とらんあんぐる組曲 作:レトロ騎士
◇
カラン――と、カウベルが鳴り扉が開く。
貸切であるこの店に入ってくるのは、関係者しかありえない。入ってきたのは――
「かーさん!」
桃子だった。
「やっほー、ここに居るって言うから迎えに着たわよ。……なんて、あたしもここのパスタ食べたかったんだけど♪」
底抜けに明るい桃子の声に、妙に重かった空気が消えた。もっともリスティだけは、相変わらず暗かったが――。
「よし、それじゃ今日はご馳走しますよ。いつもシュークリームおまけしてもらってるし」
「あら、うれしい!」
後は――なんとなく座談会になってしまった。
それぞれが、それぞれに、会話を楽しみ、午後のひとときを過ごす。
「それにしても……ここの店の名前、いいですよね」
「そうですか?私も、なんとなくつけた名前なんですけどね」
桃子の言葉に、うれしそうにマスターが答えた。
「かーさん、ここの店の名前の意味、わかるの?」
美由希が聞くと、桃子が少し膨れて、
「あったりまえでしょ、これでもフランスに留学してたんだから」
と、言われても、誰も名前がフランス語であると言うことすらわからなかったのだが。
マスターが苦笑しながら言った。
「ここの店の名前はね……」
語る。
それを聞いた瞬間――
「……ぷっ……くははははははは!」
リスティが急に笑い出した。
「ど、どうしたんですか?」
と、マスター。
今までが沈んだ表情だっただけに、無作法にあきれるよりも、驚きのほうが勝ったらしい。
「はっはっははは。いや、こっちのことだよ。……恭也、ボクの負けだよ。確かに、君の言うとおりだね」
『なになに?』『どういうこと?』と、周りの面々がリスティと恭也に聞き詰める。だが、恭也の方も意味がわからないらしい。
唯一の理解者であるリスティは煙草を消すと、にんまりと笑った。
「いやね、ロマンチストな恭也も、捨てたもんじゃないってこと」
言われて、恭也は何の事かと訝しがるが――思いつき、顔を朱に染めた。
「リ、リスティさん!そ、それは……」
恭也の慌て振りに、美由希と那美もあの時のことに気づいたようだ。
二人とも顔を見合わせて、くすくすと笑い始めた。
桃子とマスターだけが、置いて行かれたようにポカンとしている。
リスティは二本目の煙草に火をつけ、椅子に大きく寄りかかる。
「……なるほど、小さな偶然でも、『奇跡』と銘するほうが美しいのなら、『奇跡』といえる、か。……そうだね、こんなところにも小さな奇跡が転がっているんだ。この事件も、彼女の思いが最後に奇跡を起こした――と。ボクも、そう信じることにするよ……」
店の名は『Retrouvailles』
フランス語で、『再会』と言う意味である。
◇
深夜の『Retrouvailles』
誰も居ない、暗闇となった店内で、小さなメロディが流れていた。
本来昼間に鳴るはずのその音色だが、昨晩マスターが一時的に時刻の設定を変えて鳴らしたために、今日もその設定が生きていたようだ。
いつもよりほんの少し優しくなったその音色は、やはり、いつもよりほんの少しだけ演奏時間を延ばしているようだった。
聴く者のいない、無人のコンサート。だが、それでも演奏者は――うっすらと光を発するオルゴールは、満足そうにいつもの曲を流しつづけた。
明日になれば不審に思ったマスターが、あの時間に鳴るように調整してしまう。これからはまた、いつもの時刻に開幕することになる。
だから、この闇夜の中での幻想的な演奏会は今日だけだ。誰に気付かれること無く始まり、そしてもうすぐ閉幕しようとしている。
明日からは、彼女と客人達の為に。でも今日だけは、彼女一人の為に――。
唯一の演奏項目は、無名の音楽家が作った優しい小さな子守唄。
きっと、彼女も穏やかに眠れることだろう。
愚者達の狂想曲 ~終~