弱体モモンガさん   作:のぶ八

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前回のあらすじ

ズーラーノーンもといスルシャーナ死す!
そして明かされた世界の真実と暗躍する海上都市の彼女!


災厄の日 - 前編 -

 竜王国、首都。

 

 

 王城の玉座の間でドラウディロンが配下からの報告を受けていた。

 ビーストマンの大侵攻により滅ぶと思われていた都市は健在、それどころかビーストマンの軍勢が全滅するという不可解なもの。

 女王であるドラウディロンはもちろん、横にいる宰相にも何が起きたか分からなかった。

 ただ少なくとも、ビーストマンの軍勢を滅ぼした何者かの存在の可能性が浮上し混乱は大きくなっていく。

 その時、玉座の間の扉が勢いよく開け放たれ一人の兵士が飛び込んで来た。

 

「へ、陛下大変でございますっ!」

 

「何事か」

 

「と、突如城の頭上に、な、なんと申し上げたらよいか…、暗闇…、そう暗闇のような何かが出現し…」

 

 だが兵士が言い終える前に城が揺れた。正確には揺れてなどいないのだが城全体が、むしろ大気が揺れたかのように錯覚する程に強い衝撃をここにいる者全てが感じたのだ。

 多くの者が動揺する中、危機を感じたのはドラウディロン女王ただ一人。

 それは竜の血がそうさせたのか、恐らく彼女ただ一人だけがこの状況の理解に最も近い場所にいた。

 すぐに玉座から飛び降り、近くの窓へと駆けるドラウディロン。

 空を見ると兵士からの報告にあった漆黒の闇のようなものが確かに浮いていた。

 ただ一つ、報告と違ったのはそこから何者かが這い出てきた事だけだ。

 

「――っ!」

 

 ドラウディロンは息を呑み、そして一瞬で全てを悟る。

 一目見ただけで理解できたのだ。

 あれ狂う程の殺意、そしてこれから起こる惨劇に。

 彼女の血が、祖父から受け継がれた竜の血が騒いでいるように思えた。

 あれはこの世界に仇名す者だ――と。

 

「み、皆すぐに逃げよ! はや――」

 

 しかし眩い程の閃光、衝撃と共にドウラウディロンの言葉はかき消された。

 今度は錯覚などではなく、実際に大気が揺れた。

 王城の頭上に突如現れた暗闇から這い出た何者かが魔法を放ったのだ。

 それは王城の一角を容易く吹き飛ばした。

 人知を超える魔力、体が悲鳴を上げそうな程の威圧感、そして、竜王達に匹敵するかのような強大さ。

 そう、暗闇から這い出たこの者こそ八欲王の作りしNPCたる都市守護者。

 

 さらに続けて数百をも超える数え切れぬほど有象無象が暗闇から零れだした。玉石混交とも言うべきか、弱き者から強き者まで様々。強者の中には最初に現れた数体には及ばぬものの、中には一体だけで国を滅ぼす事が可能な者までいる。

 ユグドラシル基準では雑魚と呼んでも差し支えない者達ではあるがこの世界においては違う。

 これらの有象無象は都市守護者達と共に天空城の一室に隔離されていた者達である。かつて八欲王が金貨を消費し召喚した数多の傭兵モンスター。本来は拠点を守護する為に召喚された者達ではあるがもはやその使命すら消え失せている。

 今や都市守護者に付き従い、彼等と共に世界を蹂躙する事こそ存在理由。

 個としても圧倒的な強さを誇る者達が、数の暴力でもって国を襲うのだ。

 元々ビーストマン程度の脅威に怯えていた竜王国に抗える筈などない。

 

 だがこれは竜王国だけの話ではない。

 都市守護者達は多くの生命に反応し、転移魔法により世界中へと散った。国家と名のつくような場所であればそのほとんどがターゲットといえる。あらゆる都市を蹂躙し国を滅ぼせば次は辺境の村にも手を広げるだろう。そうして周囲のあらゆる者達を滅ぼせば次は大陸の遠くまでも手を伸ばす。

 世界中のどこにも逃げ場などない。

 

 それはかつて世界を恐怖に陥れた魔神の再来とも言えよう。

 もし唯一違う点を上げるとするならば、規模が比較にならない事だ。

 魔神達はこの世界の者でもかろうじて討伐可能な者も多くいた。

 しかし彼等は違う。

 100レベルを誇るNPCが30体。

 さらには数千、いや万をも超えるユグドラシルのモンスター達。

 

 もはや世界の危機と呼ぶ事すら烏滸がましい。

 絶望という言葉すら足りない程の窮地である。

 

 

 

 

 元リ・エスティーゼ王国にして、現帝国の支配地であるリ・エスティーゼ領。

 

 同時刻、このリ・エスティーゼ領の中心である元王城、その頭上に竜王国と同じように大きな暗闇が出現した。それは<転移門(ゲート)>、ユグドラシルにおける最上位の転移魔法である。これを使用できる者がいるという一点のみでこの領の滅亡は約束されたと言ってもいい。

 <転移門(ゲート)>から姿を現したのは見るもおぞましい二体の悪魔。

 彼等の合図と共に<転移門(ゲート)>から数え切れぬ程の無数の悪魔達が這い出る。それだけでは飽き足らないのか、二体の悪魔が<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>をそれぞれ発動する。

 発動と共に悪魔の周囲にボコボコと黒い泡のようなものが発生し低レベルの悪魔達が姿を現す。

 

 <最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>は使い勝手の悪い魔法である。

 大量の悪魔を召喚できるが個々があまり強くない。とはいってもそれがユグドラシル基準の話だ。レベル10程度からレベル70程までの悪魔を順次召喚していくこの魔法はこの世界においてそれだけで凶悪だ。

 だがこの魔法の最も扱いにくい点は召喚された悪魔達が操作や命令を受け付けない事だろう。故に味方として悪魔達を召喚できないのだ。

 しかしこの場においてそのデメリットは意味を成さない。

 召喚主である悪魔を含め、その配下も全てが悪魔である。味方ではなくとも同種である悪魔への攻撃優先順位は低い。その為、この場においては同士討ちにはまずならない。少なくともこの地の人間達を滅ぼすまでは。

 

 そうして一瞬にして無数の悪魔達が都市全域を覆った。

 

 彼等は思い思いに行動する。無作為に魔法を発つ者、スキルを建物目掛け発動する者、強者を狙う者、弱者を狙う者、果てには傍観する者まで。

 そんな彼等ではあるがただ一つ共通している事がある。

 

 その誰もが人間の苦痛に歪む顔を見たくてしょうがないという事だ。

 

「ラナー様!」

 

 とある建物の一室、鎧を来た青年が大きな声で名を叫びながら入室する。

 

「どうしたのクライム。もう私は王族ではないのですよ、様付けなど…」

 

「わ、私にとってラナー様はラナー様です! 王女であったから貴方に仕えていた訳ではありません! 私は王女ではなく、ラナー様! 貴方個人に忠誠を誓ったのです! それは今でも変わっていません!」

 

「まぁ…」

 

 かつてリ・エスティーゼ王国の王女であったラナー。王国が帝国に併合された後、国民からの支持が厚かった彼女は皇帝であるジルクニフから直々に爵位を与えられた。排斥された王族に爵位を与えるなど前代未聞であったが帝国がこの地の支配を盤石なものとする為の判断だった。

 実際これはかなりの英断であり、王国民の帝国への不信感も消え絶大な支持を受けるに至った。結果として王国併合の初動としてはかなり上手くいったと言えるだろう。

 疑問があるとするならそれが本当にジルクニフの判断によるものか、それとも黄金によって誘導されそうせざるを得なくなったかだが真実は分からない。

 一つハッキリしているのはこの統治は王国、帝国の両者共に良い結果であったという事だ。

 この瞬間までは。

 

「あっ! そ、そんな事を言っている場合ではないのです! すぐに逃げて下さい! 都市中に突如として悪魔が出現したのです! ここもいつ襲われるか…!」

 

 クライムの必死な形相を見てラナーは目を通していた書類をそのままに席を立ちカーテンを開け窓を見た。

 その瞬間だった。

 

「っ!?」

 

 轟音と共に王城が爆発した。

 王城の一部が吹き飛び、黒煙が立ち上る。

 さらに空には無数の黒い影、鳥か何かかと目を凝らすがすぐにその正体に行き着く。

 黒い羽に黒い体、角や牙を生やしたそれらは個体によって様々だがいずれも醜悪な見た目をしている。詳しくは知らなくともそれが悪魔であると一目で理解できた。

 

「も、もうここまで…! くっ、ラナー様失礼しますっ!」

 

