風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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第二十三話 “心”淵に望む

 

 

 

 萃香は今でも、あの日の闘争を鮮明に思い描くことが出来る。

 

 それは他の何者の介入も許さぬほど苛烈であり、熾烈であり、しかしだからこそ闘争に生きる悦びを萃香の脳髄に刻み込むに至った、最高の大喧嘩。

 互いの極めた業で舞い、剣撃と拳の織り成す嵐の中で互いに絡み合う。骨が砕けようと血飛沫を散らせようと、三人は己の信念の為に究極の闘争の中に身を投げていた。

 萃香には、それが最高に心地良かった。そも己と渡り合えるような強者を求めて山を訪れた鬼である、例え天狗や人間達がどのような心境で立ち向かい、どのような志を持って刃を振り下ろしているのかなど今更気にもしていなかったのだ。

 

 ただひたすらに――この二人との喧嘩が楽しくて仕方がない、と。

 

『あははははっ! さいっこうだよお前らァッ!』

『はっ、はっ、――ッ、ぅうおおああッ!』

 

 互いの命を削り合う、魂を曝け出したかのような凄絶な闘争。まるで最高の玩具(おもちゃ)を見つけた子供のような笑顔で拳を振るう萃香に対して、相対する天魔と凪紗は既に満身創痍の様相を呈していた。

 とうに、消耗していたのだ。

 

 萃香と戦うよりも前、二人は彼女と同列の大妖怪(四天王)と衝突し、辛くも討ち取ったものの、その戦いで二人は殆どの力を使い尽くしていたのだ。

 そんな状態で四天王・伊吹 萃香との連戦――いや、天狗と人間の勝利を捥ぎ取るならば四天王と鬼子母神、五人の大妖怪を下さなければならないなど、無理無体にも程がある。

 

 だが、諦めはしなかった。諦められる訳がなかったのだ。

 天魔と凪紗は、互いに一族の長となって相利共生の道を拓き、そして見事に他の妖怪を寄せ付けぬ力と安穏とした平和を築き上げた。魑魅魍魎の跋扈するこの時代、そうした平和な領域を創り出すことがどれだけ重要なことなのか、きっと今を生きる誰も想像はできないだろう。

 それを鬼たちの気まぐれ(・・・・)などで、壊される訳にはいかなかった。そんなことで壊されていいモノ(平和)では断じてないと二人は信じていたのだ。

 死力を賭して戦い、互いの守りたいものを守り合う為に刃を振るう。二人が築き上げた絆とは、それ程までに強固鉄壁であった。

 

 しかし、現実とはやはり無情か。萃香との明らかな力の差が、次第に二人を追い詰めていく。

 

 鬼は力の権化。人間が恐怖するほどの力――真の意味で“想像を絶する力”というものが、鬼の存在意義そのものである。

 文字通り二人の想像を絶した力を放つ萃香を前に、喰らい付くので必死だった――否、天魔と凪紗だからこそ、喰らい付いていられたのだ。

 

 ――しかし、限界は何れやってくる。

 

『……もう、終わりなのかい?』

 

 そう言葉を零した時の虚しさを、萃香は今でも覚えている。

 当然だ。強者を求めてやってきて、それに答えてくれる者らを見つけて、そしてその限界がたった数刻の内に見えてしまったその失意を、萃香は忘れることができないのだ。

 たった数刻でも自分に付いてこられた二人の限界がもう見えてしまったというその失意は、歓喜と期待に比例して深く重いもの。

 

 だが、そうして失望を口にする萃香へと二人が向ける視線には、まだ力強さが残っていた。

 

『まだ……終われない……ッ!』

『我らの、民の平和を……壊されてなるものかッ!』

 

 刀を杖に、そしてふらつきながらも二人は決意を口にして立ち上がる。

 その言葉に、その姿に、萃香はこの時初めて“意思の力”というものを見たのだった。

 決して手加減していた訳ではない。むしろ加減など忘れて快楽のままに力を振るっていた自覚さえある。それは己が絶対の自信を持つ破壊の拳であり、事実あらゆるものを粉砕する究極の(かいな)である。これを受け続けられたものなど、同族の鬼を除けば片手で指折り数えて十分に足りるほどしかいない。

 

 それに天狗が――況してや人間が、強固な意思を持って立ち向かい、圧倒されようとも、手にした刀を手放そうとはしない。

 未だ油断ならない相手なのだと、萃香の本能は叫び続けていた。

 

 

 

 そうして三人は、遂に――運命の瞬間を迎える。

 

 

 

 幾度目とも知れぬ衝突の末、先に力尽きようとしていたのはやはり天魔と凪紗だった。

 まさに予定調和。迎えるべくして迎えた限界である。それでもやはり、二人の瞳から光は失われていない。むしろ次が最後だと悟ったが故の凄まじい覇気のようなものすら放っていたのを萃香は覚えている。

 肌を刺すような鋭い殺気。それは強大な敵を前に心折れた者が発するモノでは決してなかった。

 

