“勘違い”というものはやはり厄介なもので、それを切欠にして両者間、あるいは複数人間での溝は時間と共に大きくなっていきがちである――というのは、改めて説明するまでもない常識の一つだと思われる。
初めは“単なるミスかな”。次は“もしかしてわざと?”。終いには“あいつは邪魔ばっかりする敵に違いない”――と。
最高の親友が、些細なすれ違いと勘違いで犬猿の仲に堕ちてしまう例も、多からずとも決して無視は出来ない件数が存在するだろう。
“勘違い”とは、誠に厄介なものである。
ところで、東風谷 早苗という少女がどのような人間なのか、知らぬ人も多いだろう。
当然だ。彼女が神社と共に幻想郷に現れてから、まだ一週間も経っていないのだ。その人となりを知るにはあまりにも時間が足りない。
だからここで、少しだけ彼女について語ろうか。
なに、御涙頂戴の暗く湿った過去がある訳ではないので、気楽に聞いて欲しい。そも彼女は、元“ちょっと変わった美少女JK”なだけであるからして。
◇
東風谷 早苗は少し特殊な家系に生まれた子供だった。
と言うのも、彼女の家は代々“ある神社”の巫女や神主を務める、所謂管理者的な立場にあったのだ。
早苗の母は先代の巫女――正確には風祝――をしていたし、祖父は神主をしていた。祖母は祖父に影響されて占いなんかもやっていたが、あまり成功はしなかったらしい。
信仰が薄れ、妖怪や神への畏怖も薄くなってしまった外の世界。今時そんな仕事を代を跨いでまで務める東風谷家はやはり、ご近所からも少しだけ浮いた存在だった。
――が、別に浮いていたからといって近所付き合いが悪い訳ではない。
遺伝か何かか、早苗の祖父も母も彼女自身も、根っこから優しく温和な性格であり、表情豊かで愛想が良かったのだ。
だから周りから少々珍し気に見られていようとも、それだけで話は終わっていたのだ。問題など何もなかった。
さて、そんな家柄だった訳であるが、その不思議な家系の中でもまた一段と不思議な存在だったのが、他でもない早苗である。
優しく、感情豊かで、何処か天然気味に抜けていて、だけどもなんとなく許せてしまう美しい笑顔を放つ彼女の、果たしてどこが不思議だったのか。
――早苗は、神様を
比喩ではない。暗喩でもない。神社へ赴いて、その荘厳さと神々しさに何処か神の存在を感じ取るとか、そんな並一般の次元ではない。
その瞳で、その視野で、早苗は確かに己の祀る神の姿を見る事が出来たのだ。
それは祖父にも母にも出来なかった事。神の姿を目で捉えられる人間など、東風谷家の歴史の中でも百年単位で居はしなかった。そういう意味では正真正銘、早苗は“数百年に一人の逸材”というヤツだったのだ。
だから当然家族内も騒然としたものだったが、そこは温和な東風谷家面々、早苗はすごい子だねぇ〜程度に収まり、早苗の巫女初仕事の予定が早まる程度の影響でしかなかった。
その頃だったろうか、早苗は不思議な力に目覚め始めた。彼女が事柄を強く望むと、ちょっとしたことならば立ち所に叶うようになったのだ。
同時に、黒かった髪も段々と緑色付き始めた。ただその変化に気が付けたのが、当の早苗自身と彼女の信仰する神様だけだった故に騒がれることはなかったのが救いだろうか。どうやら、“神”を始めとする超常の存在にしかその色は認識出来ないらしい。
まぁ、早苗自身も大して気にはしなかったので、これはある種余談とも言えよう。むしろ綺麗な緑色で嬉しいな、なんて考えていたほどなのだから、やはり彼女は少し変わっているというか、お気楽というか。
さて、そんな生活――つまりは巫女としての時間が増えた結果、当然ながら早苗は神様と接する機会が増えた。
優し気な瞳で見守ってくれる凛々しい女神と、楽し気に寄り添ってくれる可愛らしい女神。二人の神の姿はいっそ本当の家族のようで、早苗は彼女らの側が心から安心できた。
荘厳だけれど何処か抜けた凛々しい神は、やはり早苗に優しい言葉をかけることが多かった。
友人と喧嘩すれば、「素直に謝れば誰だって許してくれるさ」と言う。
昨晩帰るのが少し遅かったと聞き付けると、「何か危ないことでもあったのかい!?」と言う。
飄々としているけれど偶に毒を飛ばす小さな神は、親身ながらも少し厳しく言うことも多かった。
勉強に行き詰れば、「楽しみ方を覚えなきゃ! あとは努力するのみっ」と言う。
