とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

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第二章 「静寂の中の小鳥達」

         ◇

 夜の静けさは、その場所によってそれぞれ独立した世界を彩っていく。

 だが、静けさと言っても、音がしないことだけが『静けさ』ではない。

 例えば――動植物達の呼吸が聞こえる森林や、凍りついたような寒さを持つ人のいなくなったオフィス街。二例とも、存在する音が自然であるが故、それが気にかからない世界だ。だから、人はそこに静寂を感じる。自然と造形の対極さを持ちながら、それらはその一点で共通性を持っていた。

 そして、もう一つの『静けさ』が、図書室のような作られた――不自然な静寂。これは、その『音の無い』ということそのものが、耳を刺激する空間。

 恭也達が過ごすこの場所は――そのどちらもが入り混じったような雰囲気に満ちていた。

 音はある。風の流れ、川のせせらぎ、星の瞬きさえも音律を奏でているようだ。だが、三人の人間が焚き火を囲んでいるのにもかかわらず、会話らしい会話は行われていなかった。

 別に、気まずいわけではない。だが、それぞれが言葉を出すことを躊躇っていた。

 それでも、理由も無く友人同士が沈黙を続けるのは難しいことだった。

 

「すみません、こんなことに巻き込んでしまって……」

 

 雰囲気に飲まれて、というよりは、それは単に彼女の性格によるものだったのかもしれない。

 焚き火の前で、那美は申し訳なさそうに言った。

 

「いや……気にする事は無い。巻き込まれたのではなく、美由希が勝手に那美さんたちの事件に紛れ込んだだけだ」

「そうそう、それに、ここで鍛錬できなくなるのは困るから」

 

 兄妹が答える。

 

「それに、那美さん一人をこんな場所で野宿させられないさ。霊障には無力かもしれないが、物理的なものであれば俺達の専門だ。友人を守りたいと思うのは、それほどおかしいことではないだろう?」

「……は…い」

 

 時々、那美はこの友人たちの言葉に声を失うほど感激することがある。

 きっと、那美を含めて家族的な仲間に対して、彼等は己の命をかけることに何の躊躇いも持たないのだろう。それは、那美の義姉、義兄に通じる、決意の強さだ。

 だが同時に、それは那美の心に一つの闇を落とす。――自分が守られている側の人間ということに。そして、それは神咲家の一人として自分がいかに甘いかと言うことを叩き付けられるような気がするのだ。

 那美自身、気持ちだけならば、負けないと思う。しかし、それに伴う実際の実力を持って行使できないのであれば、それは単なる理想でしかない。彼等はそれを知っているから、努力と言う枷をしいてきたのだ。

 自分は――そこまでのことをしてきたと言えない。

 黙り込んでそんなことを考えていた那美を見た美由希は、なんとなく場の空気が重くなりつつあることに気づいたのか、少し大きめの声で少女に言葉をかける。

 

「そういえば……耕介さんや十六夜さんはどうしているんです?いつもの耕介さん達なら、那美さん一人でこさせないと思うんですけど。それに…久遠も見えませんし」

 

 美由希が述べた人物は、那美の義兄であり、また彼女が暮らす寮の管理人である神咲(旧姓、牧原)耕介と、その妻であり、彼の使う霊剣十六夜に宿る魂の具現した姿、十六夜のことである。

 二人とも日向のような雰囲気を持つ、とても優しい夫婦だった。たとえ人間ではなくとも、那美にとっても自慢の家族である。

 

「はい、義兄さん達は遅い夏休みを取って実家のほうに帰りました。十六夜も薫ちゃんと御架月に会えるって喜んでます。久遠も――浄化の儀式を行うために一緒に付いて行きました」

 

 美由希は少しとぼけたような顔で――単に思考が付いていかなかっただけだが――聞いた。

 

「浄化の儀式?」

「はい、久遠自身の祟りを払い、肉体にあった負の妖力は確かに消えました。でも、そのせいで、久遠はその力を今まで封じていた部分が空洞化してしまったんです。そしてそこは、大気中に歪となって存在する負の力が、久遠が望まずとも入り込んでいく絶好の場所になってしまった。もちろん、その歪は大した物ではありませんし、ほとんど影響は出ないでしょうけど、定期的に神咲家でそれを払うことにしたんです。それで、義兄さん達が帰省するのなら一緒にって……」

「ふ~ん、そうなんだ……じゃあもしかして、耕介さんは那美さんがこの事件を受けていることを知らないの?」

「……はい」

 

