とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

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Ich wurde von ihm in der Liebe zu ihr bestritten.



第三章 「壊された愛情の欠片は」

         ◇

 風が静かに凪いでいる。

 秋風の匂いは甘く、それでいてどこか寂しい。

 優しいと感じるよりも早く、刺すような冷たい風に変わる。

 もし秋の風に人格があるのだとしたら、意外とぶっきらぼうな奴かもしれない、と、少年はフェンスに寄りかかりながら考えていた。

 フェンスの向こうに見えるのは、海鳴の中途半端に発展した町並みと、穏やかな海岸線。

 風牙丘学園の屋上からの、見なれた景色である。

 今は五時間目のチャイムが鳴ってから、十五分ほど過ぎた時刻である。早い話、赤毛の少年はサボりをしていた。

 すすっていた紙パックのジュースを潰し、備え付けのゴミ箱――誰かが私用に置いたバケツだが――に放り込む。

 

「……で、何時までそこにいる気?」

 

 真一郎は、体をフェンスによりかからせたまま、言った。

 それほど大きな声ではなかったが、聞こえたのだろう。給水等の影から、人間の影が現れる。

 出てきたのは、ハンサムと言って差し支えないが、どこか冷たさを感じずに入られない容姿の少年だった。

 そのどこか人を見下したような目が、真一郎には気に食わなかったが、それ以上に一個人として、その男に嫌悪感を持った。

 

「へぇ…気づいてたんだ?驚いたよ」

 

 その男は、きざったらしい動きで前髪を押さえた後、口笛を吹くように言葉を発する。

 言葉に反して、その男が驚いているようには思えなかった。

 

「……二度目までは偶然。三度目は必然ってね。お褒めの言葉はありがたいけど、気配を三度も感じて、それを気のせいだと認識する方がどうかしてるんだよ」

 

 睨む。

 自分がこの男に対しかなわない事は知っている。だが、心では負けるつもりは無い。

 

「それで、何のようだ?氷村。おまえの居場所はここじゃなく、冷たい棺桶の中じゃないか?ゲス吸血鬼」

「……下等な家畜の分際で、舐めた口を叩くじゃないか。今ここで、肉片に変えても良いんだぞ」

 

 見下した口調で、男――氷村遊が言った。

 男は、さくらの腹違いの兄、義兄となる青年である。

 さくらと同じ夜の一族であり、その一族の血を高尚なものとして、人間を下に引く、歪んだ性格の持ち主である。

 以前、真一郎と関係を持ったさくらに対し、純潔にこだわる彼が手を出してきた事件があった。

 その時は、彼の術を破り撃退したのだが――

 

「その気なら、今までにいくらでもチャンスがあったからね。おまえは愚かだけど、頭の回転は速いほうだ。無意味なことはしないだろう」

「ふん……。まあいい。どうせ貴様なんぞ、殺したところでうっとおしいだけだ。用さえ済めば、放って置いてやるさ」

「そうか、奇遇だな。俺もおまえにかまう暇は無い。失せろ」

「聴いてないのか?こちらに用があるんだ。貴様にその否定件は無い」

「だったら、その用件とやらをとっとと言え。わずらわしくない程度のことなら聴いてやる」

 

 あくまでも強気に、真一郎。握った手が震えそうなのを、何とか押しとどめる。なにしろ相手は何時でも自分を殺すだけの能力を秘めている。だが、それに臆したら、自分はこいつに対して決して勝てなくなるだろう。

 遊は、つまらなそうに一――

 

「なに、単純なことだ。綺堂と別れろ。そうすれば生かしておいてやる」

「……聞くと思うか?」

「別に。だがいくつか聞きたい。貴様は、本当に彼女が好きなのか?」

「どういう意味だ」

「彼女は、僕と同じ高尚な血を引いた一族だ。貴様は、下等な人間に過ぎない。一族を襲う脅威から彼女を守る術も、同じ時を過ごすことも出来ない。そんな貴様が彼女を幸せにするだと?笑わせる!おまえは僕達にとって、単なる食料に過ぎない!血を汚す異端者だ。貴様は単におまえのエゴだけで、彼女を縛っているだけだろう」

 

 射貫くような目で、遊。

 

「今はいい。だが、何十年と経った後も、彼女がおまえを愛すると思うか?彼女は若いままなのにも関わらず、貴様は醜く老い衰えていく。辛いだろうな。おまえの存在が、彼女を不幸にするんだ。にもかかわらず、おまえはさくらと共にいようとするのか!」

「……俺は…」

 

 言い返そうと口を動かす。だが、真一郎の唇は、閉じた貝のように硬く動かない。

「数日だけ有余をくれてやる。せいぜい、今の生活を楽しむが良いさ」

 

「まっ……」

 

 呼び止めようとした真一郎の指先に――遊の姿は無かった。

 ただ、声だけが響く。

 

「一週間後の同じ時刻。旧校舎の屋上で――」

 

 

 

 

         ◇

 校門で、さくらは真一郎の帰りを一人待っていた。夕暮れの霞む校舎を見上げて、思い人への思いに胸をはせる。

 一年前までは、考えもしなかったことだ。

 彼女に声を掛けてくる人間は多かったが、どれも下心が読み取れるものばかりで、正直、男性に対して嫌悪感に近いものがあったのかもしれない。

 それが今では、床を同じにするまでの人がいる。

 その人は、自分の呪うべき正体に驚きはしたものの、真っ直ぐに受け止めてそれら全てをひっくるめて愛してくれる。

 きっと、その彼を守る為ならば、自分は命を掛けて――他人の命を取ることにすら、躊躇いはないだろう。

 ……いや、自分との関係を壊そうとするものにも、きっと容赦はできないに違いない。

 

「あ……」

 

 その、少年が現れた。影の落ちた顔にがどこか沈んでいるように見えるが、落ちていく太陽のせいか、と、あまり気にしなかった。

「先輩!待ってました」

 

 飛びついて、腕にすがり付く。

 そして愛しい人の言葉を待って――

 

「…………」

「……え?」

 

 聞こえなかった。いや、予想外の事に脳が認識できなかったのだろうか――

 

「一人に……してもらえないか」

「……先……輩?」

 

 力が抜ける。

 同時に、振り払うように真一郎の腕が外れた。

 そして――真一郎は、振り返ることなく、夕刻の街に足を進めていった。

 ドサっと、さくらの手から鞄が落ちる。

 

「……え……先輩……どうして……」

 

 さくらはペタリ、と地面に座り込み――泣きはしなかった。だが、全てを失ったように放心をしていた。

 

 足元が崩れていく――そんな感覚を感じながら――

 

 

 


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