風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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 すいません、ちょっと用事があって投稿遅れました。


第三十五話 帰ってきた日常④

 

 

 

「改めて初めまして。吹羽さんのお友達をさせてもらっています、守矢神社の風祝、東風谷 早苗と申します」

「あ、ああうん。俺は風成 鶖飛。よろしく」

「私は烏天狗の射命丸 文ですぅ! よろしくお願いします♪」

「よろしく」

 

 実に簡潔な挨拶の声が部屋に響く。

 突然押しかけた四人を欠けらも苦にせず、早苗は文諸共に住居区の居間に通して六人で卓袱台を囲んで腰を下ろしていた。

 吹羽と鶖飛が並んで座り、その少し後ろに椛と夢架が正座で控える。対面に早苗がいて、その隣で文がにっこにっこと営業スマイルを浮かべていた。

 因みに彼女は相変わらず記者モードを貫いている。今日は早苗の取材に来たらしく、どうやら常にそれを維持していくつもりでいるらしい。

 まあ素の文は落ち着いていてやたらめったらに笑顔を振りまくタイプではないので、にこにこと笑っているのはそういうことなのだろう。やっぱり先ほど早苗は、“煽る人”文に乗せられていたらしい。

 

「いつも妹がお世話になってるよ。迷惑でなければ、これからもよろしくお願いしたい」

「迷惑だなんてそんな。吹羽さんはいつも明るくて、むしろ元気をもらっているのはこちらの方です」

「ああ、こいつは元気に大人ぶろうとして面倒臭いだろう? そう言ってもらえると兄としては気が楽ってものだよ」

「いえいえ、とても可愛らしいと思いますっ。妹さんはとても魅力に溢れた女の子ですよ」

「ああ、それは実に同感……自慢の妹だと思ってる」

「ぅ、ぁぅぁぅ……そんな、手放しに褒めないでください……っ」

 

 二人が定型文的な挨拶がてらに褒めまくってくるものだから隣で聞いていた吹羽には堪らない。相変わらず鶖飛は吹羽への愛情や感情を隠そうとはしないし、その点では早苗も同じだ。ある意味吹羽の前ではあまり組んで欲しくない組み合わせである。

 なんだかもう、にっこにっこと柔らかすぎる笑顔で見つめてくる文にさえ気恥ずかしくなってくる。

 もしかしてここに鶖飛を連れて来たのは失敗だったろうかとふと後悔する吹羽である。

 

「そっちの……文、だっけ」

「あはい。射命丸 文ですぅ」

「君もありがとう。それだけ友好的な雰囲気から察するに、君も吹羽に良くしてくれてるんだろう? 俺がいない間、吹羽の相手してくれてありがとう」

「ぁ……い、いえいえそんな滅相も無いですよっ。私の都合で吹羽さんと共にいただけですので! 全くこれっぽっちも感謝されるようなことはありませんて!」

「はは、そうか」

 

 鶖飛の朗らかな笑顔に対して、文の笑顔は僅かばかりに引き攣っていた。彼女の笑顔が瞳に焼き付いている吹羽だから分かる程度の差異なので誰も気付いてはいないだろうが、その理由になんとなく察し付いて、吹羽は少しだけ俯いた。

 

 多分、未だに負い目を感じている。それが吹羽の兄である鶖飛を前にしたことで滲み出てきてしまったのだろう。

 自惚れかも知れないが、行方不明となっていた彼が帰って来たというのに、記者モードの文が根掘り葉掘りと事情を聞き出そうとしない事実がそれを物語っている。

 かつて妹を拷問し、嬲り、殺しかけたというのにその兄に対して遠慮もなく取材などできるわけがないだろう。

 

 文がしっかり立ち直るまで手を繋いでいると、そう決めた。だが実際は平和な日々が続くばかりで、今のところどこにでもいる友人程度の付き合いでしかない。それは、裏を返せば停滞してしまっているということだ。

 負い目は癒えていないのだ。それが少しだけ吹羽には悲しく思えたが、鶖飛と出会って少しでも刺激があればまだ分からない。今はただ、文の心が少しでも救われる未来を願うばかりだ。

 

「――ところで」

 

 と、自己紹介も終わってしばしの雑談を経た頃。少し後ろで控えていた椛が不意に言葉を滑り込ませた。

 自然と視線は椛に集まる。彼女は相変わらずの澄まし顔を吹羽たちに向けていたが、その瞳の中にはどこか呆れの混じった疑問が見て取れた。

 一呼吸置いて、椛の小さな口が緩やかに開く。

 

