弱体モモンガさん   作:のぶ八

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決戦編
正義と悪


 現帝国、リ・エスティーゼ領。

 その都市の一角にある神殿。

 

「な、何が起きたんだ…!?」

 

「い、今のは一体…?」

 

 ブレイン・アングラウスとガゼフ・ストロノーフは突如として都市を覆った"虚無"に驚きを隠せなかった。

 それは彼らだけでなく、ここいた蒼の薔薇の面々も同様だった。

 

 "虚無"は全てを包み込み、あっと言う間に消えた。

 前と後で違うのは大量にいた悪魔のほとんどが消え去っていた事だけだ。

 

「モンデンキント…。先ほどのは私たちの仲間のものです、安心してください。これで都市内の悪魔のほとんどは消え去りました」

 

 神殿の最前線で戦っていたプレアデスが一人、ユリ・アルファのその言葉に皆が戸惑いを見せた。あまりにも唐突で現実感が無いのだ。

 だが実際に目の前にいた悪魔達のほとんどが消え去っている。

 故に信じるしかない。

 

「でもまだ都市内にいくらかは残ってるみたいっすねー、放置してるとまた別の悪魔共を召喚されるかもしれないっすから私たちはこれから狩りに行ってくるっすよ。とはいえ雑魚までは相手してらんないので戦える者がいたら協力して欲しいっす」

 

 ルプスレギナ・ベータがブレインやガゼフ達に向かって口を開く。

 

「も、もちろんだとも! 私にも協力させてくれ!」

 

 ガゼフが一番に口を開く。

 

「おいおい、ガゼフの旦那。あたしらの事を忘れてもらっちゃ困るぜ」

 

「まだ」

 

「戦える」

 

 次いでガガーランにティア、ティナが声を上げる。

 

「低位の悪魔程度ならガガンボ共でもなんとかなるでしょう。震えてるお仲間のウジムシ共を守る為せいぜい頑張ってください」

 

 ユリ達と合流していたナーベラル・ガンマが毒を吐く。

 

「貴方達からしたら雑魚でも私たちからすれば強敵なんだけどね…、でもいざとなればこの剣の封印を…」

 

 ラキュースが小さい声でボソリと設定を口にするが幸いに誰の耳にも入っていなかった。

 

「私はこのままここに残って治療を行います、ですがもし回復が必要であればすぐに呼んでください、わん」

 

 そう口にしたのは犬の頭を持つメイド長、ペストーニャ・S・ワンコ。

 

 そうしてプレアデスの面々は神殿から外へと向かう。現地の者では太刀打ちできない高レベルの悪魔達を排除する為に。

 

 

 

 

 リ・エスティーゼの上空、複数の影がそこに浮いていた。

 それは都市守護者と呼ばれる2体の悪魔とその配下である最高位の悪魔8体。

 

 それらと睨み合うようにセバスとティトゥス、5体の死の支配者(オーバーロード)が対峙していた。

 

「どうですかティトゥス、戦力的には我々の方が少々不利なようですが…」

 

「心配には及びませんともセバス殿。私の頭の中には至高の御方々が残した蔵書の知識が入っておりますので。その知識を以ってすればこの程度の戦力差など不利の内には入りません」

 

「なるほど、では私は向こうの首魁である2体に集中しても?」

 

「もちろんです。ですがいくらセバス殿とはいえあれら二人を同時に相手するのは厳しいでしょう。援護が出来れば致しますがそれもどこまで出来るか…。なるべく早く片付けて合流しますので、それまでどうか持ちこたえて下さい」

 

 ティトゥスのその言葉に紳士然としたセバスが僅かに微笑む。

 

「ありがとうございます。ですがたっち・みー様に創造された者としてあのような者共に後れなど取る訳にはいきません。貴方の助けが来る前に片付けてしまうとしましょう」

 

「これは心強い」

 

 髑髏の顔をしたティトゥスが笑う。

 

「ではご武運をセバス殿。よし…、では我らも始めようか…。さあ行くぞ者共! 先制攻撃だ!」

 

 ティトゥスの合図と共に5体の死の支配者(オーバーロード)が詠唱を始める。

 敵の悪魔達が反応し攻撃を仕掛けようと動き出すがすでに遅い。

 他に先んじてティトゥスの詠唱だけは終わっていた。

 

「<次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)>、<大地の束縛(アース・バインド)>」

 

 まずは転移阻害。

 そして拘束系の魔法を発動する。

 だが最高位の悪魔達に簡単に通る筈が無い。

 8体へと向けられた拘束系魔法はその全てが容易く回避されるが、さらに追加で次々とティトゥスが魔法を放っていく。しかしそれらの全ての魔法すら難なく防御、あるいは回避されてしまう。

 しかし――

 

「ガアァアアァアア!!」

 

 数体の悪魔達の悲鳴が響き渡る。

 彼らの回避先へ狙いすましたように死の支配者(オーバーロード)達の第10位階魔法が放たれていたからだ。

 

「半数に直撃…、ふむ。最初の一手としては上々と言えるか」

 

 ティトゥス・アンナエウス・セクンドゥス。

 ナザリック第十階層内最古図書館(アッシュールバニパル)の司書長は伊達ではない。

 最古図書館(アッシュールバニパル)に詰めている関係上、一部を除いたほとんどの書物の内容が彼の頭の中に入っている。

 ユグドラシルの基礎的な攻略本から、現実の世界における数多の戦術書まで。

 ナザリック最高の知者であるデミウルゴスやアルベドにその頭脳では劣るものの、持っている知識の量はあまりにも膨大で彼らの比ではない。

 もちろん時間や機会さえあればデミウルゴスやアルベドもティトゥス同様の戦略、戦術は思いつくだろう。

 だが最初から知識として持っているティトゥスには今この瞬間この場において考える時間すら必要ない。

 

 既存の知識という前提付きではあるが、一瞬の間に最適解を導き出すという一点のみに限れば、ティトゥスはデミウルゴスやアルベドすらも凌駕する。

 骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)である為、戦闘力は配下の死の支配者(オーバーロード)達に遥かに劣りはするが、その瞬間的な知略は他の追随を許さない。

 己一人の戦闘ならばともかく、複数の配下を率いるような数と数の戦いに限定するならばナザリックの階層守護者達全てに勝利し得る可能性を持つ。

 互いの戦力が同数同格ならば難なく、それどころか多少の不利や戦力差があろうとも簡単に覆せる。

 それが知識であり、情報の力だ。

 

 すなわち、今この場この時においてティトゥスを出し抜ける者などどこにもいない。

 

「全ては至高なる御方々の為に…!」

 

 戦いは始まる前に終わっている。

 至高の41人が1人、ぷにっと萌えの教え通りこの戦いの勝敗はすでに決まっていた。

 

 

 

 

「さあ、こちらも始めましょうか」

 

 そうセバスが口にすると同時に2体の都市守護者へと襲い掛かった。

 とその瞬間、都市守護者の配下である悪魔達の流れ弾が都市守護者の1体へと直撃する。

 突如の事に混乱する都市守護者だが今度は死の支配者(オーバーロード)達の放った流れ弾が再び飛んでくる。結果として、都市守護者の1体はセバスとの闘いに集中できずにいた。

 

「素晴らしい…。戦闘をこなしながら流れ弾が的確に敵へ飛んでいくような配置、誘導…。そして反撃に至るまでの悪魔達の思考や動き、癖まで読み切っているとは…。まるでこの悪魔達の行動パターンを読み切って…、いや、最初から熟知しているかのようです。ふふ、援護出来るか分からないなど謙遜を…。これはこちらも負けていられませんね…!」

 

 次の瞬間、セバスは空高く飛び上がりそのまま空中に留まる。

 本来のセバスならばアイテム等を使用しなければ空を飛ぶことは出来ない。

 しかし、全力を出した場合は別である。

 

 空中に留まったまま全身に力を込めたと思いきやセバスの体に変化が訪れる。

 

「ぬぅぅぅうううん!」

 

 唸りと共に額からは角が生え、全身を鱗が覆っていく。

 背中からは翼が飛び出て、腰からは尻尾が生える。

 

 竜人であるセバスの本領発揮である。

 竜人形態の総合的な戦闘能力は戦士職であるアルベドやコキュートス、守護者最強と謳われるシャルティアにさえ匹敵する。素の能力値と耐性、それによる肉弾戦はルベドを除くナザリックNPCの中でも最強。

 ユグドラシルにおける最強種族であるドラゴン。

 時間制限はあるものの、その力を引き出せる竜人形態が弱い筈がない。

 

 だがその姿はお世辞にも美しいと言える物ではなかった。

 人の体に竜の鱗や牙が歪に生え、その頭部はトカゲのようなものになってしまうからだ。

 

 しかしセバスの竜人形態はそれらと違う。

 理由としてはシャルティアがそうであったように、デザインを担当したギルドメンバーのイラストが素晴らしく、立体化も上手くいったからに過ぎないのだが。

 

 今のセバスの姿は本来の竜人の姿とはかけ離れたものになっている。

 頭部を覆う硬質化した鱗は幾重にも重ね合わさり、兜か何かのようにデザインされているのだ。

 角や翼、尻尾はあるものの、それらは装飾に見えるかのような設計で、全身を覆う竜鱗も丁寧に重ね合わせられ甲冑を模したスーツか何かのようにも見える。

 

 一言で言ってしまえば、戦隊モノのヒーロー。

 それが少々ゴツくなったような外見である。

 人外というよりも中に人間が入っているのではと思わせるデザイン。

 知らない者が見れば物珍しい全身鎧と思ってしまうだろう。

 

「フン!」

 

 セバスが特殊技術(スキル)を発動する。

 

 ――竜闘気(ドラゴニックオーラ)――

 

 元々ドラゴンに匹敵する肉体能力と耐性を持つ竜人形態だがこの特殊技術(スキル)により真価を発揮する。

 体は七色鉱のように固くなり、ドラゴン特効を持つ攻撃にすら耐性を持つ。

 さらに一定位階以下の魔法を無効化どころか跳ね返す事まで出来るようになる。

 

 この特殊技術(スキル)により、極短い時間ではあるが正真正銘、同レベルのドラゴンに匹敵する身体能力を得る事が出来る。

 その短い時間制限は本来ならただのデメリットに過ぎないのだが、セバスの創造主はそのデメリットこそが最高なのだと豪語していた。

 特撮モノのヒーローは時間制限があってなんぼだ、と。

 

「ハァッ!」

 

 空中を疾走し一瞬で都市守護者へと距離を詰め、その一人へとセバスは拳を放つ。

 回避する事も出来ず、都市守護者が容易く吹き飛ばされる。

 まるで同レベルとは思えぬ力の差を感じる一撃。

 それもその筈。

 強力な装備など持たず、その身一つで驚異的な強さを誇るセバス。

 

