風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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第三話 不思議な関係

  

 

 

 実際の所、『風成利器店』の知名度がどれ程かと言うと、実はそれ程広く知られている訳ではない。

 品の質や性能は、一般家庭に使われるものと比べれば頭抜けて高いのは確かなのだが、そもそも店自体が小道を抜けた先の、建物の入り組んだ場所に建っている。

 加えて、吹羽自身が一日中家や工房で過ごす事も少なくない。

 その為、名の広がる機会が無いのだった。

 

 仮に人数が多ければ、店に籠る者と宣伝をする者で役割を分担し、ある程度の知名度は得られるだろう。しかし残念ながら、現在の風成利器店は吹羽一人で切り盛りしている。

 そんな余裕がないのは明白だし、何よりも吹羽にその気が無かった。

 暮らしていけるだけのお金は、“風紋包丁”を二、三振り売りさえすれば十分に稼げるし、知名度が上がり、お客が多くなって、店の周囲が騒がしくなり過ぎるのもあまり好まない性分だった。

 ――さらに言えば。

 吹羽は、自分達一族が何故鍛冶屋を営ん(・・・・・・・・)でいるのか(・・・・・)をよく理解しているのだ。

 だからこそ稼ぎにはあまり頓着しないし、知名度にも興味がないのである。

 

 しかし、それでも人里に存在する以上、ある程度の人の目には触れる。

 偶然通りかかった百姓の一人が風紋包丁の性能と美しさに取り憑かれ、以来何代にも渡って風成利器店を贔屓している例も、何件かある。

 実は稗田家との関係もそれに近く、またお互いに長い歴史を持つ名家だからこそ、今でも交流が続いているのだ。

 百姓――ではないとしても、吹羽とその類の出会い方をしたのが、霊夢であった。

 二人何気ない出会いを果たし、それ以来ちょくちょくと店に足を運んでいる。

 そして今日も、霊夢は店に訪れていた。

 実に一週間振りの来訪であった。

 

「………………」

 

 ギンッ、ギンッ、ギンッ。

 炉の熱で暑くなった工房では、鎚が鋼を打ち付ける甲高い音が響いている。

 『火造り』を終え、銘を刻む『銘入れ』、組織のムラを無くす『焼きなまし』を終えた後の『ひずみ取り』の作業中である。

 霊夢は工房と住居を繋ぐ扉の縁に腰を下ろし、お茶を啜りながらぼんやりと吹羽の仕事を眺めていた。

 勿論、余計に話し掛けたりはしていない。

 その程度の配慮は、普段からしていることである。

 

「(……ホント、真剣ねぇ)」

 

 吹羽のキリッとした瞳を見て、霊夢はふと思った。

 普段の明るい雰囲気からは掛け離れた、静かで鋭い“気迫”にも似た空気を、仕事中の吹羽は纏っている。

 “鍛治仕事は稼ぎが主な目的ではない”という事を知っている霊夢としては、少々難解に感じた。

 

 嘗て名家として名を馳せた風成家は、最早吹羽ただ一人である。

 彼女はまだ幼い。本当ならば何処かの養子にでも引き取られるべきである。

 しかしそう(・・)ならなかったのは、かくいう吹羽自身がそう望んだからだった。

 ――お店を継ぎたい。

 ――潰してしまいたくない。

 彼女がそう言い始めた当時、それはもう周囲――特に風成利器店を贔屓している者達――から猛反対された。

 彼らも風成利器店が潰れることは心の底から悲しみながら、それでも吹羽の安否を願っていたのだ。 それが、およそ五年前の話。

 しかし結果として吹羽がそれを押し切り、立派にお店を切り盛りしているのだ。

 誰が見張っている訳でもない。

 少しくらい怠けたって、弱音を吐いたって、誰も彼女を責めたりしない。 蔑んだりしない。

 それでも吹羽は、鋼を打ち続けている。

 きっとそれ程までに、吹羽は風が好きなのだろう――と。

 その為の力を磨いているのだろう――と。

 確信に近い結論を、霊夢は既に得ていた。

 

