弱体モモンガさん   作:のぶ八

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前回のあらすじ

漆黒聖典を無事撃退したモモンガ達!
そしてなぜかズーラーノーンとイビルアイが仲間になってしまう!


幕間:クレマンの冒険 - 前編 -

 クレマンティーヌがモモンガと別れ、もとい逃げ出してから何日経っただろう。

 帝都を飛び出した後はそのまま南下しカッツェ平野へと入っていた。緑がほとんどなく赤茶けた地面が広がる荒涼たる大地。それに加え、常に薄い霧によって覆われており視界も悪い。さらにはアンデッドの多発地帯であり、強力な個体さえ出現する。とてもではないが人間が一人で生きられるような場所ではない。

 そんな場所へと何の準備も無く入ったクレマンティーヌが無事に過ごせる筈などなかった。

 歩を進める間は常にアンデッドの襲撃に怯え、休んでもアンデッドに寝首をかかれる心配をしなければならず満足に眠る事などできない。夜は常にアンデッドの味方だ。

 数日にも渡る慢性的な睡眠不足からクレマンティーヌの目の下には深いクマが出来ていた。水や食事等も満足に取れる筈はなく、肉は削げ落ち皮膚は割れ、口の中は乾燥している。その状態でありながらも足を動かし前に進まなければならないのだ。

 

「かぁっ、かぁっ、ち、ちくしょ…、また…、か…!」

 

 拾った木の枝を杖代わりに頼りない足取りで歩くクレマンティーヌ。その周囲にはいつのまにか数体のスケルトンがいた。いずれもここで生まれたばかりの個体でありそれほど強くない。国の一般兵や低級の冒険者でも殲滅できるような相手だ。とはいえ今の状態のクレマンティーヌは動くだけで体力を消耗する。

 カッツェ平野に入ってから何体のアンデッドを屠っただろうか。何十、いや百すら達しているかもしれない。悲しいかな、もしクレマンティーヌが冒険者であったのなら多くの褒賞やランクアップが保証される働きだろう。だがそんな評価などされない今の彼女にとっては徒労以外の何物でもない。

 フラフラと揺れるクレマンティーヌへとスケルトン達が一気に襲いかかる。

 だが腐っても英雄の領域に足を踏み入れた人外。どれほど衰弱していても低位のアンデッドに後れを取るなどありえない。

 突如として先ほどまでの緩慢な動きなど嘘のように身を翻しその勢いで懐から取り出したメイスを振りかぶるクレマンティーヌ。そのたった一振りで三体のスケルトンの頭部を破壊する事に成功する。

 今の攻撃で頭部を失った一体の身体を蹴り飛ばし、後ろにいる二体のアンデッドを巻き込み転倒させる。その間に新たに横から迫っていたアンデッドの肩を掴み至近距離へと引き寄せると強烈な膝蹴りで頭蓋を砕く。そして体の勢いをあえて殺さず、先ほど転倒させた二体のスケルトンへとそのまま倒れ込む。その際に手に持ったメイスの柄で一体の頭蓋を完全に粉砕する。

 最後に残ったスケルトンに対しては、息を整えゆっくりとメイスを振り下ろす。

 この一瞬とも言える時間で六体のアンデッドを流れるように倒す事に成功する。頭部を破壊しただけでは完全には滅ぼせないので入念に体を砕いておく事も忘れない。 

 それが終わると再び気だるそうに歩き始めるクレマンティーヌ。心底面倒くさそうに、だが死にたくないという葛藤が悲鳴を上げる彼女の体を突き動かす。

 少し前まであった腹が裂けるような空腹はもはや感じず、喉を刺すような渇きだけが彼女を支配する。すでにこの二日全く水分を取っていない。このような荒涼たる大地でそれは死活問題だ。

 そんな中それでも必死に足を進めていくと奇跡的に大きな岩の影に水溜まりを発見する。神は彼女を見捨ててはいなかったのだ。

 すぐにその水溜まりへと駆け寄ると顔を突っ込み一気に飲み込むクレマンティーヌ。その水がどれだけ濁っていてもどれだけ汚れていても関係ない。水分であるというだけで価値がある。例えそれがどれだけ生臭く、吐き気を催すような臭気を放っていたとしても。

 数十分で変化は起きた。数時間後には無視出来ぬほどの悪影響に襲われる。

 

「げぇっ、おえぇぇっ!」

 

 異常な腹痛と込み上げる吐瀉物。飯もろくに食べてないクレマンティーヌの口から吐き出されるのは先程大量に飲んだ汚れた水だけだ。この極限状態にありながら彼女の身体はこの水分を拒絶していた。

 

「おげぇっ…! あぎっ、あぅぅぅう…!」

 

 水は腐っていたのだ。あるいは小動物の糞尿でも混じっていたのかもしれない。

 あまりの苦痛に地面に突っ伏し身をよじるクレマンティーヌ。もう胃が空になったのではと思うほど吐き出しても一向に苦痛は収まらない。腹を握り潰されるような強烈な痛みと体を襲う悪寒と気だるさ。

 しかしこのままここに倒れている訳にはいかない。

 生者の気配と苦痛の声に呼ばれたのだろう。クレマンティーヌの元へとアンデッドの群れが近づいてくる。

 それに気づいたクレマンティーヌは必死に重い足を引き摺りながらもその場を後にする。この状態で真面目に戦闘などしていられない。アンデッドとの距離がある内になんとか逃げ切らねばならないのだ。

