風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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後悔は……していないのだ……。


第三十四話 帰ってきた日常③

 

 

 

 妖怪の山には“お屋敷”がある。

 山を覆う木々に隠れるようにして建てられた、古さはあれどぼろさは皆無な立派な建物だ。

 外の世界でいう高級老舗旅館然としたそれは、紅葉が疎らに散った木々の中でもやはりどこか荘厳でいて威圧的。しかしてとても静かで謙虚。ここに訪れた者には近寄りがたく、通い慣れた者とっては気持ちが安らぐような、ちょっぴり“つっけんどん”な雰囲気を醸している。

 

 ここは天魔 冴々桐 鳳摩の住まうお屋敷。

 萃香に戦闘を止められ、椛に案内された吹羽一行は、いつかのように執務室へと通されていた。

 

「さて、どこか既視感がある光景じゃが一先ず……久方ぶりじゃな、吹羽よ」

「は、はぃ……お久し、ぶりです……」

「ははは、相変わらず気が小さいようじゃの! 既に一度会っておるというのに」

「あ、あはは……」

 

 からから笑う鳳摩の顔に「余計なお世話ですよ!」とぶん投げたい吹羽だったが、喉が「早まるな!」とばかりに堰き止めてくれた。代わりに変な笑顔で苦笑いする羽目になったが、誰も触れないで置いてくれて密かに喜ぶあたりやっぱり吹羽は小心者である。反論の余地はない。

 

「まーアレだ、別にどうこうしたいわけじゃない。それにこんなジジイを怖がってちゃ、“天下に名だたる博麗の巫女の友人”が聞いて呆れるぜ?」

「ご心配なく、吹羽さん。私もここに居ますから」

「萃香さん、椛さん……」

 

 天狗である椛は頭を垂れて脇にかしずいていたが、鳳摩の“楽にせよ”との言葉に頷くと吹羽の隣に並び立ち、萃香は豪快にも執務机の前方にある大型椅子(ソファ)に足を組んで腰を沈めていた。どちらもやはり慣れた様子だったが、初めて来た鶖飛と夢架はもちろん、気の小さい吹羽は下手に物に触れたくなくて立ったままであった。

 まあ、そもそも長居するつもりはないのだし、座り込んでしまったらきっと鳳摩と長々お話をすることになる。大妖怪が怖い吹羽としては、やはりそれはご遠慮願いたいわけで。

 ここはさっさと本題に移るべきだろう。天魔に相手にとっとと話を進めろと促すのは勇気のいることだが、このままでは吹羽の精神が際限なく擦り減る羽目になる。背に腹は変えられないのだ。

 

「えと、それで天魔さん。ボクたちは、その……なんで呼ばれたんでしょう? あいえ、無断で入ったのはボクたちなんですけど……」

「ん、おお……そうじゃったな。いや大した理由ではないが……観て(・・)おったのでな」

 

 鳳摩は瞑った片目をとんとんと指先で示し、手短に用件を語った。

 

 曰く、吹羽の家族ともあれば顔を見ておかなければ天狗として恥だとのこと。

 吹羽の時もそうだったが、天狗たちは戦友(とも)たる風成家の面々には顔を合わせておかないと気が済まないらしい。風成家との交友が復活した今、どんな些細なことでも共有していくべきだと考えているのだろう。

 天狗一族の持つ“神通力”で以って吹羽たちを観察していたのも、そういった理由からだ。

 

 吹羽としてもありがたいことではあった。知り合いが増えるのは単純に嬉しいことだし、打算的なことを敢えて言うならば、これはお得意様が一気に増えたことと同義である。天狗との一件以来、人間に扮した天狗たちからの刀の注文は殆ど絶えずに来ており、ぶっちゃけ昔以上に稼ぎが出ていて吹羽もホクホクなのだ。

 ただまぁ、お父さんとお母さんが帰ってきたときにも同じことをするのか……と密かにげんなりしてしまったのは秘密である。

 

 とはいえ、天魔や萃香も吹羽の知り合い。果たして彼らを友達と言って良いのかは吹羽には限りなく分からないことだったが、鶖飛に紹介する分には良い機会だ。

 二人もその気だったらしく、吹羽が促すまでもなく自己紹介し合っていたので彼女の出番というのも無く、楽なものであった。大妖怪二人を前にしても気後れしない鶖飛はさすがお兄ちゃんと言ったところである。愛する妹の手前、格好悪い姿は意地でも見せない。

 因みに、夢架は相変わらず吹羽と鶖飛の少し後ろで静かにしていた。阿求邸に仕える侍従ならこんな場所には二度と来ないと判断したのだろう、軽い会釈だけはしたようだが、自己紹介までする気は無いようだった。多分これから先も静かにしているつもりでいるのだろう。寺子屋の場合は、同じ“人間の里”内であるが故に関係を持つ可能性が単純に高いからだ。顔が広くて困りはしない。

 それはそれで肝が座っているなぁ、と少し羨ましく思ったのは至上の蛇足。

 

「それにしても、ただの木の棒で椛を圧倒するたぁ驚きだね。風成家の人間ってのはどいつもこいつも天才揃いかい?」

「椛の能力は、大妖怪には及ばずとも中妖怪を軽く超えた領域にあると認識しておる。それを木の棒なんぞであしらう実力……たしかに、気にはなるのう」

 

