とらんあんぐる組曲 作:レトロ騎士
◇
「で……覚悟は決まったか?」
「残念ながら――前よりも決心がついたよ。俺は、あいつのそばにいる」
旧校舎の屋上で――。
すでに腐敗した木々の匂いが充満し、独特の異世界感が支配する。
風が――すでに冬のそれに近づいたそれは、ナイフのように肌を刺す。
「もう少し……利口だと思っていたがな」
「なに、馬鹿になるのもいいもんだよ。俺は、もう迷わずにさくらを信じるだけだ。あいつが、俺を信じてくれるように」
静かな表情で、真一郎。
「信じるだと?下等なおまえを綺堂が?ふざけるなよ――」
「ふざけてなんかいない。むしろ問題だったのは、俺のさくらを信じる気持ちの強さだったんだ。
俺は――一度さくらを疑って傷つけた事がある」
おまえの犯行を勘違いしてな――、と、続ける。
「だから、俺は二度と彼女を疑ったりはしない。確かに不安はある。だが、無意味に疑心暗鬼にはならない。これから未来において、俺達は喧嘩をすることもあるだろう。要らない嫉妬に身を焦がすかもしれない。でも、――それでも、俺はさくらを信じる」
言いきる。迷い無く。
「はっきり言って、もうおまえなんかどうだっていいんだ。俺はさくらの所に行きたい。この件の型が付くまで、会うわけには行かなかったんだからね」
遊が、薄く笑った。
「戯言なんぞどうだっていい。なら――やはり、死んでもらう」
ゾクリ――と、空気が変わった。
心臓を鷲掴みにされたような感覚が、真一郎の背筋を通りぬけた。強気に出つづけているものの――この、力の差はどうしようもなく感じる。
「おまえのような奴に、一族の血が汚されてたまるか。家畜は家畜らしく、俺達の下で蠢けば良い」
ざっ、と、遊が前にでる。
「後悔しろ。俺の譲歩に従わなかったことを」
さらに一歩。
真一郎の頬を、冷や汗が綴られる。
この男がこの場で命を狙ってくるというのは、正直誤算である。
「あの時のようにいくと思うなよ。あれは綺堂の力があって、俺を追い込めたんだ。この校舎には俺が結界が張った。綺堂がここに気付くことはない」
じりじりと間合いを詰めてくる。否――単に、恐怖感を与えてきているだけだ。そして、それを楽しんでいる。
(目を――見るな!)
真一郎は、金縛りのように動かなかった体を奮い起こし、真横に飛ぶ。崩れかけた校舎の壁を後に背負い、前方からのみの攻撃に集中した。
「――は!逃げているつもりか?」
遊は赤く染まった目をつりあがらせ、真っ直ぐに突進してくる。手刀を構え、真一郎の心臓目掛けて突き出した。
ひゅ――と。
「――お?」
真一郎の上半身が沈み、遊の突きが制服をかすめる。刃物で切られたように服もろとも肉が裂けるが、うっすらと赤い液体がにじむだけで、出血するまでには至らなかった。
手刀はそのまま壁を突き破る。真一郎はその腕の肘の関節を捕らえると、そこに真横から体重を預けた。
「ぐ!」
残った手が真一郎の頭に振りかぶり、打ち下ろそうとした瞬間、遊の間接の痛みが消える。同時に、真一郎頭がコンマ秒前まで存在していた場所を、打ち下ろした左手が通りすぎた。
真一朗は、遊が壁から腕を引き抜く間に、大きく回りこんで対峙した。
今は遊が壁を背にしている――ちょうど先ほどと逆の位置だった。
「やるじゃないか。苦しまずに殺してやるつもりだったのにな」
「そうそう……易々と殺されて……たまるか」
息が切れる。
体力的な疲れではなく、一瞬一瞬が生死に関わる為に神経が磨り減っていく。
「だが、ここまでだ。一撃で、心臓を刺し貫いてやる――」
その瞬間、真一郎はポケットに忍ばせた一枚の紙を、遊に投げつけた。
決して速いわけではないが、生き物のようにうねりを上げて接近するそれを、遊は交わすことが出来ない。
「な、に!」
紙は、一枚の符であった。それは遊の右手に張りついたと同時に、輝きを発し始める。
「ぐ、ぁぁぁぁああ!」
苦悶の表情で、叫ぶ遊。押さえた右手に張りついたそれは、燐光の光度を増したと思うと――
「楓刃!」
ドン!っと――
真一郎の声と合わせて、破裂した。
「が、は……」
完全に力の入らない右腕を支えながら、遊が節々から血を流す。
「貴様……何を……」
「妖気と精気を吸い、その力をそのまま爆薬剤とする符だ。知り合いの、優秀な退魔師――見習だが――からもらった」
次の符を用意しながら、真一郎。
「すでに術が込めてあって、俺のようなそういう力のない奴にも使える。万が一に備えて、もらっておいたんだ」
嘘である。
本当は、低級妖魔退散用の簡易符だ。
それを、いづみに頼んで特殊な火薬を塗りこんでもらい、物理的な衝撃を致死性レベルまで上げてある。
もし耕介にばれたら――まあ、パンチ数発で許してもらおう。
