とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

33 / 35
第一章 「さざなみの予感」

         ◇

 

「くーちゃーん!あっはははっ!」

「くぅーん!」

 

 雪の降り積もる高町家の庭先で、少女と獣の声がした。

 一匹と一人の吐息は、雪の地面と同じ白さに色づき、気温の低さを視覚的に気付かせる。が、彼女達の嬉しそうな声は、それをものともせずに響いていた。

 

「ううう、元気いいなぁ……久遠はともかく、なのはちゃんまで」

 

 二人の様子にそうぼやいたのは、久遠の飼い主であり、霊障――この世ざらなるものにより生じるさまざまな害を取り扱う――と関わりを持つ事を生業とする、神咲一灯流を伝える一族に連なる娘、神咲那美である。

 命をかけることも珍しくないその生業を背負う彼女だが、コタツに入り込んで蜜柑を食べながらガラス戸の先を見ている様は、とても情けなく感じる。しかし、なんといわれようとこのぬくもりの誘惑には勝てないらしい。

 

「お茶です」

 

 すっと気配なく現れた青年の名は、高町恭也。後ろに彼の妹の――那美の親友でもある高町美由希も、お茶請けを抱えつつ続いた。

 短く切った髪の恭也とは対象に、長めのおさげを揺らしている美由希は、

 

「うー、廊下寒かった~」

 

 と、肩を震わせながら、コタツに潜り込む。

 

「じゃあ、俺はいつものところにいる。終わったら、ちゃんと那美さんを送ってやれ」

 

 恭也は、ぼそっとぶっきらぼうに言うと、黒いジャケットを軽くたるませて、部屋から出て行った。

 

「はー、この雪の中でも修行ですか…」

「うん、雨風が強いからって外での鍛錬を怠るのは、意味がないからね。恭ちゃん曰く、『悪天候時における戦いの練習になる』って。私も後で、みっちりやることに」

 

 那美の呟きとも取れる質問に、美由希が答えた。

 

「辛くないですか?」

「それは、やっぱり大変だけど……でも、どんな鍛錬も恭ちゃんが私のために考えてくれたものだから――。恭ちゃんが、私のマイナスになる事するわけないもん」

 

 絶対の信頼。

 かといって、決して盲目的なのではない。

 自分の意思を捨てるのではなく、自らの意思の全てで考え、青年を信じようと決意した。

 だから、例え裏切られたとしても、自分は絶対に恨む事はない。

 

「それに――最近の恭ちゃんは、結構優しいことを言ってくれるんだ…」

 

 少しだけほほを染めて、美由希。

 そんな彼女に、那美は素直に「ああ、うらやましいな」と思った。

 恭也と美由希――。

 二人は本当の兄妹ではない。

 正式には従兄妹同士に当る。

 その二人の関係は、師弟、兄妹、従兄妹と様々だが、もう一つ――恋人。

 その関係が知られるようになったのは、半年と少しを逆戻る、今年の4月の事である。それについては、大きな話があるのだが――とりあえず、その話は別の機会にとしよう。

 

 

 (私の初恋も恭也さんだっていったら、美由希さんはどんな顔をするだろう?)

 

 嫉妬というには可愛すぎる、小さないたずら心も浮かぶ。それを行使するほど、肝が据わっているわけではないのだが。

 

「じゃあ、そろそろ始めましょうか?」

「そうだね。勉強しに来てもらったのに、おしゃべりばっかりな訳にはいかないよね」

 

 美由希は3学期の為の、那美は大学入試のための――今日は、勉強会である。

 

 

         ◇

 

「せやぁぁぁ!」

「……ふぅ!」

 

 耕介の力任せの斬撃を、恭也は軽くそらして間合いを詰める。

 

(あいかわらず、豪快な剣筋だ…)

 