 なんという努力家か。才能に恵まれていながら、それを更に磨き上げようとしている。

 同じく才能に恵まれ、でもそれに頼り切って生きてきた霊夢としては、それはある意味理解に苦しむ行動と言えた。勿論、彼女はそれで十分に仕事を全うしているので文句を垂れる輩はいないが、それとこれとは話の焦点が違う。

 霊夢と吹羽では少々人間性に差がある、という話だ。

 そんな思いを密かに抱く霊夢だったが、それでも吹羽にこれっぽっちも嫌悪感を抱かずにぼぅっと眺めている自分自身に対しても、実は不思議な感覚を覚えていた。

 

「(……まぁ、これは同情(・・)と同じような感情(もの)なんでしょうけど――)」

 

 ふと辿り着いた自己分析を、霊夢は緩く頭を振るって掻き消した。

 

「ふぅ……! 一段落ですね」

 

 声にはっとし、見てみれば、吹羽は包丁を太陽に照らし見ながら汗を拭っていた。

 日の光に照らされた刀身は、白銀の光を放って目に痛い程である。その刃の鋭さを明確且つ簡潔に物語っているようだ。

 ふと視線を移せば、吹羽の翡翠色の瞳も普段の柔らかな雰囲気に戻っている。

 刃を見つめる吹羽の満足気な表情が、霊夢にはなんとなく微笑ましく思えた。

 

「ねぇ吹羽、それにはあと柄を付けるだけ?」

「いえ、あとは風紋を刻む作業があります。この品の風紋はそんなに難しいものじゃないので、時間はそんなに掛からないんじゃないですか?」

「……そうなの?」

「はいっ!」

 

 眩いばかりの笑顔を放つ吹羽に対して、霊夢は己がかなり複雑な表情をしている事を自覚していた。

 相も変わらず、霊夢に風紋の事は分からない。

 いや、種類などはある程度知っているのだが、それ(・・)どれ(・・)で、何故そう(・・)なるのかは未だに理解出来ないのだ。

 人が動物を見ても個体それぞれの区別が付かないように、霊夢には風紋の区別が付かない。

 故に、何が簡単だから、どれだけ短い時間で出来るのか、なんて事が推測出来るはずもなく。

 風紋技術が特殊過ぎることもある上に当然といえば当然の事なので、その辺りの事は既に霊夢の中で諦めが着いているのだった。

 だって、基準すら分からないのでは、取り繕った苦笑いでしか返事を返す事が出来ない。

 それが分かっているから、吹羽も昔からその手の事には敢えて触れないでいた。

 

「ふーん……まぁ早く片付くのはいい事よね、どんな事でも」

「且つ、しっかりこなせてたら完璧ですよねっ」

「そりゃそうよ。 早い上に上手く出来てたら、お茶飲んで寛いでいても誰も文句言わないしね」

「そ、それは霊夢さんだけの考え方じゃ……?」

「何よ、文句あんの?」

「いえ、別に……」

 

 そう言いつつも、吹羽の言い分もよく理解している霊夢である。

 面倒臭がりか、向上心があるかの違い。

 物事を早くこなせたなら後は思う存分休む。文句など言わせない。――と言うのが霊夢であり、早く終わったから修行ついでにもう一振り! ――と言うのが吹羽なのだ。

 そう考えれば、なんともまぁ。

 似ているようで、正反対な二人である。

 

「ま、そうやって根を詰め込み過ぎないようにする事ね。それで腕は上がってるっぽいから、一概にダメとは言わないけど」

「分かってますよっ! 健康に気を遣えないで鍛治仕事なんて出来ませんからねっ!」

「そ。ならいいけど」

 

 簡潔に忠告した霊夢に、吹羽は満面の笑みで「はいっ!」と答えた。

 ――うわ、笑顔が眩しい。

 きっとこの子の前では、どんな大悪党も毒気を抜かれてしまうんだろうなぁ、なんてどうでもいい事を、何の気なしに考えてしまう。

 普段なら思い付きもしない事を思い付いてしまった事に気が付き、平和ボケ真っしぐらだ、と霊夢は心の片隅で痛感した。

 

