風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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第十四話 友と幸

 

 

 

 ――時々こうして、夢を見る。

 

 夢というのは継ぎ接ぎだらけで、例えば怖いもの・事象を無理矢理繋ぎ合わせて投影するだけだったり、嬉しかった事や楽しかった事を脈絡もなく縫い合わせて、迷い込んだ者を甘美な幻想へと溺れさせたり。

 それは良くも悪くも、猛烈な波濤の如く迫ってくる。大抵の場合は気が付くことも不審に思うことも出来ず、ただ身を任せて流されるだけだ。

 ある意味きっとどこまでも甘い世界で、でもときどき怖くて狂いそうになる――そんな不思議(不気味)な世界のことを、吹羽はとにかく、“夢”と呼ぶ。

 

 

 

『ほぉらふーちゃん、ご飯が出来たわよ〜』

 

 

 

 ただ、彼女が見るのは幻想ではない。

 そんなものを見るよりももっと多大な頻度で、吹羽は再び集めた欠片(・・)の夢を見る。

 それはパズルのようでもあり、鏡のようでもあり、だが決して完成はしない噛み合わぬ記憶。未だ多くの孔があり、それを直す術も、今のところは存在しない。

 ――否。本当は……取り戻すのが、怖かった。

 

 

 

『お、筋がいいな吹羽。さすがだなぁ』

 

 

 

 夢に見るのは孔だらけの記憶。継ぎ接ぎばかりでとても寂しい思い出の欠片。でもそれを取り戻してしまうと、何故これを忘れていたのかと責められるようで、やっぱり怖いのだ。

 楽しい記憶。嬉しい記憶。悲しい記憶。悔しい記憶。

 完成されたものは、一つとしてない。何処かがやっぱり空いていて、絶え間なく隙間風が吹き込んでくる。そして夢の中にある吹羽はいつも、その冷たさに、凍えそうになる。

 なんで、こんなことに――と、もう何度思ったことだろう。

 

 

 

『おいで、吹羽。お前の好きな鯛焼きでも買いに行こう』

 

 

 

 ああ、寒い。寒いよ。どうして皆居なくなっちゃったの? どうしてボクはこんなにも忘れているの?

 思い出せない。見つからない。

 きっともっとたくさんの思い出があったはずなのに、たくさんの暖かさを貰ったはずなのに。忘れてはいけないことが、たくさんあったはずなのに。

 

 夢の中で繰り返すのは、いつだって同じ問いだった。答えが出たこともないけれど、どうしたって問わずにはいられない。

 だって、こんな理不尽を受け入れられるほど吹羽は大人じゃない。大人らしくあろうとしてはいるけれど、大人になれた(・・・)訳じゃないことを、誰よりも自分が分かっているから。

 

 残された一人の幼子に出来るのは、ただ帰りを待つことだけ。帰ってくると信じることだけ。

 記憶の欠片を脳裏に映しながら最後に辿り着く妥協点(・・・)は、結局いつも、それだけだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ぅ……ん――……」

 

 重い瞼を持ち上げると、そこには障子の開け放たれた縁側が広がっていた。

 日の差す木造りの縁側はポカポカと暖かそうで、冬の訪れを僅かに感じさせるこの時期にはとても気持ち良さそうだと、吹羽は微睡む意識の中でぼんやり思った。

 

 ――はて。此処は何処で、何故自分は寝ていたのだろう?

 

 意識の片隅でふと疑問に思うと、あとは自然と眠気が覚めていく気がした。勿論まだ眠いし瞼も多少重いのだが、また眠ってはいつ起きれるかが分からない。

 吹羽は至極ゆっくりと、横になっていた体を起こす――が、直ぐにまたパタンと横に倒れた。

 

「(あうぅ……やっぱりまだ枕が恋しいよう……)」

 

 頭の下に敷かれた枕は、二つ折りにした座布団だった。ついさっきまで頭を乗せていたため人肌程度に温かくなっており、ふかふかとしたその感触との組み合わせもはや暴力的。下は畳なので少し痛いが気にするほどの苦痛でもなく、まるで「もう少し寝ていようよ」と、耳元で甘く優しく囁かれているような感覚だった。

 アレだ、寝起きによくある誘惑だ。

 目が覚めたばかりで寝惚けているためか、今の吹羽にはその誘惑に抵抗するほどの精神力が残っていなかったのだ。瞬間ノックアウトである。

 

 っていうか、こんな明るい時間に寝ているといたということは、どういう訳だか仕事が終わった、もしくは無いということであって、別に今起きなければならない理由などそもそも無いし、故に次に起きるのが何時だろうと別に構わないのである。

 だからこのまま二度寝と洒落込んだところで影響などなく、吹羽はこのまま気持ち良〜く眠りの海に身を沈める事が出来るという訳だ

 今なら言える。二度寝、万歳!

 

「(はふぅ……きもちーですぅ……)」

「ちょっと、また寝る気? 起きたばっかりでしょうが」

「ッひゃんっ!?」

 

 突然上から掛けられた声――と同時に襲い来た脇腹への刺激に、吹羽は可愛らしい声を上げてびくんと跳ねた。

 感触から察するに指先で僅かに脇腹を突かれただけだが、完全に気を抜いていた吹羽には効果絶大であった。

 そして当然、それだけで終わるはずもなく。

 

「あっ、ちょ、あはははっ! ま、待ってくださ――はひっ!?」

「ほらほら、寝てばっかりだと成長しないわよー?」

「ひゃぁあっ!? わ、分かりましたからぁっ! 起きますからっ、まって、くすぐらな――ふあっ、あはは! やぁ、そこ弱いんです、ようっ!」

 

 脇腹から怒涛の勢いで駆け上がる“ぞわぞわ感”に、吹羽は抵抗することも出来ず必死に悶え苦しむばかり。

 コチョコチョの主犯である友人――霊夢へ向けて必死に抗議するも、彼女は全然やめてくれない。どころか、吹羽をくすぐる事に味を占めたのか更に攻めが激しくなっていく。

 

「何これ面白いわね……じゃあ、こことかどうよ?」

「ひっ!? や、やめっ、そこつねっちゃ――は、はわっ……も、らめ、れすぅ……っ」

「……あら?」

 

 霊夢の無慈悲極まる()烈なくすぐり攻撃に、遂に吹羽は陥落した。

 くたりと荒い息遣いで霊夢へ寄り掛かる彼女は、もはや息も絶え絶え、寝起きにも関わらず汗をかいて頰を紅潮させている。必死だった所為か意識も視界もぼんやりと虚ろだった。

 っていうか、あと少しで本当に酸欠になるところだったんですけど。限度を知らないのかこの人は。

 

「……やり過ぎた?」

「はぁ……はぁ……やりすぎっ、です……っ!」

 