「きゃっ」

 

 クライムはラナーの手を引っ張り抱き寄せるとお姫様抱っこのように持ち上げた。

 

「ク、クライム…?」

 

「喋らないで下さい! 舌を噛みます!」

 

 そうして有無を言わさず無理やりラナーを連れ出し走るクライム。

 本来ならば逃げ惑う民達を誘導したりしなければいけない立場なのだが彼は本能で理解していたのだ。

 もうこれは彼の力でどうこう出来る次元の話ではないと。

 だからこそ他のあらゆるものを犠牲にしてでもラナーだけを守ろうと動いたのだ。

 ただ、彼のそんな努力が実を結ぶ事は決してないだろうが。

 

 

 

 

 突如出現した悪魔達と冒険者達が都市の至る所で戦っていた。

 それは蒼の薔薇とて例外ではない。

 

「くそっ! なんなんだこりゃあ! こんなのキリねーぜ! どうすんだリーダー!」

 

 ガガーランが目の前の悪魔を潰しながらラキュースに問いかける。

 

「で、でも私達が下がれば逃げ遅れた人達が…!」

 

 しかしすでにそんな事を言っていられる状況ではなかった。

 悪魔の数はどんどん増え続け、今やその数は見える範囲だけでも数え切れない程に溢れている。実際に蒼の薔薇の目の前でも何人かの人々が悪魔に喰われ殺されていた。

 

「だ、誰か助けっ、ぎゃあぁぁぁ!」

 

「や、やめて死にたくなぁぁぁ!」

 

 その身を裂かれ、臓腑を撒き散らし、悲鳴を上げ次々と絶命していく人々。

 だがそれを止める事など出来ない。

 蒼の薔薇達自身も数多の悪魔に囲まれ動けずにいたのだ。

 圧倒的に手が足りない。数も力も何もかもが足りないのだ。故に目の前で助けを求める人々さえも救えず、悔しさに歯噛みするしかない。

 

「リーダー! もう無理…!」

 

「下がるしかない…!

 

 ティアとティナがラキュースへと発言する。

 しかしラキュース自身がそれを認めたくないのかその場から動かない。

 

「判断しろリーダー! イビルアイ抜きの俺らじゃこれ以上耐えきれねぇ! 悪魔の数もそうだが…、どんどん強い奴が出て来てる…! このままいきゃあ俺らだって無事に済まねぇぞ!」

 

 襲いかかる悪魔を捌きながらガガーランが叫ぶ。

 

「でも! だからって! 目の前で助けを求めてる人達があんなにいるのに…!」

 

 泣きそうな顔でラキュースが声を上げる。

 今この瞬間も悪魔達の手によって多くの人々が殺されている。それを止める事もできない己の無力さに心から悔しいとラキュースは思う。あまつさえ彼等を見捨ててここから逃げるなど考える事すら苦痛だった。

 

「駄目、リーダー…!」

 

「このままじゃ全滅する…!」

 

 増える悪魔達を捌き切れずにティアとティナが弱音を吐く。いや弱音などではなく現実を理解しているからこその言葉だろう。

 

「……っ! 分かった! この場から撤退する! 前線を下げるように周囲の冒険者達にも…!」

 

 そうして一緒に戦っていた他の冒険者達へと目を向けるラキュースだが。

 

「あっ…」

 

 彼女達の周りにはもう生き残っている冒険者達はいなかった。何チームもいた筈なのにこの場で生き残っているのは彼女達だけである。

 

「そ、そんな…、嘘でしょ…」

 

 唖然とするラキュース。

 多くの仲間達を失った絶望感と、目の前に広がる悪魔の軍勢。

 そして気づく。

 自分の判断が遅れたおかげですでに蒼の薔薇は完全に悪魔達に包囲されていた。逃げ場などない。そう確信し、仲間達に申し訳ない気持ちが湧いてくる。

 

「皆…、ごめん、私のせいで…」

 

 謝罪の言葉を口にしようとするラキュースにガガーランがゲンコツを喰らわせる。

 

「ウジウジすんな! 誰もリーダーの事を責めようなんて思ってねぇよ! そんな事してる暇あったらここで一匹でも多くの悪魔を殺してやるってんだ!」

 

 男気溢れる発言をしたガガーランが悪魔達に斬り込もうとした瞬間――

 

「<六光連斬>!」

 

 複数の悪魔の体が一瞬で何度も切り裂かれ、血を吹いて倒れる。

 その向こうに一人の男の姿があった。

 

「ガゼフのおっさん!」

 

「生きていたか! こっちだ! ついてこい!」

 

 蒼の薔薇を誘導しようと手を向けるガゼフだがその後ろに新たな悪魔が接近していた。

 

「おっさん危ねぇ!」

 

 そうガガーランが叫ぶと同時に素早い影のような何者かが距離を詰める。

 

「<神閃>!」

 

 知覚できぬ程の速い剣閃。蒼の薔薇には一瞬何かが煌めいたようにしか見えなかった。

 次に刃物を鞘に納める金属音のようなものが聞こえる。

 音が聞こえた後、一呼吸おいて悪魔の上半身と下半身がズレた。

 芸術的なほど見事に両断された悪魔の体が倒れ、地面に伏した後に思い出したかのように血を流す。

 

「油断しすぎだストロノーフ、蒼の薔薇を見つけたからって気を抜くんじゃない」

 

「す、すまないアングラウス。助かった」

 

 ガゼフは横に立つ青髪の男に礼を言う。

 

「アングラウス!? アングラウスってあの!?」

 

「そこでたまたま出会ったんだ、と、今はそんな事を言っている場合じゃない。逃げるぞ!」 

 

 余計な問答など無く、ガゼフの誘導する通りに蒼の薔薇は後を追う。

 道中にはガゼフとアングラウスが斬り殺したであろう悪魔達の死体がいくつも転がっていた。

 

 元王国最強であったガゼフ・ストロノーフ。かつてそのガゼフと互角の戦いを繰り広げたブレイン・アングラウス。さらには冒険者として最上であるアダマンタイト級の蒼の薔薇。

 人類で最高位である彼等が揃っても逃げる事しか出来ないこの惨状。

 このままいけばリ・エスティーゼ領は二度滅ぶ事になるだろう。

 この悪魔達に抗える者など誰もいないのだから。

 

 

 

 

 レエブン侯は頭を抱えていた。

 判断が遅れ己の屋敷から逃げ出せずにいたからだ。

 

「旦那、外は悪魔だらけ…。奥さんや子供を連れて逃げるのは…、不可能だ…」

 

 ロックマイアーがレエブン侯を諭そうとする。もうこの屋敷にいる者達は誰も生きて逃げられない。どれだけ足掻いてももはや無駄なのだと。

 

「だ、駄目だ駄目だ! 絶対に駄目だ! リーたん…、リーたんだけでもなんとか逃がす方法は無いのか…! 私の事など見捨ててもいい…、リーたんだけでも…!」

 

 愛しい我が子を抱きしめながらレエブン侯が声を張り上げる。

 だがもはやそれが無理な事はレエブン侯とて理解していた。ただこの現実を受け入れたくないのだ。

 

「い、痛いよパパ…」

 

「ご、ごめんねリーたん…! 力が入り過ぎちゃったんだ…! ごめんね、うぅぅぅうっ、こんなパパを許してくれ…」

 

 力強く抱きしめていた手を緩めながらレエブン侯が言う。しかし後半は涙声になってまともに発声できずにいた。自分が悪魔達にもっと早くに気付けていれば逃げられたのではないかと思うと悔やんでも悔やみきれないのだ。

 しかしこれも致し方ない事だろう。

 レエブン侯の屋敷は元王城からそう遠くない。悪魔が出現してから逃げ出せる時間など無かったのだ。

 

「ねぇ、パパ…。僕たち…死んじゃうの…?」

 

 息子の言葉がレエブン侯の中に響く。

 