「ふ、ふふふふふ、ふははっははは!!やってくれるじゃないか。――殺しがいがあるぞ!」
一発じゃ――無理か。
確かに――遊は、ダメージを追っているものの、行動に異常をきたすほどではないようだ。
符は――残り三枚。
不意に――視線が、合う。
「しまっ……」
「おそい!」
ガクン!と――体の自由が無くなる。
遊の赤く光る目が、魅了の魔力の応用で真一郎の体の自由を奪っていた。
首に手をかけ、頭上に持ち上げる。
「ぐぁ……」
遊が真一郎の体に近づき、差し出した手で体をなぞる。
「この距離なら爆発は起こせまい。さて…どうしてくれるか。目玉でも取り出すか、内臓でもはみ出させるか――」
余裕の表情でなれなれしく触ってくる遊を、少年は見上げながら――
◇
「確かに――こっちのほうに先輩が……」
偶然、授業中に学校を抜け出して裏のほうに歩く赤毛の少年を見つけて――
この一週間の彼の拒絶。それには、絶対に何かがあったからだと信じている。
きっと、自分に言うことのできない何かがあったのだ。本当は、それをすべて話してほしいし、力になりたいと思う。
だが、それは彼が語らぬ以上、決して踏み込んではならないのだろう。
『恋人のすべてを理解したい』と思うのは当たり前のことかもしれないが、『恋人のすべてを知ろうとする』ことは、傲慢以外の何者でもない。
例えどんなにお互いが近づいても、人には決して触れてはいけない部分が確実に存在する。だから、知るのではなく、理解しあう努力をするのだ。すべてを理解しあうことが、絶対に不可能だということを知りつつも。
だが。それでいいと思う。
もしも、二人が全てを理解しあうことがあれば、それは同時に、相手を『信じる』ことの意味がなくなってしまうのだ。
皮肉なことに『信じる』ということは、相手に対し不安や猜疑心を持った上でしか起こりえない行動なのだ。
だけど――それでも――
「先輩……」
自分を抑えることができない。
すでに、心が壊れそうだった。気付いたときには、教室を抜け出して旧校舎まで来てしまった。
必死で気配を探る。
――おかしい。今までは、どんなに離れていても漠然と感じることができた真一郎の存在が、近くにあることはわかるのに、その場所がわからない。
「先輩、どこです!先輩!」
あらん限りの声で、叫ぶ。そのとき――
「あなた――確かしんいちろうくんの……」
「!」
上空から、女の声。
そこに、彼女はいた。
「……七瀬さん?」
この旧校舎をさ迷う思念体――春原七瀬。
もともとその存在には気付いていたが、真一朗が出会ったことで、軽い面識はある。
まず、校舎内から出ることのない彼女が、なぜ外のここに――
だがその疑問を聞く暇も与えず、七瀬はさくらに駆け――飛びよってきた。
「お願い!しんいちろうくんを助けて!」
一瞬呼吸が止まった。
「先輩!先輩はどこに!」
◇
「楓刃!」
二人の中心点から、爆音が響く。
そして、お互い反対の方向へと吹き飛んだ。
「……ぐ…う」
「がは・……」
ダメージは、遊の方が僅かに大きく感じるが――
「ま、まさか、同士討ちを狙ってくるなんて…」
「あ、あいにく、死んでやれなくてね……」
自分の精気を利用しての諸刃の剣。
一度に二枚を使って爆発力を高めたが――まだ、勝負は終らない。
遊が、立ち上がったからだ。
「やってくれる…・…だが、回復の遅い人間が、相打ちを挑むとは愚かだったな」
近づいてくる。
爆風にさらされた体は、力が入らずまともに動くことも出来ない。
符は――最後の一枚が、遠く離れた場所に吹き飛んでいた。
「これで――本当に最後だ」
遊の手が真一郎の首にかかる。
真一郎は、死を覚悟した。だが、決して目は瞑るまい。決して、この男に屈する訳にはいかないと己に言い聞かせる。
「これも、彼女に手を出した報いだ」
遊が言う。
確かに、さくらと別れれば、死なずに済んだかもしれない。だが、そうだとしても、その自分は抜け殻だ。どっちにしろ死んでいるのと同じなのだ。
だから、後悔なんてしない。
だけど最後に――ああ、さくらに会いたいな――
意識が、薄れていく。
「先輩!!」
少年が、一番聞きたかった声が届いて――
「な、なぜここが――」
「全部!あなたが!」
さくらが絶叫と共に、遊の体を殴りつける。
「が、ぐぁぁ!」
遊の体が、駒のように吹っ飛んだ。
どさりと真一郎の体が崩れ落ちる、さくらがすぐさま駆け寄って、支えた。
「先輩、先輩…先輩……」
「へ、えへへ……カッコ悪いな、俺……」
「先輩…ひっく…先輩ぃ……」
少年の反応で、命に別状が無いことを悟ると、さくらはあふれる涙を隠しもせずに彼をを抱きしめる。
そして、恐ろしい形相で、壁に激突していた勇をその眼差しに捕らえた。
