風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

29 / 68
 新年あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします!(と書いてる時点ではクリスマス) まぁこの章が投稿し終わったらまた半年ほどさよならなんですけどね……


第二十八話 垂れ墨音無し

 

 

 

「妖怪退治……ですか?」

「ああ。偶には外出て思いっきり体動かそうぜ!」

「ボク、家に篭ってるわけじゃないんですけど……」

「細けぇことは気にすんな! 寝る子が育つなら遊ぶ子も育つんだぜ!」

「えぇ……? そうなんですか……?」

 

 魔理沙の釈然としない説得に、吹羽は訝しげな視線で言葉を返す。ジトッとした目で見る吹羽に対して、魔理沙は何故か得意気にサムズアップしていた。

 

 彼女の提案とは要するに、妖怪退治のお誘いだった。

 曰く、近頃幻想郷への不平不満を謳って暴れ回る妖怪の組がおり、それがあまり目に余るようになってきたのでそろそろ退治しようということに。しかし相手は三人組で、一人で相手をするのは少々面倒――決して一人で退治できないわけではないと妙に念を押された――なので、一応弾幕ごっこができる吹羽に白羽の矢が立ったというのだ。まぁ弾幕ごっこで済むのかどうかは甚だ疑問ではあるものの、この世界の決闘方式が弾幕勝負なのは変わりない。それができるのかどうかは確かに重要なファクターだろう。

 だがやはり、もう少し適役はいるだろうに、なんて思わずにはいられない吹羽である。

 

「ボクじゃなくて霊夢さんに頼んだらいいんじゃないですか?」

「なんやかんやあってあいつとは別々に動くことになった!」

「一体何があったんですかぁ……」

 

 ――とはいえ、せっかくの魔理沙の頼みである。彼女は吹羽の数少ない友人だ、当然聞いてあげたいとは思うし、自分の都合で断ってしまうのはやっぱり気が引ける。

 例え多少強引で怪し気でなんとなく何事かを企んでいそうな雰囲気が見て取れたとしても! そこは大切な友人の頼みとして! 折れてやるのが情けであろう――吹羽はそうして過大に解釈することで、承諾を渋る自分をどうにか叩き伏せるのだった。

 

「はぁ……分かりました。役に立てるかは分かりませんけど、魔理沙さんの為になるならお手伝いします……」

「おーさすが吹羽! 実にちょろ物分かりがいいなうんっ!」

「何か言いかけませんでした……?」

「気の所為だぜ! じゃあ早速明日から開始するってことで、おやすみぃ!」

「あッ、誤魔化さないでください魔理沙さん! 今実にちょろいって言おうとしましたよね!? そうですよねっ!?」

 

 吹羽の怒声に脇目も振らず、魔理沙は颯爽と部屋を出ては空へと去っていってしまう。

 なんだか煮え切らない気持ちで取り残され、吹羽は魔理沙の背を見上げながら低く唸ることしかできなかった。チョロいだなんてまさに遺憾の意だ。

 

 ともあれ、翌日迎えにきた魔理沙に連れられ、吹羽はこうして妖怪退治に踏み出すことになる――ここまでが、事のあらましである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 薄暗い林の中は妙なほどに静まり返っていた。薄雲の下でさえぴよぴよと囀る小鳥たちはぱったりと声を潜め、小さな虫の一匹すら見当たらない。木の幹に触れてつつと手を滑らせれば、ひんやりとした感触に木々すらも怯えているように思えた。

 

 手には大幣を握りしめ、霊夢はそんな林の中をゆっくりと歩いていた。雲はかかっているものの日は十分に高く、故に時間には余裕がある。急いでも何も良いことはないと頭の中で無意識に反芻しながら、鋭く周囲に視線を配る。

 

「……この辺りだったはずだけれど」

 

 ぽつり呟き、立ち止まって感覚を研ぎ澄ます。全身の神経という神経に意識を張り巡らせ、己という“個”を空間に広げ満たすような感覚であらゆる情報を感じ取る。

 そして――ぬるりとした風が頰を掠めた。

 

「あっちか」

 

 周囲に配っていた視線を一方向に集め、少し小走り気味に凛とした足取りで林を掻き分け進む。だんだんと奥へ進んでいる所為か少しずつ日が通らなくなり、視界が暗くなっていった。

 そうして分け入り辿り着いたのは、少し開けた林の広場。

 ――否、木々が薙ぎ倒されて無理矢理に開かれた、林中の戦闘跡(・・・)だった。

 

「……中々、無惨なものね」

 

 へし折られた木々が、ではない。むしろその幹や葉々、根本、果ては地面にまで飛び散った――赤黒い血糊。そしてその中に浮かぶように横たわった、妖怪らしきモノ。

 そこには、惨たらしく殺された妖怪の死体があった。

 

 霊夢がここを訪れたのは、調査の最中に戦闘音が聞こえたからである。

 妖怪同士の決闘など珍しくもなんともないが、此度の件に限っては無視できるものでもない。警戒に警戒を重ねて進んだ結果、辿り着いたのがこの惨状である。

 

 飛び散った血は振り払われたかのようにぴしゃりと付着しており、実際に死体には複数の切り傷がある。相当深くまで切り込まれており、恐らくはなんの抵抗もできぬまま殺されたのだろう。

 そして何より――頭から被ったように付着した血の下。皮膚にあたる部分が、異常な程に削られてい(・・・・・)()

 

「(……まるで鑢にでもかけたみたいね。柔い肌を削ったりすれば、そりゃ血もたくさん出るわ)」

 