失敗して落ち込めば、「まぁそんなこともあるよね〜。じゃあ次はもっと頑張ろうよ!」と言う。
早苗にとって二人は家族同然。両親に匹敵するレベルの信頼が、二柱に対して築かれていたのだ。
――さて、ここまで聞いて、きっと“何が問題なのか?”と思った事だろう。
当然だ。ここまでの早苗は、神を見ることができて髪がちょっと不思議な色で特別な能力が使えるだけの、普通の可愛い女子高生なのだから。
ならば、ここらで語るとしよう。
早苗のちょっと困ったところを。
根からの性質故に治すことは出来ず――そも、
――東風谷 早苗は、
純粋。
この言葉を甘くみてはいけない。何より、早苗の場合は“邪念や下心を含まない”という意味だけには留まらないのだ。
底抜けに明るくて、底抜けに優しくて、そして底抜けに素直で正直。
それは確かに良いところだろう。物事の上に立つ者ですら汚職に塗れているとの声が飛び交う昨今、このような人間がどれだけ稀有なのかは、わざわざ語るべくもない。
だが、それが“過ぎる”ならば話は少し変わってくる。
“不気味の谷”という言葉をご存知だろうか。
現代科学の生み出したロボットなどに現れる現象で、“ロボットと人間の類似度”と、それに関係する“人間の感情的反応”を表したグラフの事だ。
このグラフは、類似度が上がれば上がるほどそれを見た人間の感情は高ぶっていくが、ある一定のところで一気に落ち込み、またある一定のところで急上昇する。その急激に落ち込んだある一定の領域の事を、“不気味の谷”と呼ぶのだ。
つまり、人間はヒトに似ているロボットに対して感情を高ぶらせるが、“ロボットだと明らかに分かるのに
早苗の純粋さは、この“不気味の谷現象”と少し似ている。
お世辞を言えば舞い上がるように喜び、冗談を言えばしばらく落ち込み、己の望みにはとことん素直で、けれど拒絶されると自殺すら考える程深く傷付く。
早苗の純粋さが生んだその行動の一つ一つがあまりにも“過ぎる”為に、周囲の人間は毎度溜め息を吐くほどに色々と振り回されるのだ。
純粋過ぎるが故に、言葉をその身そのまま受け取って真に受けて、一喜一憂を大袈裟なほど、しかしごく自然に表現する。
早苗は、そういうちょっと困った子なのである。
そんな彼女と、彼女に寄り添う二柱。
――少々厄介な組み合わせであることに、お気付きだろうか。
神は人間に対して
別に彼女の理解力が乏しい訳ではない。色々あれこれなんだかんだと考えた末に、結局“あ、やっぱりこういう事か”と、元の場所に落ち着いてしまうのである。
“裏の意味”とか、“言葉の綾”とか、まじ意味わかんないのだ。
つまり、早苗は元来の性格的にとんでもなくトラブルを起こしやすい少女という訳で。
だって、そこには悪意も害意も、ほんの一ピコメートルだって含まれてはいないのだから――。
◇
「〜♪」
「………………」
「………………」
拝啓。
何処にいるか分からないお父さん、お母さん、お兄ちゃん――。
「……あのさぁ」
「はい♪ なんですか霊夢さんっ♪」
「いや……別に文句言うつもりはないし、ぶっちゃけあたしには関係無いんだけど……」
冷風の吹き始める秋の候、空は晴れ渡り紅葉も非常に美しく、今日は見事な仕事日和です。こんな陽気には日がな一日中鍛治仕事や風紋開発に熱を入れたいところなのですが、まぁなんやかんやと色々あって――、
「……あんた、何してんの?」
「何って、見れば分かるじゃないですか。今まさに、
――ものすっごく、面倒臭い人に捕まっちゃってます。助けて欲しいです。
「だぁから、なんでそんな事してんのかって訊いてんの! つーかまだあたしの話が終わってないんだけど!?」
「そんな事言われても、こんな
「同じなワケあるかあっ!!」
机に両手を叩きつけながら放たれた霊夢の怒声は、外の木に止まっていた鳥達を残らず飛び立たせた。
しかし、そんな彼女の論を俟たぬ抗議の声をあくまで早苗は受け流す。それはもう、膝に――半ば無理矢理――座らせた吹羽を満面の笑みで抱き締めながら、
「もう、霊夢さんは怖いですねぇ吹羽ちゃんっ♪ 何で吹羽ちゃんがこんな人と友達なのか、私には分かりませんよぉ」
「あ、あははは……でも、こう見えて霊夢さんは良い人なので……」
「わぁ! 吹羽ちゃんはやっぱり優しいんですね!
