風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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第十二話 火種の影

 

 

 

 “人間の里”とは、文字通り幻想郷に住まう人間の為に作られた場所である。

 外の世界の基準で言えば、その様式としては明治時代――普段から着物を身に付けていておかしくない時代だ。

 八百屋に宿屋、飯屋、寺子屋。時代を感じさせるそれらばかりが行く道を彩り、

便利なお店(コンビニエンスストア)超大型百貨店(デパート)なんて、いつになったら建てられる事やら。

 “古き良き日本の風景”と言えば、強ち間違ってはいないのかも知れないが。

 

 ところで、幻想郷と外の世界の違いとは何だろう?

 様式が、遅れているとはいえ“外の世界の明治時代”と言い表わせる程度に進んではいる幻想郷は、外の世界の“本当の明治時代”とは何が違うのか。

 ――焦らすまでもない。当然それは、神や妖怪の有無だ。

 

 そも幻想郷は、妖怪を始めとした幻想の(・・・)存在(・・)を永らえさせる為に創られたと言っても過言ではない。

 かの大妖怪、八雲 紫が夢見たと言われる“人間と妖怪の共存”は、幻想の存在を永らえさせる事で初めて成り立つ。人間は勝手に繁殖して蟻のように増えていくが、当時の妖怪は減少の一途を辿っていたのだから、まぁ当然と言えよう。

 幻想の存在は、人間がそれらを信じ畏れる事で形を成す。

 幻想郷に人間が住んでいるのは“共存”という夢の一環であり、また見方を変えれば、妖怪を永らえさせる為の必要条件だったに過ぎないのだ。

 

 さて、ここで本題である。

 “妖怪が存在する世界の明治時代”である人間の里には、妖怪が出歩いていることも意外と多くある。

 なんとなく立ち寄った者もいれば買い出しに来た者もいる。花の種を買いに来た者もいれば、人間と遊びたくて来る者もいる。

 ただ共通しているのは、その何れもがある程度温厚であり、礼節さえ守れば普通に接せられる相手だということ。

 人間を見つけたからと言ってすぐさま襲い掛かるような、知性の低い妖怪ではないのだ。

 では逆に、人里の人間が恐れる(・・・)妖怪とは何か。

 

 一つは当然、知性の低い妖怪。

 人語を操ることは出来ず、本能でのみ行動して仕留めた獲物の肉を貪り食らう低級な妖怪。

 そしてもう一つは――知性を持ちながら、しかし意図して(・・・・)人間を気嫌う、もしくは突っ撥ねる妖怪である。

 

 ――この日、慧音は見た。見てしまったのだ。

 

「な……な――……」

 

 人間達が恐れる妖怪とは、自らの意思で人を襲う妖怪。

 そして、そこから考えられる最悪の事態とは――、

 

「何が一体……どうなっているッ!!?」

 

 

 

 そんな妖怪達が、大群で以って里を襲う(・・・・・・・・・・)こと(・・)。――これに尽きるのである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――時は遡って、数刻前。

 風成利器店の工房では、今日も今日とて熱と鋼と風の舞う鍛治作業が繰り広げられていた。

 今日の注文は現時点で三件。一般包丁の研磨と農業用の風紋鎌の注文、後は出刃包丁の作刀である。

 が、先日の臨時休業でやり残した仕事がまだ仕上がっていない為、正確に今日の仕事を連ねるならば、合計で五件である。

 故にこそ、作務衣を来て髪を束ねた、所謂“仕事モード”である吹羽にも、今日は中々熱が入っていた。

 

 ――熱というか、焦りにも近い心象かも知れないが。

 

「ぅぅうっ! 今日は仕事が多過ぎですぅっ!」

 

 カンッ――と大きく金槌を振り下ろして、吹羽は心の内に燻る思いを大きく吐き出す。力強く打ち付けられた鋼が大きく凹み、真っ赤に染まった火花を散らした。

 考えても見よう。

 一日に仕事が五件――一般的に言えばこれは確かに多い数字ではない。何なら半日あれば十分に終わらせられるし、ついでに帰り道に何処かで寄り道してもきっと日が沈まぬ内に帰宅することができる筈だ。

 しかし、風成利器店が扱うのは主に自家製の刃物――鍛治仕事である。

 研磨だけならまぁ、少し時間をかければ終わるだろう。しかし一振り創り終えるとなれば、所要時間の単位は当然“云々時間”である。

 一日に五件――研磨の仕事を含めても、今日の吹羽は大忙しなのだ。

 

「(繁盛するのはいいんだけど、忙し過ぎるのも考えものだよぅ……)」

 

 そもそもは霊夢が悪いのだ。

 お昼の休憩中に突然家に来て、半ば誘導される形でついて行く羽目になった。お陰で早苗に出会うことが出来たというメリットはあったものの、それを差し引いて余りある苦労を吹羽はあの日を体験したのだ。これを霊夢の所為にして何が悪い。

 いや確かに? 最終的について行くことにしたのは吹羽自身ではあるが? それにしたって何故あんな苦労をしなければならなかったのか今でも納得いかない。連鎖的に、今もこうして苦労している訳だし。

 

「――……」

 

 いや、止めよう――と思い直す。

 人の所為にしても救われる訳ではないし、自分が惨めになるだけだ。

 よくよく考えてみれば、霊夢だって帰り道は眠ってしまった自分を負ぶって来てくれたらしいし、きっと労ってくれたのではないだろうかと思う。

 あの霊夢である、当然吹羽を叩き起こして帰るという手も思い付いたはずなのに、しかしそこを敢えてそうせず、面倒にも負ぶって来てくれた。

 これは彼女なりに、吹羽のことを考えてくれた証なのではないだろうか。

 

 ――うん、ちょっと落ち着いてきた。

 

 きっとアレだ、心の負担が少々大きかった所為で荒んできているんだ。

 もっといつも通りに、前向きに。

 吹羽は一つ大きな深呼吸をすると、一先ずは手に握った金槌をそっと側に置いた。

 

「……ちょっと休憩入れようかな」

 

 溜まった仕事を片付ける為に吹羽は朝から働き詰めである。普段はもう少し休み休みに仕事をするが、今日はそれをする時間も惜しかったのだ。気が付けば、もう正午を過ぎようとしている。

 きっと、こんなにも苛々するのは働き詰めで疲れているからだ。少し休めば、またいつも通りの笑顔を取り戻せる。

 吹羽は後ろにまとめてある髪束に手を伸ばすと、髪を引っ張らないようゆっくりとゴムを抜き取る。

 真白な髪が、風に乗ってふわりと広がった。

 

「ふー……」

 

 来客――主に霊夢と阿求――用に置かれた椅子に座って、吹羽は一息吐きながら背を壁に預ける。

 全身の力を抜くように目を瞑ると、吹羽の意識は、敏感になった身体中のあらゆる感覚の渦にすぅと呑み込まれていくようだった。

 

「――懐かしい、かなぁ……」

 