 鉄と生臭さの入り混じった激臭と目に痛いほどの赤黒い光景に深く眉を顰めながら、霊夢はその惨状から的確に情報を読み取っていった。

 生き絶えたのは少し前、本当についさっき。爪か何かで深く切り刻まれたのか妖力の残滓もなく、犯人の追跡は不可能だ。念のため周囲を探るも、それらしい物音も人影も見当たらない。

 

 ――相当不満があるらしい、と霊夢は無意識的に溜め息を吐いた。

 以前魔理沙とも話したように、妖怪が幻想郷に対して不満を持って暴れる例は先にいくらでもある。しかし今回、周囲の妖怪すら無惨に虐め殺すほどともなると、今までに類を見ないほど幻想郷に不満を募らせている可能性が高い。それもそれなりに強い妖怪が、である。

 ――霊夢としては、溜め息を吐かずにはいられなかった。

 

「とはいえ、放っておく訳にはいかないしねぇ。他の妖怪に潰されてくれるなら楽だったんだけど、これじゃ低く見積もっても中妖怪レベルよね……」

 

 ああもう面倒臭い、と喉元まで出かかった愚痴を噛み殺し、霊夢は一つ鬱憤を吐き出すように深呼吸をした。なんで巫女ってこんなに面倒なんだろう、なんて割と真剣に考えながら、一先ずは人避けの結界だけを周囲に張る。この死体が他の妖怪たちに喰われてなくなるまでの予防線である。

 最後に周囲を見回して何も得られる情報がないことを確認すると、霊夢は死体を一瞥してからその場を後にした。

 

「(――ともあれ、方針は立ったわね)」

 

 第一に、犯人の一団は暗殺を目的としているわけではない。音が立っても気にせず戦闘を続けるつもりでいるのだろう。

 第二に、恐らくは固まって動いている。各々が同じ思想を持って、そして賛同しないものを痛めつけて回っているのだ。その証拠に、複数の場所で同時に事件は起こっていない。

 ただ問題なのは、霊夢が思っていたよりも逃げ足が速いらしい、ということ。

 

 ならば、である。

 

「次の戦闘があるまで待って、始まり次第諸共退治する――!」

 

 博麗の巫女として、平和を乱す者には等しく罰を――そんな意思の伺える冷たい瞳で、霊夢は再び空へと舞った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 さて、そんな訳で事件解決へと踏み出す吹羽だったが、所詮は鍛冶屋の娘である。特別頭が切れる訳でもないし、況して探偵の類の真似事なんて小説を読んで空想したときくらいしか経験がない。なんと言っても相方は魔理沙である。これが阿求や霊夢ならまだ良かったろうが、彼女は客観的に大雑把な性格で、推理や予測なんて高尚なものは「は? なにそれおいしいの?」だ。これで効率的な捜索なんてできるわけもなく――、

 

「魔理沙さーん。こんなので本当に見つかるんですかぁ?」

「見つけるのさ。じゃなきゃこんなとこまで上がってきた意味がない」

「うぅ〜……」

 

 眼下に広がる景色に、吹羽は感嘆とも恐怖ともはたまた納得のいっていないような唸り声を上げる。

 最早ふさふさの芝生にすら見える森や竃の炎にしか見えない紅葉の山を見て、思わずきゅっと魔理沙の背を抱き締めた。

 

「なんだ怖いのか? まぁ里で暮らしてりゃこんな空の高いところ(・・・・・・・)まで来るこたァないだろうけどな」

「あ、当たり前ですっ。落ちたら間違いなくし、死んじゃうじゃないですかっ!」

「そんなヘマするわけないだろこのわたしが! 伊達に何年も箒に乗ってないからな!」

 

 ボクが落ちるかもって話だよ! と喉元まで出かかった怒号を呑み込み、吹羽は大人しく眼下に広がる世界を見つめるべく視線を落とした。

 

 そう、結局魔理沙の言う犯人を見つける方法とは、“めちゃくちゃ高いところから見下ろして怪しいやつを片っ端から当たっていく”というなんとも頭の悪い捜索方法だったのだ。

 ろくに説明もないまま箒に乗せられ、どこまで上がるのかと思えば人が米粒に見えるほどの空の上。挙句「こっから怪しいやつ見つけるぞ!」なんて言われれば、流石の吹羽も呆れて閉口せざるを得ない。文句を言ってもどうせおろしてくれないのは分かりきっているので、仕方なく従っているのである。

 

「“骨折り損の草臥れ儲け”という諺があります……。これ、すっごく無駄だと思うんですけど……」

「ああ? なんか言ったか吹羽?」

「なな、なんでもないですッ!」

 

 というかコレ――大丈夫だろうか? 

