とらんあんぐる組曲 作:レトロ騎士
◇
風が静かに凪いでいる。
秋風の匂いは甘く、それでいてどこか寂しい。
優しいと感じるよりも早く、刺すような冷たい風に変わる。
もし秋の風に人格があるのだとしたら、意外とぶっきらぼうな奴かもしれない、と、少年はフェンスに寄りかかりながら考えていた。
フェンスの向こうに見えるのは、海鳴の中途半端に発展した町並みと、穏やかな海岸線。
風牙丘学園の屋上からの、見なれた景色である。
今は五時間目のチャイムが鳴ってから、十五分ほど過ぎた時刻である。早い話、赤毛の少年はサボりをしていた。
すすっていた紙パックのジュースを潰し、備え付けのゴミ箱――誰かが私用に置いたバケツだが――に放り込む。
「……で、何時までそこにいる気?」
真一郎は、体をフェンスによりかからせたまま、言った。
それほど大きな声ではなかったが、聞こえたのだろう。給水等の影から、人間の影が現れる。
出てきたのは、ハンサムと言って差し支えないが、どこか冷たさを感じずに入られない容姿の少年だった。
そのどこか人を見下したような目が、真一郎には気に食わなかったが、それ以上に一個人として、その男に嫌悪感を持った。
「へぇ…気づいてたんだ?驚いたよ」
その男は、きざったらしい動きで前髪を押さえた後、口笛を吹くように言葉を発する。
言葉に反して、その男が驚いているようには思えなかった。
「……二度目までは偶然。三度目は必然ってね。お褒めの言葉はありがたいけど、気配を三度も感じて、それを気のせいだと認識する方がどうかしてるんだよ」
睨む。
自分がこの男に対しかなわない事は知っている。だが、心では負けるつもりは無い。
「それで、何のようだ?氷村。おまえの居場所はここじゃなく、冷たい棺桶の中じゃないか?ゲス吸血鬼」
「……下等な家畜の分際で、舐めた口を叩くじゃないか。今ここで、肉片に変えても良いんだぞ」
見下した口調で、男――氷村遊が言った。
男は、さくらの腹違いの兄、義兄となる青年である。
さくらと同じ夜の一族であり、その一族の血を高尚なものとして、人間を下に引く、歪んだ性格の持ち主である。
以前、真一郎と関係を持ったさくらに対し、純潔にこだわる彼が手を出してきた事件があった。
その時は、彼の術を破り撃退したのだが――
「その気なら、今までにいくらでもチャンスがあったからね。おまえは愚かだけど、頭の回転は速いほうだ。無意味なことはしないだろう」
「ふん……。まあいい。どうせ貴様なんぞ、殺したところでうっとおしいだけだ。用さえ済めば、放って置いてやるさ」
「そうか、奇遇だな。俺もおまえにかまう暇は無い。失せろ」
「聴いてないのか?こちらに用があるんだ。貴様にその否定件は無い」
「だったら、その用件とやらをとっとと言え。わずらわしくない程度のことなら聴いてやる」
あくまでも強気に、真一郎。握った手が震えそうなのを、何とか押しとどめる。なにしろ相手は何時でも自分を殺すだけの能力を秘めている。だが、それに臆したら、自分はこいつに対して決して勝てなくなるだろう。
遊は、つまらなそうに一――
「なに、単純なことだ。綺堂と別れろ。そうすれば生かしておいてやる」
「……聞くと思うか?」
「別に。だがいくつか聞きたい。貴様は、本当に彼女が好きなのか?」
「どういう意味だ」
「彼女は、僕と同じ高尚な血を引いた一族だ。貴様は、下等な人間に過ぎない。一族を襲う脅威から彼女を守る術も、同じ時を過ごすことも出来ない。そんな貴様が彼女を幸せにするだと?笑わせる!おまえは僕達にとって、単なる食料に過ぎない!血を汚す異端者だ。貴様は単におまえのエゴだけで、彼女を縛っているだけだろう」
射貫くような目で、遊。
「今はいい。だが、何十年と経った後も、彼女がおまえを愛すると思うか?彼女は若いままなのにも関わらず、貴様は醜く老い衰えていく。辛いだろうな。おまえの存在が、彼女を不幸にするんだ。にもかかわらず、おまえはさくらと共にいようとするのか!」
「……俺は…」
言い返そうと口を動かす。だが、真一郎の唇は、閉じた貝のように硬く動かない。
「数日だけ有余をくれてやる。せいぜい、今の生活を楽しむが良いさ」
「まっ……」
呼び止めようとした真一郎の指先に――遊の姿は無かった。
ただ、声だけが響く。
「一週間後の同じ時刻。旧校舎の屋上で――」
◇
校門で、さくらは真一郎の帰りを一人待っていた。夕暮れの霞む校舎を見上げて、思い人への思いに胸をはせる。
一年前までは、考えもしなかったことだ。
彼女に声を掛けてくる人間は多かったが、どれも下心が読み取れるものばかりで、正直、男性に対して嫌悪感に近いものがあったのかもしれない。
それが今では、床を同じにするまでの人がいる。
その人は、自分の呪うべき正体に驚きはしたものの、真っ直ぐに受け止めてそれら全てをひっくるめて愛してくれる。
きっと、その彼を守る為ならば、自分は命を掛けて――他人の命を取ることにすら、躊躇いはないだろう。
……いや、自分との関係を壊そうとするものにも、きっと容赦はできないに違いない。
「あ……」
その、少年が現れた。影の落ちた顔にがどこか沈んでいるように見えるが、落ちていく太陽のせいか、と、あまり気にしなかった。
「先輩!待ってました」
飛びついて、腕にすがり付く。
そして愛しい人の言葉を待って――
「…………」
「……え?」
聞こえなかった。いや、予想外の事に脳が認識できなかったのだろうか――
「一人に……してもらえないか」
「……先……輩?」
力が抜ける。
同時に、振り払うように真一郎の腕が外れた。
そして――真一郎は、振り返ることなく、夕刻の街に足を進めていった。
ドサっと、さくらの手から鞄が落ちる。
「……え……先輩……どうして……」
さくらはペタリ、と地面に座り込み――泣きはしなかった。だが、全てを失ったように放心をしていた。
足元が崩れていく――そんな感覚を感じながら――