 その答えに、美由希はただ「ふ~ん」と頷いたが、恭也はその不自然さを見逃さなかった。

 おそらく、今回の任務が危険であることを那美はさざなみ寮生の面々に伝えていないのだろう。リスティが捜査本部に戻り、家に帰るように告げられた後、恭也達から隠れるように山に向かったのが良い証拠だ。青年が気配を感じて呼び止めなければ、彼女は今ここに一人でいたのだろう。

 

(無理……しているな)

 

 漠然と彼はそう感じた。

 理由は無いが、しいて挙げるとすれば――

 

(似てるんだ。あのときの美由希と)

 

 恭也の負担になるまいと、彼の禁を破り過度の鍛練を繰り返し、自らの体を壊しかけた義妹。その姿と、彼女が一人この山に残ころうとしていた姿が網膜で重なる。

 気丈に、だが痛々しく――自分を追い詰めるという行為は、愚考であるに違いない。だが、たちの悪いことに、愚かであるがゆえ譲れないものなのだ。

 そして、恭也にはそれを止める権利は無い。

 那美が己で考え、選択し、決意した自分自身のための答えだ。忠告することは出来ても、それに対して強制的に干渉するということは、彼女の人生を背負うことに他ならない。

 だが、青年はすでに人生を共に歩む者を決めている。

 だから――自分に出来るのは、友人として少し支えるだけに過ぎない。

 

「那美さん、具体的にこれからどうするか決めていますか?手順がわかっていれば、俺達も動きやすいですし」

「はい、塚にはすでに霊の存在はありませんでした。ですが、長年ここに囚われていた霊が、この場所を離れて長時間行動することは出来ないはずです。彼女が戻ってきたところで、話を聞こうと思います」

「大丈夫ですか?すでに二人の命を殺めた、悪意に満ちた相手なんでしょう?」

 

 塚の前で彼女が言った言葉を思い出して、青年は言った。

 那美は目を閉じ、静かに首を振る。

 

「違います。『悪意に満ちた』というのは、塚の封印そのもののことなんです」

「どういうこと?」

 

 美由希が焚火に枯れ木を投じながら聞いた。

 那美は視線を少女のほうに移し、

 

「私達は昔話から、村人達が『天使』に敬意を表して、彼女の死んだ後に奉ったものだと思っていました。でも、あれは禁法に近い封印の術です。死んだ者の体を閉じ込め、その霊体をここから出さない様にするためのもの――。つまり、この岩の下には、その人の遺体が埋められているはずです」

「そんな!いったい何の為に――」

「判りません……でも、村人たちは彼女を恐れ、封印した。そして六十年の歳月を経て、その封印が破られた。彼女がそれを恨み、当時の村人達を殺害しているのだとしても――そこには理由があったことになります。どんな理由にせよ、それは許されることではないかもしれませんが――理由があるのなら、話し合いで解決することだって出来ると思うんです」

 

 彼女らしい――と、剣士の兄妹は思った。

 退魔の家業を持つ神咲家。那美の義兄と義姉は、破邪や退魔に長じているが、彼女の能力は、言わば鎮魂。性格が良く出ていた。

 

「うん、私もそう思う。私が見た女の人、すごく寂しそうな顔してた。あの人が悪い人とは思えないもん」

 

 美由希がそう言うと、那美は破顔した。

 

『――!』

 

 ほぼ同時に――三人が一つの方向を向いた。そこには、銀色の燐光をまとった、清楚な女性の姿があった。人間でないことは、知識の疎い剣士達にもはっきりとわかる。

 剣を構え、いつでも行動に移せるようにする。那美も、懐に収めていた霊刀の位置を確認し、彼女の動きを見守る。

 その女性の背中には、確かにHGS患者の証明といえる、大きな白い翼があった。

 彼女はゆっくりと彼等に近づき――通り過ぎた。

 

「……え?」

 

 那美が素っ頓狂な声を出す。剣士達も、彼女のあまりの殺気の無さに毒気を向かれ――もちろん気を緩めたりはしなかったが――姿を目で追う。

 

「まって!」

 

 那美の声を無視して岩に手をかけ、美由希が見たときのように寂しげな表情を浮かべて、彼女は塚に入っていく。

 那美が彼女に手を伸ばす。一瞬、指先が消え行く彼女を掠めた。そのとき――

 

『どこに……あるの?』

 

 那美の脳に響いたその声は、哀しい詩を朗読するかのようだった。

 

 


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