 せめてもの抵抗に睨み返してみるも、霊夢はいつものように気にした素振りも無く、無言でわざとらしく笑うだけだった。

 ――仕方ない、起きよう。

 どギツい目覚ましのお陰で眠気は吹き飛んでいる。今すぐ横になれば寝れないこともないが、そこまでして二度寝に拘ったりしないし、くすぐり攻撃が何より怖い。霊夢を再びあの凶行に走らせたら今度こそこちらの身が保たないと既に確信していた。

 吹羽は学習できる子なのだ。

 

「(――って、ここ博麗神社か)」

 

 霊夢の膝上からぼんやり眺めた景色は、古風の中に神聖さを感じる、博麗神社の境内だった。ここはその中の居住スペース――霊夢が普段過ごしている居間である。

 

 そうだ、目が覚めて思い出した。

 吹羽は覚醒し始めた頭の中で思い返す。今日は依頼されていた仕事が急遽破棄され、久しぶりに暇になったため神社に遊びに来たのだ。

 しばらく霊夢と談笑していたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 疲れていたのだろうか? 前に霊夢から“根を詰めすぎるな”みたいなことを言われたが、知らぬ間に無理をしていたのかもしれない。

 話していた相手が寝てしまったら、彼女が機嫌を損ねるのも頷ける。少々悪いことをしてしまったと、吹羽は少しだけ申し訳ない気持ちになって俯いた。

 

「ほら、涙拭きなさいよ」

「……え? ……あ、はい。ありがとうごいます……」

 

 不意に聞こえた“涙”という言葉に、吹羽は内心どきりとした。それは夢のことを思い出したからで、まさか自分は泣いていただろうか、と少し不安になったからである。

 いや、くすぐられた所為で出た涙に決まっている。でも――。

 言いながら簡素な柄の布巾を渡してくる霊夢に他意はなさそうだったが、万一にでも“夢のこと”を知られたくない。特に、霊夢と阿求には。

 吹羽はその不安を吐き出すように、しかし悟られないように気を付けながら、呟き気味に問い掛ける。

 

「あの、霊夢さん……」

「ん?」

「ボク……何か寝言、言ってました?」

「寝言? ……いや、特に言ってなかったと思うけど」

「そ、そうですかっ。ならいいです!」

「?」

 

 良かった、と吹羽は胸を撫で下ろす。

 何せ、霊夢にも阿求にもこれ以上心配を掛ける訳にはいかないから。

 二人には今まで散々と世話をしてもらった。きっとこれからもその時々で助けて貰う事になるだろう。だからこれからの吹羽に出来ることは、「もう大丈夫ですよ」と行動で語り、二人をでき得る限り安心させる事。

 ずっと前から、決めていたことだ。

 それが例え――空元気なのだとしても。

 

「ところで――」

 

 言いながら、机を挟んだ向こう側へと目を向ける。

 話題を変えるのには御誂え向きとも取れるような光景がそこにはあった。

 遠慮なく乗っからせてもらおう、と吹羽はちょっぴり打算的に話を振る。

 

「……そっちで蹲ってるの、文さんですよね? どうしたんです?」

「ああそれね。何してんのあんた」

「うっ、うぅ……お二人のじゃれ合いが思いの外高威力でして……ぼ、暴発(・・)しそうになってるだけですので、お気遣いなく……」

「?? そう、ですか」

「…………?」

 

 何やら鼻を押さえて震えているが、本人が大丈夫と言うのなら大丈夫なのだろう。

 何に悶えているのか分からない吹羽には、取り敢えずそうして割り切るしかない。

 そんな文を眺める霊夢もどこか訝しげに眉根を寄せていたが、すぐにいつもの澄まし顔に戻っていた。

 

 ――そういえば、最近は本当によく文と顔を合わせている。ひょっとしたらほぼ毎日遭遇しているのではないだろうか。

 無論会いたくない訳ではないし、むしろもっと親睦を深めたいところではある。だがそれにしたって毎日顔を合わせているとなると、何か作為的なものを感じるのは当然のことだろう。まぁ、文は里に来る時には羽などをちゃんと隠しているので、別段問題がある訳ではないのだが。

 とにかく、深く考えても仕方がない。きっと文も吹羽と同じ気持ちで、仲良くなりたいだけなのかも知れないし。

 吹羽はそうして、半ば投げやり気味に結論付けた。

 

「何に堪えてんのか知らないけど、あんたホントに何しに来たのよ? あ、返答次第では叩き出すからね」

「手厳しいですねぇ……遊びに来たではダメなんですか?」

「本当に遊びに来ただけなら何も言わないけれど……。年中ネタを探して飛び回ってるあんたが、わざわざ遊びに来たりするのかねぇ?」

「ふむ……ああ、つまり叩き出す条件と言うのは“取材に来た場合”って事ですねっ! なるほど、じゃあ(・・・)私遊びに来ただけです!」

「――あ? はっ! カマかけられた……っ!?」

「(……あの霊夢さんを、出し抜いた……? 文さん、思ってたより恐ろしい人です……ッ!!)」

 

 流石は新聞記者、その話術の前では霊夢ですら弄ぶことが出来るらしい。

 慎重に答えを選ばなければならない場面で、しかしたった一言二言交わしただけでその答えを、霊夢の口から導き出してしまった。

 文の社交性の高さやコミュニケーション能力の卓逸さは、きっとそういうところに端を発しているのだろう。

 これは確かに、魔理沙が何処かピリピリしていたのも頷ける。かく言う吹羽も、気が付かぬうちに有る事無い事言わされてしまいそうで、少し怖い。

 

 “外面如菩薩内心如夜叉”という諺がある。

 そうではないと願いながらも、文を怒らせることはなるべく避けようと心に誓う吹羽であった。

 

 まぁ、それはさて置き――、

 

「ま、まぁまぁ! そんなに邪険にしないで、折角なので三人で遊びましょうよっ!」

「えー、吹羽あんたねぇ……」

「ふああ……吹羽さん、私なんかに手を差し伸べてくれるなんて、まるで天使のようですよお〜……ありがたやぁ……」

「そ、そんな大袈裟な……」

「…………まぁ、いいけどね」

 

 目の端に涙すら浮かべながら擦り寄ってくる文を、吹羽は困惑ながらに宥める。

 一体、今までどれだけ邪険にされて来たのだろうか。想像すると背中が薄ら寒くなって来たので、吹羽は途中で考えるのを諦めた。

 

 ――という事で、三人で遊べるものを考える事になったのだが、思いの外いい案が出てこない。

 ある時、吹羽が苦し紛れに「しりとりでもしますか?」と呟いたところ、二人に全力で拒否された。曰く、こういう状況でのしりとりは“会話の墓場”に等しいのだそうで。

 三人で机に向かい、笑うでも悲しむでもなく無表情のまま淡々と単語を並べ続ける様を想像して、“ああ、言い得て妙だな”と、吹羽はげんなりしながら妙に納得した。

 