 もしこの状態のセバスとナザリックの守護者達が戦うならば神器級(ゴッズ)アイテム、最低でも伝説級(レジェンド)アイテムを装備しなければ勝負にすらならない。

 時間制限ありとはいえ己の肉体、スペックだけで装備込みのナザリックの守護者達に匹敵、凌駕してしまう。

 早い話がモンクとしての技能を極めたレベル100のドラゴンが殴り合いを仕掛けてきているに相応しいのだ。それは本来、ドラゴン種として取得できる筈のないビルド構成。

 

 故に強力な装備を持っていない丸腰に等しいこの都市守護者の悪魔共など今のセバスの敵ではないのだ。

 

 セバスの攻撃が何度も都市守護者へと突き刺さる。

 反撃は許さず、ただ一方的に。

 

 ユグドラシルの全プレイヤーの中でもトップクラスの強さを誇る、たっち・みー。

 アインズ・ウール・ゴウンの中でも数少ないガチ勢でありギルド最強の戦士。

 そんな彼の作ったセバスが強くない筈が無い。

 練りに練られたビルドの上、課金による効果すらも加えられている。

 

 恐らくNPCという括りの中で創造できる範囲の中では指折りの強さを誇るだろう。

 もちろんNPCに神器級(ゴッズ)アイテムをいくつも持たせる事が出来るならば容易くセバスを凌駕出来るがそれはキャラの強さというよりもはや装備の強さとも言える。

 そもそも神器級(ゴッズ)アイテムを複数NPCに持たすという選択肢自体が現実的とは言えないレベルである。

 故に現実的な強さを語るならセバスはナザリックだけでなく、ユグドラシルの全NPCにおいてすら最強の一角足り得るのだ。

 時間限定という条件付きではあるが。

 

 この完成されたビルドが全力を出せば並みの100レベルNPCでは相手にならない。

 せめて都市守護者に今のナザリックNPCのような自我があれば<竜闘気(ドラゴニックオーラ)>発動中のセバス相手には守りに入り時間を稼ぐという選択も出来ただろう。

 しかし本能のまま戦う都市守護者にはその選択は無い。

 

 故に都市守護者の1体はあっという間にセバスに追い込まれた。

 最後に自らの体を核に自爆しようとする悪魔だがすでに遅い。

 悪魔の眼前にはセバスの両手が突き付けられていた。

 

 両手首を合わせ、手を開いたその形は竜の口を思わせる。

 

 次の瞬間、両手が眩く煌めき高熱を帯び赤く染まっていく。

 

 危険を察知した悪魔がすぐに距離を取ろうとするが間に合わない。

 閃光のような強烈な光が一瞬で放射状に広がり悪魔の体を焼き尽くす。

 

 <竜闘熱波(ドラゴンブレス)>。

 

 竜人形態でしか放てぬ、ドラゴンの全力のブレスに匹敵する一撃。

 

 至近距離でこの一撃を食らった悪魔の死体が灰となり宙に舞って消えていく。

 同レベルとは思えぬ決着のつき方にティトゥスが遠くから目を丸くし、そして心からの賛辞を贈る。

 

「流石は階層守護者に匹敵する力を持つセバス殿…!」

 

「ありがとうございます、ティトゥス。残りは1体はこのまま私一人で対処します。ティトゥスはそちらの悪魔達に集中して頂いて構いません」

 

「了解しましたセバス殿。こちらも負けないようにしっかりと決めさせて頂きましょう」

 

 そうしてティトゥスは己の戦いに集中する。

 

 当初は敵8体に対し、ティトゥスは格の落ちる己を含めた6体。

 実質的な戦力上では8対5と言えるべき差。

 これだけ人数差の不利がある筈なのに配下の死の支配者(オーバーロード)達は一人も欠けていない。

 それに対し敵はすでに半分。

 これが戦術の力であり、また情報の力だ。

 残りの最高位悪魔達もすでに詰んでいると言っても過言ではない。

 

 ティトゥスが完全なる勝利を収めるのは時間の問題である。

 

 

 

 

「ゴァアアアア!!」

 

「ぬぅううん!」

 

 先ほどまでと違い、残った都市守護者とセバスの戦いは苛烈を極めた。

 戦いのフィールドは都市全域に及び、一進一退の大攻防。

 

 <竜闘気(ドラゴニックオーラ)>の効果が切れていなければ再び完封できたのだがそこまで都合良くはいかない。

 むしろ100レベル同士の戦いにおいて2対1という不利を引っ繰り返すにはあれしか方法は無かった。

 己の持つ特殊技術(スキル)を出し惜しみせず1体を瞬殺し、1対1に持ち込む。

 結果は上々。

 ほとんどの特殊技術(スキル)はすでに使用してしまっているがそれでも竜人形態であれば相手よりもスペックで勝る。

 このまま戦いを続けていけば先に力尽きるのは都市守護者の方だ。

 

 もちろん竜人形態が切れる前に勝負を付けなければならないという制限付きだが。

 

(竜人形態の残り時間までにはなんとか倒せそうですね…)

 

 時間制限により竜人形態が解除されてしまえば戦況が引っ繰り返る可能性も十分にあった。

 現状、真正面からの戦いになっているおかげで圧倒的有利なセバスではあるがそういう意味においてこの戦いはギリギリとも言えた。

 だがここに来てセバスの予想は大きく覆される。

 

「っ…! まずいですね…、逃げに徹する気ですか…!」

 

 セバスから焦りが漏れる。

 相手の行動パターンが変化したのだ。

 

 ユグドラシルにおいてモンスターやNPCの行動パターンはある程度決まっているが、それは様々な状況で変化する。最も分かり易い例が体力が何割以下になったら、というものだろう。

 早い話が瀕死状態になった者はそれ相応の動きをするようになるという事だ。

 苦しくもこの時のセバスはそこまで相手の行動パターンを読み切れてはいなかった。

 先ほどまでの相手の積極的な時の行動パターンを元に立てた計画は相手の大幅な行動変化で脆くも崩れ去る。

 

 瀕死まで追い込まれた敵は必然的にセバスから距離を取ろうとする。

 それを追い、距離を詰める為に一手使ってしまう事になるセバスはどうしても攻撃するまでに時間を多く使う事になってしまっていた。

 無論、距離を詰めた後にそのまま維持できればいいのだが敵が回避や距離を開く特殊技術(スキル)を持っておりそれもままならない。

 そして、竜人形態の制限時間はもう長くない。

 

(情けない…! なぜ私はこの可能性を想定できなかったのか…!)

 

 あまりにも甘すぎる自分の計画を恥じるセバス。

 敵などただ正面から叩き潰せばいい、そして自分にはそれが可能だと判断した。

 だが足りなかった。

 

 焦りの中、都市中を移動しながら戦闘を続けるセバス達の姿は多くの者達の目に触れた。

 もちろん実際の戦闘自体は速すぎてほとんどの者には視認できないが戦闘の余波などで誰かが戦っているという事は多くの者が理解出来ていた。

 セバス達の動きが止まった際に運よくその姿を見れた者達は誰もが声を上げた。

 

 見慣れぬ甲冑に身を包んではいるが、正義の味方を思わせるその姿。

 そんな者が都市を襲った悪魔と戦っている。

 それに多くの者達が心を震わせ熱くしていた。

 市民は勿論、冒険者や兵士まで。

 

 まるで子供の頃に聞いた御伽噺の英雄が話の中から飛び出してきたようだったから。

 

「き、騎士様、頑張れ…!」

 

 とある建物の奥から逃げ遅れていたであろう一人の少年が声を上げた。

 セバスの全身甲冑を思わせる竜人の姿に冒険者ではなく高貴な騎士か何かだと思ったのだろう。

 か細い声ながらも必死にその少年は声を出す。

 

 だが不幸かな、それが災いしたのか都市守護者の魔法の一つが少年へと向かった。

 

「まずい!」

 

 咄嗟にセバスが少年を庇うように身を乗り出す。

 結果として、避ける事など容易な筈の魔法の一撃をその身に浴びてしまう。

 ダメージを受け、セバスが僅かによろめく。

 都市守護者はその隙を逃さず連続で魔法を放つ。

 

 そこが勝負の分かれ目だった。

 

 一度、防戦になってしまったセバスは態勢を立て直す事が出来ず瀕死まで追い詰められてしまった。

 攻撃を避けるのは簡単だが、そうすれば己の後ろにいる少年に攻撃が当たってしまう。

 

 最後に発動されたのは都市守護者の悪魔が持つ第10位階魔法の中でも最高の一撃。

 

 周囲を気にしなければセバスに反撃の手段はいくらでもあった。

 だが背後に少年がいるこの場所では避ける事が出来なかった。

 

 そして魔法が直撃する瞬間、己を壁として背後の少年をその余波から守る事に全力をそそぐ。

 結果、セバスは力尽き膝から崩れ、地に伏した。

 全身の竜鱗が砕けると同時に時間切れで竜人形態が解けていく。

 

「も、申し訳ありません、たっち・みー様…。偉大なる貴方様に作られた身でありながらこのような者に後れを取るなど…」 

 

 結果としてセバスは負けた。

 このままでは都市守護者にトドメを刺されるだろう。

 もうそれは覆らない。

 その筈なのだが。

 

「き、騎士様頑張れー!」

 

「立ってくれぇ!」

 

「負けないで!」

 

「悪魔を倒してくれー!」

 

 周囲から人々の声援が聞こえてきた。

 

 少年のように逃げ遅れ各地の建物内に隠れていた者達だろう。

 最初セバスが倒れた事で誰もがその顔に絶望を浮かべたが、否定するように少年が最初に声を上げた。

 その声に引きずられるように気づけば周囲の者達も次々と声を上げていた。

 絶望の中の希望を絶やさぬように。

 あるいは英雄譚のような奇跡を信じて。

 

 いつしかそれは次第に大きくなり、都市中へと伝播していった。

 セバスの姿を見ていない者達も、今この都市で何が起きてるのか感覚で理解したのだろう。

 やがて大合唱のように都市中を震わせる程の声援がセバスへと送られたのだ。

 この時に都市守護者の悪魔が周囲の人間達の意味不明な行動に無駄に警戒しセバスへの追撃が遅れたのは幸運だった。

 

「……!?」

 

 なぜだろうか。

 人々の声により力尽きていた筈のセバスは再び力が湧いてくるような錯覚に陥る。

 まるで彼らの声援が力になったかのように。

 

 これはたっち・みーによって書かれたセバスの設定、フレーバーテキストによるといえる。

 セバスらナザリック勢はユグドラシルからこの世界に転移した事で現実的な法則に影響され、自我を得た。

 生物には肉体と共に重要な要素として精神性がよく上げられるがこれはその典型だろう。

 

 ユグドラシル上のただのプログラムとして動くデータではなく、思考する存在になったセバス。

 以前の彼と最も違う部分を上げるとするならその精神だ。

 

 時として精神は肉体を凌駕するのだから。

 

「ぐぅぅううう…!」

 