「誰も訊かないので私が訊きますが、早苗さんと文さん、お二人は外で一体なにをしていたのですか?」

「え゛っ」

「あー訊いちゃいます? それ訊いちゃいますかぁ?? ふふふー♪」

「相変わらず言い方が芝居染みて耳に優しくないですね文さん。何かの取材だったことは分かっていますから、勿体ぶらないでください」

「勿体ぶってなどいませんて。気が早いですね椛は! ね、早苗さんっ」

「へ、えっとその……」

「というわけで何をしていたのかと申しますと……」

「え、あちょ、ま――っ!?」

 

 早苗の悲鳴をぶった切りながら、文が「これですっ!」と机に何かを叩き付ける。

 その拍子に机に広がる、数十枚に及ぶ長方形の紙。早苗がわたわたと覆い被さろうとするのを文が笑顔で抑え込む中覗き込んだそれには、表面に何やらたくさんの早苗が描かれていた。

 しかも――、

 

「……なに、これ」

「普通に可愛らしいのもありますけど……なんか、いやらしいポーズのも結構ありますね。……巫女さんがこんなことしてて良いんですか?」

「ってかおい、なんで俺は初対面の女の子のこんな破廉恥な姿を目の当たりにしなきゃならないのさ。……嫌がらせ?」

「わぁあああそうだよそうだったそうでしたっ! これはお兄ちゃんは見ちゃダメなヤツですぅう!」

「うおっ、前が見えないって吹羽!」

 

 肌色比率は少ないものの、笑顔でウインクを飛ばす姿やキリッとした瞳を流し目で決める姿から始まり、風で広がるスカートを必死で抑える姿、大きく伸びをして綺麗な腋を見せびらかす姿、果ては火照ったような表情で胸元をはだけさせる姿――etc。彼女が特殊な形の巫女服を着ている為、なんというか、マニアックな色気が滲み出ていた。

 さすがに“見せられないよ!”的なものは何一つないが、なんとなく目のやり場に困るものは数知れず。文が机に勢いよく広げたのは、早苗のそんな姿を写した紙だった。

 

「ああ、河童に作らせた“かめら”で撮ってたのはこれですか。この短時間で現像できるとは、さすが河童です」

「でしょでしょ! 速射現像型? だかなんだかで、撮った写真がその場で現像されて出てくるんです! 日々大量の写真を撮る私には欠かせない一品っ! もうこれ無しには生きていけないくらい癖になっちゃったんですよぉ〜♪」

「取り敢えずからくりに頬ずりするのはやめてください気持ち悪いです」

「辛辣ッ!」

 

 平然と二人で話しているが、その手はじたばた暴れる早苗をしっかりと抑え込んでいる。

 さては文さん、早苗さんが困るのを知っててこれを見せたな……と吹羽は相変わらずの悪戯っ気を醸す文に苦く笑う。

 そうしているうち、僅かに出来た隙間を逃さず早苗が拘束から抜け出した。顔は真っ赤で、手はどこをどうするともなくわたわたと暴れている。

 

「ち、違うんですよッ!? これは興が乗ってしまったというか魔が差したというか、ああ文さんがどうしてもというので仕方なく撮っただけでですね!? 決して私がそういうの好きというわけではなくてぇっ!」

「えー? 責任転嫁は感心しませんねぇ。『最近布教が上手くいかないので、ここはもう色仕掛けで人を募るほかありませんっ! さぁ文さん、私のこのちょっとえっちな姿を存分に撮って里にばら撒くのですっ!』とかなんとか言ってたのはどこの誰でしょうねぇー??」

「何がちょっとえっちな姿ですか!? 私そんないやらしい子じゃないですし言ってないですよぉっ! ふ、布教が上手くいってないのは確かですけど、写真集的なアレで一発当てようとか考えたのも事実ですけど!」

 

 弁明するようでし切れていない早苗の猛抗議に、椛は目を伏せてやれやれと呆れた吐息をこぼす。

 

「根本的な理由は変わってないじゃないですか。えっちだろうがなんだろうがやってることは同じですし、そもネタなど盛って然るべしな文さんの“文々。新聞”を頼った時点で破綻が目に見えていたというか……やはり早苗さん、あなた馬鹿ですね。オツムが足りなすぎです」

「辛辣ぅッ!!」

 

 まあ椛の言い分には一理あるというか全くの正論なのだが、毒が強烈過ぎて早苗はがくりとうなだれてしまった。相変わらず感情表現が一々大きい少女である。

 とはいえ、早苗が守矢神社の布教に熱心なのは伝わってくる。霊夢のように日々お茶を啜ってぐうたらしてるだけよりは随分とマシだし、空回りしてはいるがもしかしたらこの作戦でも人が集まりはする――目当てが神社でなく早苗である可能性は大いにあるが――かも知れない。そう考えれば全く的外れでもないはずだ。

