風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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第十五話 神の凡眼

 

 

 

 静寂を取り戻した神社の居間で、霊夢はぼう、と外を眺めていた。

 秋を迎えて色付いた桜の葉がゆらりゆらゆらと石畳に落ち、風に流されて何処かへと消えていく。心底暇そうに突く頬杖のすぐ側には、使った花札が散らばったままになっていた。それを見下ろしながらに聞く木々の葉掠れ音に、霊夢は何処か物足りなさを感じた。

 

 ――吹羽たちは、ついさっきここを出た。

 早苗は渋々といった具合の吹羽を半ば無理矢理に抱え飛び、文は用も失くなったとばかりにそそくさと帰っていった。結局彼女も何をしに来たのか不明だったが、吹羽に合わせて出て行く辺り、恐らく目的は彼女だったのだろう。

 遊んでいただけだったのだが、それで目的は果たせたのだろうか。ふと考えるが、今更どうでもいいか、と霊夢は鈍く思考を切り返す。

 少々気になったこと(・・・・・・・・・)も、今は考えることがどこか億劫だった。

 

 先程まで柄にもなくはしゃいでいた(・・・・・・・)反動か、今の霊夢は何処か自失染みた雰囲気を纏っていた。

 仏門の徒は、長く険しい修行の果てに悟りと無我の境地を得ると言うが、今なら簡単にその境地へと至れる気がする。

 怠暇も極まれば一つの頂を得る、ということなのだろう。心底どうでもいい頂点な気がしてならないが。

 

 霊夢は“ほう”と一つ息を吐くと、気怠げに瞼を閉じる。

 

 ――吹羽は、大丈夫だろうか。

 

 真っ暗な瞼の奥に、襲い来る苦労に苦く笑う少女が映る。

 霊夢の見る限り、吹羽はあまり早苗が得意ではない。きっと嫌いな訳ではない――そも吹羽が誰かを嫌うところを想像出来ない――だろうが、早苗のあのテンションは正直霊夢でも疲れる。活発とは言い難い吹羽もそれは同じだろう。それに、早苗が吹羽へ向ける好意は少し特殊だ。

 

 ……ヘンなこととか、されなければ良いんだけど。

 

 薄っすらと心に浮かんだ不安に抗するようにして、霊夢は連れていかれた吹羽へと気休め程度の祈りを込めるのだった。

 

「――暇そうにしてるねぇ、霊夢」

 

 聞こえてきた声の主に、霊夢は片目だけ薄く開いて応える。す、と視線を横へと移動させると、見えてきたのは――分銅の吊るされた、太くて大きな角。

 

「もう少し何かする事ないのかい? せめてお茶を啜ってるとかさぁ……今のお前さん、相当人生を無駄にしてるぞ」

「うっさいわね。あのお茶もう味が無いから飲みたくないのよ」

「……いや、お茶を飲めって言ってる訳じゃなくてな?」

「分かってるわよそれくらい。お茶を飲む気も起きないくらい暇で退屈なの」

 

 手首に繋がる鎖をチャリチャリと鳴らしながら現れたのは、側頭部から太い角を二本覗かせる小柄な少女――伊吹 萃香。

 居候として少し前から霊夢と共に暮らすこの“鬼”の少女は、早速対面へと我が物顔で“どかっ”と座り込む。

 その視線は、すぐに霊夢の手元へと注がれていた。

 

「なんだ、一人で花札なんかやってたのかい」

「どうやって一人でやるのよ。さっきまで友達がいたの。もう行っちゃったけど」

「魔理沙か?」

「いいえ」

「ほう、あいつ以外友達なんていたのか」

「いるわよ。一人」

「少ないねぇ」

「うっさい」

 

 軽口を一蹴されると、萃香は気にした風もなくかっかと笑った。

 何が面白いのかは分からない。ただ、その笑い方には何処か安らぐ気がして、霊夢は何も言わずに黙っていた。

 

 ――一頻り笑い、萃香は改めて微笑みを作ると、

 

「なぁ霊夢、わたしと一勝負しないか?」

 

 散らばっていた花札を集め、霊夢の答えを聞く前に配り始める萃香。

 どの道やらされる羽目になると察した霊夢は、仕方なく手札を受け取った。

 特に、強い札は一枚もない。

 

 ――札を一枚、場に重ねる。

 

「なぁ霊夢よう」

「……なに」

「その友達ってのの事、どう思ってんだ?」

「どう……って?」

「そのまんまの意味さ。好きか嫌いか、弱いか強いか、羨ましいか妬ましいか……何だっていい。言ってみろ」

「………………」

 

 なぜそんな事を問うのだろう。

 萃香に取られる札を見ながら、霊夢はぼんやりと考える。

 自由気ままを絵に描いたようなこの鬼が、自分の友達のことを気にするとは思ってもみなかった。暇があれば酒を飲んで酔いに溺れ、その能力で以って風来するのがこの萃香という少女である。気にする要素なんて微塵もないと思うのだが。

 考えが読めず、霊夢は徐に視線を上げる。すると、笑いながらも真剣な目をした萃香の顔が視界に映った。

 ――きっと、ふざけた話ではないのだ、と。萃香は萃香なりに何事かを考えて話しているのだろう、と。

 霊夢はその目になんとなく納得して、ならば答えてやるのも吝かではない、と思い直した。

 

「……あの子の事は、嫌いじゃないわ」

 

 山札を捲り、場に重ねる。

 一枚の光札を、霊夢は手に取った。

 

「とても強い子なのよ。きっと根っこのところでは、あたしよりも強い」

「どうしてそう思うんだい?」

「……あたしがあの子の立場(・・)なら、きっと立ち直れないと思うから」

 

 札を重ねながら、霊夢は呟くように淡々と語る。萃香は相変わらず薄い笑みをたたえながら、しかし真摯に聞いていた。

 

