幻想郷においての“名家”として、最も有名なのは『稗田家』である。
幻想郷の創生期頃から続く由緒正しい家柄で、人間の里でのその権力は、幻想郷全土で言うところの博麗の巫女と同レベルに値する。
勿論、実際に稗田家と博麗の巫女を比べれば、どちらが上の立場にいるのかは明白なのだが。
しかし、幻想郷屈指の名家である事に間違いはない。
『稗田家』がそれ程までに幻想郷で有名な所以と言えば、それは“幻想郷縁起”と呼ばれる書物にある。
幻想郷のあらゆる情報――地域の詳細や大昔の出来事、それに関連した妖怪やその特性、能力や危険度、果てには人間友好度や対策まで。 実に多様且つ根深いところの情報を網羅した、正真正銘、幻想郷の歴史書である。
稗田家はこの歴史書の編纂及び管理を、千年以上も続けてきた。
そしてその“編纂”を受け持つのが、百数年単位でかの家に生まれる『阿礼乙女』と呼ばれる者達。
――いや、“達”と括るのには少々語弊がある。
阿礼乙女――別称で言うところの“御阿礼の子”は全員、初代
現在では九代目、
さて、そんな背景があるからして、幻想郷での名家と言えば『稗田家』が主流である。
それに反論の意を唱える者など決していないし、それを覆すような事実も存在しない。
――ただ、幻想郷に存在する名家は、もう一つだけあるのだ。
名家とはそもそも、古くからの伝統や行事などを変わらず伝え続ける古い家系の名称である。
千年以上前から“幻想郷縁起”の編纂と管理を続けてきた稗田家は、まさしく名家と言えよう。
しかし、古くからの伝統を伝え続けてきた家は、実は稗田家だけではないのだ。
古くから――それこそ、稗田家を超える程の古の時代から、変わりない技術と信仰を伝え続けてきた家。
稗田家同様幻想郷の創生期から存在する家系であるが、現在は人数が減少し、その家が名家であると知る者自体が絶えつつある。
古より絶対不変を貫く風神信仰。
そして、人の身でありながら風を操る術を身に付けた人々。
それこそが、今や廃れた風の一族――『風成家』である。
◇
“古くからの付き合い”と言うのは、例えそれがどんな性質の関係であろうとも基本的に大切にされるものだ。程度に差は勿論あるが、付き合いが長ければ長いほどそれは顕著になっていく。
それが数人、数十人、数世代――。
積み重なる程にその距離は縮まっていき、果てに千年以上の仲ともなれば、その“近さ”たるや、推して知るべし。
少なくとも、軽率な行動は咎められやすい筈の当主が突然“私、遊びに行ってきます”と宣言したとしても、笑って見送られる程であろう。
――そして、“彼女”もまた、そうした人間の一人なのだった。
「今頃は、何していますかね……」
紅葉が彩る小道を、小柄な少女が歩んでいる。
一目で“位の高い家の娘”だと分かる程に美しい着物を纏っており、華奢で小さな体格も作用して非常に可憐な雰囲気を醸していたが、それだけには留まらない。小道の空を舞い散る紅葉の葉と木漏れ日で、彼女はより一層美しく、可愛らしく映えていた。
元々人通りの多い道ではない事も相まって、彼女の周囲は静まり返り、砂利を踏みしめる音のみが葉掠れ音に混じって響き渡る。
――やがて、少女は鮮やかな小道を抜けた。
彼女の目的地は、目の前だった。
大きく開いた工房に遠慮も無く入ると、煤と鉄の微かな匂いが鼻腔を突いてくる。しかし、彼女とっては最早苦にはならない匂いだった。
見慣れた工房を少しばかり進んで見回していると、彼女の耳に、銀鈴のように澄み透った声が聞こえてきた。
「あれ? 阿求さんじゃないですか」