 いやだ――

 何よりも可愛い我が子の命がもうじき失われるのだ。

 ここに残った事が間違いだったのか。

 王国が滅んだ後、どこか遠くへ、貴族としての地位など捨て遠くへ行けば良かったのかもしれない。

 それか王都が滅んだあの夜、怪我を負い死にそうな息子を助けてくれたあの仮面の男。

 あの男から貰ったポーションをいくらか手元に残しておけばここから強行して逃げる事も可能だったかもしれない。

 しかしそれは出来なかった。

 神の血を示す真なるポーション。

 それをもたらしてくれたあの仮面の男をレエブン侯は神か何かだと信じている。

 だからこそ仮面の男の言葉通りに他の者達を救う為にこの破格のポーションを使う事を厭わなかった。

 勿体ないと思わないと言えば嘘になる。

 しかし奇跡のように自分の息子は確かに救われたのだ。

 だからこそ私欲の為に彼を裏切ろうなどとは欠片も思わなかった。

 だが今になって思う。

 もしあのポーションが手元にあれば結果は変わったのだろうか。

 この部屋に残っているのは空になったあのポーションの瓶だけだ。

 空瓶になど何の価値も無い。

 装飾の美しさは目を見張るものがあるがそんなものは今は関係ない。

 もう一度都合よくあの仮面の男が助けてくれると願うのは求めすぎだろうか。

 レエブン侯はこの絶望的な状況でかつてあった奇跡に縋るしかなかった。

 それが傲慢で、身勝手だとしても。

 

 だがレエブン侯の願いは届かない。

 やがて屋敷の扉が壊され悪魔達が侵入してきた。

 直後に、目の前で使用人の何人かがその身を引き裂かれ絶命した。

 もうじき悪魔の手は自分や息子にも及ぶだろう。

 レエブン侯は祈る。

 もう一度、もう一度だけ助けて下さいと心から願う。

 真なるポーションをもたらした謎の仮面の男。

 神にも等しきあの存在ならば、と。

 

 しかし決してその願いは叶わない。

 レエブン侯が祈った仮面の男。

 それは遥か遠くの地、エリュエンティウで命を落としているのだから。

 

 

 

 

 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。

 

 

「な、なんだこれは…! わ、我が領地が…、我が都市が…! 我が民が…!」

 

 皇城から都市を見下ろすジルクニフは愕然としていた。

 部下からの報告で城の上空に謎の暗闇が出現し無数の魔物が現れたと報告を受けたのだ。

 それはほんの少し前の話。

 にもかかわらず。

 城から見下ろす都市の一部がすでに焼け野原となっている。

 暗闇から這い出た最初の魔物。

 強大な力を有し巨躯を誇るそれは姿を現すなり口からブレスを吐き出した。

 それにより一瞬で都市は半壊。

 多くの人々が叫び声を上げる間もなく消し炭となったのだ。

 

「へ、陛下! すぐに逃げるんです! ここじゃいい的だ! この城を攻撃されたら一巻の終わりです!」

 

 帝国四騎士の一人であるバジウッドが茫然としているジルクニフを無理やり引っ張り出す。

 

「し、しっかりして下さい陛下! こういう時こそ冷静でいないと! それが貴方でしょう!」

 

 ニンブルがジルクニフを諭すように苦言を呈する。

 その言葉で我に返ったのかすぐにジルクニフは指示を出す。

 

「う、うむ。よし、全軍団に通知を出せ! 全軍は即座に帝都から撤退! 生き残った民を誘導しながらだ! じい、いるか!」

 

「ここに」

 

 フールーダがニンブルの後ろから姿を現す。

 

「魔法省の者すべてを動員し道を作れ! ここからなら北側を目指した方がいいだろう。民や軍、あらゆる人間が同時に逃げるのだ。道を広げねばならん。邪魔な建物や壁は全て壊して構わん! どんな手段をとってもいいから道を作れ! そうしなければ人が詰まって終わりだ!」

 

「かしこまりました、すぐに」

 

 そう言うとフールーダは窓から外へと飛び出すと<飛行(フライ)>で飛んで行く。

 

皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)は四騎士と共に私に付き従え! 皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)は城から逃げる者達を誘導せよ! その際にロクシーは必ず連れ出せ! あいつを失うわけにはいかん! ナザミは白銀近衛を連れ先行してくれ! 城から逃げる者達の道線を作らねばならん!」

 

 ナザミと指示を受けた部下がすぐに走って外へと出ていく。

 

「へ、陛下…、お言葉ですが全軍で撤退するのですか…? その際の天幕や食料の準備などもありません…! それに市民が逃げる道を作らせる為とはいえ北側の建物の破壊を命ずるとは…。後で貴族達になんと言われるか…!」

 

 秘書官であるロウネがジルクニフへと疑問をぶつける。しかしジルクニフは窓の外を指差しながら叫ぶ。

 

「馬鹿かロウネ! あれを見ろ! あれを誰がどうできると言うのだ! 我が軍団なら倒せるとでも!? 都市の一部を一瞬で焼け野原にするような者相手に! 帝国の滅亡がかかっているのだ! 今は後の事など考えている場合ではない! すぐにでもこの帝都から逃げねば殺されるだけだ! すぐに馬車の準備をさせろ! 急げ!」

 

 ジルクニフの命令を受けロウネがすっ飛んでいく。

 ここで一息ついたジルクニフが横にいるレイナースへと視線を向ける。

 

「レイナース、逃げたければ勝手に逃げていいぞ。好きにしろ。命の危機があれば無理に従わなくてもいいという約束だったしな。それに呪いが解けた今、帝国に固執する理由もないだろう?」

 

 かつて長い金色の布が顔の右半分を覆っていたレイナースだが今は違う。

 すでに覆っていた布は無く、顔の全てが露出しその端正な顔立ちがハッキリと見て取れる。

 

「お断りします、最後まで陛下に付き従いますわ」

 

「ほう、驚きだな。お前がそんなに義理堅かったとは知らなかった。実際呪いが解けた後は軍を辞めようとも考えていたのだろう?」

 

「それは否定しませんわ。しかしこの状況において自分一人で逃げる方が生き残る確率は低いとみています。大人しく陛下の元にいた方が万が一にも生き残れるかと。せっかく取り戻したこの美貌、無駄にしたくありませんので少しでも確率が高い方に賭けます」

 

「そうか、お前らしいな」

 

 苦笑しながらジルクニフは歩く。

 廊下を通り、階段を降り、馬車のある裏口までたどり着いた時、轟音と共に周囲の壁が吹き飛び何者かが侵入してきた。

 

「っ…!」

 

 今やあの暗闇から多くの魔物達が這い出ている。

 その魔の手がここにまで及んだ。

 もはや逃げる事は叶わない。

 兵士達の叫び声が上がる。

 

「う、うわぁぁあ!」

 

「へ、陛下っ! に、逃げっ…!」

 

 横に止めていた豪奢な馬車が一撃で弾き飛ばされ粉砕された。

 その際に馬車を引いていた二体のスレイプニールも御者と共に肉塊となり吹き飛ばされる。

 

 現れたのはライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つ巨躯の生物。

 ユグドラシルでキマイラと呼ばれている最上位モンスターである。

 

「……っ!」

 

 絶句するジルクニフ目掛け、キマイラが口を大きく開ける。

 他の四騎士や兵士達も突然の事に動けず硬直している。

 

「ここまでか…」

 

 己の死を悟り、諦念と共に小さく呟くジルクニフ。

 次の瞬間、キマイラの口から炎のブレスが吐き出された。

 

 

 

 

 ローブル聖王国、首都ホバンスの大神殿。

 

 

 国の中心である神殿から見下ろすと都市の至る所から火の手が上がり、人々の助けを呼ぶ声が木霊していた。

 

「カルカ様! すぐに逃げなければ! 早く!」

 

 名を呼ばれた女性はローブル聖王国の聖王にして聖王女であるカルカ・ベサーレス。

 その美しさは「ローブルの至宝」と評されるほど。

 

「し、しかしケラルト…! 民が…! 人々が…!」

 

 カルカの悲痛な叫びと共に名を呼ばれたのはケラルト・カストディオ。聖王国の神官団団長であり、神殿の最高司祭。第五位階までの魔法を行使可能で英雄の領域に及んでいる強者である。

 

「聞き分けて下さい! もはや民の多くは救えません! 戦いを挑んだ聖騎士団は全滅! 九色もそのほとんどが安否不明で壊滅状態です! せめて貴方だけでも逃げなくては!」

 

「そうですカルカ様! 口惜しいですが…、あれはもう我々がどうにかできる存在では…! くそおっ!」

 

 怒りの言葉が口から吐き出され、壁を勢いよく殴りつけたのはレメディオス・カストディオ。聖騎士団長であり九色の白色を賜っている。ケラルトの姉であり、聖騎士として歴代最強と謳われる実力者。

 しかしそんな彼女達をもってしても現状は最悪と言わざるを得なかった。

 何の前触れも無く突如として暗闇が出現し、そこから現れた者達の手により都市は半壊。

 神殿も攻撃され、騎士団の多くがすでに命を散らしている。

 

「わ、私はずっと…、ずっと祈ってきました…! 人々が笑って過ごせるように…! どんな弱者も虐げられないようにと…! 民達の事を考え、彼等が満足に生きる事が出来るようにと…! 教えに背いた事も無く、真摯にあらゆる問題と向き合ってきました…!」

