以前の投稿から随分と時間が経ってしまいました
期間が空き過ぎた為、今回はリハビリがてらの短編でご容赦下さい
後の世で「海上都市の彼女」、そう呼ばれる事になる女性は周囲の光景に驚いていた。
見覚えの無い山脈に囲まれた荒野、そんな中にただ一人ポツンと立ち尽くしていたからだ。
「こ、ここは…? 一体…」
彼女は先ほどまでサービス終了直前のユグドラシルにログインしていた。
そして終了の時間が訪れ、サーバーが落ちる筈だった。
その筈だったのに――
「なぜ終了してないんだ…? コンソールは使えず、GMコールもきかない…。しかもこんな見覚えの無い場所に飛ばされているし…。参ったな…」
そう一人ごちて肩を落とした女性は、まさに絶世という言葉が相応しい端正な顔立ちをした人間種だった。
健康的な肌に長い銀髪、年齢は十四かそれ以下ほどだろうか。まだ幼さが抜け切れていないが、可愛らしさと美しさが交じり合った事によって生まれた、そんな美の結晶だ。
悩ましい表情すら美しい彼女だが、少しして目の前に巨大な存在が鎮座していた事に気が付く。
それは強大な存在感を放ちながらも不思議そうに彼女を見下ろしていた。
「おわ、ビックリした生き物かこれ。小さい山か何かかと思ったよ。でも攻撃してこないって事はイベントキャラか何かかな? まさかプレイヤーじゃないよね? ぱっと見ドラゴンに見えるけどドラゴン系の種族は選択できない筈だし…」
『※※※? ※※※※?』
「え? もしかして喋ってる? うーん、何言ってるか全然分からないな…」
『※※…』
その巨大な存在も彼女も互いの言葉を理解できなかった。
齟齬があるという意味ではなく、言語が全く異なるという意味で。
それが彼女の異世界での最初の出会いだった。
目の前にいたその巨大なドラゴン。
この世界に多数存在するドラゴン達の中でもより強大な力を持つ竜王、それらの頂点にして、最強の存在であり「竜帝」と呼ばれ恐れられていた事を彼女が知るのはしばらく後の事になる。
◇
「へえ、
竜帝の使う
そうして言葉を交わせるようになった後、彼女と竜帝は語り合った。
ここはどこなのか、彼女はどこから来たのか、互いの疑問を互いが知る限りぶつけ合い、また知る限り互いに答え続けた。
話がひと段落ついたのは何度目かの夜を迎えた頃だった。
「なるほど…。じゃあ俺がこの異世界に召喚されたのは君のせいか」
彼女のジトリとした視線に竜帝は申し訳なさそうに頭を下げるだけだった。
ただ彼女も本気で怒っていた訳ではない。
話を聞く限り、竜帝自身も事態を完全に把握している訳ではなく、まだ理解出来ていない事の方が多いらしい。この時は知る由も無いが、これらの疑問が解消されるのは数百年もの時が経ってからになる。
少なくともこの時点で彼女が分かった事は一つだけ。
現在の状況を引き起こしたのは竜帝の持つ固有の力が原因という事だけだった。
その後も紆余曲折あったものの、現状行く当ても無い彼女は竜帝と共に生きる事となった。
その過程で彼女は思い知らされる事になるのだが、この世界の竜王達は暴力でしか物を考えない種族であり対話はもちろん話し合いなど出来るような存在ではなかった。
ではなぜ彼女は竜帝と平和的に話し合う事が出来たのか。
竜王達はそのいずれもが他者を顧みない傲慢を極めたような存在であった。
そして竜帝はその竜王達の頂点にしてこの世界最強。
であるならば竜帝こそ最も傲慢であっておかしくない筈。だが物腰は柔らかく、その立ち振る舞いには高い知性や気品すら感じさせた。
この世界においてはまさに異端。
もはや異様とも呼ぶべき理由こそまさに彼女がこの世界へと導かれた原因である。
それが竜帝固有の
竜王達の中でも真なる竜王と呼ばれる上位の者のみが使用することが出来る
一言で言うならば、千里眼。
だがそれはこの世界においてではない。