 

「かひゅっ…、かひゅっ…。うぁぁ…、あうう…」

 

 さらに数時間後、アンデッドの群れから逃げる事に成功したクレマンティーヌだがすでに周囲は暗闇に閉ざされていた。漆黒の闇が支配する夜、つまりアンデッドの時間だ。

 薄い霧と暗闇により視界が閉ざされまともに行動など出来ない。クレマンティーヌは周囲にあった岩の隙間へと体を滑り込ませそこで久しぶりの休息を取る。

 だがその休息は突如足を襲った鋭い痛みにより中断された。咄嗟にハネ起き、何事かと周囲を見渡す。視界の先で暗闇の中モゾモゾと蠢く物体を発見した。サソリである。だがクレマンティーヌは臆しはしない。微妙な影の動きを追い、手の感触を頼りにサソリを捕まえる。次にやる事は一つだ。

 捕食。何の躊躇も無く捕まえたサソリへと齧り付く。

 ペキペキパキパキと殻が割れる音が辺りに響く。久しぶりの食事にありつけたからかクレマンティーヌの体は忘れていた空腹を思い出す。

 

(足りない…、全然足りない…)

 

 飢餓感に支配されたクレマンティーヌは本能のまま暗闇の中を這いずり回る。極限まで研ぎ澄まされ常人離れした感覚が新たな獲物を発見した。

 3、4メートルはあろうかという蛇だ。大蛇と言うには物足りないがそれでも小型の蛇に比べればそこそこ長く太い部類。

 クレマンティーヌに気付き慌てて体を這わせ逃げようとする蛇。だからクレマンティーヌはそれを逃さない。完全な捕食者モードに入った彼女の瞳孔は限界まで絞られ、僅かな光でも視界を確保するに至る。肌は空気の僅かな震えを感じ、耳は大地の軋む音すらも聞き逃さない。

 素早い動きで物陰に潜み逃げようとする蛇を上回る速度で迫るクレマンティーヌ。そのまま容易く首根っこを捕まえ、腰に差したナイフで一気に蛇の身体を斬り裂く。零れ落ちる血を渇いた舌で掬い取り嘗め尽くす。一滴すら残さぬとばかりに吸い付き血を啜る。

 血が喉に張り付くような違和感とベタつきはあるものの、渇きを癒そうとする感覚の方が勝った。そうして流れ出る血を吸いつくすと蛇の解体を始める。専門的な解体など出来ないし、ここでは火を使う事も出来ない。生臭さに耐え、適当なサイズに斬った蛇を次々と口の中に放り込んでいく。

 ふと気付けばいつの間にか全て食べ尽くしていた。久々に感じる満腹感がクレマンティーヌの眠気を刺激する。心地よい気分で眠りにつける喜びを噛み締め瞳を閉じた。

 

「ぐぅぅぅう…! いぎぃぃぃ…! あぐぐ…!」

 

 だが翌朝訪れたのは快適な目覚めでは無かった。

 焼けるような高熱が体を襲う。頭蓋骨が殴られているのではないかと錯覚する程の頭痛。そして、昨日サソリに刺された足は赤く腫れあがり何の感覚も無かった。

 毒である。

 全身を巡っているのは刺された事によるサソリの毒なのか、あるいは毒を持つサソリや蛇を何の処理もせずに食べてしまったからなのかは分からない。ただ分かるのは朦朧とする意識と体を焼くような高熱、激しい頭痛。腫れあがった足は何の感覚も無く、棒か何かがそこに縫い付けられているような違和感があるという事だけ。

 そもそもこの毒が自然治癒するものなのか、あるいは致死性のものかさえクレマンティーヌには判断が付かない。対処も分からない。法国において座学をきちんと受けていればこうはならなかったかもしれないがサボっていたツケが回ってきたという事だろう。

 時折訪れる瞬間的な痛みに体がハネ上がり、限界まで背筋を逸らせる。体は痙攣し、目や口など体中の穴という穴からあらゆる体液が溢れ出す。それは下の方とて例外ではない。

 一向に収まらぬ地獄の苦しみ。

 体や頭に爪を立て掻き毟る。収まらない。

 地面や岩に何度も頭を打ち付ける。収まらない。

 手の甲にナイフを突き立てる。収まらない。

 もはや肉体と精神が乖離し、脊髄の反射だけで動き回る生き物と成り果てたクレマンティーヌ。見るも無残な姿である事に本人は気が付きようがない。

 

「びぇ…、げぅ…?」

 

 しばらくしてわずかに意識を取り戻した。

 どれだけの時間が経ったのか、自分が何をしていたのかすら覚えていない。どこにいるのかさえ分からない。だが周囲には転がる見覚えのない数多のアンデッドの骸が転がっている。それらは無意識でありながらも自分が戦っていたのだという事を知らせるだけだ。戦士としての本能が為した業なのかは知らないが命がある事に安堵するクレマンティーヌ。

 しかし体中は傷だらけ。皮膚は擦り切れ、無数の痣が残っている。肉は裂け、骨は鈍く痛む。内臓は外に剥き出しになっているのではないかと錯覚する程、動く度に言い様のない苦痛を齎す。