 セバスが再び立ち上がる。

 何かが少しでもその肉体を傷つければ絶命してもおかしくない極限状態においてその瞳は力に満ちていた。

 プレイヤーが見れば隠し特殊技術(スキル)の一つとでも誤解するかもしれない。

 それほどの異常、それほどの覚悟。

 

 守る者の為ならば実力以上の力を発揮し立ち上がる。

 そう、それはまるで――

 

 たっち・みーが憧れた、ヒーローの姿だ。

 

「はぁ、はぁ…!」

 

 竜人形態は解け、すでに生身の体になっているセバス。

 戦闘力は残っておらずまともに戦っても勝ち目はない。

 

 しかしセバスにはとある隠し特殊技術(スキル)があった。

 これは現実化の弊害による奇跡でなく、ユグドラシル時代にそうあれとたっち・みーから創造され与えられた力。

 アインズ・ウール・ゴウンの仲間達からはロマンや設定を追求しただけの死に特殊技術(スキル)と呼ばれていた。

 だが今のセバスにとってこれ以上の特殊技術(スキル)はない。

 それどころか今この時をおいて他に使える状況が思いつかない。

 これを使う事になるなど、いや使えると思ってもみなかった。

 

 だがまるでこうなる事を最初からたっち・みーは全て知っていたかのような――

 いや、知っていたのだろう。

 至高の41人が1人、たっち・みー。

 セバスは自らを作った偉大なる創造主が伊達や酔狂などでこの力を与えたとは塵ほども思っていない。

 

 きっとこういう状況が来るのだと、知っていたのだろうと疑わない。 

 

「…偉大なる我が創造主、たっち・みー様…。貴方の期待に応えて見せます…!」

 

 セバスは血を吐きながら、震える腕を動かし、満身創痍の体で構えを取る。

 何の変哲もない、ただの正拳突きの構え。

 

 その構えからゆっくりと踏み込み突きを放とうとした間際、都市守護者による魔法がその身に浴びせられる。

 今のセバスにはもう耐えられる筈が無い攻撃。

 それなのにも関わらず精神力だけで現状に抗い、耐え、命を繋ぎ、拳を都市守護者の体に突き刺した。

 

 この瞬間、セバスの隠し特殊技術(スキル)が発動した。

 

 本来ならば今のセバスの攻撃など都市守護者にとっては大したダメージになどならない。

 だがこの特殊技術(スキル)によってそれは致命傷、必殺の一撃となる。

 

 この特殊技術(スキル)はゲーム内の説明で言えば逆転の一撃とでも呼ぶべきものだ。

 自らが瀕死の状態にも関わらずタンクとして味方を庇い、庇った味方の命を救った数や肩代わりしたダメージ量に応じて次の攻撃にのみ追加ボーナスが得られるというもの。

 ユグドラシル時代では自らも守る対象も瀕死で攻撃を耐えなければならないという限定的すぎる仕様からプレイヤーでの人気も高くなかった。

 ボーナスでの上昇量もそのキャラクターが持つ攻撃力の上限を超える事は無いという仕様の為、超破壊力の一撃が放てるようなロマン技でもない。最初期はもっと強く使用者もそこそこいたらしいが度重なるアプデで弱体され使用者が皆無になってしまった悲劇の特殊技術(スキル)だ。

 それにセバスは近接職ではあるがタンクにはあまり向いていない構成。

 だからこそこれはただの死に特殊技術(スキル)の筈だったのだ。

 

 しかし何の奇跡か、セバスは敵の攻撃を耐える事に成功した。

 そして庇ったのはひ弱な少年。

 彼にとってレベル100の者からの魔法など何回分の死に相当するのか。

 言うまでもなく特殊技術(スキル)のボーナスは上限一杯。

 己の力量を超えない威力まで、と制限が付いているがそれはセバスに限り枷とはならない。

 

 言い換えればこの特殊技術(スキル)の最大効果は、次の攻撃が()()()()()()()()()()()と言い換えてもいい。

 つまり生身の、ましてや満身創痍の何の力も残っていない状態でありながらセバスは<竜闘気(ドラゴニックオーラ)>を纏った竜人形態に匹敵する一撃を放てるのだ。

 

「フンッッッ!!」

 

 敵から放たれる攻撃の数々に怯むことなく、セバスの一撃が都市守護者の体に突き刺さる。

 <竜闘熱波(ドラゴンブレス)>を思わせる眩い光と熱を帯びた拳は都市守護者の体を容易く吹き飛ばした。

 ここまでの戦闘の影響ですでに体力が減っていた都市守護者がその一撃に耐えられる筈など無く、腹部は爆散しその肉体は上半身と下半身に別たれた。

 

 その肉体は何百メートルも吹き飛んだ先でやっと動きを止め、力なく地面に転がった。

 

 ピクリとも動かない。

 誰の目にも明らかな死であり、完全決着だった。

 

 ………。

 

 どれほどの間、静寂が続いたのだろうか。

 永遠とも思える時間の先、誰かがポツリと呟いた。

 

「た、倒した…、あの悪魔を…」

 

 その声により誰もが我に返る。

 そして目の前の現実にようやく理解が追いつき、頭が思考を再開すると、静寂を破るように人々の絶叫が響いた。

 

「や、やったーーー! 騎士様が勝った!」

 

「す、すげぇ…!」

 

「俺達、助かったんだ…!」

 

「万歳っ! 騎士様万歳ーっ!」

 

 人々の熱狂をよそにセバスは力なくその場へと倒れる。

 意識はあるが、しばらく動けそうにない。

 

(たっち・みー様…、私は少しでも貴方の期待に応えられたでしょうか…)

 

 薄れゆく意識の中でセバスは己の創造主を想う。

 そして背後にいた少年が自らに駆け寄ってくる姿を見て、少しだけ微笑んだ。

 

 

 

 

 セバスを見下ろすように遥か上空でティトゥス達が佇んでいた。

 

「流石はセバス殿、本当に我々の助けが必要ないとは…」

 

 ティトゥスの読みではセバスは残りの都市守護者に後一歩届かないというものだった。

 知り得る限りのセバスの情報と、都市守護者の戦闘から予想される種族や職業レベル、それらから導き出される戦闘パターンから途中まではほとんど完璧にティトゥスの読み通りの戦況だった。

 だがセバスが自らがやると宣言した以上、あまり口を出したり手助けするのは失礼だと考えたのだ。

 

「流石に殺される前には割って入るべきかと思ったがあんな切り札があるとは…。様子を見て正解だったか…。いや、私の知る知識など所詮は与えられた物…。その知識ですらきっと至高なる御方々の足元にも及ばないのだろう…。おお…、流石は至高なる存在…! 偉大なる御方々…」

 

 ティトゥスは己の創造主や至高の41人を思い浮かべ感慨に浸る。

 きっとセバスは最初からここまで読んでいたのだろう。

 創造主から与えられた自身の力を知っていたからこそ、あのような行動に出られたのだとティトゥスは確信する。

 そして至高の41人の偉大さに震えると共にそれを理解出来なかった己の未熟さを恥じる。

 

「もっと精進しなければ…。もっと完璧な勝利をかの方々に捧げねばならぬのだから…!」

 

 ティトゥスはすでに最高位の悪魔達を滅ぼしていた。

 想定外の事態が割り込む隙も無い程、圧倒的で完璧に。

 

 都市守護者の悪魔達と最高位の悪魔達さえ滅べば後はもう消化試合だ。

 都市内に散らばった残りの悪魔達をプレアデス達が処理するのも時間の問題だろう。

 このリ・エスティーゼにおける戦いにおいてはセバスという例外を除きほぼ全てが想定内だった事に深い満足感を覚えるティトゥス。

 

 後に、人々を救う竜騎士の伝説がこの地で語られるようになる。

 それもあってか市民達のほとんどがセバス、ひいてはナザリックに対して非常に協力的で従順な態度を示した事にティトゥスは再び衝撃を受ける。

 またも自分の想定、計画の上を行かれた事でセバスに畏敬の念を抱くと共に、己の浅慮を恥じる事になるのだがそれはまた別の話。

 

 

 

 

 スレイン法国、神都。

 

 

 静かだった。

 風の吹くような自然的な音は聞こえるものの、全ての生命が動きを止めたような異様な静けさに包まれていた。

 戦闘を行っている者はもう誰もいない。

 この都市を襲っていた都市守護者及びその配下は全てが滅んでいた。

 たった一体の存在によって。

 

 幼女の姿をしたそれは都市守護者達を滅ぼした後、空中に鎮座したままじっと動かない。

 どれだけの時間そうしていただろうか。

 実際、その幼女が現れてからたった数分。そうたった数分で世界を滅ぼせるような戦力を持っていた都市守護者達は難なく滅ぼされたのだ。

 しかしそれが終わった後、その幼女は神都に生き残った者達を助ける訳でも無ければ追撃するような様子もない。

 本当にただじっとしており微動だにしないのだ。

 

 神都にいた人々や神官、漆黒聖典の面々や隊長、そして番外席次。この神都にいる誰もが空を見上げてその幼女を凝視していた。

 誰もその幼女の存在に心当たりも無ければ、その意図すらも掴めない。

 彼女が敵なのか味方なのか、それすら分からないのだ。

 故に誰も動くことが出来ない。

 

 強者という言葉では足らぬような超常の存在が神都の頭上にずっと佇んでいるのだ。

 

 怖気なのか畏怖なのか忌避なのか、誰もが己の気持ちの整理もつかぬまま、ただその幼女から視線を外すことが出来ない。

 動けない呪いにでもかかったように神都中の人々は静止したままだ。

 

 永い時の果て、現地の者達には聞き覚えのないプルルルという電子音が小さく響いた。

 それに呼応するようにやっとその幼女が動いた。

 

「こちらルベド、オールクリア」

 

『………! ……!』

 

「了解、行動を開始する」

 

 何者かとの通信会話を終了したルベドは空中からゆっくりと地上へと降りてくる。

 そうして適当に周囲を見回すと最も近くにいた漆黒聖典隊長の元へと歩いていくと声をかけた。

 

「また、来る」

 

「え…? あ、貴方は一体…?」

 

 何を言っているのか理解出来ない隊長はルベドに問う。

 

「その時は協力して」

 

 しかしルベドは隊長の質問には答えないまま、圧倒的に内容が足りない断片的な言葉を吐くとその場でジャンプし空中へと飛翔する。

 一瞬で豆粒のような大きさになるまで飛んだルベド。

 次の瞬間、火花を散らしまるで流星のように空を駆けあっという間に姿を消した。

 轟音のジェット音を残したまま。

 

「な、何だったんだ…?」

 

 それは神都にいる人々全員の呟きだった。

 

 

 

 

 ローブル聖王国、首都ホバンスの大神殿。

 

 

「取引をしましょう」

 

 それは悪魔の囁きだった。

 比喩ではなく、本当の意味での。

 数多の強大な悪魔達を引き連れたヤルダバオトと名乗る悪魔がそう告げてきたのだ。

 

 この時において、聖王女であるカルカ・ベサーレスに選択肢など無かった。

 聖王国が誇る聖騎士団や神官団はすでに全滅、個々の強さを誇る九色達もその行方が知れない。

 現在カルカが行使できる戦力は騎士団団長であるレメディオス本人と、その妹で神官団団長であるケラルトの二人のみ。

 僅かな兵士達が残っているがもはや恐怖で誰も動けないだろう。

 それどころかローブル聖王国の両翼ともいうべきレメディオスとケラルトですら戦力として数えられない状況にあるのだ。

 彼女達二人がかり、いやそこにカルカが加わったとしても目の前にいる何十体もの悪魔達、その一体にさえ傷一つ付けられないのだから。

 

「と、取引…? い、一体何が望みだというのですか…?」

 

 恐る恐る口を開くカルカに対してヤルダバオトは優しく微笑む。

 

「私達ならばあの天使共を排除する事が出来ます。そして今現在生きている国民の多くも救う事が可能でしょう。ですのでどうか私と取引して下さい」

 

 あまりにも都合の良すぎる話、展開。

 その後に続いた取引内容や要求もカルカ達からすれば損が無さ過ぎて疑うなという方が無理なもの。

 ただ目の前の悪魔達の強大さは本物だ。

 天使達を退けられるというのも嘘ではないかもしれない。

 

 だがなぜ? 