 吹羽は魔理沙の言葉に当たり障りなく返しながら、頭の隅ではずっとそう考えていた。

 何がって、魔理沙の場合、チラと見えたスカートの中はドロワーズだったので問題ないのだろうが、吹羽はというとスカートの下は普通に下着――つまり、ぱんつ。

 まごうこと無き、穢れを知らない乙女のぱんつなのである。

 

「(これ、大丈夫だよね? この高さなら流石に見えたりしないよね……?)」

 

 吹羽は現在細い箒の上。手を離せばバランスを崩して本当に落ちかねない為、スカートの裾を持って隠すこともできない。顔を赤くして羞恥に耐えながら、吹羽は必死に時間が過ぎることを乞い願っていた。なるべく別のこと――魔理沙の言う怪しいやつを探す作業を必死にこなしながら。

 

「変なやついそうか?」

「と、特には見つかってないですっ」

「そうかあ。じゃあ取り敢えず昼過ぎくらいまで続けるか」

「ふぇっ!? 昼過ぎ!?」

「お? なんだ、なんかあんのか?」

「い、いえ……別に……っ」

 

 ちくしょう、いつか仕返しするっ! らしくもなく密かに魔理沙への復讐を誓う吹羽は、込み上げてくる涙をぐっと堪えて作業に戻るのだった。

 ――因みに、昼まではまだ一時間以上は残っている。こんな調子じゃ耐えられる気がしないんですけど。

 

 と、しかし――僥倖かな。

 古今東西、どんな世界でも不運不幸な幼子には神の恵みというべきものが降ってくるものだ。吹羽が泣く泣く眼下を見つめていると、それ(・・)は不意に視界に入った。

 

「(あ……守矢神社だ)」

 

 暖色の衣に包まれた妖怪の山の天辺。そこにのっそりと構える守矢神社は、上空からではよく目立って見えた。場所が場所だけに参拝客の姿はなかったが、やはり博麗神社と比べるといくらか清潔で新しく見える。霊夢と違って、早苗はしっかりと神社そのものの世話をしているらしい。

 

 ――そうだ、困った時は神頼みだ! と。

 

 吹羽は羞恥に急かされる心のままに声を上げた。

 

「ま、魔理沙さんっ! 守矢神社にいきましょ! ほら、あそこですっ」

「うん? 守矢神社ってーと……ああ、最近きたっていう霊夢の商売敵か。なんでだ? 別に必要性を感じないんだが」

「え!? えーっとその……ほ、ほら! 神様に直接会って話せるんですよ!? 何かいい助言をくれるかも知れませんし!? ボク顔見知りなのでっ!」

「ほー、ふむふむなるほど…………悪くないかもな」

 

 このまま飛び続けるのは恥ずかしくて耐えられない、なんて本音は心のうちに固くしまって、吹羽は口の中でよし! と呟いた。もちろん叫びたいのは山々だが、その代償として魔理沙の生温かい視線を買うことになるだろうから、そこはぐっと堪えて。

 いくら大人っぽく見られたいとは言っても、平気で下着を晒せるようなイケナイ大人にはなりたくない。そうなったらもう……いろいろと、ダメになる気がする。

 

「よし、んじゃ行ってみるか」

「はいっ。早く行きましょう! さあさあほらっ」

「……なんでそんなに必死なんだ……」

 

 箒を下に傾けて、妖怪の山の天辺を目指して加速する。やっぱり吹羽の顔はまだ赤かったが、目的地が迫る様を見るとほっと息を吐いた。かくして二人の犯人捜索はセカンドステップへと進み――吹羽の真白な純潔も、守られたのである。

 

 

 

 階段近くに降り立ち、鳥居をくぐって神社に入ると、吹羽は改めてその荘厳さに吐息を漏らした。

 上からではのっぺりとした印象を受ける境内も、前から眺めればただただ圧倒的であり、神秘的な空気が満ちている。すぐ上に揺蕩う蒼天の空もその一因だろうか。雄大な大空を背負って威風堂々に構えるその様相は、いっそ後光を放つ一柱の神そのものにすら思えた。

 前回来た時は外観を眺める余裕が――主に早苗の所為で――なかったのだが、こうして落ち着いて眺めてみればなんと悠然とした佇まいだろうか。流石に現役の神が二柱もおわすだけはある、と敬虔な神の信徒である吹羽はすっと背筋を伸ばす。

 

「ほぇ〜、ここが新しい神社か。前はここまで来なかったからな、入るのは初めてだぜ。んじゃ早速……」

「魔理沙さん、あんまりものをいじっちゃダメですよ――って言ってるそばからですかっ! 狛犬もいじっちゃダメですぅ!」

「おっと失礼」

 

 何やら筆を持って狛犬にいたずらしようとしていた魔理沙を吹羽は咄嗟に止め、その常識の無さに溜め息を吐いた。

 彼女、実はここへ降りる時も庭にそのまま降りようとして吹羽に止められたのである。神社は既に神の領域であって、鳥居を門としてこちらの領域と繋がっていると考えられている。神社を訪れる時はしっかりと鳥居をくぐらなければならないというのはマナーの一つなのだ。同じように、狛犬は神社の守護者であり、いたずらするなんて以ての外。罰当たりなことなのである。

 ――因みに、魔理沙は博麗神社を訪れる時は殆ど鳥居などくぐらずそのまま着地する、なんてことを吹羽は知る由もない。

 

「おーおー、なにやら騒がしいのがきたようだねー」

 

 今にも他のいたずらを始めそうな魔理沙を促し、境内に体を向けた瞬間、その声は唐突に聞こえてきた。しかし見回しても姿は見えない。僅かに首を傾げるも、「ここだよー」という気の抜けた声に従って見上げると、声の主――洩矢 諏訪子が屋根の上で足をぷらぷらさせながら小脇で手を振っていた。

 

「諏訪子さんっ!」

「やあやあ吹羽、此間ぶりだねえ」

 

 諏訪子はぴょんと軽く飛び降りて音もなく着地すると、にへらとした微笑みを吹羽に向けた。

 吹羽が駆け寄ると、

 

「何の用かな。参拝なら、手水舎はあっちだよ」

「あっ、そうでした……まずはお清めをしないとですよね。ごめんなさい、すぐに――」

「あーいいよいいよ、じょーだんだよじょーだん真面目すぎだよ吹羽。他宗教の信徒に無宗教者、そんな子たちに参拝してもらっても得るものないし、ね?」

 

 そう言いながら諏訪子が視線を彷徨わせた先には、不思議そうに片眉をあげる魔理沙と先程いたずらされそうになった守護者の姿が。

 諏訪子が何を訴えているのかを瞬時に察した吹羽は、急激に申し訳なくなって思わず頭を下げようとするが、その拍子に見えた諏訪子の笑顔がいかにも「ほんと真面目なんだからぁ〜」的な悪戯っ気に満ちていたので、つい言葉を詰まらせてしまった。

 全く、彼女は神様なのに飄々としすぎだと思う。それとも神様ってみんなこんな感じにマイペース?