それが竜帝の持つ唯一無二にして固有の
彼女がこれをすんなりと受け入れる事ができたのは、己自身が世界を渡ってきたという事もあるだろうが、異世界という存在を元々認識していた事が大きいだろう。
彼女が生きていたリアルの世界でもフィクションの中で度々登場する等、異世界という概念は珍しい物では無かった。
だがこの世界の者達には別の世界があるという概念すら存在しない。
故に誰も竜帝を理解できなかったのだ。
竜帝はこの力により他の世界を覗き見る事で、様々な知識を得る事ができた。
それこそが竜帝に教養を与え、多様な価値観を与え、数多の思想を生んだ。
さらには戦闘や戦争における戦術や戦略、組織や政治における権謀術数など多くの世界の知識を取り入れる事で強さや知能すら手に入れた。
そんな竜帝が、いくら強大とはいえただ本能のままに力を振るう他の竜王達に引けを取る筈が無かった。
次第に竜帝は竜王達の誰もが意識せず使用している
多くの世界を覗き見る事で、いつしか竜帝は命の大切さにまで想いを馳せるようになっていたのだ。
命。
強き者も、弱き者も、賢き者も、愚かな者も、それらに属さない者でさえ。
その全てが可能性を持っている。
異なる価値観、多様性。
それらが生み出すのは未来だ。
今まで存在すらしなかった概念の発見、技術の進歩、革新的な発明。
つまり、未知。
命はそれらを生み出す。
今の自分達が思いもよらないような創造、考えも付かないような発想、次元の違う思考。
きっと命はそれらへ行き着く。
だからこそ竜帝は己の持つ固有の
他世界の知識だけでなく、他世界の力を欲したのだ。
これ以上この世界の命を無為に失わぬ為に。
だが結果として、竜帝の思い通りにはならなかった。
その副産物として呼び寄せられたのが彼女であり、後の世に生き残った数少ない竜王達が「竜帝の汚物」と憎々し気に口にする存在達の最初の一人。
今後数百年続くこの世界の動乱の幕開けのきっかけとも言える。
そんな彼女は竜帝の友になった。
蛮勇を良しとし、力のみが価値であると信じる者達が支配するこの世界で未来を語り合える唯一の存在。
彼女との出会いは竜帝にとって言葉に表せないものだった。
初めての感覚、未知の感情。
今まで見た異世界の知識で自分に何が起きているかは想像出来ていた。
きっとこれが「楽しい」という感情なのだろう、と。
それと同時に竜帝は己の死の予感も感じていた。
自分が行使した
今この時も少しづつ命が削られていくのが理解できる。
身の丈に合わぬ力を望んだ代償。
それを払わなければならないからだ。
命を、未来を望んだ竜帝は恐らくそれらを見る事なく力尽きる。
だが竜帝は後悔などしていなかった。
自分がそれを見る事は出来なくとも、この世界に未来を残せた。
それだけで命を懸けた価値があると思えたからだ。
なにより、竜帝は彼女という理解者を得る事が出来たのだ。
それだけで十分と思える程に、満たされた。
◇
百年後、それはこの世界に訪れた。
風の噂でその存在の話が彼女と竜帝の耳に入るのはその数か月後。
話を聞くや否や。
「プレイヤーかもしれない」
そう口にした彼女の言葉に竜帝が身を強張らせた。
『怒っているだろうか…?』
この世界で最強の力を持つ竜王とは思えぬほど小さい声で竜帝は問う。
「それは分からないけど…、でも事情を聞いたら少しは怒るかも」
彼女のその言葉に竜帝がしゅんと肩を落とす。
「まあ悪気があった訳じゃないし、何よりまだ仮説に過ぎないからな。実際に何が起きてるか判断するには情報が足りない」
そして竜帝と彼女はそれに会いに行く事に決めた。
竜帝はこの時すでに全盛期よりも二割ほど力を失っていた。
たった二割、されど二割だ。
竜帝の膨大な力の総量を考えると二割といえど相当な力になる。
だがそれだけの力が落ちてなお、竜帝はこの世界において未だ最強だった。