少女――稗田 阿求は、半ば反射のようにして振り返る。
浮かんだ笑みが、太陽のように輝いていた。
「吹羽さん、こんにちは!」
「こんにちは。どうしたんです? 何か用事ですか?」
「用事が無くては、来てはいけませんか?」
「えっ? ああっ、そういう意味じゃなくてですねっ!」
「冗談ですよ。趣向を変えた、ちょっとした
「っ! うぅ……出会い頭にそれは酷くないですか……? 相変わらずですねぇ……」
出会って早々、吹羽に軽い意地悪を吹っかけたのは、親しい仲であるという自負から来る阿求の軽い茶目っ気の表れだ。
少しばかり会っていない期間が続いていたが、何事もないらしくて何よりである。
改めて吹羽を見てみると、彼女は私服でなく、動きやすい
普段は若葉色のスカートと、フリルをあしらった白色の服を赤い紐リボンで飾っているが、今の姿はそれと比べると少しばかり地味である。
ただ、服の裾や胸の辺りに花の刺繍があったり、髪を綺麗に纏めていたりする分、僅かながらに女の子らしさは滲んでいた。勿論、常に身に付けている勾玉のペンダントと羽の形をした髪留めだけは、変わらず彼女を彩っている。
――という事は、仕事の休憩中だったか。
彼女が姿を現した方向からそう結論付け、阿求は懐から一枚の紙を取り出した。
「今日は依頼があるんです。次いでに顔も見ておこうかと思って私が来ました。変わりないようですね、吹羽さん」
「はい! 健康そのものです! お仕事も順調ですよ!」
「なら良かったです。無理はしないでくださいね? ――はい、これが注文です」
差し出された紙を受け取ると、吹羽はその場で広げて目を通した。
紙に書かれていたのは、注文に必要な諸々の情報と――望む『風紋』の内容である。
一通り斜め読みで目を通した吹羽は、微笑みながら小さく頷いた。
「分かりました。 御注文は出刃包丁ですね」
「はい。如何やら、今まで使っていたものがもうダメになってしまったらしくて……。それに手が慣れてしまったのか、風紋包丁でないとしっくりこないそうなんです。風紋包丁はちょっと高いですけど、そうなったなら買い換えないと」
「えへへ……なんだか、そんな感想を貰うと照れちゃいますねぇ」
「期待してますよ」
阿求の真っ直ぐな言葉に、吹羽は得意げな表情を浮かべた。
「お任せを! ボクの腕を嘗めないで下さいっ」
「――と、稗田家の料理人一同が口を揃えて言っていました」
「……ご、ご期待に沿えるように……頑張り、ます……」
少しだけ緊張してしまった様子の吹羽に、阿求は優しく笑い掛けた。
◇
『巫女』の仕事とは何か?
そう訊かれれば、“神社の掃除とお祈り”と答えるのが一般的かと思われる。実際、境内の掃除はその神社の巫女が勤めているし、お祈りだってする事はある――主には神主の仕事だが――。
他に挙げるとすれば、例大祭などでの舞などだろうか。御神体への奉納として、巫女が
ただ、“幻想郷の”巫女の仕事とは何かと訊かれれば、答えは十中八九“妖怪退治だ”と返ってくる。
流石幻想郷、と言うべきなのか、はたまた伝統芸能すら失われているとは、と嘆くべきなのか。それは人それぞれというものである。尤も、幻想郷住民ならば確実に前者であろうが。
――そう、そんな世論や常識も相まり、幻想郷の巫女の仕事と言えばそれ以外に挙げられない。
流石に、幻想郷の神社――博麗神社は、巫女の生活空間でもあるので掃除くらいはして当然だが、そもそもそんな事は仕事以前の話である。掃除も出来なくて何が一人暮らしか。嘆かわしい事である。
では、掃除をし終わった後の巫女は何をしているのか?