 しかしクレマンティーヌは立ち止まる訳にはいかない。

 ここはカッツェ平野。

 一つの場所に長時間居座る事は死を意味する。意識を取り戻した以上、ここを離れなければならない。すぐに新たなアンデッドが集まってくるだろう。

 気力だけで満身創痍の身体に鞭を打ち、感覚の無い脚を引き摺り、耐え難い痛みを噛み締め彼女は進む。

 もはや時間の感覚も無く、一瞬とも悠久とも思えるような時間の果てにクレマンティーヌはカッツェ平野の端へと辿り着いた。緊張が緩み、喜びでその場にへたり込みそうになるが必死で耐える。未だここはカッツェ平野。完全に抜けるまで安心など出来ないからだ。

 

「グルルルル…」

 

 その不安は的中した。杖代わりの木の枝に体の大部分の体重を預け、老人のように弱々しく歩くクレマンティーヌの前に野生の骨の竜(スケリトルドラゴン)が出現した。

 格下とも言える相手だがクレマンティーヌにとって相性の関係上最悪の相手。元々アンデッド自体が相性の悪い相手なのだがこの巨体ともなればその比ではない。

 やっとゴールが見えたと思ったのにそれを最悪の相手が遮っている。あまりにも運が悪すぎて笑えてきてしまう。今の満身創痍の体では逃げ出す事すら出来ない。

 

「はは…。よ、よりにもよって…。ふざけんな…っつーの…」

 

 そんな呟きを嘲笑うように骨の竜(スケリトルドラゴン)が吠え、その超巨体から繰り出される体重が乗せられた尻尾の一撃。直撃を受けたクレマンティーヌはゴミのように宙へ投げ出され大地を転がっていった。ゴロゴロと回転を続け、勢いが無くなった頃にはもうピクリとも動かない。

 骨の竜(スケリトルドラゴン)がトドメを刺そうと近づいて来ても反応できない。もはや動くことすら出来ないのだ。

 踏み潰す為に骨の竜(スケリトルドラゴン)の足が勢いよく振り上げられ、クレマンティーヌの体へと無慈悲な一撃が振り下ろされた。全身に信じがたい圧力がかかる。潰れたトマトのようになるのは時間の問題であろう。

 

「がっ………!」

 

 ズンと大地が揺れ、周囲の地面が蜘蛛の巣状に砕けていく。

 そんな状況でありながらクレマンティーヌの耳に聞こえたのは、圧し潰されミシミシと軋む自らの体の悲鳴だけだった。

 

 それはきっと、命が潰れる音。

 

 

 

 

 スレイン法国で「クインティアの片割れ」と呼ばれた女がいた。

 小さい頃から名前で呼ばれるよりもその通り名で呼ばれる事が多かった。常に優秀な兄に比べられ、劣等感の塊として生きてきた。名前を呼ばれぬという事は誰も彼女に興味が無いという事。彼女が何かを成し遂げても褒める者など誰もいない。いつも兄に比べ劣っていると蔑まれるだけだった。

 しかし彼女自体は優秀であった。

 とはいえ比較対象が悪すぎたのだ。彼女の兄は法国の歴史の中でも上位に数えられる程の優秀さを誇った。幼い頃からあらゆる才能を発揮し、神童の名を欲しいままにした。身体能力は勿論の事、座学では法国の大人顔負けの成績を誇る。それに加え希少なビーストテイマーとしての能力を開花させ、その価値をさらに引き上げた。人柄も良く、彼の駄目な所を探す方が難しいと言われる程だった。

 やがて彼女の妹という存在が周囲に認知される。皆が期待しただろう。あれだけ優秀な兄を持つのだ。きっと妹も優秀に違いないと誰もが信じていた。

 しかしなぜそうなったのか。

 血が繋がっていても優秀な者とそうでない者が存在するのは至極当たり前の事だ。誰でも知っている。ならばなぜ彼女に限って優秀な兄と比較され続ける事になったのか。

 これに関しては兄が悪いとも言える。なぜなら兄は妹の潜在能力、つまりは才能がある事を幼少の時から見抜いていた。彼は家族として本当に妹を愛しており、また妹の才能を誰よりも喜んでいた。だからこそ周りの大人に妹の事を喜々として語っていた。悪気は無く、良かれと思っての行動だった。

 

『僕の妹は本物の天才です。いつかは僕よりも優秀な成績を収めるでしょう。きっと国に大いなる貢献をしてくれる筈です』

 

 彼女の両親は勿論、国のあらゆる大人達が色めきだった。

 法国の歴史の中でも有数と言える神童が自らの妹はさらに優秀だと口にしたのだから。周囲からの妹への期待は否が応でも高まってしまう。皆が第二の神童の誕生を喜びその成長を待ち望んだ。

 そして妹が6つになる頃だろうか。彼女は軍事教育を受ける為に法国の特殊学院へと入学させられる。これは珍しい事ではなく、良い血筋を持つ者や才能を持つ者を小さい内から教育するという法国の方針によるものだ。