「そうだ! 霊夢さん霊夢さん! 聞いて下さいよっ!」

 

 呼ばれた声に顔を上げれば、目の前では吹羽が一枚の紙を広げて見せつけていた。

 一瞬何か分からなかったものの、よく見ればそれは、何かのメモのようであった。

 下の方には横に長い長方形が描かれ、その上部の辺からはススキのような模様が描かれている。

 その模様の半ばからも何本もの線が描かれており、それと並列するように矢印や丸、一言のメモが書き連ねられていた。

 少しだけ首を傾げて数秒の沈黙の後、霊夢は小さく口を開いた。

 

「……これ、風紋のメモ?」

「はいっ! “技術は上達してる”って言われて思い出したんですけど、これ、ボクが考えたんですっ! 新作の風紋ですよ!」

 

 ――だから何?

 そう漏らしそうになった口を、霊夢は慌てて噤んだ。

 何せ、自分を見つめる吹羽の視線が、如何にも“褒めて下さいっ!”と言っているように見えたのだ。

 輝く瞳が眩しい。眉を顰めてしまいそうな程。

 風紋の事なんて分からない自分に褒められて嬉しいのか? と思わずにはいられない。しかしそれは問うまでもなかった。吹羽の表情が、それを明らかにしていたのだ。

 心の内で小さく嘆息しながら、半ば仕方がなくなったかのように、霊夢はポンポンと吹羽の頭を撫でた。

 

「あーすごいすごい。やっぱり吹羽は凄い子ねーあたしには絶対無理だわー」

「え、えへへ、それ程でもないですよぉ〜! ふふふ、これ実はですねぇ――」

 

 ――うわぁ、この子チョロいな……。

 霊夢自身、予想以上に感情の篭っていない声が出た事には少なからず驚き焦ったが、“それ故に”と言うのか、彼女は照れ笑いしながら自身の作品について語る吹羽にそんな感想を抱いた。

 あんな無感情も甚だしい褒め方でこの様子とは、純粋と言うのか単純というのか。

 その単純(純粋)さがいつか何事かの仇にならないか少しばかり心配に感じたものの、結局霊夢はそこで考えるのをやめた。

 この子は仮に単純ではあっても、決して馬鹿ではない。

 様々な物事に対して、適切な判断くらいは着けられるだろうという結論が、既に彼女の中では出ているのだ。

 あとはもう少し子供っぽさが抜ければ――。

 

「それでですねっ! ここを通った風をこっちで纏めると、前よりも効率的だって気が付いてですね! 一緒にここを利用出来たら――」

「(……って、この様子じゃ無理かな)」

 

 吹羽には人一倍子供っぽい所がある。それをあと少しでも抜くのは、案外難しいことなのかも知れない。

 彼女の満面の笑みを見て、霊夢は考えを改めた。

 まぁ、明るい性格と程良い子供らしさはある種の長所であり、可愛らしさの一つとも言えるわよね――と。

 暗い吹羽なんて吹羽じゃない。

 何時だって元気で明るいのが吹羽という少女だ。

 霊夢は明るく元気な彼女の語りに、仕方なさそうに――だが何処か嬉しそうな微笑みを湛えて、再度耳を傾けた。

 

「――っていう作品なんですよっ! ボク凄い頑張りました!」

「自分で言ってどうすんのよ」

「だって頑張りましたしっ! この風紋機構を考えるのにどれだけかかったことか……!」

「……どんだけ考えてたのよ?」

「えーっと……着想を得るのに三日……機構を組み上げるのに五日……刀身との兼ね合いで、大きさ縮小の計算に二日……」

「……ん?」

 