仕事も特になくなり、お祈りも定期的にしなければいけない訳では――博麗神社では――ない。 妖怪退治の代表例と言える『異変』もそう頻繁に起きるものではないし、一体何をしているのか。
答えは至極単純。
――お茶でも飲みながら、お賽銭の一つでもないかなぁなんて妄想に耽っているのだ。
「(――まぁ想像なんてしたところで、叶ったことは一度も無いんだけどねぇ……)」
美しい正座と仕草でお茶を啜りながら、霊夢は諦めるようにそう思った。
生活には困っていないものの、博麗神社は何時だって貧困真っ盛りである。
今だってこのお茶、何度使ったか分からない出涸らしだ。そのあまりに薄くなった苦味の事を、霊夢はあまり考えないようにしていた。したら、悲しくなってくるから。
その日食べる物に困る程火の車な訳ではないし、少しおやつを買うくらいの出費は問題無いのだが、お賽銭を切に願う程度にはお金がない。
彼女くらいの年頃の女の子には少々頭の痛い話である。
この間吹羽にお昼を貰ったのはその実、霊夢としては吹羽が思う以上の救済措置に他ならないのだった。
「はぁっ、お金あっても使い道ないんだから、いいか」
と言いながら、口に出して諦めようとしている自分から目を反らす。
己の生活を惨めだなどとは思っていないが、もう少しくらい贅沢もしてみたい。しかし、そんな叶わぬ夢を空想するのも辛くなってしまうから、霊夢はそれにすらも目を反らした。反らさざるを得なかった。
無意識に漏れた彼女の嘲笑は、その複雑な心境を表すかのように変な形に歪んでいるのだった。
――と、そうして退屈な時間を無為に過ごしていた、その時である。外の方から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「お〜い霊夢! 邪魔するぜー!」
快活な女の子の声だ。
語尾が特徴的な、霊夢の“もう一人の友人”のものである。
何時もの事ながら彼女の声には何の反応も示さなかったが、当然の様に縁側から入ってくる足音がした。
常識知らずな事この上ない。しかし、当の霊夢は気にしていない。
否、言っても無駄だと知っているのだ。
「なんだなんだ、博麗の巫女ってのは暇だなぁ霊夢。お茶啜ってるだけかよ」
「煩いわね。仕事はもう終わらせたんだから何してたって良いでしょ」
「お前じゃなくて、博麗の巫女っていう暇な職業について言ってるだけだぜ」
「どっちにしてもあたしに言ってるじゃないの!」
「ははははっ! そうとも言うな!」
少女はからからと笑いながら、霊夢に向かい合うように座った。
隣に大きなとんがり帽子を置き、肩に掛かった金色の髪を払う。
口調こそ男性的だが、彼女は実に可愛らしい少女である。
「っていうか、暇だとかあんたに言われる筋合いはないわよ。お店放ったらかして研究ばっかりしてる癖に」
「あれは物置だぜ? 看板がついてるのは、それを拾ってきたついでに飾ってるだけだからさ」
「あーハイハイ、そういう事にしておいてあげるわよ。あんたはホントに屁理屈ばっかり言うわよねぇ、魔理沙」
少女――
「会話が続くって良い事だと思わないか? 図星を突かれて会話が途切れるとか、そういうの私は良くないと思うんだよなぁ」
「ふん。それすら屁理屈なんでしょ?」
「へへ、分かってるじゃないか」
見て分かる通り、魔理沙は明るく元気な少女だ。
冷静を貫き、激情を露わにする事の少ない霊夢とはある意味対照的である。事実、彼女のその気性は、度々霊夢の疲れの元ともなっているのだ。
がしかし、だ。
反対に、魔理沙の明るい性格が霊夢を元気付けることがあるのもまた、事実。
霊夢にとっては、魔理沙もまた必要な存在なのである。
魔理沙の返答に軽く息を吐くと、霊夢は立ち上がって引き出しを漁り始めた。
「そういえばお前、此間どこに行ってたんだ?」
「ん? 何の事?」
「昼頃に来たんだけどな、お前がいなかったから引き返したんだ。家主のいない家に止まるのもアレだったんでな」
そういう常識は持っていたのか――なんて少しばかり失礼な考えは一先ず頭の隅に追いやり、霊夢は引き出しから煎餅の袋を取り出した。
常備してあるお茶請けである。
霊夢はその足で湯飲みとお盆を取ってくると、魔理沙に差し出しながら、煎餅を広げた。
