とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

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Capter1 『~Homicide~』


第一章 「音律は静かに、そして厳かに」

 

 

 

         ◇

「何にしても、難しい問題ではあるね」

 

 そう言った銀髪の女は、その回答に反して妙に安穏としていた。

 

「結局さ、そんなものはあってないようなものだろ?一つの現象に対して、どっかの誰かがそう思えばそうだし、別の誰かがそう思わないのなら、そうじゃないのさ」

 

 火の点いた煙草が、彼女の唇に挟まれて己の職務をまっとうし続けている。徐々にその姿が短くなっていく様は、人間の寿命を示す蝋燭に似ていた。

 彼女が紫煙を吐き出す。

 優雅と言うには程遠い仕草だが、自然ではある。どんな行為にせよ、無駄のない動きはそれだけで目を引くものだ。

 だが、自分の相棒とも言えるそれに向けられた友人たちの視線は、あまり好意的ではないと彼女は理解する。

 

「リスティさん、食事中くらい煙草止めてください」

 

 案の定、彼女の隣に座る巫女服の少女が口を尖らせた。怒られた彼女――リスティは「禁煙席じゃないんだから堅いコト言うな」と呟きながらも、素直に――三分の二程度残っていたので名残惜しそうだったが――灰皿に押し付けた。

 少女――那美がそれを見て満足げに頷くと、視線を前に向ける。

 机に並べられた料理の向こう側に、苦笑いしている美由希と仏頂面の青年――恭也が居た。

 彼女達が今居るのは、最近海鳴の街に出来たばかりの大きな喫茶店である。レンガ模様の外壁と、室内の重みのある煙突付のストーブ(もっとも形だけで火は点けられないらしいが)、ランプを模した灯りが特徴で、なかなか落ち着きのある雰囲気と評判の店だ。

 家が『翠屋』という名の喫茶店を営んでいる美由希と恭也の高町兄妹にとっては、商売敵となる訳だが――この店はオフィス街にあるということもあり、客はサラリーマンやOLがほとんどで、売り物の主力もパスタやハンバーグ類だった。

 洋菓子やサンドウィッチがメインで、学生を中心にして若い女性に人気の翠屋にはあまり影響がないと言えた。

 しかも、この喫茶店の若いマスターも翠屋のシュークリームのファンになり、時々買いに来ているらしい。

 そんなわけで――リスティ達に誘われたとき、恭也達は特に抵抗なくその門をくぐっている。

 店の名前は――聞いたこともない横文字で、誰の頭にも残っていなかったが。

 

「それで、何の話だったっけ。……そうそう。だからね、ボクはそう思うわけ。んで、キミ達はどうなのさ」

 

 言いながらリスティは、コーヒーカップの取っ手に、手袋をしたまま指をかけた。それを口に運び、目線だけで那美を指名する。那美は少し考えた後、

 

「私は、あると思いますよ。久遠が助かったのだって、そういうことの一つだと思いますし。もちろん、恭也さんとなのはちゃんのおかげでもありますけど」

 

 言って、恭也の顔を見る。少し照れたように俯いた彼の姿に那美の胸が高鳴った。青年とは初恋と言えなくもない思い出を共有しており、それが今でも完全には無くなっていないせいかもしれない。

 続けて、美由希が答える。

 

「う~ん。私はよくわからないな。あって欲しいと思うけど、それを認めちゃうと無条件の理不尽さも肯定しなければいけない気がして――」

 

 その言葉の重みがわかるのは、小さいころから彼女を見続けた恭也だけだったのだろうが――別に美由希は彼女達にそこまで理解して欲しいわけではない。だが、本心には違いなかった。

 その後しばらく沈黙が続き――それがどうやら自分も答えなければならないと言う無言の恫喝と感じ、恭也は仕方なさげに口を開こうとした時――

 

 ポロロン……

 

 一つのメロディが、店の中央の柱から聞こえてきた。

 その音の大きさは、霞のような淡いものだったが、不思議な存在感で満ちていた。その場にいた誰しもが――本来聞き慣れているはずの従業員達ですら――その曲の為に今までの動作を止める。

 柱時計に埋め込まれた、オルゴール。

 音は、鋭くも幻想的な独特さを持つ、それから生まれたものだった。おそらくは、時刻に反応して鳴り出すように作られているのだろう。だが、それが判ったといっても、それは野暮と言うものだ。今は、ただその音色を楽しめば良い。

