✳︎この物語は二次創作です。
「ところで……訊きたいことがあるんです、霊夢さん」
「うん?」
未だ出口の見えない美しい紅葉のトンネル。“幻想的”という言葉の意味を否が応にも理解させられるその鮮烈な景色を、一生忘れまいと目に焼き付けながら問い掛ける。
霊夢は吹羽を見遣る事すらしなかったが、返事はしてくれたので、構わず続けることにする。
「さっきの交渉の話なんですけど……」
「なに、まだ引き摺ってんの? いい加減諦めなさいよ」
「いえ、その事ではなくて――っていうかそれ、霊夢さんが言える事じゃないですよね……っ!?」
何処吹く風な霊夢に半眼を向けつつ、
「その事じゃなくて! ……なんで霊夢さんは、ボクでも知らなかった天狗さん達との関係を知ってるんですか?」
腑に落ちない事と言えばそれだけ――ではないが。勿論霊夢の暗躍については全面的に腑に落ちないが、それはまぁ一先ず置いておくとして。
此度の交渉は、初めから最後まで霊夢の意見が通った形である。つまり、全部分かってて話を進めていたという事。であれば、何故当事者である吹羽ですら知らなかった“風成家と天狗の関係”について知っているのか、吹羽が不思議に思うのは論を俟たない。
霊夢は特に悩んだ風もなく、「あーそれかー」と変わらず脚を進める。
「別に訊く程の事でも……調べただけよ、気になったから」
「霊夢さんでも気になるような事だったんですか?」
「……無頓着って言いたいの? 否定しないけどさ」
「あいえ! そういう事ではなくっ!」
不機嫌そうな霊夢の声にそれ程取り乱さなくなった分、肝っ玉が据わってきたのではないかとふと考える吹羽。してきた苦労を思って一瞬気が遠のいた気がしたのは、至上の蛇足。
「天狗さん達と交友を持ったのが、恐らくは数代前の当主――天狗と心を通わせたっていう先祖様なのは予想がつきましたけど、それだけで……」
「あーそれ、正解。あたしも
「ほぇ〜、やっぱりそうなんですか」
って、あれ? なんでそんな大昔の事に詳しい人が霊夢さんの知人にいるんだろう?
ふと思い至った疑問に首を傾げていると、霊夢は「会ってみたい?」と妙にいやらしい笑みを向けてきた。
会ってみたい――というのは紛れも無い吹羽の本音だが、その霊夢の笑みに底知れない恐怖を覚えたので、やんわりと断っておいた。
どうせ何かからかおうとしているに決まっている。
霊夢に既に一度嵌められている此度の吹羽は、アリ一匹も通さぬ思考と疑惑の網を限界まで張っているのである。
また嵌められてなるものか――ッ!
と、そんな警戒態勢に入っている吹羽の事などつゆ知らず。霊夢は思い出したように本題に戻った。
「あぁ、さっきの質問だけどね。そりゃ調べるわよ、天狗連中が目を光らせる“人種選別”の類だもの。あたしは知ってなきゃいけない事なのよ」
「あぁなるほど――って、人種選別?」
「誰の侵入を拒み、誰の侵入を許すか――安心なさい。分かってると思うけど、あんたは“後者”よ」
天狗の縄張りに関してはもはや語るべくもないだろう。そしてその領域を侵す者への対応は、椛の言葉から推して知るべし。恐らく、もしも今回吹羽が一人で山に入っていたら、弁論の余地なく一瞬で首を刎ねられていたに違いない。
その対応の苛烈さは幻想郷に住む者なら誰もが知るところであり、山の美しい紅葉を遠目でしか楽しめない最大且つ唯一の理由である。
それに“分別”があったとは。
実際、吹羽が今日これまでで最も仰天したのはこの事だった。
まぁ、“天狗の領域侵すべからず”を地で行く人里の人間達である、触りもしないで細かな形など分かる訳もあるまい。
「河童のことは知ってる?」
「まぁ、はい。阿求さんに聞いたことがあります。摩訶不思議なカラクリを作るのが得意で、人間のことを盟友って呼んでるとか」
「その認識で大体あってるわ。――あーでも、だからって易々と河童についてっちゃダメよ?
「こ、殺されるんですかあっ!?」
「ええ。尻子玉抜かれると人間って死ぬからね。まぁ盟友とは言っても“友人”だと思ったらダメってことよ」
「き、肝に命じておきます……」
盟友と言いながら笑顔で
妖怪と人間だから一見正当にも見えなくはないが、人間同士だったらと想像すると凄まじい怖気が走る。
やはり妖怪は怖いな、なんて認識を上塗りする吹羽である。
「――簡潔に言えば、天狗にとっての風成家がそれに該当するのよ。だから
「え……じゃあやっぱり、ボク殺されちゃうんですか……?」
今の話の流れだと、近いうちに自分は天狗に殺されるのかもしれない、という事では?