 口々に興味を示す二人に、鶖飛は軽く肩を竦めて小さく息を吐いた。

 

「できることを突き詰めただけですよ。それがたまたま自分に合っていて、さらにそれを磨き上げる場が整っていた……偶然の産物ってやつです」

「全て含めて、人はそれを天賦というのじゃよ。世にはそれを活かしきれずに潰れていく者がごまんとおる。胡座をかかなかったお主はまさに天賦を正しく用いたと言うことじゃ。椛にも良い刺激となったろう。なぁ?」

「っ、はい、お陰様で……」

 

 何処か皮肉げに放られた言葉に椛はへにょりと獣耳をしぼませて答えた。

 実際、椛も無意識のうちに研鑽をやめてしまう直前だったのだ、それを見抜いていた鳳摩の言葉は生真面目を地でいく彼女にはぐさりとくるものらしい。

 少し恥ずかしそうにスカートを握る椛の手を優しく握ってあげると、椛はふさふさの尻尾をゆらゆらと揺らしていた。

 非常にもふりたい。可愛い過ぎるんじゃないだろうか。

 

「ふむふむ……若者たちの友愛というのは微笑ましいものじゃのう。見ているだけでささくれた心が潤うようじゃ」

「若返った気分ってか? 本当にジジイ臭くなったもんだな鳳摩」

「若返るも何も、まだまだ身体は元気ですぞ萃香殿。妻も毎度疲れ果てて(・・・・・)しまうほどでしてな、自分でも抑えが効かなくなるほどで困っております」

「……そういうこと訊いてんじゃねェんだけど……ジジイ臭いっていうか、エロジジイだなこりゃ」

「……椛さん、なんで身体が元気だと奥さんが疲れ果てるんです? 関係ないですよね?」

「……吹羽さんにはまだ早いので、大人しく耳塞いでましょうね……」

 

 そう言って耳を塞いでくる椛はちょっぴり頰が赤い。不意だったので吹羽は大人しく耳を塞がれたが――それで終わらない。というより、これは終われない話題だと思った。

 

 聞き捨てならない言葉だったのだ。

 吹羽にはまだ早い――早い、というのはアレか。「大人になったら分かるよ」とかいう子供騙しのアレか。

 短い人生の中でもちょくちょくその言葉を耳にしてきた吹羽は、少しばかりそれに敏感になっていた。

 

 というのも自称大人な幼女 風成 吹羽、そう唄うからにはここで引き下がっていてはいけないと思うわけで。

 普段から大人な暮らしをしているはずなのだが、阿求からも霊夢からも果ては魔理沙にまで未だ子供扱いを受けることに細々と不満を抱いていたところである。こう言ったところで妥協するのが成長停止のきっかけになるのだと妙なほど意気込んで、そしてそれによって鳳摩への怯えさえ押し殺して、椛の手を取って外した。

 

「椛さん……ボク、大人になるためにここは引き下がれないと思うんです」

「……え、はい?」

 

 ちょっぴり不安そうな眉根を寄せた椛から視線を外しつつ、反対側に立つ鶖飛の裾を引っ張る。いつものように「どうした?」と優しい表情で視線を向けてくるが――それも一瞬。吹羽の次の言葉によって、ぴしりとヒビが入ったように笑顔が苦笑いに変わった。

 

「お兄ちゃん。ボク、早く大人になりたい。天魔さんの言葉の意味、教えて?」

 

 ――否、ぴしりとヒビが走ったのは、この空間そのもののようだった。

 

「え……え? 言葉ってその……最初の友愛がどうのっていうの? あれは単純に吹羽と椛の仲を見て――」

「違うよ。天魔さんが元気で奥さんが疲れ果てるっていうの」

「……な、なんでそれが気になるんだ? 別に吹羽は知らなくてもいいことだよ? ……まだ」

「それだよ! 椛さんもボクにはまだ早いって言うの! だからボクはそういうの全部知らなきゃダメなんだよぅ!」

「だからなんでっ!?」

「大人になるため!」

「まだ子供だろ!」

 

 因みに、鶖飛の知る吹羽はちょっとばかりませていただけの子供な(・・・)彼女であり、一人暮らしをするようになって本格的に大人ぶり始めた吹羽の“それ”に対する執着を彼はあまり知らない。

 当然そういった吹羽の行動が霊夢や阿求からどのような目で見られているかも知らない訳で、ゆえに“みんなボクを大人として見てくれない”という吹羽の悩みを知る由もない。

 

「いいからぁ! 教えてよう!」

「ダメだって! 早いっていうかその……教育上よろしくないの! もうちょっと大きくなってからな? な?」

「十分大きくなったよ! 背と年齢はともかく、知識は精神は!」

「その年齢が重要なんだよ……特に外の世界じゃ厳しいらしいし……」

「外の世界は関係ないじゃん! ボクの問題だよ!」

 

 もはや説明するまでもないだろうが、吹羽の知りたいこととは当然夜のあれこれ(・・・・・・)である。“月のもの”すら来ていない吹羽には全くもって早過ぎる知識であり、教育上よろしくなく、またエロジジイと化した鳳摩の完全なる失言である。