 刃の嵐と鋭利な剣閃。もはや一撃必死と成った最強の拳。無数のそれらが打ち合わされたその末に、その瞬間はやって来た。

 

 天魔の放った微細な刃の嵐を、萃香はその豪腕で以って一薙ぎに打ち払う。それによって腕は破裂したように血が噴き出すが、そんなもの今更気にはしない。

 攻撃直後のこの隙にトドメを刺そうと地を踏み砕いて飛び、天魔へと打ち出された萃香の砲弾の如き拳は――しかし罅の走った刀を盾に、受け止められた。

 

 この瞬間、萃香は既に意識を天魔から外していた。

 天魔と凪紗が何を以って萃香に抗していたのかといえば、それは阿吽の呼吸というのも生温い程に完成された連携だったからだ。

 さして相談する様子はない――というよりそんな余裕などお互いに存在しない戦いの中だというのに、まるで示し合わせたかのような回避に次ぐ攻撃、受け身に次ぐ反撃、挙句お互いの刃を紙一重で避け合いながら正確無比な神速の連撃を繰り出す。萃香をして心を読み合っていなければ不可能とすら思わせるほどの完璧な連携である。

 だからこそ萃香は天魔から意識を外した。

 必ず凪紗は、ここで攻撃を仕掛けて来る、と。事実天魔は、萃香がこの場から動けないよう腕に風を絡めて拘束していたのだ。

 

 果たしてその読みは、実に明答であった。確かに凪紗は攻撃を仕掛けて来た。

 ただしそれは――萃香が考えもしなかった方法で。

 

 初めに感じた感覚は、胸に現れた違和感だった。とん、と軽く突かれたようなその感覚に、初めの萃香は気を向けない。

 しかしその違和感は時間とともに強くなり、遂には叫びたくなるほどの激痛へと進化した。喉の奥から鉄を溶かしたように熱いものがこみ上げ、鉄の味が色がる口の端からそれが零れ落ちた時――萃香は遂に天魔から外していた意識を戻した。

 そこに見たのは、自分の胸を貫く、

 

 

 

 ――天魔の胸から伸びた血濡れの刀(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

『これで……良いんだね、(あきら)……』

『ごふ……っ! ああ……上出来だ、凪紗……』

 

 互いの名を呼ぶ天魔と凪紗の悲痛な声に、これが二人の殺気の正体なのだと――しかし決して二人が望んだ事ではなかったのだと、萃香は悟った。

 “無意識の油断”――二人の信頼関係から考えて無意識の内に思考から除いていた死角……天魔の背後という死角(油断)を、凪紗は突いたのだ。

 ――天魔を、犠牲にする形で。

 

『なぁ、酒呑童子(伊吹 萃香)……! お前は、ここで終わらせてやる……っ!』

『ぅ……かふっ……っ、無意味、だって、分かんないのかい……? こんな勝ち方は……!』

『いい、のさ……我ら天狗、風成の力が……調子に乗った喧嘩屋(鬼一族)共の、命には届き得ると……わかっ、た、ろう……っ!?』

 

 今にして思えば、この時天魔は既に先の事を見据えていたのだろうと萃香は思う。

 自分達の力では、四天王と鬼子母神を倒して鬼達を退けることは出来ない。そう悟ったから、“古い平和を守る”のではなく“新しい平和を作る”事を考えた。即ち――鬼に支配されようとも、天狗・風成一族が虐げられることのない平和を。

 

 この最後の戦いに於いて鬼の四天王の一人を道連れにして、天狗と人間の力を認めさせようとしたのだ。そうすれば例え天狗と風成が鬼の支配下になっても、鬼達は決して二族を理不尽に扱いはしない。何故なら二族は自らの命に届き得る存在だから。蔑ろにして黙っている種族ではないから。

 

 彼らの民を守ろうとする意思が――長としての覚悟が、己を犠牲にして民を救う道を選ばせたのだ。

 

 だが、その光景は――必死で駆け付けた幼い文が、目の当たりにしてしまっていた。

 

『……とう、さま……?』

 

 ――ああ、可哀想に、と。

 “敵である萃香”ではなく、“凪紗に刺された天魔”を呆然と見つめるその姿に、萃香は同情にも似た哀れみを覚えた。

 赤みがかった瞳は徐々に光を失い、後退りすることも出来ない程にその小さな身体は震えている。それは幼い少女が現す感情にしては、あまりにも凄惨過ぎた。

 きっと、天魔が心の拠り所だったのだろう。この戦いが一つの山の中で起こっていることとはいえ、幼い少女が放り出されるには危険が過ぎる。寂しさ、恐ろしさ、心細さ――そう言った“恐怖”に類される感情を払拭する為に、きっと彼女は此処へ来た。そしてそこで彼女が見たのは、“父が命を犠牲にして倒した敵”ではなく、“信頼する親友に背後から刺された父”だったのだ。

 ……少女が、心を狂わせるに足る現実である。

 