 兄と非常に良く似た顔をした妹。

 その入学は皆の心に兄の再来を思い起こさせ、お祭り騒ぎと言っていい程の賑わいを見せた。

 が、蓋を開けてみると彼女の成績はさほど目を引くものでは無かった。

 平均より上の水準を満たしてはいるものの、それでも兄と比べると酷いと言える程に落差があった。それほど兄は優秀だったのだ。最初はたまたまだと思われた。だが一年経っても二年経っても成績にそこまでの変化は訪れなかった。

 いつしか妹は大人達から失望するような目で見られるようになった。

 

『あれがクインティアの片割れか』

『似ているのは顔だけだな』

『兄がもっと幼い頃に出来ていた事がまだ出来ない』

『兄に匹敵する天才どころかただの落ちこぼれだな』

『とんだ期待外れだ』

『兄に比べ不出来な妹』

『同じ両親、同じ血とは思えん』

『真面目にやっていないんじゃないか?』

『兄はあれだけ真面目なのに』

『兄を見習え』

『兄は』

『兄』

『兄』

『兄』

 

 いつしか両親すらも妹に愛情を注がなくなっていた。国の役に立つのが生き甲斐ともいえる家系だった。だからこそ優秀で国の役に立つであろう兄だけが両親から愛された。愛されて、愛されて、愛され尽くした。

 外では勿論、いつしか妹は家の中ですら誰とも言葉を交わさず一人で過ごす様になっていた。

 誰も彼女に優しくない。

 誰も彼女に興味が無い。

 誰も彼女の名を呼ぶことは無い。

 しかし兄だけは違った。心から妹を愛し、本当の意味で理解していた。だがそんな兄の言葉が妹に届く事は無い。

 

『お前はやれば出来る』『本当に凄い才能を持っている』『自分に自信を持て』『僕はお前の事を信じている』『何があっても僕はお前の味方だ』『いつか皆が認めてくれる』『僕と違って早熟じゃないだけだよ』『お前は大器晩成型の人間なんだ』

 

 虫唾が走った。

 その優しさが気持ち悪かった。綺麗事で都合の良い言葉だけを並べているとしか妹には感じられなかったのだ。いつしか妹にとってそんな耳障りの良い言葉を口にする兄は憎しみの対象となっていってしまう。

 妹は兄を呪った。そもそもの原因として、兄のせいでこんな目に遭っているのだと信じて疑わなかった。

 次第に兄の言葉に反抗するようになった妹だが両親はそれを叱った。兄は妹の事を思ってくれているのにどうしてお前はそんな態度なんだと。きっと性根が腐ってるんだ。そう罵倒された。

 気が付けば家の中に妹の居場所は無くなっていた。兄だけが必死に妹を擁護していたが周囲からは出来の悪い妹を庇う心優しい兄としか映らなかっただろう。兄をみる両親の目は輝いており、本当に誇らしく思っているのだなと伝わってきた。それに対し、妹を見る両親の目はもはや汚物を見るようなものに感じられた。

 この時に妹は理解したのだ。

 両親は自分の味方ではないのだと。その瞬間、妹は家を見限った。

 

 次の週から妹は学院の寮に寝泊まりをするようになった。

 最初は学院の生徒から嫌がらせを受ける事が多かった。大人達が皆口を揃えて、期待外れだ落ちこぼれだと言っているからだ。それを知った子供達が茶化さない筈はない。そうして妹はバカにされ、後ろ指を指されながら生きるのが当たり前となっていた。

 この時から学院の中で同級生を半殺しにするなどの問題行動が目立つようになる。もちろん半殺しにされた者達が妹を馬鹿にしたせいなのだが学院はそう認識しなかった。素行の悪い妹が勝手気ままに暴れているのだと判断した。

 だがそれでも妹は人として腐る事は無かった。これだけの扱いを受けてなお、堕落せず努力し続けた。

 しかし長年張り続けられたレッテルとは恐ろしいものだ。妹は問題児で落ちこぼれ。そう誰もが決めつけ、信じるが故に現実まで捻じ曲げられ始めた。

 座学で良い成績をおさめても不正をしたと教師から疑われ糾弾された。授業で矛盾点を突かれ恥をかかされた教師は試験の点数を故意に引き下げた。

 落ちこぼれに負けるのが許せなかったであろう同級生からは実技で使う妹の持つ木剣や防具に細工がされることも多々あった。おかげで実力が十分に発揮できないまま実技の授業についていかなければならない妹。

 さらにはそこに付け込まれ一対一の訓練の筈なのに複数の同級生に打ち据えられた。しかしたまたま教師はそれを見ていなかった。なぜかそのたまたまは毎回続くので妹は教師に直訴した。だが妹は授業にケチをつけたと、生意気にも教師に口答えしたと断じられ、罰としてしこたま殴られた。

 いつしか妹は授業をサボるようになった。もはや学院の授業に価値を見出せなくなっていたのだ。とはいえ遊んでいた訳ではない。人目の付かぬ場所でひっそり訓練を積んでいたのだ。しかしそんな事を知らぬ教師からの評判は下がる一方であり、学院の外まで妹の悪評は轟くようになる。

 そんなある日、そんな妹にも一人だけ味方が出来た。

 それは学院でイジメを受けていた気弱な女の子だった。偶然現場に遭遇した妹は気まぐれからイジメっ子共をボコボコにしたのだが、それが縁で女の子と仲良くなった。彼女だけは妹を「クインティアの片割れ」とは呼ばなかった。