 そもそも取引は本物なのか?

 取引すれば本当に国民は助かるのか?

 裏があって騙しているんじゃないのか?

 何より取引を断ったら悪魔達はどうする?

 

 いくつもの疑念、疑惑がカルカの頭から離れない。

 しかしこのままでいれば天使達に国は蹂躙され国民も虐殺されるだけだ。

 だから例え取引が罠だとしても、どんなに横暴だとしてもカルカには悪魔の囁きに乗るしかなかった。

 あまりにも甘く、怪しすぎる取引に。

 

 カルカの返事にヤルダバオトは上機嫌で答えた。

 

「ありがとうございます! 必ずや約束はお守り致しますとも! ええ、必ずね…」

 

 結論から言えばその言葉は本当だった。

 

 しかしやはりそれは悪魔の取引だったのだろう。

 国民は救われたがカルカ達は大事な物を失った。

 二度と取返しの付かない大切な物。

 先祖からの想いを、歴史を、尊厳も何もかもを。

 

 そんな現実が突き付けられたのは全てが終わった後だった。

 それを知った時、カルカ達だけでなくこの地に住む全ての人々が絶望した。 

 

 

 

 

 数刻前。

 ローブル聖王国、大神殿。

 

 眼前で大量の天使達により多くの民達が虐殺され混乱の極みにいたカルカ達。

 反撃の時間などなく、集合する前にほとんどの部隊は散り散りになり消息不明。

 とはいえ建物ごと吹き飛ばされた場所もあるのでそのほとんどは死んでいるだろう。

 大神殿に詰めていた神官団達もすぐに薙ぎ払われた。

 そんな絶望的な状況でさらに最悪なのは大神殿の高層から眺める地平線の景色だ。

 

「あ、あの方角はプラート…! ま、まさかカリンシャまで…!?」

 

 聖王国で最も強固に作られた城塞都市カリンシャ。

 プラートはそのカリンシャとここ首都ホバンスとの間にある大都市である。

 

「け、煙が上がって…? 馬鹿な! 天使達が現れたのはここだけではないのか!?」

 

 レメディオスの叫びに応えられる者は誰もいない。

 流石に遠くの都市までここから見通せる訳ではないが煙が上がっているのはかろうじて目視できる。

 一部の神官が魔法でより遠くを眺めるとさらにそのはるか奥でも煙が上がっているように見えるというのだ。

 今ここで決定的な情報は何も出ないが最悪の可能性がカルカの頭をよぎる。

 

「カルカ様! すぐにここから逃げなければ!」

 

 呆然とするカルカにレメディオスが叫ぶ。

 

「どこに…、逃げればいいのでしょう…。もしプラートやカリンシャ、リムンやその他の都市まで襲われているのなら我々に逃げる場所など…」

 

「しかしカルカ様! このままここにいては死ぬだけです! おいケラルト! お前も何か言ってくれ!」

 

 妹のケラルトに助け舟を出してもらおうとするレメディオスだが返事は来ない。

 

「ケラルト! 何をぼーっとして……」

 

 ケラルトの肩を掴み振り向かせようとしたレメディオスだがケラルトの視線の先に目を向けると彼女も理解した。

 最初に嘆いたのはカルカだった。

 

「あ、あぁ…、こ、こんな事が…」

 

「そ、そんな…」

 

「世界の終わりだ…」

 

 空が黒く染まっていた。

 

 悪意の象徴にして、悪徳の権化であり、あらゆる生命の敵。

 悪魔。

 その軍勢が空を覆いつくし黒く染めている。

 

 やがてその無数の軍勢は都市中へと降り注いだ。

 誰もがその光景に呆気に取られていると神殿の壁が破壊され外から一体の悪魔が侵入してきた。

 漆黒の翼に筋肉質な体躯、その頭部は山羊の骨を思わせ黒い角が何本も生えている。

 手には大きなハルバード。

 深遠の悪魔(アビス・デーモン)と呼ばれる悪魔だ。

 

「ひっ…」 

 

 誰かが悲鳴を上げるが深遠の悪魔(アビス・デーモン)はお構いなしに部屋の中を闊歩し、カルカへと足を進める。

 

「うあぁあああーっ!」

 

 反射的にレメディオスが斬りかかるがハルバードにより容易く防がれる。

 

「いきなり攻撃とは…。お前たちには会話という概念が無いのか?」

 

 豪壮な見た目とは裏腹にその悪魔の声には確かな知性が感じられた。

 

「あら…? 壁を破壊して侵入してくるような輩にマナーを説かれるとは思いませんでしたわ…!」

 

 ケラルトが嫌味を言いながら即座に魔法の準備を始める。

 

「…まあいい。それよりもお前、お前はこの国の要人か?」

 

 ケラルトの事など意に返さず、レメディオスと剣を交えた状態で深遠の悪魔(アビス・デーモン)はカルカへと問う。

 

「はい、私はこの国の王です」

 

「カルカ様っ!? 何を馬鹿な事を! ち、違うわ、この方は王などでは…!」

 

 ケラルトが即座にカルカの言を否定しようと口を開くが、それを手で制止するカルカ。

 

「私の命が望みならば差し出しましょう。ですからこの国を、民を襲わないで下さい」

 

 レメディオスもケラルトも「悪魔相手に何を言い出すんだ」という表情でカルカを凝視する。

 

「いいんです、二人共。今この場において私に出来る事はきっと何もありません。無謀だとしても、意味が無いとしても、情けなくとも一縷の望みがあるのならばそれに命を懸けるべきでしょう」

 

 カルカの言葉に深遠の悪魔(アビス・デーモン)は驚く。

 まるで気圧されたように一歩後ろに下がったかもしれない。

 

「…な、何の話だ? わ、我は…」

 

 ケラルトやレメディオスと別の意味で深遠の悪魔(アビス・デーモン)もカルカの言葉に混乱していた。

 自分達悪魔はこの国の者と敵対している訳ではなく、むしろ天使達をどうにかしようとしているのになぜ現地の人間共は自分達にここまで敵意を向けるのか?と。

 歓迎されると思っていた訳では無いが交渉のテーブルに着く余裕くらいはあると思っていた。

 しかし、結果はこれだ。

 

「……」

 

 目の前の王らしき女性は祈るように頭を差し出しており、側近らしき二人の女性は今にも攻撃を仕掛けてきそうな程に敵意向き出しなのだ。

 深遠の悪魔(アビス・デーモン)は考える事をやめ、<伝言(メッセージ)>の魔法を発動した。

 

「デミウ…、ゴホン! ヤルダバオト様、この国の王を名乗る者を発見しましたが話が噛み合いません。異様な敵意も向けられているようで我では交渉も難しいかと…」

 

『おお、王が生きていたか。よくやった。話が噛み合わないというのは…、まあ極限状態で判断能力が鈍っている可能性もある…。いいだろう、私が直接そちらへ向かう』

 

「よ、よろしいのですか? 命令下されば我がこ奴らを連れて行きますが…」

 

『敵意を向けられているのだろう? 無理に連行して話がこじれても面倒だ、構わないさ。お前はそこで私が行くまでその者らをしっかりと守っておけ』

 

「はっ! 畏まりました!」

 

 

 

 

 深遠の悪魔(アビス・デーモン)の<伝言(メッセージ)>から数分後、数多の悪魔を付き従えたデミウルゴスがカルカ達のいる大神殿へと入室してきていた。

 デミウルゴスの背後に控えるようにいるのは十二宮の悪魔達。

 その他には奈落の支配者(アビサル・ロード)と複数の深遠の悪魔(アビス・デーモン)達。その深遠の悪魔(アビス・デーモン)達はいずれも脇に人間を抱えていた。

 部屋に着くなり解放された人間達はカルカ達を見ると慌てて駆け寄った。

 

「カ、カルカ様ご無事でっ…!」

 

「この悪魔達は一体…」

 

「わ、我々は殺されるのでしょうか…!?」

 

 各々が悲鳴のように声を絞り上げる。彼らはこの国の上級貴族や高位の神官達、一言で言えば国の重要人物達だ。

 

「交渉が出来る者をと国中を探していたのですが王が存命ならばそちらの方が話が早いですからね。とはいえせっかくなので彼らにも同席して貰おうかと」

 

 敵意などありませんよといった様子でニコリと微笑むデミウルゴス。

 しかし当のカルカ達は警戒を怠らない。

 

「申し遅れました。私の事はそう、ヤルダバオトとお呼びください。何、そんなに警戒する必要はありません。私共は貴方達に危害を加えるつもりはありません。むしろ協力出来ればと思った次第なのです」

 

 あまりにも嘘くさい悪魔の言葉だが正面から否定する訳にもいかず、まずは対話を試みる。

 

「こ、こちらこそ申し遅れました。私はカルカ・ベサーレス。このローブル聖王国の国王です」

 

 敬称として聖王女と呼ばれる事が多いがあくまで正式に名乗りを上げる場合は国王が正しい。正式な作法で悪魔に名乗る必要などないと言う者も多いかもしれないが相手が誰であれ礼儀は大切だとカルカは考える。

 何より些細な事ではあるが国王として対峙すると明言する事は国の威信をかけて向き合うという意思表示になる。国際的なマナーではなく聖王国内のものであり、悪魔にどれだけ通じるかは分からないが。

 

「これはこれはご丁寧に。時間も無い事ですが早速本題に入りましょう」

 

 デミウルゴスが一呼吸入れて言葉を吐き出す。

 

「取引をしましょう」

 

 その言葉にカルカは思考が固まる。

 取引とは対等な者同士が行うものだ。少なくとも何かしら差し出せる者同士でなければ成り立たない。

 今のカルカ達と悪魔の関係は完全に上下が付いている。

 生殺与奪の権利を握られ、悪魔達に命令されれば断る事すら難しい。

 そんな状況でどんな取引が成立するというのか。

 