 薄く目を開き、少しだけ煤で黒くなったような工房の中を軽く見回す。

 囁くような小さな声で。

 ぽつりと言葉が漏れたのは、ほぼ無意識に近かった。

 

 ――記憶(・・)を、感じたのだ。

 

 工房の中には、柔らかい風が流れている。それが鉄と煤の匂いを運び、汗の伝う身体を労い、吹羽の心に元気を漲らせる。

 吹羽は風が好きだ。それが“風の一族”たる風成家の末子故にこそなのかは定かでないが、とにかく吹羽には、自分は風が好きなのだと断言することに何の躊躇いもなかった。

 昔から風が好きで、それをいつまでも感じていたくて、人の身で風を操る風紋の技術を修めた。

 厳格な父と優しい母と大好きな兄が常にすぐ側にいて、残念ながらこの(・・)工房ではないけれど、大好きな人達に囲まれていたその頃のことを、“今”ここに流れる風は思い出させてくれるのだ。

 

 そう――まだ心に“孔”のなかった、あの幸せな頃を。

 

「……っ、いけないいけない、しっかりしなくちゃ」

 

 じわりと溢れそうになった感情を振り払い、吹羽は自らを奮い立たせるように腿を叩いて立ち上がる。

 そうだ、今だって十分幸せじゃないか。霊夢がいて、阿求がいて、魔理沙がいて、沢山の人達に自分は生かされている。そんな(てい)の癖して、こんな湿ってぐちゃぐちゃになった気持ちなんて持っていてはいけないし、見せてはいけないのだ。

 たとえ空元気だとしても、いつだって笑顔で、溌剌として! でなければ、客商売なんて出来やしないっ!

 

「――ぃよし、再開しよっ」

 

 小休止を経てある程度の元気を取り戻すと、吹羽は早速置いておいた金槌を手に取った。火をもう一度起こして、温度を見定め、真っ赤に染まった灼熱の炉へと鋼を挿し入れる。炉の赤々とした炎は見つめる瞳と肌に焼き付くようだったが、吹羽はそれに、何処か安心するような感覚を覚えた。

 そうして赤めた鋼に目掛け、金槌を振り上げる。

 ――丁度、その時だった。

 

「御免ください」

 

 大きくはないが、良く通る澄んだその声に吹羽はピタリと手を止めた。

 お客だ。しかも、声音から予想するにそれ程お年を召されていない。

 正直に言って珍しい客だった。風成利器店は刃物とそれを伴う農具を扱う店であり、特別な理由(・・・・・)がない限りお客に武器を所持させる事はない。だから自然と客層は壮年から上が厚いのだ――霊夢や阿求は“店のお客”として来ることが殆ど無いのでノーカウント――。少年少女の来店数など言わずもがな。

 ――しかし、工房の入り口に佇んでいたのはフードを深く被った、吹羽と同じくらいの背丈をした子供だった。

 

「い、いらっしゃいませ……どういったご用件ですか?」

「コレを診て貰いたいのです。最近、あまり調子が良くない」

「は、はい。お預かり――っ!?」

 

 子供が差し出してきたのは、幅の広い太(・・・・・)()

 それはどう考えても子供が持っていていい大きさの刃物ではないし、何ならその重量故に振り回すことすら子供には難しい――つまりは持っている意味がないとさえ思える。

 だが、吹羽が真に何よりも驚いたのは其処ではなかった。

 少々慎重に、鞘から刀身を引き抜く。現れたのは、多少荒いながらも十分に“いい出来だ”と評価されるであろう白銀の刀身だった。そして其処には――紛れも無い、風紋(・・)が刻まれていて。

 

「こ、この刀は何処で……あ」

「ふふ、驚きましたか? 私たち下っ端(・・・)にも、そういう刀は支給されているんですよ」

 

 その、聞き覚えのある声に。

 頭の中で浮かんだ推測が、一瞬で確信へと塗り替わった。

 

 この刀の紋は確かに風紋だ。見間違う筈はない。だが、吹羽はこんな刀を打った覚えも風紋を刻んだ覚えもないし、そも先述の通り風紋武器を所持するには理由がいる。

 だが、この人は持っていた。

 持っているはずがない刀を。あるはずのない風紋武器を。

 ならば、この人は――。

 

「此間ぶりです、吹羽さん」

「も、椛さんっ!?」

 

 フードを取った子供――犬走 椛は、その微笑みの上でピコピコと耳を震わせていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――一つだけ、鳳摩には懸念するべき事(・・・・・・・)があった。

 

 先日、博麗の巫女が連れてきた風成 吹羽という少女。彼女の存在を知る事ができたのは、天狗として非常に大きな意味があったと言えよう。何せ長らく交流のなかった、天狗と唯一寄り添っていた一族の生存報告と同義である。友人の無事を知って喜ばぬ薄情者などこの世にあろうか。

 天狗は、吹羽の一族――風成家と大昔に友好を結んだ。普通なら敵対して然るべきである人間と結んだその友好は、しかし逆に、両者間の繋がりの強さそのものを示している。だから今でも天狗は――少なくとも鳳摩は、風成家を永遠の戦友(とも)と呼ぶのだ。

 だが、友好関係の亀裂(・・・・・・・)というのは、往々にして起こりやすいモノでもあり――。

 

「……ふむ、まぁ――仕方のないこと、なのかも知れぬのう……」

 

 執務室の椅子で、ぼうっと虚空を見つめてぽつりと零す。それは確かに諦観を含んだ声音ではあったが、それ以上に昔を懐古し、そして同時に悲嘆するかのような響きを孕んでいた。

 悲嘆――そう、鳳摩は“ある一人の少女”を想って、嘆いていたのだ。

 

 哀れ、きっと少女は復讐(・・)に燃えている。

 こうなる事が運命だったならば、彼女の戦いは“あの日”から始まってすらいなかったという事なのだろう。

 風成 吹羽という少女が――いや、風成家が未だ潰えていないと分かった今、この先にどんな展開が待ち受けているのかが火を見るより明らかに予測出来る。

 鳳摩は知っていた。

 “この問題”は、己が介入してはならないモノなのだ――と。

 

「……ふむ。それならば、儂はどうするべきなのか……」

 

 “懸念すべきその時”が訪れるその時に、一体自分は何をするべきなのか――と。

 鳳摩は天魔だ。天狗たちの首領。空の体現者。そして同胞を束ね導き、未来を見据える者であらねばならない。

 内側で燻り続ける“負の思想”を、放って置くことなど、彼には出来ない。

 

「さて、では……どうしたものかのう……?」

 

 そう気を抜くように呟いて、再び虚空を見つめ始める鳳摩の瞳は。

 しかし僅かに、思い詰めた色をしていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「なるほどぉ……」

 

 椛の刀を診ていた吹羽は、その刀身に視線を滑らせながら感心の吐息を零した。

 そのすぐ横では、フードだけを取った椛がその手元を覗き見る。吹羽がどこを見て感心したのか、興味があるようだった。

 

