風と神話の幻想譚   作:ぎんがぁ!

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 大っ変お待たせいたしました。やっと書き切ったので投稿開始です。
 文量としては、一話分で一章の二倍ほど、合計文字数では一章の三〜四倍ありますので、時間のある時にゆっくりお読みいただけたらと思います(一話目から18000文字あるという……)。

 そ、それと、今更ですがあけましておめでとう御座いますっ!

 では“伊吹の章”、開始です!


伊吹の章
第九話 風の番い


 

 

 

 別に、怖いものが無いなんて言うつもりはない。

 

 妖怪は勿論幽霊だって怖いし、何なら怒った時のお父さんだって、吹羽にとっては数日目を合わせられなくなるほど怖かった。

 流石に“犬が怖い”だとか、“夜が怖い”だとか、そんな子供染みた(・・・・・)理由でからかわれるのは嫌だけれど、それでも怖いものがある事自体を恥ずかしいと思ったことはない。そもそも、未だ幼い子供である吹羽が本当の意味で“怖いもの知らず”だったなら、それはそれで変な話だ。

 怖いものが無いのなら出かける際に武装などしないし、魔理沙の「ファイナルスパーク」に涙することもなかっただろう。

 だから吹羽には、怖いものなんて無い、と宣うつもりこれっぽっちもなかった。

 

 ――だって、いけない事じゃないだろう?

 怖いと思って危険を避けるのは、立派な人間の知恵の一つだ。

 大昔から様々な脅威に晒され、それでも生き抜いてきた先人達が紡ぎ鍛え上げたきた、世を生き抜く為の危険信号。

 それを目敏く耳聡く、臆病なまでに拾い集めて何が悪い? 生き足掻く為の臆病さ(慎重さ)、そこから導き出される知恵こそが、脆弱な身体を持って生まれた人間の“牙”というものだろう。

 怖いものがあったって、良いじゃないか。人間だもの。

 

 だから――だから、さ。

 隣を歩む彼女(・・)が、修羅の如き迫力を撒き散らしながら滅茶苦茶に怒り狂っていたら、怖くても……仕方ないよね? 例えそれが、大好きな友達だとしてもさ。

 本当は真摯に話を聞いてあげるべきだし、怒りに震える友達を怖がるなんて以ての外なんだろうけど……コレは、どうしようもないよね?

 心の内で、吹羽は静かに自問する。そうでもしていないと、なんだか罪悪感(・・・)で、胸が苦しくなりそうだった。

 

 隣で歩みながらメラメラと怒り狂う彼女の話。ちゃんと聞いてあげたいし、力にもなってあげたい。だって友達なんだから。

 でも――これは流石に、ちょっとヤバい。

 真冬の風のように冷たく、チリチリと肌を刺激するような。はたまた細い針でチクチクと指先を刺されているような。

 隣を歩いているだけでじくじくと感じる“怒り”の感情が、有無を言わせぬ恐怖の渦で吹羽を揉みくちゃにしていた。

 呪詛の如くドロドロと言葉を紡ぐ彼女の隣で、若干怯えながら生返事を繰り返す。否、それより他に出来ることがなかった。下手な事を言えば、その矛先がこっちにも向いてしまいそうで。

 

 聞き流すこともできたろう。あまりに聞くのが辛いのならば、話を中断したり、適当な相槌で言葉を流したりというのも手の一つ。幾らしっかりと話を聞きたいと思っても、結局こちらが耐えられないのであれば本末転倒だ。

 だが――吹羽にはそれが出来なかった。それすらしてはいけないと思ってしまう程、彼女の怒りは凄まじかったのだ。

 触らぬ神に祟りなし。この場合の“神”とは勿論、

 

「絶対に、ぶち壊してやる……ッ!」

 

 ――怒りに狂う、博麗の巫女である。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 事の発端は、そう――吹羽にとっては何の変哲もない、良く晴れた“仕事日和”の正午過ぎ。

 耳を劈くような、破裂音から始まった。

 

「――んぐっ!? ッけほ、けほっ! ……な、何事ですかっ!?」

 

 午前の仕事も無事終わり、昼休憩として簡単な手料理を昼ごはんに頬張っていた吹羽は当然、びっくり仰天。

 突然の事態に思わず噎せてしまったのはお約束と言うべきか。

 何が起きたのか確かめようと吹羽が立ち上がるその前に、音の奏者は吹羽の前に姿を現した。

 ――扉を開け放つ、爆裂音にも似た音を響かせて。

 

「……れ、霊夢さん……?」

「吹羽……」

 

 扉を隔てて立っていたのは、吹羽のよく知る博麗 霊夢――ではなかった。

 吹羽の前では割合感情が表に出やすい霊夢だが、今の彼女は完全な無表情を顔に貼り付けていた。白く健康的だった肌は、今はむしろ氷のように冷たそうな印象を見る者に与え、その中に浮かぶ黒曜の瞳は、光の代わりにドス黒い熱を滾らせていた。

 あれ、どちら様ですか? メンタルケアなら永遠亭に行ったらよろしいかと。

 現実逃避にも似たそんな茶々は、しかし言葉にする事は出来ない。言ったら最後、何をされるのか全く以って想像出来なかった。

 ……正直に言おう。

 怖過ぎて声も出せない。

 でも、何か言わないと話が進まないので、

 

「あ、あの……どうしたんです、か……?」

「吹羽……頼みが、あんのよ……」

「……ふぇ?」

 

 (つか)えないように、喉を意識して(・・・・)どうにか言葉を繰り出す。対する霊夢の反応は、単純だった。

 闇色をした濃密な気配と共に、幽鬼のように身体が揺らめく。よたよたとバランス悪く吹羽に近寄ると――ガッと、霊夢は彼女の両肩を思い切り掴んだ。

 

「……デカい、刃物が要る」

「えっ……と……」

「今すぐ、作って」

「や、ですけど――」

「作りなさい」

「で、でも霊夢さ――」

「作らないと怒るわよ」

「ひっ……!?」

 

 普段は吸い込まれそうな程綺麗な黒色をしている瞳が、今は見る影もなく濁っている。彼女に何が起こればこんな惨状になるのかは全く以って想像出来ない――想像したくもない――が、ともかく彼女がかつてないほどに怒り狂っているのは否が応でも理解できた。

 怨嗟の闇に濁った瞳。

 覗き込まれて、身体が動かなくて、背筋から底冷えするようで。

 

 ――こんな時には、“釣る”しかない。

 