 霊夢には、吹羽の気持ちが少し分かる。

 霊夢はある時、先代巫女である母を亡くした。

 吹羽はある時、大好きな家族三人を失くした。

 程度に差はあれど、二人は似通った境遇を歩んできた。ただ違ったのは、霊夢よりも多くのものを失くしたはずの吹羽が、それでも本当の意味では絶望せず必死に立ち上がり、今を生きているという事。

 大きく深い傷があるはずなのに、それでも立ち直るだけの強さが、吹羽にはあるのだ。

 

 ――でも。

 

「強い子。すごく強い子だけど……やっぱり何処か、脆い(・・)と感じるのよ」

「脆い?」

「不安定、なのかしらね。少しでも綻びが出来ればたちまち崩れてしまう気がして……危うい」

 

 萃香が札を取り、霊夢は狙いの役を揃え損ねた。

 だが霊夢は動揺することもなく手札を抜き取る。――次の役の狙いは、既に定めてあった。

 

「だから、あたしが守らなきゃいけないって思う。あたしよりも辛いはずのあの子を、少しでも分かってあげられるあたしが。だってあの子はまだ……まだ、子供なんだから」

「……なるほど」

 

 これは確かに、似た者同士であるが故の、だが自分よりも酷いモノを抱える少女への同情心でもあったと思う。

 自分よりも()の者を見るときの哀れみにも近いかも知れない。

 だけど、やっぱり。

 例えどんなにこの想いの根幹が醜かったとしても、彼女を放って置けない事に変わりはなくて。

 

 萃香は得心がいったとばかりに笑みを深くすると、迷いなく手札を場に重ねた。捲った札も合わせ、彼女は光札を二枚取る。

 ――幾瞬かの間を置いて、

 

「霊夢、お前さん……寂しいんだろ(・・・・・・)

「……は?」

 

 出しかけていた手を止め、霊夢は思わず顔を上げた。言い切る萃香の視線は、見抜いたとばかりに霊夢の視線を真っ向から射抜いている。

 

「何でそうなるのよ」

「そいつの事を大切に思ってるって事だろ? で、理由は知らないがそいつがここからいなくなって暇を持て余してた。お前さんは隠してたつもりかもしれないが、“寂しい”って顔に出てたぞ?」

「…………っ」

 

 ――寂しい? あたしは、寂しいのか?

 分からない。だが、萃香の言葉を否定し切れないのも確かだった。

 吹羽が守矢神社へと連れていかれて、暇になってしまった。暇になっただけなら、いつも通りに寝るなり掃除するなりすれば良いのに、霊夢は何をする気にもなれずにボーッと景色を眺めていたのだ。……心の片隅で、吹羽を心配しながら。

 ――それって、寂しい、という事なのだろうか。

 守らなきゃいけない相手が自分から離れていくのが……寂、しい?

 

過保護(・・・)なのも良いがな、霊夢。いつまでもお前がそれじゃ、その子は成長しないんじゃないか?」

「……過保護、なのかな……」

 

 吹羽はとても強い子だ。だが、まだまだ年端もいかない子供である。本人は大人として振る舞おうとしているが、振る舞えるだけであって本当に大人な訳ではない。

 その子供としての弱い部分は、守ってあげなければならない。そうしなければきっと、吹羽は忽ちに崩れ落ちて壊れてしまう。

 

 ――過保護。

 そうして守ることは、吹羽にとって良くないこと……そう、萃香は言っているのだ。

 霊夢には分からなかった。壊れてしまいそうなものを守ろうとして何が悪いというのか。

 知らなくてもいいこと(・・・・・・・・・・)を知って壊れてしまうことは、成長とは違う。知りたくもない事実を押し付けるのは、ただの暴力に他ならない。

 ――絶対に出来ないことだと、霊夢は思った。

 

「ま、今はいいさ。お前さんが何を抱えてんのかわたしには分からないが、頭の片隅にでも置いておいてくれ」

「……ええ」

「ただなぁ、霊夢――」

 

 霊夢の手番が終わると、萃香は迷いなく手札を引き抜いた。 重ねた札は“柳に小野道風”、捲った札は“松に鶴”。

 

「考えておけよ? 子離れする方法ってのは、究極的には一つしかねぇんだって事」

 

 ――雨四光・七文。

 

 萃香は見透かすような鋭い瞳で霊夢を見つめると、ふ、と薄く笑った。

 何を考えているのか定かでない、考えの読みにくい表情。ちょっぴり不気味なその笑みに、狙い澄ま(・・・・)したような(・・・・・・)その笑みに、霊夢はふと思い至る。

 何故この少女は、これほどまでに的確な指摘をしてくるのか――と。

 その疑問に対する仮説は、案外すんなりと口から漏れて。

 

「……あんた、本当は吹羽のこと知ってるでしょ」

「さぁて、どうだろな? 気まぐれでこんなことを言ったのかも知れないし、誰かに頼まれたのかも知れない。ただ確実なのは、わたしはお前さんのそのスタンスがちょっと気に入らなかった、という事さね」

 

 やれやれ、といった風にそう言うと、残った手札がパラパラと指の隙間からこぼれ落ちていく。その中に、新たな役を作れる札は一枚として入っていなかった。

 賭けていたのだ。捲った札が光札であることを信じて。

 そして萃香は――見事に勝った。

 

「人間は強くねェ。力は弱いし体は脆い。一匹の毒虫にすら勝てない脆弱な種族さ」

 

 だが――。

 そう続ける萃香の瞳は、確信の強い光を秘めていた。

 

「想いの丈で強くなれる、最っ高の種族だ。わたしが知るあの女(・・・)は、それを教えてくれた。霊夢……あまり人間を、嘗めてんじゃねぇぞ?」

 

 鋭く言い放つ萃香から、霊夢は僅かに怒気を感じた。

 