「と、取引…? い、一体何が望みだというのですか…?」

 

「私共ならばあの天使達を排除する事が出来ます。そして今現在生きている国民の多くも救う事が可能でしょう。ですのでどうか私と取引して下さい」

 

「あまりにも嬉しすぎる提案ですね…。ですが私達は何を差し出せばいいのでしょうか…? 聖王国の隷属ですか? それとも大量の生贄を定期的に差し出せ、と?」

 

 カルカの言葉にケラルトとレメディオスがはっとする。

 そうだ、この期に及んで悪魔達がどんな事を要求するのかなど察しがつく。

 今を生き残る事は出来るかもしれないがきっと目も当てられないような地獄が待っているのだ。

 この取引を受け入れるのは本当に国の、いや国民の為なのだろうか。

 場合によってはここで虐殺されてしまった方がマシだったという事態もあり得るのだ。

 

「ははは、我々はそんな事など求めていませんよ。まあ自ら隷属したい、生贄を差し出したいというのならば歓迎しますがね」

 

 デミウルゴスの冗談とも言えぬ言葉にこの場にいる人間達の背筋が凍る。

 

「我々が欲しいのは情報、それと人探しへの助力です」

 

 言葉を口にした後にデミウルゴスが少し考え「死者探しと言うべきか?」と小さく呟くが変に誤解を招くだけになりそうだと考え、人探しという単語のまま進めようと考える。

 

「ひ、人探しですか? そ、それは一体…」

 

「我々の王を探しています。何よりも尊く偉大で、我らが忠誠を誓う偉大な存在…。モモンガ様です」

 

 しばしの沈黙の後、カルカが口を開く。

 

「も、申し訳ありませんがモモンガ…という名に聞き覚えがありません…。それに貴方達の王、ですか? そのような方の情報を私達が提供できるとは思えないのですが…」

 

 この場に居合わせた貴族から「何をバカ正直に! 適当にでっち上げてでも取引を進めろ!」という視線がカルカに突き刺さる。

 しかし下手な嘘は碌な結末にならないと判断したカルカは正直に語る事を選んだ。

 

「そうですか…、まあ予想はしていましたが残念です。しかし情報の提供は無理でも人探しの助力は可能でしょう? そちらに協力して下されば十分です」

 

「し、しかし助力と言いましても私達に何か出来るような規模の話とは思えませんが…」

 

「我らが偉大なる支配者、モモンガ様…。何らかの事情により現在行方が知れません。分かっている事はただ一つ、その身に危険が迫っているという事…」

 

 会話の途中でデミウルゴスの笑顔が崩れ憤怒の表情になる。

 しかしすぐに慌てて笑顔へと戻るデミウルゴス。

 

「失礼…。まあ、そういう訳で私達は我らの王を探しています。我々も全力で捜索に当たっていますがまだ有力な手掛かりは得られていません。私達はどんな些細な事も、あり得ないと思えるような事でも、あらゆる角度から探したいと考えています。場合によっては人間でなければ入手する事が難しい情報もあるかもしれません。我々が思い至らない場所、人、歴史、関係。そういった物が欲しいのです。我々が人間を支配し探させるという手段ももちろん考えましたが二度手間ですし、悪魔に支配された人間という事で話がこじれる事もありそうですしね。可能であれば対等な取引として助力を願いたいと思っております」

 

 対等な取引にしたいというのはデミウルゴスの本心だ。

 この世界においてモモンガと人間との関係がハッキリしていない以上、相手の足元を見るような取引など後々の憂いになり得る。

 正直、必要であればその時に利用し蹂躙すればいいのだ。

 今はまだその時ではないというだけ。

 

「ほ、本当に人探しの助力をするだけで我々を天使の脅威から救ってくれるのですか?」

 

「約束します」

 

「人助けの助力という名目で徴収した人々を不当に働かせたり…」

 

「しません」

 

「な、何か契約等で人々を縛り逆らえなくさせるとか…」

 

「決してしません」

 

 デミウルゴスは強く断言する。

 

「そういった裏をかいたり騙すような事はこの取引に限り一切しないとお約束します。本当に文字通り、人探しに協力して頂きたいだけです。貴方達の出来る範囲で構いません。無理をさせるつもりもありません」

 

 カルカはデミウルゴスのそんな言葉に詰まる。

 はっきり言えば人探し、その為だけにあの天使達と敵対し人々を救うというのか。

 どうしても後一歩、信じ切れない。非合理すぎる。

 

「貴方の気持ちは理解出来ます。なぜこんな釣り合わない取引を真面目に交渉しているのか、と考えておいででしょう?」

 

 デミウルゴスの言葉にカルカの体が跳ねる。

 

「そ、そんなこと…」

 

「簡単な事です。それはこの取引が私達にとって対等以上のものだからです。我らが王、モモンガ様…。あの御方の為ならば配下の誰もが喜んで身を捧げるでしょう。我らにとっての全て、いやそんな言葉ですら足りない…! 我らが忠義を尽くさねばならぬ御方、我らの存在意義、存在理由…! この世界、いや何をおいてすら優先される至高の存在…! その御方の情報ならばどれだけ些細であろうとも! 我々にとっては国一つとすら比較にならないのですよ」

 

 サングラスの隙間から見えるデミウルゴスの宝石の瞳がレメディオスを映す。

 

「そこの女騎士、貴方達とてそうではないのですか? 貴方はその自分達の王にいくらの値段を付けますか? 財産? 土地? 国宝? もし命を救えるとするならばどれだけの額が支払えますか?」

 

「土地や財産だと!? そんなもの比較になる訳なかろう! 国宝とてそうだ! どれだけ金銭を積もうとカルカ様の命になど代えられるか!」

 

 当たり前だというようにレメディオスが怒鳴る。

 

「その通りです。貴方達は自分達の王にそれだけの値を付ける、いや付けられないというべきか。ですがこの国の民一人一人にそんな値は付けませんよね? だからまだ悠長に私と交渉などしてられる。全ての命は同価値ではない。それは人の命が平等ではないという意味ではなく、人にとって他人が平等ではないという事です。貴方達にとって価値のある人間が私にとってはそうではない、逆もまた然り。貴方達がどう判断しようと自由ですが、我々にとってモモンガ様という存在は世界全て以上の、そんな表現では足りぬ程大切な御方なのです。もう一度言いましょう。貴方達がその程度と思えるような事でさえ、我々には一国以上の価値がある。それだけの話です」

 

 情報は出揃った。

 もうカルカから質問すべきという事は思いつかない。

 多少、暴論ではあるが理屈は分かる。

 きっとカルカもケラルトやレメディオスの為ならば法外な値を付けるだろう。国民を愛しているし大事にしたいと思っているが実際にそうなった時、国民一人一人にケラルトやレメディオスと同じ値段は付けられない。

 ただ目の前の悪魔の言葉はスケールが桁違いなだけでそれと同じだ。

 

 結局、この取引を信じるに足る根拠は何一つない。

 目の前の悪魔の言葉を信じるか否か、つまるところそれだけでしかないのだ。

 

「分かりました、取引を受け入れます…。ですからどうか民を…、民を救って下さい…!」

 

 懇願するようにカルカは取引を了承した。

 

「ありがとうございます! 必ずや約束はお守り致しますとも! ええ、必ずね…」

 

 心底嬉しそうにデミウルゴスは微笑む。

 

「民は助けるとは約束しましたが他の事には多少目を瞑って下さいね。あの天使達と戦っては我々も無事とはいかないので…」

 

 そうしてデミウルゴスの作戦は始動した。

 

 

 

 

「ちょっといいかいアウラ」

 

『わっ! 急になんなのデミウルゴス! 今忙しいんだけどー!』

 

 突然デミウルゴスから<伝言(メッセージ)>を繋げられたアウラは驚いた声を上げる。

 

「まあまあそう言わずに。君の事だから苦戦なんてしていないだろう? 少し私の手助けをしてくれないかね?」

 

『もう、何なの? 無理なら断るからね!』

 

 そうしてデミウルゴスは用件を伝える。

 

『まあ、そのぐらいならいいけど…。あと転移使えるシモベも配置しておくから』

 

「ありがとう、助かるよ」

 

 アウラとの<伝言(メッセージ)>を終えると声を上げるデミウルゴス。

 

「各員持ち場に付いたか? 現在天使達と交戦中の者は合図があるまでそのまま時間稼ぎに努めろ、無理に殺そうとする必要はない。可能な限り、その時まで死ぬな」

 

 その言葉に周囲の悪魔達、そして遠方で<伝言(メッセージ)>が繋げられた悪魔達が同時に返事をする。

 

「よし! それではチャックモールの演奏と共に行動を開始せよ!」

 

 その言葉と共に都市中に美しい調べが奏でられる。

 

 「五大最悪」の一人、エーリッヒ擦弦楽団を率いるチャックモール。

 今宵の演目は“緩やかな平和の鐘”。

 

 得意とする不穏な調べ、デバフ効果のあるものではなく効果範囲内の戦闘行動を著しく遅延させるというもの。

 これには敵も味方も関係ない為、必ずしも大規模戦闘において役立つものではない。基本的には時間稼ぎにしか使えないものだが必要人数などの演奏条件が厳しいため割に合うものとは言いにくい。

 しかしこの時においては最適だろう。

 

 悪魔達が天使の射程圏内に入ると当然のように攻撃行動が開始される。だがエーリッヒ擦弦楽団の演奏によって攻撃動作に入ると動きが鈍くなる。そうすれば悪魔達は攻撃を回避する事も容易い。

 その間に次々と国民を避難させていく。

 アウラの協力の下、国中の民をアベリオン丘陵へと避難させる事に成功する。

 カルカ達要人も一緒に避難させる。

 現地で亜人と多少の小競り合いがあるかもしれないがアウラがなんとかしてくれるだろうとデミウルゴスは丸投げする。

 

 今は目の前の問題を片付けなければならない。

 

「皆、すまない…。だがこれが最も効率的に場を収められる方法なんだ…」

 

 悲しそうにシモベ達へ語り掛けるデミウルゴス。

 だが誰の目にも悲壮感は漂っていない。

 シモベ達はデミウルゴスを信じており、またモモンガの為になれる事が嬉しいのだ。

 

 エーリッヒ擦弦楽団の演奏が終盤に差し掛かる。

 “緩やかな平和の鐘”の曲が終われば天使達との総力戦に入る事になる。

 天使に特効を持っている悪魔も多いが、悪魔に特効を持つ天使も多いだろう。

 真正面から戦えば互いに壊滅的な打撃を受ける。

 デミウルゴスの知略を以ってすら厳しい。

 互いに同じ条件とはいえ、極端に相性が悪すぎるのだ。

 少しの事でいくらでも戦況が傾く。

 