 この戦いに於いて唯一救いだったのは、萃香との決戦を最後に全体的な戦争が終結したことか。

 天魔の望み通り、鬼達は天狗達を強者として認め、支配下にありつつもある程度対等な存在として見るようになった。その決起となったのは他ならぬ萃香である。

 天魔と凪紗の民を守るという強い意思。その力の発現を真っ向から受け、終いには敗北を受け入れざるを得ないほどの傷を負った。死ぬことはなかったとはいえ、これで認められないなら萃香は鬼ではない。

 天魔と凪紗の意思は、拳で語らった萃香が汲み取るには十分なことであり――そしてその戦闘を見ていた他の四天王と鬼子母神も、全く無感という訳ではなかった。

 少なくとも、これ以上の犠牲が出る前にこの戦いを終わらせよう、と踏み切る程度には。

 

 天魔と凪紗の戦いは、こうして幕を閉じた。こうして望みが叶った。

 ただ一つ――文の絶望だけを残して。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「――そして、凪紗に言われたのさ」

 

 百鬼侵撃の乱に於ける最終決戦の真実。全員が静まり返った中で語り終えた萃香は、一呼吸してそう前置いた。

 周囲の木々が風に攫われてはらはらと舞う。言葉を待つように静かなこの空間には、虫の羽音も、鳥の鳴き声もない。たださわさわと掠れる葉々の音だけが、優しく満ち満ちている。

 じ、と文を見つめて、

 

「“どうか、章の意思を文に伝えないでほしい”……ってね」

 

 赤い瞳が、揺れる。

 

「……な、なん……で……」

「それは、少し考えてみれば分かるんじゃないかい? 凪紗は本当にお前の事を案じていた。それを考えれば、答えなんか一つしかないじゃないか」

「………………っ!」

 

 まさか、と何かを察した様子の文に、萃香はすぅと目を細めて仕方なさ気に拳を腰に当てる。

 文の揺れる瞳を、弓矢の如き視線で射抜きながら、

 

 

 

「お前を、死なせない為さ」

 

 

 

 ――凪紗に頼まれた時、彼女は萃香にこう言った。

 

『文にとって、章の存在はなくてはならないものだった。それが無くなってしまった今、文は非常に不安定なんだ。……もしもの時(・・・・・)に、備えておきたいんだよ……!』

 

 天魔の存在が文の中でどれだけ大きかったのかを、凪紗は恐らく誰よりも知っていた。そんな彼女が、父を亡くした文がどんな精神状態でいるかを悟れたのは自明の理というものだ。そも観察眼が異常に鋭い――吹羽と同じ鈴結眼を持つ凪紗である、親しかった文の心境が分からない道理がない。

 分かったからこそ、凪紗はこう考えたのだ。

 

 最悪の場合、文は自尽を選ぶかもしれない――と。

 

「だからあいつは、お前の生きる理由を作ろうとしたのさ。知的生物が生きる理由ってのは愛だとか友情だとか様々あるが……あの時凪紗が選んだのは、一番単純にして強力な“感情”だった」

「ッ! まさ、か……」

「そう、“憎悪”だよ」

 

 強烈な感情は、良し悪しに関係なくその宿主へと強い影響を与えるものである。幼い憧れは人生の夢を形作るし、過ぎた恐怖はトラウマとなって半永久的に付き纏う。あらゆる感情は恒久的な影響となって心に宿るのだ。

 

 その中で、憎悪は単純にして強力な感情の一つである。“嫌い”、“むかつく”、“殺したい”――そう言った悪感情が何故単純で強力で、心に残りやすいのかといえば、それは理由を探すのが簡単だから(・・・・・・・・・・・・)だ。

 人を好きになるのに理由などない、なんて名言がある。それは確かだ。尤もだ。この言葉はきっと人の好意というものの真理を突いているだろう。だが逆に、人を嫌いになるのには必ず何か理由があり、それが自覚出来る――つまりは基盤を作れる(・・・・・・)それは、好意よりもよっぽど心に定着しやすい。

 汚いだとか、面倒くさいだとか、何か嫌なことをされただとか。好きになるのはなんとなくでも、嫌いになるには理由がある。理由がなければ、“他人を嫌いになる”なんて生物の生に於いて“無意味”だからだ。

 そしてそう言った単純で強力な感情が、心に残りやすいということを知っていたが故に、凪紗はそれを利用することにした。

 

 自分(凪紗)を殺したいほど憎ませて、“復讐してやる”という生きる理由を、文に与える為に。

 

「憎んだろう? 恨んだろう? 怨嗟に苛まれて眠れない夜もあったはずだ。だがそうでなきゃお前はどうしてた? 父親を殺されて、分かってくれる奴もいなくて、お前は生きていられたか? 耐えていられたか?」

「それ、は……」

「分かるはずさ、自分の事なんだ。凪紗の残した復讐心がお前を生かした。あいつはお前が自分のことを恨み続けることを望んで、一族諸共山を去ったのさ。……まぁ、申し訳ない気持ちも少なからずあったんだろうがな。不思議には思わなかったのか? 当代天魔ですら戦友(とも)と呼ぶ一族と、何故数百年間も交友関係が切れていたのか。……それはお前のためなのさ。お前に生きていてほしいと願った凪紗の、心の跡なんだ。……あいつは裏切ったんじゃない。章の意思を――お前自身を、生かそうとしただけなのさ」