「確かに古い型ですね……それも大昔です。ボクが使ってる風紋の前の前の前の……まぁ、すっごく前の型だっていうのは形から分かるんですけど……こんなの初めて見ましたぁ……」

「……直せそうですか?」

「あ、それはご心配なく。紋が少し削れてしまって、上手く風を流せなくなってるだけですので」

 

 ――と、吹羽は刀身をゆっくりと撫でながら答える。

 指先から伝わる感触。この古い風紋は、本来の紋よりも表面が僅かに欠けてざらついていた。これでは風を流すのに効率が悪いし、破損もしやすい。

 ダメ出しを敢えてするならば、風紋自体の形が悪く、御粗末な出来と言わざるを得ないほどだ。

 

 吹羽は早速、様々な工具が並べられた棚をガサゴソと弄り始めた。やがて棚から取り上げたのは、彫刻刀にも似た刃を持つ数本の工具。そして小さめの金槌だった。

 

「前に聞いたことがあるんです。“嘗ての風紋は斬る事のみを志向し過ぎて、もはや刀を消耗品へと劣化させていた”って。その意味が今やっと分かりました」

「……? どういう意味です?」

「この刀の風紋、刃部にしか風を纏えないようになってるんですよ」

 

 とんとん、と指で叩くのは、刀身の“斬る役割”を果たす部分。

 風紋の専門家たる吹羽の眼は、刀を診始めてすぐにその機構を読み解いていたのだ。

 この刀の風紋は、この部分のみに風を収束させて切れ味を格段に上昇させるもの。それだけでも一般に鍛えた刀より何倍もの威力を発揮するは確かだが――吹羽に言わせてみれば、この刀はそれだけ(・・・・)でしかない。

 

「刃部に纏うだけじゃ、切れ味は上がっても刀身自体を保護出来ません。斬れるだけで、斬り飛ばす(・・・・・)事が出来ないんです」

「斬り飛ばす……なるほど、完全に断ち切るまでが風紋の役割なんですね」

「その通りですっ」

 

 流石風紋刀の持ち主なだけはある、と吹羽は思わず声を上げた。

 実を言うと、周囲の人に風紋の事を話しても、専門性が高過ぎる故に話が長続きしなかったり上手くはぐらかされたりしてしまって、ちょっぴり寂しく思っていた吹羽である。

 霊夢には適当に流されるし、阿求には苦笑いで応対されるし、あるいは魔理沙なら興味を持ってくれるかも分からないが、どの道今どうこうと決め付けることはできない。

 わざわざこうして説明しているのも、“使うからには概要くらい知っておいてもらいたい”という思いの他に“これを機に話のできる相手が欲しい”というちょっとした欲望が無きにしも非ず。

 

 そんな吹羽の内心などつゆ知らず、椛は真面目な顔で分析を再開する。

 

「斬るだけでは破片によって紋が傷ついたりして破損しやすい……何なら、血とかが付着して錆びる可能性も……」

「え……血? 血が付くことなんて……あるんですか? いえ、言ってることは正しいんですけどね……?」

 

 ふと蘇る、霊夢との“人間は河童の盟友”談義。

 あの時、天狗と風成家は友人同士だ、と纏められはしたものの、こうして椛の口から血がどうとか聞くと少し怖くなってしまう。

 青ざめた笑いで僅かに後ずさる吹羽に、椛。

 

「? そりゃ、食事の為に獣を狩ったりもしますから。イノシシとか倒す時には重宝してますよ、この刀は」

 

 ああ、イノシシって皮膚硬そうだからねぇ――なんてぼんやりした感想を抱いたのは、果たして椛の言葉にホッとしたからなのかどうか。

 少しばかり引き攣った笑いを零す吹羽に、椛が首を傾げたのは言うまでもなく。

 

「と、兎に角! この刀はちゃちゃっと直しちゃうので、待っていてくださいね!」

「ああいえ、忙しいならば後回しでも――」

「簡単な仕事からさっさと片付けたいんです! ……大仕事には時間たっぷり使いたいので……」

「ああ、はい……お任せします……」

 

 そうして、同情を含んだ椛の視線に背中を押されながら、吹羽は早速預かった刀を分解して刀身を炉に差し込む。

 椛が来てくれたことは嬉しいが、仕事が更に増えたのには素直に喜べないというこの複雑な心境。

 もういいよ、やるよ! ――と半ば自棄になった内心をひた隠しにして、吹羽は柔らかくなった鋼に、刃を添えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 風成家との関係については、哨戒天狗となって始めの頃に教わった。

 曰く、天狗族唯一の人間の友人である――と。

 それはもはや天狗の掟として定められていて、妖怪の山を訪れた人間が仮に風成家の人間だと確認が取れた場合、その者を直ちに客人として扱い、最大限の礼節を払うこと、と教えられた。風紋の刻まれたあの刀を渡されたのもその時である。

 

「(風紋――本物(・・)は、こうして刻むのか)」

 

 赤めた刀身の風紋を、彫刻刀のような道具と小さな金槌で削っていく。吹羽はその大きな瞳を鋭く細めて、言葉を掛けることすらも憚られるほど真剣な空気を放っていた。

 

 ――全く凄まじい、と椛は思う。

 何より、あんな繊細なモノを自らの手で刻んでいるという事実が。

 

 そもそも、吹羽曰く古い型とはいえ何故天狗が風紋武器を所有しているのかといえば、それには河童が関係している。

 風紋は大昔に天狗に伝えられた。その頃は“風成家が作った武器”を天狗が使っていたそうだ。

 しかし、刀がいくら劣化しにくい材質とはいえ、風成家がだんだんと廃れていった故にその生産数にも限りが訪れたのだ。

 天狗の数は増えるか保つか、しかし風成家はだんだんと衰退し、刀の生産量も追いつかない。

 そこで名乗りを上げたのが、同じく妖怪の山に古くから棲む河童たちである。彼女らは、お得意のカラクリを用いて風紋の解析を行い、再現を試みたのだ。

 元々複雑難解な物事を解き明かすのが大好きな河童達である、利害の一致という意味では、彼女らも天狗族、そして風成家との相利共生状態にあった。

 

 結果的に、再現は十分成功したと言えるだろう。だが彼女らが望んだ出来ではなかったのも事実だった。

 一振りの刀に刻まれた風紋を原子レベルで解析・配列の算出を行い、それに基づいて刀身を滑る風の流れをシミュレート、その原理を解き明かした。

 後は専用の機械を組み上げれば、風紋武器を大量に生産することができる。まさに模倣が本物を超越する瞬間。これこそ河童の真髄である。

 

 しかし――河童達には全く同じモノ(・・・・・・)を作る事は出来なかった。

 

 情報量があまりにも膨大だったのだ。それこそ、河童の誇る技術を用いた最高峰のカラクリを使ってさえ、風紋を完全再現するにはスペックが足りなかった。

 風を刀身で操り、収束・拡散などの効果を生み出すには、あまりにも緻密で繊細な造形が必要となる。それを作る技量の洗練具合などもはや語るべくもない。そして、解明した風紋を進歩(・・)させることも出来なかった。

