とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

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『落ちていく感覚。
 剥がれ落ちた陶器の仮面を叩き割り、その破片が肉を切る。
 痛みと共に気付く血の赤さが、自らの犯した罪の証。』


第二章

         ◇

「うん、夏休みには耕介さんも連れて帰るから」

「わかった。それにしても……薫姉がそっちに行った時はいつ男を連れてくるのかって期待したけど、まさか十六夜が先にそうなるとはねえ」

 

 電話からの少年は、からかっていると言うよりは心底驚きを隠せないようだ。声の後に聞こえて来た溜息は無意識に漏れたものだろう。

 しかし、彼の台詞で赤面した少女はそこまで気がつかなかったらしく、それを純粋に自分への揶揄だと捕らえた。

 

「うるさかね!あんたも人の事言えんじゃろが!」

「あいにくと、俺には久美ちゃんがいるので」

 

 少年――和馬からでた女性の名に、薫はふと記憶をめぐらす。

 

「久美……ああ、名古屋で地鎮をした時に会った娘か……ってあんたいつの間に」

「薫姉が友達になったらっていったんだろ……それより、十六夜はどんな感じ?」

「……気になるか?」

 

 心持ち真剣になった弟の声に、薫はやっと本来のイニシアチブが戻った事を感じた。

 

「別に……ただどうしてるかな、って思っただけ」

「隠さんでもよかよ。あんたも小さい頃は十六夜にべったりだったし、耕介さんに取られたようで悔しいんじゃろ」

「なっ……」

 

 思わずにやりと唇が動きそうになったが、瞬間、真雪の意地悪そうな笑顔が自分と重なって慌てて口を押さえた。もちろん、そんなことは電話の向こうの和馬に分かるわけはないのだが。

 

「そ、そんなわけなか!だいたいそんなんは薫姉のほうじゃろ。いくら新たに御架月を使うことにしたからって、よく十六夜を耕介さんに任せる気になったな。本当は後悔しとんじゃなかと?」

「しょんなかよ。確かに始めは勢いでっていうのもあった。でも……十六夜のあんな姿見れば、だれも文句なんぞ言えん」

 

 だいたい十六夜に耕介さんを取られたって言うほうが強い、と思った事は言わないでおく。

 

「なんだそれ?」

「ま、あんたも見れば納得するから。那美や北斗にもよろしく言っといて」

「はいはい。じゃ、俺もその耕介さんとの対面を楽しみにしとるよ。どんな人だか話でしか知らないし、一度お手合わせ願いたいからな。十六夜の所有者になる以上、裏としての見こみがなければ任せられん」

「それはあんたが決める事じゃなかろうが。ま、よかよ。耕介さんの実力はうちのお墨付き。総合力はまだまだでも、純粋な霊力ならすでにあんたを越えとる」

「期待しないでまっとるよ、じゃな、薫姉」

 

 かちゃん、とアナログ電話独特の切断音が聞こえたのを確認して、薫は受話器を置いた。

 壁にかかった日めくりカレンダーを見ると、眼鏡をかけた女の子が29という数字を抱いて笑っている。なんでも真雪が連載している漫画のプレゼントグッズの一つだそうだ。

「こんなハズいもん使えるか!」と真雪は嫌がっていたが、いつのまにか完全に定着してしまった。

 

 もうすぐ六月が終わる。

 

 薫の通う大学は七月中旬には休みに入るが、弟達や寮の皆に合わせてお盆の後に実家に帰ろうと考えていた。本来なら盆に戻るべきなのだろうが、生業がら神咲家が一番忙しくなるときだ。耕介や十六夜のためにも、家の者とはゆっくり合わせてあげたいと思う。

 それに――どうせなら、耕介の実力をもっと上げて、家族達――特に和馬――を驚かせてやりたい。彼の成長力は目を見張るばかりで、剣の腕前もさる事ながら、それを超える霊力の力強さがあった。もっとも霊力のコントロールは並以下なのだが――それは、十六夜の相互供給型という霊剣の性質でカバーできるはずだ。完全放出型の御架月を使ったら、おそらく一度の技で全ての霊力を使いきってしまうかもしれないが。

