風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

28 / 68
第二十七話 未知なる系譜

 

 

 

 葉掠れ音だけが、耳を撫でる――。

 

 天辺から足の指先まで微動だにせず、心は丸い月を写した水面の如く――明鏡止水のように静謐で、何処か緊張感を漂わせる。

 互いに向き合った吹羽と椛は、お互いの持つ恐るべき動体視力で以って互いの動きを読み合い、ジッと均衡の崩れる瞬間を待っていた。

 

 そして、はらりと。

 

 風の勢いに負けて母なる枝から引き離された紅葉の葉が舞い落ちて、丁度二人の交錯する視線上を通り、互いの顔が一瞬隠れたその刹那――凄まじい、木々が打ち合う柔らかくも高い打撃音が響き渡った。

 

 押し負けたのは吹羽だった。

 椛は一刀、吹羽は二刀を構え互いに片手持ちで木刀を振るうが、妖怪である椛の膂力に、幼い人間の少女である吹羽が拮抗出来るはずもない。

 互いの木刀に挟まれて無残にも散り散りとなった紅葉の葉を視界の端に、吹羽は椛の力に無理には逆らわず、空いたもう一刀を椛の木刀の上から重ねるように打ち付けて流した。

 そのまま、返す刀と自由になった刀で横に薙ぐ。完全に直撃コースだった。

 

 が、そのどちらも椛の体を打ち付けることはなく、吹羽は勢いそのままに突進してきた椛に突き飛ばされ、後方へとふらついた。

 その隙を椛は逃がさない。素早く駆け寄り下段に構えた木刀を鋭く斬りあげると、咄嗟に防ごうとした吹羽の木刀は天高く弾き飛ばされた。

 

「っ、くぅ……!」

「まだです――ッ」

 

 続くは連撃。隻腕であることなど忘れてしまいそうなほど華麗な太刀筋で繰り出される攻撃に、初めのふらつきを引き摺ったままに刀を受ける吹羽はあっという間に追い詰められ――終わりの合図は、かんっ、という乾いた強打音。

 くるくると宙を舞う木刀が、陽に照らされて影を作った。

 

「あたたた……負けちゃいましたぁ」

「中々いい勝負でしたね、吹羽さん。……はい」

 

 そう言って差し出された椛の手を、吹羽は照れ臭そうにはにかみながら取って立ち上がる。その背後には、弾き飛ばされた木刀が二本無造作に地面に突き立っていた。

 そこへ手に布巾を持った文、水を入れた器を持った早苗が駆けてくる――吹羽めがけて。

 

「ほら吹羽、布巾持ってきたから汗拭きなさいな」

「吹羽ちゃんっ、水ですよ! 汗かいた時には塩水がよく沁みるんですっ!」

「……あなた達、私には何もないんですか」

 

 花に蝶が集り舞うように甲斐甲斐しい世話を始めた二人に椛のジト目が突き刺さる。

 文は全く気にせずと言ったように汗を拭う吹羽を眺めていたが、早苗は慌てて椛にも水を差し出す。

 

「わ、忘れてたわけじゃないですよ? ただ吹羽ちゃん汗かいてましたし脱水症状で倒れたら一大事だと思って気が急いたといいますか」

「これくらいの運動で脱水症状なんて出るわけないじゃないですか。大体汗なら私もかいてますけど」

「でもでも万一と言うこともありますし椛さんは妖怪なので水がないくらい大したことないかなって」

「ああもう、分かりましたから矢継ぎ早に言わないでください。面倒臭い人ですね」

「がーん……っ! 面と向かってめんどくさいって言われました……!」

 

 吹羽の知らぬ間に仲良くなっていた椛と早苗の、これまたいつの間にか出来上がっていた“構図”が展開される。文に貰った布巾で汗を拭いながらその様子にくすくすと笑っていると、その視界の端では文も軽い笑みを零していた。

 文は未だにあまり二人と打ち解けた様子はなかったが、こんな表情を見ると時間の問題なのかなと安心できる。

 吹羽は、今度は早苗から貰った水を一口こくりと飲み下して、きゃいきゃいと問答を繰り返す二人に歩み寄る。文は静かにその後ろをついてきた。

 

「それにしても、さすがは椛さんですね! 片腕とは思えない剣捌きでしたよ! まあ、語れるほどボクも剣術得意じゃないんですけど……」

「それほど重い得物でもありませんから。でもまだ不自由ではありましたし、それを調整する為の打ち合いだったじゃないですか」

「……そうは言うけど、私から見ても椛の剣捌きは並みじゃあないと思うわよ」

「わ、私もそう思いますっ! お二人ともすっごく……す、凄かったですよっ」

 

 口々に放たれる賛辞の言葉にうっすらと頬を染める椛。頭の上でふわふわの白い耳がぴこぴこと揺れるのは、彼女が照れている証拠なのだと最近気が付いた吹羽である。

 無愛想な椛であるが、褒められれば人並みに照れはするらしい。

 なんだろう、とても和む。

 