 椛の友人の河童曰く――“あんな事やってたら間違いなく気が狂う”

 “どう考えても唯の人間にできる業じゃない”

 

 ――だからこそ、椛や他の天狗達が所有する風紋武器は、吹羽(本物)から見て出来が悪い。

 ――だからこそ、そんなものを手作業で完成させる吹羽に、椛は畏怖を抱く。

 妖怪が人間に抱く感情としては、あまりにも不相応な畏怖を。

 

「(まぁそれはそれとして、河童達が言っていることも一理はあるんだよね……)」

 

 “人間の業ではない”――その考えには同感だ。実際に見て、椛の中ではそれが確実なものへと変わっていた。

 椛は理解している。赤めたお陰で削りやすいとはいえ、風紋の彫刻作業はコンマ数ミリ単位の作業なのだ。加え、風紋は複雑な溝を使って風を操るものである。実際に流れた風がちゃんと思い通りに動くのかどうかなど、確認しなければならない事は山ほどある。

 気が狂うほどの精密な作業。風の流れを把握するその超感覚。凡そ人に成せる業ではない。

 

 ――と、なれば。

 椛はジッと吹羽を見つめ、ある可能性(・・・・・)に思考を巡らせる。

 人間には凡そ出来ない事を熟すことの出来る理由。複雑怪奇な紋の彫刻を可能たらしめる要因。

 ならば、吹羽は恐らく――。

 

 

 

「おぉ〜う。ここかここか、風成利器店ってのは!」

 

 

 

 突然の野太い声。

 思案していた椛の思考は唐突に打ち切られ、自然と声の主の方へと視線が向かう。

 そこに現れた者の姿に、椛は不覚にも少々驚愕した。

 

「お? 椛じゃねぇか。なんだ先越されちまったなぁ」

「あなたは烏天狗の……こんな時間に何故ここへ?」

「こっちのセリフだぜ? おめぇ哨戒天狗だろうがよ、仕事はどうした?」

「……仕事は一先ず終えました。時間があったので、刀の調整も兼ねてここへ……」

「ほう、そうか。ならやっぱりお前が“一番乗り”か! まぁ今はプライベートだし、気楽に行こうや」

「はい……一番乗り……?」

 

 現れたのは、厳つい身体をした一匹の天狗。

 烏天狗は基本的に白狼天狗(哨戒天狗)の上司である。故に椛とも多少の面識がある天狗だ。特別接点がある訳ではないが、“彼が気の良い親父然とした天狗である”と理解する程度には、幾度か言葉を交わしたことがあった。

 彼は相変わらずのさばさばした雰囲気で、風成利器店の工房を興味有り気に見回している。

 

 ――しかし、椛が気にするべき事はそこではなかった。

 椛の知る限りこの天狗は滅多に人里になど降りてこない上、彼女のように最低限姿を隠すための羽織すら着ていない。

 人間に対して比較的敵対する立場にある天狗が人間の里に降りて来ることは、はっきり言って人間にとって好ましくない事態である。それを理解しているからこそ、天狗の中でもまぁまぁ思慮の深い椛は、風成利器店を訪ねる為に羽織を着てきたのだ。

 そうしなければ、天狗である自分は友人の(・・・)吹羽に迷惑を掛けかねない。

 

 だから、彼に天狗の証たるその黒い翼を隠す気もなく、そして実際に人間の目に晒しているこの状態は、実に看過しがたいことなのだ。

 それに、彼の言う“一番乗り”とは――?

 

「あ、あの……いらっしゃいませ。どういったご用件で――」

「おう、なんだ随分と可愛い女の子が出てきたもんだな! ってこたぁお嬢ちゃんが吹羽か!」

「ふぇっ!? は、はい……ボクが吹羽ですけど……」

「早速だが一振り頼むぜ! 最高に強力なのをなっ!」

「え、あ、はい……? えと、その……風紋刀を御所望ですか?」

「おうよ! こんな機会(・・・・・)は滅多にねぇからな!」

 

 親父然とした彼の覇気に圧されてか、吹羽の受け答えは辿々しい。

 それを抜きにしても、あぁまた仕事が増えるのか――なんて嘆いている内心が表情から明け透けだ。それを隠そうとしている点は商売人目線で評価するが、残念ながら千里を見通す眼――“千里眼”を持つ椛は表情を読み取るのも相応に上手い。彼女からすれば、吹羽の内心は筒抜けもいいところだった。

 

 だが、吹羽が困惑するのも理解はできる。

 若干会話が噛み合っていないというか――天狗側には間違いなく“さも当然”といった雰囲気があるのだ。

 何かしらの前提をした彼の言葉に、その前提を知らない吹羽は受け答えに困惑する。当然の結果だ。

 なら、少し助け舟を出そうか。

 丁度椛も話の展開について行けていないのだ、疑問解消も出来て一石二鳥というやつである。

 

「“こんな機会”、とは? 何かあったんですか?」

「あん? ……おめぇ、噂を聞いて来たんじゃねぇのか?」

「噂……?」

 

 予想外だったのか、椛の言葉に片眉を釣り上げる烏天狗。それに続いて、椛も吹羽も彼の言う“噂”とやらに首を傾げた。

 揃ってハテナを浮かべる二人に、烏天狗は一つ息を吐いて、

 

「そう、噂だ。烏天狗の中じゃかなり広まってるんだが、なんだ本当に知らねぇのか?」

「全く」

「お嬢ちゃんは知ってるよな?」

「し、知る訳ないですよっ。天狗さんの内輪で広まった噂なら、ボクの処になんて流れて来るわけありませんし」

「おや、そりゃ変だな……その噂を聞く限りじゃ――」

 

 す、と目を細めて、

 

 

 

お嬢ちゃんの提案だ(・・・・・・・・・)、って聞いたけどな」

 

 

 

 ――丁度その時。

 工房の外から、地を踏み鳴らすような着地音が聞こえた。いや、それだけではない。椛の敏感な聴覚は、確かにその者らの話し声すらも捉えていた。

 一人二人ではない。十人前後の群衆が同時に工房の外に現れ、真っ直ぐこちらに向かって来ている。

 椛はすぐに悟った。

 

 まさか、この足音全員――天狗なのか!?