 

 萃香に文のことを頼んだ後、凪紗は――風成一族はひっそりと妖怪の山を去った。

 文に対しての負い目も、頭領を殺した天狗一族そのものへの負い目も確かにあったのだろうが、一番の理由は“文に行動を起こさせないこと”だった。

 復讐というものは晴らしてしまえば消えてしまう。それが成功するにせよ失敗するにせよ、近くに仇がいたのではきっと文は行動に移し、その結果を得てしまう。文を生かすのに大切なのは、復讐心を燻らせ続けること。“結果”なんてものは、決して与えてはいけなかったのだ。

 そして、凪紗のその心遣いを、文だけが理解出来なかった。

 その為に、間違った歴史だけが後世に残った――否、彼女の心を知る者達によって、改竄された(・・・・・)のだ。

 そして数百年の月日を経て、何の因果か、風成家と妖怪の山は奇しくも同じ世界に移住し集まった。

 

「そして、ここからはわたしの持論だ。文、お前が受け止められるようになったら話してほしいと言われた、とさっきわたしは話したな」

「………………」

 

 文は答えない。しかし萃香はそれをなんら気にせずに言葉を紡ぐ。

 

「“受け止められるようになったら”……なんて曖昧な言葉かね。復讐心を煽っておいて、こんな真実を後で打ち明けろなんて……嗚呼、本当に酷い女だ。あんなのに気を許した章の気が知れない。……だからね、文。わたしはわたしのやり方で、お前に思い知らせてやることにしたのさ。自分のやろうとしてることが、本当はどんなもんなのか、ってね」

 

 萃香は決して、全ての復讐が無意味なものであるとは思っていない。無意味な復讐というものはその悉くが“本人の望む結果”の得られないものなのであって、例えば殺された親友が死ぬ直前に自分を殺したやつを殺してほしいと願った上での復讐ならば、それはきっと意味のある復讐である。望んだ結果が得られることだろう。

 ただ、最も無意味なものとは――望みが何なのか(・・・・・・・)も分からずにする復讐(・・・・・・・・・・)だ。

 

「わたしはお前を否定しない。復讐したいならすればいい。だがな……何も分からないままでするのは許さない。章や凪紗があらゆるものを捨てて紡いだお前の命を、無意味な復讐に費やさせるなんて、そんなのわたしは認めない」

 

 少なからず認め、その意思の強さに感動さえした萃香に、今までの文を許せる訳がない。だって、文は自分が何を欲していたのかも分からないまま、与えられた復讐心を吹羽へとぶちまけていただけなのだから。自分の意思すら認識できないまま、復讐を遂げようとしていたのだから。

 そんなものに意味なんてない。意思の宿らぬあらゆる物事はただの無駄でしかなく――それを文に分からせようと、己の望みがどこにあるのかを理解させようと、然々(しかじか)と画策するのが、萃香のやり方(・・・・・・)であった。

 

「やるからには望みを持て。半端な気持ちで無駄にするな。自分を理解してから復讐に狂え。そしてそれが今でも揺らがないなら、わたしに証明してみせろ。わたしはそれを、肯定してやる。だが……もう分かったはずだな、文?」

「……………………っ、〜〜っ!」

 

 へたり込む文の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れる。それは溢れ出した心の粒のようで、濁り気なんて少しもなくて、仮面を被り続けてきた彼女の叫びのようでもあって。

 

 ――そこへ、ふらふらと覚束ない足取りで、吹羽が歩み寄っていった。

 

「あや、さん……大丈夫、です……。そばに、いますから……っ、」

 

 傷はある程度治癒されても、傷付けられた感覚と多量の失血が、吹羽の意識を朦朧とさせていた。どうにか歩み寄るも、あと数歩のところで躓いてそのまま文の膝上へと倒れ込む。

 息遣いは荒く、瞳は絶えず揺れていたが、その視線は確かに文へと向いていた。

 

 その時、こつん、と硬いものに触れる感触があった。

 それはスカートに付けられた小さなポケットに入った――入ったままで忘れていた(・・・・・・・・・・・)、ある貰い物。

 

「(私、は…………)」

 

 一体、どうしたい? ――そう自らに問う心の声に、文はまだ、迷う。

 文の中に燻った復讐心(憎悪)は、最早凪紗が煽ったものだけではない。父を失った事は事実であり、吹羽を羨み妬んだ事も事実……つまり、文が本当に思って(・・・・・・・・)いる事(・・・)だ。そこに他人の思惑が介入する余地なんてない。

 ならば、自分は一体何を望んでいるんだ――と。

 