 遥か昔、鬼は人間を攫って喧嘩を楽しんだという。

 脆弱なはずの人間が窮地に陥った時に溢れさせる力に、心底惚れ込んでいたのだ。

 勿論人間の全てがそうであった訳ではない。だが、その鬼達の筆頭として立っていた萃香は少なくとも、そうした力の発露をその目で見て、経験している。

 

 ある意味、萃香はきっと霊夢よりも人間の可能性というものを知っているのだ。それは鬼という種族が歩んできた歴史が成り立たせているものであり、せいぜい十数年程度しか人間をやっていない(・・・・・・)若輩者(霊夢)には到底覆しようのない真実なのだ。

 威厳すら感じさせる萃香の言ノ葉に、抗する言葉を霊夢は持たない。

 

「…………はぁ」

 

 その視線に耐えかねたように、霊夢はその形のいい眉をハの字に傾けて重い溜め息を吐いた。

 そして萃香を真似て、態と手札をパラパラと落とす。

 

「今日のところは、負けた(・・・)って事にしといてあげるわ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――秋風吹き巻く、大空の下。

 乗せられ流され、宙を揺蕩うのは木の葉だけに非ず。

 日も少しずつ落ち始めるこの時刻に、空に響き渡っていたのは二つの声――。

 

「うっきゃああぁあぁあああッ!? ちょ、やめ……っ!」

「あははははっ! ほぉらここで加速ですよぉ〜! 『絶叫マシーン早苗号』ですぅ!」

「だ れ か と め て え ぇ え ぇ ! ! !」

 

 哀れな少女の絶叫が、青い空の下で拡散する。ただそれは広がっていくだけで、その心からの懇願の声を聞き届ける者は誰一人としていなかった。

 ――いや、聞いている者はいるのだが、彼女は完全に“やる”側であるからして。

 むしろその絶叫こそが、やっている側としては求め望んでいたものなのだ。

 絶叫する少女――吹羽を抱えて飛ぶのは東風谷 早苗。だがその飛行は控えめに言って、超・雑(・・・)であった。

 

「な、なんでこんな飛び方っ、するんですかあっ!!」

「だってだって、吹羽ちゃんがウチに来るんですよっ!? この溢れ来る歓喜を叫ばずして、一体私にどうしろとッ!?」

「知らないですよおおぉぅうああああっ!?」

 

 竜巻のような旋回上昇からの超鋭角急降下、錐揉み回転で滑空しながらの加速に次ぐ加速。

 吹羽に「ぜっきょうましーん」という言葉は分からなかったが、もし外の世界の人々がみんなこんなものを楽しめるような図太い神経をしているのだとしたら、きっと吹羽は外の世界でなんて生きていけないだろう。

 なんだか下腹部が空くような心地で気持ち悪い。正直ちょっと泣きそうだ。

 

 早苗はその素直な性格故、吹羽が神社へまた訪れる事に――早苗自身が連れ出したのだが――本当に舞い上がっているのだろう。それでこんなに振り回されるのは迷惑以外の何者でもないが、彼女の放つ眩しい笑顔を前には強く言い出せないでいる吹羽であった。

 仕方ないから、我慢してあげよう――とは、もう何分前に思った事だろう。いい加減やめてほしいと願うのは、決して間違った事ではないと吹羽は涙ながらに自己弁明する。

 そうして振り回されること、更に数分――。

 

「ふぅぅ〜……満足しました♪」

「(や、やっと終わった……)」

 

 暫く喜びに舞い上がっていた早苗は、何処かで自分に落とし所を見つけたのか、大きく息を吐いて普通の飛行に戻した。

 神社へはもう少しかかるはずなので、それまではこの劣悪な気分を戻す事に専念しよう。

 

「全くもう……もう少し落ち着きというものをですね……」

「不可抗力ですもん! 落ち着かせろというのなら、いっそのこと吹羽ちゃんがウチに移り住んでしまえば、その内に慣れて落ち着くと思いますが?」

「それ得するの早苗さんだけじゃないですかあ!」

「そんな……ッ!? 吹羽ちゃんは、私と一緒にいるの、嫌ですか……? 吹羽ちゃんの半径三十メートル以内に入っちゃダメなんて、そうしたら私、もう何の生きる意味も……」

「そこまで言ってないですよ!? ただお仕事が出来なくなっちゃうから住み込むのは無理ってだけで、別に一緒が嫌な訳じゃ――」

「わあ! ずっと一緒でもいいってことですね! 嬉しいです吹羽ちゃんっ、もう結婚でもなんでもしちゃいましょ? 反対する人はみんな私がぶっ飛ばしちゃいますから♪ あ、養子縁組とかでもいいですよ?」

「それだけはやめて下さいっ!? け、結婚、とかもっ!」

 

 吹羽の抗議の声に、しかし早苗はにこにこと微笑むばかり。そして唐突にピコンと頭上に電球を浮かべると、

 

「あ、それなら吹羽ちゃん、私と一緒に神奈子様を信仰しましょ! きっと御利益がありますよ! (そしたら上手く言いくるめて我が家に……)

「聞こえてますからね……! 改宗なんてしませんよ! ボクが信仰しているのは“氏神様”ですぅ!」

 

 吹羽が信仰するのは、鍛冶屋の娘として“天目一個神”の他に氏神様だけである。

 その旨を早苗に言うと、彼女は不思議そうな顔をして「そういえば」と前置きした。

 

「吹羽ちゃんの家は代々その氏神様と言うのを信仰しているそうですね?」

「は、はい。大昔から、ただ一柱の神だけを信仰してきました。神棚へのお祈りも毎日していますよ」

 

 風成家が名家たる所以として、その継承し続けてきた技術と信仰が挙げられる。

 単純な鍛冶を始めとした風紋などの技術と、氏神様――風神への信仰である。毎日心からのお祈りを捧げる吹羽は、間違いなく敬虔な宗徒と言えよう。彼女は知る由もないが、吹羽ほどの信仰心は風成家の歴史の中でも希に見るものである。