 今の吹羽には、震える手で弱々しく机の(・・)上を指差す(・・・・・)事くらいしか、出来ることがなかった。

 

「と、取り敢えず……お昼ごはん、食べますか……?」

「………………うん」

 

 ちょっぴりホッとした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「――つまり、その東風谷(こちや) 早苗(さなえ)さんという方が霊夢さんに宣戦布告してきた、と?」

「まぁ、簡潔にはそういう事よ。あむっ」

 

 霊夢の怨霊の如き圧力から解放された吹羽は、提案通り彼女にお昼ごはんを振舞っていた。

 どうやら彼女、先に述べた宣戦布告に心底憤慨したらしく、お昼ごはんを作るどころではなかったとの事。

 どうせだったので、食べかけだった自分のごはんも霊夢にあげることにした吹羽である。

 決して、決してさっきの霊夢が怖過ぎて食欲が失せた訳ではない。ないったらない。

 

「うーん、でもそれくらいで怒る霊夢さんじゃないですよね? 霊夢さんが怒るところなんて、ボクほとんど見た事ありませんし」

「――んくっ。……そりゃ確かに、私だって何時もならこんなに怒ったりしないわよ。そんな事でブチ切れるほど器が小さかったら、博麗の巫女なんてやってられないわ。ほら、弾幕ごっこの前にアレやるじゃない?」

「あー、確かにそうですね……」

 

 霊夢の言う“アレ”――それは、弾幕ごっこに於ける一つの暗黙ルール。誰が初めだったか、いつの間にか様式美として確立してしまった“煽り合い”の事――勿論、所詮は“暗黙ルール”なので、やろうがやるまいが本人たちの自由ではある――だ。

 弾幕ごっこを始める直前、お互いがお互いのモチベーションを主に怒りによって上げる為に行う行為で、良くも悪くも弾幕ごっこという決闘に派手さと熱意をもたらす要因の確かな一つとなっている。

 仕事柄、どうしても弾幕ごっこを行う事の多くなる霊夢は、必然的に煽り合いを経験する事も多い。そういう意味では確かに、彼女の言い分は尤もだった。

 事実、吹羽もここまで怒った霊夢を見たことがない。

 

「ボク、あれ苦手なんですよねぇ……。必要な事なのは分かってるんですけど、なんで言いたくもない悪口を言わなきゃならないのか……」

「あんた口喧嘩下手だもんねぇ。偶に、自分で言ってて悪口なのかどうかすら分からなくなる時あるでしょ」

「うぐっ……それはまぁ、なくもなくなくないですけど……」

「あるんじゃない」

「ぅぅ…………」

 

 気不味そうに口籠る吹羽を気にも掛けず、霊夢は黙々と食卓に並んだ料理を掻き込んでいく。複雑に寄った眉根の皺が消えていない辺り、昼食よりも“自棄喰い”の方に意味が寄っているようだ。

 その食べっぷりにか怒りっぷりにか、いまいち判別出来ない溜め息が吹羽の口から小さく漏れる。

 なんだか面倒事に巻き込まれている気がしてきた。断るという選択肢は元より無い――出来ない――ので、これはお店も臨時休業しなければならないかもしれない。

 いつの間にか放り込まれていた状況に“げんなり”しつつ、誠に不本意ながら、取り敢えずは事情聴取続行である。

 誠に、不本意ながら、である。

 

「――それで結局、そんなに怒る理由と言うのは? 宣戦布告なのは分かりましたけど……」

「むぐ……ひょう(そう)! ひょへはほ(それなの)――ッごほ! けほっ、けほっ!」

「ああっ、食べながら話すからですよー。大丈夫ですか? 水飲めます?」

「んく……んく……ぷあ! ――それなのよ吹羽! あの女、言いたい事だけ言ってスタコラと帰りやがってくっそぅっ! ムカつくぅう……!」

「ど、どうどう! 落ち着いてください!」

 

 空になった湯呑みを机に叩きつけると、霊夢の背後には先程の“修羅”が再臨しかけていた。

 慌てて宥めると――不機嫌そうなままではあるが――殺気を納めてくれたが、いやはや、流石の吹羽も嘆息せざるを得ない。

 今日の彼女はなんと扱い辛い事か。いや普段が扱いやすいとは言わないけれど、予想するに今日は一日心労が絶えなさそうである。

 

 ――詰まる所、宣戦布告なんかに霊夢が怒り狂った原因とは、“余りにも上から目線な早苗の態度”にあったという。

 朝の落ち葉掃きも終わり、居間でお茶を飲んでいた所に早苗はやって来た。先述の通り、幻想郷に新しく出来た神社の巫女――正確には風祝(かぜはふり)と言うらしい――として、言わば商売敵である博麗神社に宣戦布告してきたのだが、問題はその内容である。

 

『――どうせ何もしてないのなら、信仰を明け渡すか神社を取り壊すかしなさいっ!』

 

 それを聞いた霊夢は烈火の如く大激怒。妙に得意げ且つ何故か満足げな表情の早苗に対して反射的に大量の弾幕を放つが、意外にも避けるのが上手く、当てることは叶わなかったとのこと。

 

『あんた、勝手な事言ってんじゃないわよッ!? 突然来て何が“取り壊せ”だ!』

『だってその方が良いに決まってます! こんな辺鄙な所でニートみたいに暇を持て余してる巫女さんが管理してる神社よりも、私のようなピチピチの女子高生が毎日甲斐甲斐しく参拝客を迎える我が守矢神社(もりやじんじゃ)の方が、世間的に需要があるに決まってます!