 選択肢があった。

 一つは、突き付けられた全てを受け入れて、吹羽への羨望を胸に努力すること。

 一つは、今ここで全てを壊して、劣等感と狂気に身を沈めて楽になること。

 どちらを選んでも、きっと萃香は否定しない。だってこれは、文自身が考えて、選び取った結果になるから。

 ただ――分からない。自分にとってどちらが良いのか、文には全く分からなかった。

 

 受け入れる? そう決めたなら、きっとこの先辛い事は多いだろう。だが、恐らく吹羽はその度に助けてくれる。霊夢も渋々と手を貸してくれるかもしれないし、鳳摩だってきっと支えてくれる。“肯定してやる”と宣言した萃香も、影ながら応援してくれるだろう。

 凪紗もきっと、それを願っていたのだと、今なら理解できる。

 

 全て壊す? それをしたら、きっとこの心は楽になるだろう。苦悩も思考も劣等感も、苛まれるだけとても疲れる。そも数百年それを続けてきて、文はもう疲れ切っていた。ならば羨望とか復讐とか、燻っているものを全部吐き出してぶちまけて、差し出される手すらも“邪魔だ”と弾き飛ばして、何もかもを諦めた方がきっと楽だ。それでもきっと、萃香は否定しない。吹羽も多分……否定しない。

 

 悩み悩み悩み、どれだけ時間が経ったのかは最早認識できない。膝の上で苦しそうに呼吸する吹羽の荒い息遣いと、風でさわさわと掠れる葉々の優しい音だけが耳を撫でる。いやに静かだ。それだけ皆が、文の答えを心待ちにしているという事なのだろう。

 

 しかし――やはり文には、答えを出せない。

 己の望みがどこにあるのか、理解ができない。

 

「(それなら――……)」

 

 自分に訊いてみればいい(・・・・・・・・・・・)――と。

 

 文は徐に手を動かすと、スカートのポケットから“それ”を引き抜いた。そして霊夢と萃香に動く暇を与えない(邪魔をさせない)ように、一瞬も止まらずに、躊躇わずに振り下ろす。手にしたのは――刃の研磨すらされていない風紋付きの小刀。

 

 あの日――吹羽に、“好きに使え”と渡された、心遣いの一つ。

 

 切れる事はない。しかし刺すことは容易にできるその凶器の、その先にあるのは――無防備な吹羽の白い首筋。

 

「――……ッ、」

 

 だが――ぴたり、と。

 

 吹羽の首筋に触れるほんの数寸で、それは止まった。

 否――それが、文の答えだった。

 

「……あや、さん……?」

「〜〜っ」

 

 かたかたと震えながら首筋数寸前で止められた刃。握り締めるその手に滲んだ血が、ぽとりと一滴吹羽の首筋へと落ちる。

 小刀と文の顔を交互に見る吹羽の瞳に――しかし恐怖や、侮蔑や、あらゆる悪感情は一欠片だって含まれてはいなかった。

 文の瞳を――涙が溢れ、悔しさとも悲しさともつかない感情を零すその瞳を見つめる吹羽の翡翠色の眼は、ただひたすらに、何も変わらず、文を理解しようとする“同類”の、優しい眼だった。

 

 故にこそ――できない(・・・・)、と。

 

 吹羽に貰った心遣い――優しさの証を、吹羽に突き立て引き千切る。自分では何も分からなかったからこそ出たその全てをぶち壊す(・・・・・・・)行為に、文の体は正直な答えを出したのだ。

 即ち――吹羽(理解者)を殺すことなんて、自分は望んでいないのだ、と。

 

 震える手から、かしゃりと小刀が零れ落ちる。血の滲むその手は力なく地に落ち、後には文の啜り泣く声だけが切なく響いていた。

 

「……ごめ……ん、なさ……っ、」

 

 何も見えていなかった。何も認めようとしていなかった。その上で生まれた憎悪が、今こうして唯一理解を示してくれた者を殺そうとしていた。

 今更ながらに、その罪悪感が津波のように押し寄せてくる。

 もはや、紡ぎ出せる言葉など一つしかない。

 

「ごめん、なさい……っ!」

 

 羨ましかった。ただただそれだけが心を塗り潰していた。しかし今や、そこに妬みや憎悪は少しだって滲んではいなかった。

 だって、吹羽はきっと諦めなかった(受け入れた)自分の姿そのもので。

 語る言葉は人事でもなんでもなくて、他人事な哀れみなんて、目障りなものは何もなくて。

 そして――彼女も同じ道を通ってきたのだ、と。

 

「ごめん、なさい……ごめんっ、なさ、い――ッ!」

 

 理解してあげられる、と言った。手を繋いでいてあげる、と。立って歩く支えになる、と。

 喉の奥が焼けるように熱くなり、流れる血が火を噴くかのように身体の内側が焼けていく。ばくばくと鼓動が激しくなり、それに呼応するように溢れる涙は止まることを知らず、口からひたすらに“ごめんなさい”、と今更許されることではないと知りながら、それでも言葉を紡ぐ。