 そんな彼女が、改宗など間違ってもするはずはないのだ。

 

「へぇ……因みに、吹羽ちゃんはその神名を知ってるんですか?」

「勿論ですよ! ボクが信仰しているのは

級長戸辺命(しなとべのみこと)”様。風と盲目の、古い神様です」

「しなうすさま?」

「しなとべさまです! なんですかその入荷が間に合ってない感じの名前……」

 

 全くもう、と吹羽は口をへの字に曲げる。

 氏神様をそんな幸薄そうな名前に間違われた事は誠に遺憾ながら、これ以上話を引っ張るとそれ以上のトンデモアイデアが飛び出そうな気がしたので、吹羽はさっさと話を進める事にした。

 

「ボクの一族がこんなにも風を重んじるのも、そもそもは氏神様への信仰のためなんですよ」

「ふぅん……一族郎党全てで以って、長い間一柱のみを信仰するって、中々すごい事ですね」

「? そうですか?」

「そうですよ。外の世界では、宗教としては大抵どこの家も同じで“仏教”なんですよ。偶に他の宗教を信仰する人がいますが、そういう人は時々腫れ物扱いされる事もあります。まぁ、私はそんなことありませんでしたが」

「……幻想郷で言う、“龍神信仰”と同じってことですか」

「そういうことですね」

 

 早苗の例えで言うところの“仏教”が龍神信仰、“他の宗教”が風成家の風神信仰である。

 宗教に限らず、大多数の中に埋もれた少数というのは圧殺されやすい。人間とは圧力に弱いものであり、こと幻想郷民(日本人)に関しては人種柄からして周囲に流されやすいからだ。

 その圧倒的大多数(龍神信仰)の中で貫徹してきたその信仰心を、早苗は“想像を絶するものだ”と語る。

 

「うーん、実感が湧かないです……。ボクはただ風が好きなだけで、それを司る神様を尊敬しているだけっていうか……」

「それこそが真の信仰心ってものですよ。ただ家教だからと信仰するのではなく、そして心から風が好きだと言うのなら、差し詰め吹羽ちゃんは“風神に魅入られた風の御子”ってことですよ、きっと!」

「風神に魅入られた……風の、御子……」

 

 ――相変わらず、実感はない。

 吹羽は本当にただ風が好きなだけで、意識して風神を信仰している訳ではないのだ。

 だが、吹羽よりも神というものに理解のある早苗がそう言うのなら、頭の片隅に置いておく程度には覚えておこう、と吹羽は思った。

 自分はひょっとしたら、風神様の加護を受けているのかもしれない――と。

 

「あ、見えてきましたよ吹羽ちゃん!」

 

 前方へ視線を向けながら、早苗が声を上げる。

 つられて見ると、木々の中に悠然と佇む神社が視界に映った。

 数日前に訪れたばかりだと言うのに、何処か懐かしさすら感じるその雰囲気。

 ――守矢神社だ。

 

「さ、中でお二人がお待ちです!」

「……はい」

 

 本物の神様が、一体ボクに何の用だろう? 何か怒られたりするのだろうか。

 心内で戦々恐々としながら、吹羽は早苗の後について境内へと足を踏み入れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 二柱の神は、居住スペースにある居間にて吹羽と早苗の到着を待っていた。

 神奈子は卓袱台を前に胡座をかき、諏訪子はそこから繋がる縁側で脚をぶらつかせている。

 どちらも黙しながら自由にしていたものの、彼女たちの到着を心待ちにしていたことには違いがない。

 

 そもそもはただの暇潰しだった。

 気まぐれに思い出して気まぐれに興味を引き、気まぐれに考え付いただけである。

 早苗に少女を呼びに行かせたものの、大仰な話をする訳では無いのだ。ただ興味に惹かれて、神奈子も諏訪子も内心では少しだけそわそわとしていた。

 

 そうして遂に――、

 

「――来たか」

 

 薄く開いた両の目に、相変わらずの笑顔と不安気な表情が映り込む。

 その小柄な少女は、早苗に促されて目の前にストンと座った。その白く細い首に掛けられたペンダントが、彼女が目的の人物であることを二人に知らしめる。

 早苗はその少女の隣へ。気が付いた諏訪子は神奈子の隣へと腰を下ろした。

 

「(……?)」

 

 ――妙な感覚があった。

 目の前にいるのは、早苗が連れて来た年端もいかない少女……なんなら幼女と言っても過言ではない。幾ら早苗にそう命じたのが自分達だと言っても、神である神奈子と人間の少女では対面する機会など皆無に等しい。明らかに初対面である。

 なのに――何処か見知った者のように感じるのだ。

 既視感という訳ではない。だが、彼女を見たことがあるような小さな違和感を覚える。言うなれば、なんとなく他人の気がしない(・・・・・・・・)のだ。

 

 その僅かな違和感に、神奈子は無意識の内に怪訝な視線を少女へと送る。するとそれに気が付いたのか、少女が少しだけビクついたのが見えたので、神奈子はハッとして視線を緩めた。

 不思議な雰囲気の少女ではあるが、中々どうして可愛らしい反応をする。怖がらせたら可哀想だと、神奈子は密かに気を付ける事にするのだった。

 

 そうして神奈子が心の内で覚悟するのとほぼ同時。

 口火を切ったのは――早苗。

 

「ご紹介します! こちら、風成 吹羽ちゃんです!」

「え、えと……風成 吹羽、です。よろしくお願いします……」

「……私は八坂 神奈子。大和の軍神にしてこの守矢神社の主神だ。よろしく」

「わたしは洩矢 諏訪子だよー。よろしくねー」

「は、はいっ」

 