「昼頃ねぇ……最近は神社にいたと思うけど、だとすると――」
魔理沙の湯飲みにお茶を注ぎながら、片手間に思い出す。
ああ、あの日か、と。
思い当たる出来事は、案外容易に見つかった。お昼頃出かけていた日と言えば、近頃ではあの日しかない。
「あー、その時は吹羽の家に行ってたわね。退屈だったから行ったんだけど、予想外にお昼を貰っちゃってね。帰って来たのは夕方前だったかしら」
「ふう? えーっと、待てよ……あ、あー、あのちっこいのか。白い髪の」
「そうだけど……何、忘れてたの?」
「会う事自体がないんでなぁ。言い訳じゃないが、忘れてても仕方ないと思うぜ」
「そう……」
考えてみれば、魔理沙と吹羽が出会う機会は確かに少なそうだ。
魔理沙は実家の関係で、用がある時以外は人里に近寄らない。
対して吹羽は、人里からはあまり出ない上に店の所在も少々分かり辛い場所にある。少なくとも、ぶらぶらと散歩をしていて入ろうなんて思うような道ではない。まぁ紅葉狩りする為になら入る者もいるかもしれないが。
仮にすれ違ったとしても、忘れてしまう程淡白な関係では挨拶すら交わさないだろう。
道ゆく他人に一々挨拶する程几帳面な人が何処に居ようか。
魔理沙と吹羽の関係などその程度である。
「初めて会ったのは……ここだったな。わたしが来たら、お前があいつと楽しそうに話してるもんだから、心底びっくりしたぜ」
「あたしが楽しそうにしてたらおかしい訳?」
「そうじゃねーよ。珍しいなって思っただけさ。自覚あるか? お前、結構いろんな奴から“薄情な奴だ”とか思われてるぜ?」
「…………薄情なんじゃなくて、興味が湧かないだけよ」
覚えている。
その日は珍しく、吹羽がここに遊びに来たのだった。久しぶりに注文がない日だったから、という理由だった筈だ。
相変わらずからかうのが楽しかったものだから、ついついやり過ぎてしまったと後で後悔したのもまだ覚えている。
魔理沙が来たのもその時であった。
――あれが初めてだったのか。
霊夢は、はたと思った。
それからも吹羽が遊びに来る事は極稀にあったが、思い返してみれば、魔理沙と吹羽が鉢合わせた事はそれ以来なかったように思う。まぁ、それは単なる偶然なのだろうが。
「珍しいよな。妖怪に好かれやすいお前が人間に好かれるなんて。“友達になってくれ”とでも頼んだのか?」
「そんな訳ないでしょ……。吹羽は普通に友達よ。あの子はあんたみたいに捻くれてないからね」
「お? なんだ、直せってか?」
「何処ぞのお姫様でもなし、無理難題を押し付ける程あたしは理不尽なつもりないわ」
「……言い方に悪意を感じるんだが……」
軽口を交わしつつ、お茶を啜りつつ、霊夢も魔理沙の言い分には少しだけ同感していた。
霊夢が妖怪に好かれやすいというのは本当の事だ。
今まで起きた『異変』の数々――その主犯格一同は、その後に開かれた宴会をきっかけにして時々博麗神社へと訪れる。仮にも自分を退治した相手だというのに、である。
それは客観的に見て普通ではない。いや、妖怪相手に普通がどうのこうのと適用するのは無駄な事かもしれないが、“霊夢が妖怪に好かれやすい”と捉えるには十分な判断材料だ。
そんな中では、吹羽という存在は少々奇ッ怪に写る。
いつの時代でも、出る杭は打たれるものだ。
それに
魔理沙からして、それは不思議で珍しい事だった。
「(――いや、分かってる。あの子の近くにいようとしてるのは、むしろあたしの方だ……)」
魔理沙が煎餅を頬張る前で、霊夢は小さく俯く。
まるで
しかし、それも一瞬の事。
魔理沙がそれに気が付くよりも先にはっと我に帰り、何事も無かったかのようにお茶を啜る。
魔理沙は、彼女の雰囲気の変化に気が付かなかった。気が付く間も無い程、霊夢の切り替えは早かった。
「兎に角、あんたが思うような関係じゃないから変に勘繰るのはよしなさい。あたしからすればあんたと同じような立場よ、吹羽は」
「わたしが思うような関係って?」
「“友達料”が必要になる浅い友人関係」
「そんな生々しい事考えてないぜ」
「どうだかねぇ」
「はぁ〜、何だかわたしももう一度あいつに会ってみたくなってきたなぁ。今度行ってみるか。んで暇がありゃ勝負でもしてみるか」
「止めときなさい。負けるわよ」
「冗談キツイぜ霊夢」