 こそばゆくなったのか、椛は三人の視線から逃げるようにそっぽを向いた。

 

「べ、別に、私が褒められるほどのことじゃありません。それを言うなら、私をここまで強くした剣術を――この剣術を磨き上げた先達達をこそ褒めるべきです」

「先達達を……もしかして、椛さんは剣を誰かに習っていたんですか?」

「……はい。独学で強くなれるほど、私は器用じゃないので」

「じゃあ先達さんたちも合わせて、みんなを褒めてあげないとですねっ!」

「……早苗さん、あなたやはり馬鹿ですね? いや、あなたは馬鹿です。阿呆の子です」

「がががーんっ! ば、馬鹿に、阿呆……流石の私も、大ダメージです……」

 

 いよいよ膝をついて絶望し始めた早苗を有意義に無視して、吹羽は一人考え事に耽る。椛の言葉に、少し思うところがあったのだ。

 

 先達たちの磨き上げた剣術、それが椛の強さなのだと言う。きっとそれを身に付ける為に相当な努力はしたはずなので、やはりこの言葉は何処か照れ隠しのようなものでもあるとは思うが、あながち間違った見解でもないのかなぁと吹羽は思っていた。

 先人たちの紡いできたものは、必ず何処かで今を生きる人たちに繋がる。時にはその知識が大災害を乗り越えさせ、時にはその技術が他のあらゆる人々を助ける力に変わる。風成家の風紋技術然り、椛の剣術然りだ。

 

 吹羽はそこまで考えて、ふと思う。

 

「(ボク……自分の家のこと、あんまり知らないなぁ……)」

 

 受け継いだ風紋、風神への飽くなき信仰、御伽噺のような神話。それらは確実に、先達達――吹羽の祖先達が紡いできたものに他ならない。

 両親がいて兄がいて、それに満足してしまっていて、また彼らがいなくなってからは単純に余裕がなくて。今まで自分の家のことに興味を持ったことなど、今思えばほとんどなかったことに今更ながら気が付いた。

 

 吹羽は小さく低く唸って、ちらりと横目で文を見遣った。

 今でこそ吹羽の隣で和やかに笑っているものの、ふとすればあの時の――狂気に飲み込まれた残酷なほどの笑みがフラッシュバックする。

 

 ――そう。あの一件も、吹羽が無知だった故に起こったことだ。

 吹羽がもっと自分の家の歴史に知識深く、天狗との関係を理解していたのなら、もしかしたら文を苦しませずに済んだかもしれない。もっと単純で、楽に、丸く収める方法が見つかったかもしれないのだ。

 未だあの時の文の姿が心に深く突き刺さっている。二度とあんなこと起こしてたまるかと、自分の短所を無くそうとするのは当然のことだ。

 

 吹羽は一つ頷いてから、顔を上げた。

 

「椛さん!」

「はい、なんですか?」

「ちょっと用事ができたので、里に帰ろうと思います! いい稽古、ありがとうございましたっ!」

「え、は、はい……えと、どうしたんです? 急に用事って……」

 

 思いの外弱々しい問いを投げかけてくる椛に、吹羽は慌てて思い直す。

 言い方が悪かった。これでは早く家に帰りたくて嘘をついているように聞こえてしまう。

 吹羽は「えと、えと……」と辿々しく言葉を繋ぎながら言う。

 

「家の歴史を調べてみようかなって思いまして。ほら! 椛さんも剣術は磨き上げられてきたものって言ってたじゃないですか! だからボクも家のことをもっとよく知れば、何か役に立つかなぁ……って」

「…………なるほど」

 

 椛は少しだけ見せた不安そうな表情を再び元に戻して、頷いて見せた。

 

「じゃあ、今日はここでお別れですね。姿を隠してまでついていく理由はありませんし、文さんもそれでいいですよね?」

「……仕方ないわね。吹羽、また遊びに来なさいよ?」

「もちろんです!」

 

 本当に、文は随分と丸くなったと少し感慨深くなりながら元気よく返事をする。

 すると視界の端から、低く唸るような声が割り込んできた。

 言わずもがな、椛に手酷く言い負かされた早苗である。

 

「ふ、吹羽ちゃん……私、付いてっていいですよね……?」

「え……えと、別に構いませんけど――」

「やったー! 許可もらったあ! 私、里まで行ったらいっぱい吹羽ちゃんに甘やかしてもらうんですうっ!」

 

 椛の口撃が余程効いていたのか飛び跳ねるように立ち上がって、満面の笑みと意味不明な言葉を放つ早苗に若干の引きつつ、吹羽は椛と文に見送られながら、早苗と連れ立って山を降り始めるのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 阿求の家に着く頃には、既に日が茜色を呈し始めていた。子供が迎えにきた親と連れ立って帰路に着く姿が疎らに見え始め、空には烏達が黒い点々となってかぁかぁと歌声を披露する。

 二人は稗田邸の門戸を叩き、日暮れも近いのに遠慮なく声をかけた。今更阿求に気後れする必要などないのだとこの間慧音に教わった。吹羽は親友たる阿求を頼ることに引け目を感じることはなくなっているのだ。