 吹羽は諏訪子の様子を見て、何処か安堵したように表情を緩めた。

 諏訪子はこれでも馴染みやすい性格をしている。見た目では歳近いこともあって、彼女の存在に安心したのかもしれない。

 普段なら“神の威厳は何処へやったのだ”と咎めるところなのだが、今回ばかりは効果的だったらしい。

 

 ……まぁ人間の前に神が二柱もいるのだから仕方ないことなのかも知れないが、あまりこちらを怖がられていてもいろいろ不便なので。

 

「そんなに緊張しなくて大丈夫さ、風成 吹羽。私達はただ、お前と少し話してみたくなったから呼んだだけなんだ。気を楽にしてくれ」

「は、はぁ……そう、なんですか」

「神というのは気まぐれなものでね、己の興味には素直なのさ」

「へ、へぇ……」

「……ふむ、まぁその内気もほぐれるよ。諏訪子、ちょっと茶菓子でも出してくれないか?」

「へ? なんでわたしが? 早苗にやって貰えばいいじゃん!」

 

 不満気に訴える諏訪子に、そっと耳打ち、

 

「早苗がいなくなったら吹羽が心細くなるだろ。いいから持って来てくれ」

「ぶー……はーい」

 

 とぼとぼと台所へと歩いていく諏訪子を見送り、神奈子は視線を吹羽へと戻した。

 やはりこの場において早苗の存在は大きいらしく、彼女の服の裾を摘んでいるのが机越しでも微かに見える。

 

 諏訪子を待つ必要も特にないので、神奈子は早速話を切り出した。

 

「さて、大した話をするつもりもないが、吹羽。話を聞かせて欲しいんだ」

「えっと……何の話を、ですか?」

「そうだな……取り敢えず、君の家系のことについて、聞かせてもらおうかな」

 

 ペンダントのことも含め、神奈子の興味は吹羽の家系にも及んでいる。

 先ずはその話を聞いてみようと神奈子が促すと、吹羽はゆっくりと話し出した。

 

 自分が――“風成”という一族がどんな家であるのか。受け継いできた鍛治技術のこと。風紋という特別な彫刻のこと――。

 茶菓子を持って戻ってきた諏訪子も加わり、三人は吹羽の話に聞き入っていた。

 特殊な家系なのだろう、簡単に概要を聞いただけでも、話に聞く人里の一般的な家とは成り立ちからして違うのが分かる。

 

 百年……否、千年積み重ねてきた歴史。

 彼女が受け継いできたあらゆるモノは、その長き歴史そのものといって過言ではないだろう。洗練された技術、そして彼女が“氏神様”と呼ぶ古き風神への信仰。

 外の世界にこれ程古い習わしを尊ぶ者がいたならば、きっと神奈子たちはこの世界へと引っ越してくる必要もなかったろう。

 

 ――なればこそ(・・・・・)

 

 その尊き歴史の中で、あの古いペンダント(神器もどき)がどのような立場にあった品なのかを、気にするのは当然のことと言えよう。

 

「では、そのことを踏まえて尋ねよう、吹羽。その首にかけているペンダント……それはなんだ? なぜそんなものを君が持っている?」

「ペンダント……これのことですか?」

 

 首にかけたそれを、吹羽は掌で掬うように持ち上げる。彼女の瞳と同じ翡翠色をしたその勾玉は、縁側から差し込む光に鈍く光っていた。

 ……確かに、あれほど微量な神力では早苗が気が付かないのも無理はない。

 そも神器として機能しているのかどうかすら危うい程だ。せいぜい高位の神にその存在を知らせる――所謂マーキング程度の効果しかなさそうなものだが。

 

「これは、ボク達一族が代々受け継いできた首飾りです。当代の当主が、肌身離さず持ち歩くものですよ」

「当主っ!? え、吹羽ちゃんってお家の当主なんですかっ!?」

「ぁ……いえ。訳あって、ボクは持ってるだけで……現当主は……お父さんです」

 

 そう語る吹羽の瞳に映る、物悲しい光。

 蒸発か、死亡したのか、神奈子には当然知る由も無い。だがその光の中に神奈子が見たものは、冷え切った心の孔のように思えた。

 

 踏み込んではいけないこと、なのだろう。

 神奈子は僅かに視線を上げて早苗を見やると、その目力で以って彼女の言葉を押さえ込む。彼女もそれが分かったのか、開きかけていた口を閉じる瞬間だった。

 この話題を広げる事は、吹羽にとってきっと良くない。

 

 その思考を汲み取ったのか、隣で茶菓子をぱりぱりと咀嚼する諏訪子が、それを飲み込まぬままに言葉を紡ぐ。

 

「ふーん、受け継いできた首飾りか……。まぁ、名家ってんなら不思議なことではないね。受け継ぐからこそ名家っていうんだし。他にも何か、そーゆーものとかはあるの?」

「他には……ああ、一つありますよ。伝承――というと大袈裟ですけど、お伽話みたいなものが」

「えーっと、夜眠る前に話してもらうような物語……って事ですか?」

「まぁそんなものです。ボクも昔お母さんに話してもらいました。……聞きます?」

「ああ、是非頼む」

 

 神奈子の言葉に、吹羽はこくりと頷く。

 その小さな口をゆっくりと開くと、まるで唄い上げるように、こう語り出した。

 

「昔々ある山奥に、とても小さな村がありました――」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 そこは争いごとも少なく、小さいながらも人々の活気に満ち溢れた良い村でした。

 木を使っては家や薪を作ったり、近くの川から水を汲みあげたり、お互いに助けあいながら平和に暮らしていたのです。

 

 人々が安心して暮らせていたのには、理由がありました。

 それは、村長の男が神様のような不思議な力を使えたからです。

 