 僅かでも敗北の可能性がある戦いは避けなければならないのだ。

 だから絶対勝利の為、非道な決断をデミウルゴスは下さなければならない。

 ナザリック外の者であればいくらでも犠牲に出来る。

 しかしナザリックを、そのシモベ達を愛しているデミウルゴスにとってこの決断は身を引き裂かれる程つらい。

 

 そして、曲が終わった。

 同時に幾重にも特殊技術(スキル)や魔法を発動するデミウルゴス。

 

「総員、降下!」

 

 デミウルゴスの叫びが轟く。

 呼応するように各地に散り上空に待機していた無数の悪魔達が上空から地上へと勢いよく落下を始める。

 周囲の天使達が降下してくる悪魔達に攻撃を仕掛けようとした刹那――

 

 世界が黒に染まった。

 

 

 

 

 現実世界(リアル)において約200年程昔、日本という国で歴史に名を遺す悲劇があった。

 

 原爆投下。

 

 世界で初めて核兵器が使用された瞬間だ。

 その後、核兵器の非道さが世界中で訴えられたがそれは表向きだ。

 核武装すると公言する国、あるいは極秘裏に核兵器を開発する国。

 結局人々は核を手放す事が出来なかった。

 

 長い歴史の中で本当に取り返しのつかない領域に人類が足を踏み入れた最初の瞬間だとウルベルト・アレイン・オードルは考える。

 

 そして真実か否か、それは彼にも分からないが彼の家には古い文献が残されていた。

 先祖の遺した物で、被爆した者本人の嘆きだ。

 そこに書かれていたのは歴史の教科書の内容とは異なるものだった。

 どれが真実かなど今の世ではもう分からない。

 だが、不思議と先祖の残した文献の方が腑に落ちた。

 まだ生存者がいた頃は正しい歴史や記念館など様々な物が残されていたらしい。

 しかしいつしかそういった物は時代と共に歴史の中に消えた。

 まるで原爆など空想上の存在であったかのように。

 被害者の声など不要だったのだ。

 人類の進歩には核が不可欠と信じられていたから。

 

 これは原爆の話だけではない。

 現実世界(リアル)において様々な情報は隠蔽され、法律は改竄され、国民は搾取されるだけの存在になった。

 ウルベルトは世界が許せなかった。

 あらゆる悪を憎んだ。

 いつしかその悪を打倒するのが彼の目的となった。

 だが悪を倒すのは正義の味方ではない。

 正義の味方では、法に、人道に則っていては巨悪など倒せないのだ。

 

 だからこそ彼は悪に憧れ、悪を欲し、悪に堕ちた。

 

 これは彼がまだ人の心を持っていた時、ユグドラシルというゲームの中で作り上げた妄想に過ぎない。

 しかし後にして思えばそれこそがウルベルトの願望だったのだろう。

 世界への逆襲。

 ゲーム内とはいえ、それを再現し最も愛するNPCに授けた。

 相応しい名前は最初から決まっていた。

 現実の自分との鏡合わせのように。

 悪へのきっかけであり、世界を憎む最初の一歩。

 

 <悪魔の病巣(デーモン・コア)>。

 

 悪意の象徴であり、滅びへの呼び声。

 ユグドラシルにおいてデミウルゴスの使用する奥の手であり、オリジナルコンボの名前だ。

 

 かつて日本にはリトルボーイとファットマンという原爆が落とされた。

 もし日本が降伏しなければデーモンコアという第三の核が落とされる予定だった。

 

 デーモンコアの名の由来は実験中に関係者に死者を出したからだと言われている。

 

 そんな名前をゲーム内とはいえウルベルトが使用している事にたっち・みーはいい顔をしなかった。

 不謹慎だと、遊びで軽々しく扱っていいものではないと喧嘩になった事もある。

 だが本当にそうなのか?

 口に出さない事が、忘れる事が弔いなのか?

 誰が先祖達の苦しみを癒してくれた?

 今現在、世界中で苦しんでいる人たちの苦しみはどこへいく?

 家族は、仲間は、虐げられた人達の魂の行く末は?

 様々な人と共にずっと地獄を歩いてきた。

 あの苦しみの果てに平穏があるとは思えない。

 

 きっと誰も救われない。

 正義の味方なんてどこにもいないのだから。

 だから彼は人々を救う事を諦めた。

 ウルベルトが為すべき事は鉄槌を下すだけだ。

 

 世界に暴悪を振り撒く。

 どれだけの被害を出そうとも、死なねばならぬ者達はいる。

 世界を裏から牛耳る者共等がその最たる例だ。

 

 その時は近づいてきている。

 これまで水面下でずっと準備してきた。

 今も数多くの同志たちが自分を支えてくれている。

 

 もしその時がくれば、かつての仲間達は何と言うだろうか。

 ほとんどの人が怒るだろう。

 たっち・みーあたりはどこからか嗅ぎ付けて自分の前に立ちはだかるかもしれない、そんな確信に近い予感がある。きっと最後まであの男とは分かり合えないのだろう。いや、誰よりも分かり合えてるからこそ対峙する事になるのか。

 もしモモンガがいたら何と言うだろう。

 フィクションとそうでないものの区別は付けなければいけないと説教されるかもしれない。ウルベルト同様、悪にはうるさかったが常識人でもあったから。

 ただの現実逃避、時間潰しと思ってプレイしたユグドラシルだが、それが輝かしい思い出として残っているのはあの人のおかげだ。

 ユグドラシルのサービス終了前に顔を出して欲しいとモモンガから連絡が来ていたが返事は返さなかった。未練が残るといけないから。

 ウルベルトは行けない。

 なぜならその日は――

 

 何より彼の戦いは現実世界(リアル)にあるのだ。

 

 様々な人の顔が脳裏をよぎる。

 それでもウルベルトの決意は変わらない。

 

 もし世界を変える瞬間に一言残すならばこう記すだろう。

 自らの力の源に焼かれて踊るのが相応しい者共へ、憎しみを込めて。 

 

 「支配層は皆殺し(デーモン・コア)」と。

 

 

 

 

 それは爆縮だった。

 

 外部に力を解放する爆発ではなく、外部からの圧力で押し潰し強大な内部圧力の上昇を生む物理現象で、通常では得難い破壊力を生む事が出来る。

 現実世界(リアル)でも高度な技術力が必要とされるもので簡単には製造出来ないものだ。

 

 爆縮の核となった無数の悪魔達は自らへ強烈な外部圧力をかけると共に、遠隔でデミウルゴスや十二宮の悪魔達、魔将達や一部の最高位悪魔達の手によってさらなる外部圧力をかけられていく。

 彼ら最高クラスの悪魔達の力もあり、核となった悪魔達は周囲の空間を巻き込み、小石のような大きさにまで丸く潰れていく。

 極限まで圧縮されていく悪魔達。

 ギチチというような不快な音が周囲へ漏れていく。

 そうしてもはや砂粒を通り越し、視認するのが不可能な状況にまで圧縮される。

 見えるのは歪み、曲がりくねった空間だけだ。

 

 しばらくして臨界点を突破した次に来るのは、解放。

 

 極限まで圧縮され絞られた悪魔達の体が膨大なエネルギーを生むと同時に広範囲へと爆ぜる。

 

 形容するなら<負の爆裂(ネガティブバースト)>という魔法が近いだろう。

 黒い光の波動が使用者を中心として周囲を飲み込む魔法だ。

 

 だが威力はその比ではない。

 それが無数にいる悪魔達一体一体から放たれるのだ。

 悪魔の体による物理的な衝撃、そして悪魔自身が持っていた魔力、そして魔の瘴気をまき散らしながら。

 

 幾重にも重なった爆発が拡散した後には、強風が爆心地に向かって逆に流れ、黒煙が立ち上る。

 しかしいくつもある爆心地により爆風が入り乱れ、強大な竜巻となり、吹き上がった黒煙と共に渦を巻いていく。

 かろうじて生き残っていたレベル100の都市守護者達でさえ飲み込み浸食し切り裂いていく。

 

 やがて聖王国の都市全てに巨大な竜巻が一つずつ咲く事になる。

 次第に竜巻が収まっていくと、砂埃と共に黒煙がキノコのような形状へと形成していく。

 都市全体を、いや国全体を覆う死の煙。

 

 もうその中に生きる者は誰もいない。

 それどころかその死の煙は大地を侵食し、空を闇に染め、海を汚した。 

 生命の存在を許さぬ、死の空間。

 生きていられるのは、アンデッドか悪魔ぐらいだろう。

 

 魔界とでも呼ぶべきだろうか。

 

 草木は枯れ、あらゆる動物達が死滅した。

 悪魔達の残した瘴気により、生きとし生ける者がこの地へ立ち入るのは数百年間無理だろう。

 こうして聖王国という大地は人の住める場所ではなくなった。

 

 

 

 

「な、何が起きているの…!?」

 

 アベリオン丘陵に避難したカルカ達からでもその景色は確認できた。

 聖王国の上空に広がる膨大な黒煙。

 

 それは舞い上がる煙が見せた偶然か幻覚か。

 大きく舞い上がり次々と形を変えながら上っていく黒煙だが、その所々で苦しみに満ちた人の顔が浮き出ているように見えた。

 怨嗟の声が聞こえてくるのではと錯覚する程に異様な光景。

 キノコのように黒煙の頂上が膨らんでいくと、それはやがて人の頭部のような形になっていく。

 

 口を大きく開け、苦痛と絶望の中にいる者の表情を思わせる。

 いや、もしかすると何か目的を達成した者による歓喜の表情かもしれない。

 如何様にも受け取れる複雑な造形だった。

 

 カルカ達聖王国の者達が呆気にとられ空を見上げているとその煙の中から複数の悪魔達が出てきた。

 デミウルゴスとその配下達だ。

 無数にいた悪魔達の姿はどこにもなく、その総数は二桁程度まで減っていた。

 

「ヤ、ヤルダバオト殿! あ、あれは一体…」

 

 近寄ってきたデミウルゴスへとレメディオスが声を上げる。

 

「ええと、ああ君はカルカ女王の側近だったかね?」

 

「レメディオスだ! 聖騎士団長レメディオス!」

 

「そう怒らないで欲しいものだね、先ほどは名前を聞いていなかったんだから仕方ないだろう?」

 

「それよりもあの煙はなんだ説明しろ!」

 

 レメディオスの質問に答えるようにデミウルゴスは事の顛末を説明する。

 天使達は全て滅ぼした事。

 そして、向こう数百年、この土地は人の住めない魔の大地になったという事を。

 

「ああ…、なんて事…」

 

 あまりのショックにカルカがその場に崩れ落ちる。

 

「カ、カルカ様! お気を確かに!」

 

 すぐ横に控えていたケラルトがその体を支える。

 

「だ、騙したのか…!? 取引外で不当な事はしないと約束した筈だ!」

 

 頭に血が上ったレメディオスが剣の柄に手を添えながらデミウルゴスへと詰め寄る。

 