せっかく友達になったばかりの椛が、「吹羽さん♪」なんて笑顔で刃を突き立ててくるとか、想像したら震えが止まらなくなってきた。
顔を青ざめさせて苦く笑う吹羽に、しかし霊夢は「違う違う」と笑って言う。
「そこは心配しなくていいわ。天狗と風成家は完全に打ち解けてるから、単純に友達として接しても何の問題もないわ」
「……ほっ、良かったですぅ……」
霊夢の笑顔で、だんだんと震えも治まってくる。彼女のお墨付きをもらった事で、吹羽は心底安心したように胸を撫で下ろした。
初めての妖怪の友達を怖がる羽目にならなくて、一安心だ。
ただ、それはそれとして、である。
そういう話になってくると、どうしても気になる話題があった。
天狗と風成家の友好関係――それがどの程度強固なものなのかは、天狗達の対応を見れば分かる。
ならば、そもそも――。
「ボクの家系と天狗さん達……人間と妖怪なのに、こんな友好関係を築けたきっかけって――?」
呟くように尋ねた吹羽に、霊夢は。
「……んー、その辺りのことは直接天魔とかに訊いた方が良いと思うわ。詳しいことは何も知らないけど、なんか
「ん? どうしたんですか?」
「……見えたわ」
唐突に足を止めた霊夢の視線の先。紅葉のトンネルの、約二五間から三十間ほど奥にある
家舞い散る紅葉に彩られながら、
落ちた葉に半ば埋もれた、僅かばかりの石階段。それを上から見下ろす赤く大きな明神鳥居。そしてその中心に据えられた額束の、“守矢”の文字。
――瞬間、吹羽は全身が急激に粟立つのを感じた。
「……れ……霊夢、さん……?」
すぐ隣から、深淵を覗き込んだかのようなドス黒い覇気を感じる。全身を駆け巡るその殺意の冷気は、霊夢が吹羽の家を訪ねた時のそれとも比較にならない程強く冷やく、そして何よりおぞましい。空間自体が軋んでいるように感じるのは、果たして吹羽の気の所為なのか。
「――先、行くわよ」
一言。
空気すらも置き去りに、迸った衝撃が紅葉を火の粉のように舞い上げる。
前髪を激しく揺さ振る衝撃に何とか目を開いてみれば、静かに告げた霊夢の姿は、既にそこにはなかった。
見遣り、
「ちょ、霊夢さん!?」
既に鳥居も潜ったらしく、ここからでは姿さえ見えない霊夢に、堪らず叫ぶ。
ヤバい、先に行かせてしまった。あの様子では、早苗を見つけた瞬間に本当に殺しかねない。というか何だ今の速度。物理限界にすら迫ってたんじゃなかろうか。
――ともかく、今すぐに追わなくては。
先程血色の戻ったばかりの肌を急激に青ざめさせて、吹羽は弾かれたように走り出した。
◇
ところで、吹羽が今日何をする予定だったか、覚えているだろうか。
今日は平日。人里に点在する八百屋や米屋やはたまた寺子屋、世に言う“仕事”が当たり前に、そして盛んに行われる日である。
勿論定休日などがお店によって違うのは語るべくもないが、ほぼ全てのお店が開いている日、そして時間帯だと思っていい。
そう、今日は平日。
当然吹羽も、午前中は風成利器店の扉を開けていたのだ。だが霊夢に連れ出され、妖怪の山にて絶賛苦労しまくりである現在、お店の看板には“臨時休業”の文字が並んでいる訳で。
――そして“臨時”故に、当然来客だって、いる訳で。
「あっれー? なんで閉まってんだぁ? 今日平日だよな? サボりか?」
戸の閉められた工房の前に影一つ。
見間違いでないかジッと文字を嘱目するのは、光に輝く美しい金色の瞳。
後ろ髪を手で撫でながら、「どうすっかな」と独り言ちるその少女――霧雨 魔理沙は、文字に見間違いがないのを認識すると、一つ溜め息を零した。
「せっかくこの魔理沙さんが遊びに来たってのに。さては霊夢辺りとどっか行ってるな?」
この時間に真面目な吹羽を店から連れ出せるのは、魔理沙の知る限り霊夢くらいしかいない。阿求ならばきっと仕事の方を優先させるだろう、というのが魔理沙の予想だ。
勿論正解なのだが、本当のところはそんなこと、魔理沙にとってはどうでもいい。“霊夢が吹羽を連れて行った事実”より、“吹羽がここにいない事実”の方が大事である。
「ふーむ、出来りゃ鍛治に関してももう少し知りたかったんだが……まぁいないんだから仕方ないな、うん」
そう
そうして小脇に掲げた人差し指をちょいちょいと振るうと、魔理沙は満面の
「――しっかたないから、わたしが
――秘術・
魔理沙が玄関の鍵穴の前で鍵を握る仕草をすると、手と穴の間にポワンと小さな魔法陣が現れた。そのまま押し込む仕草、回す仕草へ繋ぐと――ガチャリ。
あらあら不思議、鍵も無いのにいとも容易く鍵が開いではあーりませんか! 全くここの家主は不用心なのか、こんなに簡単に開く鍵をお使いらしい。これはいっぺん説教してやらねばなるまいな!