 

「その辺も含めて……新しい修行のメニュー考えるかな……」

 

 そんな事を考えながら、薫はとりあえず自分の鍛錬をすることにする。今ごろは耕介が夕食の仕度に勤しんでいるだろう。食事が終われば、耕介との手合わせだ。

 

「とりあえず……うちが抜かれんようにせんと」

 

 気合を込める意味で、彼女はそう口に出し部屋の御架月を迎えに行った。

 

 

 

         ◇

 ~八月一日、夜~

 

 ここ一ヶ月の耕介は、あからさまにおかしかった。

 朝食の用意や掃除などの日課はしっかりこなしているのだが、作業中の耕介はどことなく上の空で、誰かが声をかけてもしばらく気付かない。かと思うと妙に神経質になったように辺りを気にしていたりする。

 日課をこなしているといったが、それもどうも染み付いた行動パターンを体が勝手に行っている、そんな印象である。

 話せばいつも通りの笑みを浮かべながら、誰にでも優しく対処するのだが――。彼が一人ソファーで横になっていたとき、風邪ひくだろうと揺り起こそうとしたゆうひの手を反射的にパン!と払いのけ、居合せた周りの寮生をぎょっとさせることがあった(もっとも耕介の情けないほどの平謝りでいつもどおりの雰囲気に戻ったが)。

 数日ならともかく、さすがに一月も続くと不安になった愛やゆうひが何かあったのか十六夜に問うたのだが、それについて一番心配しているのは彼女自身であるらしかった。すでに異変に気付いていた十六夜は、夜、二人きりになった時に耕介に聞いてみていたのだが、そもそも何が原因かわからないので「どうしたのか」と漠然としか質問が出来ない。しかも耕介は、ただいつもの笑みを浮かべて何でもないと言うだけだった。

 

「おかしいです」

「おかしいよね」

「おかしいな」

「おかしいのだ」

「おかしいです~」

「おかしいんとちゃいます?」

 

 耕介、十六夜。薫、御架月の霊剣組を抜いた寮のメンバーがリビングに集まり、一同に頷いた。本当はあと一人リスティという少女が居るのだが、六月から夏休みの終わりまで彼女の妹達のところに遊びに行っているのでこの場には参加していない。

 その代わりと言うわけではないのだが――一人だけ、寮生ではない者が加わっていた。

 

「……で、私を呼んだわけですか?」

 

 テーブルに置かれたクッキーを、パリッ、と小気味良い音を立ててかじっているポニーテールの少女が、半眼で皆を見まわす。

 彼女の名は千堂瞳。

 薫の風芽丘学園生時代の元同級生で、耕介とは幼なじみである。耕介とは昔付き合っていたと言う事実があるが、その事は誰にも言っていない。耕介とさざなみ寮で再会したときはやり直す事も考えたのだが、そのときすでに耕介は十六夜と契っており思いは途絶える事となった。

 まあ、彼をあっさりと諦めた理由として風芽丘の後輩に気になる少年がいたということがあったのだが――。結構良い仲になったらしいが、その少年は彼のさらに後輩の少女と付き合うことになったそうだ。

 その時はいきなりさざなみ寮に乗りこんで、薫に愚痴、真雪と自棄酒、みなみと自棄食い――みなみもその少年を好いていたらしく、泣きながらもいつもの倍の量を平らげた――をして、大暴れした事があった。

 なんやかんやで瞳はちょくちょく遊びに来るようになり、今日も真雪からのお誘いに興じたのだが――

 

「真雪さんから食事のお誘いなんて、なんか変だと思ってたら……やっぱり厄介ごとがあったんですね」

「ま、そういうな。あたしだけじゃなく一応ここにいるメンバー全員からの頼みなんだし。ていうか今は一人でも考える頭や情報がほしいんだ」

 

 一同はうんうんと頷いて瞳に視線を合わせる。

 音もなく溜息をつくと、瞳は耕介と薫が手合わせをしている庭に視線を向けた。

 

「今日、来た私を迎えてくれてたときはそんな変な感じはしなかったけど……具体的にどんな感じなの?」

 