 

 カルカは良い女王かと問われれば多くの疑問が残るだろう。

 しかしそれは無能故ではなく、善良過ぎる為だ。優しすぎて強い態度を取れず聖王国の南部を掌握できていないのもその為だ。

 だが女王としては評価できなくとも彼女の人となりは評価するべきだろう。汚れを知らず、綺麗なまま。八方美人としての彼女を嫌う者もいるが国民の多くはそうではない。国民からは圧倒的な支持を受けるに至っている。

 

 そんな彼女は苦悩していた。

 なぜこんな事になったのか、と。

 ローブル聖王国はその名の通り宗教色の濃い国家である。

 故に神を崇めると共に数々の教えも存在する。

 カルカは生まれてこの方それらを破った事も無ければ祈りを欠かした事も無かったのだ。

 だからだ。

 だからこの状況が理解できないのだ。

 

「どうして…! どうしてですか…! なぜ、なぜ()使()()がこの国を襲うのですか!」

 

 カルカの叫びに応える者はいない。

 

 突如ローブル聖王国に出現した次元の切れ目から現れたのは数多の天使達。中には見た事の無い天使の姿さえ散見された。

 最初は何事かと騒ぎになり、神が降臨したのだと口に出す者もいた。

 虐殺が始まるまでは。

 

 一瞬だった。

 たった一つの魔法で何人もの人間が殺されていく。

 誰もが理解できなかった。

 相手が亜人や悪魔、そういった者達なら攻撃をされたのだと理解できるが天使に攻撃されるという事が理解の外すぎて誰も現状を把握できなかった。

 やっと天使達から攻撃を受けていると気づけたのは何千人もの人々が失われた後だった。

 

 その天使達は天空城の一室に隔離されていた者達。

 八欲王のNPC達であり、それを率いるのは都市守護者と呼ばれる者。

 天使といえど、ユグドラシルにおいてはただのモンスターに過ぎない。

 拠点が破壊され、暴走した今となってはその神聖さなど関係なく、ただ命を奪う存在だ。

 

 故に祈りなど通じず、全ての命が息絶えるまで凶行は止まらない。

 

 

 

 

 アベリオン丘陵、そしてその南に位置するエイヴァーシャー大森林。

 

 

 その境目たる中心に暗闇が出現し、不死の軍勢が出現した。

 それらは北と南の二手に分かれ侵攻を開始した。

 

 数多の亜人が覇を競うアベリオン丘陵、ここに住まう亜人達は突如現れたアンデッド達にも怯む事なく戦いを挑んだ。

 その愚かさの代償としてあらゆる部族の戦士達の多くが息絶えた。

 危険を感じたのはアベリオン丘陵全体の半数程の命が散った時だろうか。

 生き残った者達は泣き叫び、逃げ出し、命乞いを始めた。

 戦いなど挑まず最初から逃げ出していれば、エイヴァーシャー大森林に住む森妖精(エルフ)闇妖精(ダークエルフ)のようにもう少し被害は少なく済んだかもしれない。

 彼等も最初は森妖精(エルフ)の王の命令でアンデッド達と対峙した。

 しかし先の見えぬ戦いにやがて多くの者達が逃げ出した。

 元々スレイン法国と戦いを繰り広げていた森妖精(エルフ)達だが突如現れた謎のアンデッドとまで本気で戦おうとは思わなかったのだ。

 倒しても倒しても復活し、次々と湧いてくる。

 そんな存在と誰が真面目に戦うと言うのか。

 誰もが王の怒りを買うと分かっていながらも確実に死ぬとあれば逃げ出す。

 それは森妖精(エルフ)の王の人望の無さ故かもしれない。

 国や民の事など省みず、ただ強い子を産む事だけに執着する森妖精(エルフ)の王。

 強姦や近親相姦など日常で、女性を子供を産む機械としか思っていない非情な性格。

 ただその強さ故、誰も逆らえず従っているにすぎない。

 その報いのツケがやっときたのだ。

 

 国民の多くがアンデッドから逃げ出してしまった為、王のいる居住区までアンデッドの侵入を許す事になった。

 

「使えぬクズ共がぁぁ! ここまで侵入を許すとは! アンデッドなど汚らわしい! お前達で追い返さぬかぁあぁぁ!」

 

 だが王の叫びに誰も答えない。

 この場に残っているのは小さな子を抱える母親達だけだ。

 

「さっさと行け! 子供などその辺に捨て置けばいいだろうが!」

 

 子供を奪い、母親を蹴り飛ばす。

 そんな惨状に誰も非難の声を上げず、また驚きもしない。

 それがこの国の日常だからだ。

 しかしそんな事をしている間にアンデッド達が王の部屋までたどり着いた。

 

「クソがぁぁ! 下等なアンデッド共が! 誰に剣を向けていると思っている!」

 

 そう叫ぶと森妖精(エルフ)の王が魔法でアンデッド達を蹴散らす。

 プレイヤーの血を引き、その力を覚醒させた彼はこの世界でも上位に入る程の強者と言ってもいいだろう。

 低位はもちろん、中位程度のアンデッドなら彼の敵ではない。

 

「あ?」

 

 彼が無数のアンデッドを蹴散らしていると奥から一際存在感を放つ何者かが現れた。

 森妖精(エルフ)の王が先ほどまで蹴散らしていた者と比較にならぬ程の強者である上位アンデッド達。そんな彼等すらを周囲に何体も侍らせるように立つ一体のアンデッド。この者こそ都市守護者の一人。

 レベル100を誇る最高位の存在。

 

「なんだ貴様がこいつらのリーダーか、我が国を攻めるなど…」

 

 森妖精(エルフ)の王が言いかけている途中でその腕が飛んだ。

 アンデッドの騎士たる彼の一撃は森妖精(エルフ)の王の知覚速度を遥かに超えていた。

 

「がっ…! な、なにが…!」

 

 何が起こったのかも理解できず己の無くなった腕を見つめる森妖精(エルフ)の王。

 一呼吸おいて脳の処理が追いつく。

 

「き、貴様ぁぁぁ! お、俺にこんなことをしてただですむとっ…」

 

 アンデッドの騎士から再び剣閃が放たれる。

 次に残った片腕。

 次に片足。

 また片足。

 四肢を飛ばされた森妖精(エルフ)の王は達磨となり地に転がる。

 

「いぎゃぁぁああぁぁぁあ! や、やめろぉぉ! お、俺をだれだと! い、いつかこの世界を統べる王だぞっ! こ、こんな、えぁぁぁぁああぁぁぁあ!」

 

 アンデッドの騎士は話も聞かず王の耳を引き千切り、目をくり抜いた。

 骸骨の顔ゆえ表情はないが間違いなく愉悦の表情を浮かべていただろう。

 彼はまさにアンデッド。

 生者の死を願い、その苦痛を何よりも喜ぶ存在なのだから。

 それはこの世界においてもユグドラシルにおいても変わらない。

 

 やがて苦痛の果てに森妖精(エルフ)の王は絶命した。

 彼の死をもってエイヴァーシャー大森林を支配していた森妖精(エルフ)の国は名実ともに滅びたのだ。

 

 

 

 

 トブの大森林。

 

 

 ここだけは他国と少々事情が違った。

 他国と同様にこのトブの大森林の頭上にも暗闇が現れ何者かが這い出したにも拘らずだ。

 暗闇に気付いたこの地に住むあらゆる部族や種族が森の奥へと逃げ出した。だが不思議と彼等が直接襲われる事は無かったのだ。その事実には誰も気づかなかったのだが。

 あらゆる命を奪おうとする筈のモンスターからの攻撃を受けない理由があるとすれば一つ。

 よりターゲットを向けられやすい者、ユグドラシル的に言うならばタンクとなる者が存在するからだ。

 

「き、君達どこへ行くんだい!? ここから先へは行かない方がいいよ!」

 

 森の奥で何かから逃げるように向かってくる大勢の蜥蜴人(リザードマン)達へと声をかけたのは一人の木の精霊(ドライアード)。その名をピニスン・ポール・ペルリア。

 

「む、木の精霊(ドライアード)か。もしかしてここは貴方の地なのか? 失礼した、我が名はザリュース。緊急ゆえここを通る事を許して頂きたい」

 

 大勢の蜥蜴人(リザードマン)の中から一匹の屈強そうな戦士がピニスンへと歩み寄る。

 

「い、いや僕の土地というか、そんなのはどうでもいいんだけどこの先には行かない方がいいよ!」

 

「おい、ザリュース! 分かんねぇけど邪魔するならそいつのしちまおうぜ!」

 