――なんて花言を今にも吐き出しそうな魔理沙(副業・泥棒)。最近開発した魔法が成功して、傍迷惑にもご満悦のようである。
……まぁ、自分が友人と認めた者の家なのだから、幾らなんでも勝手に物を持って行こうなどとは思っていない。更に言えば“代わりに留守番”も冗談だが、別に入って何かしようという訳ではないのだ。
単純に、吹羽の家自体にも興味が湧いただけであるからして。
「(前に来た時、妙なくらい風が吹いてて気になってたんだよな……)」
あの日入った工房には、ゆるゆると優しい風が吹いていた。
何処から流れているのか特定は出来ず、しかし大きく開いた工房の入り口から入っている訳でもない。ただそこに流れているのが当たり前だと言うように、柔らかな羽毛のような風が吹いていたのだ。
きっと、あの風紋とやらの効果に違いない。ならばそれはどんなものなのか知りたいと願う。家の中にも、沢山刻まれているに違いないのだ、と。
生まれ持つ強烈な好奇心に従い、魔理沙は悠々と、鍵の開いた玄関の扉に手を掛けた――その時。
「ちょっとそこの人! 何やってるんですかっ!」
さては空き巣ですねっ!? と続ける声に。
不覚にも肩を震わせて振り向けば、そこにいたのは。
「ここは吹羽さんの家ですよ! 空き巣なんて断じて――って、魔理沙さん?」
「……ふおぉぉ、まさかこんな時にお前と出くわすとは……ツイてないぜ」
「そんなに私と会いたくなかったんですかっ!?」
魔理沙の一言に、傷心よりも驚愕を含んだ声で喚く少女――阿求。
彼女はハッとして顔を引き締めると、扉に手を掛けて苦い顔をしている魔理沙へズンズンと歩み寄り、そして凄味を帯びた半眼で、
「――そんな事より、魔理沙さん」
「な、何だ?」
「あなた今、完全に盗みに入ろうとしていましたよね?」
「っ……い、いや違うぞ? わたしはこのままじゃ不用心かと思って、代わりに留守番を――」
「でも今、ガチャリって音が聞こえました。魔法を使って鍵を開けたんですよね?」
「そ、それはほら、わたしも魔法使いの端くれ、開発した魔法は使ってみたくなるとか、で」
「と言うことは、鍵は初めから閉まってて、それを魔理沙さんがこじ開けたという事ですね?」
「いやだから、代わりに留守番を――」
「吹羽さんに頼まれたんですか?」
「……えっ」
「吹羽さんに頼まれたんですか?」
「いや、その」
「吹羽さんに頼まれたんですか?」
「……ち、違う……けど」
――未だ嘗て、これ程疑り深い視線を向けられたことがあっただろうか。
阿求の瞳には信頼の“し”の字も映っておらず、魔理沙の言動の何から何までを否定する気概がはち切れんばかりに満ちていた。
ああ、これは何言ってもダメだ。
背に扉があって後退りも許されない魔理沙は、別人のような阿求の気迫に呆気なく押し負けたのだった。
「全く……本当に油断も隙もありませんね。流石音に聞く泥棒魔法使いですっ」
「あ、あははー……褒めても何も出ないぜ……?」
「褒めてませんよっ」
本当に盗みに来た訳じゃない――なんて
魔理沙は、人里では“異変解決者”よりも“泥棒”として知名度がある。毎日泥棒を働いているわけでは勿論ないのだが、世間の評価とはやはり厳しいものであり。阿求が魔理沙に中々信用を置けないのも、そんな側面があるのだろう。
――尤も、“それ以外”の部分についてはある程度高評価なのだが、当然魔理沙本人には与り知らぬことである。
「はぁ……立ち話もなんですし、上がらせて貰いましょうか」
「は? 勝手に上がっていいのかよ」
「魔理沙さんに言われたくありませんが……大丈夫ですよ。私はしょっちゅう来てるので、“もし自分がいなかったら勝手に上がってて”、と吹羽さんに言われています」
「……ふ〜ん」