 なんどとなく対峙し、もう大方の動き、くせは見切っているものの、あいかわらず気が抜けない。

 一見すると、恭也が耕介を簡単にあしらっているようにも見えるが、実際には恭也はかなり神経を使って受けている。

 

(まったく、耕介さんにかかったら、赤星の十八番も意味がないな)

 

 友人の赤星啓吾。

 重い一撃が得意の剣道家である。

 だが、耕介の一撃はその赤星をふた周りも上回っている。

 大柄な体はその力の証明か。

 

(いくら木刀とはいえ、当たり所が悪ければ――いや、よくても死ぬな…)

 

 続けざまに繰り出してきた耕介の剣先を捌ていると、そんな思考が浮かぶ。

 もっとも、彼の剣の腕前そのものは、恭也のそれをはるかに下回ってはいるのだが。

 はずし方が判っている爆弾を除去しているようなものだ、とよく思う。

 どうすればいいかは判っていても、一つ一つが命に直面する。

 そんな危険なゲームに、恭也は冷や汗を流しながらも心躍ってしまう。

 笑う。

 戦いの合間に、不謹慎だとは思いつつも。

 

「う、おりゃあ!!」

「……くっ!」

 

 ガツン!という轟音がそのまま手に伝わってきたかのように、恭也の左手に痺れが走る。

 一瞬だが、完全に片手が殺された。

 

「せぃぃぃ!」

 

 連続の袈裟切り。

 耕介の気合と反する冷静な一撃。

 おそらく、耕介にとって、完璧なタイミングだ。

 そして――

 

「…………まいった」

 

 その言葉を発したのは、耕介だった。喉元に、恭也が右手に持つ木刀の切っ先がぴたりと突きつけられている。

 

「ふぅ…さすがですね。結構きわどかったですよ」

「よくいうよ。序盤あれだけあしらっといて…」

 

 やれやれと首を振る耕介。

 

「少しは力を付けたと思ったが…さすがに剣じゃ本職には勝てないか…」

 

 確かに――耕介の言うように、剣の腕は恭也がはるかに勝る。

 永全不動八門一派、御神真刀流小太刀二刀術。通称御神流。

 その本質は、「殺人」。

 人を殺す事を前提とし、その技術のみが集約した暗殺剣。

 それが、恭也の持つ流派である。

 対し、耕介は那美と同じく退魔師の家、神咲一灯流を学んでいる。

 剣士としての強さも求められるが、当然必須となるのは「霊力」と呼ばれるまったく別の法則からなる強さを使用する。

 その二人が「剣」の戦いをすれば、おのずと勝敗は決まってくるといえよう。

 そもそも、耕介は剣を学び始めたのは約八年前。対し、恭也は幼少時から十数年も続けている。その恭也から見て、この大柄の青年は「剣の素質」という面に関して言えば、耕介には悪いが『筋がいい』という程度だと感じている。

 だが、こと戦いとなれば、この人はその強さが飛躍的に高まっていると思う。

 基本的な戦いの重要要素で言えば、剣技、スピードでは恭也が圧倒的に勝ち、腕力はほぼ互角といったところか。

 しかし、耕介には恭也を圧倒的に凌駕している点がある。

 スタミナである。

 恭也が常に6~7分の力で動くのに対し、耕介はほぼ常に全力で動く。

 持久力云々の問題ではない。

 本来、一瞬の爆発によって起こる運動を、耕介は常に続けるのだ。

 はっきり言って、人間レベルではない。というより、人間がとれる行動ではないのだ。

 御神流には、神速という歩法の奥義がある。

 精神を極度に集中させる事で感覚を向上させ、体の感覚と脳の知覚に矛盾が起きるほどの誤差を出す。そのときに脳がその矛盾を打ち消そうと、本来かかっている体のリミッターをはずす。それによる超高速移動。