 まさにneatness(清潔)! beautiful(美しい)! modern(現代風)! 略してB・N・Mな神社なのですっ!』

『びゅーてぃ……もだん? なんか分かんないけどコケ降ろされてんのは伝わって来たわ! 上等じゃないのッ!』

 

 その間も言葉の応酬があったそうなのだが、霊夢にはよく理解出来ない単語が大半を占めていた事で苛つきが蓄積。加えて、意味は分からずとも自分を小馬鹿にしているのは確定的に明らかな口調だった為、その怒り具合は遂に有頂天突破。その後も上限知らずに急上昇。

 いよいよ怒りも最高潮という所で早苗が退散を始めた為、結局不完全燃焼の内に軽い戦闘が終了し、ここまで怒りと対抗心ついでに復讐心を引きずってきてしまったそうな。

 

 なんと言うか、言葉が出ない。

 霊夢をここまで振り回す早苗に、少しばかり戦慄する吹羽であった。

 というか、どこか引っかかるこの感じは何なのだろう? 霊夢の理解出来ない言葉を操るらしい事を考えると、早苗が外来人だという可能性は極めて高い。そして新しい神社がどうの、と宣言するという事は――。

 

 思い至った“結論”と、それが明らかになった時に生じるであろう“落胆”を想像して、吹羽はひくひくと苦笑い。

 霊夢は怒りのあまり気が付いていないようなので、吹羽は取り敢えず黙っておくことにした。

 ――何故かって、だって下手に解明して八つ当たりでもされたら、堪ったものではないじゃないか。これから多大な心労を被るであろう直近の未来が見え透いているというのに、それに備えないのは白痴の極みだと吹羽は思う。

 早苗? 残念だが、吹羽には救えない命だ。

 

「で、なんででっかい刃物が要るんです?」

「愚問ね吹羽。あの女(早苗)を刻み殺す為に決まってんじゃないの」

「自分が何言ってるか分かってますっ!?」

 

 ――その後、あれやこれやと事情聴取を続行し、彼女の怒り具合を再確認する度に「ああ、今日はきっと厄日なんだろうなぁ」と頭の隅で嘆いた吹羽であるが、結局霊夢がその守矢神社とやらに特攻する事自体は止められないようなので、いざとなった時のストッパーとして付いて行くことに。

 

 余談だが、“刃物さえ作ってくれればいい”と通る訳のない要求を突き付け続ける霊夢に対して吹羽が“ならば代わりに付いて行く”と宣言し、散々渋った挙句に提示された妥協案というのが、“早苗をシバいたら神社本殿を木片になるまで斬り刻んで解体する事”である。

 この時ほど怒れる霊夢の思考回路に恐怖を抱いた事はない、とは吹羽の後の弁。

 確かに吹羽の風紋武器を用いれば比較的容易にそれを成し遂げる事はできるだろうが、それが人道的に正しいのかと問われれば、首を千切れる事も辞さない勢いで横に振るうしかあるまい。

 だって、早苗を叩きのめした後に家を修復不可能なレベルにまで解体するなんて、ただの鬼畜じゃないか。

 勿論吹羽も、そんな悪逆非道な作戦(復讐)の片棒を担ぎたいとは思わないので、如何にか有耶無耶にするつもりではあるが。

 まぁそれも、吹羽の先程の結論(・・・・・)が外れた場合の話だ。

 

 ともあれ、こうして吹羽は霊夢に同行することになり。

 連鎖的にお店も臨時休業することになり。

 ひいては、自らの怒りの内容を再確認させてしまったことで、再び霊夢が復讐に燃える拍車を掛ける事になり。

 

 仕事日和であったはずの今日が、心労の絶えないであろう厄日に様変わりしてしまったことに、盛大な溜め息を吐いた事を、どうか氏神様、責めないでください。

 そして無事に帰って来られるように、どうか――どうかどうか、見守っていてください。

 

 ……なんて、割と本気で願ったのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――と、ここまで思い返し。

 

 無意識にもう一つ、溜め息を吐く。

 それにハッとして慌てて口を噤み、横目で霊夢をちらり見て、胸を撫で下ろした。

 相変わらず怖いくらいに“燃えて”いるが、そのおかげで溜め息は聞かれなかったらしい。

 “協力してくれている”と思われている(はず)手前、溜め息なんか如何にも「めんどくさーい」な心境を気取られるのは非常によろしくない。

 今の霊夢の機嫌を損ねる事は即ち――いや、想像もしたくないからやめようか。

 

 兎にも角にも、吹羽と霊夢は現在、幻想郷の山の代名詞――“妖怪の山”の中腹にいた。

 この時期は秋真っ盛り。桜の名所として有名なのは博麗神社、そして音に聞く白玉楼(はくぎょくろう)と呼ばれるお屋敷だが、紅葉と言えばやはり妖怪の山である。

 時期が時期ならば、山全体が燃え上がる大火のようにすら見える事もある紅葉の名所だ。

 足元には散っていった様々な――しかし暖色で統一された、紅葉の絨毯が広がる。その赤や黄のモザイク柄は、きっと両世界――幻想郷と外の世界――共通認識の秋の風物詩と言えよう。何処からか焼き芋の甘い香りが漂ってきても、おかしいとは何故か思えない。

 

 そんな理由もあり、二人は珍しくも徒歩で守矢神社を目指していた。

 吹羽が空を飛べないから、という理由もある。

 武器の種類上、軽量化を図ったとはいえ、主要の武器はしっかりと金属の塊であり、それなりの重量がある。

 それを吹羽自身が分かっていたから、“抱き上げて空飛べばいいじゃん”という霊夢の提案を敢えて断った結果の現状だった。

 歩けば済む話なのに、わざわざ霊夢を疲れさせる意味はない。

 それに、どうせなら景色を楽しみたかった。普通なら妖怪の山の紅葉を眺めながら登山なんて、出来るはずがない(・・・・・・・・)のだから。

 だから吹羽は単純に、良い機会だな、と思うことにした。

 

「ちっ……それにしても、意外と来ないわね……」

「…………。そう、ですね」

 

 苛立たしげに吐き捨てる霊夢に、吹羽は余計な事は言うまいと曖昧な返事を努めて返した。

 まるで「ストレスの発散も出来やしない」とでも言うかのような重い空気を醸す霊夢。

 この場に魔理沙がいればもう少しマシなのかなぁ、なんて頭の片隅で考えながら、しかし吹羽は、彼女の意見には賛同を示していた。

 

 確かに、来ない(・・・)

 本来なら、山に足を踏み入れた瞬間にでも飛んで来ておかしくない者達が、ここまで一人として出てきていないのだった。

 “普通なら紅葉狩りができない”最たる理由は彼ら(・・)だと言うのに、これではせっかくの“良い機会”が――“意味を失う”という意味で――台無しではないか。

 霊夢とはまた違った意味で、“それ”を少しばかり残念に思う吹羽である。

 

 だが、まぁ。登りやすいという意味では嘗てないほど好都合だ。

 守矢神社とやらは妖怪の山の上に越して来たらしいので、きっとその処理やら扱いやらできっと忙しいのだろう。

 何せ“彼ら”は――規律を何より重んじる、社会に生きる妖怪達だから。

 