「え、えーっとぉ……」
「話をすり替えんなあッ!!」
ひたすらに自由な少女だな、と吹羽は思った。
出会った当初の「私の妹になりませんか?」という突拍子も無い提案――勿論やんわりと断った――を初めとして、早苗は終始己の主張を正直に言い放ち、行動に移し、思った事は何でも口にしていた。
素の性格が非常に温厚らしく、喧嘩らしい喧嘩は決してなかったものの、吹羽も霊夢も出会った当初から振り回されっぱなしなのだった。
何せ怒髪天と化していた霊夢を、なんやかんやで
東風谷 早苗は、“天真爛漫”という言葉が生温く感じるほどの素直さを秘めた少女だった。
「むぅぅ……吹羽もイヤならイヤって言いなさいよ! そういう手合いははっきり言ってやらないと分からないんだから!」
「えっ……と、イヤっていうより、その……か、絡み方がちょっと面倒臭いと言いますか……」
「そら見なさい! 吹羽もイヤがってるじゃないの! 話が進まないから離れなさいっ!」
「ッ!!? そ、そんな……吹羽ちゃんに嫌われちゃったら私、もう……」
「わ、わーわー! そんなんじゃないですから早苗さん! キライなんかじゃないですから手首見つめないで下さい怖いですっ!?」
まるで百面相だった。
吹羽を抱き締めては心底幸せそうに顔を綻ばせ、ちょっと嫌われた空気を感じれば瞳から光を消し去り、吹羽の弁明――という名のフォロー――を聞けば忽ち笑顔の花を咲かせる。
見ている分には面白い――なんて言っている余裕すらもない。その素直過ぎる性格故に、たった今二人はこんなにも振り回されているのだ。
はぁっ、と重く溜め息を吐くこの顔は、きっとすごい顔をしているのだろうな――なんて徐に思う。
その事を考えて、吹羽はまた小さな溜め息を吐いてしまうのだった。
「……もういいわ。そのままでいいから、さっさと説明してくれる? なんで吹羽はあたしを止めるワケ?」
溜め息ながらに頬杖を突く霊夢は、やはり疲れたような声音で吹羽に問う。
霊夢に習い、相変わらずにこにこ笑顔な早苗は一先ず置いて、吹羽はその小さな口を開いた。
「……簡単な話ですよ。霊夢さんのソレは、ただの
「…………は?」
「早苗さんは多分霊夢さんに悪い事をしたなんて思ってませんし、むしろ“当然な事”だと思ってるんじゃないですか?」
「その通りです吹羽ちゃんっ! 私の思ってる事が分かるなんて、やっぱり私たち相性ばっちり――」
「あんたはちょっと黙れ!」
一人しょぼくれる早苗を有意義に無視しつつ、
「当然ってどういう事よ!? じゃあ悪いのはあたしの方だってのッ!?」
「ちち、違いますよっ! だから勘違いなんです! お二人とも、
「はぁ? お互いに勘違いィ?」
何処までも不機嫌そうなその声音に気圧されながらも、吹羽は小刻みに、だがしっかりと頷いた。
そう――これは誤解が重なった結果に生まれた、完全なる“徒労”に他ならないのだ。
そも早苗は外来人である。幻想郷のルールにはどうしても疎いし、常識からはかけ離れている――決して早苗の性格が外の世界の常識であるという訳ではない――。
そんな彼女が、“他の神社に殴り込み”なんていう行動を、自ら選ぶだろうか?
つまりそれは、
「早苗さん、誰かに――というか、
「は、はい。私、確かに“神奈子様”に宣戦布告してこいって言われました」
「その時、その方から他に何か言われませんでしたか?」
「他に? いえ、特には言われなかったと思いますけど……」
と、あくまで否定しつつ、早苗は記憶を掘り起こすべく首を傾げる。
吹羽は彼女が何か思い出す事を半ば確信しながらも、急かす事なく彼女の想起を黙して待った。
暫くして、早苗は突然顔を上げ――
「そういえば私、“神奈子様の呟き”も参考にして、宣戦布告しました」
――それだ、と思った。
「それ、どんな呟きですか?」
「んー、ちらりと聞いただけなのであまり覚えていませんが、えっと確か……んん゛!…………“ここでは
「――ッ!! 嘘でしょ……まさか、そういう事なの……?」
「はい……そういう事だと思います……」
早苗の言葉に何か気付いた様子の霊夢に、吹羽は少しだけ苦く笑いながら肯定する。
額に掌を当て、霊夢は眉を顰めながら早苗を見つめて、
「あんた……まさか“煽り合い”が本当の喧嘩の前にするモノだと思ってる?」
「え、違うんですか? だって“喧嘩”ってそういう意味じゃ――」
「違うわよッ! その神奈子ってのが言う喧嘩ってのは、十中八九“弾幕ごっこ”の事よッ!!」
「えっ……えぇぇッ!?」
その時の早苗の表情と言ったら、まさに天変地異を目撃したかような凄まじい形相だった。
驚愕と絶望を綯い交ぜにしたその表情はいっそ怖いくらいで、吹羽は思わず向けた視線を背けてしまう。
まぁ、吹羽は今早苗の膝の上に座っているので、前を向いても今度は霊夢の怖い顔が見えてしまうのだが。
「ごっ、ごごごゴメンナサイ申し訳ありません許してください霊夢さんっ! わ、わ、私そうとは知らずにものすごい失礼な事を――ッ!」
「そうよやっと分かったかッ! あんた初対面のあたしをどんだけ馬鹿にしたか理解してるッ!?」
「ゴメンナサイぃいっ!!」
“我が意を得たり”とばかりな霊夢の怒声は、純真な早苗には相当に深刻な攻撃――いや、“口撃”に等しかったようで。
耳元から聞こえてくる彼女の謝罪は、心からのものなのだと自然に理解出来た。