 それが神速という技である。

 だが、耕介の場合、それとも違う。

 普通の人間が100M走で使う「全力」を、耕介はフルマラソンでやろうとするようなものだ。それも、無意識に。

 厳密に言えば、それは素の肉体の力ではなく、霊力によってずっと体力を回復しているのでしょう、とは那美の弁だ。「普通は術式を組むので、無意識にしかも常時展開とかありえないんですけれど」と顔を引きつらせながらであったが。

 

 この人が、本気で戦ったらどうなるのか――。

 

 正直、恭也はそう思うとわくわくする。

 そうだ。自分でも不謹慎だと思うが――楽しいのだ。戦いが。

 剣士の性として、強いものと戦う嬉しさでもなければ、死のスリルを楽しむような破滅願望からでもない。

 ただひたすら、この暴力的な行動が楽しい。

 この人の強さは、「武」でも「試合」でも、「殺し合い」でもない。

 もっとシンプルに、――「喧嘩」だ。

 考えてみれば、それほど純粋に戦いを楽しめるものはない。

 そして同時に、彼にはその自分の欲望だけで他人を傷つける事に嫌悪する、優しい心も持っている。

 だからこの人は、人に優しく繊細なくせに、乱暴でもあるのだ。

 そういう意味で、恭也にとって耕介は、戦いに楽しさを求められた始めての人である。

 

「さて・・・もう一戦いくとするか」

「はい!」

 耕介の誘いに、答える。

 

 

         ◇

 

 ベルが鳴った。

 神咲耕介は、いつものようにお玉を持ったまま廊下に出る。

 ここさざなみ寮では見慣れた光景だが、2m近い巨漢が、そのような姿でいるのは、普通に見ればかなり異様でもある。

 

「はい、こちらさざなみ……てなんだ、薫か」

「なんだ、は、ひどかね」

 

 受話器越しの義妹の声は、どことなくとがっていた。

 

「いや、すまん。料理の仕込みがいいところだったんでな」

「まあ、よかけど…」

 

 電話の主、神咲薫は、神咲一灯流の退魔師としてそれなりに一目置かれている人間が、鼻歌を歌いながらおさんどんをしている姿を思って、少し目眩がした。まあ、そういう彼だからこそ、まだ他人だった頃に彼を信頼できたのも事実であるのだが。

 薫がさざなみ寮という女子寮で暮らしていた当時、管理人代行としてやってきた耕介――旧姓、槙原耕介に、始めは嫌悪感――と、言わないまでも、信頼はしていなかった。

 だがそれも、彼の明るい性格と真摯な態度に、徐々に心許せる存在となった。まさか、自分の義兄になるとは思いもよらなかったが。

 

「それで、急にどうしたんだ?何か事件があったか?」

「事件というほどではなかけど、ちょっと気になる事があると」

「ん?」

「義兄さんと十六夜が久遠をつれてお盆に帰省したとき、いつものように久遠を禊にかけたじゃろ?」

「ああ」

 

 過去のとある事件による憎悪から、祟り狐となっていた妖狐の久遠。

 一年前、那美と恭也の活躍でその祟りのみを消すことに成功した。おそらく、久遠の親友となった恭也の実妹、高町なのはとの絆も、大きな要因だろう。

 だが、その結果久遠の体には、消えた祟りの部分に霊力――妖力的に大きな空洞部が生まれたのである。

 そしてそこは、空中に漂う様々な邪気や歪みの、格好の住処になりえていた。

 もっとも、それほど影響の出るものではないのだが、念のためと数ヶ月に一度、といった形で定期的に祓いをしていたのである。

 そのため、今年のお盆も妻である霊剣十六夜と共に、久遠を連れて帰省をしていたのだが――。

 

「なんか問題でもあるのか?」

「払った邪気が散り散りにならないよう、毎回符に移して封印したじゃろ?それらをまとめて滅しようと、うちが今日それを担当したんじゃけんど――」

 

 一度口を切り、

 

「思ったほど、符に邪気が入ってなかったんじゃ」

「……?」

 

