弱体モモンガさん   作:のぶ八

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12巻が待ち遠しすぎて書いてしまいました


王国編
骨違い


「じゃ、そろそろ睡魔がやばいので…アウトします。最後にお会い出来て嬉しかったです。お疲れ様です」

 

 そう発したのは黒色のどろどろとした塊。コールタールを思わせるそれの表面はブルブルと動き、一秒として同じ姿を保っていない。それは古き漆黒の粘体(エルダーブラックウーズ)。スライム種では最強に近い酸能力を有する種族だ。

 

「こちらもお会い出来て嬉しかったです。お疲れさまでした」

 

 そう答えたのは皮も肉も付いていない骸骨。金と紫で縁取られた、豪奢な漆黒のアカデミックマントを羽織っている。ぽっかりと開いた空虚な眼窩には赤黒い光が灯っており、頭の後ろには黒い後光のようなものが輝いていた。それは死の支配者(オーバーロード)魔法詠唱者(マジックキャスター)が究極の魔法を求めアンデッドとなった存在だ。

 

 だが別に彼等は本当のモンスターと言う訳ではない。

 ユグドラシルというDMMO―RPG。そのオンラインゲームのプレイヤーだ。この姿はゲーム内のアバターに過ぎない。

 

「またどこかで会いましょう」

 

 その言葉と共に古き漆黒の粘体(エルダーブラックウーズ)の身体が消える。ゲームからログアウトしたのだ。

 それを見ながら一人残された死の支配者(オーバーロード)は最後に言おうとしていた言葉をポツリと呟いた。

 

「今日がサービス終了の日ですし、お疲れなのは理解できますが、せっかくですから最後まで残っていかれませんか――」

 

 無論返ってくる言葉はない。すでに古き漆黒の粘体(エルダーブラックウーズ)は現実に帰還しているのだから。

 

「どこかで会いましょう…か」

 

 そういった言葉は幾たびも聞いた。だがそれが実際に起こる事はほとんどなかった。誰もユグドラシルには戻ってこなかった。

 それを思い出し死の支配者(オーバーロード)、もといモモンガはキレた。

 

「――ふざけるな! ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! 最後くらい一緒にいてくれたって…! 顔を出してくれたっていいじゃないか!」

 

 怒号と共にモモンガの両手が目の前のテーブルに叩きつけられた。

 ユグドラシルの最終日である今日、ここを訪れてくれたギルドメンバーはわずか3人。全盛期にいたメンバー41人中37人はすでに引退してしまっている。今日来てくれた3人とて引退こそしていなかったものの、以前にここに来たのがどれだけ前だったか思い出せない程だ。

 だがモモンガはそんな引退したメンバーから譲り受けた装備や、残していってくれた金貨は全てそのまま取ってある。いつでも彼らが戻って来れるようにと。現実はそうはならなかったが。

 

 

「ヘロヘロさんは激務で疲れてるんでしょう…、たっちさんは家庭があるし…、やまいこさんや茶釜さんだってきっと仕事が忙しいに違いない…。でもちょっとぐらいいいじゃないか…! ウルベルトさんやタブラさんからは返事が無いし…! ペロロンさんは来てくれるって言ったのに時間になっても来ないし…! ブルー・プラネットさんやホワイトブリムさんだってギミックやNPCをあんなにこだわって作ってたじゃないか…! どうしてこんなに簡単に棄てる事が出来るんだ!」

 

 激しい怒りのまま仲間への愚痴を吐露する。だが後に来たのは寂寥感。

 

「違う、簡単に棄てたんじゃないよな。現実と空想。どちらを取るかという選択肢を突きつけられただけだよな。仕方無い事だし、誰も裏切ってなんかいない。皆も苦渋の選択だったんだよな…」

 

 モモンガは己に言い聞かせるように呟き、席から立ち上がる。

 目の前にあるのは黒曜石の巨大な円卓と41の豪華な椅子だ。

 寂しさと共に少しの希望を託して、それぞれの席の前に一つずつリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを置いていく。ギルドメンバーしか持つことが出来ない大事な指輪だ。だがもうユグドラシルは終わる。モモンガがその全てを持っていてもしょうがない。

可能性は低いと思うがもしかしたら誰か来てくれるかもしれないと願い、ナザリック内を自由に移動できるこの指輪を残すことにした。

 それらを置き終えると壁に飾っている一本の杖に手を伸ばす。それは各ギルドが一つしか所持できないギルド武器と呼ばれるものであり、アインズ・ウール・ゴウンの象徴とも言えるものである。

 

「最後は一人か…」

 

 ギルド武器を手に取り、モモンガは部屋を後にする。

しばらく廊下を進み、巨大な階段を降りていく。降りた先は広間になっておりそこに複数の人影があった。

 先頭にいるのは執事服を着た屈強な老人。その後ろに影のように付き従うのは6人のメイド達だ。彼等はナザリックのNPCであり、仲間が作った存在だ。

 

「ふむ」

 

 普段は指輪の転移によって移動しているので、この辺りに来る事は滅多に無かった。その為、執事たちの外見には懐かしさすら覚えていた。

 モモンガはコンソールへ指を伸ばし、執事たちの頭上に名前を表示させる。

 

「そんな名前だったか」

 

 彼等の名前を忘れていたことに苦笑するモモンガ。先ほどは仲間達への愚痴を口にしたものの、自分とて忘れていた事があるのだと思い知らされたからだ。

 ずっとログインしていた自分でさえ忘れていた。仲間と共に作り上げた大事なナザリック地下大墳墓の一部である彼等を。ならば仲間達とて――

 

「付き従え」

 

 執事とメイド達が頭を下げ、命令を受諾した事を示す。

 侵入者をここで迎撃する為に作られた彼等だが、結局ここまで攻め込んできたプレイヤーはいなかった。彼等はずっとここで待っていたのだ。誰からの命令も受ける事なく、この場所でいつか来るだろう敵を。

 最後くらい彼等を働かせてやろう、そうモモンガは思った。

 NPCを哀れに思うなんてバカなことだ。所詮はデータでしかない。もし感情があるように思えたなら、それはAIを組んでいた人間が優れていたということだ。

 だが、そうは理解していてもモモンガは少しだけ彼等に自分を重ねてしまったのだ。彼等を見て少しだけ胸が締め付けられた。

 