 

「お、来た来た。ほらな、みんな噂を聞いてやって来たんだよ」

「やって来たって……ここは人間の里ですよッ!? 本当なら天狗が大勢で来ていい場所ではないんです、何を考えてるんですか!」

「別に良いんじゃねぇか? 人間共がパニックになる程度だろ。誰か殺す訳でもなし、大した影響はないと思うが」

「そんなこと言ってるんじゃ――」

「あ、あのっ!」

 

 彼に反抗する椛の言葉を、焦燥の孕む吹羽の声が切り裂く。

 反射的に向けた視線の先で、吹羽は。

 

「それより、噂の内容を教えてください! 何が起こってるんです!?」

「お、おお……ちょっと落ち着けよ。な?」

「いいから早くしてください」

「お前もだよ椛。そんな睨んでくんなよ」

 

 やれやれといった雰囲気の烏天狗に、椛は内心で沸々と苛つきが募り始めていた。

 この天狗、事の重大さが分かっていないのだ。

 天狗が大量に人里に降りてきたらそりゃあもう人里はパニックになるだろう。人間にとって天狗は恐るべき妖怪だ、如何に天狗側に人間を傷つける意思がなかろうと、そこにいるだけで“恐怖”というものは容易に生まれる。

 そしてそうなれば、最悪の場合――その渦中にあるこの家はきっと、里から忌避さ(・・・・・・)れる(・・)ようになってしまう。吹羽は確かにそれを覚悟していたが、それはどちらにしろ、吹羽の友人として何としても避けねばならぬ事だ。

 

 眉を顰めて天魔様でさえ危惧していた“最悪の場合”を想定する椛に、烏天狗は飄々と語り出す。

 

「なんかな、“風成の御息女が、俺ら天狗との親交再起を記念して風紋刀を作ってくれる事になった”ってな」

「は、はいっ!? ボクそんなこと言ってませんよっ!?」

「だぁからそれがおかしいってんだよ。ならこの噂は何処から出てきたってんだ? まさか火もつけてねぇ薪から出る訳もあるめぇよ」

「ど、どうしましょう……天狗さんたちに贈るような風紋刀なんて、作る時間も材料もまだ全然足りませんよ……」

 

 ……本当に問題なのはそこではないのだが。

 お人好しな彼女はやはり、己の危機にすら疎いらしい。

 

「……とにかく、今来た人達をどうにかしましょう。来てるのは烏天狗だけなんですね?」

「ああ。噂が広まったのは烏天狗の間だけらしいからな」

 

 と、意味有りげな視線を向けてくる烏天狗を一瞥し、椛は急いで工房の外に出た。

 吹羽もついて来てくれたが、正直に言って天狗達と関わらせるつもりはない。“噂の中心”たる彼女が話に加わるとややこしい事になる可能性があるし、何よりも“吹羽が恐怖の対象である天狗達と関わっている”と広く知れれば、それは彼女にとって非常にマズイことになる。最悪の一歩手前だ。

 椛は心の内でそう取り決め、怪訝な視線を向けてくる烏天狗達を睨め付ける。

 烏天狗の群衆は、一匹を先頭にして目前にまで迫っていた。

 

「今すぐに引き返してください、烏天狗の皆さん。ここは人間の里、天狗が大勢で来る場所ではありません」

「……下っ端の白狼天狗が何を言いに来たのかと思えば、随分唐突だな」

 

 単刀直入に過ぎるかとも思える椛の言葉には、烏天狗達も良くは思わなかったのだろう。言葉を返す先頭の烏天狗は、僅かに眉を顰めていた。

 だが椛はそれにも臆せず、落ち着いた口調で淡々と言葉を紡ぐ。

 

「皆さんが集まった理由は聞いています。烏天狗の間で広まったという噂でしょう?」

「それを知ってるなら止める理由はないはずだ。何せ風成の御息女たっての希望と聞いてる。それを断るのはむしろ失礼ってやつさ」

「その風成の御息女が、あなた達とその噂のお陰で困っています。希望だからと言って困らせるのは、失礼なことではないのですか?」

「……何が言いたい?」

 

 訝しげな声で尋ねる烏天狗。

 噂の実態を知らない彼では、まぁ、椛の言い分に首を傾げるのも無理はないだろう。

 ――勿体つける意味はない。一刻も早くこの者たちを里から出さなければ、他の人間達にこの場を見られる可能性がある。

 椛は出来るだけ分かり良く、且つ簡潔な言葉を組み立てながら口を開いた。

 ――が、椛が言葉を放つよりも早く。

 

「ご、ごめんなさい天狗の皆さんっ!」

 

 直ぐ後ろから響いた鈴音の声に、椛は一瞬で青褪めた(・・・・)

 

「その、まだ皆さん全員に刀は作れないんです! 時間もありませんし、資材をまだ調達出来ていないんです……」

「うん? 一体何の……ああそうか、君が風成 吹羽か。お目に掛かれて光栄だ。だがそれはどういう事だ? 君は時間も資材も足りないのが分かっていながら、刀を作ると洞を吹いたのか?」

「あ、いえ……それはその……」

 

 僅かな憤りを感じさせる烏天狗の声音に、吹羽が小さく息を呑む音が聞こえる。

 一応友好関係にあるのだから怖がる必要はないのだが、案外小心者なのか吹羽は次の言葉を紡げないようだった。

 ――ここは話が拗れる前にフォローしなければ。やはり、吹羽に話をさせるべきではなかった。

 椛は吹羽を射抜く烏天狗の視線を遮るように身体を滑り込ませると、やはり少しばかり鋭い視線のまま口を開いた。

 

「……皆さんが聞いたというその噂は、全て出鱈目です。吹羽さんは噂に関して一切関与していません」

「……何だと?」

「誓って本当の事です。私も吹羽さんも、その噂に関してはつい先程知りました。……ですので、早急に山へ引き返して頂きたい」

 

 兎に角、人間達に見られる前に。

 内心では、椛も少々焦っていた。口調こそ冷静なものの、いつこの場面を人里の人間達に見られるか分からない。何よりも先ずは、この天狗の群衆をこの場から離さなければ。その後はやることを終えて自分もここを去った方が良いだろう。

 背中にじわりと嫌な汗が滲む。彼女の内面に潜む焦りと緊張が滲み出ているようだ。

 だが、しかし――天狗の群衆は、騒つくばかりで動こうとはしない。

 

「(……やはり、妖怪は妖怪か)」

 

 心の内で舌打ちを一つ打つ。やはり上手くはいかないなと、椛は妖怪という種そのものに悪態吐く。

 なぜ動かないのかとは、疑問を抱くまでもないのだ。

 妖怪の成り立ちは人間の畏れや欲であり、天狗はまさに人間の「決して人には届き得ない天空への畏れと渇望」が生み出した妖怪。その欲の表出に個体差はあれど、基本的に妖怪は欲深い生き物だ。

 どうせ“このまま帰るのは気に食わない”とでも考えているのだろう。自分も妖怪だから分かる。噂に振り回されて若干不機嫌な事も一因なのかも知れないが。

 

 硬直する場に当てられてふと、椛は背後に控える吹羽の様子が気になった。ちらと横目で見てみれば、彼女は不安そうな光を瞳に宿して、片手で胸を押さえていた。

 中々動き出さない天狗達に不安を覚えているようだ――と、椛の千里眼は刹那に見抜く。

 椛はそっと吹羽に歩み寄り、安心させるように手を握った。

 

「も、椛さん……?」

「ここは私に任せて下さい。きっと上手く収めますから」

 