 ちなみに妹が凶悪だというのは学院中に知れ渡っていたので、必然的に女の子にちょっかいを出す者はいなくなっていた。こうして妹と仲良くなる事で女の子へのイジメも終わった。

 そうして妹に初めての友達が出来たのだ。

 

 それからの生活は妹にとって全く新しいものになった。他の誰に認められなくとも、心を許せる人間がいるというだけでこんなにも人生とは素晴らしいものになるのかと。

 そうして妹とその女の子が12になる頃、国から任務を命じられるようになった。

 主にそれは各国の要人の暗殺である。法国にとって都合よく他国を動かす為の汚れ仕事だ。もちろん子供でしか入れない場所や、子供である事で油断を誘う為の人選だ。もっと大がかりな場合はキチンと特殊部隊が動く。

 妹と女の子が暗殺という危険な任務を命じられたのはいくつか理由がある。

 一つは実技における成績が悪くなく任務を遂行できる水準を満たしていた事。

 加えて学院の中で爪弾き者であり、将来を期待されていなかった事。

 つまりは死んでもいいと思われていたという事だ。

 だが二人共そんな事は知らない。国から仕事を与えられたと、期待されていると感じて必死に任務を遂行した。

 そうして任務を遂行し始めて二年ほど経った頃、彼女達の人生が狂う事件が起きる。

 潜入先はバハルス帝国。

 この時はまだ鮮血帝ジルクニフが皇帝に就く前の話であり、王国程では無いが当時の帝国の一部は腐っていた。

 相手は違法な奴隷売買を斡旋する犯罪組織の幹部達。

 いつものように妹と女の子は屋敷に忍び込み、寝ている隙にターゲットを殺して逃げようとした。だが単純に相手が悪かった。相手は犯罪組織の幹部達。腕利きの傭兵を雇っており、妹と女の子はあっけなく捕まった。

 そこから始まったのは尋問だ。だが法国の教育により絶対に口に割る事は無い。それに捕まったとしても法国の特殊部隊が助けに来てくれる。そう聞いていたのだ。

 妹は拷問用の椅子に繋がれ、ありとあらゆる拷問を受けた。

 しかし女の子は拷問ではなかった。妹の目の前で大勢の男に犯され廻されたのだ。

 何日経っても法国からの助けは来なかった。

 永遠とも思える時間の中で続く地獄。

 痛みに何度泣き叫んでも、あるいは女の子の安全を懇願しても嘲笑われるだけだった。

 気が付けば妹は度重なる拷問の末、見るも無残な状態と成り果てていた。顔は原形を留めない程に腫れあがり、手足の指は全て潰され、体中には幾つもの刀傷、痣。様々な拷問器具による痕。さらには熱せられた洋梨によって体の内部すら無事な状態ではない。生きているのが奇跡と言える程。

 共にいた女の子は犯され続けたせいか何にも反応しなくなった。まるで意識無く横たわる人形のように。きっと精神が死んだのだろう。

 この時の帝国で流行っていた尋問方法の一つで、二人以上の侵入者を捕まえた場合、互いに見せつけながらそれぞれ違う目に遭わせ口を割らせるという方法があった。

 しかし妹も女の子も最後まで口を割る事は無かった。

 やがて犯罪組織の幹部達も二人に口を割らせる事は諦めた。もはや二人共衰弱しきり死ぬのは時間の問題だったからだ。そうして彼女達は手足を縛られ、死体を処分する為の場所へ運ばれる。

 二人の男により森の奥まで連れていかれ大きな穴の前に立たされた。その次の瞬間、妹の目の前で女の子の胸部に刃物が突き立てられた。即死である。女の子は何も言い残す事無く、ゴミのように殺された。

 その瞬間、妹の中の世界が崩れた。

 心の拠り所を失い、この世を呪い、己の人生に絶望した。

 制御できない初めての怒りに体のコントロールを失う。溢れ出るのは耳をつんざくような奇声。脳が沸騰したようだった、全身が焼けたように熱くなり、想像もしなかった力が出る。

 まずはここへ連れてきた男の一人へ体当たりをして穴の中へと落とした。次に残った男の首へと噛みつくも歯は拷問により全て無い。その勢いのまま地面に押し倒し、縛られた両手で男の頭を殴打した。腕が折れる程、何度も、何度も。男が静かになった頃には頭部は大きく陥没しており、中身が漏れ出ていた。

 一瞬の事だ。壮絶ともあっけないとも表現できる様相。

 自分のどこにこんな力があったのかと驚いた。穴に落ちた男は足の骨を折っていたのでトドメを刺すのは簡単だった。しかし手足を縛られた半死半生の子供に殺されるとは男達も思っていなかっただろう。

 こうして妹は生還する事が出来たのだ。

 ボロボロの体でありながらも妹は帝国に潜んでいる風花聖典と連絡を取る事に成功。そして無事に本国へと帰還する事になった。もちろん女の子の死体と共に。

 妹の体は治癒魔法で元通りになったが記憶はそうではない。あの拷問の日々は間違いなく妹の人格形成に影響を与えた。女の子が殺された事も同様だろう。

 とはいえ国に帰れば女の子を蘇生させてもらえる。そう信じていた。

 結論から言うと女の子が蘇生される事は無かった。

 蘇生には金貨が必要になる。簡単に言えば国は女の子にそれだけの金貨を払う価値が無いと判断したのだ。任務に失敗した妹と女の子は役立たずの烙印を押されていた。大事な国の金を僅かとはいえ無駄な事に使う訳にはいかないというのが上層部の判断だった。