その竜帝と共に彼女がそれの元を訪れた時、襲いに来たと勘違いされたのか戦闘になってしまった。
ようやく敵では無い事が証明でき、話が出来る状態になったのはそれが魔力を使い果たした後だった。
彼、その
彼がその者らと交流し情報を集めている時に集落の一つが一匹の竜王に襲われたようだ。
竜王はこの世界において畏怖の対象にして強さの象徴。
竜王が望めば命だろうが何だろうが差し出さなければならない。
それがこの世界の常識だった。
だがそんな事など知らぬ彼は、非道を見過ごせぬと竜王と戦いになったらしい。
当然ユグドラシルプレイヤーのアバターのまま召喚された彼は強く、その竜王を返り討ちにしてしまった。
その後で彼女と竜帝が来たので仲間が仕返しに来たと思われたようだ。
さらに事情を聞くと、竜王を蹴散らす存在など初めてだったようであっという間に現地の者達から英雄として担ぎ上げられてしまったらしい。
彼女と竜帝から事情を聞き、おおよその事態を飲み込んだ彼は、彼を慕う者達を連れ安住の地を目指す事を決めたらしい。
「今回は勝てたけどあんなのが何匹も出てきたら勝てそうにないしね。僕あんまり良い装備持ってないし、そもそも戦闘職じゃないんだよ。戦いもそんな好きじゃないし。だからどこか竜王達の目の届かない所で静かに暮らす事にするよ」
当初彼女は彼に共に行かないかと誘ったが、竜帝の庇護を得たとしても多くの竜王達が闊歩するこの大陸では部族の全てを守れないと判断し断られてしまった。
やがて彼は数多の種族、亜人達と共に大陸を横断し北の地の大森林へ到達したと聞いた。
いつしか彼の血を受け継ぎその特徴を継承した者達は
そして彼は後の世まで「
これが彼女と二人目のプレイヤーとの出会いだった。
◇
さらに百年後。
この時に訪れたプレイヤー達の存在は彼女と竜帝を驚かせた。
「「「にゃー」」」
猫の集団だった。
竜帝はどこかの世界で似たような生物を見た事はあったようだが実際に未知の生物を目の当たりにすると妙な感動に体を震わせていた。
だがここで彼女が最も驚いたのはギルド拠点があった事だ。
「ギルド…拠点…なのか? いや間違いない、見た事がある…。ここはネコさま大王国の…!」
かつて彼女がネットで見た事があるギルド拠点と全く同じ物が目の前にあった。
NPCをすべて猫、または猫科の動物で作っていた趣味全開ギルド。
その拠点であるファンシーな飾り付けが愛らしい猫の城が。
何人かの所属プレイヤーと出会う事も出来たのだが「猫として生き、猫として死ぬ。せっかく異世界に来たのなら余計な事はせず猫らしく或る、にゃー」と言って話し合いにならなかった。
彼らからすると猫のように自由に生きる事が存在価値でそれ以外はどうでもよかったらしい。
しかも不思議な事に彼らが存命の内はこの地で争いが起きる事は無く、竜王の魔の手が届く事も無かった。
ただ数百年の後、ギルド拠点すら風化した後はなぜかアンデッドが跋扈する荒れ果てた地となってしまった。
奇しくも、そんな状態になってさえ彼らを表す名前だけは残り続けた。
これが彼女と三組目のプレイヤー達との出会いだった。
◇
さらに百年後、この時に訪れたギルドとの出会いが彼女の分岐点となった。
『な、なんだこの者達は…! な、なんと
初めて彼らと出会ったとき、その巨体に似合わず竜帝の口から悲鳴が漏れた。
所属するプレイヤーやNPC達はその外見のみで竜帝に例えようのない恐怖を覚えさせたのだ。
強さとかそういう話ではなく、もっと違う次元の何か。
彼女はそれを
そんな彼女の説明を聞いていたそのプレイヤー達はうんうんと頭を縦に振っていた。
この言葉が良かったのか彼女はこのギルドのプレイヤー達とすぐに打ち解ける事が出来た。
「やっぱ異形種だよね」
「わかるー」
『わ、わからぬ…』
ただ竜帝だけは置いてけぼりだったが。
