とらんあんぐる組曲 作:レトロ騎士
◇
夜。
再び、塚。
那美は結界を説き、寮から持参した座布団を敷いた。
座る。
美由希と恭也も、それに続いた。
二人が着いてきたのは、護衛のためではない。この結末を、見届けるためだ。
無言の時が流れる。ただ、昨日のような二種類の静けさが混ざった緊迫した雰囲気ではない。あくまでも、自然な音だけの静寂だった。
小一時間ほどたっただろうか。岩が突如光ゴケがついたように、淡い光を発し始めた。
恭也と美由希は息を呑むが、那美は落ち着いた様子でそれを見守った。
天使が――そう言い換えて差し支えないほど美しい女性が現れる。その顔には寂しさ。皮肉なことに、その表情ですら美しかった。
彼女はゆっくりと歩を進める。三人は、その姿を追った。だが、どうも彼女の方向性はおぼつかず、あっちこっちと徘徊するだけである。ただ、時折何かを探すように周囲の音を聞いていた。また、時には地面を掘るような仕草をするが、霊体である彼女の手が土にまみれることは無かった。
おそらく、彼女は彼女の求める何か以外に、反応は示さないのだろう。
だが、闇雲に探したところで、まして幽霊の彼女に見つかるわけが無い。
たっぷり二時間ほど歩き回った後、不安と寂しさをたたえた顔で、彼女は一つの木の下に腰掛けた。そこは、彼女が一番熱心にその何かを探していたところである。
そして――
「――、――……」
歌を、歌い始めた。静かに、優しい――そしてどこか安らぎを感じる、そのメロディ。
歌は決して上手いといえるものではない。だが、その歌声を、素直に美しいと感じる。
恭也は、歌手である友人、フィアッセの「歌は、その技術よりも歌を愛する心が一番大事」と言っていた事を思い出した。
なるほど――。技術も心も一流のフィアッセに言われてもよく判らなかったが、今は、素直に納得できた。
「あ……この曲は……」
ため息のように小さな声で、那美。その一言で、残りの二人も気づく。
「ああ、これは……」
「うん、そうだね」
これで、やるべきことは決まった。今すぐにでも、行動は出来る。
だけれども――
「――。――……」
その歌が終わるまで、彼等はそれに聞きほれることにする。確認を取らずともその思いは、三人、共に等しかった。
◇
次の日の夜、那美は彼女の手を引いて、海鳴りの街を歩いていた。繋いだ右手に注いでいる霊力を維持しながら、彼女を誘導する。
岩から現れた天使は、霊力を持った那美の接触にも反応らしい反応は見せなかったが、それでも、その思いを汲み取ったのか大人しく付いてきている。
塚と言う霊場から遠く離れたため、その姿は通常の人には見えない。誰かの手を握るように歩く那美の姿は奇異の目で見られるが――もっとも、それほど多くの人とはすれ違わなかったが――、彼女は気にしなかった。
目的地に着くと、そこで高町兄妹が待っていた。さらに、髭を生やした三十前後の男が隣に居る。全員で、建物の中に入った。電気は、点けない。
完全に関係者のみであることを確認して、那美は霊力を彼女に送る。うっすらとであるが、それの姿は那美以外の彼等にも見え始める。男は驚いていたが、それでも事前から聞いていたこともあり、取り乱すことなく頷き、柱に近づいた。
しばらく彼が何かをした後――ポロロン……と、あのメロディーが流れ出す。
「あ……あああ!」
突如、天使が涙を流して柱に近づく。時計に埋め込まれたオルゴールを見つけ、彼女は抱きしめるように手を回した。
「……うううぅぅぅぅ」
涙が止まらないその顔は、歓喜。待ち人にようやく会えたように、彼女は今、再会の余韻に浸っていた。
その姿勢のまま、ポウ……と、彼女の霊体に輝きが増す。周囲の面々が「あ……」と声をあげると同時に、彼女の姿は、光の塊となり――柱時計に降り注ぐように弾けた。
幻想的な光景。
その美しさを彼等は生涯忘れることが出来ないだろう。
オルゴールは、彼女の光を纏う。そして、音色の大きさと共にそれは小さくなっていった。
完全に音が止み、光が消えて――全てが終わったことを、皆に伝えていた。
◇
翌日――本来定休日となる第三金曜日。
喫茶店は、那美達の貸切になっていた。
男――この店のマスターは、柱時計を見ながら、皆に語る。
「この柱時計はね、祖父の物なんだ。機械いじりが好きだった祖父は、自分でこのオルゴールを埋め込んだらしい。なんでも、好きだ
った人の忘れ形見と言っていたが――まさかそんなことがね」
マスターは恋人の髪を梳くように――柔らかにそれを手でなぞった。
昨夜、殺人事件の犯人は捕まった。
やはり、HGS患者で――あの村の出身者である。
彼は、つい最近まで記憶喪失の人間だった。犯行当時も、かなりの錯乱状態であり、責任能力が問えるか怪しいと言うことだ。
「普通ならそうなるとやるせないのだが――今回の場合、ボクは被害者に同情なんかしないよ」
と、リスティは言った。
あの村は――HGS患者の能力を利用し、潤った村だった。もともと海鳴とは疎遠であり、外界とも交流はほとんど無かった。だが、彼等はあるとき、大きな力を手に入れることになる。
村の中で、一人の少女が生まれたのだ。