 でないと、どうにかなってしまいそうだった。例え痛烈に責められたっていい。それだけのことをした自覚が、今ならある。ただ、それを言う他に、この気持ちを表す術がなかった。

 

「わた……わた、し……ひどい、っこと……っ! ふう、に……ぃっ!」

「文さん……大丈夫ですよ」

 

 涙でぐしゃぐしゃになった顔。ぼろぼろと大粒の雫が伝うその頰に、吹羽の小さな手が触れる。涙を拭うように撫でたその掌に、嗚呼、“泣かないで”、と。しかし“許してあげる”なんて、無責任な事は決して語らずに。

 

「辛いのも、苦しいのも、理解して(分かち合って)くれる人がいるだけでずっと楽になります。手を繋げばあったかくて、笑い合えば嬉しくなって……そうやって立ち直ればいいんです。……歩いていけば、いいんですよ」

 

 どんなに些細な事も、一人で背負うのはあまりに酷である、と。

 人は――心を持つ者は一人では完成できない。両親から愛を学び、ライバルから友情を学び――そうしてあらゆる人からあらゆる物事を学ぶ。一人では孤独に耐えられなくても、隣を歩く誰かと手を繋げば、笑い合えば、心を通わせれば、きっと“孤独”は“ただの寂しさ”に成り下がるのだ。

 そうして歩いて――目指せばいい。

 

「簡単に“許す”なんて言いません。文さんが謝ろうと思う限り、いっぱい悔やんで、いっぱい悩めばいいと思います。そうやって、文さんが文さんを許した時に、ボクは文さんを許してあげます。それまで、いつまでだって待ってますから」

 

 吹羽は、文が自分自身を許すまで彼女を許す事はできない。何故なら悔いや罪悪感を感じるのは文であって、吹羽ではないから。そうして罰を与え続けるのは文自身であって、吹羽ではないからだ。

 それは戒めとなって文を縛り、そして吹羽への対応に表れる。なれば、文が自分のした事を悔い、

吹羽へと返せた(自分を許せた)と思った時にこそ、吹羽は文を許してあげることができるのだ。

 “君の気持ちはよく分かったよ、もう怒ってないよ”と。

 

「“武士は相身互い”という諺があります。……大丈夫、立つお手伝いはボクがします。転んだら引っ張り上げてあげます。疲れたなら肩を貸します。もう嫌だと立ち止まったら……そうですね……どうして欲しいですか?」

「ぐすっ……そこ、は……“優しく手を引く”、とかって言うところ、じゃない、の……?」

「それだと、自分の足では歩けなくなったりしませんか?」

「……ふふ……そう、ね……。じゃあ、その時はまた……弾幕ごっこ、してくれる?」

「はいっ、よろこんで!」

 

 あれだけ憎んでいた相手に、こうして素直に笑える日が来るなんて。

 まだ失血で青白いにも関わらず、それでも花が咲いたような笑顔を見せる吹羽に、文は内心で自嘲する。

 

 心の傷は、簡単には癒えたりしない。父を失った喪失感は、狂ってしまうほどには深く心を抉り取り、傷付けていったのだから。

 だが、同類の少女曰く“寄り添えばきっと寂しくない”、と。

 傷を受け入れて、その上で立ち直る事はきっと出来る。何故ならば自分(吹羽)にできたのだから、と。同類()にできない道理はない、と。

 

 文は無意識の内に吹羽の髪を一撫でして、その視線を傍の小刀に移した。

 ――もう、仮面()はいらないのかもしれないな、なんてぽつりと考えて。

 まぁ、それもまた、ゆっくり治していけばいいか――なんて。

 そうして文は、はて。まだ言っていないことがあったな、と思い出す。

 

「……ねぇ、吹羽」

「なんですか?」

 

 それはきっと誰もが考える以上に暖かい言葉で、けれどとても簡単な言葉。否、だからこそ、その一文字一単語一文章に籠る心を、想いを如実に語る。

 そう――とても簡単で、一番初めに言う言葉(・・・・・・・・・)

 

 

 

「私と、友達になって下さい」

 

 

 

 ぽつりと――一滴の雫を落とすような、一言に。

 それはまさしく、陽だまりで手を握り合うような、包み込むような……そんな暖かさだった。

 

「――……よろこんでっ!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「――……ぅ、ん……」

「おお、目が覚めたか、椛」

 

 僅かに浮き上がった意識が、野太く少し嗄れた声に引き上げられる。

 未だに重い瞼をゆっくり開けると、木々の隙間に快晴の空が見えた。

 ゆらりと視線を彷徨わせると、椛は声の主が視界に入ったところで視線を止めた。

 

「天魔、様……?」

「ああ、儂じゃ。随分と無茶をしたようじゃのう、椛?」

「……? ――ッ!!」

 

 天魔がついと顎で示したのは、何もない地面――否、本当は腕が横たわっているはずの、地面だ。

 自分の左腕が二の腕から消失している事実に、椛の記憶は急激に蘇る。そう、自分は吹羽を助けに行こうとして、萃香に阻まれて追い込まれ、あと少しのところで敗北したのだ。

 ――で、あれば。

 