勘違いと勢いとはいえ早苗は相当に酷い事を言ったようだし、根が優しいだけに自己嫌悪に陥っている部分もあるのだろう。それを考えると少しだけ可哀想な気もする吹羽である。
――まぁ当事者である霊夢は、そんな事で容赦などしないのだが。
「あんたねぇ、謝って済ませられるならあたしはこんなに怒ってないのよ! 何やらよく分かんない言葉ばっかりあんたは喋ってたけど、相当馬鹿にした内容だったのは雰囲気で分かったわ! 気が付いてる!? あんたは、あたしを、傷付けたの!」
勢いに乗った霊夢は、立ち上がって見下ろすようにして怒鳴り散らす。それを真っ向から受ける早苗は、やはりというか、もう一度謝罪を返すことも出来ずに縮こまっていた。
霊夢の言い分は確かに正しい。謝られて許せるならそもそも霊夢は大して怒らないし、だからこそ早苗の言葉で彼女は相当に傷付いたという事なのだろう。
非は確かに早苗にある。
だが――忘れてはいまいか、と。
吹羽はちょっとだけ
「霊夢さん」
「何よ吹羽! あたしは今こいつに話を――」
「その前に、ボクの話聞いてました? ボク、“お互いに勘違いした”ってちゃんと言いましたよね?」
「――……え?」
溜め息を吐きつつ、
「勘違いっていうか、非は霊夢さんにもあるんですよ? 怒りで何にも頭が回ってなかったんでしょうけど、ボクはすぐに“早苗さんが勘違いしている”って事に気が付きましたもん」
「……えっと……それって――」
「“慌てる乞食は貰いが少ない”という諺があります。冷静さを欠いて、前が見えなくなった霊夢さんも悪いとボクは思いますよ?」
「うっ……」
吹羽がすぐに辿り着いた真実を、普段の冷静沈着な霊夢が見抜けない筈はない。それほどによく頭が回る少女だということを、吹羽はもうずっと前から知っているのだ。
確かに早苗は酷い事を言ったし、霊夢を傷付けたのだろう。でもそれは規則に疎いが故に生まれた言葉であり、それを掬い取って正しい道へと戻すのは紛れもなく霊夢の仕事。
“早苗が霊夢の知らない言葉を話す”という時点で、“外来人なのかも”と思わなければならないし、“神社と共に越してきた”という時点で、“早苗は巫女なのかも。そして神に指示されてここに来たのかも”と考えを及ばせなければならない。その上であからさまに煽ってきたのなら、きっと霊夢も“早苗は何か勘違いをしている”という真実に辿り着けたはずなのだ。
お互いが間違った選択をしてしまったのだから、全てを理解した
吹羽が霊夢に付いてきた理由といえば、結局のところそれだけなのだ。
事実、霊夢は吹羽の説得に何も言い返すことをしない。
「ほら、霊夢さん」
「う……わ、分かってるわよ……」
吹羽が促すと、霊夢は若干ばつが悪そうに顔を背けた。耳が少しだけ赤いのは、やはり罪悪感と羞恥に襲われているからだろう。
そうして、ぽつりと。
「…………わ、悪かった、わね。……ちょっと、あたしも……言い過ぎたわ」
「! い、いえ……私も、酷い事言って……ごめんなさい……」
言葉のみでも、しっかりと謝罪し合う二人の姿に吹羽は笑顔で一つ頷いた。
出会い方は最悪だとしても、仲違いしたままなのはきっとお互いの為にならないし、吹羽も居心地が悪い。
三者三様理由は違えど、大人数で輪を作れるのならそれに越した事はないのだ、とは吹羽の持論である。
――と、そうして丸く収まるかと思われたのだが。
「で、その神奈子ってのは今何処にいんの?」
「神奈子様、ですか? 詳しくは知りませんが……神社の裏手にでもいるんじゃないですか?」
「……そう」
そう短く応えて、霊夢はすくと立ち上がる。
先程までの荒々しい雰囲気はとうに消え失せていたが、その手には確かに大幣が握られていて。
吹羽が慌てて呼び止めたのは、最早条件反射に近かった。
「ちょ、霊夢さんっ!? 何する気ですかっ!?」
「何って、話を付けに行くんだけど?」
「えぇっと、その“話”っていうのはあの……所謂、神奈子様にO☆HA☆NA☆SI☆的なアレじゃないですよね……?」
「はぁ? 話は話、他に何があんのよ?」
「いえ、何というか……」
早苗の心配そうな言葉に若干要領が得なかったのか、霊夢は一つ息を吐いて片手拳を腰に当てた。
そして仕方なさそうに、
「あんた達が突然この山に越してきたって件、話を付けてきてあげるって天狗達と約束したのよ」
まぁそれが大義名分だったんだけど。
目を逸らしてポツリ呟き、
「……その神奈子ってのがこの神社で祀ってる神様でしょう? 摩擦がなるべく無くなるように話をしないといけないの。分かった?」
「あ、なるほど……てっきり、私の代わりに神奈子様をサンドバッグにするつもりなのかと……」
「……“さんどばっぐ”ってのがちょっと分かんないけど、なんか失礼なこと言われてる気がするわ」
「き、気の所為です気の所為ですっ」
「…………まぁいいけど」
――じゃ、大人しく待ってなさいね。
大人しく、を妙に強調しながらそう言い残し、霊夢はひらひらと掌を振るって居間を出て行った。先程の言葉通り、早苗の言う“神奈子様”のところへ向かったのだろう。
「(先の展開が見え透くなぁ……)」
十中八九弾幕ごっこに突入するであろう事を思って、吹羽は見知らぬ神奈子へと労りの気持ちを送るのだった。
◇
――さて、そんな訳で居間に取り残された二人であるが。
吹羽と早苗、そこに霊夢が加わっていた事で漸く保っていた均衡は、当然の事として崩れ去ってしまう訳で。