 再び蜥蜴人(リザードマン)の中から片腕だけ異様な太さを持った戦士が出てくる。

 

「ゼンベル! どうして貴様はすぐ力に頼ろうとするんだ! 今はそんな場合じゃないと奴等を見て思わなかったのか!」

 

 同様に族長らしき蜥蜴人(リザードマン)がゼンベルと呼んだ蜥蜴人(リザードマン)を止めようと出てくる。

 

「でもシャースーリューの旦那よう、モタモタしてると奴等に追い付かれちまうだろうが。おたくの部族の方針は知らねぇが竜牙(ドラゴン・タスク)じゃ強い者が正しいんだ。文句を言う奴は黙らさしちまえばいいだろうが」

 

 ゼンベルが苦言を呈したシャースーリューと呼んだ蜥蜴人(リザードマン)へと詰め寄る。

 

「奴等に怯えて逃げてきたのに強さをウリにするなんてみっともないと思わないの? 何か事情があるかもしれないし話くらいは聞くべきよ」

 

 そういって新たに出てきたのは葉で全身を覆う蜥蜴人(リザードマン)。しかしその隙間からは美しい白い肌が垣間見える。

 

「失礼しました、木の精霊(ドライアード)さん。私の名はクルシュ・ルールー。至らない身ではありますが朱の瞳(レッド・アイ)の族長代理を務めております。私達はこのトブの大森林に突如現れた謎の亜人達からこちらまで逃げてきたのです。情けない事ですが一目見ただけで我々では相手にならぬと判断し逃げて参りました。話も通じそうな雰囲気ではありませんでしたので接触はしていないのですが…」

 

 理路整然と状況を説明するクルシュを見てシャースーリューはほう、と感心したような声を上げる。横にいたザリュースはなぜか頬を赤らめているがこの場では誰も気づかない。

 

「そ、そんな事が…。それは大変だね…、いや、それでもこの先には行かない方がいいと思う…! ここから先には封印された魔樹がいるんだ…! 世界を滅ぼす魔樹とも、魔樹の竜王とも呼ばれる恐ろしい奴なんだ! そいつの封印が解けそうなんだよ! そ、そうしたらこの森全体が、いや世界が滅んでもおかしくないんだ!」

 

 ピニスンの言葉に蜥蜴人(リザードマン)が困惑しているとその遥か後方で木々が倒される音が聞こえ始めた。

 

「くそっ! 奴等に追い付かれたか!」

 

 ザリュースが後ろを振り返る。まだその姿は見えないが大勢の何物かがこちらへ向かってくるような音が地響きとなって確かに伝わってきた。

 そんな音から逃げるように新たな何者かがこちらへと走ってくるのが見えた。

 

「あ、あんなの無理でござるよー! なんなんでござるかアレは!?」

 

「わ、儂にも分からん! つい先日グの一派が何者かに滅ぼされたと思ったら今度はアレか! 一体どうなっとるんじゃ!」

 

 巨大なハムスターと、胸部から下が蛇の老人のような者が会話しながら逃げてくる。その後ろには同様に何者かから逃げてくるゴブリンやオークの集団、トロールの姿などもあった。

 

「わ、わぁー! あ、あれが蜥蜴人(リザードマン)さん達を追ってきた奴なのかい!?」

 

 地響きがうるさい中、ピニスンがザリュースへと問いかける。

 

「い、いや、あの者らも凄まじい程の強大さを誇っているが我々が見たのは彼等ではない! もっと圧倒的な、言葉に出来ぬ程の異様さを持った者達だ!」

 

 ザリュースがピニスンへ言葉を返しているとその走って来た者達が蜥蜴人(リザードマン)達を見て足を止める。

 

「お、お主達邪魔でござる! 用が無いなら退()いてほしいでござるよー! 拙者たちアレらから逃げるのに必死なんでござるゆえ」

 

「い、いや我々もそうなのだがこの木の精霊(ドライアード)が…!」

 

「わ、わぁ! う、動いた! 魔樹が動いた! や、奴等のせいなのか、こんな急に…! 嘘でしょー!」

 

 三者三様に口を開き、会話が成立しなくなったその時、地響きとは別に大地が揺れた。

 次に大地が割れ、植物の根っこのようなものが姿を現した。

 

「も、もう終わりだー! 魔樹が復活してしまったー! 僕たちはもう終わりだ! 滅ぼされるしかないんだー!」

 

「ま、待ってくれ木の精霊(ドライアード)殿、こ、この根っこのようなものがその魔樹とやらなのか!?」

 

「な、何してるでござるか! 逃げないと奴等が来るでござるよー!」

 

 そんな喧噪を破るかのように、木々を切り倒しながら大勢の亜人達が姿を見せた。

 しかしその亜人達のいずれもがこのトブの大森林には存在せぬ者達だった。

 彼等は咆哮をあげ、勢いよく走り出すとその場にいた者達へと襲い掛かった。

 

「な、何こいつら! うわー!」

 

「も、問答無用か、おのれっ…!」

 

「お、終わりでござる! もう終わりでござるー!」

 

 と思いきやピニスンや蜥蜴人(リザードマン)、特徴のある喋り方をするハムスター達の思惑は外れ、彼等が襲われる事は無かった。彼等を素通りすると封印の魔樹がいるであろう場所へとその亜人達は突き進む。

 

「ゴォォォォオオオオオ!」

 

 咆哮、そう呼ぶべきか謎だが何かの低い唸り声のようなものが響いた。

 その音の先はこの大地から湧き出た根っこの遥か先、100メートルをも超えるような大樹からだった。それは生きているのか身を揺らしている。

 魔樹の存在を目にすると大勢の亜人達が一斉に襲いかかった。

 しかし魔樹はその有象無象を蹴散らす様に触手を振り回す。その攻撃は信じられぬほど強力で一撃で数体の亜人達をミンチにしてしまう程。

 

 こうして都市守護者とその配下である亜人達と封印の魔樹、ザイトルクワエとの闘いが始まった。

 

 ザイトルクワエ。

 その由来となったのはザイクロトルの死の植物。

 それはとある惑星の怪物達が崇める神である。ある時その怪物達が他の惑星からきた種族に奴隷にされた事があった。その際、ザイクロトルの死の植物は強大な力でもってその種族を倒し追い出したのだ。意図的かどうかはおいておき、これにより怪物達は救われたのだ。

 それは海上都市を作ったギルドのただ一匹残ったNPCの成れの果て。

 ユグドラシルのモンスターでありながら外見のデザインを大きく変えられたそれはプレイヤーでも一目ではユグドラシルのモンスターとは認識できないだろう。

 ユグドラシルでも最上位の植物系モンスターであるザイトルクワエは並外れた耐久力を誇るがこの地に根付いた事でユグドラシルではありえぬ進化を遂げる事になった。

 今となっては創造主の願い通り、ザイクロトルの死の植物のように在ろうと願う存在。

 

 かつて十三英雄のリーダーである八欲王の一人も魔神狩りをする際にここに立ち寄った事があった。

 しかし彼はこのザイトルクワエには手を出さず、封印に留めるに終わった。

 それは彼でも倒せない程に強かったから、というのも理由の一つとして挙げられるかもしれないが本当の狙いは違う。

 ザイトルクワエ、いやザイクロトルの死の植物は適切な接し方をすればその土地の守護者として機能するからだ。適度な魔力を与え続ければ、暴れる事も無く、外敵からそこに住む者を守ってくれるのだ。

 まだ魔神の脅威があったその時代、十三英雄のリーダーはもしもの時に魔神から守ってもらえるようにとザイトルクワエを放置する事にした。

 その場にいた木の精霊(ドライアード)には説明したのだが本能的な恐怖からか聞き入れなかったので封印したと嘘を吐き、一時的に魔力を流し込み事無きを得たのだ。

 

 だがそんなリーダーの心配は杞憂となった。この土地が魔神に襲われる事は無かったのだから。

 しかしそれ故に定期的に魔力が与えられる事も無く、ザイトルクワエはその印象から世界を滅ぼす魔樹との悪評を受け続ける事となった。

 あらゆる生き物がザイトルクワエから距離を置くようになり、様々な生き物から自然と零れ出る魔力を吸収できなくなったザイトルクワエは己で直接魔力を得ようと動き出した。

 守護者である筈の彼が結果的にこの土地を枯らす事になりそうだったのはひとえにリーダーの忠告をちゃんと聞いていなかった木の精霊(ドライアード)のせいだろう。

 