魔理沙と違って許可を得ているらしい阿求は、それに驕らずに小さく「お邪魔します」と呟きながら入って行った。
その姿にちょっとだけ複雑な気分も味わったが、外で突っ立っているのもまた妙な気分を湧き上がらせるので、魔理沙も少しだけ頭を下げて恐る恐る入って行く。
勿論、阿求のそれよりもさらに小さく「お邪魔しま〜す……」と言いながら。
◇
吹羽の家は一つの芸術作品である、というのが阿求の持論だ。
外観は何処にでもある至極普通の一軒家なのだが、その内側はまるで別世界。壁から天井まで刻まれた流麗な風紋が、木造の家屋――日本家屋としての美しさを引き立てているのだ。
吹羽自身彫り物に秀でている為、欄間を始めとした装飾としての彫り物の類は全て彼女自身のデザインである。
幾何学模様からちょっとした動物の彫刻まで。その様はさながら芸術博覧会のようである。
ほら、入ってきた魔理沙も目をまん丸にして驚いている。阿求も、初めて吹羽に“これ”を見せられた時は驚いたものだったから、今の彼女の心境は手に取るように分かった。
多分“何だこりゃあっ!?”だと思う。凄過ぎて言葉も出ないようだ。ふふふ、どうだこれが自慢の親友の力だ!
「はぁ〜……これ、全部あいつが彫ったのか? とんでもないな、建築士も涙目だ」
「本当に。元々は割と殺風景な建物だったんですが、吹羽さんが上手い事仕上げてくれたんです。……そもあまり使わない建物だったんですが、ここまで綺麗にしてくれるんだから、吹羽さんに譲渡して良かったと思います」
「譲渡……? この家、元から吹羽の家じゃなかったのか?」
「はい。元は私達稗田家の所有物でした。今でも多少の援助はしていますよ」
発端は、吹羽が記憶を壊したすぐ後の事だった。目が覚めてからの吹羽は、事ある毎に倒れてしまうほどの頭痛に見舞われるようになったのだ。それが“多分この家にいるからだ”推測したのは霊夢である。
彼女と相談し、今の建物に越して来てからはぱったりと症状は無くなったから良かったものの、いつまでもあの症状が続いていたらと思うと――そんな吹羽を見ていなければならなかったかもしれないと思うと、阿求は今でも身体の奥底が冷え切る感覚を覚える。
見ていて痛々しい程の、苦しみようだったのだ。
――まぁ、ともかく今は置いておいて。
阿求はパンッと一つ柏手、魔理沙の注意を自分に向けた。
「さて、立ったままなのも何ですし、ここは私が持ってきたお菓子でも食べながら――」
「なぁ阿求、ありゃ何だ?」
「……はい?」
魔理沙が不思議そうに眺める先。そこには、ポツンと小さな神棚が備えられていた。
本当に必要最低限のものしか置かれていない、簡素で小さな神棚である。居間の隅にあるため、その一角に影でも差せばたちまち意識の外へと消えてしまいそうだ。
「あぁ、魔理沙さんにとっては珍しいですよね。それは神棚ですよ。神様を祀るためのものです」
「へぇ……わたしは無宗教だからなぁ、こんなもんとは無縁だぜ。元々神様に縋るってのが性に合わないんでな。博麗神社にもあるだろうとは思うが、普段入る居間にはないっぽいし」
語りながら、ジロジロと神棚を観察する魔理沙。
どうでもいいが、
「――ん? ……なぁ阿求」
眼前のちょっと“アレ”な行動に苦笑いしていると、そのちょっと“アレ”な魔理沙が何かに気が付いたようだ。
ちらりとこちらを見遣る目に返事をすると、魔理沙は神棚に書かれた“文字”を指差して、
「ここ、風神が云々って書かれてるんだが……人里の人間達の信仰対象って“龍神様”じゃないのか?」
――龍神。
それは、この世界の創造と破壊を司る最高神の名。古より世界を見守る龍の神である。その力は他のどんな存在とも隔絶し、動けば大地を割り羽ばたけば天を砕くと言われる。