 視線を宙に泳がせながら記憶を辿る吹羽の姿。それを前にして、霊夢は先程放たれた言葉を吟味する。

 あれ、何かすごい矛盾が目の前で起こっている気がする――と、聞こえた言葉を口の中で反復し、転がし、吞み下そうとするとやはり何処か引っかかる。

 聞き間違いか? と訝しげな視線を吹羽に戻せば、彼女は視線による工房中の遊泳が二週目に入ろうかという所。その直前で、吹羽は閃いたようにポンと拳を掌に当てた。

 

「計二週間くらい、家でずぅっと考えてましたね」

「……い、家の中で……?」

「はい、家の中ですね。……え、何ですか?」

「あ、あんた……“健康には気を遣ってる”とか言っててソレ!?」

 

 やはり聞き間違いではなかった。

 この少女、数分前に健康がどうのと宣っておきながら不健康極まりない生活をしているではないか。

 そりゃあ毎日の事ではないだろうし、食事もしっかり摂ってはいるだろうが、そんな細かい事は今どうでもいい。というよりそれすら出来ていなかったら、強引にでも博麗神社へ連れて行って暫く拘束もとい監視する事も吝かではない。

 

 二週間ずぅっと家の中など。外には一歩も出ていないなど。

 幾ら外出の頻度が低いと言っても、そのあまりと言えばあまりの現状は霊夢に強い衝撃を与えた。己は引きこもりか! とでも言いたい気分である。

 人間は日の下に生きる存在だというのに、長々と日陰で縮こまるとは何事か――と。

 友人の鍛治生活の事実を目の当たりにし、霊夢は頭痛を起こしたかのように額に手を当てて溜め息を吐いた。

 そして、指摘に戸惑う吹羽の腕を強引に掴む。

 半ば、反射のような行動だった。

 

「外、行くわよ」

「ふぇ? れ、霊夢さん!? 何ですか急にぃ!?」

「ずっと影の下になんていたら人間だって腐るわよ! 特にあんた、まだ子供なんだからもう少し遊びなさい!」

「子供じゃないですっ! ――ってそうじゃなくて! まだボク仕事途中なんですけどっ!?」

「そんなもん後でやんなさい! 仕事だって身体が資本だって言うでしょ!」

「ボクは至って健康ですよ〜!」

 

 ああだこうだと喚く言葉をズバズバと斬り捨て、霊夢は吹羽を家の中へと引き摺っていく。

 自分はこんなにも世話焼きだっただろうか――と頭の片隅で思ったものの、今更どうでもいいかと、それすら霊夢は斬り捨てた。

 今はとにかく、この放って置けない友人を外に連れ出す事が先決である。

 後の事は、後で考えればいいのだ。

 

「さぁ、ちゃっちゃと着替えて行くわよ!」

「うわぁあっ!? 自分で着替えれますから! 脱がそうとしないでくださいっ!!」

 

 本日は珍しく、風成利器店も臨時休業である。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 幻想郷の子供達――取り分け、十歳程の子供達の学力は、意外にもそれ程低くない。

 外の世界と比べて文化水準が比較的低いとされる幻想郷であるが、流石に飛鳥時代の頃程本が貴重な訳ではない。

 勉強するのに必要な、所謂“正式な教科書”がある訳ではないが、何かを書いたりする為の紙はあるし、またその為の筆や墨汁なども市販されている。

 教師が優秀な事もあって勉学は滞りなく行う事が出来るため、幻想郷の学力水準は決して低くはないのだ。勿論同時に、特別高い訳でもないのだが。

 

 ――して、今日の寺子屋は休みであった。

 特に何か特別な日という訳ではない。単なる定休日だ。

 勉学の苦手な子、寺子屋を好いている子。どんな子だろうと恐らくは心待ちにしていたであろう週の節目。

 元気一杯な子は遊びに出掛けるだろうし、おとなしい気の子は一日中お気に入りの本を読み耽るだろう。勉学に熱心な子はずっと机に向かっているかもしれない。

 各々が自由に過ごせる自由な日。

 勿論それは生徒だけではなく、当然教師側にも与えられるものである。

 