早苗はやっぱり、お茶を入れ直すなりすぐさま吹羽を
「さ、吹羽ちゃんっ! 二人っきりですし、もっとお喋りしましょっ?」
お喋りするだけなら抱き着かなくてもいいんじゃ――なんて言葉は、早苗の無垢な笑顔の前には言い出すこと叶わず。
早苗は面倒臭い人だ、というのは、まごう事なき吹羽の本音である。
霊夢との会話や今回の一件を思えばそれは疑う余地もなく、そして何より、この状況でそれは最も吹羽の頭を悩ませる要因だった。
単刀直入に言えば――ボク一人で早苗さんを制御できるのかな――と。
「(ま、まぁ、早苗さんはボクに対しては結構肯定的だし、なんとかなる……かな?)」
そう願う他ないな――と、吹羽は無理矢理結論付ける事にした。
「そう言えば、吹羽ちゃんに訊きたいことがあったんですよ」
「訊きたいこと? 何ですか?」
「えっとですね、吹羽ちゃんは女の子なのに、なんで一人称が“ボク”なんですか? いえ、“ボクっ娘”というのも私的には全然ストライクなので何の問題もないんですけど……」
――と、若干分からない単語を交えながら問う早苗に、吹羽は“ああなんだそんな事か”と。
一口お茶を啜り、吹羽はふと昔を思い出しながら口を開く。
「大した理由は無いんですけど……物心付いた頃、お父さんに“男の子らしくしなさい”って教えられまして……」
「お、お父さんに?? え、なんでそんな事を?」
「ボクの家は代々鍛冶屋を営んでいまして、そのぅ……女の子が鍛治職人になるって言ったら、やっぱり相当に厳しい道のりになる訳です。だから、初めは気持ちから入るという事で、男の子っぽくしろと……」
結論から言って、吹羽にそれは出来なかった。
根からの女の子気質だったのか、本人がどれだけ男の子っぽく振る舞おうと努力しても、非力な女の子の雰囲気が消える事はなかった。彼女の父も出来ない事をやれと言うほど鬼ではなかったので、結局その時に唯一矯正できた一人称だけが後に残ったのである。
――ふと、何故この事を魔理沙には問われなかったのか疑問に思う。説明しなくてもいい、という意味ではそれで助かるので、別に構わないのだが。
「ふーん……つまり、そのお父さんのおかげで今のボクっ娘天使が誕生したと……感謝しますお父さん、おめがグッジョブ……!」
「さ、早苗さん……?」
言葉は何やら聞き取れなかったが、早苗は辛抱堪らんとばかりのガッツポーズを決めているので、そっとしておく事に。
そうして一つ息を吐き、吹羽はぼんやりと、今この状況を再確認した。
そう――そういえば何故自分は、初対面であるはずの早苗に抱きしめられているのだろう、と。
「……さ、早苗さん……?」
「はい♪ 何ですか吹羽ちゃん♪」
「えと、その……早苗さんは、なんでボクに、こんなに優しくしてくれるんですか……?」
そもそもだ。吹羽と早苗は正真正銘の初対面であり、強いて言うなら吹羽はむしろ彼女に危害を加えそうになった側である。それなのに何故、早苗はこんなにも吹羽を受け入れているのか甚だ疑問なのだ。
――まぁ、少し考えを及ばせれば突き当たる可能性はあるのだが。しかし、吹羽は早苗に
一人内心で疑問を並べる吹羽に、しかし早苗はきっぱりと、
「カワイイからです!」
――ああ、この人やっぱりダメかもしれない。
「良いですか吹羽ちゃん? 外の世界にはこんな格言があります……そう、“カワイイは正義”と――ッ!」
「せ、セイギ?」
「そう、正義です! カワイイ子は須く正義であり、あらゆる事象の正当化が許されるのです!」
「は、はぁ……」
「例えば、ある曲がり角で男性と不注意な女の子がぶつかるとします。本来なら女の子に非があるのは確定的に明らかですが、仮にその子が超絶カワイイ子でおまけにぶつかった拍子に下着まで見られたとしたら、多くの男性は思わず自分で非を認めてしまい、結局女の子は許されてしまうのです! この法則の事を私はこう呼んでいます……“カワイイから許すの法則”と――ッ!!」
「――……」
支離滅裂ここに極まれり。
吹羽は早苗の熱のある弁舌にひたすらそう思った。だって、それってつまり“可愛ければ何もしても良い”と言っているようなものではないか。
まさか、早苗は本気でそんな事を思っているのだろうか。そしてこれが外の世界での格言ということは、まさか外の世界ではこの言葉が皆に受け入れられているのだろうか。
だとしたら、そんな道徳心の欠片もない世の中なんて怖過ぎである。
外の世界、コワイです。
「という訳なので、吹羽ちゃんも私に遠慮なんてしないで下さいね? 困った時には何でもお姉ちゃんに任せて下さいっ!」
「え、えと……わ、分かりました……」
「はい♪」
……何というか、何処か慣れない感覚だった。
早苗は確かにちょっと変な人だが、他人にこんなにも優しくされたことは今までに無い。――いや、ここまでの素直な好意を寄せられたことが、吹羽には無いのだ。
霊夢も阿求も魔理沙も、吹羽の事を嫌いだとは決して言わないだろう。だが早苗のようにはっきりと好意を口にしたりもしない。そんな小っ恥ずかしい事を言えるのは、強いて言えば記憶に残る吹羽の家族くらいなものである。
故に、早苗とこうして接するのは何処かこそばゆいというか、ふとした瞬間にこっちまで顔が熱くなってきそうなのだ。
しかし、本当に“それ”だけでこんなにも好意を抱くものだろうか――