 さらに女の子の実家から金貨が支払われる事も無かった。役立たずな上、輪姦された娘など嫁にも行けないからというのが理由だったようだ。妹は忘れもしない。凌辱され尽くした女の子の遺体を、嫌悪あるいは軽蔑したような目で見下ろす母親の姿を。

 なにはともあれ女の子は荼毘に付され、蘇生させる事は出来なくなってしまった。

 二人が捕まった際、法国から約束された救助は来なかった。どうやら他に優先順位の高い事件が発生したというのが理由だったらしいが真実かは分からない。

 恐らくだが、悪童として有名で国内で忌み嫌われる妹。その妹の家からは何があっても文句が出る事はない。両親は家の恥だと断じていたからだ。優秀な兄だけは違ったが、彼があまりに妹を庇うものだから妹がいない方が両親や国にとって都合が良かったのかもしれない。神童の周囲に余計な悪評はいらぬのだから。まかり間違って神童に悪影響でも出れば目も当てられない。

 そのせいなのか兄は妹の近況をこの時まで聞かされていなかった。 

 さらには妹はすでに国の暗部に関わる汚れ仕事の張本人だ。任務中に事故で死んだとして何の不思議があるだろう。

 つまり国は妹達をただの道具としか思っておらず、妹の大事な友人である女の子は国に見捨てられたのだ。蘇生すらさせてもらえないのがその証拠だろう。

 そうしてこの日、妹は国を見限った。

 

 再び一人になった妹は人が変わったように問題行動が目立たなくなった。何を言われても何をされても文句一つ言わないその姿があまりに奇妙で恐ろしく、いつしか誰も彼女に近寄らなくなった。

 その後は淡々と任務をこなし、異常ともいえる恐るべき速度で力を付けていった。

 数年後、法国の中でも上位に位置するほど強くなった妹は突如長期休暇を申請した。その理由は不明であり、誰にも明かされる事は無かった。

 その目的地はバハルス帝国。

 動機は復讐。

 妹は数年ぶりに自分を拷問した男達の元へと訪れた。今度はコソコソと忍び寄ることなく、正面から傭兵や護衛を叩き殺して。

 そうして妹は復讐を遂げる。自分のやられた拷問を全てやり返したのだ。もちろんそれだけではない。ここに来る前に大量のポーションを買い込み、治癒魔法の仕える魔法詠唱者(マジックキャスター)を引き連れていく。ちなみにこの時の魔法詠唱者(マジックキャスター)が秘密結社ズーラーノーンの関係者でここから妹は繋がりを持つようになるがそれはまた別の話。

 自分の味わった拷問の後は、考え着くありとあらゆる拷問を実行した。女の子の仇を取る為、男を雇って尻を掘らせたりもした。穴が裂けるまで。使い物にならなくなると回復してやり、もう一度最初から楽しんだ。

 妹の暗い感情は拷問を行う度に晴れていくように感じられた。拷問をすればするほど、拷問された痛みが癒えていくようだった。さらに男達の命乞いは至上の音色となって妹を心から愉しませた。妹の表情が愉悦に歪み、興奮が新たな嗜虐を求める。長年抑圧されてきた感情が解放され、残酷さがここに極まる。表と裏がひっくり返るように。奪われる者から、奪う者へ。

 やがて心から満足した妹は復讐を終わらせる。すると妹はこれまで感じられなかった極上の余韻に浸る事が出来た。頭は鮮明に覚醒し、心は生まれ変わったように高揚していた。

 これが妹にとって拷問を行うという原体験となったのだ。それは心地よいものなのだと彼女の脳は認識した。すでに妹は壊れてしまっていたのだろう。

 以降、彼女は拷問と人を殺すのが大好きになり、恋してしまい、愛するようになってしまった。

 

 この後、妹はその実力が国に認められ法国最強の特殊部隊たる漆黒聖典に入隊した。

 妹の戦闘能力が国に評価されたのだ。なぜならその戦闘能力においては兄を凌ぐ域にまで達していたからだ。殲滅戦では勝てないが単体の勝負ならば確実に兄を凌駕している。兄だけではない。戦士としては神の血を覚醒させた神人を除き、人類で最強という領域にまで到達していた。

 奇しくもそれは彼女の在り方そのものであった。

 正当な剣術や槍術とは違う。誰かを守る為の技ではなく、国や人類の為の技でもない。過去から受け継がれた伝統ある技とは一線を画した、彼女だけの物。

 極限まで無駄を削ぎ落し、命を奪う事のみを追求した殺す為だけの剣。故に生きている者で彼女に勝てる人間などまず存在しない。それ程の高み。

 兄の言う妹が天才だという言葉はここに証明されたのだ。

 いつしか妹は周囲から名前で呼ばれるようになり、誰もが彼女を認めるようになっていた。

 その事を誰よりも喜んでいたのは兄だったが、妹が兄と口をきく事は無かった。両親も妹の思わぬ出世に喜んだが、今の妹にとってもう両親など路傍の石にも等しい。両親から送られた手紙等は読まずに破り捨てた。