「ッ、天魔様! 吹羽さんは……吹羽さんは今どこに――っ、くぅ……っ!」

「無理をするでない。治療したとはいえまだぼろぼろじゃ、下手に動くと死ぬぞ?」

「吹羽さんは、今まさに死ぬかもしれない状況なんです……っ! 私が……行かなければ――きゃんッ!?」

「動くな言うておるじゃろうが頑固者め。命令じゃ、ここで動かず安静にしておれ」

 

 吹羽の身を案じ、すぐにでも飛び出そうとする椛の脳天へ天魔の手刀が飛ぶ。俗に言う脳天チョップである。怪我人にこの仕打ちは流石にどうなのだろう、と内心愚痴る椛だが、天魔を睨み上げる勇気はないので自然と縮こまってしまった。

 

 改めて確認してみれば確かに生きているのが不思議なほどの大怪我である。身体中の傷は塞がってはいるものの傷跡はまだ生々しく、骨に至ってはまだ数本ヒビが入ったままで治癒できていない。外界であれば半年以上入院してもおかしくない大怪我でありながら、それでもやっぱり吹羽が心配な椛に、天魔は重く嘆息すると、

 

「……心配いらんよ。萃香殿が向かったからのう。万一にも吹羽が死ぬような事は無かろうて」

「……ですが、間に合わなかったら……思い上がりに過ぎるとは思いますが、萃香様とも、それなりの時間戦闘していましたし……」

「それこそいらぬ心配じゃよ。彼女の能力は知っておろう? それより自分の心配をしたらどうじゃ。左腕など、消し飛んでるもんじゃから治すこともできなんだ、もう少し悲観してもいいと思うがのう?」

「………………」

 

 消失した左腕に視線を落とし、自責の念に顔を歪ませる椛。責任感が強過ぎるのも考えものだと、天魔は再度溜め息を吐いた。

 

「椛」

「は」

「儂ものう、文に対して負い目があったんじゃ。真実を知っていてなお、打ち明けずに苦しむあの娘を数百年見守ってきた……親友の、大切な娘をのぅ……」

 

 未だ文へと不信感を抱いている様子の椛に、天魔は百鬼侵撃の乱の真実を語った。

 二人の守りたかったもの、凪紗の想い、それを継いだ鳳摩――それは確かに納得したことではあった。父を失った文の脆弱さを鳳摩は見抜いていたのだから。しかし、だからといって感情を押し殺せるわけではない。申し訳なさを身の内に抱えながら、鳳摩は遂にこの時を迎えたのだ。

 

「文に、復讐が無意味なことなのだと分からせたかった。その為に吹羽を利用(・・)したんじゃよ。……儂は天魔じゃ。天狗の頭領じゃ。同胞のことをいの一番に考えるのは当然のことじゃて……最悪の場合、吹羽が死ぬことで文に理解させるのも一つの手と考えておった」

「そんな……戦友(とも)と仰ったのは天魔様ではないですか! それを……」

「ああ。じゃからの椛、儂はお主に賭けたんじゃ」

「……え?」

 

 ぽつぽつと語り、批難しようとする椛の瞳を覗き込む。それは、想いの板挟みに喘いだ結果生まれた、鳳摩の願いだった。

 

「お主は吹羽の友人じゃ。種族としてではなく、吹羽という一個人、お主という一個人として。……知っておったよ、あの直談判しにきた日、お主が心底悩んでいたことをの。あれは吹羽のことを思っての事じゃろう?」

「う……はい……」

「儂は天狗の頭領として文を、戦友(とも)として吹羽を守りたかった……傲慢な考えじゃよ。どっち付かずで、下手を打てばどちらも守れはしない……じゃからの、吹羽の友として最も信頼できるお主に、儂の(・・)願いの半分(・・・・・)を託した」

 

 それは確かに、鳳摩の一方的な願いだった。椛に告げることもせず、誘導するだけで、願いの一端の鍵を握らせたのだから。

 でも、今ならそれが正しかったのだと思える。椛の失くなった腕を見て、じくりとした罪悪感は残るものの、自責の念にかられる椛に“そんな事はない”と、言ってやりたいほどには。

 

「椛、確かにお主は駆けつける事は出来なかった。お主自身も、吹羽の下へ駆け付けたかったのじゃろう。……じゃがの、お主のその想いだけは確かに伝わったのじゃ。そしてそれを受け取った萃香殿が、吹羽を死なせはしないと向かった……なれば、自分を責めるのは御門違いというものじゃ。それでは想いを継いだ萃香殿や……お主に感謝の念を感じる、この儂までも否定することになる。どうか、儂らの気持ちを無駄にせんでおくれ」

「天魔様……」

 

 物事に影響を及ぼすのは“行動”だとしても、その内側で原動力となるのは“想い”だ。

 ならば、どうしようもない状況を覆す(現状を変える)為に必要なのもまた“想い”である。

 確かに椛は萃香に敗れ、吹羽を助け出す事はできなかった。しかし、彼女が抱いた強い想いは萃香へと継承され、命を繋ぎ、結果的には文を思い留まらせる一因となった、

 で、あれば。

 