彼女は、いつしかその背に羽を生やし、信じられない奇跡を起こしつづけた。村人は歓喜し彼女を聖女とたたえ、能力を重宝し、利用したが、出来立ての教会の神父は、そのことに言い顔を示さなかった。
だが、その能力には副作用も存在する。能力を使うたびに苦しくなる体に、彼女はいつしか力を使うことを躊躇うようになった。
そこで、手のひらを返したように、村人達の態度が変わる。そして、噂が流れたのだ。
「彼女は力を自分だけのために使うつもりだ」「いや、私達をあの恐ろしい能力で襲うかもしれない」
これを機に、神父は彼女を「天使を偽った悪魔」という噂を流し――初めの噂も彼が唄ったのかもしれないが――、そして、キリスト教における最低の愚挙、魔女狩りを再現したのである。
彼女は何日もの拷問の後、殺され、埋められた。そして、彼女の復讐を恐れた村人は、その上に封印のための塚を作ったのだ。
そしてその事件から数年後、村人の中に再び羽を持つ少年が現れた。
彼は様々な虐待と拷問を受けながらも、何とか脱出に成功したのだが――いくつもの県を越えた遠い町で倒れ、記憶を失い新たな生活を歩んだのだ。
村人は、逃げた少年の復讐を恐れ、村を捨てる。そして、万一の監視者として、神父を管理人に置いたのである。
そして、そのときの少年こそが、今回の犯人である。
たまたま訪れたこの山で、彼は六十年前の記憶がフラッシュバックした。そして、そのときの行為を記憶の中で再体験した彼は、復讐を考えたのである。村の住人で――魔女狩りの件を直接行った大人だった者達の中で、生きているのは僅かに十二名。だが、今回殺害された二人こそが、率先して村人達を先導し、虐待をした者――神父と、当時の若者達のリーダー的存在だった男である。
復讐を果たした彼は、警察の出頭に大人しく応じると、その全てを自白した。
「許される行為じゃないさ……どちらもな。ボクは、被害者と犯人の、どちらの弁護をする気も無い」
怒りは、彼女の震える煙草からも読み取れる。
「でも、どうして殺された彼女の方は、村人達を恨まなかったんでしょう。普通なら、それが当然なのに」
理不尽な暴力に対する美由希の怒り。それは、彼女の真意。
「美由希ちゃん……私にもわからないけど……それでも、信じられる人がいたからじゃないかな」
マスターが、自分の入れたコーヒーを啜りながら言った。
「私の祖父は医者をしていてね。いろんな人を助けるのが喜びだ、と言っていた。そして、それは初恋の彼女から学んだと、よく私に言って聞かせてくれたよ」
そう――。彼の祖父もまた、村の出身だったのである。
「恋人が羽を持っていたなんて話、祖父は言っていなかったから、HGSが顕著に発症する前だったんだろう――祖父は曽祖父に連れられて、医学を学ぶために海外へと向かった。その為彼女と別れて、そのときにこのオルゴールを渡したんだそうだ。そして数年後、医者になった彼が戻ってきたとき、彼女は死んでいた。村人の誰も理由を教えてくれず、ね。でも、二人がよく遊んだという木の下に、これが埋まっていたんだそうだ。そして、祖父はまた海外に……。今回の話を聞いて思ったんだが――おそらく、彼女は自分が殺されることを覚悟していたのだろう。そして、これだけは奪われたくなかったんだろうな」
そして、そんなことを知らない彼は、それを形見として時計に組み込んで、家に飾りつけた。せめて、いつまでも彼女を忘れないために――。
「そして、やっと再会できたんだ。オルゴールにも、そのときの祖父の思いにも。人を憎むより、愛した人との思い出を探すことを心残りとした彼女だ。安らかであると、信じよう。私も、いまさらその村の人々を憎む気は無いしね」
マスターの言葉に、リスティは唇を噛んだ。
まだ一つ、誰にも言っていないことがある。
こっそり村人の心を読み知ったことだが――
彼女は、村の男達に暴行を受けていた。光を受けられずにフィンの能力が使えない彼女を縛り上げ、数日間の間、休む間もなく犯し続けた。死んだのは、その結果である可能性もある。美しい娘であったそうだし、拷問される時の嗜虐性に、彼等に火がついたのかもしれない。
マスターの祖父を想い続けていた彼女であらずとも、それが女性にとってどれほどの苦しみであるか、想像に硬くない。マスターは、彼女が憎しみより愛を選んだように語ったが、人間がそれほど出来た存在ではないことを、リスティは知っている。
おそらく――死ぬ前に彼女は、すでに『壊れていた』のだろう。そして、死んだ後も壊れた精神が最後に求めたのは、辛い経験を呼び戻す復讐ではなく、せめてもの希望であった、遠く離れた人への思慕の証拠――このオルゴールだったに違いない。
そう――それはあたかも、暗闇から光に向かって手を伸ばしたような――本能的な習性に過ぎない。
(救われない、よ)
事実を一人で背負うには、重すぎる。だが、このことは――自分一人で闇に投じるべきだろう。悲しみを増すだけの事実を、誰に伝えよというのだ。もしかしたら、これは彼女に冤罪をかけた呪いかもしれない。
カチ――と、煙草に火をつける。
那美に咎められるが――
「黙祷のための煙草だ。許してくれよ」
彼女の声の深さに、那美は何も言わなかった。