「まぁ――」
と、早苗の顔を見上げると。
本当に女神のような、優しい微笑みを浮かべていて。
「早苗さん……?」
「さっきまでのは……全体の三割くらいでして」
「一応本音なんですか……」
「もちろん。私は嘘つけませんので。でも本当の理由は……」
そっと、吹羽の真白な髪を撫でながら、
「なんだか、吹羽ちゃんに
「し、親近感……ですか?」
「はい。上手くは、言えないんですけど……」
――親近感。親近感とな。
今の早苗が、先程までのような破天荒な話をしている訳でないのは雰囲気から分かる。これは至極真剣な話であり、その親近感とやらも本当に感じた事なのだろう。
だが――それはそれとして、吹羽は当然小さく首を傾げた。
だって、吹羽と早苗は似ていることの方が少ないと言わざるを得ないのだ。
生まれも違うし、きっと境遇だって違うし、髪の色も瞳の色も背の高さも年齢も、ついでに胸の大きさだって天と地の差。逆に何が似ているのか、共通点は何かと問われれば、吹羽はきっと「えっと……同じ女の子ってところ……かな?」と同意を求めるようにして答えるに違いない。それほど
それなのに、“肉
「ま、まぁ、なんとなーくそう思っただけですよ! もしかしたら本当に私が吹羽ちゃんに一目惚れしただけかも知れませんしっていうかその可能性が大なんですけども」
「ひ、一目惚れ……っ!?」
「そうですよー? だから吹羽ちゃん、やっぱり私の妹になりませんか?」
「なりませんよっ!? ボクにはお兄ちゃんがいるんですから!」
「じゃあそのお兄さんと結婚したら、吹羽ちゃんが妹になってくれる訳ですね?」
「そこまでするんですかあっ!?」
この少女、やはりタダ者ではない。薄々勘付いてはいたが、それが吹羽の中で確信に変わった瞬間だった。
本気なのかどうかは定かでないとしても、そんな小っ恥ずかしい事を平気で言える度胸と後先は考えるけれども結局空回る行動力――“乙女”としては無敵なのではないかと、吹羽は開き直って思い耽る。
吹羽は霊夢に敵わないが、きっと早苗にも敵わないのだろうなぁと、溜め息ながらに思うのであった。
「さ、もっともお〜っとお話ししましょっ! あ、お茶もっと飲みますか? クッション使います? 寝転がって枕にすると気持ちいいですよ? ほぉら!」
「あわわ、ちょ、まっ――あっ、ホントに気持ちいいですぅ……」
「ふふふ、可愛いなぁ……」
相変わらず早苗のペースに呑み込まれてはいるが……まぁ、退屈はしないからいいか。
霊夢が帰って来るまでは、そう思い込むにしよう、と。
“現実逃避”なんて言葉は、浮かんだ傍から思考の外へと叩き出す吹羽であった。
◇
「〜〜♪♪」
――少女が、歩いていた。
外見としては、非常に可愛らしい少女だった。身長は低く体躯は華奢で、金色の艶やかな髪は僅かなスキップに揺れている。陽光に照らされればきっと金糸の如き繊細な輝きを放つだろう事は想像に難くない。
顔立ちは人形のように整っているが、身長に相応な幼さはやはり顔を覗かせ、美しいというよりは可愛らしいという印象を受ける。
掌が隠れる程度に大きいその服装は、だらしないと言うよりもむしろ何処か“柔らかさ”のような雰囲気を感じさせた。
ただ、その可愛らしい頭に被るちょっと不気味な帽子が、彼女の人間に在らざる何よりの証とも言えた。
そんな、少女が。
見るからに上機嫌な様子で、
「――けろっけろっけろっ、いざっすすっめ〜! ちきゅっうしんりゃっく、せ〜よ〜♪」
――と、その浮き上がるような気分を反映するかのように、鼻歌は明確な歌詞を持つ“歌”へと進化して。
カラフルな音符が飛び散るようなこの声音は、きっとそれを聴くだけの者でさえ陽気な気分にさせるのだろう。
実に――実に実に気分が良い、と。
少女はその笑顔と声音の裏で、確かにそう謳い上げていた。
それが何故か――というのは簡単な話であった。要は、
少女は外の世界で否応無く、そしてどうにも避けられざる
それを根本から覆す――つまりは、“時代の流れ”という逃れようのない影響力からすらすっかり抜け出す事の出来る策というのが“引っ越し”――
そうして越してきたら、なんだ。
枯渇寸前だった生命力が、湧き水の如く溢れてくるではないか。
消え入りそうで、今にも心慌意乱へ真っ逆さまに飲み込まれそうだった我が身が、頭からつま先まで生命力に満ち溢れているのがよく分かる。
ただ越してきただけで、少女は避けられざる死の
これを喜ばずして、一体何に喜ぶというのか――ッ!?
陳腐な表現をすれば、“幸せいっぱい幸福感いっぱい”なのだ。こんなにも生きている事に歓喜するのは、きっとこの先未来永劫ありはしないだろう。鼻歌に自然と歌詞が混ざるのも当然というものである。
故にこそ、現在の少女の機嫌といえば、それが
少女はその一々の立ち振る舞いから、今の気分をこれでもかと発していた。
――と、そんな彼女の耳に。
小さな歌声が聞こえてきたのは、その時だった。
「……けろ? これ、早苗の声……子守唄?」
なんで子守唄なんか? と、少女はぽつり思った。
だって、この神社には少女を含めて三人しか住んでいない。この通り自分と早苗と、あと一柱の神が住んでいる。
だがその神も今は取り込み中らしく、湖の方でさっき見かけたし……。
まさか自分が眠る為に自分で子守唄を歌うなんて、そんな奇ッ怪な行動には流石の早苗も出ないだろうし、一体何故?