「あー、メンドいわね。やっぱり吹羽、飛んでいかない? ちょっと抱えるくらい問題ないからさぁさっさと捻り潰したくてしょうがないのよねあの女」

「ま、まぁまぁ。ちょっと落ち着きましょうよっ。焦ると思わぬ所で足元掬われたり――」

「なに、あんたあたしがあんな女に万一にでも負けるとか思ってんのねぇそうなの?」

「ひっ!? い、いいいえそーいう訳じゃなくて、えっとあのその……」

 

 もうやだこの人怖い。

 

「まぁいいわ。あたしのやる事は変わんない。あんたに刃物作ってもらえなかったのが心底残念だけれど、殴り殺すだけなら大幣でも問題無いわ」

「えぇっと……。そ、そうです、か」

 

 ――と、そんな時だった。

 相変わらずの恐ろしい気迫を滲ませる霊夢が、ピクリと何かに反応するのが見えた。釣られて辺りを見回すも、吹羽には何処に異変があるようにも見えない。

 諦めて、戦々恐々しながらも霊夢に尋ねようとした、その時である。

 

 

 

「そこの二人、止まりなさいっ」

 

 

 

 ――可愛らしい声だった。

 台詞から敵意があるのは分かっていても、その声音を聞いて湧き上がる不快感など絶無。何処か幼くて甲高い声は、吹羽をして一瞬どきりとしてしまう程のものだった。

 声の方へと、惹かれるように向いてみれば――。

 

「……ああ、あんただったか。久しぶりじゃない」

「……霊夢さん、でしたか」

 

 白と赤を基調とした、霊夢とはまた違った形の巫女のような服。頭に乗っけた兜巾からは紐と、それにくっつけられた綿のようなボンボンが揺らめいて。チラリと見えた白くて鋭い犬歯と頭にピョコリと生えた獣耳、そしてゆらりと揺れるふさふさの白い尻尾が、彼女が人間ではない事を明確に表す。

 

 ――天狗。

 それもこの山に棲む天狗達の下っ端、哨戒を担う白狼天狗の少女だった。

 不機嫌そうに眉根を寄せて、小さな口が言葉を紡ぐ。

 

「……お引き取り願います。そも侵入禁止なのを忘れていませんか? 私達は今非常に忙しくて、ただでさえピリピリしているんです。あまりこちらを困らせないで頂きたい」

「そっちの都合なんか知ったこっちゃないわ。あたし達も用があって来てんのよ。大人しく通しなさい、椛」

 

 天狗――(もみじ)と呼ばれた少女は、霊夢の言葉に更に顔を歪めた。

 

「……異変ならば考えますが、生憎今日はそんなもの視て(・・)いません。ならば幾ら博麗の巫女と言えど、決まりは守って然るべきでは?」

 

 それに――と続けると、椛はちらりと吹羽を見遣った。

 本当に忙しいのか、はたまた傲慢な霊夢の言い分にイラついているのか、吹羽を射抜いたその視線にも針のような鋭さがある。

 下っ端と言えど腐っても哨戒。侵入者に最も迅速に対処を試みる役回りとして、その雰囲気はいっそ立派な戦士とも言えた。

 そんな視線を受け、「えっと、その……」と言葉を紡げずにいる吹羽から視線を外すと、椛は溜め息気味に言葉を落とした。

 

「……霊夢さん、私がこうして交渉(・・)しているのは、あなたの立場に最低限の敬意を払っているだけです。あなただから(・・・・・・)、ではないんですよ?」

 

 ――それは暗に、優しさでこうしているのではないのだぞ、と。

 あくまで“博麗の巫女”だから、重役だから、部下が上司を敬うように、お引き取り願っている(・・・・・)だけなのだ、と。

 椛の声に呆れが含まれていたように思えるのは、きっと間違いではあるまい。

 彼女だってお友達ごっこをしている訳ではないのだ。顔見知りだからと言って易々と道を譲る程、彼女は不真面目な天狗ではないし、故に容赦もない。

 非があるのは確かに、霊夢の方だ。

 

「異変ならば何も言いません。あなたも幻想郷の為――ひいては妖怪の山の為に動いているようなものですから。

 ですが、大した大義名分も無しにこの地を侵す事は許されません。況してや何の立場もない人間を連れてくるなど、言語道断」

 

 ――ここを通す訳にはいきません。

 

 言外にそう示し、腰に下げた刀の柄に手を掛ける椛。その刺すような敵意に、吹羽は思わず後ずさった。

 人間の膂力など高が知れている。知能を持たない木っ端妖怪でさえも、見掛けたならば速やかに逃げるのが常識である。

 であれば、吹羽はれっきとした人の子であるからして。

 逃げ出さないのは偏に、一人で逃げるのが申し訳ないからか、それとも霊夢に「やれやれ」と、肩を竦めて溜め息を吐く余裕があるからか。

 

「はぁ……ま、あの女を出来るだけ惨たらしくシバく為にも余力は残しておきたいし、こっち(・・・)のが妥当か……」

「……霊夢さん?」

 

 何事かと問うた吹羽に、しかし霊夢は答えない。代わりに、彼女は少々面倒臭そうな表情で椛を見ていた。

 そうして、口を開けば――。

 

「仕方ないから、あんたの“交渉”とやらにノってあげるわ」

「……というと?」

 

 敵意はむき出しのまま、僅かにより深く眉間の皺を深めた椛に、霊夢は。

 

 

 

「あんたが敵意を向けてるあたし達――その片割れが“風成”だって、分かってる?」

 

 

 

 眼を、大きく見開くのが見えた。

 僅かに横へとズレた視線は間違いなく吹羽を射抜き、明確な熱を持ったそれは、彼女の脚と思考を完全にその場に縫い付けた。

 地に降り立ち、スタスタと遠慮無く近寄ってくる椛にも、吹羽は何の反応を示すこともできない。

 

「………………」

「ぁ、あのぅ……?」

 

 じっと吹羽を見つめ、舐め回すように上から下へと注がれた視線は、遂に一点――彼女の“五振りの刀”の一つに止まる。探るように数秒、それをやはりじっと見つめた椛は、そっと手を伸ばし、

 

「……拝見、させて頂きます」

 

 丁重に帯から引き抜いた刀を、ゆっくりと抜刀。

 ススキのような紋の刻まれた刀身が太陽光を反射し、端正な椛の顔を白く照らす。光を受けたその瞳がその鋭さを一層増したように見えたのは、果たして錯覚だろうか。

 数秒して何か納得したのか、椛は丁寧に刀を納刀すると、何かしらを感じ取るでもするかのように眼を伏せた。

 その口が開いたのは、また数秒後。

 