 

「それにしても、吹羽ちゃんは家に帰らなくても大丈夫なんですか? 秋ですし、日はすぐに落ちますよ?」

「ここからの道なら覚えてるので暗くても大丈夫です。大して遠くもありませんしね。最悪泊まらせてもらえないか訊いてみます」

「……こんな大きな家、泊まらせてもらえるか怪しくないですか?」

「そうですけど……多分、阿求さんなら嫌な顔はしないと思います。……あの阿求さんですから」

 

 暫くして門が開き、侍従と思われる女性が姿を現した。

 薄く金色がかったふわふわの茶髪が特徴的な少女で、眼を見張るのはやはりとても大きなその胸。常人を凌ぐ早苗のよりも大きく、それはもはや服の上からでもちょっと卑猥に感じるくらいで、吹羽は少し唖然とした。

 そんな彼女は始め早苗を見て少し表情を険しくしていたが、隣の吹羽を見るなり少し微笑んで柔らかく導いてくれた。きっと阿求も吹羽が訪れて迷惑とは思わないだろうが、邸内の侍従達も吹羽の来訪を歓迎してくれているらしい。

 あまりここには訪れない吹羽だが、受け入れられているという事実に少しだけ心が暖かくなった。

 

 阿求の家――稗田邸は、名家だけあって巨大だ。庭には紅白斑の鯛が泳ぐ池があり、植えられた木々は専属の庭師によって整えられてすっきりしている。玉砂利が敷かれて静謐とした区画もあり、所々に大小様々な石が埋められたり、苔を植えられたり。早苗曰く、枯山水の庭の様相だという。

 この手のことには疎いはずの吹羽でさえ、これこそが風流なのだと理解させられる美しさに、稗田邸は満ち溢れているのだ。

 そんな庭を感嘆と眺めながら進むと、侍従の女性はある部屋の前で立ち止まって障子の向こうを見る。「阿求様、お連れしました」、と。

 

『どうぞ』

「……では、お入り下さい」

「お邪魔します」

「お、お邪魔しまぁす……」

 

 中から聞こえた声に従って入ると、室内も外と同様に和の優雅さの際立った落ち着いた様相をしていた。敷かれた畳には一つの粗もなく、かけられた掛け軸には達筆で文字――流れ文字で吹羽には読めないが――が描かれており、壁に埋め込まれる形の棚にはいくつもの巻物が整然と積まれている。

 その中心の机に、阿求はちょこんと座って微笑んでいた。

 

「ようこそ、お二人とも。随分と唐突でしたね? 私ちょっとびっくりしました」

「ご、ごめんなさい。急な思い付きで、いてもたってもいられなくなりまして……」

「いえいえ、頼ってくれて嬉しいです。取り敢えず座って下さい」

 

 勧められるまま、侍従の女性に出された座布団に腰を落ち着ける二人。それを見届けると、侍従の女性は阿求に一礼してから何処かへと去って行った。

 なんとなくそれを眺めていると、徐に阿求が「ああ――」と前置いた。

 

「彼女は、何か失礼なことはしませんでしたか?」

「へ?」

「この間侍従として雇ったばかりの子で、夢架(ゆめか)と言います。手際は凄まじく良いので私の世話係として雇っているのですが、あまり愛想の良い子ではなくて」

「え? でもボク――」

「ああっ、私会ってすぐに嫌そうな目をされました……! 私やっぱり迷惑なんでしょうか……」

「え、ちょっと、そんな事ないですから泣かないで下さい早苗さん! 夢架にもあとで言っておきますからっ」

「ぐすん。ありがとうございますぅ……」

 

 年近いであろう少女に冷たい目をされただけで涙を浮かべる早苗に苦笑いを呈しつつ、しかし吹羽は何処か納得がいかずに首を傾げる。

 阿求が無愛想と評した彼女は早苗を見た時こそ眉を顰めたものの、吹羽を見遣ったときには確かに頰を緩めていた。常人を遥かに凌ぐ動体視力を誇る吹羽の鈴結眼が、確かに捉えた事実である。それを思うと、彼女が言うほど無愛想とはどうしても思えない。それとも、吹羽に何か思うところがあったのだろうか――。

 

「それで、今日は何の用で? お茶をしていくならそれでもいいですけど……」

「あ、えっとですね。ボクの家のことを少し調べてみようかなって思いまして。確か元の家にあった本類は阿求さんが保管してくれているんでしたよね?」

「ええ、書斎の一区画に纏めて保存してありますが……今からですか? もう日が暮れますよ?」

「“思い立ったが吉日”という諺がありますっ。大丈夫、真っ暗になるまでには帰るつもりですから!」

 

 吹羽達家族が元々住んでいた家。吹羽が頻繁に壊滅的な威力の頭痛を起こしてしまう為に、一時的に捨てた家。そこにあった本類だけは、現在は阿求が書斎の一区画を使って保管していた。