 贔屓してもらうにはまず知って貰わねばならない。その為には、どんな方法であろうと人を募るのは非常に大切なことだ。

 幼いながらにその真理を心得ている吹羽は、ずーんと影を纏って項垂れる早苗の肩をぽんぽんと叩いた。

 大丈夫、ボクはちゃんと分かってますよー。

 

「うぅ……吹羽ちゃんは優しいですね……やっぱり私の妹になりませんか……?」

「い、妹になるとかはさておいて……客商売も似たようなものですからね。大丈夫です、これでもきっと人は集まりますよ! 本領発揮はその後ですっ!」

「ふぇ……人が集まる? えと、あの……そうじゃなくて、ですね……」

 

 ぽつりと溢れた早苗の言葉に、吹羽はきょとんとした。

 

「え、違うんですか?」

「ひうっ……そ、その………………なんでもないです……」

「??」

 

 おや、早苗の様子が思ったよりもおかしい……。もしや鼓舞の仕方を間違えたか?

 なんだか妙にぷるぷると震える早苗の顔は、残念ながら影になって見えていない。しかし、何やら齟齬が起きている感覚は確実にあった。

 布教のために写真を撮り、その行為を馬鹿にされたから落ち込んでいる……はずなのに、そうじゃない、とは?

 項垂れる早苗の背中をすりすりしながら首傾げていると、その会話を訊いていたのか、椛が獣耳をぴくぴくさせながら言った。

 

「……やはり、なんだか今日の早苗さんは様子がおかしいですね。というより、私たちが来てからというのが正確でしょうか」

 

 言外に、“写真集で布教なんて破天荒はいつもの早苗なら全然あり得る”と馬鹿にしながら。

 

「ん、そうなのか?」

「はい。いくら早苗さんが阿呆でも会話が成り立たないことはありませんでしたし、普段はもっと、こう……その場のノリで生きている感じがするんですが」

「……椛さん、そろそろ勘弁してあげてください……早苗さん、落雷が落とされたみたいにピクピクしてますから……」

 

 椛による言葉の落雷にやられまくっている早苗は有意義に無視しつつ、二人の会話に思い出すような声音の文が入った。

 

「そーいえば、早苗さん妙に言葉遣いが恭しくなったというか……」

「……ッ!」

「ああ、自己紹介もらしくないほど丁寧でしたね。一体どういう風の吹き回しですか」

「……ッ!!」

「いつもと違うことといえば鶖飛さんがいることですが…………ぁあ〜、な・る・ほ・ど♪」

「……っ、……ッ! ッ!!」

 

 二人の会話にいちいち身体を震わせる項垂れたままの早苗。まるで皮を無理やりひん剥かれたり鋭い棘をぶっ刺されたかのような反応っぷりに、側で見ていた吹羽は苦笑いをこぼすことしかできない。

 しまいに文がにやにやぁ〜っと唇を歪ませた瞬間には、早苗は項垂れるどころかミノムシみたいに縮こまっていた。

 一体何がしたいんだこの人は……などと思っていると、吹羽的には聞き捨てならないことを、文は口走った。

 

「早苗さんさては……取り入ろう(・・・・・)としてますね?」

「……ッ!!?」

 

 びくんっ! ミノムシ早苗が一際に身体を跳ねさせる。

 

「と、取り入るって、誰にです?」

「そりゃもちろん……鶖飛さんにですよぉ♪」

「お、お兄ちゃんに!?」

「え、俺? なんで?」

 

 各々に驚愕する二人を見遣り、文はまたにやぁ〜っと笑う。相変わらずいやらしい笑みで人によっては嫌悪するだろうが、吹羽にはなんとなくそれが楽しそうにしているように見えた。

 

「何故ってそりゃ、早苗さんは吹羽さんのこと大好きですからねぇ? 鶖飛さんに一目惚れしたようにも見えませんでしたし、ならば十中八九鶖飛さんに取り入って吹羽さんにもっと近づこうとしたに決まってますよ」

「え……マジで?」

「マジマジ。伊達に記者やってねーです。観察推察には自信有りでっすよ!」

 

 つまり、吹羽ともっと親密になるため兄である鶖飛と仲を深め、外堀を埋めていく形で吹羽と距離を詰めていこう――と?