「お主は、吹羽を救ったのじゃよ。それ以上に、お主は何を求めるのじゃ」

「……っ、いいえ……これ以上に……求めるもの、なんて……ありません――っ!」

 

 そう、溢れ来る感情を押し殺すように、椛ははっきりと告げる。

 吹羽のために駆け出した。吹羽のために戦った。吹羽のために、覚悟を決めた。その結果にちゃんと吹羽を助けられたのであれば、きっと片腕を代償にしてもお釣りが来るくらいだ、と。

 鳳摩はその言葉に一つ頷くと、埃っぽく薄汚れたその白い髪を、愛おし気にポンポンと撫で付けた。

 

 ――椛たちが迎えにきた吹羽たちと合流し、その惨状と気持ちに号泣されるのは、また別のお話……そして、もう少しだけ後のことである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 博麗神社と人間の里を繋ぐ獣道。

 相も変わらず杜撰な整備でデコボコとした地面を踏み締め、霊夢と萃香はとぼとぼと帰路に着いていた。

 流れる沈黙は少しばかりぴりぴりとしている。脇の草陰で木の実を齧っていた小動物は、二人を見るなりそれを放り投げて逃げていった。道に転がってきたその木の実を、霊夢はぐしゃりと踏み潰して歩を進める。

 

「……なんでそんなに不機嫌なんだい?」

 

 と、静寂を破ったのは萃香の言葉だった。純粋な疑問の念を呈して放たれたそれにしかし、当の霊夢は眉を顰めたまま――依然としてひりつくような空気を放ったまま、「別に……」と素っ気なく返した。

 萃香は一つ嘆息し、

 

「……風成の子は無事だった。だぁれも死んでない。お前さんにはどうでもいいかもしれないが、文は立ち直り私も鳳摩も願いが叶った。お前さんだってあの子が無事ならそれで良かったはずだ。……何が不満なのか全くこれっぽっちも分からないがねぇ?」

 

 霊夢はちらとも萃香を見遣ることもせず、小さく「……そうね」と呟く。軟化しないその態度に萃香はやれやれと大仰に嘆く素振りを見せると、両手を後頭部で組んでまた黙り込んだ。

 

 ――吹羽を送り届けた、帰り道だ。

 萃香の言う通り、誰も死なず、皆の願いが叶った。文句なしのハッピーエンド。これ以上の結末など望むこと自体が無駄な程だ。強いて言えば椛が片腕を失くした事が唯一辛いところだが、萃香がそれを“誇れ”と言うと、彼女はそれなりに満足した顔をしていたので、殊更に悲観することもない。文も吹羽も多少療養すれば傷は治る。霊夢は何の怪我もしていない。

 だが――霊夢は少しだけ、納得していなかった。

 

「(“同病相憐れむ”、か……)」

 

 それは吹羽が文に諭した言葉。二人は同じ立場であるということを示す言葉。そして、ならば理解し合うべきだ、という言葉。

 ――皮肉だな(・・・・)、と思った。

 

「(それを吹羽が言うなんてね……。あの子の事を本当に理解するなんて、誰にも出来るはずがないの(・・・・・・・・・・・・)()……)」

 

 そう思って、霊夢は自嘲するように薄く笑う。だって、そう思っているのに、霊夢は心の何処かで誰より吹羽を分かっている気になっているのだ。自分でその矛盾を肯定したなら、もう笑う他ない。

 寄り添うと決めたのに、いくら頑張っても誰にも――霊夢にも吹羽を分かってあげることはできないのだから。それを知っているから、霊夢は己を嗤う。自嘲気味に、皮肉気に。

 

「……どうした、突然笑い出して。気持ち悪いぞ?」

「……そうね。あたしって気持ち悪くて、面倒臭い奴ね……」

「ッ!? ホントにどうした霊夢っ!? 熱でもあるのか!? お前が自分を蔑むなんて隕石でも振るんじゃ痛ェッ!!」

「うっさいわよ呑んだくれ! あたしが暗くなるのがそんなに可笑しいッ!?」

「だってお前、異変時でも呑気にお茶啜ってられるような能天気な奴だろっ!? っていうか本気で打つなよ! わたしだって痛いもんは痛いんだ!」

「う……も、もういいから、さっさと帰るわよ!」

 

 予想以上に反論が思い浮かばなかった霊夢は、無理矢理会話を断ち切って早足に歩き出した。背後からは萃香が追いかけて来る。

 変わらず靄のかかる心に知らぬふりをして、霊夢は兎も角、一息吐いた。

 

 ふと見上げた空には、沈もうとしている太陽に薄く雲が覆い被さっていた。

 

 

 




 今話のことわざ
武士(ぶし)相身互(あいみたが)い」
 同じ立場にある者は、互いに思いやり助け合わなければいけないということ。また、そのような間柄のこと。

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