 いずれにせよ、数々の不幸が重なる事になったがザイトルクワエが本懐を遂げる時は来たのだ。

 トブの大森林に住む者達は感謝するべきだろう。

 ザイトルクワエのおかげで他の都市のように一瞬にして森が焼き払われたり、虐殺されたりする事は無かったのだから。

 しかしこれで終わりではない。

 ザイトルクワエは確かに強い。だがそれはこの世界においてだ。

 ユグドラシルにおいては強者と呼ぶには足りない。

 ザイトルクワエを凌駕する者などいくらでもいる。

 都市守護者達がそうだ。

 彼等の配下程度ならばザイトルクワエでも蹴散らせるかもしれないが都市守護者本人が出てくればザイトルクワエに勝ち目は無い。

 結局は他国と同じ。

 ザイトルクワエが粘る時間だけトブの大森林の者達は生き永らえる事が出来るに過ぎない。

 魔樹が倒れれば、ここでも他国のように虐殺が始まるのだ。

 

 

 

 

 スレイン法国、神都。

 

 

 その中心に座する大聖堂は混乱に包まれていた。

 

「神官長達はどこに!? ぶ、無事なのか!?」

 

「わ、分からない! だ、だがここはもう…、うわぁぁあああ!!」

 

 神官達の叫びが響く。

 それと同時に柱が割れ、壁が崩れ、天井が落ちる。

 大聖堂は荘厳であり、様々な彫刻や調度品で彩られている。しかしそれはただ豪華にしたというだけの物ではない。必要以上に高価な物は扱わず、技術や見せ方による演出が大きい。

 全ては神の偉大さを祀り、またそれを少しでも表現し、祈る為のものだろう。無駄な贅沢が出来ない彼等にとって最大限の敬意の表し方だったに違いない。

 しかしそんな彼等の真摯な気持ちなど無碍にするように歴史的価値すらも高いであろう大聖堂は無残に崩壊していく。その下で何人もの人間が下敷きになった。

 

 全ての原因は突如現れた獣人達によるものだ。

 

 他国同様、彼等もまた暗闇から出現しスレイン法国を襲った。

 その数は優に千を超える。

 人とも獣とも、また亜人とも形容できそうな者達。

 数はもちろんだが個々としても十分な強さを持つ。彼等の中では中位と呼べる程度の者達で、法国が誇る最強の漆黒聖典はほぼほぼ壊滅状態に陥ったと言っていい。

 多くの神官達はもちろん、会議の為に集まっていた神官長達も応戦したが行方は分かっていない。いずれも、魔法詠唱者(マジックキャスター)や元聖騎士として破格の強さを誇る者達だがそれでも抗うには至らなかった。

 残った者達はこの光景に絶望し、ただただ悲観していた。

 その時。

 

「なんで建物がこんなに崩れてるの! 邪魔だよ!」

 

 大きな声と共にゴガンという音が響き瓦礫が宙に舞う。 

 すると瓦礫で塞がっていた地下への階段から何者かが這い出てくる。

 

「ゲホッ、ゲホッ! も、もう少し丁寧に出来ないんですか貴方は!?」

 

 先に姿を現した少女を追うように黒髪の青年が続いて姿を現した。

 

「おやぁ? どうもそんな事を言っている場合じゃないみたいだよ?」

 

 その少女、番外席次が周囲の様子を窺い、ニタァと笑う。

 

「こ、これは…、そんな!」

 

 黒髪の青年もとい漆黒聖典隊長はその様子に愕然とする。

 そこは正に死屍累々。

 少し前に自分がここを通った時にはいつも通りの景色がそこにあった筈なのに今は違う。

 建物が崩れ、多くの人々が地に伏し、至る所で悲鳴が聞こえる。

 

 そして次にそれに気付くと隊長から悲鳴が漏れる。

 

「う、嘘だ…、バカな…」

 

 隊長の視線の先にあったのは倒れている漆黒聖典の面々。全員ではないがその多くが伏していた。

 「時間乱流」に「神聖呪歌」、「神領縛鎖」や「人間最強」。

 その中でも「巨盾万壁」と「一人師団」は遠目にも息があるのを確認できた為、周囲にいる獣人達を薙ぎ払いながら隊長が慌てて駆け寄る。

 

「セドラン! クアイエッセ! こ、これは…!」

 

「す、すまない…。守れなかった…」

 

 そう口にするセドランの脇には絶命している老婆の姿があった。彼女はカイレ。法国でも強力な宝具「ケイ・セケ・コゥク」を扱う事が出来、また扱う事が許された者だ。

 

「……! ケ、ケイ・セケ・コゥクは使用しなかったのか!?」

 

 隊長の疑問は尤もだ。どれだけ相手が強大であろうとケイ・セケ・コゥクがあればその相手を支配下に置くことが出来るからだ。敵の数は多いとはいえその指揮官を支配下におけたならどうにか出来たのではと考えたからだ。

 

「い、いや…、支配は上手くいきました…、しかし…」

 

 大量の血を流しながらも横にいたクアイエッセが答える。その周囲には彼の召喚したギガントバジリスク達が死体となって転がっている。

 

「ど、どういうことだ! ならばなぜこんな事に…!」

 

「わ、我々は順番を間違ってしまったのです…。あれらがこの者達を率いている長だと判断してしまった…。しかしそうではなかった…。お、恐るべき者達…、まさに竜王…、それが…」

 

 当初カイレらは無数の獣人との応戦中、そのリーダー格と思わしき上位レベルの獣人にケイ・セケ・コゥクを使用し支配下に置くことは成功したのだ。

 彼等の判断は間違っていなかった。その者のレベルは80半ば程。

 一対一での戦いなら隊長ですら凌駕できる相手だ。彼等はその者を見て、この強大な力を持つ者こそがリーダーであると疑わなかったのだ。

 そうして支配下においたその者に命令を下し、多数の獣人を下している時、それらは遅れて現れた。

 その獣人と同等の強さを誇る者達が何体も現れた。次にそんな者達すらも凌駕するまさに竜王としか形容出来ない程の強さを持つ者が現れたのだ。

 その者は難なくケイ・セケ・コゥク支配下におかれた獣人を殺すと、セドランと共にカイレを貫いた。

 もう一度ケイ・セケ・コゥクを使いなおす暇などなかった。

 それは都市守護者の一人。

 

 もし仮にカイレ達がこの都市守護者を支配下に置けたとすればもう少し事体は好転していたかもしれない。だがそれでも法国の滅亡は免れないだろう。

 今この国には三体もの都市守護者がいるのだから。

 一体を支配下に置けたとしても残りの二体にやられて終わりだ。

 

「ふーん、アンデッドじゃないし噂に聞いてた破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)じゃないみたいだねぇ…。けど十分に強そう…! でもさ…」

 

 話を聞いていた番外席次の狂ったような笑みが一瞬にして真顔に変わる。

 それと同時に隊長へ向け、一気に距離を詰めた。

 

「なっ、何をっ!?」

 

 突如、戦鎌(ウォーサイズ)を振りかぶり自分目がけて突っ込んでくる番外席次に隊長が叫ぶ。しかし食い気味で番外席次がそれを遮る。

 

「うるさい、()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

 番外席次の声を受け、反射的にその場にしゃがむ隊長。

 その直後、激しい金属音が彼の頭上で鳴り響いた。

 

「全く妬けるよ…。私がいるってのにさ、こんな小僧から先に手を出すなんて…!」

 

 番外席次の戦鎌(ウォーサイズ)の先には一体の獣人がいた。戦鎌(ウォーサイズ)とその獣人の爪がギリギリと鍔迫り合いのように押し合っている。

 

「き、気を付けて下さい…。わ、私達も殺されそうになった瞬間、彼等は一度引いたのです…。恐らくは隊長と、番外席次…、貴方達に反応したと思うのですが…」

 

 クアイエッセがこの状況を番外席次に伝える。周囲を見ると、一定の距離を置いた場所で強大そうな力を持つ獣人達が冷静にこちらの様子を窺っていた。

 暴走し、コントロールを失ったとはいえ獣人達の戦い方は変わらない。

 彼等は決して馬鹿ではないのだ。獣の本能と人間の知能を合わせ持つ獣人。警戒するべき相手にいきなり正面から戦いを仕掛けるなどという無謀な事はしない。

 しっかりと敵を見極め、確実に殺す為に。

 

「ふぅうん…」

 

 番外席次は舐めるように彼等を見る。

 一目見ただけでその強さは理解できた。そしてクアイエッセの言葉を信じるならば隊長や番外席次の気配を察知し、一度身を引く程度の頭脳もあるという事も納得できる。

 しかし、足りない。

 番外席次にはこれでは足りないのだ。

 

「あんた達も悪くないけど…、でもダメだね…!」

 