 ジジイは年取るとやたら女子の尻やら胸やら触りたがるらしいが、全く以って迷惑千万。これが世に言う老害か――と鶖飛は鳳摩への印象をどん底まで悪く突き落とした。

 ウチの可愛い妹になに吹き込んでやがるこのやろう。

 

 因みに鳳摩の妻は美人である。それでも満たし足りないとは、歳を重ねるにつれ求める“ピチピチ具合”が際限なく上がって遂に幼女を求め出したということだろうか。

 霊夢が知ったら修羅を降臨させそうな事実である。

 

「……おい鳳摩ァ、どうすんだいこれ。霊夢が知ったらマジで殺されるぞ?」

「ああ……前回ここを訪れたときに忠告されましたな。じゃが本人が知りたいというなら教えても良いのでは? たしかに、あまり褒められたことではありませんがの」

「孫のように思ってる子に言うことじゃねェな」

「何事も早いうちから知っておくのは悪いこととは思いませんがのう」

「さよか」

 

 萃香の冷ややかで嫌悪感丸出しなジト目が鳳摩に炸裂する。

 言っていることは一見まともだが、言いかえれば子供が麻薬の味を知りたいと言ったら経験と称して親が進んで吸わせてしまうようなものだ。そんなの悪いことに決まっている。

 吹羽に関しても似たようなもので、あまり早いうちからそれに興味を持ち始めたり、万一自らで経験(・・)して癖になってしまったら将来真っ暗である。性病とかになったらどうすんだ。悪い男に引っかかったらどうすんだ!

 

 そういう意味では、現在質問責めにされている鶖飛(お兄ちゃん)はとてもいたたまれない状況にあるわけで。

 

「だからな? 俺は吹羽のために言ってんの。いらん知識を早いうちから溜め込むとロクなことにならないんだよ」

「例えば?」

「た、例えば? えっと……賢すぎて周りから気味悪がられたり?」

「賢いのはいけないことなの? じゃあボクがもっと賢かったら、お兄ちゃんはボクを気味悪がる?」

「い、いやそんなことは絶対にないけど……むしろ褒めまくるしなんでも言うこと聞いてやるけど」

「じゃあ教えてよう! 知識は人間の唯一の武器なんだよ! 研鑽しなきゃ生きていけないんだよ!」

「くっ、妙に含蓄のある言葉覚えやがって……」

 

 妹至上主義の兄としては妹のそうした知識欲や向上心は最大限に尊重したいところだが、その知識自体が吹羽に悪影響を及ぼしかねないこの状況。

 基本的に吹羽に甘々な鶖飛は彼女の要求を強く断り切れず、しかし決してこちらが折れるわけにもいかず、まさに板挟み状態だった。そしてこんな状況に陥れた鳳摩への印象も際限なく下降を続けていた。

 

 遂には、煮え切らない返答ばかりで埒のあかない鶖飛に痺れを切らし、

 

「もうお兄ちゃんはいいよ役立たずっ! 萃香さんに訊くもんっ!」

「ッ!!? や、やく、たた……ず……」

「うぇええっ!? わたしか!?」

 

 言葉の大剣で無残に両断され崩れ落ちた鶖飛を尻目に、吹羽は大型椅子(ソファ)に腰かけた萃香に詰め寄る。

 先日の一件以来、幾らか接しやすい大妖怪として吹羽に認識されている萃香は、現状において彼女の頼れる姉貴分のようなものだ。

 兄が役に立たなければ姉に頼る。至極当たり前だ。

 

「だってお兄ちゃんが教えてくれないんです! 萃香さんは教えてくれますよね!?」

「ええ? わ、わたしも正直知らない方がいいかなーって思うんだけど……」

「なんでダメなんですか! みんな意地悪ですっ!」

「意地悪とかじゃなくてな? どう足掻いたってお前さんにはまだはや分かった分かった、分かったから泣きそうな顔すんなよっ!?」

 

 幼女が目の前でぐずり始めたらさすがの萃香も気が咎める。なんとか話題を逸らすかはぐらかそうと思考を巡らせるも、なまじ賢い頭を持った吹羽を欺ける気が全く以ってしなかった。

 大妖怪が人間の少女相手に頭を悩ませる図。実にシュールだ。

 

 遂には、

 

「〜〜ッ、天魔さんッ!」

「んお、なんじゃ?」

「もうボクが勝手に解釈するので、ここで実演してもらえませんかッ!?」

「「「それは絶対だめ(です)ッ!!」」」

「お、では誰が相手してくれるのかのう?」

「「誰が相手するかエロジジイッ!!」」

 

 思わず使った不敬な言葉遣いにさっと青褪める椛だが、そこは暗黙の了解で皆がスルー。そして萃香は遠慮なく鳳摩にゲンコツを一発落とした。ガゴンッ、と妙に生々しい音がしたが、それも皆が触れたくないのでスルーされた。

 

「もうっ! 言葉もだめ実演もだめならどうやって教えてもらえばいいんですかっ! っていうか、そんなんじゃ大きくなっても教えてもらえないですよねっ!?」

「あのな吹羽? そういうのは多分寺子屋とかで習うことで、しかももっと大きくなってからじゃないと習わない内容なんだよ」

「じゃあ慧音さんに頼んだら教えてもらえるってことだね!」

「いや、多分あの人が一番拒否すると思うよ……」

 