 時間にして数十秒だろうか。曲が止み、再び辺りがざわめきを取り戻し出した。

 

「……で、恭也は? 君は、『奇跡』っていうものが、あると思うかい?」

 

 間を空けてリスティが言った。恭也は、有耶無耶に出来ると企んでいたのか、軽く舌打ちするような素振りを見せて――

 

「そうだな……リスティさんの考え方とあまり変わらないのかもしれないが――多分、それは『偶然』と同じことではあるんだろうな。

 ただ、その内容の大小に関わらず、その起った現象を『奇跡』と銘打ったほうが美しいのなら、それを『奇跡』と言っても良いのだと思う。なにも不治の病がいきなり完治するとか、生き別れの血縁に再会できた、というものである必要は無い。もっと些細な――例えば、ある人を好きになったということだけでも、世界中の異性からその人を選んだことは十分『奇跡』なのだと、俺は思う」

 

 青年の口調は静かだったが、普段の彼を知るものにとっては、今日の彼は饒舌だと思うことだろう。それほど、彼の言葉は滑らかに流れた。

 彼自身にしてみれば、『奇跡』というものは確かにあると思っている。

 あの『実母』との再会の出来事は、その最たるものだろう。

 だが、それを説明するわけにも行かないし、味方を変えればそれだって『石』が起こした偶然で、必然だとも言えるからだ。

 だから、恭也はただ思ったことをそのまま告げることにした。

 言い終わった後、どうも回りの反応が少ないことに青年は気づいた。

 見れば、三人の女性全員が目を丸くしている。

 

「なにか……変な事言っただろうか?」

 

 不安そうに恭也が口に出すと、『あっははは』とリスティが大笑いをした。

 

「ははっ、あはははは!いや、別にそう言うわけではないよ。ただ、キミがこの中で一番ロマンティックなことを言ったからね。みんな驚いてるんだ。愛あたりにそう言われれば違和感無いんだけどね」

 

 なんとなく、リスティは自分の養母の名を口に出してみる。

 恭也の顔が朱に染まっていく様を見ながら、次の一言でさらに朱くなることを期待して――

 

「まったく……やはり、恋人がいると違うね?恭也」

「!」

 

 予想通り、一気に赤くなる恭也の顔。だがその横で――

 

「……」

 

 もっと赤くなっている美由希がいた。

 

「キミ等……オモシロ過ぎだよ」

 

 リスティが真顔で言った。

 

 

 

 家族を含め、身近な知人達に恭也が美由希との関係を告知したのは、三ヶ月ほど前の春のことである。

 ある出来事によって入院してしまった恭也の退院パーティ――結局単なる花見になったが――にて、彼女との接吻けを見られた事が彼の覚悟を決めさせた。

 まあ、二人が義兄妹ということもあり、大騒ぎがあったのは言うまでも無いが――今ではその関係は全員の周知である。

 

「ま、冗談はそのくらいにして、だ。…その女の天使は、その村でいくつもの『奇跡』を起こしたそうなんだ。それに願いを言えば、大体のことはかなえてくれたらしい。例えば、人の傷を治したり、水脈を見つけたり、ね。そして彼女が天に帰るとき、人々はそこに感謝の意をこめて塚を作り、山全体を彼女の物とするために村を捨てたそうだ。それが、稲神山に祭られている塚に伝わる伝承。伝承……と言っても、ほんの六十年ほど前の話だけどね」

 

 リスティは、さり気に煙草を咥えようとして――那美の視線に気づいて止めた。

 美由希がその様子に苦笑しながら、

 

「聞きかじり程度には知っていましたけど――まさか、私の見たのが本当に天使だっていうんですか?だってそれって単なる言い伝えでしょう。本当に奇跡を起こせる天使がいるわけ無いと思うんだけど――」

「そうでもないよ。確かに『天使』なんていうのは居るかどうか判らないが、ある仮説が立てられる。それならば、伝承の説明もつく」

「?」

 

 美由希は首を傾げていた。

 初めに、「ああ」と頷いたのは恭也だった。

 

「なるほど。それならば確かに天使と言われるのかもしれない」

「恭ちゃん、どういうこと?」

「つまりな、天使の正体は羽のような物をもつ人間だったって事さ。俺達の周りにも居る、な」

 

 青年が銀髪の女を見やる。その行為で、美由希も理解した。

 リスティがにやりと笑って――

 