「むー、もう思いつきませんよ私……」

「ボクも……」

「……あ、そう言えば確か……」

「ふぇ?」

 

 霊夢の呟きに、吹羽は不思議そうな声音で反応した。

 それには大した言葉も返さず、霊夢は背後に設けられた箪笥を弄る。

 やがて彼女が持って来たのは――、

 

「かなり前に買ったヤツなんだけど……これとかどう?」

 

 小さな花柄のカードが収納された、掌大の箱だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――“世界を管理する”ということは、決して簡単なことではない。

 

 規模が大き過ぎて、途方もなさ過ぎて、きっと言葉で聞いたところで実感など無いものと思われるが、それだけは大前提として言っておかねばならない。

 

 世界とは、そこに生きる生命がある限り、何処までも移ろいゆくものだ。

 それぞれに命があり、権利があり、知恵を用いるための頭脳と思想がある。それは時に同調したりして一つに纏まることもあるが、大抵の場合は意見を食い違い、対立することがほとんどである。そして“管理”とは別に、世界を運営(・・)していくのは紛れもない“そういう者達”なのだ。

 “そういう者達”がいるからこそ、世界は刻一刻と姿を変える。

 

 こうしている間にも、ほら。

 外の世界では、ある国が引き金を引き、戦争が始まるかもしれない。

 誰かのミスで株が暴落し、経済が崩壊するかもしれない。

 何処かの誰かが革新的な開発をし、世界に革命をもたらすかもしれない。

 ――“姿を変える”とは、つまりそういう事だ。

 

 八雲 紫は常に考察している。

 今現在の問題とは何か。それを解決する術とは何か。これからのこの世界(幻想郷)に、必要なものとは何なのか――。

 その神の領域にすら迫るであろう頭脳を用いて、しかし人心を操ることなど彼女にも出来ないから、常に手を加え続ける。

 今よりも先へ……ここに暮らす忘れ去られた者達が、より安息を得られるようにと、あらゆる事柄の裏で手を引き、導いているのだ。

 

 そして、現在は――。

 

「……怪しい、わよねぇ」

 

 その紫水晶の瞳に映すのは、今起こり得る“問題”――と言うよりは、懸念している事象。

 少し前に霊夢にも忠告したが、やはり何か嫌な気配の感じる、“ソレ”。

 

 目を細め、冷たく鋭い光を放つ瞳のその奥――思い出すのは、遥か昔の約束(・・)だった。

 

「(もし、本当に予想通りなら――)」

 

 少々、面倒なことになる。そう思って、しかし紫はすぐに緩く首を振った。

 違う。例え想定通りになったとして、自分に出来ることなど限られているのだ。

 その事態を収束させられるのは、きっと自分ではなく、霊夢。それが分かっていたから、あの日忠告したのだ。

 “よく考えて行動しろ”――と。

 だから、今は傍観しか出来ない。手を加えることは出来ない。

 

 紫は少し諦めるように溜め息を吐いて、その白く細い指をついと振るった。開かれたスキマには、新たな光景が広がっていて――思わず、微笑みを溢す。

 

「あらあら、呑気なことねぇ……遊んでるじゃない」

 

 眼下に広がるのは、三人の少女の姿。少し珍しい面子と思いながらも、紫はその光景に何処か心のささくれが潤う気がして、優しげに目を細める。

 偶には、ちょっとくらい休憩したっていい。心のケアも大事なことだし。

 

 紫は頬杖を突いて、その和やかな光景をもう少し、眺めてみることにした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――花札。

 それは一組四十八枚、十二ヶ月折々の花々が四枚ずつ描かれた小さな札。

 賭け事に用いられたりもするが、その芸術性なども相まって愛好家すら存在する、かるたの一種である。

 古くは十六世紀後半、葡から伝えられた四十八枚のトランプに端を発し――とまぁ、花札の歴史は横に置いておき。

 

「むむむ……ここは堅実に『松』を出して……あ、やりました! 『芒に月』で『月見で一杯』! “こいこい”です!」

「ほい『赤短・七』で勝負。四倍の二十八文で上がりね」

「んな――ッ!?」

 

 霊夢の手元にある出来役を凝視して、わなわなと震えるのは文である。彼女の強気な――否、苦し紛れの“こいこい”を瞬時にへし折った霊夢は、澄まし顔で言う。

 

「ま、ざっとこんなもんよ」

「うがーッ! 完封負けしたーッ!!」

「よ、容赦ないですね霊夢さん……。半どんの勝負結果が“八十三文対一文(・・・・・・・)”って、何ですかコレ。運勢でも操ってるんですか……?」

 

 文と霊夢の勝負を隣で観戦していた吹羽は、その勝負結果に頰をひくひくと引き攣らせていた。

 三人が始めたのは、花札を用いた遊びの一つ『こいこい』。三人で遊ぶ『花合わせ』があることにも気が付きはしたが、取り敢えず一番ポピュラーなものを、ということでこの遊戯を使っている。

 今回の試合は“半どん”、つまり六回の試合で合計点数を競うルールであり、『花見で一杯』『月見で一杯』――どちらもたった二枚取るだけで五文貰える超お得出来役――も有りとしている。普通なら圧勝しても四十文程度の点数になるはずなのだが――、

 

「そんな訳ないでしょ。“次に捲れる札はアレかなー”なんて思いながらやってるだけ。勘よ勘」

「(なにその万能過ぎる勘……)」

 

 半どんで八十三文。そんな数字、中々出せるものではない。

 そも花札『こいこい』は出来役によって“勝負”した時の点数が変化するが、一つ分の出来役で見れば基本最高点数は『五光』『赤短・青短』の十文である。どちらも七文を超えているので“勝負”した瞬間に得点が倍加するが、そのメリットを差し引いても揃えるのは困難極まりないし、故に狙うのは非常にリスクが伴う。何せどちらも特定の札を五、六枚集めなければならず、一枚でも相手に取られればその月では揃えることができなくなるからだ。

 だが、八十三文なんて点数はそれらを狙わないと叩き出せない。

 現に霊夢は、六回の試合――六ヶ月、と言う――の中で一、二度『五光』を揃えており、後の月でも『赤(青)短』や『雨四光』を揃えている。

 凄腕の賭け事師ならそれも簡単なのかもしれないが、少なくとも吹羽にはとても出来ない。というか、こんな点数自体初めて見た。

 

「あ、あんまり落ち込まないで下さいね、文さん。霊夢さんってよく勘が当たるんです」

「くぅ……それは知ってますよぉ。何というか、追い込まれてそれを逆手に取られて、底なし沼で踠いてるみたいで……」

「……何となく、分かります……」

「ちょっと、なんかあたしが悪者みたいにされてない?」

「そそ、そんな事はっ」

 