 情操教育を一番気にするであろう寺子屋の教師。恐らくここにいる誰よりも頑なに教えることを拒否するだろうことは火を見るより明らかだ。

 

 一人空回る吹羽の肩に、椛はポンと手を置いた。

 

「吹羽さん、もう諦めましょう。別に悪いことじゃないですよ? 物事には順序があります。その順序的に、吹羽さんはまだ早すぎるんですよ」

「椛さん……でもぉ……」

「……仕方ないですね」

 

 と、その時。

 暴走する吹羽を見兼ねて前に出たのは、今の今まで影のように静かにしていた夢架だった。

 彼女はちょいちょいと吹羽においでをすると、連れ立って廊下に出ていった。

 

「……どうするつもりだろ?」

「なんか策があんのか……?」

 

 一体どうやって諭すつもりだ――と全員が扉を見つめる中、廊下の方からは「へ?」とか「ひゃうっ!?」とか「ふみゃっ!?」とか実に可愛らしい悲鳴が響いてきて、一同で一体何をしているんだと首を傾げた。

 そして一刻ほどしてゆっくり扉が開くと、そこには。

 

「………………えと……あの、その……」

 

 いつも通り澄ました顔の夢架と、顔を真っ赤に染めてそわそわもじもじとスカートの裾をいじる吹羽の姿が。

 

 この瞬間、全員がむしろ、諭される結果となった。

 

「ぼ、ボクそんなつもりじゃ、なくて……そういう類の話だと、思ってなくて、あの、早く大人として見られたかっただけで……ってあの別にそういう意味じゃ! お、大人の階段(・・・・・)を早く登りたいとかそういうことじゃなくて、あのその……」

 

 ああ、乙女とはなんと強かなのだろう。大妖怪二人と中妖怪、人間の大人二人を以ってしても、人間の幼女一人の要求一つすら満たすことはできず――またその勢いと力に抗うことすらままならない。

 そして、こうした質問をほぼ必ず受け、そして何事もなく受け流してしまう“親”という存在は嗚呼、なんと偉大なのだろう、と。

 

「あの……お、お騒がせしました……」

 

 そしてこの、真っ赤な顔に涙を溜めた上目遣いでごめんなさいしてくる姿に、想いは欠けらの相違もなく一致する。

 すなわち。

 

「「「「(なんだこの可愛い生き物は……)」」」」

 

 鶖飛と椛はさっと鼻を抑えて視線を逸らし、萃香と鳳摩は苦笑い。

 結局吹羽に言葉の意味が知られてしまう結果となったものの、奮戦の甲斐あって、彼女も拒まれた理由を理解したようだった。

 教えてしまったが懸念したようにはなっていない――良かったのやら悪かったのやら、鶖飛たちにはいまいち判然としない結果である。

 

 そうして天狗と新たな風成の邂逅は、一人の少女に振り回されはしたものの、実に和やかな御開きとなるのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 鳳摩の屋敷を出た三人は、そこに他の天狗への目印――この方々はすでに許されている、という――として同行を命じられた椛を加えて、再び疎らな紅葉が彩る坂道を登り始めていた。

 先ほどのやりとりで多少精神的に疲れたものの、体力面ではむしろ回復している。みな足取りが軽快で、空が茜色に染まる前には頂上へと辿り着く目算である。

 風は少なく、秋らしく山らしく空気が澄んだように冷たい。晴れ渡っているので懸念した急な悪天候も杞憂に終わりそうだ。

 

「はぁ、マジ迷惑な人だったな……俺あの人嫌いだな」

「えと……ま、前に来た時もあんな感じに陽気だったよ、天魔さんは。やっぱりまだ怖いけど……」

「その割には、先程は思いの他物怖じしませんでしたね。まるで阿求様とお話しされるときのような雰囲気でしたよ」

「そ、それはその……なんと言いますか、勢い、でですね……」

「ふふ、たしかにさっきの吹羽さんは怖いもの知らずな感じでしたね。あんな答えにくい質問、いくら友人でも遠慮願いたいところです。恥ずかしいですし」

「うぅ……ごめんなさい、椛さん……」

 

 さっきは本当に恥ずかしかった。きっと聞いていたみんなが恥ずかしい思いをしていただろう。黒歴史まっしぐらな事案である。思わず俯いて、羞恥を堪えるような呻き声が漏れてしまう。

 それにどうにか耐えようとしてなのか、縋るように鶖飛と手を繋いで歩く吹羽は、そういえばと前を歩く椛に声をかけた。話題転換? 現実逃避? そんなこと考えてない。ないったらない。

 

「椛さん、文さんは見てないですか? ボクたちまだ見かけてないんですけど」

「そうでしたか。あの人は常日頃から幻想郷中を飛び回っていますし、もしかしたら今日は会えないかもしれませんね」

「えぇ……それじゃあお兄ちゃんに紹介できないなぁ……」

 

 余程鶖飛に紹介したかったのか目に見えて落ち込む吹羽に、ふむと考える。椛の千里眼も幻想郷全土を見渡せるほどではなく文を探し出すことはできないが、最近少し親しくなったので居場所に目処はつけられる。

 何とも都合がいい、とは思わなくもないが――、

 