「……霊力は微弱。人間としてまだあまりにも幼く未熟で、私程度の殺気で怯む程に身体同様精神すらも未発達。はっきり言って、ここにいる事自体が不思議でなりません」

「……ご、ごめんなさ――」

「ですが」

 

 容赦無い批判に少なからず傷付いた吹羽を欠片ほども気にせず、椛は言葉を続けてゆっくり眼を開けた。

 その瞳と口元が、僅かに微笑んだ気がした。

 

「確かに、風成家の方とお見受けします。私はこの山の哨戒を務める白狼天狗、犬走(いぬばしり) (もみじ)といいます。どうぞ、よろしく」

「え、あ……ボ、ボクは風成 吹羽っていいます! えっと、その……よ、よろしく、お願いします……?」

「はいっ」

 

 何がなんだか分からぬまま、吹羽は差し出された手を恐る恐る握り返した。

 だって、椛のこの変わり様はなんだ? さっきまで物凄い殺気を放っていたというのに、今はもう親しい友人を家に招き入れるかのような笑顔をしているのだ。

 突然過ぎる出来事にオロオロしていると、それに見兼ねたのか区切りを見つけたのか、霊夢が言った。

 

「分かった? これでその子は堂々とこの山を登ってよくなった訳だけれど」

「……吹羽さんに関しては確かにそうですが、あなたに許可はまだ――」

「だぁから、“交渉”だっつってんでしょ」

 

 言葉を切られ、少々不機嫌そうな表情をした椛に、霊夢は敢えて、不敵に嗤う。

 

「どうせそっちも困ってんだろうから、あたし達がその“問題”、まるっと解決してあげるわ。ここを通してくれるなら、ね?」

 

 ――その笑顔が嗜虐に満ち満ちていたように見えたのを、吹羽は努めて“見間違いだ”と、そう思うことにした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 燃え盛るような紅葉の葉が散る、妖怪の山の更に奥。天然の“紅葉吹雪”に葉を積もらせた、大きな屋根があった。

 人間の里では絶対に見られない――そも、それ程高い建築技術を持たない故――その出で立ちは、外来人をして老舗の高級旅館と言わしめるだろう、そのお屋敷は。

 山に棲む全天狗の中心。天狗という妖怪が最も尊ぶ、種の総本山。

 天狗の頂点、“天魔”の住まうお屋敷である。

 

 その一室――山を見渡せる大きな窓に、中心に据え置かれた低めの机。その奥にどっしりと構えるは、筆置きやら判子やらが置かれた一人用の大きな机。何処か寺子屋の学長室然としたその場所は、何を隠そう長の部屋――まごう事なき執務室である。

 その大きな机の前で、広げられた書類を厳しい目付きで睨むのは、白髪の目立つ初老の男性――言うまでもなく、天魔である。

 

 突いた頬杖から頭をかくりと落とし、漏れ出たのはまさに苦労人の溜め息。

 手元の冷めたお茶を啜り、若干嗄れた声で呟く。

 

「全く、どうしてこうも血の気が多いのかのう……この天狗社会で生きるからには、必要なのは順応性じゃろうて……」

 

 手元の紙をくしゃりと丸めると、天魔はそれを無造作に横へと放った。紙は導かれるように屑篭へ入ると、小さく乾いた微音をたてる。――中には既に、同じように放られた紙が幾つも入っていた。

 

 呆れ疲れた風に更なる書類を取り出し、さっと目を通せば、書いてある事は大抵同じ。

 ――即刻、土地に見合う報復を行うべき。

 ――監視下に置き、不穏な動きを見せれば即時打ち取ればよい。

 ――大戦力で制圧し、傘下に加えるのが定石。……などなど。

 正直なところ「お前達、よくそんな考え方で今まで生きて来れたな」と、そいつらをわざわざ呼び出してでも小言を投げたい気分だった。

 天狗社会は“縦の社会”。不満があろうとも上司の命令は絶対であり、逆らうならば相応の罰を受けなければならない。勿論助言や新たな案の提案などは、余程性格のキツイ上司でなければ受け取られるのが常であるが、決定権を有するのは間違いなく上司である。

 なのに、こんな。

 こんな過激な考えの天狗が、よくぞ上司に目を付けられずに生きて来れたな、と。

 

「まぁ、こやつらの矯正は追々するとして――……」

 

 さてどうしたものか、と。

 悩める視線を再び書類に落とす。

 たった今天魔が――天狗達がぶち当たっているこの問題は、早急の解決を要するものだ。

 何の前ぶりもなく突然舞い込んできた問題であり、そしてそれに見合わぬ程“妖怪の山”社会に多大な影響を及ぼす。

 故にこそ、より多くの同士の意見を汲むべく案を提出させている訳だが……いかんせん、過激な案が多い。

 皆怒りが先走ってしまって、後先を考えない無鉄砲な案ばかりを提出してくるのだ。

 妖怪らしいと言えばそうなのだが、社会を築いている以上それを易々と許容する事は、天魔には出来ない。

 一向に解決の兆しが見えない現状に、天魔は困り果てていた。

 

 ――と、そんな時。

 

「天魔様、お時間を宜しいでしょうか」

 

 扉を向こうから小突く音。問い掛けてきたのは、この屋敷の門番をしている部下の一匹である。

 入れ、と一言放てば、門番は静かに扉を開けて一礼し、跪いた。

 

「謁見を望む者が来ております」

「……何じゃこんな時に。誰ぞ、その間の悪い者は?」

「哨戒天狗が一匹、犬走 椛。そして人間が二人。うち片方は博麗の巫女にございます」

「……ふむ?」

 

 はて、博麗の巫女とな。かの有名な結界の管理者の一翼が、一体何用か。

 天魔は一瞬首を傾げたが、尋ねた方が早い、とすぐに思考を打ち切った。

 この忙しい時に来た間の悪さは気に入らないが、ここまで来たのなら何かしら急用があるのだろう。幻想郷のパワーバランスの一端を担う天狗、その長としては、彼女をけんもほろろに扱うのは避けたい所である。

 

 それに、まぁ。

 ちょっと休みたいとも、思っていたので。

 

「――よい、通せ」

 

 そうして、入って来た三人は。

 恭しく一礼した、一匹の白狼天狗。

 少しおどおどした様子の、小さな少女。

 そして、不敵な笑みを浮かべる、当代博麗の巫女だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ――どうしてこうなった?