 

 一人悶々とした心うちに苦い顔をしていると、魔理沙が背後からやってきて、

 

「よお、此間ぶりだな諏訪子。相変わらずちみっこい」

「ちょ、魔理沙さん!? それは幾ら何でも失礼――」

「っ、……ほほーう? 随分と肝が据わってるねぇ魔理沙。お前こそ相変わらず我が強い。その歯に衣着せない物言い、そのうちバチが当たるよ」

 

 さすがは泥棒兼魔法使い兼異変解決者、霧雨 魔理沙。いつだって強気で明るくて、思ったことを思ったままに発言するトラブルメイカー――だが早苗ほどではない――だ。

 どんな世界でも発育のよろしくない存在が等しく抱いているであろう悩みをド直球でぶち抜き、諏訪子が微笑みをいい笑顔(・・・・)に塗り替えるのを見て吹羽はさぁっと顔を蒼褪めさせる。

 というより、二人はいつの間に知り合ったのか。会話を聞くに幾らか話したことがあるようだったが。

 

「いやあ、別に喧嘩を売ってるつもりはないんだがな。これが性分なんだよ」

「神を正面から罵れる、って?」

「そんなつもりじゃないが、気にし過ぎだろ? 事実は事実だし」

「口は災いの元って言うよ。例え相手がわたしじゃなくても言葉には気を付けた方がいいと思うなあ」

「その時はその時さ。話し合いなり喧嘩なりすればいい。知らないのか? この世界じゃ神も人間も対等なんだぜ」

 

 それは弾幕勝負での話ですっ! と突っ込もうとした吹羽だが、なんとなくそうしたが先の展開が見え透いてしまって再度言葉を詰まらせた。すなわち――ほぼ常に「おうそういうことだ! つーわけで弾幕勝負といこうぜ!」な魔理沙が意気揚々とスペルカードを構える未来が。

 冗談じゃない。こんな神聖な場所で魔理沙のバ火力な弾幕など撃ってみろ、きっと境内は以前吹羽が必死こいて惨状を防いだことを嘲笑うかのように木っ端微塵となるのだろう。そんな事されたら流石に吹羽は砂になってしまうし、諏訪子はブチ切れて幻想郷の大地をひっくり返すかもしれない。

 

「…………」

「…………」

「あわわ……あ、あのぅ、お二人とも……えっとぉ……」

 

 これこそ近代の幻想郷の縮図である。特に腕に自信のある者は基本的に容赦がなく、揉め事は弾幕勝負で白黒つけるという、ある種強者の思い通りになるルール(・・・・・・・・・・・・・)に則って常に喧嘩腰の者すら存在する。魔理沙のように、我の強い人間ならいざ知らずである。

 

 無言で見つめ合う魔法使いと神。二人の間であわあわおろおろとする吹羽の姿がなければ、或いはその異様な空気に天狗たちが介入しにきたかもしれない。実際、実は何匹かは既に訪れていて、二人の間で涙目になる吹羽を見つけては「ああ、あの子がいるなら大丈夫だろう」と謎の安心感を得てさっさと任務に戻っていっているのだ。

 吹羽がそれを知ったらぷんすかと怒るに違いない。ここまで来ておいてなんで助けてくれないの! と。

 

 しかし、そんな険悪な空気は突如破られることになる。

 それは吹羽でも魔理沙でも況して天狗でもなく――意外なことに、諏訪子の吹き出すような忍笑いによってだった。

 

「す、諏訪子さん……?」

「ぷふっ、くすくす……いやいや、なんでもないよ。ただ、愉快だなあって思っただけさ」

「んあ? どういう意味だそりゃ?」

「こんな(なり)でも神様なものでね。わたしとこんな口喧嘩できる相手が人間だなんて、ってちょっと可笑しかったんだ。売り言葉に買い言葉、ついつい遊んじゃったよ。ごめんね?」

「………………」

 

 そう言って軽く舌を出してウィンクする諏訪子には、先程垣間見たような怒りの色は少しだってなくて、彼女が本当に状況を楽しんでいただけなのだと吹羽は容易に悟った。

 安堵の溜め息が漏れる。異変解決者と現役の神様……そんな二人が実力行使に出たとして吹羽には止められる気がしなかったのである。諏訪子もそれを分かってくれていた……の、だと思いたい。

 

「さ、じゃあとりあえず中へどうぞ? 神様とお話をするのは、いつだって神社の中だからね」

「はいっ! ほら行きますよ魔理沙さん!」

「んおっ、おおう。……なんかわたし、弄ばれた……のか?」

 

 恐らく素であんなことを言っていたのであろう魔理沙はちょっと複雑な顔で片眉を傾けているが、吹羽は構わず彼女の手を引いて神社へと入る。

 どこかから聞こえる「ちょ、いたいいたい手首いたいって!?」という戯言に、吹羽は有意義に無視を決め込んだ。

 