「……もしかしたら守矢神社にいるかも知れません。文さん、早苗さんとも親しくなったそうなので」

「え、そうなんですか? あ、そういえば以前みんなでお話ししましたね。もしかしてその時から?」

「さぁ? それは分かりませんが、どの道神社にいることを願う他にありませんね。いれば僥倖、いなければまた今度です」

「……そうですね」

 

 椛が先行するお陰で他の天狗からの襲撃もなく、他愛のない会話をしながら四人は登っていく。

 相変わらず吹羽は鶖飛の手を取ったままで、なんとも仲のいいことだと椛は影でこっそり微笑んだ。

 今時あれほど仲のいい兄妹など稀であろう。椛は一人っ子なので経験はないが、兄妹間で喧嘩したというのはよく聞く話である。それを想起すらさせない二人の姿は、いっそ兄妹でなく恋人同士と言われた方が納得のいくほどだ。まぁもし仮にそう(・・)だったなら、鶖飛はきっと“年端もいかない実の妹に恋をした変態”というとんでもない悪評を付けられることになるだろうし、彼もそれを分かっているはずなので、やっぱり予想の範疇を超えないわけだが。

 

「(……やはり、長い間離れていた反動、なのでしょうか)」

 

 椛も吹羽の境遇についてはある程度聞き及んでいる。それを鑑みれば、吹羽のあの様子にもまあ納得のできる話だ。失踪していた家族が突然目の前に現れれば、溜め込んでいた寂しさと愛情が爆発するのも無理からぬこと。

 もう絶対に離れないとばかりに絡んだ腕と、何をおいても視界から兄を外すまいと揺れる瞳。そうしてぴっとりくっついて、底が抜けたようににこにこと微笑む吹羽の姿はどことなく狂気(・・)を感じなくもないが――、

 

「(……まぁ、大事に至ることはないでしょうし、心配は無用ですね)」

 

 失踪した家族と再会して更なる事変が起こるなんて、そんな悲劇があってたまるものか。

 吹羽の友人たる椛はそんなことを望まない――否、赦さない。

 もしそれが吹羽の身に降りかかるならば、一度は彼女を守り抜いたこの刀を再び取って、黒幕ごと斬り刻んでしまえばいい。領域を、種を守るために剣を取るべきである天狗としての在り方――例えその枠組みから外れた考えだろうと、それが信頼を寄せてくれる吹羽の期待に応えるということなのだと椛は思う。

 

 吹羽のことは大切だ。なにせ吹羽にとって椛がそうであるように、吹羽も椛にとって初めての人間(異種)の友達なのだから。

 

「――っと、そろそろ見えてきましたよ。あの鳥居をくぐった先が目的地です」

「守矢神社……って書いてあるか? いつの間にこんな場所に……」

「現れてまだひと月も経っていません。外界から逃げ延びてきた二柱の神とその巫女――風祝の少女が住んでいます」

「東風谷 早苗さんっていってね! とっても優しくて綺麗な人なんだよっ!」

「東風谷 早苗……へえ」

 

 遠目に見える神社の鳥居が、どこか威圧するような佇まいで四人を迎えた。これより先は神の領域、それを心せよと語りかけてくるような心地を覚えて、自然と背筋を伸ばしてそれをくぐり抜ける。

 姿を現わす荘厳な境内。管理の行き届いた清潔で凛々しく、雄々しくすらあるその姿は、日の光を天から浴びて神秘的に映った。いつ来ても立派な神社だ、と椛も吹羽もしみじみと感じる。博麗神社とは大違いだ。

 

 ――が、見上げるように外観を眺めていた視線を少し下ろすと、一同はそろって「えぇ……」となんだかがっかりしたような残念なような、そんな心地になった。

 まぁ、それもそのはず。

 なにせ神聖で神秘的で神々しい立派な神社の境内で今行われていたのは――なんともまぁ。

 

 

 

「おぉ……おお――! いい! いい感じですよ早苗さんっ! そこでポーズです!」

「こ、こうですか?」

「そうそう! はいそこでくるっとターン!」

「ターン!」

「腰に手を当てはいこっち! ウインクです!」

「ウイぃーンクっ!」

「もいっちょ視線ください! そこは上目遣いにぃ〜……キラッ!」

「キラッ!」

「いいですねいいですねぇ〜! あざといっ、あざと過ぎるっ! 一周回って感心するくらいあざといです!」

「そ、それ褒めてます?」

「モチのロンですよッ! はいじゃあ次はちょっと服をはだけさせてぇ〜?」

「えっと、こうですねッ!」

「百二十点ッ!」

 

 

 

 パシャ! パシャパシャ! シュバパシャ! シュパパパパパパパッ!