「騙した? 人聞きの悪い事を言わないで下さい。私は約束を守りました。今後も何ら無理のある要求をするつもりはありません。ただ契約通り人探しを手伝って頂ければそれで充分です」

 

「な、何を言っている!? 確かに民達は助けて貰った! だが国があんな状態でどう生きていけというんだ!? 家も、財産も、食料も! 何もかもを失ったんだぞ我々は! お前たちのせいで!」

 

「はぁ…。私も多くの配下を失いました。まさかあの強大な天使達相手に何の被害も出す事なく勝利しろとでも言うつもりなのですか? いくらなんでもそれは無茶が過ぎますよ。ここまで体を張って文句を言われるとは想像すらしていませんでした…。残念です」

 

 心底呆れたといった様子でデミウルゴスが溜息を吐く。

 

「よ、よくもぬけぬけと! 都市が壊れる事までは仕方ないと諦められる! だが土地が瘴気に呑まれ、足を踏み入れる事すら出来なくなるなど想像できるか! そ、そうか! 最初からこれが狙いだったんだな!? 我々から国を奪い、帰る場所を無くす為に!」

 

「いい加減にして下さい…。あのままであれば貴方々はその全てが虐殺されていたでしょう。我々とて正面から戦えば勝利出来るか怪しい相手でした。もし我々が負けていれば貴方々も困るでしょうに。それとも何か他に良い手段があったのなら教えて下さい」

 

「ぐっ…、そ、それは…!」

 

 デミウルゴスの言葉にレメディオスが詰まる。

 

「ようやく理解して頂けたようですね、やれやれ馬鹿の相手は疲れますよ」

 

「貴様っ…!」

 

 激昂したレメディオスが剣を抜こうとした瞬間、カルカとケラルトがその身を押さえる。

 

「ぶ、部下が大変失礼しましたヤルダバオト殿…。我々聖王国の民は貴方達に心より感謝しております。命を救って頂きありがとうございます」

 

 深々とカルカがデミウルゴスに頭を下げる。

 

「カルカ様っ、こんな奴に…むぐ!」

 

 何か言いかけたレメディオスの体を倒し、口を押さえるケラルト。

 

「静かにしてて姉さん…! 気持ちは分かる…! でも、まだ私達全員の命はあの悪魔の手の平の上なのよ…! ここであの悪魔の機嫌を損ねる訳にはいかないの…!」

 

「うぅ…、くそ、くそぉっ…!」

 

 悔し涙を浮かべながら声にならない唸りを上げるレメディオス。

 レメディオスの感情は尤もだと思うカルカだが賛成する事はできない。ケラルトの言う通り自分達の命はまだ悪魔達に握られているのだから。

 

「ヤルダバオト殿、取引は必ずお守り致します。ただ、その為にどうか少し我儘を聞いて頂けないでしょうか? 無理ならば構いません。しかし我々だけではこの現状があまりに苦しく…」

 

 カルカはさらに幾度もデミウルゴスに頭を下げた。

 要求としては当面の食糧や、住む場所など。

 もちろんこんな要求など王として恥ずべき事だしあまりにも恥さらしで厚顔無恥。

 しかしカルカにはここでどうしても頭を下げねばならない理由があった。

 

 聖王国の民で生き残った者は百万人を超える。

 そんな数の人々が家も食料も無く、その身一つでアベリオン丘陵へ投げ出されたのだ。

 何をするにしても、他国に助けを求めるにしろ、馬も何もない状況ではアベリオン丘陵を超える事すら出来ない。

 それよりも問題なのはこの大量の民達の食事だ。

 食料どころか水も無いこの状況では三日と持たず瓦解する。

 どこかで食料や水が手に入ったとしても百万人を賄う数など手に入る筈が無い。

 

 確かにカルカ達は命は救われた。

 だがそれ以外の全ては聖王国の中に置いてきてしまったのだ。

 もう二度と戻れない場所に。

 最初は食料だけでもどうにか持ち出せないかとも思ったがすでに食料も汚染されているだろうとの事だった。

 故にカルカ達は聖王国以外で生活の糧を見つけなければならない。

 

 そんな聖王国の民を助ける為に力を貸してくれとカルカは頭を下げているのだ。

 

 無理難題すぎてどこの国でも受け入れられないレベルの事態だ。

 しかし。

 

「分かりました、なんとかしましょう」

 

 返ってきたのは信じがたい言葉。

 相手が悪魔という事もあるが、現実的に解決不可能な問題に思えたからだ。

 

「当然贅沢は出来ませんが可能な限り食料を調達しましょう。住む場所は…、まあこの辺りに各自で小屋でも建てて貰うという事で…」

 

 デミウルゴスはこうなる事は当然予測していた。

 あの状況では聖王国の人々が露頭に迷うのは明らかだ。

 ではなぜそうしたのか。

 これは決してデミウルゴスが悪魔だからとか、悪意の元に行動した訳ではない。

 あれが最善の手段だったからだ。

 

 デミウルゴス達が最も軽微な被害で天使達を殲滅するにはあの手段しか無かった。

 まともに戦えばここにいる最高位の悪魔達すら残っていなかっただろう。

 

 故に悪魔のシモベ達を爆弾とし犠牲とする奥の手を切ったのだ。

 

 最高位の悪魔達は残っているものの、被害は甚大。戦力のほとんどをデミウルゴスは失ってしまった。

 あくまで聖王国の人々はついでに過ぎない。

 仮に聖王国の人々を見捨てるという判断をしたにしろ爆撃するしかなかった。

 どう転んでもこの結末は回避出来なかったのだ。

 だからこそデミウルゴスは人々を助ける事を条件に取引を申し出た。

 国民を助けてしまえば都市や国がどうなろうと聖王国の上層部は文句を言えない。

 取引内容に人の命以外は含まれていないから。

 

 そうして恩を着せ、合法的に聖王国を地獄に変えたのだ。

 

 天使達を滅ぼし、表面上とは言え文句の言えない状況の聖王国の人々を手に入れた。

 デミウルゴスは上々の成果だと考える。

 後にモモンガを探す為に聖王国の人々が助けになるかもしれないのは事実だ。それを少しの会話だけで手に入れられたのだから上出来だろう。ただ残る問題として簡単に死んでしまわれたら困るという事だけだ。

 

 実はその辺りはアウラに丸投げしている。

 

 彼女なら山でも森でも川でもシモベを使って食料を集められるだろうから。

 

(まあ流石に百万人は多すぎますし、いくらか餓死してもしょうがないでしょう…。現状では他国を襲って食料を奪う訳にはいきませんし…。とりあえずは有用そうな者達さえ残っていれば良しとしましょう。後でアウラに小言を言われた時の対処を考えておかないと…)

 

 

 

 

 竜王国、首都。

 

 

「おんどりゃああああ!」

 

 豪快なアルベドの雄叫びと共に、対物体最強の世界級(ワールド)アイテムである真なる無(ギンヌンガガプ)が勢いよく振り下ろされる。

 戦いの果て、巨躯の幻獣種である都市守護者の体が圧し潰され平たくなっていく。

 グググと必死に抵抗を続けるがやがて限界が訪れ、風船が割れるように爆散し辺りに血をまき散らした。

 アルベドを中心として地面に落ちたトマトのように血が広がり、周囲を小さな肉塊がコロコロと転がっていく。

 

「敵の陣形が崩れたわ! 今よ地獄の戦用馬車(ヘルチャリオット)部隊! 側面から轢き殺せぇぇえ!」

 

 アルベドの怒号に呼応するように地獄の戦用馬車(ヘルチャリオット)部隊が崩れた敵陣の中に突っ込みかき乱していく。馬車に備え付けられた無数の刃や棘が敵の肉を裂き骨を砕き、倒れた敵の肉体を戦用馬の蹄が潰していく。

 

「残党狩りは死の騎兵(デスキャバリエ)に任せる! 全軍の指揮を預けるから味方を率いて殺し尽くしてきなさい! 敵の首魁は残り一体! 私はそちらに向かう、着いてきなさい戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)! すぐにミンチに…ん?」

 

 <伝言(メッセージ)>の魔法がアルベドに届いた。

 

「ちょっと誰!? 今は…」

 

『…アルベド』

 

 ニグレドの声だった。

 

「姉さん!? どうしたの、今は作戦中よ。急用!?」

 

 急用でない筈がない。戦闘中であろうアルベドにわざわざ<伝言(メッセージ)>を飛ばしてきたというだけでその緊急性が窺える。

 

『シャルティアがやられたわ』

 

「え…!?」

 

 流石のアルベドも驚きを隠せない。

 守護者最強であり、最大の軍を持つシャルティアが敗北するとは想定していなかった。

 

「じょ、状況を詳しく説明して頂戴! それに他の守護者達は大丈夫なの!?」

 

『他の守護者達は大丈夫よ。監視を続けているけどほとんどが優勢だわ』

 

「それで…、一体シャルティアはどうやってやられたの!?」

 

『分からないわ…』

 

 ニグレドの言葉をアルベドは理解出来ない。

 監視していた筈のニグレドが分からない筈が無い。その疑問を口にしようとするがすぐにニグレドが補完する。

 

『元々シャルティアの向かった浮遊都市は監視が安定しなかったの…。最後に確認できたのは力尽きたシャルティアが横たわる所だけ…。今は探知が完全に阻害されていて少しも様子を見る事が出来ないわ…』

 

 アルベドは考える。

 シャルティアが馬鹿すぎて相手に後れを取ったとか間抜けな話ならばいい。

 しかし、こと戦闘に限ればシャルティアがそこまで無様を晒すとは考えにくい。

 であるならば。

 

「モモンガ様を弑した奴等がいた…? そこが敵の本丸…? 姉さん、探知は本当に不可能なの? 周囲の状況は?」

 

『現状全て不明よ、あらゆる手段を試みたけど全てダメだった。周囲を含めて完全に隠蔽されているわ』

 

 今の所、各地に散った守護者達からモモンガに関する直接的な情報は上がってきていない。

 そう考えるとシャルティアが向かった浮遊都市が怪しいが、情報が得られないのではおいそれと攻め込む訳にもいかない。下手をすればシャルティアの二の舞になる。

 

「すぐに向かうのは無理か…。情報が得られないのであれば今はとりあえず各自持ち場を制圧する事を優先して…。まずは誰か隠密に長けたシモベを派遣して…、いやシャルティアを倒すような奴等相手ではそれも…」

 

 ブツブツと考え込むアルベドにニグレドが告げる。

 

『だからルベドを向かわせたわ』

 

「なっ!? あ、あの子を、一人で!? 単身なんていくらなんでも無謀よ! 攻めるなら守護者を集めて全軍で…!」

 

『問題ない、ルベドに命じたのはあくまで偵察。情報を持ち帰らせる事を優先させているわ』

 

「そ、それでもシャルティアを倒した奴等がいるんでしょう!? もしルベドがやられたら…!」

 

『大丈夫』

 