 試合内容を鑑みれば、文が落ち込むのもまぁ仕方ないことである。

 彼女が上がれた試合は一度切り、しかも次の月で先攻を取るために集めた雑多な(・・・)出来役『かす』であり、その得点はたったの一文である。

 次の月から勝ち始める土台として捨てた一ヶ月だったが、霊夢の純粋な手練手管と山札から捲り来る次の札を的中させる勘を前に次々と負けを積み重ね、挙句『月見で一杯』をそろえても“こいこい”しなければ勝てない状況にまで追い込まれ――先程の決着である。

 

 正直、同情した。

 吹羽がここまでめためたにされたら、ひょっとしたら泣くかもしれない、と思う程には。

 

「っていうか、能力使うのは反則じゃないですかっ!? 私は純粋に頭脳で戦ったというのに!」

「はぁ? あたしの能力は『空を飛ぶ程度の能力』よ。“勘が当たる”なんてそんなショボいの、能力でも何でもないっつーの」

「もはや能力なんじゃないのか、って意味じゃないですか? 文さんが言いたいのは」

「どっちにしたって無理な要求ね。だって意識して使ってる訳じゃないし」

「むぐぐぐぐ……」

 

 霊夢の言い分は正論である。勘なんてものは誰にだって備わっているものであり、当たるかどうかは本人には分からない。霊夢だって捲る札を操作しているわけではなく、勘に基付き予想しているだけ。文句を言うのは筋違い。

 だが――そんな在り来たりな説明(・・)では納得出来ないが故に。

 文は言葉を紡げずにいながら、睨め付けるのをやめようとはしない。

 

 こうなったら――、

 

「文さん、今度はボクとやりましょ!」

「うぇ?」

「ボクなら霊夢さんみたいな能力は持ってませんし、正々堂々勝負出来ますよっ!」

 

 出来るだけ元気に、吹羽は励ますように言葉を放つ。

 実際、吹羽も見ているだけは物足りないし、かと言ってさっきのを見せられた上で霊夢とやろうとは中々思えないでいる現状である。心の健康のためにも、ここは一つ文と一戦交えるのが最適解だ――とは、少々大袈裟だろうか。

 文は一瞬ポカンとするも、直ぐに笑って頷いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――『こいこい』は手札八枚、場も八枚で開始する。配る前に取り決めたルールに基付き、先攻は文となった。今度も当然“半どん”である。

 

「始めからあんまり悩んでも仕方ないですね。では――」

 

 文は手札から一枚札を抜き取り、場にある“桜に幕”に重ねる。文が使ったのは“桜”のかす札だった。そして山札から一枚捲り見ると、

 

「ああ“柳”ですか。場には……ありませんね」

 

 場の札を確認し、捲った“柳”のかす札を並べる。

 文の手番はこれで終わりだ。彼女が得た札は“桜”と“桜に幕”の二枚である。

 続いて吹羽の手番。彼女は自分の手札を眺めて、試合をどう運ぶかを思案していた。

 

「(これは……あんまり強い役は作れそうにないなぁ……)」

 

 手札には“光札”が一枚、“短冊札”が二枚、“種札”が一枚、残り四枚は“かす札”である。

 光札は三枚集めなければ役を作れない上、全札中五枚ある内の一枚は先程文に取られた。加えて今持っているのは“芒に月”でもなければ“桜に幕”でもない。

 短冊の札は五枚――もしくは赤短か青短を三枚――集めれば役を作れるが、場には無い上に自分も赤・青の短冊は持っていないので望み薄。

 種札は、持っているのが“紅葉に鹿”――『猪鹿蝶』という三枚での出来役の一枚――なのが救いだが、基本的には五枚集めなければ役が作れない。

 となればやはり、次の月を見据えてかす札を集めるのが妥当というところか。

 

 吹羽の戦術としては『守って勝つ』である。

 あくまで手札の内で作れそうな役だけを目指し、無理はしない。ただしチャンスがあれば“こいこい”して点数を伸ばしにかかる。そういうスタイルだ。

 故に――ここは守る月と見た。

 

「では、これを出して、捲って……」

「……お、運がいいわね吹羽」

 

 出した札、捲った札がどちらもかす札に重ねられた様子を見て、隣の霊夢がポツリと呟く。

 一度に四枚取れるのは運がいい。自分の持ち札が多ければ多いほど、出来役の可能性も広がってゆくのだから。

 この手番で取れたのは“かす札”三枚、“短冊札”一枚だった。

 

「はい、文さんの番です」

「よっし私ですね! ほい!」

 

 ぱしっ! と場に重ねられたのは、『菊に盃』。捲られた札も場の“短冊札”に重ねられ、文の手元へ。

 ――出来役『花見で一杯』の完成である。

 吹羽はその様を見てぽかんとすると、直ぐにほうと息を吐いた。

 

「あ〜、“かす札”を集めてさっさと上がろうと思ってたんですけど、駄目でしたか」

 

 展開が早いが、これで文は一つの役が出来た。ここで“勝負”か“こいこい”と宣言し、上がるか続けるかを決定するのだが――まぁ、十中八九“勝負”だ。

 次の月で先攻を取れる上、一月目から五文獲得できる。そんなの吹羽なら見逃さない。

 だからちょっぴり悔しく思っていたのだが、

 

「こいこい」

「……ふぇ?」

「“こいこい”です。まだ終わるには早過ぎですよ」

 

 不敵に笑う文の顔。まるで、「守るだけでは勝てませんよ」とでも言われているかのような錯覚を感じさせる。

 そうか、文は吹羽とは反対に攻めていくスタイルなのだ。リスクは大きい分、上手く回ればぐんぐんと差を付けられる。

 となれば、こちらもより手堅く行かなければ。攻めに対して守る。スタイルの優位性としてはこちらが上だ。

 

「それなら、ボクも行きますよー!」

「望むところ!」

 

 ――それから次々と戦況は反転。

 スタイルとして優位なはずの吹羽も、文の攻めに翻弄されて負ける月が増えていく。

 

 文のようにガンガンと狙う出来役の為の札を取りに行くスタイルは意外と“潰し”が効くので、守りに行く吹羽も当然それを狙って行ったのだが――真に恐ろしいのは年の功、経験と言うべきか、文はそれすらも掻い潜って攻めてきた。

 本当ならば、光札を一枚取れば『五光』は防げるし、“赤短”や“青短”を一枚ずつ取れれば、点数の多い出来役としての(・・・・・・・)『赤短』『青短』は封殺出来る。そしてそれが出来れば、相手がそれまでに取っていた札は殆どが無駄と化し、アドバンテージを取ることができる。吹羽は主に“そういう勝ち方”を少ない回数の中で重ねてきた訳だが――文の攻めは、それでも中々止め難い。

 

 どの出来役が現場で最も作りやすいか、その為には手札をどう用いていくか。その頭の回転と切り替えの速度が尋常ではない。

 “潰し”を以って攻めを翻弄するはずの吹羽が、逆に翻弄されてしまっていた。事実封殺が間に合わず、いつの間にか役を揃えられていた場合がいくつかあった。

 まぁ文が“こいこい”する隙を突いて吹羽が上がった月もあるにはあるのだが、点数がどんどん開いていくことには変わりない。

 

 そして――、

 

「し、“勝負”です! 『三光』で五文っ」

「おお、やりますね。でも次は六月、点数差は二十文以上……逃げ切れば私の勝ちですねぇ♪」

 

 先手を取ることは優位に繋がる。次の月で大量得点しなければならない吹羽は、『三光』を揃えた時点で“こいこい”せずに上がりを選んだ。それ以外に勝ち筋はないのだから。

 しかし、文の言うことは尤もだ。

 二十文以上の差を一気に詰めるのは簡単なことではない。その上文はとにかく一つでも役が作れれば上がることができ、それは文の勝利――吹羽の敗北を意味する。

 

 次の月……手札の良し悪しすらも勝敗を左右する――ッ!