 本は需要がある。ただの紙ですら幻想郷ではそれなりの価値があり、それが束となっている本類はまごう事無き貴重品だ。さすが名家だけあって本の類もそれなりの数があった風成家だが、家と一緒に本まで捨てるわけにもいかず、阿求が申し出て保管してくれていたのだ。

 歴史を調べるなら、ここより都合の良い場所もない。

 

 そんな会話をしていると、何処かへと消えた夢架がお盆にお茶を乗せて現れた。

 静かに目の前へと置かれるお茶は透き通って黄緑色に光り、立ち上る湯気に連れられた独特の香りが鼻腔をくすぐる。

 霊夢なら瞳を星にして飛び付きそうなそれに少し気後れして手を出せないでいると、阿求は何とでもないようにお茶を啜りながら視線で宙をなぞり、

 

「ふぅむ……元々吹羽さんの物でもありますし、自由に読んでもらって何も問題はないのですが、ちょっと心配なんですよね」

「? 何がです?」

「そりゃ勿論――」

 

 と、お茶を必死にふーふーする早苗を見遣ると、彼女は湯呑みを唇に近づけたままギョッと眼を見開いた。

 

「え、私ですかっ!? そりゃ私はおっちょこちょいでそそっかしくて大人しくしてる方がみんなの為だって思われてるでしょうけどっ」

「そこまで言ってないですよ!?」

「私だって元高校生です! 況して本なんて日常的に触ってたんですから扱いなんてバッチぅあッちちちっ!?」

 

 言いながら胸を張ると、その拍子に手に持ったお茶が僅かに溢れて指に落ちた。突然の強烈な刺激に当然早苗は悲鳴を上げるがどうにか体制を維持し、急いで湯呑みを置いて涙目でお茶のかかった指を口に咥えた。

 

 ジトッとした二人の視線が、早苗に突き刺さる。

 

「……そういうところが心配です」

「…………ですね」

「ふぁあい……おふぉなひぃふひへまふ(おとなしくしてます)……」

 

 そうして、出された高級そうなお茶をろくに分かりもしないのにゆっくりと味わって飲み、吹羽は阿求と早苗を部屋に残して早速書斎へと向かった。夢架は早苗の指の治療をしていた為、阿求が新たに呼んでくれた侍従の後をついていく。現れたその人も、笑顔がよく似合う好々爺であった。

 

「では、ごゆっくり……」

「ありがとうございますっ」

 

 書斎に入ると、強い木と紙の匂いが鼻腔を駆け抜けた。本を置く場所だけに空気は少し乾燥していて、窓から差す茜色の光は絶えず舞う埃をきらきらと照らしている。

 

「本当にいっぱい……こんな量、本当に全部読んじゃったのかな……」

 

 背の高い棚に、所狭しと詰め込まれた本の数々。版木を用いて刷られたのであろう背表紙の無い本を始めとして、比較的新しそうな白い紙の本、触るだけで崩れてしまいそうなほど脆く見える古本、果ては何処から仕入れたのか外界由来と思われる毛々しいデザインの雑誌まで。半端な年月では到底読みきれないであろう量の本が摩天楼のように立ち並んでおり、吹羽も流石に呆気に取られた。

 阿求も年齢としては吹羽と大差はない。それでもきっとここにある本は殆ど網羅しているのだろうから、彼女が博識でしっかりしている理由も自ずと納得がいく気がした。全く、本当に尊敬すべき少女である。

 

「確か、この辺りって言ってたよね……」

 

 そんな本達の背に指をなぞらせつつ奥へと進むと、ようやく目印となる本を見つけた。部屋を出る前に阿求が教えてくれた“目立つ本”で、それが入った棚はぎっしりと古い本達が詰め込まれている。

 僅かに見覚えがあった。……くぐもってろくに見えない鏡の破片の中で、僅かに。

 

「……家にあった、本だ」

 

 質感に覚えのある気がする背表紙を撫で、その拍子に、吹羽は少しだけ心の重くなるような寂しさを覚えた。

 覚えのある本。それは大して難しくもない御伽噺の絵本だった。中身をぱらぱらと流し見ても少しだって思い出せないが、もしかしたら自分は、この本を家族の誰かに読んでもらっていたのかもしれない――そう思うと、まるで闇色の影が這い寄ってくるかのように不安な心地になった。

 

 ――だが、今はそんな時じゃない。

 

 吹羽はぷるぷると頭を振るって不安を斬り裂き、新たに阿求や霊夢やついでに早苗など、近頃よく顔を合わせる人たちの笑顔を思い浮かべた。

 寂しいは寂しいが、そんな時は彼女らに甘えればいい。縋るんじゃなくて、やせ我慢するんじゃなくて、少し話を聞いてもらって最後に手を繋いでくれれば今は大丈夫。

 吹羽はパタンと絵本を閉じて棚に戻すと、一つふんすと気合を入れた。

 

「よし……やるぞっ」

 