 雨風が激しければ雲を吹き飛ばし、人々が暑さに苦しめばそよ風を吹かせ、「いぎょう」が現れればその風の力で人々に加護を与えました。

 人々はその御加護を以って、平和に暮らすことができたのです。

 村長を、人々が本物の神様(・・・・・)としてあがめ始めたのも、無理からぬことでした。

 

 ――ある日のこと。

 村に一つの「いぎょう」があらわれました。

 

 姿形こそ人間のようでしたが、その美しさはどこかヒトとはかけ離れていて、何よりも今まで追い払ってきた「いぎょう」とは明らかに格の違う強さでした。

 しかし、それでひるむ村人ではありません。

 人々は加護を受け取って、今まで通りに立ち向かいました。

 

 槍でツきました。剣でキりました。斧でツブしました。果てにはその身を囮にして首をオトしました。

 そして村人は――たくさん、たくさん、タベられました。

 

 ナニをしても斃れないその「いぎょう」は、きょうふに立ち尽くす人々の前で、真っ赤に染まったクチをにたりと歪ませると、こう言い残して去りました。

 

 また来るぞ――と。

 

 二度目に来た時、「いぎょう」は人々にこう言いました。

 

 村で一番美味い者をだせ。さすれば民の命は見逃そう。

 

 人々は大慌てで話し合いを始めました。ですが、“誰がイケニエとなるか”などという話が簡単にまとまるはずもありません。

 飛び交うのは保身のために武器と化した罵詈雑言と、仲間に対する命乞いばかり。

 そうして“そろそろ「いぎょう」が痺れを切らす頃だ”とだれかが言い始めた頃、遂に名乗りを上げたのは村長でした。

 

 「いぎょう」は村長を褒めました。

 勇敢な人間。ただタベるのは勿体無いくらいだ、と。

 そして同時に嘲りました。

 愚かな人間。分際も弁えぬとは余程おつむ(・・・)が弱いらしい、と。

 

 しかし、そんな「いぎょう」に村長は言います。

 誰が喰われてやるものか。民が殺される所を黙って見ている長など、あっていいはずがないだろう、と。

 

 ――ならば、どうする?

 ――勝てたなら、好きにするがいい。

 

 「いぎょう」は声高らかに笑って、嗤って、最後に静かに嘲笑(わら)いました。

 きぃきぃと響くような不気味な笑い声は、それを聞く人々の心を抉り取っていくようでした。

 

 「いぎょう」はつめたい瞳で村長を睨み付けて言います。

 身の程を知れ。人間一人なぞに何ができると言うのか。

 村長は決意に満ちた瞳で、「いぎょう」を睨み返して言います。

 簡単に諦められる命なぞ存在しない。民のために命を尽くすのは自分の使命だ。

 

 そんな村長の姿勢に、「いぎょう」は思い直しました。

 村長を殺してから民を喰らってやろう、と。

 「いぎょう」は村長の折れない意思を、無理矢理にへし折りたくなったのです。

 そうして、「いぎょう」はもう一度だけ来ると言い残して去っていきました。

 

 三度目に来た時、「いぎょう」は村長と戦いました。

 

 「いぎょう」は不気味な力を用い、村長は民に加護を齎した不思議な力を用い、鎬を削ります。

 ――村長と「いぎょう」の力は、ほとんど互角でした。

 傷を付ければ傷を受け、吹き飛ばされれば吹き飛ばす。

 お互いに傷付きすぎた村長と「いぎょう」は何度目かの衝突の後、こんな約束をしました。

 

 ――どちらかがどちらかに殺されるまで、死なないこと。

 ――どちらかがどちらかに殺されるまで、“それ以外”を手に掛けないこと。

 ――決着が着くまで、何度でも戦うこと。

 

 もう、どちらも限界だったのです。限界であったにも関わらず、お互いはお互いの底を見てみたいと願ったのです。

 幾度も言葉を交わし、力を交わすうちに芽生えた、奇妙なキズナだったのでしょう。互いが互いを望み、燃え上がりながら衝突するその様は、まるで互いの身体を貪り合う男女の情事のように苛烈で熾烈で、時に惨くさえありました。

 

 ――そうして二人は、何度も何度も戦いました。

 互いに傷付けば力尽き、傷を癒せばまた戦う。二人の関係は苛烈なものへと変わっていきましたが、村の平穏はそうして守られました。

 そして「いぎょう」も、村の存在を村長と戦う理由にすら挿げ替えてしまっていました。

 

 ――しかし、その時は来るべくして来たのでした。

 

 もう戦った回数は分かりません。

 ただ習慣として(・・・・・)衝突しようとしていた二人の内、ぱたりと倒れたのは村長の方でした。

 

 「いぎょう」は思いの外悲しくなりました。

 それは二人の間に奇妙なキズナが生まれていたからこそだったのでしょう。

 駆け寄った「いぎょう」に、村長は掠れた声でこう言いました。

 

 最後の頼みを、どうか聞いて欲しい。

 私の民たちを、見守ってやって欲しい――と。

 

 それは二人の馴れ初めからは考えられない言葉でしたが、「いぎょう」は決して拒みませんでした。その手を取って、約束したのです。

 そうして村長は「いぎょう」の腕の中で息を引き取り、長かった戦いに決着が着いたのでした。

 

 それからというもの、村長の残した村は「いぎょう」の強大な力に守られて、末永く平和を謳歌し続けました。

 それは、二人の戦いを知るものが潰えた後も絶えることはありませんでした。

 信頼した――してしまった村長の遺したものを、「いぎょう」はその力の及ぶ限り大切に守り続けたのです。

 

 そうして、民達は影から「いぎょう」の力に守られながら、いつまでも平和に暮らしましたとさ。

 

 めでたしめでたし――。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「うーん……なんというか――」

 

 と、初めに声を上げたのは諏訪子だった。

 何処か不思議そうに手を顎に当てる彼女は、虚空を見つめながら、

 