少女は好奇心のまま、声の聞こえる方へと足を運ぶ。その足取りも、無意識のうちに抜き足差し足。
辿り着いた居間の襖は、幸いな事にも覗き見できる程度には開いていた。
そっ、と目を寄せると――、
『ねんねんころりよ、おころりよ……ぼうやはいい子だ、ねんねしな――……』
覗いた先の居間では、早苗と見知らぬ少女が並んで横になっていた。
早苗は傍にすぅすぅと眠る少女の頭を優しく撫でながら、透き通るような声音で小さく歌っている。
少女は少しだけ納得して、音を立てぬようゆっくりと襖を開けた。
「――ぁ、
「どこにも行ってないよ、早苗。ちょっと浮かれて散歩してただけ。それよりも――」
音に気が付いた早苗の言葉に、少女――
諏訪子は視線を早苗から外すと、言葉の端に重ねるように眠る少女――吹羽を見遣った。
「ああ、この子ですか? この子は風成 吹羽ちゃんですっ! ついさっき知り合ったんですけどね? 私ったらもうこの子に一目惚れしちゃいましてっ! だってこんなにふわふわしてるんですもんそりゃあもふもふしたくもなりますよね、さっきまで一緒にお喋りしてたんですけど眠くなったと言うので寝顔を拝見もとい休ませる為に子守唄を歌ってましたっていうか何かしてないと理性が保てなくなる気がしたのでっ!」
「ああ、うん……なんとなく分かったよ……」
「はいっ!」
ああ、早苗の笑顔が眩し過ぎる。相変わらず混じり気の一つも無くて、この吹羽という女の子を本当に気に入ったのだろう事がありありと見て取れた。
――本当、久しぶりに早苗の
早苗のちょっと困ったところ。長年彼女の側にいる諏訪子は、当然その事を熟知していた。
早苗の“歯止めの効かなさ”には度々振り回されてきた――そも、
ああ……思い出せば、早苗と初めて出会った時もこんな感じだったっけ。初めはなんて失礼な子なんだと思ったものだが、この笑顔の前ではあらゆる怒りが弾け飛んで消えてしまう。
恐らく、この吹羽という少女も早苗には相当振り回されただろうが、それでも今こうして彼女の腕の中で大人しく寝息を立てているのは、きっと吹羽も彼女の性格――本質をなんとなく感じ取り、無意識に安心したからなのだろう。
でなければこんな……天使のような可愛らしい表情で、眠ることなど出来るはずがない。
「(――?)」
ふと、すぅすぅと眠る吹羽を眺めて、諏訪子はある一点に目を止めた。
それは彼女の胸の辺り。横を向いて寝ている為“それ”は畳について落ちているような形になるが、確かに吹羽の白い首に掛けられていた。
――翡翠色の勾玉が通された、古いペンダント。
諏訪子は、一見古臭いだけのそのペンダントの、
「(これは――いや、でもなんで……)」
そのペンダントから感じる“モノ”に心当たりはありながら、しかし諏訪子は疑問を抱いた。
確かにその存在感はとても微かなものだ。諏訪子からしてみれば、今にも消えてしまいそうなほど小さなモノ。
実際、彼女を半ば抱きかかえるような体勢の早苗ですら、ペンダントは気にも止めていないようだった。
「………………」
「? どうかしたのですか諏訪子様?」
「……んにゃ、何でもないよ。わたしはまた散歩でもしてくるから、その子の事よろしくね」
「あ、はいっ」
今考えても仕方ない――と頭の中で論を結び、諏訪子は身を翻してそう言った。対する早苗の元気な返事を背中越しに聞いて、諏訪子は廊下へと出てとすん、と襖を閉める。
一つ、眠っていた吹羽とペンダントを思い浮かべて、
「(――まぁ、いいか。重要なことでも無し、それとなく神奈子にでも訊いてみよ)」
改めてそう思い返して、諏訪子はすぐさま吹羽の事を頭の隅へと放り投げた。
興味は湧くが、今はそんな事重要じゃあない。今自分に必要なのは、この溢れ出る歓喜を飽きるまで謳歌する事なのだと彼女は既に知っていた。
さぁ、また始めようじゃないか――ッ!!
無意識に浮かぶメロディーを、しかし再び鼻歌から始めてスキップする。
神社に住む二人――そして現在訪れている二人には、終ぞバレることはなかったのだった。
◇
――何だろう、この状況は?
守矢神社の祭神、
いや、分かってる。今回に限っては自分が“歯止め役”なのだと自覚していながら、二人を居間に置いて行ったのは自分だし、勝ちはしたが弾幕ごっこに時間をかけてしまった事も原因だとは思われる。その成果あってしっかりと“交渉でも何でもして天狗と仲良くしろ”と
だが……霊夢と吹羽、早苗は知り合ってせいぜい一時間あまり。
少し歯止め役が居なかったからって――普通、
ってか、早苗に至ってはもう八割方吹羽に抱き着いてるんですけど?