 通されたのは以前神奈子らとお話をした居間の一室だった。住居なのでこういった部屋があるのは当然なのだが、今思うと神社に設置するには少し似つかわしくないというか、似合わない室内である。おじいちゃんおばあちゃんが娘家族に家を明け渡して隠居するための離れの家のような……良く言えば落ち着いた雰囲気だが、悪く言えば神聖な空気が台無しである。

 

「ごめんねぇ、早苗は布教活動に出かけたばっかりで今いないんだよ。神奈子もなにやら別のことしてるみたいだし。わたししか相手してやれないんだ」

「あ、いえ、お気になさらず。諏訪子さんにお話を聞けるだけでも十分ですので」

「もともと神様に話聞くつもりだったしな」

「ふむ……話、ね。まぁとりあえずてきとーに座って」

「はい」

 

 余談だが、人里へ布教活動に向かった早苗はついでに吹羽に会いに行けると意気揚々としていたりする。しかし行ってみたら店も開いておらず吹羽も当然家にいなかったので、道で四つん這いになって人生に(・・・)絶望し、それを哀れんだ近所のおじさんおばさんに「よしよしきっといいこともあるよ」と慰められたりしている。吹羽の言動一つで自殺もできるし奇跡も起こせる。それが東風谷 早苗という少女であった。

 

 諏訪子に促され、卓袱台の前に並んで座る吹羽と魔理沙。諏訪子はだぼだぼな両袖に両手を突っ込んで、腕を組むような姿勢で対面に座った。

 大まかに経緯を伝えると、諏訪子は心当たりがある風に頷いて瞑目した。

 

「なるほどね……たしかに最近は天狗連中もぴりぴりしてるから少し気になってはいたんだ。幻想郷に不満、かぁ……どこの世界でも意思の統一ってのは一筋縄じゃ行かないんだねぇ。妖怪の賢者も大変だ」

「神様ってことは、あんたも外の世界じゃ崇められてたわけだろ? 意思の統一……というか、やっぱ宗教間での衝突とかあったのか?」

「……そうだね。わたしが治めてたのは大昔だけど、その頃から争いは絶えなくてねぇ……うちの宗教で統一ぅとか考えてたこともあるけど、神奈子に負けて夢潰え、流れ流れてこの通りさ」

「……ほとんどの人が龍神様を信仰している幻想郷では、あんまり考えられないですね」

「風神信仰してるやつが何言ってるんだよ」

「うぐっ」

「狛犬に悪戯書きしようとするような無宗教家が何を揶揄してるんだい」

「うぐぐっ」

 

 やれやれと特に悲観した様子もなく戯ける諏訪子。一度は“意思の統一”という大義を目指したことのある身として、その様子はいっそ感慨深そうですらあった。“神奈子に負けた”という部分が少し気になったものの、苦い記憶のようだし、わざわざ掘り下げるような話題でもない。吹羽はそれらを軽くスルーして、早速本題へと移った。

 

「それで、何かいい案とかありませんか? ボクたちだけじゃどうにも上手くいかないんです」

「うん? 別にさっきまでので問題はなかったとおも――」

「ぜひっ、ぜひ諏訪子さんに助けて欲しいと思いましてっ! ね? ね?」

「…………おう」

「……まあいいけど、大した案はでないと思うよ? 今聞くまでわたしは知らぬ存ぜぬだったんだから。そこら辺のことは天狗に任せてたからね」

 

 魔理沙の余計な一言をぶった斬って頼み込むと、諏訪子は仕方なさげに眉を傾けてそう言った。

 

 既に周知の事実だが、守谷神社は妖怪の山の天辺に鎮座している。ここを襲おうとするなら当然妖怪の山に侵入する必要があり、それはつまりぴりぴりと張り詰めた雰囲気で厳重警戒態勢を敷いている天狗達を突破しなければならないということだ。

 並みの妖怪では当然不可能であろうし、何よりその警戒任務には萃香との一戦以来めっきり強くなった気概を窺わせる椛も就いている。現実として突破はほぼ不可能だ。

 ならば、普段神社から出たりしない諏訪子らからすれば、此度の件はたしかに蚊帳の外のお話だったはずである。彼女がそんなスタンスだったことも納得のいく話だ。だって考える必要がないんだから。

 

 だが、そんなことは初めから承知している吹羽である。そも神というのは祈りや願いによって人に手を差し伸べてくれるものであるからして、助言を乞えば応えてくれるだろうとほぼほぼ確信していた。実際諏訪子は渋々ながらも頭を捻ってくれている。

 ――そうしてしばらく経ち、諏訪子は「う〜ん」と唸りながら口を開くと、

 

 

 

「ごめんやっぱわかんないやっ」

 

 

 

 にへら、と笑っての見事な平謝りをかましてきた。ごちんっ、と隣で魔理沙が額を机にぶつけた。

 

「お、おいおい、今の流れは最高にいい案を出すところだろ。ネタになんて走らなくていいからさっさとしてくれ?」

「ネタだなんて失礼な。真剣に考えて出た結果なんだから受け止めなよ。ほら心を広く広くぅっ」

「開き直られても困るんだが……」

 

 相変わらずのにへら顔であしらってくる諏訪子に、魔理沙は複雑そうに苦笑いをしている。それにつられて吹羽も口の端ぴくぴく。たしかに、開き直られても困ってしまう。

 