からからと笑う魔理沙に吊られて、霊夢も僅かに微笑みを零した。
やはり、友人はいても損しないな、と。
周囲との関係が比較的薄い霊夢でさえ、そう思った。“友は人生の宝”とは、よく言ったものである。
昼下がりの博麗神社は、順調に“いつも通り”を過ごしていた――。
◇
包丁作りは、まず『火造り』から始まる。
火で鋼を千度程にまで赤らめ、鎚と経験にのみ基付いて打ちつけ、形を作る。
次に
それを続けると、三枚の鋼は次第に一枚となっていく。
更に更にと打ち付け、より強靭な素材へとなっていくそれに『こみ』を彫り、形状と厚さを合わせていく。
それでもおかしくなってしまう部分を、今度は『裁ち』始める。 余分な部分を削り切り、より製品に近い形に仕上げていくのだ。
『裁ち』や『押し切り』で歪んだ細かい部分を直すため、鋼は更に赤められる。
そして手打ちで形をならしていけば、後は鍔を後付けで整形して、包丁作りは一段落だ。
包丁は刀身がそれほど大きくはないため、刀と違って一日で製作し切ることができる。早ければ四、五時間ほどの所要時間で完成するのだ。
ただ、『風紋』を刻むのに一時間程を要する。
勿論、いくら早かろうと品質が劣悪ならば意味など無いが、吹羽にとっては――否、風成利器店にとってそれは、気にするほどの事ではない。
気になどせずとも、遺伝子レベルで染み付いたその技術によって、質の高い刃物を比較的短時間で仕上げる事ができるのだ。
それは、未だ幼い吹羽にだって同じ事。
先祖代々に引き継いできた技法は、しっかりと彼女の身の内に刻まれているのだ。
その小さな手に握られた鎚からは、力強い金属音が鳴り響く。
その翡翠色の綺麗な瞳は、焼けるような火の色を決して見逃さない。
その端正な顔はきゅっと引き締められて、目の前の鋼と真摯に向かい合っている。
――阿求は、その様子をじぃっと見つめていた。
「……阿求さん」
「なんですか?」
「ボクの仕事なんか見ていても、詰まらなくありませんか?」
「そんな事ないですよ! 見ていて飽きなんて来ませんっ!」
軽く息を吐き、汗を拭って、ずっと秘めていたかのように吹羽が尋ねると、阿求は滅相もない、とでも言うかのように即否定した。
鍛治仕事なんて、当事者である吹羽でさえ見ていても面白いものではないだろうなぁ、と切り捨てている。そもそもが“見られる仕事”ではないと分かっているからだ。
だが、彼女の意に反して阿求は、そんな吹羽の鍛治仕事に並ならぬ興味を示していた。
「吹羽さんの仕事姿、格好良いと思います! 私には絶対に出来ませんからね、鍛治仕事なんて!」
「は、はぁ……そう、なんですか」
阿求の吹羽に向ける視線は、まさに羨望のそれであった。何を羨ましがっているのかなど、一目瞭然である。
阿求は、少女の身でありながら常人では決して辿り着けない領域――風紋技術を含め――にいる吹羽の、その才能と技術を羨んでいるのだ。
強いて言えば、か弱い少女であるはずの吹羽から滲み出す、凛々しさと逞しさにも憧れていた。
風成家の人間としては当然の事――そう思って習得してきた技術にそんな視線を向けられては、吹羽も言葉に詰まってしまう。
自分にとって普通の事が、他人からすれば羨む対象となり得る。それに多少の違和感があった。
今の吹羽の心境は、複雑である。
「鍛治仕事なんて、出来ても得なんかしませんよ。熱いし、手は疲れるし、神経が擦り減っちゃいますし」
「そう言う割には、真面目にやっていますよね」
「そ、そりゃ家業ですから。真面目にやらないとボク自身の生活が厳しくなりますしっ。自分で自分の首は絞めたくないです!」
「では、楽しくはないんですか? 楽しくもない事を、家業だからといやいや営んでいるんですか?」
「そ、それは……いえ、楽しいですけど……」
にこりと微笑む阿求が見えて、ほんのりと頰を赤く染めて目を逸らす。阿求の言い分は、図星だった。
楽しくない訳がない。
風を常に感じていたいと願う吹羽にとって、風を操る『風紋』の技術は、まるで自分の為に生み出されたものかのように思えた。
事実その風紋の技術が、吹羽の目論見通り、彼女の家の中に絶えず風を流しているのだ。
風を感じられて、その術を学べて、楽しくない訳がなかった。
――でも、それとこれとは話が違います!