 

 嵐のようにシャッターを切る音と、シュパシュパ角度を変える風切り音が境内に響く。荘厳であるべき神社にあって、それをバックに行われているこれはなんとも世俗的というかなんというか、とにかく神社にあるべき雰囲気を台無しにしていた。

 

 守矢神社の風祝 東風谷 早苗と烏天狗 射命丸 文。

 吹羽が今日中に会っておきたいと願った二人は奇跡的に一緒にいたものの、その空間はどことなく異様であり、どこまでも残念な感じ。

 文はカメラを構えたまま様々な方向からシャッターを切り、その度に嘘みたいな――あくまで椛たちにはそう聞こえる――褒め言葉をまくし立てては早苗がポーズを変えてキメ顔を作る。

 無駄に熱のある二人の空間に、苦笑う四人は完全な置いてけぼりだった。

 

「……なぁ吹羽。アレは最近流行ってる遊びか何か?」

「え、知らないよ……夢架さんは知ってます?」

「知り合いに変人はいないと記憶しています。そういう人たちなのでは?」

「それは………………否定できないかもです……」

 

 同感だ、と椛も頷く。

 早苗は突拍子も無いことを突然やり始める素直な(・・・)人で、文は素はともかくああいった記者モードのときはとにかく煽る人だ。それが組み合わさったらこうもなるのかもしれない。

 とにもかくにも。

 

「……行きましょう。放っておいたら日暮れまでやってそうです」

「そ、そうですね……」

 

 椛の結論に吹羽が頷く。この調子ではこの先どうなるやら見当もつかない、と小さく溜め息を吐いて、吹羽たちはぽつぽつと脚を進めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――鬼というのは、刹那の快楽を貪る化け物の名だと思っている。

 

 その存在理由は根本的に“争い”から派生していて、それを己の力として顕現した鬼は戦闘にこそ無上の喜びと生を感じ取るのだ。

 些細な対立から、戦争と呼べるほどの殺し合いにまで。兎角闘争というものに目がなく、己が相手より圧倒的に(・・・・)上であるということを証明したがる。相手が強ければ強いほど、己が死の淵に追い詰められれば追い詰められるほど、“闘争の化け物”は歓喜に打ち震え己の存在を轟き叫ぶ。

 それがどれほど強烈な欲求かと問うたなら、「相手がいなくなったと知りゃ世界にすら見切りをつけて地下に隠居するくらいだ」と呆れたような表情で答えることになるだろう。

 

 伊吹 萃香は、己の手を眺めてニヒルに笑った。

 

「ちぇっ、まだ感触が残ってやがる。まったく、人間ってのは飽きさせないねェ」

 

 じわりじわりと骨に響くような感覚の残る手をプラプラと振るうような気になりながら(・・・・・・・・・・)、萃香は森の中をゆらゆらと揺蕩っていた。

 密と疎を操る程度の能力――それによって己を疎めた彼女は一種の霧のような状態で“散歩中”である。吹羽たちと別れ、天魔の屋敷を後にしたところだ。

 

「……んでそれに喜んじまうわたしも、やっぱり鬼なんだねェ。仲間はみぃんな隠居したってのに一人地上に残ったわたしだが、別に異端ってわけじゃなかったらしい……」

 

 その手に衝撃を受けた時のことを思い返し、萃香は今度は嬉しそうに笑う。

 事実、彼女はまた全力でやりあう(・・・・)に値する人間を見つけて歓喜した。

 椛の時にも僅かながら感じた、この“敵になり得る”という予感……否、確信。

 

「風成 鶖飛……霊夢に次いで二人目だね、わたしをこんなに悦ばせてくれた人間は」

 

 博麗 霊夢――名実共に最強と謳われる博麗の巫女。生粋の人間。

 今でこそ彼女と共に暮らす間柄だが、かつて萃香は霊夢と戦い、そして負けている。敵のいない日々にあくびを堪え、しかし人間の可能性をしつこく信じ続けた果てにあったあの戦いは、まるで堪えていた何もかもを無遠慮に吐き出すかのような快感があった。

 

 今日出会った風成 鶖飛には、あの時の霊夢のような雰囲気が感じられたのだ。

 

「(……ただの、本当にただの木の棒だぞ。妖怪の手なら二本の指先だけで握り折れるくらいに脆弱な……)」

 

 しかし、鶖飛はそれを用いてさえこんなにも強烈な衝撃を放っていた。

 大妖怪たる――鬼たる自分の、鋼鉄さえ嘲笑うほどに強固な肌を、得物を折ることもない絶妙な剣捌きで衝撃を伝え貫いた。受け止めさえしたものの、それがどれだけ“あり得ない”ことなのか理解できる者はきっと一握りもいないだろう。

 

 他のあらゆるものと隔絶し超越した、理解することすら困難な強さ。

 それは人間の身で数多の妖怪を屠り続け、ただの一度も敗北はなく、大妖怪すらあしらってみせる博麗 霊夢のそれと同質のもの。

 

 彼が本当に殺す気で――殺すための真の得物を持って向かってきたなら、果たして自分は生き残れるか?

 

 ――分からない。

 

「ああそうさ……やってみなきゃ(・・・・・・・)分からない。勝てるかも負けるかも分からない、そういう戦いをわたしたち(闘争の化け物)はしたいのさ」

 

 いつか、そんな日があればいい。そんな日を夢見て生きてきたのだから、たった一度の快楽(霊夢との一戦)で終わりになんてしたくはない。

 戦いに生きる鬼なのだから、化け物なのだから、何度だって闘争の旨味を貪りたいのだ。

 萃香は己を異端と評しながらも、果てしなく、誰よりも“鬼”だった。

 

「……さてさて、それはまあ頭の片隅で願い続けるとして……ああ、そういや――」

 

 と、しかし、続けようとした言葉は無残に寸断される。

 