 今でも十分仲良くしていると思うのだが、どうやら早苗はもっと先に進んで行きたいらしい。欲に忠実行動力抜群な早苗に、吹羽は相変わらずだな、とほうと溜め息を吐いた。

 

 それにしても、いつもド直球な早苗にしては計算高く行動したのだろうが、なんというか――やり方がせこいし回りくどい。親密になりたいなら直接そう言えばいいのに、彼女は何を躊躇ったのだろう。

 

「うわ……最初は清楚で品のある綺麗な女の子なのかと思ってたんだけど……猫被ってたのか」

 

 ――その一言が、起爆剤だったのか。

 ミノムシだった早苗はぶるぶると震えだし――爆発。

 

「〜〜ッ! っそうですよ合ってますよ御明察ですよぉ〜ッ! 鶖飛さんが吹羽ちゃんのお兄さんだって聞いた瞬間からずっっっと気に入られることだけ考えてましたけどそれが何かッ!?」

 

 ずだん! と立ち上がった早苗は被っていた猫を盛大に破り、羞恥に染まった顔で自棄っぱちに泣き叫んだ。

 

「え、じゃああんなに落ち込んでたのは……?」

「ぅうだってだって、あんな恥ずかしい写真見せられたら、いくら初対面だからって『あーこの子まじありえねえんだけど生理的に無理さっさと消えて?』とか思うじゃないですかぁっ!」

「そんなこと思ってねーよっ!?」

「そりゃ最初は布教のためだって考えてましたよ!? でも吹羽ちゃんのお兄さんが現れたとあってはそんなことしてる場合じゃないじゃないですか! 幻滅されでもしたらお終いです、ゲームセットですっ、ジ・エンドですッ! だから椛さんっ、これ以上私の悪いところ言うのは勘弁してくださいお願いしますぅぅ〜……っ」

 

 縋り付くような声音とアーチ状の涙で椛に懇願している時点でかなり手遅れな気がするのは、きっと黙っておくべきだろう。吹羽は純粋過ぎることに定評のある早苗を慮って止む無く言葉を飲み込んだ。実際鶖飛も口の端をぴくぴくさせているので、やはり彼としても早苗の言動はドン引きしているらしい。

 

 ――つまり、椛に作戦を悉く酷評されたから落ち込んでいたのではなく、そうやってお馬鹿な部分を野晒しにされて目的を達成できなくなりつつあることに悲しんでいた、ということだ。

 曰く、早苗は吹羽に一目惚れ(?)していて、その酷愛っぷりは周囲を置いてけぼりにするほど。当人達以外に知る者はいないが、神社に泊まった吹羽に夜這いをかけるレベルである。そんな“異常なほどのもの”を原動力とした行動が、“異常なほどのもの”にならないわけがなかった。

 

「……そもそも早苗さん、そうまでして何がしたかったんです? 仲良くなる以上に、ボクをどうしたかったんですか?」

 

 吹羽は小首を傾げる。

 結局、早苗の目的というのは一体なんぞ? と。仲良くなるよりも更に次の段階ってなに? と。

 そもそも鶖飛に幻滅されたからといって何がお終いなのだろうか。ここまでくれば躊躇う必要はない。全貌が明らかになるまで徹底的に取り調べさせてもらおうではないか。

 ――とか思って訊いてみたのだが。

 もう既にオーバーリミット状態の早苗には何の躊躇いもないようで、あっさりとソレを口にした。

 

「そんなの……そんなの! 吹羽ちゃんを私の妹にすることに決まってるじゃないですかぁああッ!!」

 

 ――あっ、そういえばそんなことに言ってましたねー。

 早苗の叫びを聞いた瞬間吹羽は、椛は、文は鶖飛は、呆れを通り越してしらーっと真っ白になった。夢架に至っては心底興味ないのか欠伸を漏らしてすらいた。

 

 蘇るある日の早苗は、確かに吹羽に対して妹にならないかと持ちかけてはいた。が、まさか諦めていなかったとは意外である。いやむしろ、諦めかけていたのだが鶖飛の登場によってその時の欲が鎌首をもたげてきた、ということかもしれない。欲望に忠実な早苗はきっと抗おうともしなかったろう。

 

 ……ということは、あれ、もしかして?

 

 吹羽は思い当たった推測に、愕然として青褪めた。

 鶖飛に取り入って、吹羽を妹にする……それって、つまり――。

 

「さ、早苗さん……」

「ひゃうっ!? な、なんですか吹羽ちゃん?」

 

 喚き散らす早苗の肩を掴んで無理矢理にこちらに向かせると、彼女は吹羽の雰囲気に中てられたのか少し怖がるような静かな声音で問い返した。

 だが、今の吹羽に早苗を思いやる余裕はない。普段は優しく眩しく翡翠色に輝く大きな瞳を剣呑に細め、

 

「まさか取り入るって……お兄ちゃんのお嫁さんになるつもりですか……?」

 