ただでさえ数が多くはなく、日々妖怪の力に怯えて生きる運命を敷かれた人間達が、そのような強大な神に縋るのは自明の理とも言えよう。
人間にとって心の支えは欠かしてはいけないモノだ。それを失くせば、忽ち立つ事もできなくなるのが“人”という生き物であり、その文字の表すところである。
阿求は魔理沙の疑問も尤もだと思いながら、しかし「ああそう言えば、その事も言っておかないとなぁ」と一人納得していた。
魔理沙が吹羽のことを知りたいと願うなら、やはり言っておいた方がいい事。言うなれば、風紋の事を始めとする把握しておいた方が幾らか“付き合い易い”であろう事情だ。
まぁ、知らないなら知らないでも特に困る話ではない。でもせっかく魔理沙が気付いたのだから、話のタネとして話すのも悪くはない。
阿求は一つ頷くと、彼女の隣――神棚の前に正座した。
「その通りです。人間の里での信仰対象は主に龍神様ですよ。その理由くらいは、分かっていますよね?」
「お、おーよ」
怪しげな魔理沙に半眼を向けつつ、
「実は吹羽さんの家系――風成家だけはちょっと特殊なんです。刀匠の家系ですから“天目一箇神”を信仰するのは当然ですが、それとは別に風成一族が代々信仰してきた神が存在します」
「うーん……氏神ってやつか?」
「正解です、よく出来ました。エラいですねー」
「母親かっ! お前ホントにわたしの扱い雑だよなっ」
氏神とは、この国に於いて同じ地域に住まう者達が共同で祀る神のこと。元は一つの民族としてこの地に住んでいた風成一族である、氏神が存在するのは至極当然の事だ。
むしろ彼らからすれば、龍神信仰こそ後から入ってきた宗教である。長い間技術を継承してきた家系だ、伝統をこそ守るのが筋というもの。
――まぁ、龍神様を蔑ろにしているわけでも、勿論ないのだが。
「風成家は私達稗田家よりも長い歴史がある正真正銘の“名家”ですからね。もう吹羽さんしか残っていない故に、その事を知る人も多くはいませんが」
「へぇ……吹羽達がずっと信仰してきた氏神――風神か」
小さな神棚。この地で信仰する者が減ってしまった事を表すかのような、至極質素な佇まいだ。影が差してしまえば途端に認識出来なくなってしまいそうなそれは、祀られる風神の哀しみを感じさせるようである。
しかしそれでも何処か存在感を発して“我ここにあり”と主張するのは、やはり吹羽という敬虔な信仰者が未だ存在するからか。
彼女の信仰心の強さは、神棚を一見すれば忽ちに分かる。
質素ながらも埃など少しだって被ってはおらず、活けられた小さな花は瑞々しい。お供え物として置かれた小太刀は白鞘で休められており、抜刀せずとも吹羽の最高傑作レベルの仕上がりであることは想像に難くない。恐らくは、吹羽が使用する愛刀の“真打”にあたる一振りだろう。
頻繁に、そして丁寧に神棚自体の手入れも行なっているはず。でなければ、建てられて何年も経つと言うのに此れほど状態が良い説明がつかないのだ。
「――なぁ。この刀、抜いてみても良いか?」
唐突な問い掛けに、阿求は図らずに溜め息を吐いた。
好奇心旺盛なのはいいが、それくらいの判断も出来ないところはさすが無宗教泥棒魔法使い。勿論褒めてない。
「……勝手に持って行こうとしてますよね? ダメに決まってます。そもそも、お供え物に手を出すのは人としてどうかと思いますけど」
「人を墓荒らしみたいに言うなよ。良いじゃんか見るくらい。すぐに戻すからさ」
その“すぐ〜するからいいだろ?”の被害に遭った者はどれだけいるのだろうか。妙に作り慣れた雰囲気のある怪しい微笑に、阿求はふと心配になった。
まぁ根が悪い訳でないのは知っているので、大問題になるような事はしていないだろうが――してないよね?