 番外席次が力づくで相手の獣人を押し潰していく。途中で反撃しようとした獣人の蹴りを捌き、肘で砕く。バランスを崩し、叫び声を上げ倒れた獣人の喉へと間髪入れずに十字槍にも似た戦鎌(ウォーサイズ)の矛先を突き立てる。

 これによりレベル80半ば程の強さを誇る獣人の一体が絶命した。

 それを受け、周囲にいた何体もの獣人達が一斉に番外席次へと襲い掛かった。

 

「おいクソガキ! お前もやるんだよ! とりあえず二体受け持て!」

 

 呆けている隊長の尻を蹴り上げる番外席次。

 

「に、二体ですか!? し、しかし私では一対一でも厳しそうな…」

 

「分かってる! 私が残りの奴等を殺すまで耐えろって事だよ」

 

「ど、どれだけ時間を稼げば…?」

 

「さぁね…。一体だけなら全然敵じゃないけど…、数体同時だと少しばかり時間かかるかもね…」

 

「で、できるだけ急いでもらえますか…?」

 

「私に命令するなよガキ」

 

 そうして番外席次が地面を蹴った。

 その勢いで大地が割れ、石礫が飛び、砂ぼこりが舞い上がる。

 身体能力が高い獣人ではあるが、戦士系統として最高クラスの力を持つ番外席次はさらにその上を行く。

 

 番外席次。

 血と血の混じり合いとあり得ぬ確率で生まれた神人の一人。

 元々神人とは何なのか。

 法国では六大神の血を引く者で神の力に目覚めた者をこう呼ぶ。

 だが正確に言うならば違う。

 一言で言うならば、バグのようなものだろうか。

 神と呼ばれるプレイヤー達。彼等はユグドラシルから転移した者達であり、この世界とは事情が違う。

 生命としての在り方も、強さの手に入れ方も何もかもが違うのだ。

 そんな彼らが異世界で子を()したらどうなるか。

 その結果が神人と呼ばれる者達である。

 

 当然だが子供とは両親の遺伝子を引き継いで生まれるものだ。

 個体差はあるものの、基本的にはスペックや才能を引き継ぐと言っていいだろう。片親の血を多く継いだり、隔世遺伝のようなもので祖父母やその上の世代の特徴を引き継ぐこともあるいので単純に父親と母親の能力を足して割る等という計算はできないが。

 この時、プレイヤーの血を引く者達では何が起こるのか。

 これも至極単純だ。

 プレイヤーの能力をその半分程も受け継いでしまうのだ。

 しかし現実はそうなっていない。

 神の血を引くものの多くはこの世界でも逸脱する程の力を有していない。もし子孫が全てそうならば法国はもっと強大であっただろう。

 ならば神人とは何なのか。覚醒した者には何が起こったのか。

 

 プレイヤーと呼ばれる彼等は元々ゲーム世界のアバターである。ゲームで作られたアバターの体には親もいなければ祖先もいない。当然だ。ゲームをプレイする為に作成されたキャラクターなのだから。フレーバーテキスト等は存在するとはいえ生命体として、種として、初めてその時に誕生した存在なのだ。

 つまり遺伝子的に見れば受け継いできたモノなど存在しない、原初の生命体といえる。

 蓄積され受け継がれた数多の遺伝子など存在せず、生命体としては極度に情報の薄い存在。

 そんな彼らが何世代も命を重ね、無数の遺伝子を受け継いできた生命体と子を()したらどうなるのか。

 答えは単純だ。

 有象無象の遺伝子の中にその情報は掻き消える。

 プレイヤーの遺伝子など発現する事なく埋もれてしまうのだ。

 

 そんな砂漠の中から一粒の金塊を探し当てるが如くの確率でプレイヤーの遺伝子を発現した者こそが神人なのだ。

 たった一つ、そのたった一つの遺伝子こそが強力で、また凶悪であった。

 この世界のものではない遺伝子。

 ユグドラシル由来のまさに神とも呼ぶべき力の根源。

 しかしそれ故に、この世界の者達はその遺伝子を正常に継承する事は出来なかった。

 溢れる力と才能、それらは伸びしろとしてでなく、ただ力として発現した。

 プレイヤーの遺伝子を引き継いだ者は、覚醒する時そのプレイヤーの取得していた種族や職業レベルの半分をそのまま継承してしまうのだ。

 順番に得るのではなく、一度に全て。

 これこそが法国の言う、神の力に目覚めた者の正体だ。

 全く法則の違う異世界からの訪問者であるプレイヤー、その血が呼び起こす未知。その原因はこの世界の者達と遺伝子的に噛み合わないエラーからくるものかもしれない。

 だからこそ、バグという言葉が相応しいのだ。

 

 この世界において破格の力だがユグドラシルでは地獄だろう。

 数多の種族や職業レベルをその半分のみ継承など器用貧乏で済むレベルではないからだ。

 

 しかし番外席次、彼女だけは違う。

 父親と母親、その両方がプレイヤーの血を引いている。

 いや、二人以上のプレイヤーの血を引く者という条件だけならば法国内にも存在するかもしれない。

 だがたった一つですら発現するのが稀なその遺伝子を二つも同時に発現できた者などこれまで存在しなかったのだ。

 まさにあり得ぬ確率で、天文学的な数字の果てに生まれた奇跡の子。

 親のレベルの半分のみ強制取得というユグドラシルでは地獄のような配分だが、それが二人からのモノであれば事情が変わってくる。

 もしその両者が同様の職業レベルを取得していたら?

 そうしたものであれば半分のみ取得という器用貧乏からは解消される。

 なぜならばその職業レベルを十全に取得している事になるからだ。

 

 故に先祖返り。

 プレイヤーとも遜色ない程のスペックを手に入れた人類最強の存在。

 そんな状態でありながらもこの世界の遺伝子は失われていない。

 この世界特有の生まれながらの異能(タレント)すらも発現させた例外中の例外。

 

 まさにこの世界の超越者(オーバーロード)だ。

 

「あーっはっはっはっは!」

 

 番外席次の笑い声が木霊する。

 レベル80を超える者達数体を相手に大立ち回りを繰り広げ、未だかつてない興奮に沸き立っている。

 それは自分の力を十分にふるえる機会が来たから――ではない。

 彼女の上機嫌の正体はその視線の先、番外席次と獣人達との闘いを頭上から見下ろしている者の存在だ。

 

「ああ…、流石に疲れた…! 何発か貰っちゃったし…」

 

 長い激闘の果て、番外席次は数体の獣人達を倒すに至った。

 もちろん隊長が受け持っていた二体も含め。

 

「でも…、これからの事を思うと疲れなんて吹き飛んじゃうよ…。痛みだってへっちゃら…。ねぇ、そろそろ降りてきてよ?」

 

 番外席次が見上げ、彼女達の戦いを静観していた者へと声をかける。

 頭上で獣人と番外席次をずっと見続けていた者。

 

「……」

 

 その者こそ都市守護者の一人。

 番外席次と互角の強さを持つ存在だ。

 

「ずっと私の戦いを見てたよね? 私が貴方との戦いに値するか見定める為? それとも弱点を探す為かな? まぁなんでもいいよ。貴方の部下達はもうこの通り…! こうなったらさぁ…、もう貴方が直接戦うしかないよね…?」

 

 ゾクゾクといった悪寒とも興奮とも呼べぬ感覚に身を支配される番外席次。

 その顔には狂喜とも愉悦とも言い難い表情が貼りついている。

 人類を守る為ではない。

 また、強者と戦いたいわけでは無い。

 彼女がこれだけ高揚している理由は――

 

「貴方は、私を負かせてくれる…?」

 

 敗北を知りたい。

 それが番外席次の存在理由。

 目的はより強い種を欲する為。

 

 その戦いの一部始終をとある建物の屋上から見ている人物が一人いた。

 それは「占星千里」。

 ここまでの行方を占い、その全てを的中させてきた彼女だ。

 長かった。

 やっとこの占いの終わりの時が来る。

 未来を見通す占星千里すら与り知らぬ未知がこの向こうにある。

 占いの終わり、それは番外席次の敗北だ。

 

 だが悲しいかな、その敗北は決して番外席次が望んでいたものではなかった。

 彼女に笑顔が訪れる事はなく、その顔は絶望に歪む。

 甘美な敗北などどこにも無く、故に番外席次に救いは無い。

 

 なぜなら、この地にいる都市守護者は一体ではないのだから。

 

 

 

 

 アーグランド評議国、上空。

 

 

「うぐぅあっっ!」

 