 そして玉座の間へとモモンガは向かう。

 そこは広く、高い部屋。見上げるような高さにある天井。壁の基調は白で、金を基本とした細工が施されている。

 天井から吊り下げられた複数の豪華なシャンデリアは七色の宝石で作り出され、幻想的な輝きを放っていた。

 壁にはそれぞれ違った文様を描いた大きな旗が、天井から床まで計41枚垂れ下がっている。

 金と銀をふんだんに使った部屋の最奥には十数段の低い階段があり、その頂には巨大な水晶から切り出されたような、背もたれが天を衝くような高い玉座が据えられていた。

 背後の壁にはギルドサインが施された深紅の巨大な布がかけられている。

 

 その広大な部屋へと踏み出し、玉座の横に立つ女性のNPCを見た。

 純白のドレスを纏った女神のような非の打ち所の無い絶世の美女。だが頭から生えている山羊を思わせる角と、腰から生えている黒い翼が彼女を悪魔だと雄弁に語っている。

 彼女の名前はモモンガも覚えていた。このナザリックのNPCの頂点に立つ、守護者統括アルベド。

 

「そこで待機しろ」

 

 後ろをついてきていた執事とメイド達を玉座の階段の下へと待機させる。

 次にアルベドにはどういう設定をしていたかとコンソールを操作し設定を閲覧する。

 するとそこにあったのは一大叙事詩のごとき長大な文章。あまりにも長いので一気にスクロールしていく。長い文章を飛ばし、ようやく辿り着いた設定の最後にはこう記されていた。『ちなみにビッチである』と。

 

「…え、何これ…?」

 

 アルベドの創造主であるタブラはギャップ萌えを愛していたが、そのあまりに酷い設定に頭を抱えるモモンガ。

 仲間がそうあれと創ったとはいえ、これではあまりに救われない。もうユグドラシル最終日ということもあり、モモンガは結論を出す。

 

「変更するか」

 

 本来であればクリエイトツールが無ければ操作できない設定に、ギルド長権限を行使してアクセスする。コンソールの操作で『ちなみにビッチである』という文字を消す。

 それからモモンガは少し考え、アルベドの設定の空いた隙間を埋めていく。

 

『アルベドさんマジ天使』

 

「うわ、俺何書いちゃってんの恥ずかしい」

 

 モモンガの頭ではこれ以上の言葉を入れる自信が無かった。とはいえ文字数ちょうどでもあるしギリギリ及第点であろうと信じる。

 

「しかしサービス終了までは…、まだ少し時間があるか…。そうだな…、最後くらい俺も楽しんでいいよな…?」

 

 ここで最後の時を過ごそうかとも思ったが、まだ時間もある。仲間が誰も来ないまま孤独に終わるというのも少し寂しい。

 きっと外では今頃ひっきりなしにGMの呼びかけがあったり、花火が打ち上げられたりしているのだろう。

 ここでモモンガに一つの考えが浮かぶ。

 最後なのだ。どうせなら死ぬほど超位魔法を使って終わってやろう、そう思った。

 

 ギルド武器を玉座に置き、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使用しナザリックの外へと出る。周囲には夥しい毒の沼が広がっている。この近くには他のプレイヤーの姿は無いようだ。

 それもそうかと苦笑しつつ、どうせなら町にまで行って超位魔法を放つかと考えるが、最後の最後でPKされても嫌なのでこの近くでストレス発散の為だけに超位魔法を撃つ事にする。

 

「皆の馬鹿野郎ーっ! 顔ぐらい見せろーっ! 連絡ぐらいくれーっ!」

 

 内なる感情を叫びながら超位魔法を放つモモンガ。

 クールタイムがあるので使用後はしばらく待つ事になるが、いつもよりそのクールタイムが早い事に気付く。

 遮断していたGMの呼びかけを確認してみるとどうやら最終日という事で色々と制限が緩くなっているらしい。クールタイムは短縮され、本来なら一日に4回しか使えない超位魔法も今日は無制限で使用可能とのこと。

 

「はは…。まぁ最後だしな…。せっかくだし俺も使えるだけ使ってみるか!」

 

 そうして何度も超位魔法を放つモモンガ。レベルが下がる事には抵抗があるがどうせ最終日なのだ。いくら下がろうともう関係ないのだから。

 滅多に使わない超位魔法を躊躇なく放つことによりわずかな快感と高揚に包まれるも、やがてサービス終了の時間が迫ってくる。

 時間を確認し、残り時間が少ない事を知ると再び悲しさと寂しさに満たされた。

 このギルドは、アインス・ウール・ゴウンは自分と友人達との輝かしい時間の結晶なのだ。沢山の思い出が詰まっており、何物にも代えがたい宝物。

 それが今、失われる。

 なんと悔しく、不快なことか。

 だが単なる一般人であるモモンガにはどうすることも出来ない。終わりの時をただ黙って受け入れるユーザーの一人に過ぎないのだ。

 もう時間は無い。空想の世界は終わり、現実の毎日が来る。

 当たり前だ。人は空想の世界では生きられない。だから皆去っていった。

 明日からモモンガはユグドラシルという心の支えを失って生きていかねばならない。

 それが酷く憂鬱で、泣きたくなる程に悲しかった。

 せめて静かに最後を迎える為にと、再びGMの呼びかけを遮断する。

 

23:59:30、31、32…

 

 明日は四時起きだ。サーバーが落ちたらすぐに就寝しないと仕事に差し支える。

 

23:59:45、46、47…

 

 モモンガは目を閉じる。最後の瞬間を受け入れ、幻想の終わりを迎える。

 

23:59:57、58、59…

 

 ブラックアウトし‐

 

00:00:00、01、02…

 

「ん?」

 

 サーバーが落ちる様子が無い。訝しんだモモンガは目を開ける。

 すると目の前に広がっていたのは――

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国。

 その王都において最上級の宿屋。腕に自信があり、高額の滞在費を払える冒険者達のみが集まる場所だ。

 一階部分を丸ごと使った広い酒場兼食堂にはその広さからすると少なすぎる数の冒険者しかいなかった。それだけ上位の冒険者とは少ない。

 その店の一番奥にある丸テーブルに3人の女性達が座っていた。

 彼女達は『蒼の薔薇』のメンバー。

 ランク分けされる冒険者の中でアダマンタイト級という最上位の位を持つ冒険者達だ。王国最強との呼び声も高い。

 ここにいるのは魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)のイビルアイ。戦士であるガガーラン。そしてチームのリーダーであるラキュース。