 そう、つまり、鶖飛の家族として吹羽を妹――義妹(いもうと)にするということ。

 その問いを受けた早苗は、始めいつになく覇気を纏った吹羽の姿を恐れてはいたものの、決意を秘めた瞳で吹羽を見返すと――良い笑みで大きく頷いた。

 

 早苗はぽ〜いっ。

 鶖飛の腕をぎゅ〜っ。

 

「ダメですっ! ぜったい絶対ダメですよッ! お兄ちゃんは取らせません渡しませ〜んッ!」

「なんでですか吹羽ちゃんっ!? そんなに私の義妹になるのイヤなんですかっ!?」

「そんなのはどうでも良いですよっ! “秋の鹿は笛に寄る”という諺がありますッ! 早苗さんがお嫁さんになったらお兄ちゃんがだめになっちゃいますっ! だからダメなんですぅっ!」

「がーんっ! わ、私は人をダメにする人間、だったんですか……ッ!?」

「あのー、俺の気持ちとかは無視なの?」

「「それは一先ず後回しですッ!」」

「あはい」

 

 もちろん早苗が人をダメにするというのは言葉の綾で、早苗みたいに綺麗で献身的な人が妻になったら溺れ過ぎてきっとダメ人間になるということで、決して悪い意味ではない。

 が、それを今伝えるのは得策ではないだろう。これを言ってしまえばきっと早苗は調子付く。ここは多少精神的に傷付けてでも歯止めをかけて、お兄ちゃんを――ひいては妹の尊厳を守らなければ。

 早苗の“甘さ”を知っている身としては、絶対に鶖飛を彼女に渡してはならないのだ。だってお兄ちゃんが早苗に溺れてしまったら――ボクが構ってもらえなくなるじゃないかーッ!!

 

「とにかく、ダメなんですからね早苗さんッ! お兄ちゃんは渡しませんッ!」

「……いえ、吹羽ちゃん。今回ばかりは私も引けません」

 

 しかし、早苗はいつになく決意を秘めた瞳で吹羽の瞳を見つめ返す。いつだって吹羽に対しては全肯定を示していた彼女とは思えず、吹羽は僅かに目を見開いた。

 

 欲望は人の原動力だ。恋愛や愛情に素直で忠実な早苗は、もはや吹羽の想像を超えた“無敵の乙女”であった。

 吹羽を義妹として可愛がる未来のためなら、例え吹羽自身が立ちはだかったとしても止まるわけにはいかない。止まれるわけがない。

 絶対に鶖飛をモノにして、吹羽を義妹として迎えるのだっ!

 

「もうこの際、猫被りで様子を伺うまでもありませんっ! さあ鶖飛さん、私になんなりと好みのタイプと性癖を大暴露するのですっ! 例えどんな要求でもこの早苗、吹羽ちゃんを妹にする夢のために応えてみせますよッ!」

「えっ、性癖もかよ……っ!?」

「もちろんです! 脚ですか? 太ももですか? それともやっぱりおっぱいですか? 脚が好きなら見せてあげますし太もも好きならニーハイでもガーターでも履いて差し上げますっ! メイド服がご所望でしたらネコミミ付きで毎日『お帰りなさいませご主人様♡』で迎えて上げますよ!」

「ちょ、は? にーは……めいどふく? 分かんない単語が――」

「流石におっぱいは直接見せられませんがそこは水着で悩殺! ちょっとだけならお触りも許して上げます!」

「いやそういう話じゃ――」

「どうです? 完璧でしょっ!? こりゃもう私を妻に迎えるしかないですねッ!!」

「………………」

 

 なんと至れり尽くせりか。きっとここまで夫を肯定する妻など滅多にいないだろうと思えるほど献身的というか、ある意味真っ直ぐである。

 まるで「男なんて大抵こんなもんよ!」とばかりに傾倒し果てた早苗の全肯定は、きっとその手の人(・・・・・)たち(・・)には悪魔の甘言の如き誘引力を持っていたはすだ。

 当然鶖飛も男である。性欲くらい普通にあるし、単語の意味は分からずとも早苗が“そっち方面”の要求すら受け入れる気満々でいることは伝わっていた。

 

 惜しむらくは、その想いの先が鶖飛でなく吹羽であることか。

 自分への想いが爆発した結果であればまだ考えたものの、妹への欲望丸出しなアプローチでは鶖飛は微塵もときめかないのが現実であった。

 こぼすのは当然苦笑い。吹羽共々若干頰を朱に染めながら、眼前でドヤる早苗を見上げる。

 というかこの人、今更だが恥じらいというものはないのだろうか。

 