「だから言ったでしょ、いい案なんて出ないって。そもそも忘れてないかい? わたしは神様だけど探偵じゃないし、況して全知全能でもない。全くの専門外さ。それで落胆されてもわたし困っちゃうよ」

 

 要は平社員が突然別の部署の部長職を任されたようなものだ、と。

 “やってみる”ことはできても結果なんか出るわけがない、と。

 言われてみればそうだ。神様は神様でも全能ではない。全ての神が全能なら、八百万の神々なんて言葉は生まれないはずなのだ。だってそんなの、全知全能の神が一柱いれば事足りるのだから。

 今更ながら諏訪子に対して申し訳ない気持ちが湧き上がらせる吹羽。勝手に専門外なことを期待して勝手に落胆しているのだから当然である。魔理沙は普通にがっかりしているが、責めるつもりにはなれなかった。だってそういう人だし。

 

 しかし、諏訪子の方はそれで終わらせるつもりは毛頭ないようで――。

 

「うーん、犯人探しねぇ……別にいい案じゃあないけど、方法がないこともない」

「ほ、ほんとですかっ!?」

「わわ、近い近いっ」

 

 諦めかけていた折の言葉に、吹羽は瞳をキラキラさせて諏訪子に詰め寄った。

 諏訪子は少し仰け反って引き気味に笑うと、吹羽の額に人差し指を添えて押し戻した。それでも変わらず希望の眼差しを向けてくる吹羽に、諏訪子は「今言ったけど……」と前置いて、

 

「これは全然いい案じゃあないよ。いや、ある意味最悪かも」

「なんだよ歯切れが悪いな。勿体ぶらずに言ってくれよ」

「お、お願いしますっ」

「……しょうがないなあ。後悔しないでよ?」

 

 困ったように一つ微笑みをこぼして、諏訪子は小さく息を吸い込み、言った。

 

「簡単なことだよ。見つからないなら――出てきて貰えばいいのさ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――曰く、“いつまでも続く不幸はなく、じっと我慢するか勇気を持って追い払うかである”と。

 

 筆を操り墨を走らせながらふと用いた“風”という文字に、己が親友のことが脳裏を過ぎる。次いで思い浮かんだ言葉はなるほど、すんなりと納得出来るほどに彼女のことを言い表していると、阿求はぼんやり思った。

 

 開け放たれた障子からは庭が一望でき、敷き詰められた砂利は太陽の光を反射してキラキラと光っている。流れてくるよそ風は程よく頭を冷やしてくれて、仕事をするには絶好の日和である。

 阿求はこの“幻想郷縁起”の連なる文章の最後の文字を完璧に描き切ると、筆を置いて一つ息を吐いた。

 

「いつまでも続く不幸はない、か……」

 

 それは明らかに絶望した者を救うため言葉で、ともすれば綺麗事にしか聞こえないかもしれない。本当に絶望を理解している人は、そんな他人行儀(・・・・)な言葉を簡単に受け入れたりしないのだから。結局は同情でしかないんだろ、と。

 しかし阿求は思う。そう考えてしまう人はきっと、救われることを諦めているのではないか、と。

 

 ――“じっと我慢するか、勇気を持って追い払うかである”。

 

 絶望とは、その須らくが待つだけで過ぎ去りはしない。じっと我慢するとは、絶望から抜け出す隙を伺うということだ。決して諦めずに、救われることを絶えず望み抜くということだ。

 勇気を持って追い払うというのはもっと分かりやすい。言葉通りの意味である。絶望に立ち向かい、自分が救われるために立ち上がる。それは諦観とは無縁の行動だろう。

 

 ――まさしく、吹羽のようだ、と。

 

「ふふ……昨日の吹羽さんは、なにやら吹っ切れた顔をしてましたね」

 

 家の歴史を知ろう――自分のことを知ろうと夕暮れ近くに訪ねてきた吹羽を思う。

 ここ最近は忙しくて会えない日が続いていたのだが、久方ぶりに見た彼女は心からの笑顔を浮かべていた。

 そう――心から。何処か空虚だった、つい数日前までの笑顔とは違って。

 

 阿求は聡明な少女である。その小さく儚い容貌とは打って変わり、その記憶は何代も前の先祖から受け継いできたものである。豊富な経験、人の営み、あらゆる人のあらゆる表情。そういったものを熟知している彼女が、凄絶な経験をしたとはいえたった数年しか生きていない少女の空虚な笑顔を、見抜けない道理はなかったのだ。

 

 何処かで自分に引け目を感じているのは知っていた。あるいは不安がらせないように気を使っているのだと考えていた。だからこそ阿求は、風成利器店へ頻繁に顔を出しては彼女の気をほぐそうとしていたのだ。遠慮なんて、親友たる自分に対してはしてほしくなかったから。

 

 だが――そういった小さな悩みも、昨日の吹羽の笑顔の前にすっかりと消え失せてしまった。

 

「(ここ数日の間に、なにがあったんでしょう……?)」

 

 きっと何かきっかけがあったはずだ。あの吹羽が、夕暮れ時などという普通は訪ねてこない時間に(・・・・・・・・・・・・)遠慮なく稗田邸に訪れることができたきっかけが。

 ここ最近あった事件といえば、突然妖怪の山の一部分が消し飛んだことが思い浮かぶが、結局そのあとは全く音沙汰がないし、なによりそんな大事件に吹羽が関係しているなんて思いたくない。もし本当に首を突っ込んでいたというのなら、さしもの阿求も「一体なにを考えてるんだ!」とゲンコツの一発くらいは落とさなければならない。

