く理解できる者のことであり、それが二人いるならば同じ見解になるのも当然というものだ。

 

 ただ――初めから阿求が心配しているのは。

 

「(その答えが……吹羽さんにはどうしようもなかったとき(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)……)」

 

 迷って決定を先延ばしにした挙句、吹羽に選択の余地がなくなってしまった場合。そうなれば当然、必ずしも吹羽の望んだ結果になるわけではない。

 優柔不断、熟慮断行。どうしても受け身になってしまうその考え方の弊害とも言えるその状況になってしまうことを、阿求は危惧していた。

 

 もし仮に、吹羽の望まない方向に鶖飛が意思を固めてしまっていたら。

 吹羽が言葉をかけたところで、全く揺るがない意思の元に鶖飛が行動しているのなら――それはきっと、吹羽にとって何よりの悲劇になる

 

「(どうか……そんな悲しい結末にはならないで……)」

 

 脳裏に過ぎった最悪の結末を予想して、阿求はきゅっと目を瞑る。

 せっかく元の笑顔が戻り始めたのに。ようやく立ち直ってくれるかもしれないと淡い希望を抱いていたのに。そんな終わり方はあまりにあまりだ。

 だから。

 

 無力な自分はこれしかできない、と。阿求は両手を胸元で組んで、強く願う。

 

 ――どうか、皆が笑って帰ってこられますように。

 

 雲のない夜空と輝く満月。阿求は縋るような心地で、ただひたすらそう祈った。

 

 

 




 今話のことわざ

 なし

 最近は執筆速度も上がってきてポンポンと投稿できてますね(他人事)。この調子で行きたいけどこれからインターンシップがなぁ〜。

 ではでは。

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