 

「それで、八本指が動くかもしれないというのは本当なのか?」

 

 口を開いたのは最も小柄なイビルアイ。漆黒のローブを身に纏い、異様な仮面でその顔を完全に覆い隠している。

 

「そうだ。どうやら黒粉の取引があるみてぇだな。そこに六腕の誰かも護衛で立ち会うだろうから気ぃ引き締めていかねーとな!」

 

 次に口を開いたのは圧倒的な体躯を誇る大柄なガガーラン。その全身は鍛え上げられており、男性顔負けの筋肉を誇る。腕っぷしだけを見ても彼女に勝てる者はそうはいない。

 

「今はティアとティナが偵察に行っている。確認が取れ次第、現場に向かうわ。それで取引があれば――」

 

「その場でやっちまうってことだな?」

 

「その通りよ」

 

 ガガーランの言葉に答えたのはラキュース。信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)兼神官戦士であり、王国貴族アインドラ家の令嬢でもある。

 若くして第5位階の魔法を行使し、伝説に謳われる13英雄の一人が残した魔剣キリネイラムを所持している。その実力は人類の頂点とも言える英雄級にまで達してなお成長の余地があると言われている。

 この世界において、揺るぎない強者の一人である。

 

 蒼の薔薇を構成するメンバーは5人。

 ここにいない残りの2人は元暗殺者である忍者のティアとティナ。

 隠密や潜入を得意とする為、今日のように偵察に出る事が多い。

 

「む…? 外が騒がしいな…」

 

 イビルアイが外の様子がおかしいことに気付く。夜であるにも関わらずどこかから大勢の人が叫ぶような声が聞こえてくる。

 

「なんだぁ? 八本指の連中が騒ぎでも起こした訳じゃあるまいに」

 

「ちょっと! 縁起でもない事言わないで!」

 

「おーおー、怖ぇリーダーだぜ…。冗談だっての」

 

 快活に笑うガガーランとそれを窘めるラキュース。だが彼女達のそんな微笑ましい時間は一瞬で終わりを告げる。

 宿屋のドアが勢いよく開け放たれ、一人の女性が飛び込んでくる。

 

「た、大変リーダー! 六腕が! 六腕の奴が街の中に姿を現したっ!」

 

「なっ!?」

 

 入ってきたのはティア。彼女の言葉に3人は反射的に椅子から立ち上がる。

 

「ど、どういうことティア! ティナはどうしたの!?」

 

「ティナはそいつを見張りに…! 私は慌てて皆を呼びに…!」

 

「待て待て、どういうこった? いくら奴らが姿を現したとは言っても現場を抑えなきゃ意味ねぇぞ…。それに街ん中で戦いを仕掛ける訳にも…」

 

「違う! そうじゃない!」

 

 ガガーランの言葉に被せ気味でティアが叫ぶ。

 

「落ち着けティア。奴らが姿を現したというなら好機でもある。ちゃんと説明してくれ」

 

 イビルアイがティアへ静かに語り掛ける。だがそれでもティアは落ち着きを取り戻せない。

 

「デイバーノック…!」

 

「なに?」

 

「この王都の中心に突然死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が現れた…! おかげで周囲は混乱に包まれてる! だが野良の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が突然こんな所に姿を現すとは思えない…!」

 

「なるほど…。じゃあ考えられるのは六腕に所属しているという例の不死王とやらか…。奴が突如姿を現したっつうことか…?」

 

「だが待て、意味がわからん…。こんな街中でその姿を晒すのに何の意味がある…? アンデッドの存在が露見するのは八本指とて避けたいはずだ…」

 

 誰もが頭に疑問符を浮かべる中、ラキュースが恐ろしい予想を口にする。

 

「まさか…陽動…!?」

 

 全員がラキュースへ視線を向け、息を呑む。

 

「可能性はあるな…。デイバーノックが騒ぎを起こし、その隙に何かやらかす気か…!」

 

「まずいんじゃねぇのか…? ここまでデカイ騒ぎにするってことは…」

 

「それ相応の事件を起こす気かもしれない…!」

 

 彼女達全員の顔が蒼褪めるが、イビルアイが冷静さを保ちながら口を開く。

 

「とはいえ現状では何の手がかりも無い。騒ぎを起こしたデイバーノックを捕まえ口を割らせるしかないな」

 

 4人は顔を合わせ頷くと宿屋から飛び出す。ティアの案内の元、その死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の元へと蒼の薔薇は駆けていく。

 この先にかつてない不穏な空気を感じながら王国最強の冒険者チームが動く。

 

 

 

 

 

 

「ボ、ボス大変だ! デイバーノックの野郎が街ん中で騒ぎを起こしやがった!」

 

 王都に巣食う犯罪組織、八本指の一つである六腕の隠れ家に一人の男が慌てて飛び込んでくる。

 

「騒がしいぞサキュロント…!」

 

 その男の叫びに答えたのは禿げ上がった頭と鍛え上げられた肉体を持つ巌の武人。誰よりも威圧感を放ち、その様相は殺気に満ち溢れている。

 彼は闘鬼ゼロ。修験者(モンク)であり己の身体を武器とする彼はガガーラン以上の体躯と筋力を誇る。

 八本指最強の戦闘部隊であり、暴力を生業とする組織『六腕』のリーダーを務める。自身もその肩書に相応しい強さを持ち、アダマンタイト級の冒険者にすら匹敵する。

 

「で、でもよボス…」

 

 サキュロントと呼ばれた男はゼロの迫力に委縮するも必死に言葉を紡ごうとする。

 彼は六腕最弱ではあるが、幻術師(イリュージョナリスト)としての力を駆使すればアダマンタイト級にも届きうる可能性は秘めている。

 

「ふん、何があったかは知らんがデイバーノックならそこにいるぞ」

 

 ゼロが後ろをクイと指差す。

 確かにそこには一人の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が佇んでいた。裾が炎のような真紅に縫い上げられた漆黒のローブを身に纏う彼こそが不死王デイバーノック。

 アンデッドでありながら、さらなる魔法の力を求め人間社会に身を置いている稀有な存在だ。

 