 無理矢理押し込められて強引に引き込まれたような、萃香であっても抗い難い引力に喉が詰まり、声は言葉を作らない。

 その刹那の間に、萃香の目の前には見慣れぬ光景が広がった。見慣れぬものではあるが――決して、知らない空間ではない場所。

 明々白々だった。萃香の能力を無理矢理解除してこんな空間に引き摺り込むなんて芸当ができるのは、彼女の知る限りでは一人しかいない。

 その光景と確信に一つの結論を得て、萃香は寸断された言葉を再度形作る。

 “噂をすれば”ならぬ――“思っていれば”、と。

 

「――……そろそろ近況報告するかね、っと。随分と狙い澄ましたようなタイミングじゃないかい、紫?」

 

 絵の具を落としたように暗く濃い紫色と、ぎょろぎょろと眼球を蠢かせる無数の目。

 スキマと呼ばれるその場所の、萃香の視線の先で悠然と立っていたのは、彼女と同格の大妖怪 八雲 紫だった。

 

 いつものように澄ました仮面のような微笑みを顔に貼り付け、紫はすぅと新たに開いたスキマの淵に腰を下ろした。

 そしてその薄く艶やかな唇を小さく開く。

 

「ええ、もうそろそろ聞いておこうと思ったのよ。以前霊夢への伝言を頼んでから随分経ったしね」

「あんま答えになってないぞ、それ」

「あら、答える必要はある?」

「……いんや、正直ない」

「そうでしょう?」

「はぁ……相変わらずだなお前」

 

 本当にこいつは底が知れんな――何もかもを計算尽くで行動し、まるで手玉にとるような言動をする紫に萃香は小さく溜め息を吐いた。

 紫自身も分かっている。萃香の問いに対して律儀に答えたところで、その神の領域に至ると言われる頭脳で導いた計算など理解されるわけがないから、始めから答えないのだ。そういう解釈を全て頭の中で処理してしまう故、彼女はよく胡散臭いと罵られる。事実萃香も、彼女のそういうところは若干苦手だった。

 

「それで、その後どうかしら」

「ん、あーそうだな……」

 

 紫の催促に気を取り直し、萃香はぼんやりと少女の姿を思い浮かべる。

 紫の頼みごと。それは以前彼女から霊夢への忠告を頼まれた時に、同時に受けたもう一つの依頼。

 それは博麗神社に居候する身として、霊夢の様子を観察して定期的に報告してほしい、という内容だった。

 

 なんでそんなことをさせるのか、とは思わなくもないが……まぁ友人の頼みだし、自分はそれを受け付けた。約束を違えるのは、嘘が大嫌いと宣言する彼女のポリシーが許さない故に。

 

「……なんかぴりぴりしてるというか、いつからかは記憶しちゃいないが、近寄り難い感じはするな」

「それは……怒っている、という感じかしら」

「そう言われればそうかもな。でもそれだけじゃないような……」

「はっきりしないのはあなたらしくないわ。本能的に物事を感じ取れるからこそあなたに頼んだのに」

「複雑な雰囲気なんだよ。そういやわたしに対する扱いもなんか酷くなったような?」

「それは呑み寝を繰り返す怠惰な居候に苛ついているだけではないかしら」

「うっせーやい」

 

 まあ確かに年がら年中酒飲んで酔っ払っては寝起きを繰り返す生活をしているが、そもそも霊夢はなんでも一人で出来てしまうし、手伝うことがないだけだ。それに下手に手を加えると感謝されるどころか「いいから邪魔すんな」と怒鳴られるかも知れない――少なくとも萃香は霊夢のことをそういうやつだと思っている――し、適度に距離を保っているだけなのだ。

 

 ……いや、だとすると気のせいなのか? 居候してもうすぐひと月経つ。慣れという名の親睦が深まり、霊夢からなけなしの遠慮が消え去っただけだろうか。

 

 がしかし、まあいっか、と萃香は思考を放り出した。

 細々(こまごま)と考えるのは面倒臭い。拳で語り合った方が何百倍だって楽だし正確だと萃香は思う。

 萃香の思考に区切りついたのを察したのか、紫は少し考えるようなそぶりで口を開いた。

 

「……ふむ、ともかく報告は了解したわ。出口は開くから、もう行っても大丈夫よ」

「……あ?」

「私はやることがあるから、これで失礼するわね。御機嫌よう」

「………………」

 

 紫が視線で示した先に新たなスキマが開く。そこから覗く光景は深い木々――恐らくは森の中だった。

 紫はそれだけ言うと、翻って出口とは反対方向に歩き始める。対して萃香は――立ち止まったままその背中を見つめていた。

 

「…………なぁ、紫」

「何かしら」

 

 萃香が呟くように呼び止めると、紫は振り返らないまま足を止めた。

 無理矢理呼び出しておいて厄介払いのような扱いをしたことについて――ではない。

 確かに失礼なことではあるが、萃香はそんなことを気にしない。ただ訊きたいことがあったのだ。

 ……というより、今できた。

 

「お前、なんでそんなに霊夢を気に掛けてるんだ?」

「………………」

 

 萃香の問いに、紫は答えなかった。

 だって、萃香は霊夢の強さを文字通り身を以って知っている。大妖怪である自分をして“あり得ない”と思わせるほどの強さを持った人間の少女。いくら彼女が、紫と共に博麗大結界の両翼を担う存在なのだとしても、紫の庇護を必要とするほど脆弱な人間ではない。

 