 ――全く、面倒なことになった。

 劣化風紋武器を持つ天狗に本物を手にする機会を与えたら、我先にと押し寄せるに決まっているのだ。

 何処の誰だか知らないが、こんな噂を流せばこうなることぐらい分かりきっているだろうに。

 こんなのは友人同士のじゃれ合いでも何でもない。ただの嫌がらせに等しい。

 内心で柄にもなく毒突きながら、椛は次なる言葉を放とうと烏天狗を見遣る――その時だった。

 

 

 

「お前達、何をしているッ!?」

 

 

 

 椛には、聞いたことのない声だった。

 いや、椛自身吹羽に出会うまで人里に降りようなど思い付きもしなかったのだから、当たり前とも言える。だが、それでも椛は、その声を聞いてとても溜め息を吐きたくなった。

 だって、この場で知らない者の声が聞こえてきて、明らかにそれはこちらに放たれた言葉なのだから、予想出来ることなど限られてくる。

 ああ、全く――

 

「何故こうも、次から次へと……」

 

 椛が見遣ったその先には、焦燥を滲ませる銀髪の女性が、こちらを睨んでいた。

 

 ああもう、面倒臭い!

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――まぁ、不可抗力と言えばそれまでなのだろう。

 人里に住んでいる者ならば、事の重大さには直ぐさま気が付く筈なのだ。そこで怖がって家に引き篭もる者もいれば、兎に角離れようと里の端まで逃げる者もいる。というより、殆どの人間はそうする。

 

 現実的にそれは正しい。

 襲われればいとも容易く命の危機に陥るという点については、もはや改めて論ずるだけ無駄の極みというものだが、何より“妖怪を恐れる姿勢”というのは、幻想郷の人間として正しい姿である。それを情けないなどと非難する者は、恐らく妖怪の恐ろしさをろくに知らない大馬鹿者か、この世界における人間の立場を理解していない愚か者に限られる。

 

 ――だが、一人。

 人間の里に住みながら、ある程度の力を持った彼女――上白沢 慧音だけが、例外というだけである。

 彼女がその強い正義感故に。

 里の中から天狗が里に降りてくるのを目にすれば。

 そしてその光景によって、“天狗が里を攻めに来た”のだと勝手に思い込んでしまえば。

 

 吹羽達と天狗達が対立するこの空気の中へ、場違いにも殴りこんでしまったのは、まぁ、彼女の性格からして仕方のない事――なのだろう。多分。

 

 まぁそうは言いつつ、この時の彼女にはそれほど“やっちまった”という考えはなかった。

 もともと頑固なところがある上、慧音は思い込んだら中々修正の効かない思考回路をしている部分がある。

 実際は天狗が人里を攻めてくるなど現実的にあり得ない――人がいなくなるのは天狗にとっても致命的ゆえ――のだが、その事すら今の慧音は全く考慮できていなかった。

 そう、例え吹羽の隣にいる白狼天狗が嫌そうな視線で睨んで来ていたとしても、慧音は全く意に介さず己の道を突き進む。

 

 さて、こやつらどう懲らしめてやろうか――と。

 

「け、慧音さんっ!? 何でここに!?」

「天狗達が降りてくるのが見えたからな。方角からして吹羽、君の家の近くだと思って急いで来たんだ。そうしたら案の定……」

 

 驚愕する吹羽の下へ、慧音は説明ながらに歩み寄る。待ち侘びた再会だが、今はそれどころではないと内心で激しく自制する。

 雰囲気とそれぞれの位置取りからして、あまり状況の詳細は理解できないが話が拗れて来ているのは確実なようだ。

 ならば自分は吹羽の味方に付き、万が一のことがあれば彼女を守ろう。

 ものの数秒でそう心に決めたところは流石慧音というか、子供のために命を張るその気概はまさに教師の鏡である。

 そうして険しい視線のまま、吹羽の前へと歩み出て――ふと、気が付く。

 

「君は?」

「……白狼天狗が一匹、犬走 椛です」

「椛か。では君も下がっていなさい。見た所君も天狗だが、他の天狗と対立している以上は――」

「断固拒否します」

「……は?」

 

 呆けた声と共に椛を見ると、

 

「というか、あなたが下がっていてください。話が拗れて面倒なので」

「い、いやちょっと待ってくれ。すでに拗れているんだろう? ここは大人に任せなさい、きっと上手く――」

「イヤです。ムリです。出来もしないことをやろうとしないでください迷惑です。あと私こう見えて二百年くらいは生きてるので多分あなたより年上です」

「(猛毒が飛んで来た……)」

 

 何故だろう、初対面の筈なのに酷く嫌われている気がする。今までそんな事一度もなかっただけに内心では驚愕を隠せない――っていうか、呆けている時点で隠せていない慧音である。

 

 と、とにかくここで引く訳にはいかない。例えこの椛という天狗が拒否したとしても、これはあくまで向こうに並び立つ天狗達と人間の里の問題だ。

 人里の問題を、天狗の少女に任せて後ろに下がっているなど慧音には出来ない。それにまぁ、吹羽が後ろで見ている訳だし……。

 

「と、とにかくだ! そこの天狗達には即刻立ち去ってもらおう!」

「何故だ」

「……なに?」

「何故我々がお前の言う事を聞かねばならんのだ、と聞いている。人間風情が図に乗るな」

 

 ――おぉ、これまた随分と我の強い……。

 話には聞いていたが、天狗の人間に対する侮蔑とはこれほどまで強烈なものなのか。

 天狗の高圧的な態度に、慧音は苦笑いしそうになるのを反射で堪える。厳密には慧音は人間ではなく“半妖”なのだが、まぁ今それは置いておくとしよう。

 

 妖怪が人間に対して高圧的なのは天狗に始まったことではない。事実として妖怪は人間よりも強い存在だし、それが分かっているからこそ人間は妖怪に謙る。無用な争いを生まぬ為の知恵の一つだ。

 だが――この天狗の言い分には、正直に言って納得できないし、引く訳にもいかない理由があった。

 

「“私の言うこと”以前の問題だ。お前たち天狗が大勢で人里に乗り込めば、一体どうなるのかなど火を見るより明らかだろう」

「直接的な害はないはずだが」

「“間接的に害している”と言っているんだ。今だって大勢の人間が怯えて外にも出られないでいる。人里の人間を害するのはルールに反すると知っているはずだ」

 

 勿論、多少は話を盛っている。

 天狗たちを恐れて外に出られない者は確かにいるだろうが、恐らくはそれほど多い数ではない。話を有利に進める為の補強材(デマ)だ。

 だが、それでも彼らが人間たちを襲う気ならば同じこと。手を出せば瞬く間に人間たちは情報を拡散し、各々で逃げ隠れするだろう。

 そうなれば多かれ少なかれ様々な物事に影響が出る。普段人里に降りてくるような温厚な妖怪相手の商売にすら甚大な被害が出るはずだし、何より“人間の里だけは絶対安全”というルールが崩れ去ることになる。

 