 妹の求めるモノはもうこの祖国には存在しないのだ。

 誰も妹を理解出来ず、誰も妹に寄り添えない。

 法国において最上級の躍進を果たしながら、子供の頃から変わらず妹は孤独のままだ。

 

 妹が漆黒聖典に入隊してからしばらくした時、法国で奇妙な事件が起きた。

 原因不明の行方不明者が相次いだのだ。

 しかしその情報が公開される事は無かった。彼等は全て妹と接点があった者達。表向きの筋書きはこうだ。

 かつて妹を陥れた学院の教師達は田舎へと転勤、妹の暗殺任務に関わっていた関係者は隠居する事になり、友人だった女の子の母親を不慮の事故が襲った、と。

 ある日示し合わせたようにこの国から姿を消した彼等に何があったのかは誰も知らない。なぜなら国の上層部はこの事件に関して追及をしなかったからだ。肝心の証拠が出なかったという事もあるだろう。

 だが問題の本質は別にある。

 要はそれらの人物よりも、現在の妹の方が価値が高いという事なのだろう。法国は現実主義であり、実力主義なのだ。本物の実力を持っていれば多少の問題は見逃される。だからこそ行方不明者などいなかった、事件は何も起きていないのだと法国は発表したのだ。

 それこそが人類至上主義を謳うスレイン法国という国の本質であり、それほどまでに人類という種がこの世界において脆弱なのだという証でもある。

 もし妹が国から脱走する際に、巫女姫から叡者の額冠を強奪していなければ今でも上層部は妹を引き戻そうと四苦八苦していたかもしれない。

 それはさておき、いずれにしろそうして妹の歪んだ人格形成に携わった多くの者達はこの世からいなくなった。

 だが、もう全ては手遅れだ。

 彼等が消えた所で妹が元に戻る筈も無い。

 もはや妹にとって価値のある物など残っていないのだ。

 大事な物は全て奪われてきた。

 親の愛も。

 周囲からの期待も。

 大事な友人も。

 祖国への信頼も。

 まともな感性も。

 何もかも奪われ手元には残っていない。

 残ったのはあらゆる痛みの記憶と、破綻した性格だけ。

 それが「クインティアの片割れ」と呼ばれた女の半生だ。

 

 

 

 

 骨の竜(スケリトルドラゴン)の足に踏み潰されながら自分の命が失われていくのを感じるクレマンティーヌ。走馬燈のように自分の人生を垣間見た。いずれも二度と見たくないものばかりであった。

 しかし、一つ気付いた事がある。

 残ったのは痛みの記憶と、破綻した性格以外にもう一つだけあった。

 強さだ。

 人間の頂点とも言うべき高みにまで昇った己の武力。

 それだけがクレマンティーヌの存在価値であり、それだけが彼女のよすがだ。

 その筈なのになぜ自分はこんな所で死にそうになっているのだろうかと自問する。

 相性が悪いとはいえ、遥か格下の骨の竜(スケリトルドラゴン)に殺されるなどあってはならない事だ。そんな事になれば己の全てが否定される。クレマンティーヌという存在が意味の無いものになる。そんな事を許していいのだろうか。

 否。

 決して許すわけにはいかない。許される筈が無い。

 強さだけが己の人生の中で唯一誇れるもので、それだけが心の支えなのだ。

 それが奪われれば、クレマンティーヌは本当に何もかもを失う。

 

「ぐぅぅ…。ふ、ふざけんなよ…! 強さも…、命も…! 私だけのものだ…! これ以上…、無くしてたまるか…!」

 

 尋常ならざる怒りと、極限まで肉体が追い込まれた事によりクレマンティーヌが覚醒する。脳のリミッターが外れ、あらゆる能力が限界を超える。それはかつて女の子が目の前で殺された時と同じだったかもしれない。だが今はあの時とは違う。

 英雄級の強さを持つクレマンティーヌ。故に比喩としての人外ではなく、正真正銘本物の人外へと達する。

 もしこの状態に名をつけるなら<脳力解放>と呼ぶべきだろう。一時的とは言え、数レベル分の上昇に相当する。昔と違い、今はこの力を完全に己のものとする事が出来た。

 

「ク、クソアンデッドがぁあぁ! 誰の体を踏んでやがるぅぅぅうう! テメェ如きがこの私をやれると思ってんのかぁぁあ!?」

 

 単純な腕力だけで動くクレマンティーヌ。その力に圧され骨の竜(スケリトルドラゴン)の巨大が傾き、踏まれたままの状態でありながらクレマンティーヌが立ち上がる。

 

「この! 人外――英雄の領域に足を踏み込んだクレマンティーヌ様がっ! 負けるはずがねぇんだよぉぉ!」

 

 すでに英雄の領域すらも抜け出しかけているのだが本人はまだ認識していない。

 

「うぉぉぉおぁぁあああ!!!」

 

 自分の体を踏んでいた骨の竜(スケリトルドラゴン)の足を掴み、無理やりに引き剥がす。掴んだ足を全力で引き、骨の竜(スケリトルドラゴン)の巨体を力づくで横転させる。

 

「グォォォオオ!?」

 

 地面に引き倒した骨の竜(スケリトルドラゴン)の足の骨を叩き折ると、それを武器にして他の手足も叩き折っていく。倒れもがく骨の竜(スケリトルドラゴン)を見下ろし、愉悦の表情を浮かべるクレマンティーヌ。