 大きなお屋敷の一室にて、吹羽はひたすらに頭の中でハテナを浮かべ続けていた。

 今日は一日、いつも通りに仕事をして寝るつもりが、唐突に瞋恚(しんに)憤激怒髪天な霊夢に連れ出され。

 現れた天狗の少女が放つ殺気に怯えていれば、けろりと態度を切り替えたその少女と友好関係を結ぶことになり。

 挙げ句の果て――自分は今、こんな所にいる。人間がここに入るなど、況してや自分がこんな所に来ることになるなど、夢に見るどころか考えすらしなかった。

 

 もう一度言おう。……一体、どうしてこうなった!?

 

 だって、だって――ここ、“天魔”の部屋なんだよね……? 幻想郷でもトップレベルに強いと言われる、“大妖怪”の部屋なんだよね……っ!?

 

 大妖怪と言えば、幻想郷を創ったと言われる八雲 紫を筆頭に、酒呑童子として名を馳せる伊吹(いぶき) 萃香(すいか)、縄張りを侵せば容赦なく狩られると有名な風見(かざみ) 幽香(ゆうか)など、人間なんか指先一つで消し飛ばせるような化け物ばかり。

 多少弾幕ごっこに興じる機会があるとは言え、人間の里で平和に暮らしてきた吹羽にそれらはまさしく別次元の話であり――そんな大妖怪の一角である“天魔”を前にして、吹羽が表面上平静を保てたのは、果たして奇跡か。

 

「――して、博麗の巫女よ」

 

 目の前にどっしりと座る、初老の男性――天魔。その強面による威圧感は声を発しても微塵も揺るぎなく、紡がれる言葉はやはり荘厳で、風格がある。

 突然会話を振られたのが霊夢で良かったと、吹羽は内心でちょっぴり胸を撫で下ろした。初対面の大妖怪といきなり話せとか言われたら、泡吹いて気絶できる気がする。だって怖いんだもの。

 

「一体何の用か――と訊く前に、そっちの小娘は何か(・・)、訊いても良いかのぅ?」

 

 あっ、今一瞬視界が霞んだ。

 

 上げて落とす不意打ちにくらりとくるも、吹羽は半ば無意識に踏ん張った。天魔の逆鱗に触れないよう、でも一体何が地雷なのかも分からない状況では、無闇に動かない事が一番手っ取り早く、且つ安全である。

 ちらりと向けてきた霊夢の視線は、「ほんと気の小さい子ね」なんて呆れ声が聞こえてきそうだった。霊夢も同じ人間のはずなのに。解せない。

 

「天魔様、この少女については私が」

「……ほう、では聞こう。何故この天魔の御室に人間などを連れる?」

 

 言葉とは裏腹に、天魔の顔は僅かに笑っていた。ここに吹羽が入って来たことを、別段怒っている訳ではないだろう事は容易に想像できる。そもそもここに通したのは天魔自身なのだから、怒ってる訳がない。むしろ、返答を少し楽しんでいるような。

 それを承知してか、告げる椛の声も変わらず平坦で。

 

「この少女は風成家の人間にございます。お耳に入れた方が宜しいかと、判断致しました」

「ほう、風成の……。確かか?」

「誓って」

 

 ――まただ。

 天魔の視線すら、椛の時と同じように一瞬で切り替わった。

 礼儀は最低限弁えていても、何処か見下したような高圧的な物言いだったのに、それが一変。

 懐かしさに浸るような、優しげな眼に、一瞬で。

 

 天魔は両肘を机に突くと、幾らか優しくなった目付きで吹羽を見つめた。

 

「……ふむ、此間の報告(・・・・・)は正しかったようじゃの。娘よ、失礼した。儂は今代の天魔を務めておる、冴々桐(さざきり) 鳳摩(ほうま)という。風成の者よ、名を聞いても宜しいかの?」

「えっ、あ……ボクは……か、風成 吹羽といいます」

「吹羽か。なるほど風成家らしい名じゃの。しかし……かの者からこのような可愛らしい娘が生まれるとはのぅ。まるで孫でも見ているようじゃよ」

 

 ニカッと笑うその顔は、壮年の男性らしく荒々しい笑みだったが、不思議とそれほど怖くはなかった。むしろ、八百屋にいる気の良いおじさんのような……。

 と、そんな天魔改め鳳摩おじさんに、霊夢。

 

 

 

「……ちょっと天魔、吹羽に手ェ出したらタダじゃおかないわよ」

 

 

 

 ――ヤバい、椛が柄を握る音がした。

 いや、いやいや、幾ら鳳摩が気の良いおじさん然としていてもそれはマズイだろう。

 吹羽は少し戒めようと霊夢の服の裾を引っ張るも、彼女は全然反応しない。椛の今にも斬り掛かって来そうな殺気に、吹羽は思わず顔を真っ青にしたが――。

 

「ワッハッハッ! 霊夢よ、儂が戦友(とも)の子孫に手など出す訳がなかろう! そもその子では、儂の怒張(・・)は到底受け止め切れまいて!」

「その発言がアウトだっつってんのよッ!!」

 

 鳳摩の豪快な笑いは、椛の殺気すらも軽々吹き飛ばした。

 会話の内容に関しては吹羽には少しばかり分からなかったが、軽口を叩き合う分元よりそれほど険悪な仲ではないのだろう事は分かる。

 椛が殺気立つのを見越してこんな会話をしたのかもしれないし、緊張していた吹羽の為にこうした軽口を言い合ったのかもしれない。どちらにしろ、吹羽にはこれ以上ない助け舟に他ならなかった。

 “能ある鷹は爪を隠す”という諺がある。

 やはり真の強者とは、力ではなく舌を回すべきだと、吹羽は思う。

 

「――天魔様、本題に入っても」

 

 「おおそうじゃな」と鳳摩は椛に同調し、その瞳に鋭さを取り戻す。

 その視線は、真っ直ぐに霊夢を射抜いていた。

 

「して霊夢よ、何用で参った? よもやその子を紹介する為だけに来たのではあるまい?」

「当ったり前でしょ。人一人紹介する為だけにこんなとこまで来るほどお気楽じゃないわ」

「では?」

「交渉よ。この先進むのに何度も突っかかられてたら面倒でしょうがないから」

「……ふむ?」

 