「なかなか理解が早い。そう、その天使がHGS患者だったとすれば、当時の人にとってその能力は奇跡のようだったろう。当時はまだ医学界ですら認知していなかった時代だからね。稲神山近くの山村では大正初期あたりから教会があったし、キリスト教とからんで天使に奉られたってわけだ。世界各地に伝わるその手の逸話も、同じケースなんじゃないかと、ボクは睨んでいる」

「でも、どうして今になってその人が現れたんでしょう?」

「美由希の質問はもっともだ。キミ等が山に行く前日、山で落雷があったことは知ってる?そのときどうも倒れた木が塚の一部を壊してしまったらしいんだ。おそらく、それで迷い出てきたんだろう。つまり――これは、那美の出番だったってことだ」

 

 急に自分の名を出されて、パフェに差し込んだスプーンがとまる。

 

「えと、……多分、美由希さんが見たのは、その人の幽霊じゃないかってことなんです。天に帰った、というのは亡くなられたという意味だとすれば、彼女は六十年前に亡くなり、崇められていた村人たちに供養されていたのが、その事故で安らかに眠れなくなってしまった。幽霊の目撃霊がふもとの住人の方々から上がって、警察のほうで霊障だと判断されて……だから明日私が行って鎮魂することになっていたんです。でもその前に、美由希さん達が出会ってしまった」

「まあ、それだけの話。美由希、安心していいよ。次回からは二人っきりで稽古以外も楽しんでこれるよ」

 

 リスティさん!と那美が怒鳴るが、銀髪の彼女は、くくくと笑うだけだ。

 不意にメロディが流れる。

 どうやらリスティの携帯電話らしく、耳に当てながら「キミ達は話してていいよ」と言わんばかりに手を振った。

 コホン、と那美は咳払いをすると少しだけ小声になりながら――

 

「それで、今日はとりあえず、元その村の人で、管理を任されている教会の高齢の神父さんに鎮魂の承諾を得に行くところなんです。別に宗教的なことをやるわけではありませんが、神父さんの管轄の場所で儀式的なことをするのは、さすがに失礼になると思いますから――」

 

 そこで恭也が相槌を打とうとした時だった。

 

「……な、に?」

 

 リスティの目が鋭くなる。それは普段の好奇心旺盛な猫を思わせるものから、獲物を見つけた虎へ変わるように――

 

「判った。すぐに向かう」

 

 電話を切り、ちっと舌打ちをする。いらつくように煙草を咥えて、立ち上がった。

 

「那美、すぐに教会に行くよ。それから恭也と美由希、キミ達も来てくれ。多分、お前らに事情聴取が必要になりそうだ」

「なにか、あったんですか?」

 

 不安そうに美由希が問うた。となりの恭也も、不可解そうにリスティを見ていた。

 

「ああ……その神父が死んでいたらしい。死亡推定時刻は三日前。恭也達が山にいた日だ。それもおそらく殺されて、ね」

 

 

 

         ◇

 恭也達への事情聴取は、簡素なものだった。その神父と面識が無いのだから当然と言えば当然だ。だが、疑いが晴れた理由は他にある。

 犠牲者の死に方である。

 もし刺殺や斬殺、糸状のものでの絞殺ならば容疑はかかったかもしれないが、死因は圧死。重圧――例えば巨大なボウリングの玉に押しつぶされたような――によるものだった。そして、それに順ずる凶器は発見されなかった。この時点で、警察はこれを特殊犯罪に認定。リスティおよび那美の管轄へと移る。

 

 山林に囲まれ、ひっそりとたたずむ岩を前にして――「これが問題の塚ですか」と、那美は静かに岩に触れる。

 表面は苔にまみれ、山林の空気を、より青臭いものへと変えていた。

 しばらく目を閉じて何かを感じ取るようなそぶりを見せた後、少女は驚くように目を開いた。

 

「これ、安眠のための術なんかじゃないです」

 

 怒ったように――否、それは憎悪に近いと言える。恭也ら三人は、その少女の雰囲気に驚いた。那美がここまであからさまに負の感情を表すのは珍しい。

 

「封印。しかも、とても悪意に満ちています」

 

 リスティの携帯が鳴る。場違いに明るいその音も、今は救いになるのか。たとえその内容が陰鬱としていても。

 

「……二人目が出たよ。被害者は、この村の出身の老人だ」

 

 煙草を吐き捨てる。

 咥える部分についた彼女の唾液が淫靡だったが、土草にまぎれて見えなくなった。

 

 

 


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