 全ての本を読みきることは到底出来ない。吹羽は取り敢えず、近くにある本を取って山のように積み、親切にも備え付けてあった机へと乗せる。ぎしりと音がして、壊れやしないかと少し不安になった。

 

 しばらく読み進めるが、あるのはどれも小説や絵本、古いものでも鍛治の技術に関するものなどで、歴史については一向に出てこない。

 当然と言えば当然だった。風成家は名家と言えども既に廃れた一族。昔からの伝統を細々と受け継いできただけであって、それを除けば一般家庭と何ら変わらない四人家族だ。一般家庭に、その家の歴史を綴った本などある方が珍しいと言えるだろう。

 

 手に取り、徐にページを開く。分厚い本同士に挟まれる形で見つけたその妙に薄い本を吹羽は何の気なしに視界に入れた。

 広がっていたのは――いっぱいの肌色と甘ったるいハート形の描写。

 裸の男女が寝床で体を寄せ合い、撫で合い、舐め合い、終いに啄ばみあって乳繰り合う。吸い付きあった唇の間からはぬめった舌が覗き、頻りに透明な雫が顎を伝い落ちて――、

 

 ――バンッ! と吹羽は勢い良く本を閉じた。

 

 ばくばくとうるさい鼓動と火が出そうなほどに火照った顔を勤めて意識の端へと追いやって、ほれこのざまだ! と。やっぱり歴史の本なんて殆どないやい! と内心で喚き散らす。

 そもそも何故こんな本がここにあるんだ。分厚い本に挟まれてしまわれていたということはつまりそういう事(・・・・・)なのだろうが、まさか阿求のものではあるまい。

 とするとまさか……お父さんか、お兄ちゃん……?

 

「〜〜ッ!!」

 

 まるで猫のようにムキになって、吹羽はその薄い本をびりびりに破いて残骸を放り投げた。散り散りに飛んだ肌色と桃色の残骸が花弁のように儚く舞い散る。吹羽はなんの躊躇いもなく地に落ちたその花弁をむんずと踏み付けて有意義に無視をした。三人が帰ってきたらもちろんお母さんに言い付ける所存である。

 

 ともあれ――そう、普通こんなものだ。

 一般家庭にある本類なんて、小説とか雑誌とか絵本とか、時々えっちな本とかである。家の歴史を綴った本なんて置いてはいないし、そも記しているのかすら怪しいところだ。

 吹羽は一つ溜息を吐いて、とさと椅子に座り込んだ。机の上には開きっぱなしの本ばかりが積んである。読む都度に“この本ではない”と判断して読むのをやめ、それから放置したままの状態だった。

 

「まぁ、そう簡単には見つからないよね…………ん、なにか落ちた……?」

 

 頬杖をついて指先で遊ぶようにページを捲ると、その拍子に何かの落ちる様子が視界の端に映った。

 流石に目聡く見つけた吹羽は、如何にも古くてボロそうなその紙を慎重に摘み上げ、机に広げた。

 

 落ちたのは本ではなく、また千切れたページの一つなどでもなかった。木の根のようにして樹形図が広がり、その分かれ目の度に墨痕鮮やかな流れ文字が描かれている。所々墨が滲んだり擦れたりして読めなくなっているが、少なくとも今までのような小説や絵本や、況してえっちな本とかでは決してない事は確かだった。

 

「うぅん、読めないなぁ……阿求さんの文字より読めないよぉ……」

 

 阿求の文字が下手という訳でなく、単純に吹羽には流れ文字への耐性がないという意味で。筆で文字を書きはするものの、流れ文字なんて読みにくいもの、幻想郷でだって使うのは阿求くらい――阿求も幻想郷縁起を記すときは普通の字体を使う――である。

 ということは、だ。この紙はそれ程までに古いものという事になる。歴史を知る手掛かりに違いなかった。

 

 吹羽はなんとか読み解こうとその翡翠の瞳を凝らして柳のような文字を眺めた。読めないと言っても、幻想郷では外の世界のように全く違う形式の言語が存在する訳ではない。微かにでも読み方が分かれば、うまく流れ文字を読めない吹羽にでもどうにかなるはずだ。

 

 すると、吹羽は一つの違和感に気がついた。

 

「これ……一つだけ違う(・・)……?」

 

 それは樹形図の最先端、最も天辺にある柳の文字達。否――消えてしまった文字達だった。

 他の文字は墨の滲みや長年の摩擦で読めなくなってしまっているが、これだけはどうやら違うようだった。

 掠れて墨ごと消えたのではなく、むしろ上から重ねて塗った故に見えなくなった――人為的に消された跡、のように見える。数ある読めない文字の中で、ただそれだけが。

 

「なんで消されて――」

 

 と、呟いた瞬間だった。

 

 

 

『古くは景行紀、日本武尊が自らに与えた御名――』

 

 

 

「ひッ!?」

 

 突然響いてきた声に、吹羽はがたんと椅子を揺らして驚いた。

 空気自体が震えているかのような、高くて美しく、ブラーが掛かったように響き、空間そのものに満ち溢れるかのようなその声音は、やはり耳を澄ましてもその発生源が特定できない。そも人間の里でこのような現象に出くわすこと自体が異常である。