しばらくして彼らはギルドの上に都市を作る計画を立て始めた。
あらゆる種族の者達が交流出来る交易の地として。
だがそれは叶う事なく頓挫する。
多くの者が集まり発展し始めた頃、竜王達に目を付けられてしまったのだ。
海底都市のプレイヤー達はその外見があまりにも恐ろしい異形だった為、普段は海底に引きこもり必要な業務は代理の者に任せ、海上に出る事は無かった。
それが災いしたのだろう。
彼らが竜王達と戦う為に海上に出た後、竜王達はもちろん都市にいた味方だった者達でさえ恐怖に慄いた。
竜王すら凌駕するその存在感に現地の者達は裏切り、あろうことか竜王達と一丸となって彼らと戦う事を選んだ。
こんな恐ろしい者達が悪ではない筈がない、と。
もし彼らが本気であれば現地の者達も竜王もろとも全て薙ぎ払えただろう。
だがそうはならなかった。
海上都市を作る上で協力した多くの者達を手にかける事など出来なかったのだ。
誰にも受け入れられないと知った彼らは滅びを受け入れた。
そうして拠点は荒らされ、ギルド武器は破壊された。
ただこの時は誰もその意味を理解していなかった。
ギルドに所属していたNPC達がどうなるかなど誰も知る筈がないのだから。
結果は暴走。
彼らプレイヤーが存命中は命令に従い海底の最下層に引きこもっていたNPC達。
しかしギルド武器が破壊され、自我を失ったNPC達は海上都市の生ける者全てを滅ぼし、また攻めてきた竜王達の全てを返り討ちにした。
全てが終わった後、NPC達は無差別に破壊を行う殺戮者として世界中へと散った。
長い時をかけ、その多くが竜王や一部の強者によって刈り取られる事になるがそれには長い時が必要だった。
海上都市の惨劇を見届けた竜帝と彼女は悔やんでいた。
何か出来る事は無かったのかと。
この時すでに竜帝の力は全盛の半分以下、彼女は転移した段階で戦闘能力は皆無であり、これまで多少のレベリングはしたものの竜王とは戦いにならない程度の戦闘力しか無かった。
故に竜帝と彼女はこの戦いに介入出来なかったのだ。
何より海底都市の彼らが介入されない事を願ったという事もある。
彼女は彼らと語り合った際、己の夢を語っていた。
ただ一つの約束を叶えるという願いを。
その際に知ってか知らずか海底都市のギミックが無事ならば好きに使っても良いと許可を得ていた。
もしかしたらその時すでに彼らは自分達がいつか滅ぶのだという事を予感していたのかもしれない。
誰にも受け入れられぬ恐怖の根源である彼ら。
その運命。
ユグドラシルに存在したロールプレイに特化したギルドの最後の矜持。
いや、最後のロールプレイ。
それはきっと、この海底都市ルルイエの最下層に封印されたクトゥルフの復活。
だが肝心のボスとして設定されていたクトゥルフはすでにユグドラシル時代に倒されている。
最下層に封印されている者など誰もいない。
誰かが新しいクトゥルフにならぬ限りは。
◇
数百年後。
『…本当にやるのか?』
「うん。ギルドは破壊されたけどギミックはまだ生きてる。だから君の
海底都市の最下層にある巨大な水槽の前で彼女は語る。
「俺はここで待ち続ける…。でも正直叶わない気もしてるんだ…。あれからこの世界に訪れるプレイヤーやギルドの法則を考えた…、最も濃厚である仮説は
くしゃくしゃの表情を浮かべる彼女。
「まだ来てないだけかもしれない…。だが、必ず来るという保証はどこにもないんだ…。もしサービス終了前に大規模な攻略戦があったら…? もし
『………』
「俺の夢が、約束が叶う保証なんてどこにもないんだよ…。そんな事の為にこれからまた何百年も生き続けなきゃならないのか…? 誰かが来るたび、海底都市の彼らのような最後を何度も見続けなきゃいけないのか…?」
『…、――』
竜帝が彼女の名を呼びかけるが、すぐに彼女の言葉が被せられる。