「な、あぁ…!? じゃ、じゃあアレは誰だ…! 今街ん中じゃ突如現れた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)のせいで大騒ぎになってんだ! お、俺はてっきりデイバーノックだと…」

 

 その言葉にデイバーノックの眼窩に宿る光が静かに揺らめいた。人間社会に突如現れたその死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が一体何者なのか、同類である彼が気にならない筈が無い。

 慌てふためきながらサキュロントは必死に街で起きた事を説明する。それを聞き終えたゼロがデイバーノックに告げる。

 

「デイバーノックよ…、変な気を起こすなよ…? お前がもし六腕を裏切る気なら…」

 

「…。勧誘してはどうだ…?」

 

 墓穴の底から聞こえてくるほど虚ろなデイバーノックの声が響く。

 

「何?」

 

「雑魚ならば捨て置けばいい…。だが強者ならば別だ…。強き者が味方になるのを拒む理由はあるまい…?」

 

 ゼロに向かってそう言い放つデイバーノック。

 しばらく沈黙するゼロ。やがて決心したのか重い腰を上げる。

 

「サキュロント、六腕を集めろ。取引に向わせているのも全員だ。その死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とやらを見に行くぞ」

 

「げぇっ! マ、マジかよボス! 絶対冒険者共も集まってくるぜ!」

 

「ふん、このままではそいつが冒険者共に狩られるのは確実だろう…。もし話が通じそうなら恩を売って六腕に引き込んでもいい…。その価値があればだがな…。それにこの際だ、必要とあらば目障りな冒険者共を蹴散らしてくれるわ…!」

 

「で、でもよ全員呼んじまったら今夜の取引の護衛はどうするんだ…?」

 

「馬鹿か貴様は。そんな騒ぎがあったのでは中止に決まっているだろう。麻薬部門の奴等とてこんな時に事を起こすほど馬鹿ではあるまい」

 

 号を飛ばしながらも、冒険者達を捻り潰す事を想像しゼロの顔が歪む。

 デイバーノックも共に魔道を歩めるかもしれない存在の到来に喜びを隠せずにいる。

 対してサキュロントは大変な事になっちまったと思いながら他の六腕を呼びに走る。

 彼等の行く末に何が待ち受けているか知りもせずに。

 

 

 

 

 

 

「だ、駄目です! 行ってはなりません!」

 

 王宮の一室で女性の悲痛な叫びが響く。その女性はラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。リ・エスティーゼ王国の第三王女である。

 金の髪に象徴される美貌を持ち、人々からは『黄金』の二つ名で呼ばれる程に美しい女性。民衆からの支持も厚く人望に溢れている彼女ではあるが、実際は人間を超越した頭脳を持つ恐ろしい性格破綻者である。

 だがそんな彼女にも大事な物が一つだけあった。

 

「お許しくださいラナー様…! しかし民達に被害が出る前に止めないと…!」

 

 ラナーの制止を振り切り、部屋を出て行こうとするのはラナーに直接仕える側付きの兵士であるクライム。

 少年のような面影を残しつつも、兵士として鍛えられた屈強な体を持っている。特別な才能は何も持たないが、ひたすら積み重ねた努力によって一般の兵士を上回る程度の強さは身につけている。

 

「お、お願いクライム、行かないで…! い、今は戦士長殿もいないのですよ…!?」

 

「だからこそです! 王国戦士長が不在の今、私が代わりを果たさなければなりません! 警備の者だけでは足りないでしょう! それに貴族派の者達がすぐに動くとは思えません! 兵士達もその多くは王宮を離れる訳にはいかないでしょうし…。今すぐに動けるのはごく少数なのです。だからこそ私も兵士として民の為に動かなければ!」

 

 クライムの真っすぐで純粋な瞳がラナーを射抜く。

 

(あぁ…クライム、クライム…! 私の…、私だけのクライム…!)

 

 ラナーの背筋をゾクゾクとしたものが這いあがり身を震わせる。その歓喜からくる震えを両手で必死に押さえつけ抗おうとするラナー。

 性格は歪み切り、実際は人の命などなんとも思っていない彼女だがクライムにだけは異常な程の愛情を注いでいる。クライムこそ彼女の全てであり、かろうじて彼女を人たらしめる唯一の存在。

 

「貴方の元を僅かとはいえ離れる事をお許しくださいラナー様。しかし私も戦士長や貴方のように人々の役に立ちたいのです。それに困っている者達がいるのなら捨て置くなど出来ません!」

 

「で、ですが上がってきている報告では恐ろしいアンデッドだと…。すぐに冒険者達が動くはずです! だから貴方は…」

 

 部屋を出て行こうとするクライムを止める為に抱き着くラナー。クライムを思う言動だけは本物だ。

 

「申し訳ありませんラナー様…、貴方の騎士でありながらその命に背くことをお許しください…! でも私にはどうしても人々を見捨てる事が出来ません…! 失礼します!」

 

「あぁっ…!」

 

 ラナーを振りほどきクライムが走って部屋を出ていく。部屋にはラナーだけが残された。

 

「な、なんてこと…! くそ…! こんな時に限って戦士長は…! もしこのせいでクライムに何かあったら戦士長を辺境の任務に飛ばした貴族共全員殺してやるわ…!」

 

 美しい顔をグシャグシャに歪め、貴族達への恨みを吐くラナー。だがここで指を咥えている訳にはいかない。

 最悪クライムが死亡したとしても友人である蒼の薔薇のラキュースが蘇生魔法を行使できる為、それ自体は何とかなるかもしれない。だがラナーは考える。

 この王都に突如として現れた恐ろしい死者の大魔法使い(エルダーリッチ)。強さやそういったものには疎いラナーだがその存在がどれほど危険かくらいは承知している。

 単身現れ王都を混乱に導いたアンデッド。とはいえ、もしかしたら容易く討伐されるかもしれない。だがもし複数いたら? あるいは破格の強さを持つ強者だったら? 倒した者をアンデッドにしてしまう魔法を使えたら?

 そうすればアウトだ。

 これは相手が悪い。可能性としては低いかもしれないが取返しの付かない事態になる事も考えられる。

 

(しかし一体何者…? 六腕に飼われているという死者の大魔法使い(エルダーリッチ)…? いや、こんな事を許す程あいつらも馬鹿じゃない…。こんな事があれば王都で動きづらくなるのは自分達なのだから…。じゃあ野良のアンデッド…? そんな事があり得るの…? 警備の者は何を…? そもそも目的は? なぜ王都でその存在を誇示するように現れたの?)