 

 霊夢の手で場の八枚と手札が配られる。吹羽は手札を捲る直前、無意識に唾を飲み込んだ。

 もしあまりにもかす札が多かったりすれば、挽回は最早絶望的。吹羽の手腕ではどうしようもない。

 もやもやと不安を心に薄く掛けながら、吹羽はゆっくりと手札を捲り見て――、

 

「(――っ! こ、これはすごい手札……っ!)」

 

 『桜に幕』を含めた光札が二枚、『芒』のかす札が一枚、種札は『菊に盃』、そして『柳』の短冊札。何より『青短』が三枚全て揃っている。

 逆転への道筋、勝利への催促。それらが既に示されているかのような手札だ。未だ嘗て、此れほどまでに整った手札を引いたことなどあったろうか。

 まず手札で既に『花見で一杯』と『青短・五』が完成している。それに短冊を取れれば『青短・六』となり、合計十一文。七文以上で上がった場合は点数が倍になるので二十二文。そこに“芒に月”が取れれば――。

 

 吹羽は歪みそうになる口元を必死で取り繕って、ポーカーフェイスを試みる。

 ただ一つ問題なのは“場に取れる札が無い場合、逆転に必要な札を手放さなければならなくなる”という事。――だが、ここまで揃っていなければ元より勝ち目はほぼないので、やはり“最高の手札”と言って過言ではない。

 さぁ、大逆転劇を見せてやろうッ!

 

「で、では行きますよ。行っちゃいますよ文さんっ」

「……何ですその顔? いい手札でも来たんでしょうか」

 

 ……ポーカーフェイスはまだ吹羽には早かったらしい。

 

 吹羽は文の一言を有意義に無視しながら、手札の一枚“牡丹に青短”を叩き付ける。本当はここで“牡丹に蝶”が取れれば『猪鹿蝶』の封殺にもなったのだが、まぁ良かろう。こういう勝負で欲を出すべきではない。何より吹羽は欲を出さない(・・・・・・)戦い方をする人間である。

 捲った札は“菊”。場に出すことになったが、これはこれで無問題だ。これを文が取ろうが取るまいが、どの道“菊に盃”と“菊に青短”が吹羽のものになるのは最早確定事項である。各月の札は、どれも四枚しかないのだから。

 

「では私は……これです」

 

 静かに一枚抜き取り、場の札に重ねる。文が“紅葉に鹿”で取った札は“紅葉”のかす札。捲った札は場の札に重ねられ、“菖蒲”のかす札と短冊札の二枚を取った。

 兎に角早く上がりたい筈の文である、恐らくは簡単に揃えられる『かす』か、少ない枚数で作れる『花見で一杯』『月見で一杯』を目指す筈。だが、だからと言って多少の防御すらも捨て去って攻めるのは愚者のすること。恐らくは逆転の目を潰す意味で“紅葉”を取りにきたと思われる。

 実際、吹羽は次の手番で“紅葉に青短”を取るつもりでいた。もう場に紅葉の札はないので、残りの一枚を待つ羽目になってしまった。

 

「(次は……“菊に盃”はまだ出せない。『かす』は揃えるのに専念したらあっという間に揃っちゃうから……)」

 

 ここは無難に、“柳に短冊”を出す。それで取るのは勿論“柳”のかす札だ。兎に角、少しでも多く場からかす札を消し去らねば、文はきっと瞬く間に『かす』を揃えてしまう。

 捲った札は『梅に赤短』。残念ながら今度も場に出した。

 

 ――落ち着いて回答を出していこう。こちらに残った“菊”の二枚がある以上、どの道文は『かす』を揃える以外にないのだから、少しずつ切り崩して行けばいい。

 

「ふふふ、中々考えているみたいですね?」

「一応、勝負事ですから」

「あなたはもう少し気弱だと思ってましたがねぇ。腹をくくれば大胆にも成り得るのでしょうか?」

「さぁ……どうですかね?」

「……ま、いいでしょう。ともあれ私は――これで行きます!」

 

 ぱしっ、と軽い音を奏でて出されたのは『梅』の種札、“梅に鶯”。そして取られたのは当然“梅に赤短”である。捲られたのは――、

 

「えぇっ!? ここで“松に赤短”を引くんですかあっ!?」

「おやおや運がいいですねぇ♪ これであと一枚……“桜に赤短”が揃えば――」

 

 『赤短・五』の出来役。文の勝利。

 ――こういうところだ。花札が賭け事に使われるのは、こういった運による要素がある為だ。

 勿論、吹羽が普段取るような戦法――封殺による防御――などのテクニックによる部分もあるにはあるが、それもこうした運要素相手にはどうしようもない。

 例えばどれだけ強い手札で逆転を狙おうと月を始めても、相手が自分の手番で、“菊に盃”を出して取り、運良く捲った札で“芒に月”を取れてしまえばその瞬間『月見で一杯』の完成だ。

 手札の強弱など関係なく勝利してしまえる。

 

 ――その運が、文にも巡ってきてしまった。

 

 正直、マズい。

 文が『かす』を揃えるのを気にしつつ、手札の“桜に幕”で確実に“桜に赤短”を取らなければならない。

 腹を決めなければ――。

 

 吹羽はゴクリと一つ唾を飲み込み、手札を引き抜いた。

 場に取れる札はない。だからここで出すのは、文に取られる可能性が全くない“菊に青短”だ。後の手番で丁度いい時に、“菊に盃”で取ればいい。

 どの道“桜に幕”は使わなければ勝てないので、あと考えるべきは“紅葉に青短”がいつ取れるようにな(・・・・・・・・・)るのか(・・・)だが……。

 

「(――ッ! きた! 残り一枚の“紅葉”!)」

 

 意外にも、そのタイミングは直後に訪れた。

 紅葉――即ち十月の札の二枚を既に文に取られたこの状況、唯一問題なのは、残りの一枚が出てこない限り『青短』を揃えられないという点だった。それが分かっていたから文は“紅葉に鹿”でかす札を取ったはずだし、現に文は顔を見せた“紅葉”に目を少し見開いている。予想外である証拠だ。