 

 だが――例えそうした何かがあったとして、阿求には吹羽を問い詰める気はさらさらなかった。何故かって? それは勿論、そのきっかけがどんなことであったとて、吹羽が今本物の笑顔を浮かべていることに変わりはないからだ。

 吹羽に言わせれば、「結果良ければ全て良しという諺がある」と。今の吹羽が、阿求が望んでいたような笑顔を得たというのならそれに越したことはない。その過程でどんなことがあったとしても、吹羽が笑っていられるのはきっとそれを乗り越えたからだ。ならば、後になって何も知らない阿求が口を出すのは間違ったことなのだ。

 

 だがまぁ、興味本位に尋ねるくらいはしてもいいかもしれない。親友が明らかにいい方向へ変わったのだ、そのきっかけを知りたいと思うのは当然のことだろう。

 阿求は背もたれに体重を預けながら、どんな話が聞けるだろうかと微笑んだ。口の端が緩んで若干にまにました感じに見えるのは、楽しそうに話す吹羽の笑顔が心底可愛くて悶えそうになっているからだろうか。

 

 そうしてゆるゆるになっていく口元から、遂に「えへへぇ……」とだらしない笑い声が漏れ始めた頃――それは唐突に。

 

「阿求様、お茶をお持ちしました」

「ぇへあッ!? ゆ、ゆゆ夢架ッ!?」

 

 老舗旅館の女将の如く、音もなく開いた襖からお盆を持った夢架が姿を現す。

 完全に油断していた阿求はたまらず飛び上がって驚き、直前まで陥っていた自分の痴態にボフンと湯気を吹き出した。あわあわと身振り手振りして、しかし。

 

「大丈夫です阿求様。夢架は何も見ておりません。己が主のヨダレ顔など一体どこの従者が見れましょう。目も当てられません」

「フォローみたいだけどフォローじゃない!」

「そんなことより阿求様、お疲れかと存じますので一服いかがですか?」

「何事もなかったかのように流さないでぇっ! いやっ、忘れて欲しいんですけどねっ! わす、忘れてください夢架ぁ〜!」

 

 縋り付くような声音で叫ぶ阿求に、しかしそこは優秀な侍従夢架。雇われて間もなく屋敷の主人への奉公を許された彼女は、その卓越したスルースキルで守られた澄まし顔を崩さない。鉄壁、絶対防御。どこぞのメイド長もかくやという有様である。

 

 何を言っても特に感情を表さない夢架の様子にやっぱりこの子は無愛想だと思いながら、阿求は渋々……本当に渋々説得を諦める。未だ頰がぷっくり膨らんでいるあたり相当の我慢をしていそうだが。

 そうして夢架から目を逸らすついでに、阿求は縁側から日の高さを見た。しかしそこで、はてと首を傾げる。膨らませていた頰風船もぷすりと萎んで、阿求はお茶と菓子を乗せたお盆を机に置く夢架をぼんやり見遣った。

 

「……少し予想外ですね。夢架がお茶を出す時間に遅れるなんて」

「……申し訳ございません。少し野暮用を片付けていまして」

「いえ、謝ることではありませんけど……」

 

 稗田邸では、侍従が主人たる阿求にお茶を出す時間というものが大体決まっている。それは阿求が決めたわけではなかったが、侍従連中が率先して、幻想郷縁起の編纂作業に勤しむ阿求を労って休憩を入れてくれるのだ。そこはさすが、人望厚い稗田家当主様というところだろう。

 

 夢架もその例に漏れず、今まで所定の時間にお茶と菓子を運んできてくれていた。毎度「本当に雇ったばかり?」と尋ねたくなるような熟練した所作で少々阿求を驚かせながら。

 しかし、今日は珍しくいつもよりも遅い時間だった。当然阿求が定めたルールではないので咎めることなどないが、今までの夢架の完璧従者っぷりから、彼女が時間に遅れるとは予想していなかったのだ。

 まあ、阿求のお付きとは言ってもそれほど忙しいわけではない。普段から夢架にはある程度の自由時間は許されていて、その時間で何をしようが阿求は何の口出しも――それが間違ったことでない限りは――するつもりはないのだ。

 阿求は程よく冷まされたお茶を静かに啜り一服。夢架は、それを見計らったように声をかけてきた。

 

「ところで、阿求様。お尋ねしたいことが」

「はい。なんですか?」

「昨日いらっしゃったあのうるさ――賑やかな少女と、白い髪の子とはどんなご関係で?」

「………………えっとですね」

 

 早苗の明るさは夢架には煩わしかったのだろう、と比較的ポジティブに解釈の努力をして。

 

「早苗さんとは幻想郷縁起の編纂の際にお話をした程度ですが、吹羽さんとは親友です」

「親友?」

「はい。……なんです?」

「いえ、部屋にこもってばかりの阿求様なので、友人などいらしたのかと少々驚きまして」

「失敬なっ、友人くらいいますよっ!」

 

 というか主人の前でよくそんなことを言えたなっ!