 “節目”、特に週の境界に位置する日は、一週間で最も“面倒な”一日である――というのが、彼女(・・)の持論だった。

 するべき事が沢山ある。

 一瞬間で溜まりに溜まった埃やゴミの掃除、次の一週間を無事に生きるための食材の買い出し、その金銭の遣り繰り計算。洗濯などは体力がいる為余計に大変だ。

 それが終われば、残った時間は寺子屋での授業の為の内容のまとめ、成績云々、試験の採点……etc。

 食事の準備などは仕方ないとしても、それを抜きにして考えた時、その内容の多さから来る憂鬱感に溜め息を吐くのが、定休日前日の癖だった。

 ――取り敢えず、買い物から済ませてしまおう。

 そんな考えから始まるのが、寺子屋の教師、上白沢 慧音(かみしらさわ けいね)の一日である。

 

 人前でまで暗い顔を出さないよう、例え見慣れた風景であろうと、半ば心を誤魔化すかの如く横目に里を眺め、歩みは止めない。

 ただ、あんまり空を見上げたくはなかった。

 長らく一人暮らしの為、今日のような“節目の日”はそれこそ慣れ果てた日の訳だが、今日のように雲一つない快晴の空というのは、慧音の心にはなんとなく皮肉に映る。

 まるで、憂鬱な雲の色に染まった彼女の心を嘲っているようだ。

 ちらと視界の上端に空を映し、慧音は呆れとも自嘲とも取れる苦笑いを零した。

 

「(子供達が傍にいるならば、こんな気分にはならないのだがなぁ……)」

 

 平日の、賑やかで暖かい我が職場を愛おしく思う。

 子供と言うのは純粋で、それ故に残酷な部分もあるが、素直で明るく、表情豊かだ。

 そんな存在に囲まれて一日を過ごす“教師”という仕事が、如何に自分にとっての天職か。そう思い耽る度に、慧音の心は潤っていくのだ。

 全く、運命とはかくも優しきものなのか。

 このことに関しては、日々心からの感謝を抱く慧音である。

 

 ――ともあれ、さっさと用事は済ませなければ。

 今日はこれで最後だ、ともう一息だけ大きな溜め息を吐き、慧音はしっかりと一歩一歩を踏み締めた。

 今日も乗り切ってみせる――と。

 そうして意気込んだ歩みを紡ぎ、再度前を見据える。

 すると、視界に映った一人の人間が、彼女の気を引いた。

 

「……うん? あれは……見慣れない子だな」

 

 慧音の視界の先に居たのは、年端もいかない少女だった。

 彼女の営んでいる寺子屋の生徒達と同じくらいか、少し年下か。

 見慣れない子供ながら、柔らかそうな白い髪と輝く翠緑の瞳が非常に印象深い、可愛らしい少女である。

 彼女は通りの凡そ真ん中で佇み、風景を眺めるように周囲を見回していた。

 

「(……声、掛けてみるかな)」

 

 それは好奇心に近い思い付きだった。

 幾ら寺子屋を営んでいると言っても、慧音だって里の子供全員の面倒を見ている訳ではない。

 中には両親の仕事の手伝いをしていて通えない子も居るだろうし、単純に勉強したくないと寺子屋を拒む子も居るだろう。だからその少女に見覚えがなくとも、決して不思議な事ではない。

 それでも声を掛けようと思った理由は、実に単純明快。慧音は子供が好きだからである。

 子供が好きだから、見慣れない子の事を何となく知りたく思う――それだけの話だ。

 “子供と共にいる癒し”に飢えた彼女にとっては、ちょっとした救いにも近かったかも知れない。

 

「君、ちょっといいかな」

「……はい? ボク……ですか?」

「ああ、君だ。 少しいいかい?」

 

