とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

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君や来む 我や行かむの 十六夜に
 槙の板戸も ささず寝にけり

           ~古今和歌集より~


第六章

 

         ◇

八月十六日~午後七時~ 

 

「お姉ちゃん、ご飯の用意が出来たよー。みんな呼んでー」

 

 台所の知佳が、一人ソファーで新聞を読んでいた真雪に言った。彼女は少し不満げにしながらも、へいへいと呟きながら妹に従う。

 あの事件から十日と少し過ぎて、さざなみ寮はまたいつもの雰囲気を取り戻しつつある。もっとも、メンバーが一人少なくなっているため、完全に元通りと言うわけには行かないが。

 変わった事と言えば、食事や洗濯などの家事が当番制になったことだ。はじめは不満の声も合ったが、実際今までそれをやってくれていた人がいないのだから仕方ない事であった。

 食事のときは、それなりには騒がしくなるが、それが終わるとやはりみんなどこかよそよそしくなる。そういうとき、改めて彼の居てくれた功績を再確認しざるを得ない。

 知佳はふともう一人気になる人物がいる事を思い出し、その質問に一番ふさわしい人に声をかける。

 

「あの……薫さん?」

「どうした?知佳ちゃん」

「十六夜さんはどこに?」

「いつもどおり……耕介さんのところに行ってるよ」

 

 予想通りの答だった。

 知佳はオーナーである愛の部屋の隣部屋を軽くノックして、返事を待たずに中に入る。

 

「十六夜さん……やっぱりここにいたんだ」

「……ええ」

 

 金色の髪を揺らして、その女性は知佳の方を向く。

 

「あんまり無理しないで、少し休んでね」

「ありがとうございます、知佳様。でも……少しでもそばに居たいのです」

 

 ふっと厳かに笑い、横で眠る男の髪をなでる。

 そこには一人の青年――耕介が静かな寝息を立てて布団に横たえられていた。

 

 

         ◇

「いやあああああああああ!」

「落ちつけ十六夜!」

 

 ぼろぼろと泣き叫んぶ十六夜を、薫が何とか押さえる。全員が集まって、耕介の体と十六夜を痛々しそうに見つめた。

 

「癒しを……癒しをかけなくては」

 

 泣き崩れた顔は虚ろで、ただ何かに突き動かされるように十六夜が弱々しい光を手に灯して耕介の体に手をかざす。

「ばか! そんな事をしたら十六夜の霊力が尽きて消滅してしまうじゃろが!」

 

 和馬が無理やりやめさせようと十六夜を組み敷こうとするが、十六夜はそれを邪険に払いのけて癒しを続けた。

 

「御架月、お前も止めろ!」

「……姉さん、ボクの霊力も使ってください」

「なっ?」

 

 和馬が信じられないと言ったように息を荒げた。

 

「ごめんなさい、和馬様。たとえ結果が悲しみに満ちていたとしても、ボクは姉さんが望んでいる事を最後までやらせてあげたいんです」

 

 ふ、っと気合を入れて、握った姉の手に霊力のほとんどを注ぎ込んだ。

 十六夜は何も反応せず、ただ一心に手を翳し続ける。だが、癒しの光がほんの少しだけ力を増した。

 それを見た真雪と知佳が、互いを見合わせて頷いた。

 

「……なあ、御架月。その霊力って、あたしらから使うこととかできねーか?」

「えと……ボクが魔刀に近かったころは、そうやって手に持った人から無理やり吸出し足りして姉さんの行方を追ってましたから、できなくはないですが……」

「ちょ、ちょっと待て御架月!それに仁科さんたちもっ!?」

 

 真雪と御架月のやりとりに驚いた和馬が声をあげるが、仁科姉妹はそれに気をかけることなくにやり、と笑って、

 

「よし、ならあたしたちの力もギリギリまで使ってくれ。霊力っつーのが足りなきゃ、死なない程度なら他のもんも使っていい」

「うん、遠慮しないで使えるだけね」

「わかりました、では、真雪様はボクに、知佳様は姉さんに手を触れてください」

 

 言われて真雪は御架月の腕に、知佳は十六夜の肩に手を置いた。

 そして、また光の強さがあがる。

 

 

「うちのも使え十六夜」

「わ、わたしも……」

 

 薫と愛が共に十六夜に手を添える。

 

「うちも忘れちゃ困るでー」

「あたし、また耕介さんのご飯食べたいですー」

「なのだ」

 

 ゆうひ、みなみ、美緒が続いた。

 

 

 薫が傷口を見ながらゆっくりと剣を抜いていく。

 癒されているとはいえ、刺さった剣を急に抜きとる事は失血死につながる問題だからだ。

 そうっと、そうっと。

 大切な宝物を取り扱うように。

 

 光は、いつのまにか眩しいほどにまで光量を上げている。

 

 

「……あー、くそっ……。わかったよ。俺のも使え!」

 

 頭を掻き毟って和馬が十六夜の手を取る。

 