 若干話の見えていない鳳摩に、霊夢はここへ入って来た時と同じ不敵な笑みを浮かべる。

 やっぱり吹羽はその笑顔が少しばかり怖かったが、今ここで言うことではないとして、じっと黙って話の行方を見守る。

 

「これより奥へと進みたい……と?」

「まぁね」

「……この先にお主が求めるようなものは何もない。無意味じゃ」

「そんな事ないわ。事実、あたし達はこの先に用があって来た」

「……何故?」

「知ってるわよ? この山の頂上付近、最近“新入り”が来たでしょ」

「………………」

 

 訝しげに片眉を上げた鳳摩が、横目でちらりと椛を見遣る。視線を合わせた彼女は、小さく首を横に振った。

 

天狗(あんたら)は縄張り意識が強い上に超社会的、でも比例するように攻撃的でもある。突然山のど真ん中に他所者が湧いて出たら、武力鎮圧にでも出ようとするでしょ。そして易々と荒事を許すほど、あんたは馬鹿でもない」

「……何が言いたいんじゃ?」

「あたし達が代わりに畳んであげるわ。()の奴ら」

 

 ――鳳摩の眉根が、深い谷を刻んだ。

 

「……何を企んでおる?」

「企むも何も……あたしの職業が何か、言ってみなさいよ」

「…………ぬぅ」

 

 鳳摩が訝しむのも無理はない。

 昔自分を虐めていた同級生が、今になって“お前の宿題全部やってやるよ”なんていい笑顔で言ってきたのと同じようなものだ。

 険悪ではないにしろ、お互いに幻想郷の重役という意味では友好とも言い難いのは確か。疑って掛かるのは当然の事である。

 僅かにピリピリとしてきた空気の中で、霊夢だけは未だ飄々と。

 

「あたしは――博麗の巫女はこの幻想郷を管理しなきゃならない。勿論紫と協力してね。だからこそ異変解決なんてメンドイことやってる。……あんたらが武力抗争なんて起こして、大事になったらどうするつもりよ。……相手が誰か(・・・・・)、分かってる?」

「……一理、あるのう」

 

 目を瞑って考え込む鳳摩は、その嗄れた声で苦しげに呟く。

 彼も、突然現れた他所者がどういう者なのか、よく分かっているのだろう。

 勿論、吹羽にも大体は予想が出来ている。霊夢からは早苗への愚痴兼殺害意識ぐらいしか聞いていないが、「信仰を空け渡せ」なんて要求は、実際に神社がないと全く意味を持たない。だから早苗は少なくとも、神社と一緒に幻想郷に来た、という事だ。

 “巫女と共に現れた神社”。という事はまぁ、そういう事(・・・・・)なのだろう。

 

「霊夢よ、お主の言う通りじゃ。儂ら天狗は如何にも血の気が多いようでな。穏便に終わらせたいのじゃが、解決策は模索中。しかも一歩先すら見えない状態ときた。……じゃがだからと言って、形振り構わず武力鎮圧に出るのはそれ以上に宜しくない」

「当たり前よ。規模がデカくなれば紫が出てくるからね」

「さよう。儂ら天狗も力はあるが、かの妖怪の賢者にはとてもじゃないが敵わん。種の根絶は避けねばならんのでな」

 

 種の根絶。

 思っていたよりも大分大きくなってきた内容に、吹羽は内心で笑顔を引攣らせた。

 というか、天狗全軍で挑んでも勝てない八雲 紫って、どれだけ強い妖怪なんだ、と。

 絶対関わりたくない、なんて切に願う、気の小さい吹羽である。

 

「――そこに、お主がこの問題を解決してくれると申し出る。正直に言ってこれ以上ない提案じゃ。お主らを潔く通すだけで、儂ら天狗に掛かる火の粉は限りなく小さなものになる」

「でしょう? じゃあ交渉成立って事で良いかしら?」

「……じゃが、話が上手過ぎるのう」

 

 霊夢に向けた鳳摩の視線は、語る内容とは裏腹に鋭く、疑り深いものだった。

 

「……仕事だって言ってんでしょ? 上手いも何もないじゃない」

「“交渉”じゃろう? 交渉とは、意見を対立させる者同士がその間でうまく折り合いをつけ、納得する為の話し合いのことを言う。儂らの“これ”は論争。しかも、持ちかけてきたお主が何も得しない形のな。……疑うのは当然じゃろうて。だから問うておる。“何を企んでおる”と」

「……あのねぇ、あたしは何も望んでなんかないの。あんたらはあたし達をそのまま奥まで通してくれればそれで良いのよ。如何しても相互利益で終わらせたいなら、あたしじゃなくて吹羽にツケときなさい」

「……へ?」

 

 突然引き合いに出された吹羽からは、思わず間の抜けた声が漏れ出た。

 しかも、話を聞いていた限りでは吹羽が関係するような事柄は何一つとして出てきていないはずである。

 慌てて霊夢を見上げれば、彼女は少しばかり面倒臭そうな表情をしていた。

 

「大体予想出来てると思うけど、吹羽は人里で鍛冶屋をやってるわ。あんまり繁盛してないから、あんたらこの子の稼ぎとして注文しに行きなさい」

「“繁盛してない”は余計ですっ!」

 

 繁盛してないのではなく人が来てないだけである。一品に結構値がはるので稼ぎはあるのだ。量より質というだけ。断じて、断じて繁盛していない訳ではないのだ。断じて!

 そう目で語る吹羽に対して、霊夢は相変わらず何処吹く風。じっと鳳摩の言葉を待っている。

 

「……それはやはり、風紋を扱っているということかの?」

「ええ、そうよ」

「結局お主に益はないが」

「吹羽にはあるから満足って事にしときなさい」

「……うーむ、釈然とせんが……吹羽よ、お主はそれでも良いのか?」

 

 向けられた鳳摩の視線は、真剣味の中に何処か吹羽を案ずる色があった。

 

「この条件を飲めば、お主の所へ天狗が多量に出向く事になる。儂ら天狗は遥か昔にお主ら一族と友好を持った故、最低限の礼節を守る事は掟で定められておる。じゃが……それは人里に住まう者として、平気か?」

「それは……周りの人から避けられるのでは、という事、ですか?」

「――……」

 

 その無言は、肯定を示していた。

 確かに、人間は妖怪を恐れる。それも妖怪の中でも大勢力である天狗ならば、十人中十人が“恐ろしい”と答えるだろう。そしてそれと仲良くする人間が、あまり好ましくない目で見られるのは自明の理。普通に考えれば、ここは断るべきである。

