とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

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Er gab mir das Herz zu glauben.


第四章 「返された決意」

 

 

 

          ◇

「最低だ……俺」

 

 あの日から、数日が経っていた。

 さくらとは、ろくに話をしていない。

 電話がかかってきても、学校で話し掛けられても、曖昧な返事で避けつづけている。

 

「……なにやってるんだろうな。今を精一杯、さくらと共に生きるって……決心したはずなのに」

 

 それは、決して軽い気持ちからではない。だが、それはあくまでも自分の為の決心だ。二人の関係に、自分が重荷になるなんて、考えたことも無かった。

 イライラをぶつけるように、近くの石ころを放り投げると、海の水面に波紋が広がった。

 座り込んでいる砂浜が、固い感触を臀部に返すが、それも今は気にならない。

 

「はぁ……」

 

 何度目かになるため息をついて―― 

 ピト、と頬に何かを押し付けられる感覚。

 緊張の抜けた脳は、しばらくそれに何の反応も示さなかったが――

 

「………ぃい~~~~!冷てぇ!」

 

 急な温度差に、跳ね上がる。

 

「あっはははははは!」

 

 きゃらきゃらと笑う男の声に気づき、真一郎は怒りを込めて睨みつけるがーー

 

「あ、あれ?耕介さん」

「よ!最近こないから、心配したぞ」

 

 買い物帰りなのか、片手に大荷物を抱えた槙原耕介が立っている。

 開いた手に持つ缶ジュースが、先ほどの悪戯の凶器らしい。

 

「ひどいですよ……」

「なに言ってる。先月、俺に同じコトしただろうが。ま、あの時はホットだったけど(十六夜想曲参照)」

 

 そう言って、少年の横に腰を下ろした。彼は買い物袋からジュースをもう一本取り出すと、ひょい、と真一郎に投げ渡す。そして、押し付けた方のジュースのプルトップを開き、豪快に口に傾けた。。

 青年は、ふう……と、さまになる形で息を吐き――

 

「んで、…さくらちゃんとなにがあった?」

「!?」

「驚くない。何時も一緒の二人がそろってなくて、元気なさそうにその一人が海岸で座ってりゃ、想像つくさ」

 

 少しだけ、憂いの表情で耕介。

 

「十六夜との事で迷惑掛けたおれが言える台詞じゃないかもしれないが、同じ悩みを持つ同士だ。話ぐらいは聞いて挙げれるぞ」

「……耕介さん」

「ま、正直興味も半分だ。軽く話せる範囲で良いさ」

 

 その言葉が、彼流の照れ隠しであることはわかる。

 真一郎は手にしたジュースを見つめ、開けることなく手のうちで転がす。

 

「……耕介さん。今更なんですが、十六夜さんと一緒になったこと、後悔してませんか?」

「ん?全然」

 

 青年は、まるでその質問を予想していたかのように、当然のように瞬時に答えを返す。

 

「普通には起る事のない、様々な困難があるのに?」

「うん」

 

 二度目の問いも、同じように。

 

「それが、結局十六夜さんを傷つけることになってもですか?」

「ああ」

 

 やはり即答。

 真一郎は、耕介のあまりのそっけなさに、彼が軽く流しているのかとその目を覗きこんが、

 

 ――深い。

 

 それが感想だった。

 耕介の目は、決して真一郎の訴えを軽んじているのではない。

 おそらくはそれが、揺るぎ無い信念なのだろう。

 

「困難があっても、あの性格だし十六夜が傷つくかどうかなんて、そんなのわかりゃしない。例え傷ついたとしても、それは俺と――十六夜自身の責任だろう」

「……は?」

 

 正直――言っている意味がわからなかった。仲睦まじく見える二人だが、耕介の今の台詞は、どこと無く冷めた意味に真一郎思えたのだ。

 

「お互いが、自分で選んだ道だ。その結末が不幸なものであったとしても、俺は後悔なんかしないし、きっと彼女もそうだと思う。それに、傷つくことが不幸なことだとは思わない。それは、きっと俺達のこれからに必要なことなんだと思うから」

「……」

「後の事なんか考えたって判らんが、少なくとも、今俺が十六夜から離れたら、確実にあいつは悲しむだろう。よくドラマなんかで、お互いの為に別れる――なんて切り出すやつがいるがな、恋人の、他人の幸せの定義を決めてどうする。だからな、そんなことをいう奴の台詞は間違いなく『自分の為』だ。都合のいい言葉で別れたいだけか、『逃げ出したい』のか、どちらかだよ。なら、さっさとそう言えばいい。そうじゃないというなら――二人で堕ちるところまで堕ちろ。逃げたいなら二人で逃げればいい。自分が決心して選ぶということは、その結末全てを受け入れる覚悟があって初めてするべきだと俺は思ってる。……それともなにか?君がさくらちゃんを選んだのも、やっぱり、彼女の体目当てだったか?」

「!?」

 

 真一郎は、目を見開く。

 耕介が、動じた様子も無く少し下卑た口調で続ける。

 

「まあ、しかたねぇよな。線の細そうなところはたまらないものがあるし。欲望をぶちまけてみたいって願望が生まれても当然だ」

 

 少年は、おそらく初めてこの青年に憎しみの感情を覚えた。しかも、おそらくは人生の中でも最大級の――

 無言で立ち上がり、青年を見下ろす。

 

「……耕介さん。それ以上侮辱するなら許しませんよ」

「あ?そう、かっこつけるなって。何しろあの容姿だ。男だったら、『ずっと一緒にいる』とか少しくらい大口叩いてでも落として、ベッドに引きずり込みたいものが――」

 

 バキィ!