 吹羽は風紋刀を持ってこなかった事を惜しく思いながら、せめて警戒に勤めて立ち上がる。得体の知れない恐怖は、無理矢理感じないふりをした。

 声は続き、

 

『聖徳太子はその能力を畏れられ、道真はその怒りを恐れられた――神は信仰そのもの。畏怖であろうと憧憬であろうと、信心は人に宿り、故にこそ人が神を生み出す』

 

 声は次第に重なっていき、一つに収束していく。声が完全に“一人の女性の声”となったとき、それは丁度吹羽の背後から聞こえてきていた。

 

「現御神――またの名を現人神。その塗り潰された名は、まさに神が生み出された(・・・・・・・・)という証左そのものですわ。捨てられたからこそ、消されているのです」

 

 振り返った吹羽は、その光景に思わず息を飲んだ。

 現れたのは、金糸の髪をなびかせた絶世の美女だった。瞳は桔梗色に輝き、真白な肌は光を集めたかのように艶があって、そこには欠片のシミだって存在しない。整った目鼻立ちはその無表情と合わせてまるで作り物のようだったが、それがむしろ、茜色の日の光と交わって神秘的ですらある。瞳の色と合わせたような紫色のドレスは柔らかに揺れていて、何処か甘い匂いすら感じる気がした。

 

「あ、あなた、は……?」

「………………」

 

 ほぼ無意識に言葉を紡ぐと、女性はその無表情のままゆっくりと歩み寄ってきた。瞬間、吹羽はハッとして高速で頭を回転させる。

 そうだ、さっきの声の正体が彼女なら、彼女はきっと妖怪だ。普通稗田邸などに妖怪は入ってこないし、況してこんな薄暗い場所にピンポイントで現れたのならば、きっと良からぬことを考えているに違いないのだ。

 吹羽は女性の美貌に呑まれて愚かにも呆けていた自分を内心で悪態吐きながら、必死で辺りを見回した。

 

「(な、何か武器になるもの……! 逃げ道とかでも良いから……!)」

 

 なんて考えている間に、女性は吹羽の目の前まで近付いてきていた。吹羽は今何も持っていない。風紋刀どころか碌な武器もなく、ただ目がいいだけの人間の少女。どんな妖怪にだって抵抗はできない。

 女性は無表情で見下ろしてくる。吹羽は怯えた瞳で彼女の顔を見つめていた。すると不意に、女性は体を屈めて手を伸ばした。遂に何かされるのだと吹羽は咄嗟に目をきゅっと固く瞑って――しかし、いつまで経っても、痛みは襲ってこない。

 

 恐る恐る目を開けば、そこには変わらず美しい女性の姿があった。ただし――その手に何か黒い物体を掴んで。

 

「――セアカゴケグモ」

「……へ?」

「薄暗く乾燥した場所を好む毒蜘蛛です。咬まれれば患部が赤く腫れ、次第に全身へ痛みが広がり、酷い場合には死に至ることもある」

「え、死……っ!?」

 

 まさか、この蜘蛛が足元に這い寄っていたということっ!?

 女性の手の中でわきわきと蠢く赤黒い模様の毒蜘蛛。ごく身近に危険が迫っていたことを理解し、吹羽は柔く握った拳を胸元に当てて顔を青褪めさせた。

 

「気を付ける事です、あらゆる物事に。稗田の書斎にこの蜘蛛がいるとは思っていませんでしたが、考えてみれば潜んでいても不思議でない環境ですわ。どんなことにも例外は付きもの……それは得てして、危険な方向へと導かれるきっかけになり得るものです。まあ、死にたいなら止めませんけれど、やることはやってもらいます」

「は、はあ……」

 

 女性は吐き捨てるようにそう言うと、手の中で炎を噴かせて容赦なく毒蜘蛛を焼き殺し、ぐしゃりと握り潰して無造作に灰を散らした。

 欠けらの情けもかけないその姿はやはり妖怪染みて、しかし吹羽は――じくじくと疼く胸の奥底の感覚に、戸惑いを隠せないでいた。

 

 何故だか懐かしいというか、ほっとするような心地なのに、吹羽(ボク)はこの人が、絶対に好きになれない――と。

 初対面の相手に抱くとは凡そ思えない複雑な気持ちが、確かに吹羽の中に存在しているのだ。

 違和感でしかなかった。まるで自分の中に知らない誰かがいるかのように。その心境が顔に現れていたのか、女性は吹羽の表情を見て僅かに眉を顰めると、吹羽の瞳をジッと覗き込んだ。

 

「……やはり、あなたなのね(・・・・・・)……」

「え……」

 

 それだけ呟くと、吹羽が問い返すよりも早く女性は身を翻してしまった。

 何となくその背中に声をかけるのが憚られて、吹羽は何も言えずにその背を見つめた。

 