 

 ラナーは考えを巡らすが答えは出ない。現状ではあまりに情報が足りないのだ。それに今までラナーの情報網に一切引っかからなかった謎の闖入者。

 組織や政治的な方面には強いが、個人としての強者は専門外だ。魔法にも疎い。そういった方面の常識が通用しない独自の価値観を持つ者ならばラナーにも予測は難しい。情報が集まれば別だが、今は欠片程の情報すらない。

 

「誰か! 誰かいますか!」

 

 すぐに意識を切り替え、部屋の外に向かって声を上げるラナー。すると一人の王宮付きのメイドが入室してくる。

 

「な、何かございましたかラナー様」

 

「レエブン侯を呼んで頂戴」

 

「え…? レエブン侯…ですか? その、今から?」

 

「そうよ! 早く馬を飛ばして! 時間が無いの!」

 

 ラナーの初めて見る剣幕にメイドが慌てて部屋を出ていく。

 今から馬を飛ばして間に合うのかはわからない。だが可能性があるならば少しでも賭けるべきだと考える。幸い、今は所要で王都に来ているはずだ。もう夜遅いが聡明なレエブン侯ならばラナーからの申し出に答えてくれるだろう。場合によってはいくら借りを作ってもいい。

 

 だってクライムはラナーの全てなのだから。

 

 

 

 

 

 

 王都の中心。

 数々の店が立ち並び、その裏にはいくつもの民家がひしめいている。ここは多くの人々が集まり商売や生活をしているまさに王都の心臓だ。夜であっても普段は活気に包まれている場所。

 最も平和が維持されていなければならない場所でありながら今は違った。

 喧噪が飛び交い、多くの人々が逃げ惑い、この場所は混乱の極みにある。逃げ遅れた子供が泣きわめき、巡回の兵士やたまたま居合わせた冒険者達が必死に人々を誘導しているがそれもままならない。

 通路は押し寄せた人々で通行が難しくなり、至る所で渋滞が起きていた。それが混乱に拍車をかける。やがて誰もが我先にと目の前の人間を押しのけて逃げようとする。女子供や力の弱い老人などは押し倒され怪我をしてしまう者までいた。

 誰もが自分が助かる為に他者を省みず犠牲にする状況。

 貴族達ならば自身の私兵を動員すればこの場を収めることは可能かもしれなかった。だが貴族達は誰もそんなことはしない。民衆の為に労力を割くなど、自分の力が削がれる可能性があることなどする筈がないのだから。

 救いはないまま混乱は伝播し、それは王都中を巻き込む事態となる。

 それも仕方ない。

 危険とは縁遠い場所で生きてきた者達のすぐ横に突如として危険が現れたのだから。一般市民にとってモンスターとは恐怖の対象である。容易く人間を屠り、食い散らかすのだから。

 だがそれよりも恐ろしい存在がいる。アンデッドだ。生者を憎み、生きる者を殺す為だけの存在。彼等は人類の天敵と呼んでもいい。無力な一般市民はただ黙って殺されるだけだろう。

 

「ち、違うんです! き、聞いて下さい!」

 

 突如、王都の中心に現れた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は大きな声でそう叫ぶ。だが誰も耳など貸さない。大勢の人間がその姿を見て泣き叫び逃げ惑う。

 誰もが着の身着のまま外へと飛び出し、少しでも遠くへと必死に逃げる。

 アンデッドというだけでも恐ろしいのに、そのアンデッドが身に付ける衣服は常軌を逸していた。誰も見た事が無い程に豪奢で煌びやか、あるいは禍々しく人々の目に映った。物の価値が分からない民衆といえどそれが破格のものだということくらい分かる。

 そんな物を身に付けているアンデッド。人々がただならぬ恐怖と、謎の威圧感と危険な香りを感じたとしても不思議ではない。間違いなくこれから虐殺が始まると誰もが予感した。人々が逃げ出し、町が混乱に包まれるのは必然ともいえた。

 

「な、なんなんだよもう! さっきからずっとコンソールは使えないし! GMコールもきかない! サーバーダウンは!? そもそもここはどこなんだ! 沼地は!? ナザリックは!? それにここは人間の町!? 異形種である俺はペナルティで入れないんじゃないのか! 事情を聞こうとしてもなぜか皆逃げていくし!」

 

 自分の身に起きた事を理解できず嘆くモモンガ。

 混乱の原因が自分だとはまだ気づいていない。もしかすると周囲の者達は皆、自分と同様にユグドラシルが終了しない事に慌てているのかもしれないと考える。仮にそうだとしても騒ぎすぎな気もするが。

 

「し、仕方ない…。どこか違う所で話の分かりそうな人を探すしか…」

 

 ここで誰かに話を聞くことを諦め、他の場所に行こうと決めるモモンガ。だがその時、後ろから声がかかった。

 

「六腕のデイバーノックだな! 何が目的だ! なぜこんなことをする!?」

 

「ん?」

 

 その声に釣られ後ろを振り向くモモンガ。そこには4人の女性がいた。

 叫んだのは仮面を被った小柄な女性。彼女達を見た人々が次々に希望を口にする。

 

「蒼の薔薇だ…! 蒼の薔薇が来てくれたぞ…!」

 

「アダマンタイト級冒険者が来てくれればもう安心だ!」

 

「やった…! 助かったんだ!」

 

 有名人らしいがモモンガは知らない。それにデイバーノックとか叫んでいたから自分は関係ないだろうと思い再び前を向きその場を立ち去ろうとするモモンガ。

 

「逃げる気か貴様っ!」

 

「うわぁっ!」

 

 突如モモンガに向けて魔法を放つ仮面の女。反射的に避けてしまう。

 

「ちょ、ちょっとなんですか急に! 今はそんな事してる場合じゃないでしょ!」

 

 初対面でありながらいきなり攻撃してくる女に怒るモモンガ。だがその女たちはモモンガに向けて強い殺気を放っている。

 

「ふん、ここまでの騒ぎを起こしておいてシラを切るつもりか…? ならば仕方ないな、力づくで話して貰おう!」

 