「もう、疲れたんだよ…。それに、君も限界なんだろう? 生命力が尽きかけているのが分かる…。未だ発動中で君の生命力を消費し続ける例の
彼女の言う通り、竜帝の命は尽きかけていた。
千里眼という能力しか無かった筈の竜帝の
だが数多世界の知識を得た竜帝はそこから一歩進む事に成功したのだ。
世界の壁を破り、他世界に干渉し力を引き寄せた。
本来は力のみを手に入れ、この世界の為に使う為だった。
しかし、現実はそうならなかった。
力、と呼ぶに相応しい
時空の穴を開け他世界から力そのものを呼び寄せたのか、あるいはその力を読み取りこの世界で再構築したものなのか、竜帝でさえその全ては理解していない。
ただ一つハッキリしているのは竜帝の全生命力を行使してなお、まだ足りないという事だ。
「俺は君の死なんて望んじゃいない…。例の
『当然だ、私の目が黒いうちは君を死なせたりはしないよ』
「だからこその妥協案だ。この海底都市の最奥のギミック、水槽の機能はまだ生きている。俺が聞いた限りだと効果は、生命の冷凍保存装置とでも言うべきか。厳密には冷凍ではないから正しくはないけどね…。それで俺はこの中で永遠に夢を見続ける、決して叶わぬ甘い夢を…」
『……』
「だから君が俺にかけている不老の魔法ももう必要ない。この水槽の中にいる限り時が進む事は無いからね。それに元々は寿命のある人間種の体、数百年も生きながらえた事の方が不自然なんだ…。仮にこの水槽の故障や何かで死んだとしても後悔は無いよ」
彼女は竜帝を見つめ、ニコリと笑いかける。
「これからは好きに生きろよ。今まで俺や他のプレイヤーの事を気にして生きてきたんだ、やっと解放されるんだぞ? やりたい事も沢山あっただろうに」
『…、分かった。私も好きにさせて貰う事にする』
「そうしなよ、あの竜王辺りを見習ってさ」
『
「ハハッ! それが好きに生きるって事だろ? 他人の目なんか気にするなよ」
『……、そうだな、そうかもしれん…』
彼女と竜帝はそうして
「さようなら、友よ」
『うむ、さらばだ我が友』
彼女が巨大な水槽の中に身を投げる。
水面で水しぶきを飛ばし、気泡に包まれながら沈んでいく。
やがて沈みきった所で彼女の瞳が徐々に閉じていく。
次第に何も聞こえなくなり、やがて彼女の意識が途切れた。
それが彼女と竜帝の別れだった。
『君には言っていなかったが、私の
◇
竜帝は豊かな大自然が広がる大地を眼下に眺めていた。
そこはかつて猫の王国が転移した深緑の地。
『あの王国が滅んでから久しいが、未だ自然に包まれたままか…。もしかすると拠点の力がまだ残っているのか…。ならば好都合か…、かつてこの地を支配した君たちには申し訳ないが…、すでに滅んだ後。どうか許してくれ』
竜帝は大地に穴を開け、奥深くまで潜っていく。
『おお、素晴らしい力を感じる…。やはりギルドの存在が大地に影響を与えていたのか…。これはその名残…』
猫の王国のギルドは滅んだ後にもその地に魔力を残し続けた。
やがて大地がその魔力を吸い、広大な大自然を作り上げたのだ。
『友よ、どうか君の願いが叶いますように。地の底から願っているよ…』
そうして竜帝は大地の奥深くでその意識を手放した。
最後まで
これは究極の省エネなのだ。
動く事をやめ、意識も思考も、何もかもを手放す。
植物の、いやそれ以上に生きているというだけの物体となり果てる。
ただ命だけを繋げる極限の生命維持。
さらには周囲の大地から生命力を吸い上げ、それを
そうして竜帝は
永い時と共に大地は涸れ果て、生命力が吸われ続けた大地はアンデットが跋扈する荒れ果てた地へと変貌した。
後の世でなぜこの地がこれほどまでに不毛なのか知る者は未来永劫いない。
竜帝が姿を消してしばらくすると、竜帝は死んだのだと誰かが噂した。
それを疑う者はどこにもいなかった。
息子であるツアーでさえ父は死んだのだと思っている。
それも当然だろう。