「さあ、さあさあさあッ! どうしますか鶖飛さんッ!? もう男の人的にはたまらない超優良物件だと自負しておりますがッ!」

「だっ、だだっダメだよお兄ちゃんっ!? こんな悪魔の囁きを受け入れたら、きっと後悔するんだよ! 一時の感情に身を任せたらダメなんだからね!」

「一時の感情も何も、君たち俺の気持ち無視してるじゃん」

「それでもダメなのーっ!」

 

 是が非でも鶖飛をオとしたい早苗と、是が非でも鶖飛を渡したくない吹羽。

 両者の言い分は心情もろともに自分勝手で、間に挟まれている鶖飛にもほぼ回答権はないようなもの……収集がつかなくなるのも当然だった。

 会話に置いてけぼりを食らった文は写真をどう新聞に載せるかを考え始め、夢架は意外にもうつらうつらと半分夢を見ている。唯一話の行方を見守っていたのは椛だったが、彼女の限界も達しつつある。

 

 ――その呟きは、それゆえの独り言のようなものだった。

 

 

 

「もう……話がつかないなら弾幕勝負すればいいじゃないですか……」

 

 

 

 ぴたりと会話が止まる。

 あまりの変り身に、流石の椛もギョッとした。

 

「そうだ、その手がありました……」

「吹羽ちゃんが相手だからと失念していましたね……」

 

 ゆらり。二人は幽鬼のように立ち上がる。その手にはいつの間にやら大幣と刀を持ち、まるで親の仇を前にしたかのようなゆっくりと重い足取りで外へと向かっていった。

 数秒後、轟音が響き渡る。

 決まらない話し合いならば、実力で白黒はっきりつけるのが最近の幻想郷流なのだ。

 

『今日ばっかりは、負けられませんッ!!』

『ぜぇ〜ったいッ! お兄ちゃんは渡しませんからねッ!!』

 

 怒号と炸裂音。掛け声と衝撃。

 少女たちの熾烈な争いの音を聞き流す。もう、鶖飛が止められるところに、事はないのだ。

 

「……なぁ、椛」

「なんですか、鶖飛さん」

 

 神社には似つかわしくない戦闘音が響いてくる中、鶖飛はおもむろに椛へ声を掛ける。

 それは今この場にまともに話ができる相手が彼女だけだったからか、それとも彼女が唯一の常識人であると無意識に認めていたからなのか。

 鶖飛は今日一日で感じたことを、しみじみと呟いて椛に伝える。

 

「吹羽の友達って、変わり者が多いんだな」

「常識など捨て去ったのが、ここ幻想郷ですから」

「楽しそうで何よりだよ」

「全くです」

 

 因みに、勝負は吹羽の圧勝で幕を閉じた。

 未だ不慣れな早苗には吹羽の相手はまだ早かったというのもあるが……それだけではないように感じたのは、鶖飛も椛も同じなのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 里の門をくぐる頃にはもう辺りは暗くなり始めていた。

 夜の闇が妖怪の領域であることを知る人間たちは既に家に篭りきり、時折見かける障子などからは淡い橙色の灯りが漏れている。道行く人間は本当に疎らで、里に降りてくる温厚な妖怪ばかりが目についた。秋の夜空は澄んで冷たく、僅かばかりの雲が月の一部を覆い隠している。

 

 神社を出た時間はちょうど良かったように思われた。

 結局諏訪子や神奈子を紹介することは向こうの都合で出来なかったが、今日はむしろそれで良かったとも思える。仮にそうしていたらきっと山を降りる時間は残らなかっただろう。

 結局早苗と騒いでいたばかりで他四人を放っておくことになってしまったものの、鶖飛がいない間も元気に過ごしていたということを見せられた吹羽はまぁ満足であった。

 

「よし、じゃああとは帰るだけだねお兄ちゃん」

「ん、行こうか」

「うんっ」

 

 早苗とは神社で別れ、文と椛とは山を出る際に別れた。夢架を稗田邸に送り届けるついでに阿求に挨拶をし、もう家に帰るだけ。

 大通りから脇道に逸れ、もはや灯りもほとんどない小道を手を繋いで歩く。暗い中に光る、頭上を彩る疎らな紅葉は少し物寂しさもあったが、恐ろしくはなかった。

 鶖飛の手は相変わらず吹羽よりも大きく、包み込むような握り方は安心感を溢れさせる。心まで暖かくなるようだった。

 

「ねぇお兄ちゃん」

「うん?」

「本当に霊夢さんに会いに行かなくていいの?」

「……んー、今から行ったら迷惑でしょ」

「大丈夫だよ。霊夢さん、なんだかんだ言って優しいし、多分頼めば泊めてくれると思うよ」

「…………うーん」

 