 なぜこんなにも他者を虐げるのは楽しいのか。拷問や、命を奪う事がどうしてここまで愛おしいのか。

 復讐は甘く、原体験から快楽が呼び起こされる。

 しかし本当にそれだけなのだろうか。これ程までに固執するという事は他の理由もあるのではないか。

 そして気付いた。

 他者から奪っている瞬間だけが、己が奪われる恐怖から解放されるのだと。

 彼女の半生は確かに彼女を蝕んでいた。

 もう何も失わぬように、奪われぬようにと。

 失う恐怖から逃れる事こそが彼女の最も深い欲求であり、あらゆる動機の根源。決して逃れえぬトラウマだ。

 その恐怖を忘れていられる時間こそが彼女にとっての救いであり、真の至福をもたらしてくれていたのだ。

 ただ恐れていただけだった。これ以上何かを失う事を。

 だからこそ軽薄でふざけた態度を仮面として己に貼り付けた。

 浅く軽い人間性、何にも頓着していないような、それでいて狂った人間を演じたのだ。

 それはもう誰も己の深層に触れないようにする為の自己防衛。

 

「…笑える」

 

 もう失うものなんて何も無いのに。

 奪われて困るものなんて存在しないのに。

 欲しかったものは全部、すでにこの手から零れ落ちている。

 

「強さだって…、私より強い奴なんてこの世界にいくらでもいるみたいだし…。そんなものに価値を感じて、それを誇ってどうなるっていうんだろうねー…?」

 

 骨の竜(スケリトルドラゴン)に語り掛けるように視線を落とすが、すでにその巨体はクレマンティーヌの猛攻により完全に粉砕され、アンデッドとしての偽りの生が消え失せている。

 

「自分より強い奴にビビって逃げ出すような奴がさ、偉そうに強さを誇ってたかと思うと…、ははは、情けなー…」

 

 渇いた笑いがクレマンティーヌから漏れ出る。

 神人や盟主のような存在は特殊で例外だと信じていたが、ポッと出のアンデッドにさえ自分より遥か格上の強者が存在したのだ。勝負にならない程の隔たり。

 散々偉ぶって生きてきたが、自分など真の強者の前ではただ怯える弱者にしか過ぎないと改めて思い知らされた。その辺の有象無象と何ら変わらぬちっぽけな存在。手に入れたと思った強ささえ二流品。どこにでもいる道化の一人に過ぎない。

 だが不思議な気持ちだった。己の分というものを理解し、わきまえたら、心が軽くなった。

 

「ま、良くやった方かな…。お山の大将くらいには威張れてたわけだし…。それよりさっさと行かなきゃ…。負け犬は負け犬らしくさっさと逃げるに限るよねー」

 

 クレマンティーヌの容姿から例えるなら負け猫の方が相応しいだろうがそれは重要ではない。

 彼女は自分の弱さを受け入れた。

 自分が情けなくて、価値が無くて、矮小な存在だと受け入れたのだ。

 

「エリュエンティウか…。楽しいトコだといいなー、アハハッ」

 

 再び軽薄でふざけた態度を演じる。

 もしかするとこれこそが彼女の本性なのかもしれない。

 クソッタレな人生の中で獲得した彼女だけの人間性。

 だがどちらでも構わない。

 クレマンティーヌは今まで経験した事のない晴れやかな気分を感じていたのだから。

 しかし。

 

「おぅっ…?」

 

 突如として異常な疲労感が彼女を襲い、膝から崩れる。

 <脳力解放>でリミッターを解除したせいだ。それが終われば疲労や筋繊維の断裂などの影響が出る。体の限界を超えた代償。しかも先ほどまで歩くのもやっとといった所で半死半生の状態だったのだ。つまりは満身創痍の体に逆戻り。とてもではないが動く事など出来る筈もない。戦闘のダメージも残っていれば、限界を超えた代償もある。

 

「や、やばっ…。な、なにこれっ…? し、死ぬ…、死んじゃうぅぅ…」

 

 パタリと地面に倒れ、泡を吹き虫のようにピクピクと痙攣するクレマンティーヌ。

 その様子は悲惨でありながらも、どこか喜劇じみていた。

 

 辺りに気持ちの良いさわやかな風が吹く。

 珍しく周囲の霧は限りなく薄く、見晴らしがいい。

 太陽は煌々と大地を照らしている。

 僅かに生えた雑草達も元気よく踊っているようだ。

 クレマンティーヌの異変などこの景色の前では些末な事に過ぎない。

 そう、世界はこんなにも美しい。

 

 

 彼女の受難はまだまだ終わらない。

 

 

 




話が長くなりそうだったので前後で分ける事にしました(幕間なのに…)
モモンガさん達の話は少しお待ちください

あと次の後編に映画風なタイトルを付けるなら
『クレマンティーヌ -アップライジング-』でしょうか…
アオリ文は「狂女は悔い改めない」とか「本性が変わりはしない」みたいな
ちなみにかっこよく言ってるだけで基本は受難です

クレマンさんの今後にご期待下さい!

PS
<脳力解放>は原作でクライムが習得した武技です
今作では代わりにクレマンが習得してしまいました、すまないクライム…

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