 運が向いてきた。このタイミングで出てきてくれたのは僥倖と言う他ない。場に出た“紅葉”も取られる可能性は皆無だし、次に取る札に即決である。

 

「むう〜……これしかないですね……」

 

 文は“藤”のかす札を用い、場の“藤に短冊”に重ねる。捲った山札の一枚は“松”のかす札だった。取れる札はないので場に残る。

 やはりメインで狙うのは『かす』か。

 吹羽は着々と重ねられていくかす札を見て、乾き始めた唇を一舐め、苦しくなる状況に歯噛みする。

 文の優位は変わらない。一つでも答えを間違えれば瞬く間に出来役を揃えられる。

 でも――出来る手を講じるしかない。

 

 吹羽にできる手とは、“桜に幕”で『赤短』完成を阻止しつつ、『青短』狙いを出来るだけ悟らせないようブラフを含みながら必要なものを揃えていくこと。

 そしてこの手番でできるのは当初の通り――、

 

「(“紅葉に青短”。流石にここまですれば『青短』狙いなのは気付かれただろうけど、もう遅いから別にいい。問題なのは“桜”――)」

 

 勿論、“桜に赤短”より先に“桜”が出てくれば、“桜に幕”で取るつもりだ。“桜に赤短”が山札にあるのか、それとも文の手札にあるのか分からない以上、場に三月()の札が残るのは避けなければならない。

 幸い捲った札は“萩”だった為、今は気にすることではないが……。

 兎も角、あと一、二回の手番を熟せば、まだ勝ち目は――

 

 

 

はい(・・)上がりですね(・・・・・・)

 

 

 

 ――ぱさ、と。

 気が抜けたような、あまりにも軽い音と宣言に、吹羽は一瞬頭が真っ白になった。

 

 あがり? いやだって、文が出したのは“萩に短冊”だ。かす札は取っているが、まだ数は足りていないし、『赤短』は出来ていないし――、

 

「……ぁ、『タン』……!?」

 

 文が取った札は“萩に短冊”。そう、短冊札だ。吹羽は文の手元に並べられた、五枚の短冊札(・・・・・・)を見てポツリと零す。

 

「作戦成功です♪」

 

 『タン』――それは数ある出来役の一つ。

 赤短だろうが青短だろうが唯の短冊だろうが、()の内の五枚を集めれば完成する(・・・・・・・・・・・・・・)たった一文の出来役。

 目の当たりにした瞬間、吹羽は「やられた……っ!」と痛感した。

 

 つまり、『かす』も『赤短』も完全なるフェイクだった訳だ。

 “かす”や“赤短”を集める振りをして、怪しまれない程度のタイミングで短冊札を取っていた。思えば、彼女が初めに取った札の中にも短冊札があった。

 

 初めから最後まで、文の掌の上だったという訳だ。言い訳のしようもない完敗である。

 

「ふふふ、結構頑張ってましたが、最後まで気が付きませんでしたねぇ吹羽さん?」

「あ、『赤短』に引っ掛けられました……。あ、あの、“こいこい”したりしません……?」

「“勝負”で♪」

 

 いい笑顔で無情に告げる文の前に、吹羽はかくんと肩を落とす。

 結構頑張って心理戦をしていたつもりだったのだが、文の方が何枚も上手だったらしい。正直悔しいが、今のままでは何度やっても勝てる気がしないので、今日はもう勘弁してもらおう。

 

 ……これに勝てる霊夢は果たして何者なのだろう。実は凄腕の賭け事師を副業にしているとか?

 チラリと霊夢の顔を覗き見ると、彼女は何か察したのかジト目でこちらを見ていたので、吹羽は慌てて視線を切った。

 博麗の巫女、恐るべし。

 

「いやぁ結構楽しかったですねぇ。思ってたよりも吹羽さんが手強かったですし♪」

「……皮肉ですか?」

 

 心理戦を頑張ってこなしたとは言っても、結局勝負結果はまごう事無き完敗である。終ぞ自由にはさせて貰えず、掌の上で踊っていたに過ぎない。

 文の笑顔はいつも通り綺麗だったけれど、やはりその言葉に皮肉を感じざるを得ない。

 しかし、文は吹羽の呟くような言葉に驚いたのか「滅相もない!」と即座に否定した。

 

「楽しかったのは事実ですよっ! まさか吹羽さんがこんなに花札ができるとは思っても見なかったので。久しぶりに心が躍る気分でした」

「そ、そうですか。それは良かったです。機会があれば、またやりましょうね!」

「勿論ですともっ」

 

 ――“遊べる”ということは、幸せな証だ。

 楽しくなければ遊ぶ意味はなく、笑顔がなければそこ(・・)に充実感は生まれない。

 だって、“遊ぶ”ことは生きる為には必要ではないのだ。

 遊ぶこともできない人は、常に何かに追われて余裕を持たない。不必要なものを削ぎ落として、本当に必要なことのみを追求しなければならないのだ。

 

 ああ――やっぱり。

 ボクが幸せでないなんて、あり得ない。

 そんな事、あってはいけないんだ――と。

 目の前で、頰を薄っすらと赤く染めて、花が咲くように零れる文の笑顔に、そう思う。

 

 夢のことも、家族のことも、思い悩まないといえば嘘になる。

 だが霊夢がいて、阿求がいて、魔理沙がいて、早苗がいて、文がいて。

 こんなに暖かい笑顔を向けてもらえる吹羽はきっと、本当に不幸せな訳はない。これが不幸せだなんて、思ってすらいけないことだ――と。

 

 吹羽はお返しとばかりに文へ笑い掛ける。

 魔理沙はああ言っていたが、きっと文とはいい友達になれる。こんなに楽しく遊べるのだから、もう友達と思っても良いのかもしれない。

 吹羽は何故か“ちくり”と痛む胸を気にしないようにしながら、ただ、笑う。

 

「さぁて、今度は吹羽さんと霊夢さんの番ですねぇ? 正直結果は見えてますが、健気に頑張る吹羽さんを横で眺めてたいのでどうぞ霊夢さん遠慮なく♪」

「ちょ、見えてるなんて言わないでくださいよぅ! 確かに霊夢さんには勝てる気がしませんけど……」

「そうねぇ、あたしも正直負ける気がしないわ。って言うか負ける要素が存在しないわね」

「……霊夢さん、そんなこと言ってると嫌われますよ?」

「あら、吹羽はあたしが嫌いなの?」

「ふぇっ!? あ、そのっ、そんな……ことは……」

 

 にやにやと笑う霊夢と文の視線がこそばゆい。

 霊夢は吹羽以外にはそんなこと絶対に言わないので、からかっているのが明け透けだ。

 この二人、世に言う“どえす”というヤツなのでは? 確か阿求に、虐めるのが大好きな人の事をそう呼ぶのだと吹羽は聞いたことがあった。

 いや別に、だからと言ってどうという訳ではないのだが、視線がくすぐったいので出来ればやめてほしいところだ。

 ――まぁ、言ったところで聞いてはくれないだろうが。

 