「ほんと……何やってんの、こいつ……」
早苗の幸せそうな寝顔を見て、霊夢はもう苦笑いしか出なかった。
別に吹羽が誰と仲良くしようが霊夢の知った事ではない。冷たく聞こえるかもしれないが、それが“何者にも干渉されない”能力を持つ霊夢の性分である。吹羽のことは大切な友達だと思っているが、親ではないのだ、交友関係になんて口は出さない。
ただ、早苗から変な影響を受けなければいいが――と、それだけが唯一心配だった。
ここに来て初め。居間での会話を見ていた感じ、吹羽は始終早苗の勢いに気圧されていた。しかも済し崩し的に早苗の要求を呑む形で。
吹羽は大人ぶろうとする割に性格面精神面がまだ子供だ。故にこそ感受性が高く、またあらゆる影響を受けやすい。
そんな彼女が、
……想像を続けると砂になりそうだったので、霊夢は大きな溜め息と一緒に心配の全てを吐き出した。
もう、考えるの
――取り敢えず、早苗を起こさなくては。
霊夢は心底幸せそうに寝息を吐く早苗に寄り、肩を強めに揺らした。
「……ねぇ、ちょっと。起きなさいよ」
「ぅ〜ん……うぇへへぇ〜、ふうちゃんもふぅ〜もふぅ〜……ぅぅ……」
「どんな夢見てんのよ……っ、いいから起きなさいって――ッ!」
「ぅにゃいっ!? な、なんですかぁ〜……あ、霊夢さん。お帰りなさいですぅ……」
眠そうに見上げてくる早苗に、しかし霊夢は容赦無く再度その脳天に大幣の小突きを落とす。
一見態とらしいとすら思える痛がり方をする早苗だが、それが“素”なのだと知った今では、もはや霊夢の内に苛つきが燻ることはない。
我ながら今日は酷い恥をかいた――と思い返しながら、勤めてそれを顔に出さぬよう、霊夢は。
「ほらさっさと退きなさい。吹羽を連れてもう帰るから」
「えぇ〜、やっぱり連れて行っちゃうんですか? 私としてはずっとここに住んでくれてもいいんですけど……」
「無茶言うんじゃないわよ。そいつにも仕事があんの。今日だって臨時休業させて無理矢理連れてきたんだから」
「ぅぅ……それじゃあ仕方ありませんね……今、吹羽ちゃんを起こしますから……」
「ああいや――……」
――と、寸前で引き留める霊夢を、早苗は不思議そうに見上げていた。
霊夢はその視線から目を逸らすように吹羽へと移すと、その安らかな寝顔を見て、一つ息を吐く。
「――起こさなくていいわ。あたしが背負っていくから」
「え……なんでです?」
「なんでもいいでしょ。ほら退いた退いた!」
「うあ!? ちょ、退きますから! 今退きますからちょっと待って――っ!?」
早苗を追い払うように退かせると、霊夢は眠る吹羽をよいしょと背負う。
少しだけ乱暴に背負ったのだが、吹羽は相変わらず安らかな寝息を霊夢の耳元でたてていた。
「(やっぱりよく寝てるわねぇ……まぁ、今日はちょっと苦労かけたし、無理もないか)」
事の顛末を思い返して、霊夢はぽつりと考える。
お昼休憩している時に、らしくもなく怒り狂った状態で訪ねたことも然り。突然天魔の前に連れ出して、あげく引き合いにすら出したことも然り。
霊夢自身にも余裕がなかったとはいえ、本来なら部外者である吹羽には少々悪い事をしてしまった。その心労と言えば、発端たる霊夢の想像できるものではなかったろう。面倒事の予感はしていただろうに、それでも付いてきてくれたのだから、やはり吹羽はお人好しである。
でもそれが分かっているからこそ、心に燻った僅かな罪悪感を霊夢は素直に認めることが出来た。今日はさすがにやり過ぎた――と。
だから、“気持ち良く寝ているのだから起こさないでおこう”というのが、霊夢のささやかな罪滅ぼしなのだった。
「あの、霊夢さん……」
「………………」
飛び上がる直前、かけられた早苗の声に霊夢は足を止めた。
何た言いたげで、でも何も言い出せないでいるかのようなその
こんな苦労をしてまで、この子は自分と早苗の仲を取り持とうとしたのか――と。
意を、小さく決して。
そして霊夢は、振り向かないまま、
「今日は……悪かったわ。あたしがもっとしっかりしてれば、こんな面倒なことにはならなかったと思う」
「へっ!? あ、いえそんな……私も酷い事を、その……言ったので……」
今になってみれば、早苗も随分としおらしくなったものだ――なんて思いながら振り返って、
「守矢神社一行。博麗の巫女として、あんた達を歓迎するわ。あんた達は、これからはもう立派な幻想郷住民よ。だからまぁ……またウチにも来なさいな。お茶くらいは出すから」
「……は、はいっ! また今度です、霊夢さん!」
「ええ、またね……
「……ぁ、なまえ……」
それだけを言い残し、霊夢は吹羽を背負って空に飛び上がる。
背の方からは、早苗の「また今度ー!」という見送りの言葉が聞こえた。
初めこそこれ以上ないほどにギスギスしたが、まぁこれで良かったのかな、と思う。
“自分に尽くしてくれた友人”に報いるのには、それなりに釣り合う結果なのではないか――と。
そろそろ朱色に輝き始めるであろう太陽が見える。
照らされた霊夢の表情は意外にも、僅かに――本当に僅かにだが、確かに頰が緩んでいた。
今話のことわざ
「
慌てて物事を急ぎ過ぎると、結果的に失敗したり、かえって損をしたりするということ