「ときに……“探し物”は、見つかりましたか?」

「え……探し、物……?」

「あら、その様子では見つかっていないのですね」

 

 「いや――」と続けて、女性は口元を開いた扇子で覆い隠す。その瞳は、鋭く細められて吹羽の瞳を射抜いた。

 

「単に怖い(・・)だけ……探すことを、何処かで諦めてすらいる。……とんだ愚か者ですわね、あなたは」

「な、何を言ってるんです……? そもそも、あなたは一体誰なんですか……っ!?」

「私はただ一匹の妖怪に過ぎませんわ。ただ個人的な約束で、少しお節介をと思ったのですよ」

 

 のらりくらりと要領の得ないことばかり口走る女性を焦れったく感じて、吹羽は見つめてくるその瞳をジッと強い視線で射抜き返した。

 ただ疑問をぶつけたところで答えなんて帰ってはこない。吹羽はなぜか、何となくそのことを理解していた。

 

「前に進むことを怖れる愚か者。慎重になることも大切だけれど……決して、それだけで生きていけるなんて思わないことですわ。努力は何事にも必要なこと……例え得られないものでも、心構えは出来ますわ。“叩き付けられる”のと“受け止める”のでは、重さも威力も、桁違いですから」

「だから、何を言って――」

「あら、時間ですわね。あなたも人里だからといって夜中に出歩かないように……風成 吹羽」

「っ!? 待ってください! なんでボクの名前――ッ!」

 

 パチン――女性のたおやかな指先による指打ちの音が響いた瞬間、伸ばした手は空を掴み、彼女は忽然と吹羽の前から姿を消した。

 日はだんだんと陰って既に書斎は薄暗い。ついさっきまで妖怪がいたなどとはとても思えないほどに静まり返って、ただ聞こえてくるのは、自分の体内に響く強い鼓動の音だけだった。

 

「……なんで……」

 

 頭の中では先程のやりとりが絶えず反芻されていた。

 要領の得ない言葉。意味の分からない遠回しな表現。しかしそれを問い正したところで答えは得られないと何故か知っている、自分。

 一刻にも満たない時間のやり取りだったと言うのに、吹羽の脳髄には極めて強く彼女のことが刻み込まれていた。

 違和感ばかりである。恐らくは家系図と思われる流れ文字の紙も、女性の言葉の意味も、彼女がここにきた目的も。そして、何より――、

 

「ボク……あの人を、知ってる……?」

 

 誰も答えないその問いの言葉が、寒々しく書斎に響いていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 もやもやとしたものを抱えながらも阿求の部屋に戻り、見つけた紙のことを少し相談してから、吹羽と早苗は名残惜しそうな阿求に見送られながら早々と稗田邸を後にした。

 泊まっていけばいいのに、とある意味予想通りの提案を阿求にされたものの、やんわりと断って、外が真っ暗になる前に帰路につくことが出来たのはやはり彼女の気配りの賜物なのだろう。これが早苗だったらこうはいかない。というかいかなかった。

 

 秋もだんだんと過ぎていき、もう冬が近い。空気はやはり冷たくなってきて、近頃は吐息の白くなる夜も増えてきた。

 そういえば、“終わらない冬の異変”はもう三年も前になるのか、なんて少し無理矢理に思考を繋ぎとめながら、吹羽はとぼとぼと早苗を連れ立って歩いている。でないと、あの女性のことや古い紙のことが気になって身悶えしそうだったのだ。自然と俯き、言葉の数も少なくなってしまったことに彼女自身は気が付いていない。

 

 因みに早苗はといえば、書斎から帰ってくるなり何処か口数の少なくなった気がする吹羽を流石に聡く感じ取り、自分の所為なのかと無駄にそわそわと視線を泳がせていた。感情の機微に聡い少女早苗、才能の無駄遣いとはまさにこのこと。

 

「(……やっぱり、気になる)」

 

 三年前の冬に味わった凍えそうな日々を脳内に展開しながら、しかし疑問を振り払うことはできずに、吹羽はほうと息を吐いた。

 

 見つけた古い紙のことを阿求に尋ねてみたが、結局詳細は分からず終い。突然現れた女性については、邸内に妖怪が現れたと騒がせても返って迷惑と思って言いはしなかった。

 ただ、阿求は紙を見てこうとだけ言っていた。

 

『これは確実に家系図ですね。それも相当に古い……恐らくは数百年以上前のもの。保存環境が良かったんでしょうね、腐食がだいぶ遅れているようです。ただ……これは風成家のものではないようですね。記してある性が違いますから』

 

 なぜ、風成でない家の家系図が吹羽の家に存在したのか。最も祖先に当たるはずの人物の名が消されているのか。女性が言っていた言葉の意味――分からないことだらけ。自分がどれだけ家のことを知らなかったのか、今更ながらに突き付けられて叱責されているような心地だった。

 