「さ、じゃあやりましょうか吹羽。あんたと花札やるのは初めてかしら?」

「……そうですね……機会がなかったですし」

「あ、それならお二人で何か賭けてみては? 元々賭け事にも使われるものですし」

「あ、良いわね。じゃあ何を賭け――」

「その勝負、私が乗りますよ霊夢さんッ!!」

 

 ――と、唐突に割り込んできたのは、聞き覚えのある少女の声。

 何事かと振り返ったその刹那、吹羽は姿を見ることも叶わぬまま抱き寄せられていた。

 背中に当たる大きくて柔らかい二つの感触。吹羽にこんな事をするのは一人だけ。

 予想なんて、するまでもなかった。

 

「此間ぶりですね吹羽ちゃんっ♪ 私もう吹羽ちゃん成分が足りなくて寝ても覚めてもそわそわしっぱなしだったんですよお〜!」

「ひゃうっ!? ちょ、早苗さんっ!? 何ですか急にぃっ!」

 

 現れたのは守矢神社の風祝、東風谷 早苗。

 瞬間的に吹羽をその腕の中に収めた彼女は、既に悦に浸るような恍惚の微笑みを零していた。

 

「はあぁ〜吹羽ちゃんだぁ〜……このふわふわの感触、飽きる事なんてあるんでしょうかいやある訳ないですね〜……! むふぅ〜……」

「あわわ、くすぐったいですよ早苗さんっ」

 

 まるで禁断症状でも起こしていたかのように、吹羽を抱き締めては頬擦りし始める早苗。

 こういう所がちょっと苦手なのだが、それでも一心に抵抗し切れないのは、やはり内心では彼女のことが嫌いではないからだろうか。

 

 いや、まぁね?

 なんだかんだで早苗は痛いことしないし抱き締められれば柔らかくて気持ちいいし、くっ付くといい匂いがしてきてちょっとうっとりするから別に抱き着こうが何しようが別に構わな――って何を考えてるのボクっ!?

 

 早苗の魅力に侵されそうになった吹羽は、はっとして煩悩を振り払う。

 その間も当然抱擁に頬擦りは止まる事を知らずに吹羽をどきどきとさせているが、これはきっと早苗が人一倍に綺麗な人だからだ。うんきっとそうだ。

 決して吹羽がアレ(・・)な訳ではない。ないったらない。

 

「んで? 吹羽を捏ねくり回してないでさっさと要件を言いなさいな。“勝負に乗る”とか聞こえたんだけど、聞き間違いかしら?」

「いえいえ、霊夢さんの耳は実に正常ですとも。是非勝負して貰いたく!」

 

 見下げた含みを持つ霊夢の言葉に、早苗は飛び付くかの如く言葉を放つ。

 勿論吹羽は抱きかかえられたままだ。

 

「えーっと、霊夢さんと勝負すると言うことは、何か賭けるという事ですか? 私が言えた事じゃないかもですが、随分と唐突ですね」

「人生は驚きに満ちていた方が面白いものですよ文さん。私は皆さんに良い人生を送って貰いたい訳ですよ」

「あたしは別に驚いてないけどね」

「驚く余裕もなかったというか、気が付いた時には抱き着かれてたので……」

「あ、私は単純に気が付いてましたよ?」

「ふぐう……っ!? 皆さん手厳しいですね……!」

 

 なんだか言い訳が魔理沙染みている。屁理屈っぽいと言った方が分かり良いか。

 早苗は態とらしく呻き声をあげると、ビシッと霊夢に指を突きつけた。

 

「と、とにかく! 勝負です霊夢さんっ!」

「分かったから、早く言いなさいって。何を賭けんのよ?」

「ふふふ、聞いてから逃げないでくださいよ?」

 

 不敵に笑い始めた早苗の視線が、一瞬こちらを向いた気がした。

 

 

 

「ずばり! “吹羽ちゃんに一回だけお願いを聞いてもらう券”を賭けて勝負です!」

 

 

 

 ――ああ、また訳の分からないことを……。

 吹羽は得意気に笑う早苗の腕の中で、一つ小さく、溜め息を吐いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――元を辿って言えば、始まりは霊夢への嫉妬(・・)である。

 

 これまでの言動の通り、早苗は吹羽に執心中だ。曰く親近感と、早苗のストライクゾーンをド直球で貫いたその可愛らしさから。彼女は嘘を吐けないので、それは本心と見ていいだろう。

 早苗が博麗神社へ来ていの一番に吹羽へ言ったことも、実はあながち、大げさではなかったのだ。

 

 しかし、妖怪の山・山頂と人里では距離がある。幾ら吹羽が自由に山を行き来できる立場とは言え、店を営む以上頻繁に登る訳にはいかないし、早苗にも布教活動という仕事があるため自由に会いには行けないのだ。

 ただ、早苗は吹羽と霊夢が仲の良いことを知っていた。週に一度以上は必ず顔を合わせていることも知っている。

 ならば、純粋が過ぎる早苗に嫉妬を抑える余裕など無いのは明白である。

 

 そんな時に吹羽と霊夢が楽しそうに遊んでいるのを見ることは、その欲望が爆発するのには十分過ぎる火種なのだ。

 

 ――意味が分からない、と思うだろう?

 しかしそれが……常識に囚われないその在り様が、東風谷 早苗という少女なのである。

 

 

 

「同じように半どん、『花見・月見で一杯』は有り、勝った方がその“なんたら券”を貰う……そういうことね?」

 

 

 

 霊夢の確認に満面の笑みで頷く早苗。

 向き合う二人のちょうど中間辺りの畳を開け、山札を切っているのは賞品に仕立て上げられた吹羽である。

 霊夢は特にデメリットを感じなかったらしく、早苗の申し出を二つ返事で了承してしまった結果だった。正直もう抵抗するのを諦めている吹羽である。

 

 吹羽が場の札・手札を渋々と配りながら、二人の会話は続く。

 

「ふふふ、今日は持てる力の全てを以って、全力で行きますよ霊夢さんっ!」

「……随分と強気ねぇ。一応言っておくけど、あたし結構強いわよ?」

「問題ありません! 私、花札で負けたことないので!」

「……はぁ?」

 

 訝し気に眉を傾ける霊夢を前に、早苗はいつになく不敵な笑みで、言い放った。

 

 

 

「宣言しましょう。私は霊夢さんに、先手をあげた上で三十文以上の(・・・・・・)差をつけて完封勝利します(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

「――へぇ?」

 

 完封勝利。つまり、霊夢には何もさせる気は無い、と。

 その傲岸不遜極まる宣言に、しかし霊夢は口の端を歪める。やれるものならやってみろ、と顔に書いてあるようなものだった。

 