「お伽話っぽくないねぇ、ソレ」

「えぇ……第一声で否定されちゃうの……?」

 

 諏訪子の怪訝そうな声に、吹羽は不納得そうな表情で呟く。

 確かに、“お伽話のようなもの”として聞かされてきた物語が否定されればそうなるのも無理はないと思うが、神奈子としては諏訪子の言葉の方にも共感があった。

 なにせ今吹羽が語った物語は、お伽話というにはあまりにも――、

 

生々し過ぎる(・・・・・・)、な。少なくとも、本来のお伽話のような楽しく愉快な雰囲気ではない」

「確かに……“赤ずきん”とか“かちかち山”とか、代表的なお伽話とは少し毛色が違いますよね」

 

 早苗の補足に、神奈子も諏訪子も黙して頷く。やっぱり吹羽は納得出来ないように唇を尖らせているが、今度は何も言わなかった。

 

 お伽話というのは比喩的な現実離れした、所謂人の空想を描いた物語だ。

 例えば動物が人間の言葉を解したり、小人が鬼を倒したり。大人になってから見ればその裏の残酷な描写が浮き彫りになったりもするが、基本的にはそれを表出させずに巧みな表現で面白おかしく描くことが多い。

 

 しかし吹羽が話したお伽話は、「いぎょう」などという空想――“妖怪”だと考えれば幻想郷的には空想ですらない――が登場はするが、それに対抗して人が死んだり、力を持ったものが代表してそれを押さえ込んだり、凡そお伽話にあるような空想とは思えない描写が多々あった。

 そう、それはお伽話や伝承というよりはむしろ――、

 

神話(・・)、かな。少なくともお伽話ではないと思うよ」

「神が作ったお話は大体神話って呼ばれるからねぇ。まぁ、“神側が勝利して大団円!”って結末じゃないのは少し引っかかるけど、まぁその村長? 神? が自分の権威を知らしめるために作った話なのかもね。察しはつくけど、その村ってあんたの一族のことでしょ?」

「恐らくは……そうだと思います」

 

 須佐之男命の八岐大蛇退治然り、伊弉諾と伊弉冊の国産み然り、神話というのは登場する神々の言わば武勇伝を語る。それは、神話というものが神々の信仰の根元に当たるからだ。

 どんな人間も、御利益や権能すら分からない神を信仰しようとは思わないだろう。人望や権威に関せば、それはただの人間にも言えることだ。

 恐らく吹羽の家に伝わる物語は、その村長とやらが己の権威を絶えさせないために創ったものだろう。

 もしくは、かの氏神とやらが何らかの理由で創ったか……。

 

 神奈子は煮え切らない思考にそう結論付けると、一休みとばかりに盆から煎餅を一つ摘んだ。

 甘めの味付けだ。正直に言ってあまり好きでない味。神奈子は僅かに顔を顰めた。

 

「ん〜……なんか、違和感がありませんか?」

 

 ――と、唐突に首を傾げて言ったのは早苗だった。

 

「えっと、何処がですか?」

「言いにくいんですけど……例えば、なんで村長は負けてしまったのでしょう?」

「そりゃ、限界が来てたからって……」

「でも、傷を癒してから戦ってたんですよね? 何度も全快で戦って引き分け続けて……そんな村長が、いくら能力を使えるからって突然ぱたりと死んだりしますか?」

「…………言われてみれば、そうだな」

 

 確かに、よく考えれば物語の決着が少しばかり雑なように思う。間を切り取って無理矢理くっ付けたかのような強引な所があるのだ。

 傷を癒して戦い、それでも幾度となく引き分けて来たというのなら、ある一点において突然片方が力尽きるのは不自然だ。

 確率というものは収束する。回数を重ね、お互いの手の内を知り、無意識のうちに対処法も確立していたであろう二人の間で、“偶然その時に致命傷を受けた”というのも考え難い。

 ……まぁ、所詮は創作物なのだから雑味があっても仕方ない、と言われればそれまでなのだが。

 

「ま、考えても仕方ないよ! 人ン家の言い伝えの粗探しなんて趣味がいいとはいえないからねっ」

「……それもそうだな。ここまでにしようか」

 

 何処か声音に興味の無さが滲む諏訪子の言葉に、しかし神奈子はすんなりと同意した。

 決して興味が失せたわけではない。単純に諏訪子の言い分が正しかったのと、もうそろそろ日も沈む頃合いだからだ。

 早苗には夕飯の仕度をしてもらわなければならないし、何より吹羽を家に帰さなければならない。

 これ以上引き止めたら、帰り道が暗くなってしまう。この幼女にそれはいけない。

 

「さ、というわけで今日はお開きにしようか。今日は楽しかったよ、ありがとう吹羽」

「はぇ!? い、いえいえそんな! ボクの方こそお話できて光栄でしたっ」

 

 ――風成家、か。

 ぱたぱたと慌てる目の前の可愛らしい少女を見て、神奈子はぼんやりと考える。

 風紋といい神話といい、面白そうな人間がいたものだ、と。

 それは諏訪子も同じだったようで、吹羽を見つめる彼女の瞳は、新しいおもちゃを見つけたかのような無邪気な光が宿っていた。

 

「(偶に目を向けてみるのも、いいかもしれないな)」

 

 そんなことを思いながら、神奈子は瞑目ながらにくすりと笑った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――まぁ、そうは言っても、である。

 

 二人の“人生”という名の糸が数日前に交わったその瞬間から、その酷愛ぶりと言えば霊夢をして引くほどのものであるからして。

 ただ己が信奉する神の御言葉だからと自らの家に招くだけ。それでさえジェットコースター顔負けの乱雑飛行で喜びを体現していたくらいなのだから、あの彼女がそう易々と引き下がる訳もなかったのである。

 まぁ何が言いたいのかと言えば。

 