 疑問符としか思えない間を放つ耕介に、彼女は、「何でこの人は実戦以外のときはこうも抜けているのか」と、辟易する。あー、と一言いってから、

 

「最初に溜まってきた邪気を祓ったときは、ある程度予想どおりの量が出ていたが、それが回数を重ねるごとに少なくなってきとる。しかも、前回はその量が極端に少ない。体の中の邪気をはらう、という事は、被体者がこちらの術に対し完全に無抵抗…というより、術に対し無防備だからできるわけじゃろ?那美が例の事件でその祟りを払えたのも、久遠が己の祟りを憎悪と共に体の外に引きずり出したからじゃ。それが、ほとんどでなくなってきているという事は――」

「歪が、久遠の体にたまりつつある、という事か?」

 

 少し、控えめな声で耕介。

 

「判らん。そのそも海鳴の街全体の邪気が少ないかも知れんし、何かの拍子に那美が無意識に払っていたのかもしれん。もしくはそのいずれでもないのかもしれん。本当に、たまたまと言うこともある。正直に言えば、」

「それで、本家は何と言ってる?」

「まだ、報告してない。言えば、最重要妖怪である久遠の件は、同業者に報告せねばならん。そうすれば、今のうちに久遠を滅しようと、暴走するやからも出てくる恐れもある」

 

 以前のうちが動いたように、と、自責の念をこめて薫が言った。

 

「正直、うちも考えすぎじゃないかと思うが――一応、義兄さんにだけは報告しておこうと思って。少し、注意してみてあげてください」

「わかった…」

「あ、それから!」

 

 急に、慌てたように薫。

 

「ん?」

「お正月に戻るときは、少し長めにいてください。お盆のとき、うちは仕事で会えなかったけん」

「ああ、そうだな。十六夜も前回は残念がってたよ」

「……あ、…うん」

「……?」

 

 答えた薫の声は、なぜか寂しそうに聞こえた。

 だが、それも一瞬。彼女はすぐにいつもどおりの声で、

 

「日程についてはまた後ほど。義兄さん達の都合が決まったら教えてください」

「じゃあ、何かあったら連絡する。何もないのにこしたこたないけどな」

「うん、それじゃ」

 

 ちん……と受話器を置く。

 

(まったく、年末で忙しい時期に――なにっ!?)

 

 不意の気配。

 

「しまった!俺とした事が!」

 

 自分の「領域」に、略奪者達が入り込んだことに耕介は、己の犯した失態に悲鳴のような声を上げた。

 耕介は「そこ」に目を向けると、鍛えられた体を駆使し、全力で廊下をかける。

 そして飛び込んだその場所を見てー―耕介は愕然とした。

 

「……遅かったか」

 

 荒らされた現場を見て、力なく膝を突く。

 湧き上がるのは、後悔の念。

 犯人はわかっている。

 それを捕らえたところで、今さら失われた「彼ら」が戻ってくるわけではないことも判っている。

 だが、それでも――。

 

 …いや、まずするべきは、復讐よりも現状の回復だ。

 この凄惨な地を――台所を見れば、やらなければならぬという思いがあがる。

 

「……美緒と、舞のハンバーグ、少なめにしちゃる」

 

 思いっきりつまみ食いをされた食材たちを見て、耕介はそう決意した。

 

 玄関から、帰宅を告げる那美と久遠の声がした。

 

 

         ◇

 

 受話器を置いて――薫はため息をついた。

 

「……まったく――耕介さんは寂しくなかったとですか!」

 

 「義兄さん」と呼ぶようになり、久しく使っていなかった彼の名。

 家族となってしまった今、まさか十六夜の横恋慕をする気はないが――それでも、少し悔しい。

 

「薫姉、なに電話機の前で騒いでんの?」

 

 ひょっこりと現れた弟の和馬が、木刀を片手にそう聞いて――

 

「うるさか!」

 

 思いっきり怒鳴られた。 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。