 人里の人間を害するのは御法度。天狗たちが大勢で押し寄せてくるのも、こうして見れば立派な違反である。

 もし、それでも手を出し始めるようならば――この命に代えてでも、阻止してみせる。

 慧音の意思は固かった。

 

「さぁ、分かったら出て行ってもらおう。早急にな」

「………………」

 

 慧音の言葉に、天狗たちは押し黙る。正論を語っているのだから当然の事だった。

 さぁ、もう言う事は言い切った。これでゴネるならもう手札はない。後は彼らの反応を待つのみだが――。

 

 ――と、その時慧音の視界に、白くふわふわとした()が映り込んだ。

 

「……と、まぁそういう事です。この人の話は若干食い違っている気もしますが……言いたい事は同じです」

 

 慧音の前に出た椛は、一歩更に踏み出して、

 

「この里の――何より吹羽さんの迷惑になる前に、ここから立ち去ってください」

 

 それは紛れもない“威圧”だった。

 下っ端であるはずの白狼天狗が放てるとは到底思えない程の圧力が、無手の椛から溢れ出しているのが慧音にも分かった。それを真正面から受ける烏天狗たちも、恐らくは内心穏やかでは決してないだろう。

 その威圧に少々目を見開いていた先頭の烏天狗は、やがて“なるほどな”と、僅かに口の端を吊り上げた。

 

「犬走 椛……聞き覚えがあると思えば、あの“千里眼”か。いや、その覇気は見事なものだ」

「……御託はいいので、早く立ち去ってください。何も永久に来るなと言っている訳ではないんです。吹羽さんはまだ準備も何も出来ていないし、大勢で押し寄せてくれば人目につく。……分かるでしょう? これは何より吹羽さんの為です」

「……ふむ、なるほど。考えてみれば確かに、私達は失念していたようだ」

 

 椛の言葉に何を気が付いたか、烏天狗は一つ頷くと、ふわりと上空に飛び上がった。それに続いて、背後の天狗たちはも飛び上がる。

 その光景は、もはや圧倒的ですらあった。

 

「吹羽殿、此度は迷惑を掛けた。噂に振り回されたとは言え、あなたに配慮しなかったことは詫びよう」

「あ、いえ! お気になさらずっ!」

「……ふむ。ではまたいつか伺おう。今度はちゃんと礼節を守って、な」

 

 最後に椛を一瞥し、烏天狗たちは再び空を駆け上がる。彼らを見送った後には、先程のひり付く空気など何処へなりといった静けさだけが、妙に満ち満ちて耳に響いていた。

 

「さて、それじゃあ戻りましょうか」

「……はい」

「……ああ」

 

 ――何だろう、話に置いていかれている気がする。

 密かにそんなことを思いながら、慧音は吹羽と椛の後に着いて、工房へと戻っていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「な――なん、だと……ッ!?」

 

 今にも膝から崩れ落ちそうな声音で驚愕を露わにするのは、椛と吹羽(ついでに工房で待機していた烏天狗)から事の顛末を伺った慧音である。

 椛と目的が同じだったから何とか話を噛み合わせる事に成功したものの、勘違いしたまま口論に突撃してしまっていた事にようやく気が付いた慧音は、その端正な顔をさぁっと赤く染めていた。

 まぁ、勘違いというものは得てして恥ずかしいものである。大勢の前で露呈しなかっただけ今回は慧音の運が良かったのだろう。

 

「わ、私はなんて勘違いを……もう少しで地雷を踏むところだったじゃないか……!」

「はぁ……まぁ初めから何となく分かっていました。あの登場の仕方で、状況を正確に把握できている訳がありませんしね」

「う……だ、だが結果として互いに目的が達成できたのだから、いいじゃないか!」

「む、それは素直に認めますがね。よく勘違いしたまま話を合わせられたな、と」

「く……君、私をバカにしているだろう……!」

 

 バカにしているというより、あまり快く思っていないだけだ。

 今更だがこの椛、先程の慧音の乱入の件を未だに根に持っている。勿論、烏天狗たちを山へ帰すのに一役買ってくれたのだから助かったとは思っている。だが、正直に言ってアレは自分一人でも何とかできる範囲だったし、なるべくなら第三者の介入はして欲しくなかった。

 

 何故かって?

 面倒臭くなる可能性が高くなるからに決まっている。

 

 だから、椛としては“終わったのだから良いではないか”では済ませたくないのだ。

 結果として、椛の慧音に対するファーストインプレッションはあまりよろしいものではない。

 

 ――と、慧音との話に一段落ついた、丁度その時だった。

 

「よし、出来ましたっ!」

 

 椛としては待ち侘びた一声。すぐさま吹羽の方を向くと、彼女は満面の笑みで刀をこちらに差し出していた。

 

「はい、椛さん! 新品みたいな出来になりましたよっ!」

「はぁ〜……すごい、綺麗……」

 

 手渡された刀は、白銀に煌めいて盛んに光を反射していた。その中に刻まれた風紋はいっそ愛おしい(・・・・)程に滑らかで、昨日まで使っていた我が愛刀とは思えぬ程の出来栄えだった。これならきっと、どんな物でも一刀両断である。

 

「おお……それが君の刀なのか」

「はい。これなら何でも斬れる気がします。ありがとうござます吹羽さん!」

「いえいえ〜、これも仕事なので。喜んでもらえて何よりですっ」

 

 吹羽の笑顔を少し眩しく思いながら、椛は新しくなった刀を慣れた手つきで鞘に納める。

 普段はあまり表情の動かない椛ではあるが、その顔は僅かに緩んでいた。

 

「――さて、口惜しさもありますが……私はこれで帰ろうと思います。まだほとぼりは冷め切っていないでしょうし」

「……そうだな。済まないが、吹羽の為にもそうしてやってくれ」

「え、もう帰っちゃうんですか……? ボクは別に迷惑なんて思いませんよ……?」

「……ふふ、吹羽さんは本当に優しいんですね」

 

 キョトンとする吹羽の表情に、椛は思わず笑みが零れた。

 この子は優しい。先程だって、自分が村八分にされるかもしれない状況だったにも関わらず、押し寄せた天狗達に風紋刀を作ってやれない事を本当に悔いているようだった。

 彼女が天魔の屋敷で言った事は本心だったのだと、椛は彼女の明るさに目を細める。

 

「でも、帰りますよ。客は用が終わって代金を渡せば、あとは帰るものでしょう? それに……吹羽さん、まだ仕事が残っているんですよね?」

「あ……そ、そうでしたっ!」

「そちらを優先してください。私はまた別の機会に、遊びに来ますから」

「……“一日の遅れは十日の遅れ”という諺があります。今やってしまわないといけないのは分かってるんですが……うぅぅ、名残惜しいです……」

 

 と、椅子に腰掛ける烏天狗を見遣り、

 

「ほら、行きますよ」

「んお? 俺もか? 俺ァまだ刀作ってもらってないんだが」

「話聞いてました? その件はまた今度にして下さい。“少なくとも今は出来ない”という事で話は付いてるんですから」

「わーかったわかった、冗談だよ。ンなに責めんなよ、相変わらずクソ真面目だなぁ」

「むっ、誰の所為だと――」

「はいはい、先外出てんぞー」

 