 ――若干一名、吹羽の帰宅を良しとしない者が現れたのだ。

 もうお察しである。

 

「もっとここにいて良いんですよ吹羽ちゃん……! 外は危ないですし、私が守ってあげられますよ……?」

 

 そんな嘆きにも似た声が玄関に響く。

 僅かに濡れた声音でそう訴える早苗は今にも泣き出しそうな表情で、去ろうとする吹羽を非物理的に引き止めていた。

 ここは玄関である。故にあと一歩前に踏み出せればもう外なのだが、足を動かそうとすると早苗がくしゃりと顔を歪めてしまうので中々動き出せない。

 いっそのこと早苗のことが大嫌いだったなら良かったのに――なんて、吹羽は潤んだ瞳で見つめてくる早苗を困った顔で見遣った。

 

「だ、だから今のうちに帰るんですよ? 暗くなっちゃったら山は降りられないですし……」

「でも、でも私まだ吹羽ちゃんとお話し足りないですよ! せっかくウチに来てくれたのに……!」

 

 それは吹羽だって同じだ。

 振り回されるのは苦手なのだが、早苗と会話すること自体に嫌悪感など全くない。むしろ、突拍子も無い言葉が飛び出す早苗との会話には面白みすら感じるのだ――ただし“疲れない”という訳ではない――。

 

 だが、明日も当然仕事がある。今日が偶々暇になっただけであって、そも依頼が破棄されなかったらここに来ることさえもなかったのだ。

 公私混同などしないに越したことはない。何より鍛治業も吹羽が好んでやっていることだ。ここはグッと我慢しなければなるまい。

 ……まぁ、それが理解させられるなら早苗に振り回されることなどないのだろうが。

 欲望に忠実な彼女が納得するとは、到底思えない。

 

 ――さて、どうしよう?

 

 そう思った直後、救いの声は早苗の背後から聞こえてきた。

 

「早苗ぇ、吹羽のことが大好きなのは分かったけど、良い加減にしないと本当に帰れなくなっちゃうよ。それとも、そうやって時間稼ぎでもしてるのかな?」

「じ、時間稼ぎっ!? そんなこと全然っ、ぜんぜん考えてないですよっ!」

「なら勘違いされる前に、引き下がったほうがいいんじゃない? 嫌われちゃうよ?」

「うぐぅっ!? そ、それは……!」

 

 何処か大人びた雰囲気の語りで諭すのは、何を隠そう守矢の一柱、洩矢 諏訪子だった。

 まるで我が子のわがままを華麗な口車で絡め取る母親のようなその諭し方は、吹羽が理想とするところの“大人”そのものである。

 さすがは神様。見た目は幼くとも年季が違う。万一改宗するのならこの神様を信仰するのも良いかもしれない。

 吹羽は無意識のうちに羨望の眼差しを向けるが、当の諏訪子は気にした風もなかった。

 

「さ、という訳でもうお帰り吹羽。またいつでも来て良いからさー♪」

「あ……はい。ありがとう、ございます。諏訪子さん」

「いいっていいってぇ〜♪ それに“さん”なんて硬っ苦しいし、なんなら“すわっち”とかでも良いよ?」

「そ、それは流石に……でも、またおじゃまさせて貰いますね」

「はいよーっ」

 

 ――これでやっと帰れる。

 吹羽は心の内で諏訪子に言葉以上の感謝の念を抱きながら、今度こそ扉の方へと振り返った。

 今度来た時には何かお菓子でも持って来てあげよう。諏訪子がなんの神様なのかを吹羽は知らなかったが故に、お供物(ほんの気持ち)として何が適するのかも見当を付けかねるが、先程食べていた甘めの煎餅でも持って来れば的は外すまい。

 なにせ、“ほんの気持ち”なのだから。

 

「それじゃ、またいつか」

 

 そう言って、一歩踏み出す。

 日はまだ落ちきってはいないが、もう一時間もすれば空は暗闇と星々に包まれて前も見えないだろう。妖怪の時間の始まりである。

 吹羽は一つ深呼吸をして、未だ整備の行き届いていない参道を見る。

 今ならまだ、走れば間に合う筈だ。

 

 そうして脚に力を込めて――、

 

 

 

「やっぱり待ってください吹羽ちゃんッ!」

 

 

 

 ――引き止めた声は、やはり彼女のもの。

 

「そうですよね。吹羽ちゃんにもお仕事がありますし、あまり粘着質なのも鬱陶しいとか気持ち悪いとかまじありえないんですけどコイツ引くわーとか思うかもしれません。しかしですッ!!」

 

 いや、そこまで酷いことは考えてないけれど。

 出かかった声を、喉元で食い止める。

 

「それでも私は言います! 吹羽ちゃん、今日はウチに泊まっていってください!」

「え、えっとぉ……ですからお仕事が……」

「朝私が家まで飛んで送ります! ここに来た時のように!」

「でも迷惑じゃ……」

「そんな滅相も無いです! むしろ私が頼んでいる側なんですから迷惑なんて思うわけありません!」

「う、ん……」

 

 ――ちらりと見やったその先には、やれやれと両手を翻す諏訪子の姿。

 どうやらこうなった早苗は諏訪子でもどうにもならないらしい。

 

 早苗の表情は何処か決意に満ちている気がして、これ以上断るのもなんだか悪い気がしてくる。

 純粋過ぎるのも考えものだ、とは早苗を見てきて幾度となく思ったことだが、ここまでするのは一体どうしてだろう?

 やっぱりその……好き、だからなのだろうか。それとも、何か話したいことでもあるのだろうか。

 

 益々去りにくくなってしまった空気に内心では苦悩していると、

 

「だから吹羽ちゃん。保留しておいた“お願い事権”、私はここで使いますよっ!」

「(ああ――……)」

 

 ――逃げ道、なくなっちゃった……。

 

 

 




 今話のことわざ

 なし

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