 阿求はぷりぷり怒りだすが、相も変わらず夢架はすーんと澄まし顔。もはやわざと棘のある言葉を吐いているのではないかと疑い始める阿求である。

 しかしそろそろ何を言っても無駄なのだと学び始めた阿求である、ぐるぐると溢れ出すあらゆる罵詈雑言をグッと呑み込み、代わりにツンとした視線を夢架に向けた。

 

「というより、なんでそんなこと気にするんですか? あなたが知りたがるようなことではないと思うんですが」

「主人の交友関係を知りたがる従者は不思議でしょうか?」

「少なくとも、普段のあなたのような付け入る隙のない侍従には珍しいと思います。こう、“交友関係とかどうでもいいけど仕事は完璧にこなします”、みたいに」

「……偏見ではないですか? 私はただの女の子ですよ」

「……ただの女の子はそこまで熟練した侍従の動きはできませんよ……」

 

 あと目上に面と向かって失礼なことも言えないと思う、とは敢えて口に出さず。

 

 実際、夢架の侍従としての腕は超一流といって過言ではないほどだった。

 里の重鎮といって差し支えない立場にある稗田家当主様に、雇われて間もなく側近のような扱いを受けている点からもそれは伺える。

 何事もごく最小限の動きで、“そこにいる”ことを主人に分からせる程度の小さな音だけを意図的に出している。定時の仕事は何事も完璧にこなし、阿求の僅かな表情の変化を読み取って的確なフォローを入れてくれる。彼女一人がいるだけで、阿求は何十人もの侍従を側に付き従えているような錯覚にすら陥るのだ。その凄まじさは筆舌に尽くしがたい。

 

 おまけに夢架は掛け値無しの美少女であった。作り物のように整った目鼻立ちに、常に光を灯すようなキメの細かい真白な肌。金色がかった茶髪はふわふわとして、川のせせらぎのように艶やかだ。時折見かける耳に髪をかける仕草には、同性の阿求ですら思わず生唾を飲むほどの色気があった。大きく形の整った服の上からでも美しい双丘には、誰もが一度は目を奪われるであろう。

 今でも時折思い出す。彼女がここに仕えることになった日の、胸を貫かれたかのような衝撃を。いや本当に、同じく誰もが見惚れるような美少女である吹羽を見慣れている阿求ですら、「これほど綺麗な女の子が里にいたのか!?」と目を見張ったほどであった。

 

「……阿求様? 私の顔に何か付いていますでしょうか?」

「……へっ? ああいえ、なんでもありませんよ」

「そうですか」

 

 不思議そうな表情すら作らずに、()と納得した様子の夢架。表情筋に乏しいのか元から感情の起伏が少ないのか、相変わらずの鉄面皮な彼女に阿求はふと尋ねたくなった(・・・・・・・)

 ちょうど、彼女も自分の交友関係とやらに興味があるようだし、次いでとして、と。

 

「夢架、私の友人たちはどうでしたか?」

「“たち”……? 早苗さんは友人ではなかったのでは?」

「ああえーと、別に友人じゃないというわけでは……というかそういう細かいことは置いておいてですね」

「……ふむ。承知しました。そうですね……」

 

 阿求の問いに、夢架は緩く曲げた人差し指を唇に当てて記憶を探るように瞑目した。そして数秒も経たぬうちにゆっくりと瞼を開けると、抑揚のない声で、

 

「――特に、なにも」

 

 それだけ口にして、夢架は思い出すのをやめた。

 

「……え、なにも思わなかったんですか?」

「はい、特には。お二人とも普通の人間の女の子でした。早苗さんは少し賑やか過ぎるかなくらいには思いましたが。吹羽さんについてはなにも感じませんでした」

「…………そう、ですか」

 

 予想外にも、阿求は心のどこかでもやもやとしたものが湧き上がってくるのを感じていた。

 夢架が非常に無愛想で冷徹なところのある少女なのは理解している。だが、己が親友とその友を見て――あれほど特徴的な二人を見てなにも思わなかったと言われて、阿求は無意識のうちに不快な心地になっていた。

 

 人間、誰しも初対面の相手に対しては第一印象というものを感じ取る。

 まず外見から認知し、その言動によって己の中で性格を決定する。それは何かしらの思考がなければ出来ないことである。つまり、人間は誰でも初対面の相手に対してはなんらかの感情を抱くはずなのだ。

 それを――特にない、なんて。

 

「ただ――強いて言うなら」

 

 ポツリとこぼしたその言葉に、阿求は視線を上げて耳を傾ける。そして僅かに、動揺(・・)した。

 

「吹羽さんの……あの瞳には、興味がありますね」

 

 冷たい仮面に覆われたような夢架の口の端が、僅かに釣り上がる。それは感情の変化に乏し過ぎる彼女が初めて見せた、雫のような感情の発露。

 その感情が、見た目通りの歓喜には思えなかった自分自身に、阿求は小首を傾げて困惑する。

 自分は一体、この笑みに何を感じたのだろう――と。

 

「さて、それでは新しいお茶をお持ちしますね」

「――へ、あっ、はい。お願いします」

「では、失礼いたします」

 

 完璧な座礼をして、音もなく襖を閉じた夢架の静かな足音が遠ざかっていく。

 その音だけを頼りに襖の向こうを見透かして、阿求は思った。

 

「(…………やはり、不思議な子です)」

 

 筆箱に立てかけた筆の先から、真黒な墨が一滴滲んで、机にぽたりと滴った。

 

 

 




 今話のことわざ
骨折(ほねお)(ぞん)草臥(くたび)(もう)け」
 苦労するばかりで利益はさっぱりあがらず、疲れだけが残ること。

 余談なんですが、たった数話で評価ゲージ赤色とか取ってる作品ってよく見ますよね。あれって何をどうやって評価もらってるんでしょう? やっぱりTwitterとかで宣伝して見てくれる人を増やす努力をしてるんでしょうか。
 ……やっぱり告知って大事なんだろーなー(小並感

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。