 返ってきたのは、顔立ちにも引けを取らぬ透明な声。特殊な一人称を訝しげに思うも、そんな疑問が一瞬で消えてしまうほどに綺麗な声である。

 腰を屈めて目線を合わせてみれば、慧音は不覚にも、その少女にドキリとしてしまった。

 透き通るようで健康的な白い肌。日の光を反射して淡く光るのは、絹糸のような純白の髪である。

 翡翠色の大きな瞳は、吸い込まれそうな程に美しい色を放ち、その心の純真さを明朗に表すかのようである。

 ――驚いた、こんな少女がいたのか。

 幻想郷では、人外が文字通りの人間離れした美しさを持っている傾向が強いのだが、この少女にも似た類の何かを感じる。

 そう思わずにはいられない程に、少女は慧音を驚愕させた。

 

 ――不意に、不思議そうな表情で見上げる少女に見つめられ、慧音は自分がじっと彼女を覗き込んでいたことに気が付いた。

 それにハッとし、“すまない”と呟きながら一つ咳払いをすると、慧音は元通りの笑顔を浮かべた。

 

「私は寺子屋の教師をしている上白沢 慧音と言う。君は?」

「ボクは風成 吹羽と言います。鍛冶屋を営んでいます!」

 

 ――鍛冶屋? ご両親のお手伝いをしているのだろうか?

 吹羽の言葉を聞き、慧音は簡潔に結論を出した。

 ならばやはり、手伝いで寺子屋に通えない子の一人なのだろう――と。

 

「吹羽か、いい名だな。ところで、君はここで何をしているんだ? 見た所、里の街並みを眺めていたようだが」

「ああえっと……実は、ボクの友人に外へ連れ出されまして……。あんまりこっちの通りには来たことがなかったので、ちょっとだけお店とかを眺めてたんです」

「そうか……それで、その友人は何処に?」

「何やら買ってきてくれるそうで……もうすぐ来ると思いますけど」

「……ふむ」

 

 これは興味深い子を見つけたな、と慧音は頷きながらに思った。

 普段から子供達と接している分、個性などを見抜く目は確かなものを持っている慧音であるが、彼女からしても、この吹羽という少女は不思議な要素が多いように思った。

 あまり外には出ない――と言うのはまぁ性格の問題だと片付けるとして、この歳の少女が鍛冶の手伝いとは。

 加え、幼い子供とは思えないほど丁寧な受け答えが、僅かに子供らしさは残るものの、何処か大人びた雰囲気を滲ませている。

 そして、この少女のある意味“人間離れした可愛らしさ”は、慧音の脳裏にも完全に焼き付いていた。

 ならば、この子が行う鍛冶とはどんなものなのだろう――?

 考え込む度、慧音は更なる好奇心を吹羽に抱いていく。

 ――これは、面白そうな子に出会ったものだ。実に興味深い。

 慧音の心は既に、暗雲など軽く吹き飛ばしてしまっていた。

 

「慧音さんは、ここで何を?」

「ん? 私は買い物だよ。今日の内に一週間分の買い出しをしておかないと、来週が辛くなるからな」

「ああ、買い溜めはしておくと便利ですよね! 保存には気を使わなくちゃいけなくなりますけど、その分出掛ける必要もなくなりますし!」

「そうだな、その中でも上手くやりくりしていけば、一週間以上困らないしな」

「はいっ! ボクなんかは小食なので、頑張れば三週間だって保ちますよっ!」

「そ、そこまでする必要は無いと思うが……」

 

 会話が弾む。れっきとした大人と子供の会話とは思えない程。

 別に慧音が吹羽に話題を合わせている訳ではない。むしろ、親元で育てられる子供には関係のない“一人暮らし故の話”すらしてしまっている。

 子供とする話ではないな――と自覚していながら、しかしそれに笑いながら付いてくる吹羽に少々感心を抱いた。

 

 ――この子は何者なんだろう……?