「まったく、たしかに薫姉のいうとおりじゃ。あんな十六夜を見たら、なんも文句なんぞ言えん」

 

 電話で話した薫との内容を思い出しながら、薫姉の言葉を思い出してそうぼやいた。

 

 

 

 

         ◇

「傷は治って、お医者さんも大丈夫って言ってくれたけど、お兄ちゃんあれから目を覚まさないね」

「はい……」

 

 原因はわからない。いつ目がさめるか判らないが、いつ目が覚めてもおかしくないと医者は言う。

 

「十六夜さん、聞いてもいいですか?」

 

 知佳が視線を耕介から十六夜に移す。

 

「なんでしょう?」

「あのとき、お兄ちゃんが十六夜さんを無理やり取り込むかも知れないって思わなかったの?」

「……はい」

「なんでかな?」

「影蜘蛛は、宿主の本心の望みを増幅させることで、自分の力を削ることなく体の操縦をするんです。だから……耕介様が、私が『望まない』と言った事を、したいと思うわけがないではありませんか」

 

 微笑を浮かべたまま、十六夜は耕介の髪をなで続ける。

 知佳は、「納得した」と笑い、たち上がる。

 

「じやあ、私はもう行くね。まだ洗濯物あるし」

「はい、頑張ってください」

 

 知佳が去ると、部屋はまた闇になった。盲目の十六夜には光は関係ないため、万一耕介の起きたときの小さな明かりが付いているだけだった。

 窓は開いているが、ここまでは街灯の光も入らない。

 

「耕介様……私は待ってます。あなたが起きてくださるまで、すっとここで」

 

 寂しそうに、それでもどこか幸せそうに、彼女は耕介の髪をなでた。

 そして、小さく歌を口ずさむ。あの裏山で耕介と共に歌った歌だ。

 メロディーは風に乗り、開いた窓を抜けて飛んでいく。

 

 窓から月の光がさあっと流れるが、十六夜はそれを感じ取る事が出来ない。

 そして曲も終盤に差し掛かったとき――

 

 

「きれいな曲だね十六夜……」

 

 体がビクンと跳ねた。それは、彼女が一番聞きたかった声。

 

 

「……♪~♪、~♪」

 

「ック、耕……介様……ヒクッ、まるで、外れて、おります……」

 

 いつかの、あの時と、同じ会話。違うのは、嗚咽している自分だけ――

 

「ははは……」

 

 彼が、笑っている。その笑顔が見る事ができないことが口惜しい。

 

「今日は、何日だい?」

「まだ同じ月の……十六日の夜です」

「十六夜、か……ちょうど風情のある、いい時間に起きたのかな?」

「はい……でも、私はそんなことより、一日でも早く目覚めた貴方にお会いしたかった……」

「そうだね……ごめんな」

 

 謝りながら抱きしめられた耕介から伝わる温かさが嬉しい。

 

「十六夜……」

「耕介様……」

 

 

 二人の顔が少しずつ近づいて――

 

 

 

 ドンガラグワゴワシャーン!

 

 

 ごこかの野球選手の快音のような音を立て、寮生がドアを壊して部屋になだれ込んでくる。

 

「あいたたたたた……」

「お兄ちゃん、ごめん……」

「ごめんなさい……姉さん」

「みーなーみー!しっぽ踏んでるー!」

「ご、ごめんなさい美緒ちゃん」

「あーあ、もう少し待ってりゃお子様には見せられないラブシーンが見られたのにな」

「仁村さん!何ゆうとるですか!」

「あははー、でも薫ちゃんもちょっとは期待してたやろ?」

 

 

 口々にかってな事を言っている。特に真雪の鬼の首をとったかのような笑顔が怖い。

 

「なにやってるんですか、みんな!」

「いやな、知佳を探しにこの部屋にきたらなんか話し声が聞こえたんで覗いたんだ。そしたら皆集まって来ちまってな」

「そうじゃなくて、人の部屋を覗かないで下さい!」

「うるせー!さんざんあたしらに迷惑かけたんだ。こんぐらい許しやがれ!」

 

 それを言われると何もいえなくなる。

 

「よーし、そしたら宴会やるぞ宴会。耕介、ツマミ作れー」

「ちょっと、俺は病み上がりなんですよ!ほんとに数分前まで……」

「うるせー!お前の体が超健康状態なのは医者のお墨付きなんだよ!それにお前にはしばらく拒否権はなしだ!」

 

 こういう馬鹿みたいなかけあいも、いまの十六夜には嬉しく感じる。

 

「耕介様……私も手伝います」

「ありがとう、十六夜……」

「おー!耕介。いつの間にやら『十六夜さん』が『十六夜』に!こりゃーお前らの話も酒の肴にしなくちゃはじまんね―な」

 

 おー!と全員が腕を上げた。

 その日、寮生たちは顔を真っ赤にして照れている十六夜という、とても珍しいものを見ることができたのであった。

 


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