 振り返って愛に聞く。一人に質問を傾けないと、彼女達はてんでばらばらな答えを返すに違いないからだ。

「そうですね……」と愛は記憶を呼び戻すように人差し指をあごに当てて語り出した。愛は天然ボケで有名だが、こういうところでは冷静に客観的な答えを述べてくれる。

 

「なるほど……」

 

 妙に納得したような瞳の仕草に、回りの視線の期待が高まった。

 

「なんか心当たりが!?」

「んにゃ、なんにも」

 

 ぺろ、っと舌を出しておどけた彼女にメンバー全員が脱力した。

 

「あ~あ、まったく知佳が耕介の考えてる事読んじまえば速いってのに……」

「お姉ちゃん!いくらなんでもそんな事出来ないよ!」

 

 真雪の呟きに知佳が叱責する。

 

「あー、わかったわかったって。まったく、坊主(リスティ)がいりゃ内緒で頼むんだがな~」

「お姉ちゃんってば!」

「あーうるさい!冗談だって」

 

 心底面倒くさそうに真雪がそっぽを向いた。

 瞳はそんな二人が昔の耕介と自分の掛合いのように感じ、思わず笑みがもれる。だがその瞬間――

 

「あ……そうか、私には違和感がわかんなかったわけだ。今の耕ちゃん、昔の耕ちゃんみたいなんだ」

 

 ポンッと玩具のピストルのような音で手を叩いて、瞳が少しだけ目を見開いてそう言った。

 彼女はその発言を特に意識したわけではなかったが、ふと周りを見ると皆がポカンとした顔で瞳を見ている――そこで始めて自分が耕介の秘密を言いかけた事に気付き、慌てて口を押さえたがもう遅かった。

 

『なにー!?』

 

 

 

         ◇

 さざなみ寮から聞こえてきた寮生全員の叫び声に、耕介の動きが一瞬鈍る。

 

「耕介様!」

 

 十六夜の声の意味を認識するより早く、耕介はほとんど反射的に手にした得物を下段に落として右に飛ぶ。

 

「くっ!」

 

 ガッ!

 横なぎに払われた木刀が耕介の脇腹に襲い掛かるが、僅かに彼の動きが勝りすんでの所でそれを弾いた。

 

「耕介さん、周囲の状況の変化に反応する事は大事ですが、戦闘への集中力をそいでは意味がなかとです」

「す、すまない薫」

 

 斬激を受けた反動で痺れた手の感触を取り戻すため、木刀の柄を強く握り締めて耕介は再び攻撃の構えを取る。目の見えない十六夜ですら感じ取った剣の動きを掴めないようではどうしようもない。

 

「それから十六夜!試合中に声をかけない!もちろん御架月も」

 

 薫は視線は耕介から動かさないまま、木に立て掛けた二本の霊剣の傍らで佇む金髪の女性と銀髪の少年――十六夜と御架月に声をかけた。

 

「すみません……」

「わかっています、薫様」

 

 十六夜は複雑な顔のままこうべを垂れる。

 

「姉さん、あんまり落ち込まないで……」

「ええ、大丈夫」

 

 弟のちょっとした気遣いが嬉しい。

 

「耕介さん、休まず行きますよ!」

「おう!」

 

 薫が木刀を構えそれに答える耕介の声を合図に、再び打ち合いが始まった。

 

 

         ◇

「あああああ……そんな何もハモッて驚かなくても……」

 

 小さく縮こまって皆の視線から逃れようとする瞳に、真雪が詰め寄った。

 

「昔の耕介みたいって……アイツあんなにぴりぴりしたやつだったんか?」

「真雪さん勘弁してください~。私がしゃべった事がばれたら耕ちゃんに怒られちゃう~」

 

 瞳はほとんど涙目で懇願するが逆効果だったようだ。真雪がにやりと笑って瞳に擦り寄る。

 

「言いからはいちまえって。そこまで言ったら今更隠したって無駄だし。だいたいあからさまに変なくせに隠してる耕介が悪い。早く教えろ」

「そ、そんな……みんな助けてよ~」

 

 真雪から何とか逃れようとして愛達を見るが――

 