 そうして仮面の女、イビルアイがモモンガへ向かって距離を詰める。それに合わせガガーランも同様に距離を詰め、後ろではティアが遠距離攻撃を、ラキュースが補助魔法を唱えている。

 

「わっ! こ、こんな時にまでPKを仕掛けてくるなんて…! なんて人たちだ!」

 

 ユグドラシルに何らかの異変が起きているというのにこんな時までPKを仕掛けてくるプレイヤーに流石のモモンガも度肝を抜かれる。いくらなんでも異形種を目の仇にしすぎだろうと。

 しかも今は何度も超位魔法を使った為にレベルダウンしまくっているのだ。プレイヤーとまともに勝負などしてられない。

 《フライ/飛行》を使用し飛び上がり、そのまま飛んで逃げようとするが――

 

「行かせない! 爆炎陣!」

 

 飛び上がったモモンガに向かって横の建物の屋根から一つの影が現れスキルを放つ。それは巨大な爆発を起こしモモンガを巻き込んだ。それはティナ。少し前から単身でモモンガを見張っていた蒼の薔薇のメンバーだ。

 

「よくやったぞティナ!」

 

 逃げようとしたモモンガの足止めに成功した仲間へイビルアイが声をかける。

 やがて爆発の煙が流れ、その中からモモンガが姿を現す。

 

「うわ、もうビックリした! てあれ、特に何もないぞ…? フェイントか?」

 

 その姿を見た蒼の薔薇の面々が目を見開く。

 

「バ、バカな…! ティナの忍術を喰らってピンピンしてやがる…!」

 

「臆するなガガーラン! 炎耐性のある装備なのかもしれん! だが所詮は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)! 私が援護する! お前の刺突戦鎚(ウォーピック)で砕いてやれ!」

 

 イビルアイの言葉を合図に巨大な刺突戦鎚(ウォーピック)を振りかぶりモモンガ目掛けて突進するガガーラン。だがモモンガは《フライ/飛行》を使ったまま空中に待機している。重量級である彼女の攻撃が通るとは思えない。しかし。

 ガガーランが力強く踏み込みジャンプすると装備している飛翔の靴(ウイングブーツ)の効果が発動し、信じられないほど空高く飛び上がる。

 

「うおぉっ!」

 

 だがモモンガにとっては対処出来ない動きではない。とりあえず魔法で迎撃しようと構えるが――

 

「不動金剛盾の術!」

 

「不動金縛りの術!」

 

 ティアがガガーランの前に盾を、ティナがモモンガの動きを止めるスキルを放つ。だがそのいずれもモモンガに対しては有効打とならない。

 

浮遊する剣群(フローティングソーズ)!」

 

 しかし僅かに動きの鈍ったモモンガの隙を突くように、後ろに控えていたラキュースが自身の背後に浮かぶ6本の黄金の剣を射出する。動きを制限し牽制にもなるそれを捌くのに意識を取られ、正面からのガガーランの攻撃に対して無防備になるモモンガ。

 咄嗟に後方へと大きく飛び退くことで回避を試みるが。

 

「いいぞ皆! 喰らえ《ドラゴン・ライトニング/龍雷》!」

 

 モモンガが後方へと飛び退くのを読み、そこへイビルアイが魔法を唱えていた。白い雷撃を腕に生じさせた後、モモンガに向かって放出する。

 第5位階に属するこの魔法はこの世界でも行使できる者は少ない強力な魔法である。他にいくつか特化型の魔法は使えるものの、どんな場面でも使えるこの魔法はイビルアイの切り札の一つである。

 動きを読み、完全に隙を突いて放たれた雷撃はモモンガを滅ぼすかと思われた。

 

(《ドラゴン・ライトニング/龍雷》? くそ、人数差があるからって…! わかったぞ…、ナメプってやつだな…! とはいえ今のレベルだと直撃したらダメージは免れないかも…、こうなったら…!)

 

 レベルダウンの為、高位の魔法は使えないモモンガ。下手に防御するよりは相殺して仕切り直しにした方がいいと判断し魔法を放つ。

 

「《チェイン・ドラゴン・ライトニング/連鎖する龍雷》!」

 

「なっ…!? あぁぁあああぁっ!」

 

 モモンガの両手からそれぞれ一本ずつ、のたうつ龍のごとき雷撃が打ち出される。それはイビルアイの《ドラゴン・ライトニング/龍雷》を容易く飲み込み周囲に稲光を迸らせながらイビルアイの身体に直撃した。

 絶叫を上げるイビルアイ。その身体から焦げ臭い匂いと煙が立ち込め、力なくその場に倒れ込む。

 

「あ、あれ? ダメージを受けてる…? こ、この人たちも最後だからって超位魔法でも撃ちまくってたのか…?」

 

 自分の魔法が通った事をそう解釈するモモンガ。もし相手が100レベルなら今のモモンガの攻撃など話にならない筈だからだ。

 

「イ、イビルアイッ!?」

 

「な、なんだ今の魔法はっ!」

 

 突然の事にラキュースとガガーランの動きが止まる。

 

「イビルアイの」

 

「仇っ!」

 

 だがティアとティナは即座にモモンガへ追撃のスキルを放つ。

 

「「多重・大瀑布の術!」」

 

 大量の水を吹きだすこのスキル。二人で同時に行使することでより高い威力を出すことが出来る。

 

(ま、まずいっ! よく見たらこの二人忍者じゃないか!? てことは最低60レベルはある筈…! 仮にその最低だとしても今の俺とさほど変わらないじゃないか! そもそもこの人たち五人組だし…! こ、ここは逃げるしかないっ!)