「――って、だからダメですって!」
「だいじょーぶだよ見るだけだから! それに“嫌よ嫌よも好きのうち”って言うだろ?」
「それ使い方違いますし、私が嫌な訳じゃありませんよ!」
黙り込んだ阿求に痺れを切らしたのか、魔理沙は彼女の制止を聞かずに刀へと手を伸ばした。
お供え物の小太刀は二人の目の前に置かれている。それは素で置かれているにも関わらず、その丁寧な供え方によって吹羽の真摯な気持ちを阿求に知らしめていた。
その“信仰の形”に、魔理沙が不用意にも触れようとして――、
「いッ――つ……!」
バッと手を引いた魔理沙の表情は、打って変わって鋭痛に歪んでいた。刀に触れようとした指先から、赤い雫が滴り落ちる。
「あ――指、切れて……」
「うー、結構ざっくり切ったみたいだな……指先って敏感だから痛てーんだよなぁ……」
指先を咥え、血の味に顔を顰める魔理沙。阿求は少しだけ狼狽するも、彼女の指が“落ちた”訳ではない事を確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。
「全くもう……葉にでも当たったんですか? 無闇にお供え物に触ろうとするからそうなるんですよ」
「んあ? 葉になんて当たって――」
何か弁明したそうな魔理沙を無視し、神棚の前で阿求は祈るように手を合わせた。
「無礼をお詫び申し上げます、風神様。我らは御柱の信奉者たる者の友なりますれば、この御供物を一目拝見したく――……」
祝詞のような口調で告げると、阿求は丁寧な手付きで小太刀を手に取った。
そして一礼。最大限の礼儀を尽くしたと思われる所作の直後、
「はい、魔理沙さん」
「……あ? 何だよ、見るのダメだったんじゃないのか?」
「“見せて”と頼めばいいに決まってるじゃないですか。私は、魔理沙さんが強引に取ろうとするのが分かってたからダメと言ったんです」
小太刀を渡しながら、阿求はふんすと息を吐いた。
結局、神も人間と同じようなものだ。むしろ神の方が人間より人間臭い、なんて言われるくらいである。強引にすれば怒り、礼儀を弁えれば微笑んでくれるモノ。許しを請えば、お供え物を見る程度の事は許してくれる。
「なんか釈然としないんだが……」
「気のせいですよ♪」
渋々――と言うのも変だが何処か納得のいかないように、しかし鑑賞のために受け取った小太刀を抜刀する魔理沙。阿求はその横顔を、彼女に気付かれない程度の横目で見ていた。
「(これでまた――吹羽さんの周りが賑やかになりますね)」
お店の客はお年寄りや壮年の方ばかりで、きっと気を許せる相手などほぼいなかったはずだ。だから今まで吹羽の近くにいたのは自分や霊夢のみで、しかも彼女は仕事や修行ばかりであまり外にも出ないと来たものだ。
彼女の交友関係の狭さに本気で悩んだのは、果たしてもう何度目だったか。
故に阿求は、吹羽の新しい友達である魔理沙が、彼女にこれだけ興味を持ってくれているということが、不思議と自分の事のように嬉しかった。
――魔理沙の評価点。好奇心と明るさに関しては、満点である。
「なぁなぁ阿求! これって何処がどういう役割してるんだっ?」
「さ、さぁ? それは私にも分かりませんね……」
取り敢えず、散歩がてらにここを通って良かったと、一人思い耽る阿求であった。
◇
人は、絶体絶命の危機に陥ると“走馬灯”を見るという。
俗に“走馬灯現象”と呼ばれるそれは、生命が危機に瀕した際、脳がその危機を回避するために側頭葉から過去記憶を一気に引き出す事で生じる現象と言われている。簡単、且つ陳腐に表現するのなら、“思考が超加速する現象”だ。
一秒が数十秒にも感じる現象――その体験者たちは、その
ああ、この時は楽しかったなぁ。
あの時こうしていればなぁ。
今思えばいい人生だったなぁ。
――などなど。
人が思うことは千差万別。ある程度似通っていることはあっても、そこに含まれる感情まで同じ事は殆ど無い。
――この時、
「ちょ、まっ! あぶ、ないですよ霊夢さんっ!!」
「うるっさいッ! さっさとくたばれこの傲慢巫女ッ!」
「そんっ、な! 理不尽なぁッ!?」
暴風雨のように襲い来る弾幕と打突。早苗は降り注ぐそれらの一つ一つに生命の危機を感じ、その度にひたすら「ヤバい」と「なんで?」を繰り返しながら、我武者羅必死に避け続けていた。
何故こんなことになったか? そんなの知らないこっちが聞きたい。
朝は博麗神社へと出向いて、
――そしたら突然コレ。まじ意味分かんない。
「まま、待って、下さいってぇ!? なんでそんなにっ、怒ってるんですっ!?」
「此の期に及んでそれを言うかッ! いっぺん死ねってかこの手で殺してやるから今すぐその首寄越せッ!」
「自分がっ、何言ってるか、分かってますっ!?」
眼前で、霊夢が殺気と共に乱舞する。迸る霊力はいっそ熱風のように熱く、触れる事自体を強く拒否させる。
多分、今彼女の攻撃を一撃でもまともに食らったら、その部分は跡形も無く消し飛ぶ気がする。漠然とそんな予感がした。
「(なんでこんな事にっ!? 幻想郷って……意外と怖いところなのっ!?)」
何か悪いことでもしただろうか。していないならば、何故引っ越してきたばかりなのに命を狙われなければならないのか、早苗にはさっぱり全く宇宙の果てくらい分からない。
だって、幻想郷の常識とやらに則って生活していただけなのだ。怨みを買うようなことなどした覚えはない。
――いや、無くはないが仕方ない事だった。
早苗はちょっと泣き出しそうになりながらも、ガンバレ早苗負けるな早苗と自らを鼓舞して霊夢の動きを凝視する。
「くたばれぇぇえッ!!」
「うわわっ、あぶ――」
ばちんっ!