「あ、あああの吹羽ちゃんっ? だ、大丈夫ですか? というか何か怒ってます……?」

「……へ? あ、いえ、そんな事ないですけど」

「で、でもなんだか口数少ないですし、私何かしちゃったんじゃないかと……」

「ちょっと、考え事してまして……。というか、なんで早苗さんがびくびくしてるんです?」

「だって……吹羽ちゃんに嫌われたくないですし、側にいるのにお話できないのは、寂しい、ですし……。そういうのって、他人よりも自分に原因があるんじゃないかって、普段から思うようにしてるんです。人を疑うのが苦手なだけなんですけどね……」

 

 他人を疑う前に自分を疑う。早苗のそれは確かに彼女の美徳であり優しいところなのだろうが、それで一々びくびくするのは少し“五月蝿い”というか、少なくとも今の吹羽には少し煩わしかった。

 思わず少しだけ眉を顰めると、早苗は目敏くそれを見つけてあわあわとして、

 

「ああの、何か困ってるなら遠慮なく言ってくださいね! 私、吹羽ちゃんのためならどんな事だってお手伝いしますからねっ!!」

「え、ちょ――」

「そ、それじゃお家も近いですし私はこれでっ! また今度ですぅ〜!」

「…………行っちゃった」

 

 慌てて薄暗い空に飛び立った早苗の背を見上げて、吹羽は呆然と呟く。

 少し強引な別れ方だっただけに、これをきっかけに疎遠になりやしないかと少し心配になる――が、こんな事でへこたれる彼女ならば、自分はあの夜、きっと早苗に心を許しはしなかっただろうなと思い直してほっと息を吐く。

 そんな心配は無用だろう、と断定し、吹羽は視線を元に戻して歩みを再開した。早苗の言った通り、我が家へはもうすぐそこだった。

 

「まあ、今考え込んでも仕方ないかな……」

 

 分からないことだらけではあるものの、それらは決して今答えを出さなければならないことではない。瑣末なことを深く考え込んでも時間の無駄である。

 吹羽はぽつりと呟いて、いつのまにか辿り着いていた我が家の扉の前に立った。

 

 鍵を取り出し、鍵穴に差し込み、くるりと一捻り。カチャリと音がする――筈がしかし、いくら回してもスカスカと手応えがない。

 

 ――これは、まさか。

 

 吹羽はこくりと一つ唾を飲み込み、既に鍵の開けられていた扉を、音を立てぬようゆっくりと開けて中に入った。

 

「(……物が荒らされた感じはしない)」

 

 いつも通りに置かれた花瓶を横目で見て、恐る恐ると足を踏み入れる。居間の方が明るく、明らかに人の気配があった。

 ――一つ、意を決して手頃な棒を手にする。そして昔霊夢に教えられた掛け声(・・・・・・・・・・・)を頭の中で反芻し、大きく息を吸い込んだ。

 一歩、踏み出して、

 

「ど、泥棒ーっ! ウチのもの(お賽銭)盗んだこと後悔してくたばりやがれですぅぅうッ!!」

「うおわあっ!? なななんだあ!?」

 

 戸の桟に躓くなんてお決まりを踏まずに無事やり過ごし、吹羽は普段使いもしない言葉を羅列しながら大上段から棒を振り下ろした。

 剣術の基礎があり、日々金槌を振り下ろすという動作を繰り返し行ってきた吹羽のその一撃は、真剣ならば岩すら断てると思えるほど美しい姿勢で完璧なる斬り下ろしを実現させた。

 空を切る音。ひょう、とおよそ木の棒が生み出せるとは思えない鋭利なその音は――しかし、バッチーンッ! という炸裂音にも似た爆音に掻き消された。

 

「ぐぎぎぎ……あ、あぶねェ……っ! 失敗してたら痛いじゃすまなかったぜ……!?」

「むううう……う? あれ、魔理沙さん……?」

 

 聞き覚えのある声を受けてゆっくりと視線を上げると、そこには棒を震える両手の平で受け止めて冷や汗を垂らす少女――霧雨 魔理沙の姿があった。

 魔理沙は吹羽の言葉に苦く笑うと、

 

「おうよ、みんな大好き魔理沙ちゃんだぜ……。少し見ない間に、辻斬りにでもなったのか吹羽……?」

「あっ、いえその……ど、泥棒が入ったのかと思ってつい……」

「うっ……そ、それより、わたしはいつまでこの棒を受け止めてなきゃいけないんだ……?」

「! ご、ごめんなさいっ」

 

 魔理沙の苦言で弾かれたように棒を退けると、吹羽は急いでそれを片付けて魔理沙の対面に座った。

 あらぬ疑いをかけた上に殴りかかり、吹羽としては申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだが、当の魔理沙も何故かばつが悪そうに後頭部を掻いている。

 それを問おうとするより早く、魔理沙は切り返すように、吹羽にある話を持ちかけるのだった。

 

 

 

 ――というかこの人、どうやって家に入ったのだろう……? 魔法使い、恐るべし。

 

 

 




 今話のことわざ
(おも)()ったが吉日(きちじつ)
 何かをしようと決意したら、そう思った日を吉日としてすぐに取りかかるのが良いということ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。