 

 相手との戦力比を読み、勝率が皆無だと判断するモモンガ。ナメプをされている今の内に逃げるしかないと考える。

 

「《エクスプロード/破裂》!」

 

 第8位階魔法。現在モモンガが使える最高の位階であり、これはその中の魔法の一つ。

 周囲の塀や壁を対象に発動したその魔法により、吹き飛ばされたそれらは瓦礫の山となり崩れ落ちる。

 

「くっ!」

 

 その大量の瓦礫によって大瀑布の術を防ぎつつ、道も塞ぐ。その隙にモモンガは一目散に逃げ出していく。あっという間にその姿は見えなくなった。

 

「ま、待てっ!」

 

 だが忍者であるティアとティナにとって瓦礫の山など何の障害にもならない。即座に追おうとするが――

 

「い、行くなっ…!」

 

 虫の息であるイビルアイが二人を呼び止める。

 

「イビルアイッ!」

 

「生きてた!」

 

「あ、あれぐらいで死ぬ程ヤワじゃない…! それに《ドラゴン・ライトニング/龍雷》で多少威力を弱められていたからな…」

 

 起き上がろうとするイビルアイをガガーランが支える。

 

「で、でもよ、さっきの魔法は何なんだ…? あんな魔法見た事も聞いたこともねーぞ…」

 

「わ、私も知らないわ…! 二つとも、知らない魔法だった…!」

 

 ガガーランも、そしてこの世界有数の第5位階の信仰魔法を使えるラキュースですら知らない。

 そしてこの世界で規格外の強さを誇るイビルアイとてそれは例外ではなかった。

 

「私も知らん…。第6位階までにあのような魔法は無かった…。つまりあれは…」

 

 イビルアイの言おうとしている言葉を誰もが察する。この世界で最高の魔法詠唱者(マジックキャスター)と言われる逸脱者でさえ行使できる最高が第6位階。それが個人の限界であり、伝説の域だ。

 一般には第7位階以上は存在すると言われているものの、英雄譚や神話でその存在が確認されているだけに過ぎない。大儀式等を行使すれば第7位階の魔法を発動する事は出来るのだが、多くの者はそれすらも知らない。どちらにせよ個人で行使できる者は世界広しといえど表向き存在しないのだ。

 

「う、嘘だろ…?」

 

「だ、第7位階…? あれが…」

 

「それで済めばいいがな…」

 

 最後に発したイビルアイの言葉に誰もが恐怖に染まる。そう、第7位階より上が存在する以上、どこまで使えるかは彼女達には推し量れないのだ。あの化け物がそれ以上を扱う可能性もある。

 

「…作戦を変えましょう。討伐は不可能、まさか六腕があんな化け物を飼っているなんて…」

 

「いや、違う…」

 

 ラキュースの発言をイビルアイが止める。

 

「恐らくあれは…、デイバーノックじゃない…。もし奴がそんな実力を持っているなら六腕なんて下らん組織に身を置く理由などないだろう…」

 

「じゃ、じゃあ何だっつうんだよ…! あんな化け物がその辺にゴロゴロいるっつうのか…!?」

 

 ガガーランの言葉に誰もが同意する。突如、あんな訳の分からない化け物が出て来てはたまったものではない。

 

「一人、可能性のある奴がいるだろう…」

 

イビルアイの言葉に誰もが唾を飲む。

 

「私も詳しくは知らんが…、幹部たる十二高弟全員がアダマンタイト級の強さを誇る秘密結社。その頂点に立つ者ならばもしかして…」

 

「め、盟主…ズーラーノーン…!」

 

「あ、あれがそうだって言うのか…!」

 

 ズーラーノーンとは、盟主ズーラーノーンに従う十二人の高弟と、それに従う弟子たちによって構成される秘密結社。死霊術士(ネクロマンサー)やアンデッドを利用する魔法詠唱者(マジックキャスター)を中心に構成されており、世界で数々の悲劇を引き起こしてきた邪悪な魔術結社として各国で敵視されている組織だ。

 その長たる盟主はアンデッドだと言われている。

 

「分からん…。だが、もしそうなら…! あれだけの強さを持つのも頷ける…! ここまでとは思っていなかったが…」

 

「そ、それよりも問題はなぜその盟主とやらが王都に姿を現したのかだぜ…」

 

「前代…」

 

「未聞…!」

 

「これはもう王国だけの問題ではないわ…。世界を揺るがす一大事件よ…!」

 

 蒼の薔薇の面々に緊張が走る。

 第7位階以上の魔法を行使し、何よりもイビルアイを力でねじ伏せたのだ。それだけで世界規模の災厄だと断言できる。

 なぜならイビルアイの正体はかつて一国を滅ぼした伝説の吸血鬼『国堕とし』。

 外見こそ12歳相当だが、伝説と謳われる200年前の十三英雄と肩を並べて魔神と戦った歴史の生き証人。

 蒼の薔薇として名を連ねてはいるが彼女の実力だけは他の4人とは比べ物にならないほど抜きん出ている。人類最高峰の強さを持つアダマンタイト級すら子供扱いできる強さを持つイビルアイ。

 その彼女をもってして危険と言わしめる存在。

 

 間違いなく世界に未曾有の危機が迫っていると彼女達は考える。

 

 

 

 

 

 

 遠くから死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と蒼の薔薇の戦いを見ていた六腕の面々。

 そこにいた誰もが言葉を発せず立ち尽くすしか出来なかった。

 

「ボ、ボス、なんなんだよアイツは…! 訳わかんねぇ魔法使うし一人であの蒼の薔薇と渡り合うなんて普通じゃねぇよ!」

 

「うるせぇ黙れ!」

 

 弱音を吐くサキュロントを怒鳴りつけるゼロ。

 ゼロとて分かっている。魔法に関しては詳しくはないがアレは危険すぎる存在だと直感が告げていた。とてもではないが自分達の手に負える相手ではない。

 だが王国で事を起こすなら黙って見ている訳にはいかない。ここは八本指のシマなのだ。ここで好き勝手やられてしまっては自分達の面目は丸つぶれである。恐れを為して逃げるなど以ての外。何より今後の仕事に影響が出る。面子にかけても奴を放っておくことなど出来ない。

 

「今は退くぞ…、八本指の奴等とも話を付けねばならん…。それから…ん?」

 

 周囲を見渡すゼロ。そこには自分の部下である六腕が揃っているはずだ。

 この男サキュロントと、エドストレーム、ペシュリアン、マルムヴィスト。だが一人、数が足りない事に気付く。いないのはデイバーノック。

 

「デ、デイバーノックはどこだ!? どこにいった!」

 

「そ、そういえば…」

 

「いねぇな…」

 

「いないわね…」

 

 それぞれが周囲を見渡すがデイバーノックの姿はどこにもなかった。

 

「あ、あの野郎っ…! 探せっ! すぐにデイバーノックを探すんだ!」

 

 ゼロの叫びに慌てて4人が探しに走る。

 一人残ったゼロは静かな怒りを滾らせていた。

 

「くそ…! 今になって裏切るつもりかデイバーノック…。数々の恩を忘れたとは言わせんぞ…!」

 