 城から飛び立ちエリュエンティウへ向かう道中、国境を超える直前にツアーは何者かから攻撃を受けた。

 それにより遠隔操作していた白金の全身鎧に風穴が開けられる。

 

「な、何の気配も無く突然現れるとは…! くっ、不覚…!」

 

 突然現れた暗闇から這い出たその何者かはツアーの鎧に軽々とダメージを与える。

 そして次の瞬間。

 

「がっ! な、何…! 一人ではない…、だと…?」

 

 死角から現れた別の何者かに攻撃を受け、大地に叩き落される。

 そのどちらも真なる竜王に匹敵する実力の持ち主だ。

 ツアーも必死に抗い戦うがそれも虚しく鎧は砕かれ、霧散する。

 そしてその意識が戻る前、ツアーは気付く。

 いや思い出したと言うべきか。

 

破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)、その仲間達か…! いや、…お前達は…! そんな…!」

 

 その姿には見覚えがあった。

 あるいはかつて仲間から聞き覚えがあったと言う方が適切かもしれない。

 

「八欲王の従属神っ…!? 馬鹿な…、お前達は死んだ筈…!」

 

 その言葉と共に完全に鎧は砕かれ、その意識はツアーの本体へと戻る。

 

 ツアーは一つだけ勘違いしていた。

 八欲王の従属神たる彼等も復活する度に弱くなると誤解していたのだ。

 従属神と呼ばれている彼等はNPC。死亡してもレベルは下がる事なく、金貨を消費するのみなのだ。

 当初は八欲王と共に竜王達とも戦ったNPC達。

 しかし途中で彼等は戦争から姿を消した。

 竜王達は殺し尽くしたからだと思い込んでいたがそうではない。

 単純に八欲王側の金貨の枯渇、あるいは勝利を目前に無駄な出費を増やさぬ為の判断だったのだ。

 そんな事とは露知らず、生き残っていた竜王達は八欲王側の数が減り自分達の勝利が近いと誤解し最後の争いを仕掛けた。

 そうして戦いに臨んだ竜王達のほぼ全てが死に絶える事となった。

 故にツアーは最初から竜王達がしっかりと手を組んでいれば勝てたのではと想定していたがそれは間違いだ。

 八欲王側が金貨を使い切ってまでNPC達を酷使したならば万が一にも勝ちの目は存在しなかったのだ。

 そんな事とも知らず、ツアーは目の前に現れた八欲王の従属神達の存在に動揺を隠せなかった。

 数多くの配下がいる事は知っていた。

 その者らが天空城内にいる事も。

 だからこそギルド武器を守ってきていたのに。

 まさか従属神まで生きているとは想定していなかった。

 

 ツアーの意識が本体へと戻る。

 体に戻った後、先ほどの者達への対処を思案するが突如として大地が揺れた。

 評議国の城の地下に建設されたこの場所まで揺れが届くという事にツアーが震える。

 もはやギルド武器は壊れ、恐らくこの国も先ほどの者達に襲われている。

 もう躊躇する必要等ない。

 始原の魔法(ワイルドマジック)の贄たる国民たちが攻撃を受けているとするならばツアーがこの地に引きこもる理由は無いのだ。

 体を起こし、翼を大きく広げる。

 そして一気に地上へと飛び立つ。

 そこでツアーが見たものは、一瞬にして炎上する評議国の街並みだった。

 様々な亜人達が逃げ惑いながら炎に焼かれていく。

 このわずかな時間でここまで変貌した都市の景色にツアーは驚きを隠せない。

 評議国の永久評議員である他の竜王達も慌てて応戦しているが都市の被害は広がるばかりだ。

 それと共に怒りが身を支配していく。

 

 彼等が何をした。

 私達が何をした。

 かつて真なる竜王(なかま)達が非道な事をしていたのは知っている。

 八欲王がそれに抗ったという事も。

 だがここにいる者達は違う。

 身を寄せ合い、力を合わせ真っ当に生きている。

 平和を愛し、世界の調停の為に協力してくれる者達もいる。

 今を精一杯生きている者達ばかりだ。

 そんな彼等を蹂躙していい理由などどこにもない。

 

「お前達が何者とて! この地で血を流させる事など許すものか! 我が都市に押し入った事、後悔させてやるぞ!」

 

 ツアーが激しい咆哮を上げる。

 その瞳は怒りに染まっている。

 平和な地を脅かした者達への身を焼くほどの憎悪。

 これだけ感情が揺らいだのは何百年振りだろうか。

 この身で直接力を行使するのはそれ以上だ。

 

 彼は評議国の地下から動かぬという誓約を己に課していた。

 しかし今やそれも消えた。

 この世界において最強の存在と言っていいであろうツアー。

 彼と戦える者など生き残った一部の竜王や、例外とも言える超越者ぐらいのものだろう。

 

 そうしてツアーは都市守護者とその配下達へと戦いを仕掛ける。

 法国に続き、この世界において最高峰の戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 竜王国。

 元リ・エスティーゼ王国。

 バハルス帝国。

 ローブル聖王国。

 アベリオン丘陵及びエイヴァーシャー大森林。

 トブの大森林。

 スレイン法国。

 アーグランド評議国。

 

 八カ所。

 最初にこの八カ所へと都市守護者達は転移した。

 いずれも八欲王にそれぞれ別個作られた者達、その勢力。

 ギルドとの関係性は失われたがその本質までは失われない。

 同じ創造主に作られた者同士、彼等はそれぞれ徒党を組んで散ったのだ。

 

 しかし全てでは無い。

 まだエリュエンティウに残っている都市守護者達がいる。

 彼等は純粋に防衛と、そして浪漫の為に生み出された者達。

 その特徴的な外見から御伽噺の上で八欲王の外見として誤解され伝えられてしまっている者達もいる。

 八欲王が同一の目的と、認識の元に生み出した最強の八体。

 各自が一体づつ作成しギルドに全権を預け、自分達の直接の指揮下に無い八体の真なる守護者。

 それが彼等である。

 他の都市守護者との決定的な違いはその装備の質であろうか。

 いくらワールドチャンピオンと言える八欲王と言えど30体ものNPC全てに十分な装備をいきわたらせるのは難しかった。

 それ故に各自がそれぞれ作った特別な一体、彼らにだけは十分な装備が与えられていた。

 

 彼等はエリュエンティウへと降りたが天空城から一定以上離れる事は無かった。

 まるで天空城を守るようにと。

 ギルドとの繋がりが絶たれようともそれは変わる事はない。

 もはや時間の問題で堕ちる天空城をただただ彼等は見守る。

 もうギルドとの絆など切れている筈なのに。

 

 だが彼等が必要以上に天空城から離れないとはいえその配下達は違う。

 無数の配下達は思い思いにエリュエンティウの都市を破壊し、人々を蹂躙していく。

 誰の助けも無い。

 世界は一瞬にして闇に落とされたのだ。

 

 

 

 

 全ての始まりはバハルス帝国。

 ズーラーノーンとモモンガが出会った時からこれは約束されていたのかもしれない。

 ズーラーノーンがモモンガの信頼を得れば得る程に、それへと近づいて行く。

 旅をし、一つの都市を経るごとに少しづつだが確実に。

 小さなうねりが、やがて大きな力を生むように。

 

 世界を滅ぼす災厄の渦。

 

 それは確かに現実となってこの世界へと舞い降りた。

 水面下での動きなど誰にも分かる筈はない。

 いつだって事件は唐突に起きるのだ。

 ズーラーノーン、いやスルシャーナの恨みは形を成し、この世界と引き換えに彼の望みは叶えられた。

 何百年もの時を経てスルシャーナの願いはここに花開いたのだ。

 もしも予言にあった破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)がいたとするならばそれはモモンガではなくスルシャーナの事であっただろう。

 誰かが気付くべきだったのだ。

 占星千里は破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)の出現ではなく、()()を予言していたのだから。

 復活とはつまり、かつてこの世界にいた何者かの再臨に他ならない。

 それが彼等の崇める神であった事はスレイン法国にとってはなんとも皮肉な事だ。

 

 

 

 有史以来、世界中で類を見ない程の死者を出したこの日は災厄の日として歴史に名を残す事になる。

 誰も忘れる事ができぬ、史上最悪の一日。

 

 またの名を――

 

 

 




またまた更新が遅くなってしまいました…
世界各国を描写する関係上、話をコンパクトにしようとしてもどうしても長くなってしまい…
そしてあまりにも長くなりそうだったので前後編に分けました!
しかし前篇と名乗る通り中途半端な所で終わっている感じなので自分でもモヤモヤしています
なので後編は一週間以内に投稿します!
一週間以内です!

…が、頑張ります

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