「教えて……ください」

「私も……知りたいかな」

「にひひひひ」

「教えるのだ!」

「教えてほしいです~」

「お願いや、教えて~な~」

 

 全員真雪の手の下だった。

 瞳は一度大きな溜息をついたが、すぐに口元を引き締め真剣な顔になる。

 

「わかりました……でも条件があります。一つは私が話したって事を耕ちゃんに内緒にしてくれる事。……そして、たとえ耕ちゃんの過去がどんなであれ、今の耕ちゃんを信じられる事――約束できる?」

 

 答えを聞くまでもなく、彼女達の表情がそれを肯定していた。

 それを確認して無言で頷き、瞳はぽつりぽつりとではあるが語り出した。

 自分の姉が幼なじみで、それに連れてよく遊んでいた事(さすがに付き合っていた事は黙っていた)。いつもぶっきらぼうで、面倒くさい事には関わらないような性格だった事。荒れていた耕介の学生時代、ケンカで生傷が絶えず停学も何度もしていた事――

 

「なんていうか……典型的な「不良」だったわね。学校帰り煙草吸ってて、私がよく文句言ってたりしたっけ」

「なんか……信じられないね……今のお兄ちゃん見てると」

 

 知佳が目を丸くしている。

 

「私が始めてここに来たときは、今の耕ちゃんの方が信じられなかったけどね」

 

 肩をすくめて瞳。もう完全に諦めたようで、大分饒舌になっているようである。

 

「なるほど……稽古つけてやったときも素人にしてはなかなかやると思ったけど、ケンカで場慣れはしてたって事か。あたしを超えるにゃまだまだだけどな」

「それはそうですよ。耕ちゃんがキレたりしない限りは私や薫の方が上だろうし、剣の腕なら薫より強い真雪さん相手じゃ勝ち目はないです」

 

 そう答えた瞳の言葉に、にひひと笑っていた真雪が止る。

 

「なんだと?」

 

 少し怒りを込めた表情で――真雪が瞳を睨んだ。

 剣の腕なら――というのは、総合的な戦いなら薫の方が強い、と言う事だ。そして、瞳はその薫の上をいっている、と薫自らいわしめたことがある存在である。つまり、三人の総合的な強さは、瞳、薫、真雪の順となる。それは真雪自身も口には出さないが納得している事である。問題なのは――

 

「キレたりしない限りって……どういうことだ?本気になった耕介は実戦ではあたしらより強いって事か?」

 

 喋りすぎた、と瞳は内心で舌打ちした。このことは――まだ言えない。

 

「いえ、単なる言い間違いです。気にしないでください」

「千堂~、『しまった』って顔してそんなこと言っても説得力ねーぞ。言わないんなら力尽くでも――」

「……言いません。絶対に」

 

 真雪の獲物を射るような眼光を真正面から見つめ返し、瞳は座り方を微妙にずらして隙を無くした。真雪が半分本気だった事を察知しての無意識の動きだった。

 ぴりぴりと場が緊迫していくこの急激な空気の変化に、誰も喋る事が出来ず少女達は二人を見守っていた。そのとき―― 

 がっしゃあああん!

 

「きゃああああ!」

 

 突如庭につながるガラス扉が割れて、みなみが悲鳴を上げた。硝子と静寂の空気を一度に破壊したもの、それは―――

 

「あっ、くっ!」

 

 脇腹を押さえて苦しむ薫であった。

 一番近くにいた愛が駆け寄り薫の上半身を抱え上げる。

 

「か、薫ちゃん。大丈夫?」

「こ……こうす……」

 

 辛うじてそこまで言葉を発したかと思うと、ふっと彼女の体から力が抜けた。

 

「おい神咲、しっかりしろ!」

 

 真雪が薫の脈を取る。ほっと安堵の顔が浮かんだところを見ると、たんに気絶しただけのようだ。

 

「あ、あれ!」

 

 みなみが庭を指して叫んだ。彼女が指差す先には――

 

「十六夜!御架月!」

 

 地面に倒れた二つの霊剣が、仮初の人型を携えることなく闇夜の中で悲しそうにその刀身を光らせていた。

 




次は明日くらい

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