 

 ――鈍い、音。

 

 少年の渾身の力をこめた右ストレートが、耕介の頬に突き刺さる。

 二メートル近い青年の体が、面白いように後ろに反れ、そのまま砂浜に倒れこんだ。

 息を切らせて震わせる真一郎の右の拳は、耕介の返り血か、それとも切れた手の甲の血か――おそらく両方だろう――が付き、ねっとりとした鉄の匂いが、潮の香りと混ざる。

 

「ふざけんな!あんたのゲスな想像で、大切なさくらを汚すんじゃねぇ!」

 

 よろよろと置きあがる耕介が、腫れた頬を押さえながら、真一郎に向き直る。

 

「大切だ?はん、正直に言ってみろよ。いい女だったんだろ?彼女を抱いて気分が良かったんだろ?自分は、そのせっかくの美味しい女を苦労せずに取って置きたいから、よけいな面倒に巻き込まれたくないって――」

 

 そこまで言って、耕介の眼前が闇になる。

 どうなっているかは判っていた。

 コンマ秒前に、真一郎の拳が迫ってくるのが、はっきり視界に映っていたからだ。

 ゴシュ、という耳慣れない音と共に、鼻の奥が熱くなる。鼻血が逆流して口から少し漏れたが、すぐに止まり、結局鼻自体からは血が流れなかった。

 真一朗は耕介の襟を掴み挙げ、憎悪の形相で睨みつけた。

 

「いいか!俺は全部覚悟して、さくらといっしょにいるんだ!あいつが悲しむのは見たくない、ただそれだけだ!あと一言でもさくらと俺との関係を貶めるようなこと言ってみろ。……殺してやる」

 

 はぁはぁと、真一郎の息の音だけが、妙に大きく感じる。襟を掴んでいるてがぶるぶると震えているのは、押さえきれない怒りを押さえているからだろう。

 そんな彼の姿を、少しゆっくりと見通した後――

 

「……なんだ。わかってるじゃないか」

 

 ニッ、と、いつもの人懐っこい笑みで、耕介が言った。

 

「…………え?」

 

 いきなりの青年の豹変振りに、上り詰めていた怒りが急速に冷えていく。

 力が抜け耕介の襟を放すと、彼は「やれやれ」と言いながら、倒れた時に服についた砂を払い落とす。

 

「とっくの昔に、答えなんて出てるんじゃないか。自分で忘れて自分で叫んでれば、世話ないだろ」

 

 わっはは、と耕介が笑う。

 そこで初めて、真一郎は耕介の真意に気づいた。

 

「あ、…あの、すいま…」

「謝らなくていい。悪いことをしたのはこっちだからな。……でも、すっきりしたろ?」

「……はい」

 

 自分が情けなくて、頭を落とす。

 

「あのさ、真一郎。君が俺に言ったんだぜ?『大切なのは、同じ時を過ごしているこの瞬間だ』って。だから、俺もその言葉を信じて、今ここにいる。……カッコ悪くったっていいさ。がむしゃらに、生きていこうぜ。――今を、な」

「は…い…」

 

 流れ落ちる涙を見られないように顔を下げる。

 

「……がんばりな。あんな奴に負けるなよ」

「はい……ぇ!?」

 

 あいつ、とは。

 今の真一郎にとって負けてならない相手は一人だけだ。だが、もし奴のことをいっているのなら、耕介はなぜそれを知っているのだろうか。

 

「ちょっと前に、さ。妙な妖気を感じて、向かいの高台から双眼鏡で覗いていた。神咲の術のなかに、読唇を可能にする技があってね。それで、二人の会話は知ってた」

 

 ぽかん、と真一郎。

 つまり、彼は全てを知った上で――初めから殴られる覚悟でここに来たと言う事だ。

 彼の心根に、少年はもう一度頭を下げる。

 

「じゃ、行くよ。腹を空かせた破壊獣達がうるさくてね」

「はい……」

 

 真一郎は、彼の背中を追うことが出来なかった。ずっと、頭を下げつづけていたからである。

 心の中で、あふれ出て伝えられない言葉――

 

「ありがとう」と繰り返しながら――。

 

 

          ◇

「大丈夫ですか?耕介様」

「ああ……ててて、良いパンチしてるよ。鍛えたかいがあったってことかな?」

 

 歩きながら、革ジャケットの懐に隠された、十六夜の位牌――携帯外出用である――に話しかける耕介。

 

「それにしても、どうなることかと思いました……私には、なにも教えてくださらないのですから……」

「ごめん。でも、ああいうのは男同士のほうが、いいかなってね」

「そうですね。あのように暴力的になってしまうのはいただけないですが――時々、殿方のそういう関係が、うらやましく思えます」

 

 少しすねたような口調だった十六夜の声に、覇気が戻ったように感じられる。

 

「それに、うれしかったのですよ。私との事を、あの様に語っていただいて」

「そう?でも、もともとあいつから学んだことを、返しただけなんだ」

 

 空を見上げる。服に付いた潮の匂いが、どことなく暖かかった。

 

「十六夜」

「はい?」

「……君が好きだ」

「……はい」

 

 十六夜と交わした契り。そして自分が――こうして十六夜と共にいる自分が、ここにあることを誇るように、歩く。

 

 




青臭くてワイが死ぬ

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