盛大に響いた柏手――いや、真剣白刃取りならぬ大幣木棍取り。鬼神と化した霊夢が振り下ろした大幣は間一髪、奇跡的に早苗の額数寸前で停止した。
……手の皮がズレ落ちるかと思ったんですけど。まじシャレになんない。
「こ……ッ、殺す気、ですかあっ!?」
「そう、よっ! よく……分かってんじゃないの……ッ!」
「なん、で、ですか……って、聞いてる、じゃないです、か!」
「あ゛ぁ゛んッ!? まさか“分かんない”なんてふざけた事言うつもりィッ!?」
「ひぃっ!?」
ああダメだ、全く以って聞く耳を持ってくれない。
霊夢の声音はこれより上は無しとばかりに怒りが滲み出していて、瞳なんて呪われる気がして直視すらできない。正直――というか事実、和解は最早不可能なようである。
「(むぅう! こうなったら
霊夢が怒る理由が分からない。
尋ねても答えてくれない。
本気で殺しにかかって来る。
――となればやはり、このままでいるのは危険極まりないので。
早苗は上空に弾幕を生み出し、雨を降らせるように発射させた。慣れてはいないので形も強度も未熟だが、霊夢を自分から引き離すのが目的とあらば、それは十分に有効だった。
庭の中心で、距離を空けた霊夢と向き合う。ぐつぐつと煮え滾る怒りの熱を瞳に込め、しかし静かに敵意を鋭くする視線で、霊夢は言う。
「……へぇ? やっとやる気になったかしら」
「なってませんよ。今でも何でこんな事になったのかちんぷんかんぷんです。戦いたい訳ないじゃないですか」
「そう。まぁでも、何もせず死ぬよりは抵抗した方が格好も付くってものよ。こっちはあんたを殺す大義名分まで用意してるんだしね。最後くらい悪役を演じ切ってみたら?」
「悪役って……」
やはり、霊夢の中では早苗が悪者と定義付けられているらしい。となればやはり、和解などしようもないのは確定的に明らかである。
彼女の殺意は本物だ。今まで殺人鬼には会った事がない――あったらあったで問題だが――上、至極平和に暮らしてきた早苗には当然、殺気というものがどんなものなのかは分からないが、それでも“これが殺気か”と嫌が応にも理解させられる凄味が、霊夢からは滲み出ていた。
――つまり、ここは正念場。発端が何なのか分からないが、これは幻想郷に引っ越して来て最初の関門……試練なのだ。理不尽過ぎて涙ちょちょぎれそう。
「い……いいでしょう、やってやりますよ。ええ、心底不本意ですがノッてあげます」
まぁ、理由の分からない怒りほど
「後悔しないで下さいね……!」
「はっ、後悔なんてする訳がないわ。あんたを殴り殺してハッピーエンドよ。あ、遺言なら聞いてあげないからね。メンドイし」
「――ッ」
何だろう、こう……こっちにも何やら込み上げてくるモノを感じる。片頰が痙攣しているように感じるのだが、これはアレか。漫画とかでよく見かける“引き攣った笑い”というやつか。
霊夢のあまりの態度に、生涯温厚を志す早苗も流石に怒り心頭である。袖の中からお札を取り出し、霊夢を睨みつけた。
「ふ、ふふふ……何やら知りませんが私、久しぶりに怒ってるみたいです。気を付けてくださいね、普段温厚な人ほど怒ると怖いって言うんですから。特に私とか」
「自分で“怒ると怖い”なんて言ってりゃ世話ないわね。っていうか、
「あなたの基準なんて知りませんしどうでも良いです。そもそもそれはお人好しなんじゃなくて、ただ単に“適当に扱えるくらいあなたの事がどうでも良い”っていう暗喩なんですよ。気付かないんですか?」
「はは、人の友人にまで文句付けるとか、とことん
「ふふ、理由も語らず殺しにくるあなた程ではありませんよ
「ははははははは」
「ふふふふふふふ」
――……。
「「――覚悟ォッ!!」」
取り出した大幣を振りかざし。
怒りのままに飛び出して。
そうして早苗は――銀鈴のような声を聞いた。
「ちょっとストップですぅーッ!」
――その瞬間、何が起こったのか早苗には分からなかった。
自分と霊夢が衝突する寸前、少女の声と共に暴風が駆け抜けたかと思うと、目の前の石畳には巨大な亀裂が走り、大幣は真っ二つに折れ、自分の前髪が僅かにはらりと舞っていた。
何かが通った? 強烈な風を纏う何かが寸前で通り抜けて、自分と霊夢の衝突に割って入ったというのか。
突然の事に頭の回らない早苗は、どこか呆然とした様子の中で、しかし如何にか霊夢の声だけは拾うことが出来た。
「ぐぅぅっ! 何すんのよ吹羽ッ! 邪魔すんじゃないわよッ!」
――ふう? “邪魔”って……さっきの風の事か?