 動向を監視させて、その報告をさせるためにわざわざ呼び出して――そこまでして霊夢を気遣う必要性を萃香は感じない。彼女はなんでもできるし、なんでもやり遂げる。もしかしたら赤ん坊のまま野に放られても生き延びていたかも知れない。それくらいのあり得ない少女なのだ。

 

 萃香の心底からの問いに、紫はしばし黙り込んで動かなかった。気の長くない萃香だが、今ばかりは黙ってその背中を見つめ続ける。

 しばらくして――紫は一言、こう言った。

 

「いつ……いつ私が、霊夢を気にかけているなんて言ったかしら」

「……あ?」

 

 片眉を釣り上げて、萃香は不理解を言葉にする。

 

「言われなくてもわかるだろ。わたしにこうして監視させて報告させて、わざわざ霊夢を見守ってんじゃないか」

「だから、それが霊夢の為だなんてわたしは言ったかしら」

「……なんだと?」

 

 紫はようやく振り返って萃香を視界に収めると、扇子を広げて口元を覆う。

 目を僅かに細め、

 

「霊夢に私の庇護は必要ないわ。分かっているでしょう? あの子は恐ろしく強い。きっと先代にも負けないくらいにね」

「じゃあ何のためにこんな――! ……まさか」

「あら、やはり思考速度は早いわね。流石刹那の時間に生きてきた鬼というべきかしら」

 

 笑う紫の顔が扇子の裏に透けて見える。

 萃香は辿り着いた結論に、しかしそれでも「何故?」と疑問符を並べていた。

 見守るのは霊夢の為ではない。なら何のために監視させる? 何を見守っている? 

 萃香は思い出した。紫が始めに彼女に頼んだことの内容を。それは霊夢への忠告――しかし想っていたのは、確かに霊夢ではなかった。

 

「吹羽、なのか? お前が見守っているのは……里の鍛冶屋の、風成 吹羽なのか?」

 

 だが結局、その答えが導き出すのもまた「どうして?」という問い。

 吹羽は確かに珍しくも能力を持っているし、あの才能には目を見張るものがあるが、高名な八雲 紫が――世界の管理を担う者が気にかけるほどでは決してない。能力のことを除けばどこまでいってもただの少女なのだ。

 それを何故あの八雲 紫が? 見守る必要などない――路傍の石の如き取るに足りない存在を、何故?

 

 困惑する萃香を前に、紫は面白そうに――否、どこか嘲笑うように目を細めていた。

 

「……何笑ってやがる」

「ふふ、いえ。強者にとことん鼻が効くあなたが、まさかそんな顔をするとは思わなくって」

「なに?」

「“なんであんな矮小な人間を?”と思ったんでしょう?」

「!」

 

 どこまでも筒抜けかよ。

 心を見透かしたような一言に、萃香は躊躇いなく眉を顰めてみせた。

 

「……それがなにさ」

「あの子はまだ自分を知らない。没落した名家に生まれ、そのまま何事もなく死んでいくという極々普通の生を歩むと思っている」

「違うのか?」

「ええ、違うわ」

 

 パチン、と扇子を勢いよく閉じ、目を瞑る。

 その声音は、確信に満ちていた。

 

「あの子はね、小さな神話を紡ぐ者(・・・・・・・・・)。繰り返される歴史の中で、彼女はそういう星の下に生まれた。だからそれを成し得る力そのものが、必ず彼女を放っておかない。私は、その時を迎えるために備えているだけよ」

「…………お前、一体何を知ってるんだよ」

「あら、それを問うの?」

 

 要領の得ない言葉ばかりを紡ぐ紫に辛うじて投げかけた疑問は、誇らしげな笑みによって返される。

 

「この楽園、幻想郷の全てを」

 

 己の作った世界を、子を、理解していないわけはないだろう?

 そんな言葉が聞こえてきそうな尊大な笑顔で言い放ち、紫は再度振り返って歩き始めた。

 立ち止まる様子はない。そのまま目的の場所まで突き抜けていきそうな雰囲気を、萃香は彼女の背中から感じ取った。

 

「期待しておくといいわよ、萃香。あなたはきっと見るでしょう。脆弱な人間の――理解不能(あり得ない)を」

 

 刹那、萃香の意識は一瞬気が遠退いた。呼び出された時と同じような抗い難い力だったが、萃香は今度は何も驚かない。

 次の瞬間萃香の前に広がったのは深い森の中だった。確認するまでもなかったが解除された能力はそのままで、萃香は一人森の中でポツンと佇んでいる。

 スキマから解放された――というより、もう問答はお終いだと追い出されたような気分だった。

 

「………………」

 

 小さな神話を紡ぐ者――紫は吹羽をそう評した。

 ただの人間が神話を紡ぐとは、なんて大それた運命を抱えさせられたものか。

 細かいことを考えるのがあまり得意でない萃香は、ただ吹羽というちっぽけな少女を想って哀れんでいた。

 

 そう――ただの少女。運命を乗り越える力も、世界を改変する力も持たない人間の少女が、偉大なる神話を紡ぐ。

 何をどう考えても、何かとてつもない存在の介入を感じずにはいられない。

 

「はぁ……あいつは一体、何に目をつけられてるんだ……?」

 

 溜め息がてらに仰いだ空は、少し曇って陰っていた。

  

  

 




 今話のことわざ

 なし

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