 その頃丁度場の札も手札も配り終わり、吹羽は二人の空気にびくびくしながらも声を出す。

 

「そ、それじゃあ始めますよ。先手は霊夢さんでしたよね」

「ええ。んじゃあ先ずはこれを――」

はい(・・)上がりです(・・・・・)

「……は?」

 

 そう言って早苗は、満面の笑みをたたえて手札を晒す。

 呆気にとられて、促されるままに三人――吹羽の後ろで観戦する文も含めて――が見たのは、

 

 

 

 ――手四・桐 六文。

 

 

 

 各月の札四枚が手札に揃った瞬間に上がりとなる、『手役』の一つ。

 配られた手札に十二月の植物――“桐”が偶然にも(・・・・)揃った早苗の、覆しようのない上がりである。

 

「さっ、次に行きましょ♪」

「……く……!」

 

 余裕綽々な早苗に促されるまま、月を進める二人。

 しかし――、

 

 ◇

 

 ――二月

 手四・藤 六文

 早苗、上がり。

 

 ◇

 

 ――三月

 手四・牡丹 六文

 早苗、上がり。

 

 ◇

 

 ――四月

 手四・菊 六文

 早苗、上がり。

 

 ◇

 

 ――五月

 手四・松 六文

 早苗、上がり。

 

 ◇

 

 ――六月

 手四・柳 六文

 早苗、上がり。

 

 結果、三十六文対零文で早苗の勝――

 

「ちょ、ちょっと待ってくれる……ッ!?」

 

 ひくひくと口の端を震わせる霊夢は、依然として笑みを崩さない早苗に押し殺した声を上げた。

 こればっかりは口を出さずに終われない、とでも思ったのだろう。

 

「あんた、どう考えても能力使ってるでしょッ!?」

「さぁ何のことでしょう♪ 偶々、偶然、奇跡的にも! 六回連続で手四が揃っちゃっただけですよぉ〜」

「アホか! そんなのどんな確率だと――」

「えーっと、手四が7/19458で六回なので……小数にして0.000000000000000000002%ですね」

「なん――ッ」

 

 いけしゃあしゃあととんでもない値を示した早苗に、霊夢は思わず言葉を詰まらせた。

 どんな計算を下にして弾き出したのか彼女には分からなかったが、それが決して的外れな値でないことは何となく理解出来る。初めの手札に特定の四枚が揃うなど滅多にもないことなのを霊夢は経験として知っている。きっと早苗が誇張している訳ではないのだろう。

 だからこそだ。

 納得なんて、出来る訳がない。

 

 そんな極々微細素粒子レベルに存在する確率を引き当てるなんて、早苗の能力「奇跡を起こす程度の能力」でなければほぼほぼ不可能に決まってる。

 霊夢は胸焼けを起こしたように詰まる胸と喉を無理矢理震わせ、抗議の声を張り上げた。

 

「そ、そんなのが偶然出る訳ないでしょうがッ! あんた何言ってるか分かってんのッ!?」

「確率とはそういうものですよ霊夢さん♪ いくら小さい値だろうと零ではない可能性。それが今このタイミングで出てきたってことですよっ!」

「そんなバカな話があるかあッ!!」

 

 怒鳴り散らす霊夢を涼しげに受け流す早苗。普通に考えれば反則スレスレだが、思い返せば早苗は、始める前に「持てる力の全てを以って」と宣言している。ある種、その言葉の根底にある意味を見い出せなかった霊夢にも非はあるのだ。

 加えて――、

 

「まぁでも、理不尽さで言えば霊夢さんの勘だって同じようなものですし、別に良いのでは?」

 

 この天狗が、早苗の味方だった。

 

「はぁ!? あたしの勘とこいつの能力の何が同じような物なのよっ!? そもそもあたしのは能力じゃないって言ってんでしょ!」

「同じですよぉ〜私達からすれば。どちらも相当運が良ければ常人にでも可能な範囲なんですよ。勘はただの予想ですし、確率は運ですし」

 

 予想することも運に頼ることも、どこのどんな人間にだって出来ることだし実現も――果てしなく困難ではあるものの――できる。身もふたもないことを言うが、二人はただそのことに関して他人よりも確実性(・・・)があるというだけなのだ。

 そうして見れば二人とも同じ反則スレスレの事をしている。霊夢の勘を許容した今、早苗の“奇跡”を許容しないのであれば、それはもう嘘だろう。

 そう文に説明された霊夢は、反論の糸口を見つけられずに唸るばかり。

 吹羽はこの現状を眺めて、仕方ないとばかりに気怠く口を開いた。

 

「まぁ言い合ってもしょうがないですし、取り敢えず良いにしましょうよ。次にやる時注意しとけば良いんです」

「お!? と言うことは吹羽ちゃん、私の勝ちということで良いんでしょうかっ!?」

「い、良いんじゃないですか? ねぇ霊夢さん?」

「…………それでいいわよ、もう……」

 

 興奮冷めやらぬとばかりに詰め寄る早苗に、吹羽はぎこちなく、しかししっかりと頷く。

 霊夢はまだ若干納得していない様子だが、良いと言うのだから良いとしよう。掘り返すとまた面倒な事になるのは火を見るよりも明らかである。

 ……そもそも、苦労を要するのは二人ではなく吹羽であるからして。自分が我慢すればそれで済む話なのだ。溜飲は下げられないが。

 

「それで、早苗さんはボクに何をしてほしいんですか? あんまり無茶なことはやめて下さいね?」

「もっちろん! 取り敢えず吹羽ちゃん、守矢神社に行きましょ! お願い事はその後で!」

「……え? それってもうお願い事じゃないんですか?」

 

 早苗の言葉に、吹羽は当然の疑問を呈する。

 ここで遊んでいた吹羽に守矢神社へ着いてきてもらうというのは、それだけでもうお願い事に類されるのでは――と。

 しかし早苗は、もう連れて行く気満々で吹羽のお腹の辺りを抱えると、

 

「違いますよぅ! どの道吹羽ちゃんには着いて来てもらうつもりでした。その為に私はここに来たんですから!」

 

 ――と、ここに来た理由が始終不明だった(・・・・・・・・・・・・・・・)早苗は言う。

 

 

 

「吹羽ちゃん。神奈子様と諏訪子様が、お話をしたいと仰っています」

 

 

 




 今話のことわざ
外面如菩薩内心如夜叉(げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)
 外見はやさしく穏やかに見えるが、心の中は邪悪で恐ろしいというたとえ。多く女性にいう。

 因みに私、花札はアプリでしかやったことないので、ルール違ェだろ! と思っても流してもらえると幸です。戦法とかも持論なので、深くは考えずに。
 それと確率の計算ですけど、違ってたらごめんなさい。多分あってると思うんですが、なにぶん現実味のない値なもので少しだけ自信がないです。

 ではでは。

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