 最後に二ッと吹羽に笑いかけてから、烏天狗は言葉通り工房の外へと出て行った。それを若干不機嫌な目で見つめる椛も、軽く溜め息を吐いて向き直る。

 その視線は、慧音の方へと向いていた。

 

「慧音さん、でしたね。改めて、私は白狼天狗の犬走 椛です」

「ああ、私は寺子屋で教師をしている、上白沢 慧音だ。よろしく」

「よろしくお願いします。ところで、あなたはこれから如何するおつもりで?」

「……その言い方、“私もここにはいない方がいい”、とか言おうとしてるな?」

「……流石教師ですね。ご明察です」

 

 言わんとしている事を言い当てられ、冷静沈着な椛も少々驚いた。だが直ぐに表情を戻すと、感心したように口の端を僅かに上げた。

 

 子供というのは言葉がまだ未熟だ。だから子供を纏める教師は、子供達の言葉の端々から何を言おうとしているのかを察せられなければならない。しかしそれも一朝一夕で習得できる能力ではない。

 きっと慧音は良い教師なのだろう。勘違いで突っ走る点は決して評価できないが。

 

 だがまぁ、分かっているならば話は早い――と、椛は少し真面目な顔になって言う。

 

「今日は私たちの天狗が押しかけてしまった為、精神的にも時間的にも吹羽さんに負担をかけてしまいました。慧音さんがもしここに止まるおつもりなら、出来れば今日は吹羽さんに一人の時間を作ってあげて欲しいのです」

「むぅ……正直、やっとこの子に再会できたのだからもっと話したいのだが……仕方あるまい。……何だか、間の悪い時にばかり居合わせている気がするな、くそぅ……」

 

 ブツブツと最近の不遇に吐いて文句を垂れる慧音は、少しだけ考えるそぶりをすると、直ぐに一つ頷いて吹羽の前に屈み込んだ。

 その表情は、優しげに微笑んで。

 

「ならば、吹羽。次の定休日を教えてくれないか?」

「定休日……ですか? えっと、次に閉めるのは……うーん、六日後になっちゃいますね。何でですか?」

「一緒にご飯でもどうだ? なに、お金なら心配要らない。君は私の生徒でもないし、私が全て持つよ」

「い、いいんですか!? 行きますっ!」

 

 即答する吹羽に慧音は大変ご満悦の様子。

 椛の“千里眼”はその笑顔に何処か必死さ(・・・)を捉えていたが、まぁ心配することでもなかろう。慧音が変な気(・・・)を起こすとは思えないし、何よりも先程教師としての彼女を認めた。

 椛は慧音に頭を撫でられてだらしない笑顔を零す吹羽に一つ微笑み、軽く一礼してから外に出た。

 

「……お待たせしました」

「ああ、行くか」

 

 待機していた烏天狗と連れ立って、椛はひっそりと、里の外へと歩き出す。

 勿論、人の目には最大限注意しながら。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「――それで、どう思いますか?」

 

 里の出口近くとなり、最早人の気配もほとんど感じなくなった頃、椛は徐にそう呟いた。

 それは主語も何もない未完成な言葉だったが、隣を歩く烏天狗には何の抵抗もなく通じた。

 まるで“分かりきったことを聞くな”と言わんばかりに大きな溜め息を一つ吐くと、烏天狗はその野太く低い声で言う。

 

「……言われてみりゃあ、確かに笑い話にゃあならねぇな。他の人間のことなんざ知ったことじゃねぇが、今回のは間違いなくお嬢ちゃんに害が及ぶスレスレのところだった。現に、あの教師の姉ちゃんは俺ら(天狗)が攻めてきたんだと勘違いしてたしな」

「……ええ。私達は人間にとって恐怖の対象です。それを十分に理解していない方が多過ぎる」

 

 その声に確かな憤りを感じさせる椛を、烏天狗は横目で見下ろす。

 そして「ふん」と軽く息を鳴らすと、

 

「そりゃあ言い掛かりだぜ。お前さんが特別風成家への配慮に対して視野が広いってだけさ。友達なんだろう?」

「……風成家への配慮はそもそも掟の一つでしょう? 私だけが特別な訳ではない――特別であってはいけないはずです」

「はっ、これだからクソ真面目は。素直に心配なんだって言やぁいいのによ」

「…………そう、ですね」

 

 そう返した椛の言葉は珍しく歯切れが悪く、烏天狗は思わず隣を歩く椛を見下ろした。

 椛は歩みの速度こそ落としたりはしていなかったが、その顔には僅かに困惑が見られた。

 

「何故でしょう……私は、天狗という種の掟どうこう以前に、吹羽さんの一友人でいたいと思っています。霊夢さん――博麗の巫女もそうですが、吹羽さんにも何か……他を惹きつける何かがあるように感じます」

「……まぁ、性質的には同じ“風の一族”だからな、俺達は」

 

 と、一見素っ気ないような返答を返す烏天狗は、直ぐに再び溜め息を吐くと「あー」と前置きとも言えない前置きをして、語り出した。

 

「……噂の出所、心当たりならあるんだ」

「! 本当ですかッ!?」

「ああ、だが教えられん」

「早速――え?」

 

 烏天狗の拒否的な言葉に、椛は思わず足を止めた。

 その内心を見透かすように、烏天狗は少しだけ申し訳ないような表情で立ち止まると、

 

「……お前はあの時(・・・)のことを知らない。だから、お前に首を突っ込む資格はねぇんだ。知ったら知ったで、いざという時に真っ先に横槍を入れそうだしな」

「なっ――どういうことですか!?」

「何度も言わせんな。言えねぇんだよ。これはお前が入っていい話じゃない。……いや、俺もか」

 

 ぽつりと、そう呟くのを切欠に、烏天狗は再び歩き始めた。

 彼の言葉に全く容量の得ない椛は、やはり数秒そこで固まっていたが、思い出したように駆け出してその背中を追う。

 

「ま、待って下さい!」

「おら行くぞ。この話は終わりだ」

「そんな勝手に――」

「いいか椛」

 

 その、背中越しに。

 太い釘を刺すような、重い声音で。

 

「万が一、お嬢ちゃんが天狗と(・・・)争いになっても、絶対に手は出すな」

「……そんなこと、ある訳が――」

「答えろ」

「…………分かり、ました……」

「よし、じゃあ行くぞ」

 

 ――彼の言う事は理解出来ない。しかし、それがとても大切な事で、優先されるべきだという事は、その声の重さから伝わってきた。

 椛はぽかりと一つ不安を感じながら、烏天狗の後を追う。

 

 己が里――妖怪の山へと。

 

 

 




 今話のことわざ
一日(いちにち)(おく)れは十日(とおか)(おく)れ」
 たった一日のことだから、というように考えていると、その一日の遅れが最後には十日分もの遅れになってしまうということ。

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