 鶖飛の喉から漏れる音は、困ったような唸り声だった。やはり気持ちは変わらないらしいな、と吹羽は一人合点して鶖飛を見上げる。

 

 実は椛と文の二人と別れた後、吹羽は鶖飛に“博麗神社に行かないか”と提案を持ちかけていた。

 阿求には会った。慧音も紹介した。椛、文、早苗らとは歓談しながら騒いで親睦すら深めた。ならあとは、霊夢との再会をやり直すだけだ。

 鶖飛と再会したあの時。気が付いた時には既に霊夢の姿はそこになく、吹羽自身も能力の反動で寝込んでしまっていた。その間に会っているのならば鶖飛は何かしら吹羽に言うだろうから、きっとあれ以来顔を見てすらいないのだろう。

 せっかくの再会があれだけなんて寂しすぎる――吹羽はそう思って、今日の締めくくりを博麗神社にしようと画策していたのだ。

 

 だが肝心の鶖飛は見ての通り乗り気でない。昔は結構仲が良かったはずなのに、と吹羽は唇を尖らせた。

 

「会いたくないの?」

「…………そうだね」

 

 苦々しく、しかし吹羽の問いにすとんと溜飲を下げられたような声音で鶖飛は答えた。

 

「吹羽が目覚めるまでの間、霊夢にも挨拶くらいしておこうか、なんて何度か考えたけど……行かなかった。行けなかったよ」

「どうして……」

「どの面下げて談笑するんだ、って話さ」

 

 少しだけ鼻を鳴らしながら言う鶖飛の表情は暗がりで見えなかったものの、その言葉には自嘲が含まれているように感ぜられた。

 

「勝手にいなくなって、ひょっこりと戻ってきたような奴と何を話す? “よく帰ってきたな、取り敢えず腹減ってるだろうし飯食うか”――なんてことにはなりっこない」

「……怒られるかも……って?」

「さぁね……怒ったとしても、果たしてそれは俺のことを思ってなのかどうか……」

 

 不意に鶖飛と目が合う。突然過ぎて少し胸の跳ねる吹羽を他所に、鶖飛は吹羽の頭をくしゃくしゃと撫で回してきた。

 なんだなんだ!? と目を剥く吹羽だが、見上げた鶖飛の表情は微笑んでいて、疑問も次第に溶けて消えてしまった。

 

「とにかく、霊夢に会うつもりはないよ。吹羽がどうしてもって言うなら考えるけど」

「ぅ、ん……」

 

 その言い方はずるい、と喉元まで出かかった言葉を飲み込む。吹羽は鶖飛が嫌がることを強要できず、またその自覚がある。そんな言い方をされては、「そんなのいいから霊夢と会って!」なんて吹羽は口が裂けても言えない。

 何か言葉を作る代わりに、吹羽はゆるゆると首を横に振った。

 

「よしよし、ごめんな」

「いい……どうせそのうち会うよ。……その代わり、訊きたいことがあるの」

「…………何かな」

 

 吹羽は少し俯いて自分の足元を見つめた。影はうっすらと道に浮き、鶖飛の影と隣り合って揺れている。影でも現実でも、手だけでしか繋がっていられないことが妙に悲しく感じられた。

 重い口をゆっくり開く。吹羽にはその問いに――言葉を発するのに、多大なる勇気が必要だった。

 それは、今まで訊こうとして訊けなかったこと。訊かなければならないけれど、どうしても怖くて踏み出せなかった問い。

 ――すなわち。

 

「お兄ちゃん……今まで、どこで何をしていたの……?」

 

 ようやく紡げた声は、自分が想像していたよりもずっとか細く、儚げだった。

 きっと怖いのだ。その答え如何によってはまた鶖飛がどこか遠くへ行ってしまうかもしれない――その証左を得てしまう気がして、吹羽は怖かったのだ。

 もう絶対に鶖飛と離れたくない。大好きな家族と離れたくない。その想いが溢れ出たかのように、吹羽は鶖飛の手を握る力を無意識に強める。

 

 一刻か、数刻か、焦れる気持ちを押さえ込みながら待つ時間は長く感じられた。その間二人の間に満ちるのは僅かに張り詰めた冷やい空気と、ぽてぽてと歩く二人の足音のみ。

 隣で、鶖飛が短く息を吐き出した。

 

「少し遠い場所でね……修行してたんだよ」

「……修行……?」

「うん。強くなるために」

 

 吹羽は徐に鶖飛を見上げた。

 

「……どうして?」

「どうしてもやらなきゃいけないことができた。その為には強さが必要だったんだよ」

「どうしても、やらなきゃいけないこと……」

 