 アルベドの心配を他所にニグレドが断言する。

 

『ルベドの移動速度に追いつける者なんてそうそういないわ。逃げるだけなら簡単でしょう。それに、仮に戦闘になったとしても…。あの子が負ける状況なんて私には想像できない』

 

 ニグレドは創造主であるタブラ・スマラグディナからルベドの全てを知らされている。だからこそ、どれだけ魔法的な隠蔽や阻害が為されていようとルベドだけはその影響を受けない事を知っている。

 

 そしてルベドが誇る異常な強さの理由、また、その危険性も。

 

 

 

 

 数刻前。

 ナザリック地下大墳墓。

 

 

 その目の前で甲高い笑い声を響かせる少女がいた。

 

「あーっはっはっは! 本当に来た…! ナザリック地下大墳墓…!」

 

 口が引き裂けそうな程の笑顔を浮かべる少女。

 海上都市の彼女と呼ばれる少女だ。

 彼女の脳裏に様々な伝説が蘇る。

 それを思い返しながらナザリックへと足を踏み入れた。

 入口で止められた為、そこから中へと入っていく彼女の様子を見守る老婆、リグリット。

 

 中からは彼女の歓喜に溢れる声が聞こえてくる。

 しかし、それは最初だけだった。

 

 笑い声を上げていた筈の彼女の声が次第に曇っていく。

 何か異常事態でも起きたのかと入口から覗き込むリグリット。

 

「お、おいどうしたのじゃ? 何かあったのか?」

 

 だが彼女からの返事は無い。

 リグリットの声が聞こえなかったのか、呆然自失としたまま彼女はナザリックの奥へと進んでいく。

 

「な、なんで…、どうしてだ…」

 

 彼女は先ほどまでの笑顔が嘘のように絶望したような表情を顔面に張り付けている。

 

「う、嘘だ…。嘘だと言ってくれ…。ま、まさか…。ここまで来て…、全て手遅れだったのか…」

 

 その場に膝から崩れ落ちる。

 

「やっと…、前に進めるって…、そう思ったのに…。これだけを信じてずっと何百年も待ち続けたのに…。こんなの…、あんまりだ…」

 

 その瞳から大粒の涙がいくつも零れ落ちる。

 そうやって泣く様子は年相応の少女のもののように見えた。

 

「ちくしょうっ、なんで…、なんでだっ! ()()()()()()()()()()()!」

 

 侵入者がいればすぐにNPCが迎撃に来る筈なのだ。

 それを誰よりも彼女は知っている。

 だが彼女の目の前に広がるナザリック地下大墳墓はもぬけの殻と言ってもいい。

 自動ポップするような超低レベルモンスターはいるがそんなのは当てにならない。

 廃墟となってもそのレベルのモンスターならば自動発生してもおかしくないからだ。

 

「な、なんで罠やギミックも発動しない…? 機能が止まっている…、のか…」

 

 彼女の頭の中で最悪のケースが導き出される、それは――

 

「うあぁあああぁぁああああーっ!」

 

 絶叫。

 現実を受け止めきれず、彼女は狂乱する。

 彼女の知る限り、昔にナザリックが転移してきた可能性は低い。

 だから百年周期の説が正しいならばナザリックが転移してきたのはここ最近の筈なのだ。

 もしかすると転移前からギルドは終わっていたのかもしれないが。

 

「い、いや、そんな筈はない、そんな筈が無いんだっ! いる筈なんだ、来ている筈なんだっ…! ナザリック地下大墳墓が来ているなら…! だ、だって…! だ、だから俺はここに…! 約束を…」

 

 悲しみの極限まで振れた彼女の感情の針が突如として怒りへと振り切れた。

 

「だ、誰だ…? だ、誰がナザリック地下大墳墓を攻略した…? この世界のどこかにギルド武器を壊した奴がいるのか…? そういう事なのか…?」

 

 怒りで我を失った彼女は仰け反り永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)を空高く掲げる。

 己を取り戻し、復讐する為に。

 

「今すぐに叶えろ永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)ッ! 俺の願いは――」

 

 絶叫を上げながら彼女は願う。

 失われた、世界のどこにも残っていない筈のものを、再び取り戻す為に。

 一度は不要と捨てた筈の物。

 

 永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)でさえそれが叶えられるのか、正直彼女には分からなかった。

 だからこそ、あの水槽の中に引きこもっていたのだ。

 しかし彼女の願いは無事に聞き入れられた。

 この肉体が、それを示している。

 

 殺意と疑念に支配されながら彼女はナザリックの深奥へと歩を進めていく。

 

 そんな彼女が、侵入者を撃退しようと戦力をかき集めていたオーレオール達と遭遇するのは深い階層での事となる。

 しかしレベル100を誇るオーレオールでさえ、彼女を止められない。

 

 

 

 

 浮遊都市エリュエンティウ。

 

 

 クレーターと化した戦闘痕の残る場所でシャルティア・ブラッドフォールンは地に伏していた。

 周囲の惨状がどれだけの戦いが繰り広げられていたのかを物語っている。

 

 この地に残った都市守護者の数は8。

 

 しかもそのいずれもがそれぞれ八欲王が己の分身として丁寧に一体ずつ作り上げ、装備まで与えた者達。

 ハッキリと言うならば一体一体がシャルティアと互角の戦力、装備を保有している。

 

 セバスやデミウルゴスが戦ったようなレベル100ではあるが実質まともな装備無しのNPCとは訳が違う。装備はユグドラシルにおいて戦力を左右する重要な要素なのだ。

 故にここにいる8体の都市守護者達は間違いなく天空城の最高戦力である。

 

 それを相手にシャルティアは一人で戦ったのだ。

 勝てる筈が無い。

 

 五千を超えるアンデッドの軍勢も全て失ったがシャルティアは健闘したと讃えられるべきだろう。

 都市守護者側の軍勢もほぼその全てが滅んでいるのだ。

 レベル100の戦いにおいては8対1という絶望的な状況でありながらもその幾人かに手傷すら負わせている。

 戦力比から見ればあり得ないレベルの抵抗だった。

 確かに都市守護者達はシャルティアと互角と呼んでも良い戦力と装備を保有している。

 だがそれでも。

 変態紳士ペロロンチーノが作り上げた珠玉のNPCはナザリック最強の守護者に相応しい強さを兼ね備えていたのだ。

 1対1ならば恐らくここにいる都市守護者の全員に勝利し得た。

 

 しかし現実はそうはならなかった。

 いくらシャルティアといえど数の前には歯が立たなかった。

 

 その戦闘の様子を全て見ていた者がいた。

 モモンガだ。

 彼は今、怒りに震えている。

 

 自分の弱さに、行動の鈍さに、決断力の遅さに。

 

 覚悟を決めたと思った。 

 しかしそれでもシャルティアに敵意を向けられたらどう対処していいか分からなかった。 

 彼女を傷つけたくないと思った。

 何かいい方法は無いかと考え込んでしまった。

 せめて暴走していると思わしきシャルティアに恐れず対話を試みてみるべきだったのだ。

 確かに最悪の結果はあり得た。

 しかし最上の結果もあり得たのだ。

 仮に意思の疎通が出来なくても戦いの外へとシャルティアを誘導するくらいは出来たかもしれない。

 ではなぜそうしなかったのか。

 

 勝利への保証が無かったからだ。

 完全に勝つための情報収集、準備に時間を要していたからだ。

 シャルティアが都市守護者達に攻撃されている間もまだ勝利への道筋が見えなかった。勝利が見えるまで粘ろうとしてしまった。

 

 その判断のツケがこれだ。

 

(シャルティアを失った…。俺がモタモタしていたからだ…)

 

 大切な友の残してくれたNPC。

 それがこの世界にいて、目の前にいたのに、見殺しにしてしまった。

 シャルティアが地面に墜ち、ピクリとも動かなくなった時に初めて実感した。

 

 自分は取返しの付かないミスをしたのだと。

 

(己の命を惜しんでいる場合じゃなかった…。勝利が約束されなければ俺は大事な物すら見捨てるのか…!)

 

 モモンガの中に生まれる激しい後悔。

 アンデッドの身に感情が抑制されている筈だが抑えが利かない。

 

 目の前にいる都市守護者達をこれ以上野放しにしておけないと本能が訴える。

 その思考と感情がじわじわとモモンガを支配していく。

 

 もしこの世界のどこかにシャルティアのように他のNPC達がいるのなら。

 

「俺が守る…!」

 

 モモンガは惜しげもなく高レアアイテムを複数使用する。

 転移阻害や探知阻害、行動阻害も含めた阻害系のオンパレードだ。

 これは自身を含め味方にも効果を及ぼすが、モモンガ本人は様々な指輪により十分な阻害対策をしている。

 

 アイテムの効果が発動し、浮遊都市その周辺が魔法的に隔離される。

 もちろんあくまで阻害であって無効化ではないが、それでも発動や行動に強い遅延がかかるため何かしらの対策をしていなければ実質使用できないと言っても過言ではない。

 つまりは魔法的手段において簡単にこの浮遊都市から外へは出れなくなったという事だ。

 これにより外部からの探知が阻害され、慌てたニグレドがルベドを送り込む事になるのだが今のモモンガにそんな事を知る由は無い。

 

 課金アイテムを使用し先ほど即席で作った複数のアヴァターラを背後に控えさせるモモンガ。

 これは武装したゴーレムを作れるようになるもので、ナザリック地下大墳墓の霊廟に置いてある物と同じだ。

 かつての仲間の武装をした霊廟のアヴァターラには遠く及ばないがこの即席のアヴァターラにも手持ちの装備をいくつも持たせている。

 レベルは低くとも手段はいくらでもあるものだ。

 そう、課金アイテムさえあれば。

 

 ただこの時、モモンガは何者かにずっと見守られているような感覚に陥っていた。

 探知阻害を発生させているので誰かが覗き見している筈がないのだが。

 周囲を窺っても特におかしな様子も無い。

 気のせいかと判断しモモンガは都市守護者達を睨みつける。

 

「誰一人ここから逃がさんぞ…!」

 

 8対の都市守護者の前にモモンガは不意に姿を現す。

 そして、彼らが動き出す前にモモンガの魔法が発動する。

 

 それが戦いの開始を告げる合図となった。

 

 

 




いつも二万文字以下を基準に一話を書いていたのですが今回気づけば三万文字を超えてしまっていました
本当はもう少し早く投稿できると予想していたのですが単純に長くなった分、遅くなってしまいました
今思えば途中で区切って投稿するべきだったかもしれませんが後の祭り…

何はともあれ久しぶりの本編更新です、お待たせしました
個人的には海上都市の彼女やモモンガさんの話をどんどん進めたいのですがどうしても先に守護者の話が来てしまうので結果として毎回最後にオマケ程度の描写となってしまっており自分自身悶々としております
もし読んで下さっている方もそうであれば申し訳ありません…

ギリギリとはいえ年内に更新出来て個人的にホッとしています
また来年、頑張ります!

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