 この状況で六腕の1人であるデイバーノックが抜けるのは痛い。ただでさえ戦力が足りないと思われる状況になった今、組織を抜けるなど許せるはずがない。

 何より魔法に焦がれているデイバーノック。己より優れた魔法詠唱者(マジックキャスター)がいれば六腕に見切りをつける事は想定していた。もう少し慎重に動くべきではあった。だが例のアンデッドがここまでとは思っていなかったのだ。

 あれは説得出来るような存在じゃない。全てを滅ぼす異次元の存在。

 

「くそがぁっ! ここは俺らのシマだぞ…? 好き勝手やらせてたまるか…! 殺してやるっ…! 誰だろうと邪魔者は殺すっ! 何が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)! 魔法こそ強力であろうが接近してしまえばこちらものだ…! 六腕全員で挑めば勝機はある…! いや、俺ならやれる…!」

 

 自分の力に絶対の自信を持つゼロ。

 その拳は死の王にさえ届くと自負している。

 

 

 

 

 

 

「ハァッ、ハァッ…! 遠くで凄い音が…! お、遅かったか…!」

 

 裏路地を走っていくクライム。

 街の中心から雷が落ちるような轟音と何かが爆発するような音が聞こえた。遅かったかと苦悶するが、音のした周囲にまだ逃げ遅れた人達がいるかもしれない。少しでも多くの人を救う為にクライムは走る。

 だがそんなクライムの足に何かが当たった。

 立ち止まり足に当たった物へと視線を向ける。そこにあったのは大きな布袋。ゴミか何かかと思い、再び走り出そうとするクライムだがその布袋から出た細い枝のような手に気付く。

 慌てて近寄りその袋の口を大きく開ける。そこから出てきたのは見るに堪えない状態の女性。

 青い瞳は力なくどんよりと濁り切っている。肩まであるぼさぼさの髪は栄養失調の為かボロボロになっていた。顔は殴打によって醜く膨らみ、ひび割れた皮膚には爪くらいの大きさの淡紅色の斑点が無数にできていた。

 がりがりに痩せ切った体には生気の欠片も残っていなかった。もはや死体と見まごう程に酷い状態である。

 

 目の前の女性がどういう扱いを受けたのかすぐに思い当たるクライム。

 それと同時に激しい怒りが沸きあがった。奴隷として扱われ、性の捌け口にされた跡がいくつも残っていたからだ。

 ラナーの布令により、奴隷は解放されたはずだった。だが違った。現状は何も変わっていなかった。目の届かない所で、未だにそれは続いている。

 結局は法律で奴隷の売買を禁止しようともいくらでも抜け道があるのだろう。

 ラナーが民衆の為に必死で制定した法。それが無碍に扱われ、嘲笑われているようでクライムの胸が締め付けられる。

 だが今はすぐに例の現場へ行って民衆を避難させなければなるまい。かといって目の前の女性を放っておくこともできない。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)という生者を憎む恐ろしきアンデッドが今ここで人間に牙を剥いているというのに、影では同じ人間にここまで傷つけられている者もいる。

 それが酷く悲しくて、なんとも言えない無情感にクライムは支配される。

 何が正しくて、何が間違っているのか。

 誰が敵で、誰が味方なのか。

 クライムにはもう分からなくなってきていた。

 

 蛇足ではあるが、こうして酷い状態になった女性たちは裏路地に捨て置かれる。そして組織の下っ端達が深夜に回収し神殿等へと連れて行き、最低限の治療を受けさせる。八本指と繋がりのある聖職者に袖の下と共に治療させる為、公式な記録は一切残らない。

 ちなみに治療不可、あるいはかなりの費用がかかる場合は廃棄処分となる。今回がどうなったかは知りようがないが、この混乱の中では回収する者達も来るはずがない。必然的にこの女性はただここに捨て置かれるままとなっていた。

 

 次第にクライムの腕に抱かれていたその女性の息が弱くなっていく。

 放っておけば死ぬ。そう確信したクライムは必至に声をかける。

 

「ダメだ、死んじゃダメだ! す、すぐに神殿に連れて行きますから…!」

 

 だが言って気付く。

 深夜でも緊急の場合には神殿は対応してくれる。だが今のこの状況で神殿がまともに機能しているとは思えない。しかし腕に抱いている女性は今も刻一刻と死に近づいている。少しの猶予も無い。そもそも連れていく時間があるかさえ疑わしい。

 

「し、死ぬなっ! 死なないでくれっ!」

 

 罪の無い人が死ぬなんて耐えられない。だが無理だ。きっとこの女性は死ぬ。助ける手段など何もない。弱く無力なクライムにはただそれを見ていることしか出来ないのだ。

 そうしてクライムが絶望の底に沈んだ瞬間、突如背後に強烈な気配を感じた。

 

 生きとし生ける者全てを憎むかのような禍々しい気配。

 そこにいるだけで魂が吸われるのではないかと錯覚する程の恐怖。

 

 咄嗟にクライムは後ろを振り向く。

 

 そこにあったのは絶対的な死。

 神々しくも恐ろしい、この世の美を結集させたようなローブを身に纏っている。

 白骨化した頭蓋骨の空虚な眼窩には、濁った炎のような赤い煌めきがあった。

 

「あ…、あぁぁぁ…!」

 

 この世全てを滅ぼし奪うもの。それが目の前にいた。もしかして彼女を迎えに来たのだろうか?

 だがそれは彼女だけでなく、あらゆる者を死に導くように感じられた。朧げに自分の未来を察してその場にへたり込むクライム。抗える筈が無い。生命である以上、誰もそれからは逃れられないのだから。

 まるで異界から闇と共に生まれ落ちたような濃密な悪意を撒き散らしながらそれがクライムを見下ろす。

 何と形容していいか分からない。だがただ一つ、それを表すに相応しい言葉があるとすれば――

 

 

 死の神、そう呼ぶべきだろう。

 

 

 その骨だけの手がクライムへと伸ばされ――

 

 

 




デイバーノック「六腕なんかにいる場合じゃねぇ!」

前作を書いていた時から書きたかった話にやっと手がつきました。
やっぱり大好きモモンガさん!
とはいえ今回は前作より更新頻度が落ちると思います…。
ど、どうかお許しを…! ビクビク

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