整理のつかない頭で、どこか虚ろに視線を移す。
怒鳴る霊夢の視線を辿って、見慣れた鳥居が視界に入ると、早苗は不意に雪のような白い髪を目の当たりにした。
惹かれるように、視線を下ろして――。
「“何するの”じゃないですっ! 何しようとしてたか分かってますっ!?」
――
「ああッ!? あんた今更何言ってんのッ!? この女ブチ殺すのあんたも賛成してたでしょッ!」
「してないですよ!? 間違ってもそんなの賛成しませんからねっ!?」
「――……」
ふわふわとした髪は雪のように白く美しく。
翡翠色の瞳は陽光に輝いていて。
「だいたい、ボクは霊夢さんのストッパーとして来たんですよ! 霊夢さんがあっという間に行っちゃうから走って来たんです! そしたら案の定
「っ……へぇー。あんた、あたしがこいつに何されたかを聞いて尚そういう事言っちゃうの。なるほどなるほど……」
「――…………」
響かせる声は鈴を鳴らすように。
差した刀からは、何処か強かさを。
「吹羽、あんたのそういう優しいところ好きだけれどね、博麗の巫女にはやらなきゃならないことがあるのよ。妖怪――悪は徹底的に叩き潰さなきゃならない。あたしは、こいつを、
「魔理沙さんみたいな屁理屈言わないでくださいっ!」
「――………………」
霊夢と言い合うその姿は、彼女の度胸を示すよう。
幼い見た目に反した丁寧な言葉は、彼女の賢さを表すようで。
「あーもういいですっ! 霊夢さんは何もしないで下さいね!?」
「むぅぅぅ……。いやでもね――」
「い い で す ね ッ!?」
「………………」
鳥居の方から、少女がとてとてと駆けてくる。
絹糸のような白美の髪が揺れて、ふわふわと靡いていた。
芸術品のように端正な顔立ちは何処か申し訳なさに歪んでいて、今すぐに土下座でもしかねない雰囲気がある。
小さな少女は早苗の目の前まで駆けて来ると、
「えっと、あなたが早苗さんですよね。ほんっとうにゴメンなさいッ! 霊夢さんはちょっと気が動転しているだけなんです! 許してくださいとは言いません……っていうより言えないですけど、ボクがなんでもしますので、どうか多めに見てあげてください……っ!」
本当に申し訳なさそうに、吹羽は頭を下げてそう言う。
だが残念な事にも、その言葉は早苗の耳には入っても、頭の中では全く理解されていなかった。
何故かって? そんなの決まってる。だって、だって――、
「吹羽……
「ち、ちゃん? は、はい。ボクは風成 吹羽です、けど……」
「かざなし、ふう……いい名前ですね。とても爽やかで、優しい響きです」
「あ、ありがとうございます……?」
早苗は優しげに微笑んで、小首を傾げる吹羽に目線を合わせた。
分かってる。殺されかけたのだから、本当はがっつりと怒るべきなのだ。それが遠回しに霊夢のためにもなるのだから。
だが、今の早苗にその選択肢は選べない。――というより、選択肢自体が頭の中になかった。早苗の脳内は、たった一つのことでいっぱいなのだ。
いけるか。
いけたとしても上手くいくか。
上手くいかなかったらどうしよう。
でも行動しなければ始まらない。
早苗は雑念だけを無理矢理払って、吹羽の両肩をそっと掴んだ。
「……ねぇ、吹羽ちゃん。お願い聞いて貰ってもいいですか?」
「っ! は、はいっ。ボクが出来ることならなんでもっ!」
――えぇい、ままよ!
もはや後には引けないのだ、当たって砕けろ東風谷 早苗っ! 上手くいかなくてもその時はその時だ!
何を隠そう、これはそう……今までの人生十数年、自称ピチピチ女子高生東風谷 早苗一世一代の――
「――
――大・告白なのだっ!
「――……はい?」
太陽燦々真っ昼間。
何処かで「アホー」と烏が鳴いた。
今話のことわざ
なし