彼が生きた屍となり未だ大地の奥深くで眠っているなど誰にも知りようがないのだから。
◇
数百年後。
その間、彼女は何度か起こされた。
六大神や八欲王、偽りの姫君らによって。
いずれも協力はしなかったが。
その中で最も記憶に新しいのは十三英雄と名乗る者達だ。
魔神を倒す為の協力を求められたが彼女の戦闘力は高くなく、装備すら無い。
何より甘い夢を見続けたいが為に十三英雄の誘いは断る事になったがいくつか助言はした。
その中でも十三英雄のリーダーを名乗るプレイヤーとの
以前とは違い、随分と貧弱な姿だった。
しかし彼の顔には並々ならぬ意思と覚悟が見えた。
かつて見た時とは印象が全く違う。
ああ、死ぬつもりなのだなと彼女は思った。
過程がどうあれ死を選べる事を少し羨ましいと感じた。
だが彼ならばここに来ても彼女は助けにならないと知っている筈なのに。
もしかしたら、最後に誰かに胸の内をさらけ出したかったのかもしれない。
愚痴を、泣き言を零したかったのかもしれない。
今の仲間達に言えぬ呪われた秘密を。
そんな彼と話す事で自分が眠ってから世界で何が起きたのか断片的にだが情報を入手する事が出来た。
六大神の滅びと彼らを信奉する者達の国。
八欲王が世界に残した傷跡。
忠実なる騎士と共にある水晶の城の姫君。
幾多の伝説を残すゴブリン王。
大森林に居を構える天然の要塞、
そして、今世界を襲っている魔神の脅威。
随分と世界は荒れ、また変わったらしい。
それと同時に未だ彼女の待ち人は来ていない事も理解できた。
そもそもどうしてまだプレイヤーが訪れ続けているのか、という疑問は残るが待ち人が来ていなければ意味は無い。
彼女は再び眠りに付いた。
◇
最後に起こされたのは一人の老婆が訪れた時だ。
「儂はリグリット、リーダーの友人じゃ。いきなりですまんが世界を救うためにどうか儂らに力を貸して貰えないじゃろうか?」
眠りから目覚めると同時に永い時を経ている事を彼女は知覚する。
リグリットという老婆と少しの会話をし、再びプレイヤーが訪れた可能性がある事を聞いた。
その際には親し気な言葉使いではなく他人行儀な言葉使いを意識した。
もし仲良くなってしまえば、別れる時がつらいから。
相手の懐に入らぬように、また入られぬように、突き放し気味に。
そんな中、彼女は不思議に思う。
(どうして未だプレイヤーが訪れ続けている…? 竜帝は
その時、ハッとなり彼女は魔法を唱える。
それは<
連絡先は当然、竜帝。
「……っ!」
<
相手からの応答は無いが繋がっている事は理解できる。
つまり、竜帝はまだ生きている。
生きているという事は
そうでなければ竜帝は生きている筈がないのだから。
しかし止まっているのならばプレイヤーが訪れ続けているのはおかしい。
だがどれだけ待っても、どれだけ問いかけても竜帝からの返事は無い。
彼女の疑問に答えてくれる者はいない。
ふと次の瞬間、<
彼女は慌てて再度<
「繋がらない…、いや、これは…」
感覚で分かる。
先ほどまで繋がった筈の<
(馬鹿な…! さっきは繋がったのに今は対象が存在しない!? そんな事が…。あ…)
少しして理解が追いつく。
これを説明できる状況が一つだけ考えられる。
余りにも判断材料が少ない。
間違っているかもしれない。
だが、否定も出来ない。
おそらく、
(死の間際だから返事が出来なかったのか…? あれから数百年経ったとしても竜帝が寿命で死ぬという事は考えにくい…。ならば病死? あるいは誰かに殺された? いや、待て…。そもそも未だにプレイヤーが訪れている理由はなんだ? 俺の仮説が間違っているならばいい。だがもしそうでないのなら…)
可能性の一つでしかないが、彼女は真実に迫っていた。
(まさか…、
彼女の顔からブワッと汗が噴き出る。
しかし幸いか、彼女は巨大な水槽の中で水中に浮かんでいるのでその汗が視認される事は無い。
