とらんあんぐる組曲 作:レトロ騎士
◇
海鳴市桜台337-3。
私立山乃瀬学院の裏道をまっすぐ行ったその先に、その白地の建物は国守山という大きな裏山を携えて存在している。
柔らかな自然に囲まれたここ海鳴市でも、さらに多くの翠に囲まれたそれは、近代的ながらもどこか昔懐かしい雰囲気を与えてくれていた。
さざなみ寮――。この町の教育機関に通うために、多くの女性がこの寮を利用してきた。性別が偏っているのは、この寮が女子寮であるからだが――色めいたはずの女子寮には似つかわしくないはずの大柄な青年が、これまた雰囲気にそぐわない真剣を片手に、庭先で一心に剣舞をしている。
「は!」
最後に大きく息を吐き出し横になぎ払うと、残心――行動の後にも殺気を残し、状況の変化に対処すること――をゆっくりと解いていく。
「ふぅ……」
息をついて体の力を抜くと、横から手の鳴る音が聞こえた。
「すごいですね……耕介さん」
「やあ、真一郎。来てたんだ」
舞を終えた青年、槙原耕介――神咲耕介となる予定の――は、先ほどまでの指刺すような鋭い表情が嘘のように、のほほんとした顔でガラス戸の前にたたずむ少年を見る。
彼は、ここさざなみ寮の管理人で、同時に神咲一灯流という流派の退魔師をしている。もっとも、後者のほうは正式な免許皆伝者ではないが、学び始めてわずか一年足らずで基本を習得し、異例のスピードで成長を続けているらしい。
「晩飯たべてくだろ?今日は珍しく人が少なくてね」
「さくらもいますけど、いいですか?」
「はっはは。相変わらずだな。今更君達が遠慮する必要は無いだろ?」
豪快に笑う耕介。
後で知ったことだが――彼の旧友以外で、男の知り合いを呼び捨てで呼ぶのは真一郎に対してだけだそうだ。
それは耕介が並々ならぬ敬意と親愛を、真一郎に対してしていることに他ならない。
耕介が真一郎の名をそう呼ぶようになったのは、今年の八月のことである。
あることでずっと悩んでいた耕介は、ある日、さざなみ寮を飛び出して道に行き倒れたことがあった。
その時の彼を介抱し、その悩みを振り払うきっかけを与えられたのである。(第一作、十六夜想曲参照)
もっとも――それが耕介にどれほどの救いとなっていたのか、真一郎は理解していないのだが――
「じゃあ、飯食ったら手合わせしようか?組み手しにきたんだろ?」
「お願いします。今日は昨日より少しだけ強めで」
「わかってる。常に一歩前に……だろ?」
そういってにやりと――決して不快ではない――笑みを浮かべる。
女子寮と言うなかで男性の管理人という立場になっていても、皆からの信頼を受けているのが、わかるような気がした。
耕介は、神咲一灯流での剣術を習う以前から、もともと喧嘩に明け暮れていた――簡単に言えば不良だった。今の姿からは信じられないかもしれないが、それなりに名の通った喧嘩屋だったらしい。そんなこともあり、空手の有段者の真一郎とはいえ、耕介からは一本もとることが出来ずにいる。
そして何時のころからか、真一郎は耕介に鍛錬を頼むようになっていた。
「それにしても……よく続くね」
「……男の俺が、好きな人より物理的に弱いっていうのは、やっぱり……ね。少なくとも、守られる存在にはなりたくないんですよ。例え、さくらがそれを望んでいなくとも、ね」
「ま、それは仕方ないさ。男の身勝手なエゴって奴だし。こればっかりは、ゆずれないさ……。まあ、そう言って無茶すると、嫁さんが怒るけどな」
ちゃ、と手にした刀を傾ける。それが合図とばかりに、刀がほんの少し燐光を放つと、しゅるんと言う音と共に、金髪の美しい女性が現れた。
「そうですよ、耕介様。この前の仕事の時も、無茶をして大怪我をなされたではありませんか」
十六夜。耕介の妻である。もっとも、戸籍上では耕介は独身だが――
そもそも、十六夜は人間ではない。
退魔師の業を背負う神咲家。そこに四百年に渡り仕えてきた、霊剣十六夜に宿る魂が具現した姿――それが、刀の銘と等しい名を持つ、彼女の正体である。
人間ではないものとの契り。それは、真一郎とさくらに通じるものでもある。
それだけの為ではないが、この二人には幸せになって欲しい、と真一郎は思わずに居られなかった。
十六夜が、微笑を――美笑ともじっても可笑しくない――浮かべ、盲目の瞳にちょうど真一郎の映像が入る位置に向き直る。
「相川様……あなたも、あまり無理はなさらないでくださいね。悲しむ方は大勢います。そして、それ以上に涙を流す連れ合いがいるのです」
「……はい」
頭を垂れた。
この人に叱られると、本当に自分が悪い事をしている気持ちにさせられると思う。
それは、その言葉が彼女自身の生きてきた――過ごしてきた時間から学んだ、心からの訴えだからだろう。
たった一言の言葉の重さ。
盲目の天女は、いつもそれを教えてくれる。
「耕ちゃ~ん、おなかすいた~」
不意に今から、声。
「千堂さん……いつもあんな感じなんですか?」
「ああ……学校じゃ猫かぶってたみたいだけどな……」
もう卒業したとはいえ、唯子の先輩兼ライバルの千堂瞳は、女子からも男子からも憧れの、学校のアイドル的存在だった人物である。
はっきりいって、今のこの姿を級友たちに教えても、誰も信じないに違いない。
もっとも、幼馴染であり元恋人の耕介にとっては、逆なのだろうが――
「さてと……じゃあ、晩飯を仕上げるか!真一郎、手伝ってくれるか?」
「任せてください!」
耕介に向かって親指を立てる真一郎。
彼も、耕介には及ばないものの、料理の名人――もちろん素人としてはだが――である。
大きく伸びをした真一郎は、なんとなしに視線を上げた。
その先には今日の晩餐をたたえるように夕日が静かに沈んでいき、辺りの景色を朱色に染めている。
赤く染まったその光景は確かに綺麗だった。
情熱の色、激情の色――赤。
そう称されるのが、決して言葉だけではないと感じる。
だがなんとなく――彼には、それが血の色に見えた。
それは、一羽の蝙蝠が不気味に空に飛び去ったことのせいか――
「まさか……、ね」
今日、二度目となる台詞は、なぜか自分でも虚構に思えた。