 心の片隅で、且つ心の底からの疑問……否、関心を寄せながら、吹羽との会話に花を咲かせる。

 買い物途中だということがどうでも良くなって来るくらいに、慧音は偶然出会ったこの少女との会話を楽しんでいた。

 そうしていると、横から、吹羽に掛けられる声が聞こえた。

 何処か聞き覚えのある声である。

 そう、ついこの間何処かで聞いたような――。

 

「待たせたわね、吹羽。店主さんが値切りに厳しくて、無駄に時間掛かったわ」

「あ、お帰りなさい霊夢さん。この匂い……鯛焼きですか!? やったぁ! ありがとうございますっ!」

「……ん? 霊夢じゃないか」

「――って、慧音じゃない。何で吹羽と一緒に?」

 

 現れたのは、鯛焼きの包みを二つ持った紅白の巫女――博麗 霊夢だった。

 キラキラと瞳を光らせてヨダレの一つでも垂らしそうな勢いの吹羽に包みの一つを渡しながら、霊夢は得心行かぬ表情で慧音を見つめていた。

 

「あれ……お二人共、お知り合いなんですか?」

「ん、まぁね。色々あって」

「ああ。それにしても、友人というのは霊夢の事だったのか。いや、想像もしていなかった」

「あーはいはい、その手の反応にはもう慣れたわ」

「む、そうか。まぁ、子供のうちにたくさん友達を作っておくのは良いことだ。その関係が、大人になってからも役立つことは案外あるからな」

「慧音さんの言う通りですよっ!

 “縁あれば千里”って諺があります!

 ボクはずっと友達ですけど、友達がボクだけじゃ寂しい人みたいに思われちゃいますよっ!」

「あんたに言われる筋合いだけは無いって断言するわ」

 

 また一つ、興味が引かれた。

 吹羽一人を見ても不思議な印象が強かったが、そこにまさか博麗の巫女が絡んで来るとは。

 二人の様子を見れば分かる。

 お互いちゃんと友人だと認識し合って、きっと、決して浅くはない繋がりを持っているのだろう。

 幻想郷勢力の一角として名を馳せる博麗の巫女と、そんな関係を――。

 つくづく興味深い少女だな、と慧音は吹羽に多大な関心を抱いた。

 となれば、善は急げである。

 逸る気持ちを抑えながら、そしてなるべく平静を装いながらも、慧音はある提案を二人に提示した。

 

「……なぁ、二人共。 これから何か予定はあるのか?」

「えっと、ボクはこれから戻って仕事を――」

「吹羽」

「……するつもりなんて全くないので、予定なんてありません、はい……」

「霊夢もそうか?」

「ええ、まぁ。何も考えずに飛び出してきたからね」

 

 しめた! 心の内で小さなガッツポーズを決めた。

 

「ならば、何処かでお茶していかないか? 暇なんだろう?」

「あ、良いですねソレ! ボクももっと慧音さんとお話ししてみたいですっ! ね、霊夢さん!」

「……良いけど、あたしはこれ以上買えないわよ。使い切っちゃったし」

「なに心配するな。大人として、子供に自腹を切らせる訳にはいかん。私が奢るよ」

「さっさと行くわよ吹羽!」

「か、変わり身早過ぎですよ霊夢さん……」

 

 慧音も働いているとはいえ、裕福とは縁遠い生活である。節約はなるべくしなければならない。

 しかし今の慧音にとっては、茶屋での出費くらい軽いものに思えた。

 今まで数多の子供達を見て来たが、これ程彼女の興味を引いた子は多くない。

 そんな子達と出会う度に、慧音は幼心を取り戻すのだ。

 この子の事をもっと知りたい――。

 きっと意味のある時間を過ごせる――。

 慧音の頰は、無意識に綻んでいた。

 

「さ、じゃあ行こう。好きなところを選ぶと良い」

「やったぁ!」

「じゃあ慧音! 里で一番高い茶屋って何処だったかしら!?」

「……それは勘弁してくれ」

 

 不意に視界に映った青空が、妙に清々しく思えた。

 

 

 

 




 今話のことわざ
(えん)あれば千里(せんり)
 縁があれば、千里も離れた遠いところの人と会うこともできるし、結ばれることもある、ということ。

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