図星を突かれた羞恥を振り洗うように、吹羽は頭をふるふると振るった。
「阿求さんだって、ボクには絶対に出来ない事をしているじゃありませんかっ。ボクを羨む必要なんてありませんよ!」
「……幻想郷縁起の事ですか?」
そうです! と力強く頷いた吹羽に返ってきたのは、優しげな微笑みだった。
「ふむ……そうかも、知れませんね。本当は、誰かを羨む事に意味なんて無いかも知れません。“隣の家の芝は青い”って言いますしね」
でも――。
阿求の柔らかな笑みは、吹羽に何処となく真剣味さえ感じさせた。
「誰にだって、出来る事と出来ない事があります。 全てを完璧に、誰の手も借りずにこなす人なんていません。だから人を羨んだり、嫉妬したりする。そして、追い付こうと努力する。その結果がどうかはさておくとして、その心意気に意味がある。
――私はそう思っています」
人は完全ではないからこそ、誰かと助け合ったり、努力したりする。
そしてその力の源となるものこそが、羨望や嫉妬だ。それは言い換えれば、“向上心”と同義である。
そしてその向上心は、人が成長する為には必要不可欠なものなのだ。
幾百年と歴史書を編纂し続け、その記憶は朧げながらも、長い間人間を見てきた阿求だからこそ確信の持てる理論だった。
「私は凄いと思いますよ、吹羽さんの事。私には絶対に真似出来ません。その才能を羨ましく思うのって、可笑しな事ですか?」
本心からの言葉と悟り、吹羽は阿求の目を見る事が出来なくなった。
面と向かって心からの賛辞を述べられるのは、仕事柄、吹羽にとって非常に珍しいことである。
照れてしまって、まともに顔が合わせられない。
吹羽はどうしようかと泳がせていた視界に入った、作業中の包丁に視線を止めた。
「……さ、作業に戻りますっ!」
「はい、どうぞ戻ってください」
「……やっぱり、見ていくつもりなんですか?」
「もちろん。出来れば最後まで見て行きたいですね。格好良い吹羽さんの姿」
「ぁぅ……ボク、阿求さんのこと苦手かもしれません……」
「大丈夫ですよ。私は苦手なんかじゃありませんから」
「そういうところが苦手なんですよぅ……」
阿求は吹羽に憧れた。
“羨む必要はない”と説得されるのは論を俟たないほどの才能を他分野において持っていながら、阿求は吹羽に羨望を見、深い尊敬を心に宿していた。
鍛治仕事に関してだけではない。
彼女の才能とは、生活全般に通じていることである。
未だ幼いにも関わらず、そこらの大人なんかよりもよっぽど安定した生活を、たった一人で営んでいるのだ。
自立し切ったその姿が、主に侍従の者に世話を焼かせている阿求からして、輝いて見えるのはある意味自明の理とも言えよう。
――そういう意味では、“才能を羨んでいる”と言うよりも、“彼女自身を心から尊敬している”と言う方が正しいかも分からない。どちらにせよ的外れな表現ではない。
ついついからかってしまうのも、尊敬心から来る親しみの表れなのだと、彼女自身には自覚があった。
それをやめようとも思っていない。
阿求にとって、吹羽は親しくありたいと願う程に憧れの対象だった。
「“仇も情けも我が身から出る”という諺があります……。
ボク……阿求さんに褒めちぎられるほどの事、しましたっけ……?」
ぶつぶつと困ったように呟く吹羽を、阿求は純粋な笑顔で眺めていた。
そうして出来上がった一振りの包丁――吹羽の技術の粋が結集された白銀の風紋包丁は、稗田家お抱えの料理人達に大変喜ばれたそうである。
その皆の様子を見て、何故か阿求も嬉しくなって大喜びしたのを、当然吹羽には知る由も無いのだった。
今話のことわざ
「
人から恨まれたり愛情を示されたりするのは、すべて自分が招いたものであるということ。ふだんの心掛けや行い次第であるということ。