「許せない…私の大切な人を…絶対に許せない!」
真一郎が、壁に寄りかかりながらも何とか立てることを確認すると、さくらは勇を見据える。
「いったはずよ……次はないって」
「き……綺堂。お、俺は……」
伸ばした手の先をさくらの方を向け、よろよろと、救いを求めるように遊は歩く。
「あなたは、絶対にやってはいけないことをした。今この場に…いえ、この世界にいる事だって、私は我慢できそうにない……」
さくらが、手を鋭く遊の心臓に向ける。
横でその姿を見ていた真一郎は――気づいた。
「――!」
彼女が、本気で――
「死になさい」
手を振り上げて――
遊は――その光景がスローモーションに見えた。
さくらの手があがり、その切っ先が真っ直ぐに自分の心臓へと向けられていた。
半年前の事件で、さくらの力が自分を大きくうわまっている事は、なんとなくは気づいていた。
だから――こうなることは、予想通りではある。
真一郎という男を殺せば、彼女はなりふりかまわず自分を殺すだろうということは。
でも、それでも――
(許せなかったんだよ。君が人間なんかと一緒になるなんて――)
生まれてから、どんな女性でも操ることができるという能力。
あこがれだった人も、結局は力で動かすことが出来るという事実。
恋なんてものが出来るわけもない。
どんなに人に恋をしても、力で操れるという誘惑に、勝てるわけが無かった。
でも――彼女は違う。
同じ血を引くせいだが、彼女には魅了は効かず、対等に付き合える存在である。
そして何より――
(綺麗だった……)
だから――その彼女が、下等な人間などと付き合っていることが、許せなかった。
血が汚されることなど、どうでもいい。
彼女自身が汚されていくことに比べれば――
徐々に伸びてくる少女の指先。
俺は――ここで死ぬんだろうな……と、漠然と、そう思う。
ああ、彼女に殺されるんなら、無意味な長い年月を過ごすより、良いのかもしれない。
自分の存在が消えるという、恐怖はあるが――
「悪く……ないかもな」
ゆっくり、目を閉じて――
「やめろぉぉぉぉぉ!」
ザシュっ――
「え……?」
ポタリ、ポタリと――
「な、…なんで……」
「お、おまえ……」
さくらの手が、遊をかばうように立ちふさがる真一郎の、肩をえぐる形で止まっていた。
「……さくら。ダメだよ。……君が、そんな業を背負う必要はどこにも……ぐっ!」
崩れ落ちる。
「先輩!先輩……!」
「だ、大丈夫。肩に当たっただけだから・…あの符を、取ってきてもらえる?」
真一郎の指差す先に転がる紙切れ――言われたとおりにさくらが拾うと、真一郎は体に当てて、「癒」と呟く。
ぱあぁぁぁ、と符から光が放たれて、少年の体に解けるように消えた。
「最後の一枚…癒しの符を取っておいて良かったよ。……あああ。ほら泣かないで」
「ごめんなさい、ごめんなさい先輩…」
泣きじゃくるさくらの方を抱き、あやすように背中を叩く。
そして、横目で息を切らせて睨む、遊の姿を見る。
「おい……なんで俺を助けた?」
「うっせ。おまえなんかでさくらを血で染めたくないんでね。……それに、同じ人に惚れた男を、見殺しには出来なかった。それだけだ」
真一郎の言葉に、嗚咽を繰り返していたさくらが驚きの顔で遊の方を向く。
遊は、舌打ちをしてそっぽを向いたが――それは肯定とってもおかしくはないだろう。
「とちゅうで、どうも『血』云々よりさくら自体にこだわっている気がしてね。多分、そうなんだろうとおもったんだよ」
「……はん。お気楽な奴だ。いつか足元を救われるぞ」
「かまわない。覚悟の上だ」
もう一度、遊が舌打ちをする。
そして、真一郎の傍らでどこか不思議そうな顔でこちらを見ているさくらを、ちらりと一瞥して――
「まったく……なんて顔をしてる。……悪かったよ、さくら。もう、おまえ等に手を出したりはしない。やっぱり、殺されたくは無いからな」
立ち上がる。少しよろめいた。
「無理してるなよ」
「大きなお世話だ。適当に、その辺の奴の血を吸えば回復する。……なんだよ。別にむやみに大量の血を飲んだりしない」
ぼんっと、蝙蝠に変化した。
「……一応、下等生物にしてはやる方だと認めてやる」
「ああそうか。とっとといっちまえ」
少し笑いながら、真一郎。
さくらも、真一郎に寄り添うように手を添えながら、遊を見る。
「……守れよ、そいつを。できなかったら、また殺しにくる」
「そうなったら、自分で命を絶ってやるさ」
お互い、少しだけ黙って――
「ふん……じゃあな。真一郎」
もう一度だけ、さくらに一瞥をくれてから、よたよたと飛んでいく蝙蝠は、ゆっくりと茜色の空に消えていった。
真一郎は少し考えた後――
「……ああ、バイバイ、遊」
初めて、彼の名前を口にした。