 だが、それは――。

 

「……ボクは、お父さんから鍛冶を教えられて風紋を継ぎました。それは別に、大人になって稼がなきゃいけないからじゃなくて、ただ単純に……風を感じていたかったから、なんです」

 

 昔から、肌を撫ぜる柔らかい風が好きだった。

 色々な香りを運んでくれる風が好きだった。

 身体を吹き抜ける風の爽快さが、好きだった。

 そして“風紋”は――それを叶えてくれる夢のような技術だった。

 

「ボクは、風がとっても好きなんです。とっても好きなものが誰かの役に立って、その人も一緒に好きになってくれるなら、例え人間じゃなくたってボクには関係ありません。それを伝えたいって、思います……!」

 

 人か妖かなんて、吹羽には関係なかった。だって風は、そんなの関係無しに吹いてくれるから。人だろうが妖だろうが平等に、無遠慮に、優しく頰を撫ぜてくれるから。

 吹羽の心からの言葉を受け取った鳳摩は、一つ満足げに頷くと「最後に一つ」と前置き、

 

「吹羽よ。お主は霊夢を、信じておるか?」

「もっちろんですっ!」

「……そうか」

 

 吹羽の即答に大きく頷き、鳳摩はずっと黙していた椛に言う。

 

「椛よ、“博麗の巫女の邪魔をするな”と、全天狗に伝えよ」

「承知しました」

「……では霊夢、吹羽、頼んだぞ」

 

 最後に豪快な笑みを見せた鳳摩を背に、吹羽と霊夢は椛に続いて執務室を退室。

 元来た廊下を歩き、やがて玄関を出ると、椛がくるりと振り返った。

 

「――それではお二人共、お願いします」

「ええ、任せときなさい」

「それと、吹羽さん」

「はい?」

 

 耳をピコピコと揺らす椛は、可愛らしい笑顔で。

 

「吹羽さんのお店、行きますから。吹羽さんも、また来てください」

「ぁ……はいっ」

 

 いつの間にか結んでいた縁だけど。

 彼らはきっと、大昔の先祖様に何か恩を感じているだけだけど。

 椛の言葉が心からのものである事を確かに感じ取った吹羽は、彼女の笑顔に負けないように笑って、返事する。

 

 吹羽に、初めて妖怪の(・・・)友達が出来た瞬間だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 とまぁ、結局そういう事になり。

 天狗達の邪魔は一切入らなくなり、吹羽と霊夢は変わらず山頂目指して歩んでいる。

 しかし吹羽には未だ、少しだけ不思議に思うことがあった。

 

「あの、霊夢さん」

「うん? 何よ」

「ほんとに“ボクの稼ぎ”で良かったんですか? もっと他に頼める事はあったと思うんですけど……」

 

 そう、それが気になっている。霊夢だって裕福な訳ではないのだから、頼み事を聞いてもらえるならば頼めば良かったのだ。それこそ“山の幸寄越せ”とか、“お賽銭入れろ”とか。

 自分に正直な霊夢だ、“何も望んでない”なんていうのは少なくとも嘘だし、だからこそ分からない。

 何故、吹羽の利益で霊夢が満足するのか。

 

「あー、そうねぇ……ふむ」

「……? 何です、この手……?」

 

 少し考え込むそぶりをした霊夢は、ポンと吹羽の肩に手を置いた。

 そしていい笑顔にウインクで、

 

こっから先のお昼ごはん(・・・・・・・・・・・)期待してるわ(・・・・・・)()♪」

「……? ――っ!!」

 

 ま、まさか……いやいや、もう一度言葉を反復しよう。

 こっから先……うん、“これから先”の事だな。で、お昼ごはん。うん、そのままだ。でもって“期待してる”? それってやっぱり……吹羽のお昼ごはんを?

 吹羽の稼ぎが増える→贅沢な買い物ができるようになる→吹羽の食卓が豪華になる→それに集る霊夢も、豪華な食事ができる……?

 

「――れ、れれ、霊夢さんっ!?」

「もう遅いわよ吹羽〜! あたしの豪華な食卓の為に必死こいて働きなさい!」

「ちょっと! 無駄に用意周到過ぎますよぉっ!!」

 

 あの交渉劇の裏にこんな思惑が隠れていたと今更になって思い知った吹羽は、堪らず霊夢に叫んだ。

 食べさせなければいいだろうって?

 いやいや、無理な話である。初めのうちは料理を出さない事も出来るだろうが、もし霊夢が涙目で懇願する演技(・・)でもすれば、吹羽はいとも容易く陥落してしまうだろう。そもそも霊夢は、それすら考えに織り込んでいるに決まっているのだ。

 だって、結局自分が得する事だけを考えていたのなら、吹羽の収入という過程を挟むだけ遠回しだ。ということは……霊夢は、初めから吹羽をからかう気でいたに決まっているのだから。

 

「――って、あれ? そもそもなんで交渉なんかしてたんですっけ?」

「ん、忘れたの? 山頂まで登るのに天狗達が邪魔だったからでしょ」

「いや、確かにそうなんですけど、何か忘れちゃいけない事を忘れてるような気がして……」

「……寝ぼけてんの? さっさと行くわよ」

「あっ、待ってくださいよー」

 

 スタスタと先へ行こうとする霊夢を、吹羽は気持ち急いで追い掛ける。そしてその際、霊夢が指をゴキリと鳴らすのが、見えた。

 ――ああ、そうか。忘れていたのはコレか。

 吹羽はその霊夢の姿を見て、全てを悟った。

 確かに霊夢は何も望んではいなかった。というより、交渉さえ成功すれば叶う望みなのだ。お昼ごはんも完全にオマケである。

 つまり、あれだけややこしく主張を言い合って交渉した結果得たもの。霊夢が始め“嗜虐に満ちた笑顔”をしていた意味。

 それは、

 

 

 

 ――早苗を惨殺する為の大義名分(・・・・)

 

 

 

 そう、あの交渉は、たった一つそれのみを得るための。

 

「(あ、今日一番苦労してるの、多分ボクだ)」

 

 結局霊夢の一人勝ち。

 気が付いてはいけなかった事に気が付き、取り敢えず吹羽は、もう苦笑いするのもやめて無心になろうと決めた。

 

 

 




今話のことわざ
(のう)ある(たか)(つめ)(かく)す」
 才能や実力のある者は、軽々しくそれを見せつけるようなことはしないというたとえ。

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