 見上げた鶖飛の瞳は夜の闇の中でも輝いて見えて、その決意の固さを物語っている。なにをしようとしているのかは見当もつかないけれど、そこにはどんな言葉だって入り込む余地がないように思われた。

 きっと追求しても無駄だろう。敢えて言わないのは、吹羽に対して何の意見も、感想すらも求めていないからだ。

 助言だろうが非難だろうが、誰が何を言おうと曲げるつもりはない。成し遂げるまで止まりはしない。

 今の鶖飛はきっとそうやって成り立ち、ここに存在しているのだ。

 

 吹羽は不意に、立ち止まった。

 

「……どうした?」

「………………っ」

 

 不思議そうな顔で振り向いた鶖飛に、吹羽はたまらず抱き着いた。

 優しく受け止められる。が、徐に背へと回された手からは、まるで壊れ物をどう扱うのか悩むかのような困惑ばかりが伝わってきた。

 それでいい、と思う。

 そのまま壊れ物として、自分を大切にしてくれたらいい。

 放って置いたら壊れてしまう、儚い宝物として。

 

「もう……どこにもいかないよね……? 置いていったりしないよね……? お父さんもお母さんもお兄ちゃんも……ずっとずっと、傍にいてくれるよね……?」

「……吹羽」

 

 吹羽の意図を察して、困惑のまま彷徨っていた鶖飛の手がふわりと吹羽の頭を撫でる。

 先ほどの乱暴なものではなく、それこそ陶器を扱うかのようなくすぐったいほどに優しい手付き。

 でも、それだけじゃやっぱり足りなくて。

 行動で示すよりも言葉で、その声で、肯定して欲しかった。

 

「さみしいよ……みんながいないと、ダメなのぉ……!」

 

 自分は鶖飛が思うほど完成していない。確かに風成の人間としては天才なのかもしれないが、人間としてはぼろぼろも良いところだ。

 記憶は飛び散り、心はでこぼこ。誰かが側にいてくれないと何もかもが不安になってしまうから、日々好きなことに打ち込んで気を紛らわしているだけ。常に大人ぶろうとしているのは、いつまで経っても大人という“成熟した人間”になれないことを無意識に分かっているからだ。

 慧音が、魔理沙が、文が、椛が、早苗が、阿求が、霊夢が――そして両親と兄が。

 みんながいてくれないと立ち上がれない、頼っていないと自分を保っていられない。記憶の欠落から始まるこの心の隙間は、そうやって誰かに寄りかからないと埋めることはできないのだ。

 それが、吹羽というか弱い女の子なのだ。

 だから――……。

 

「……子供だな、吹羽は」

 

 そんなことを呟きながら、鶖飛は吹羽の背をぽんぽんと叩く。それはまさに幼子をあやすような雰囲気だったが、普段のように反発心は湧き上がらず、むしろ不思議と安らかな気持ちになった。

 きゅ、と抱き着く腕に力を込めて、

 

「……子供じゃ、ないもん……」

「“もう大人だ”、とは言わないんだね」

「お兄ちゃんがいてくれるなら……大人じゃなくてもいいの……」

「そっか」

 

 子供でいられなくなったのは、そうせざるを得なかったから。

 大人になりたかったのは、埋められない自分の孔を埋めようと躍起になっていたから。

 だがその孔をお兄ちゃんが補ってくれるなら、大人になんてならなくても良い。子供に戻りたくはないけれど、大人になる必要も、もはや吹羽には感じられなかった。

 

「大丈夫。もう一人にはしない」

「ほんと?」

「ほんと。約束だ」

「んぅ……じゃあ、もし破ったら――」

「針千本?」

「指先全部に畳針打ち込んじゃうから」

「……妙に現実的なのやめてくれない?」

「やめない……約束、破らなければいい……」

「……それもそうだね」

「ん……っ」

 

 涙が浮きそうになる笑顔で見上げれば、優しげに頰を緩める兄の顔。

 空気は冷たく暗闇は恐ろしいけれど、その瞬間に吹羽が感じたのは紛れもなく――心の芯から暖まるような心地よさと、全てを投げ出してしまいたくなるような安心感だった。

 

 もう、いなくなったりはしない。

 お父さんもお母さんも帰ってきてくれる。

 そうしたら、また四人で暮らせる。

 

 吹羽はそれを、信じて疑わなかった。

 

 

 

 




 今話のことわざ
(あき)鹿(しか)(ふえ)()る」
 恋に溺れて身を滅ぼすことのたとえ。また、弱みにつけこまれて危険な目にあうことのたとえ。

 はっちゃけ過ぎたよろしいか?

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