つまり水槽の外から眺めているリグリットは彼女の様子には気が付かない。
(このまま永遠に夢の中でも、死んでも構わないと思っていた…。だが、そうか…。終わった、のか…。今回が最後のプレイヤー…。ああ、怖い…。もし違ったなら、来ていなかったなら…)
きっと、彼女は壊れてしまう。
夢が叶わないという現実が、死よりも怖い。
希望だけが、それだけがただの人間である彼女が何百年もの間、その精神を保ち続けられる事ができた理由なのだから。
水槽から出るのが怖い。
ここから出れば、きっと全てが終わる。
現実を直視しなければならなくなる。
なぜ彼女はここまで臆病になってしまったのだろうか。
長い時で摩耗した人間性、新たな友の喪失、同じプレイヤーだった者達の悲惨な最期。
全てが恐ろしく、また耐え難い。
そんなに恐ろしいのならば自殺でも何でもすれば良かったのだ。
だが彼女には出来ない。
死を選ぶ事は、希望を捨てる事は、かつての仲間を、様々な者達を裏切る行為なのではないかという疑念に囚われているからだ。
だから、自殺が出来るのは希望が潰えた時だけだ。
絶望した時のみ。
そんな彼女にとってこの水槽の中は非常に心地が良かった。
希望は捨てずに済み、また現実を直視する事も無く、甘い夢の中でずっと揺蕩う事が出来る場所。
だが、そろそろ出なければならないのだろう。
夢はいつか覚めるのだ。
このまま眠り続けてもいつか終わりは来る。
絶対に避ける事は出来ないのだから。
眠っている間に誰かが殺してくれたのなら楽だったのに。
そもそも竜帝が何らかの方法で生き永らえていたとしたならばそれはなぜだろうか。
決まっている。
彼女の夢の為だ。
いつか語り合った話の一端、それを覚えていたのだろう。
断定は出来ないが、竜帝の事を知っている彼女からすれば他の可能性は考えにくかった。
(馬鹿野郎、好きに生きるって言っただろうが…)
彼女の背がわずかに押された気がした。
竜帝の事を思い出すと、少しだけ勇気が湧いてきたのだ。
何より、竜帝が死んだ事で現実は決定した。
今回が最後のプレイヤーになるのならばもう現実は覆せない。
甘い希望も持てない。
直視するしか、ない。
(もし俺の為にここまで魔法を発動し続けてくれたとしたなら…、それを無碍には出来ないよな…)
現実と対面する。
それは恐怖であり、絶望。
しかしそれと直面する事こそが彼女の最後の仕事なのだろう。
かつて竜王達に世界は荒らされ、それに抗った竜帝。
だが結果は多くのプレイヤー達による動乱を巻き起こした。
世界は悪くなったのか、また良くなったのか。
それは視点次第だろう。
絶望と共にそれを眺めるのも悪くない。
もう腹を括るしかないのだ。
そう。
「ここらで終わりにするというのも悪くないかな…?」
彼女は手元にある『二十』をじっと眺めながら小さく呟く。
ここに来てやっと、紆余曲折の果て、彼女は前に進む事を決めた。
彼女にとっての星辰が整ったのだ。
『クトゥルフの呼び声』という小説にて語られた海底都市ルルイエ。
その奥深くに封印されているクトゥルフ。
復活した暁には地上を支配すると言われている。
恐らくそれは間違っていない。
きっと彼女の存在は、いや、その思想は――
この世界にとっての
やはり期間が開き過ぎると鈍りますね、今回のような短編でないと纏めるのに凄い時間がかかりそうな印象でした
それと本来は書く予定のない話だった為、今までの話で出てきた「海上都市」絡みの話と多少重複する箇所があるかもしれません
とまあ色々言い訳がましい後書きになってしまいましたが次回からはちゃんと本編の続きを書いていければなと思っております
以前活動報告にも書かせて頂きましたが色々と大変な世の中になってきていると感じています、みんな長生きしましょう
どうかこれからも長い目で見守って頂ければなと思います