とらんあんぐる組曲   作:レトロ騎士

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L’ homme nest ni ang ni bete. Et le malheur vent que qui vent faire lange fait la hete.
 
「人間は天使でも獣でも無い。不幸なことは、天使を気取ろうとする者が、獣に成り下がってしまうことだ。」



愚者達の狂想曲
序章  「天使の少女」 ~Ange'lique fillette~


         ◇

「天…使?」

 

 稲神山を流れる川辺で、美由希が義兄の恭也と共に毎年恒例の修行合宿に訪れたとある夏の夜のこと。

 新緑の瑞々しい空気が支配し、自然の音だけが深々とそこにある、済んだ場所。

 そこは、美由希たちが何度も訪れた場所だった。

 美しくはあるが、取り立てて珍しいものもない、ただそれだけの場所。

 気に入ってはいても、面白みがあることも、季節の変化以外は変わり映えもしない、その風景。

 だがその日、美由希は、そこで確かに「そう」としか思えないものを見た。

 

 それは一人の少女だった。

 

 年のころは、自分と同じかそれよりもわずかに年下だろうか。

 体つきの割には幼い顔立ちが、余計に彼女を童女のように思わせてしまう。

 だが、何よりも目立つのは、彼女の背中に生えている「それ」であった。

 白鳥を思わせる白い羽が背中からすうっと生えており、明らかな異形のそれに畏怖を感じさせるが――しかしてそれは、むしろ美しくさえ思えた。

 

 だから、美由希は彼女が天使ではないか思ったのだ。

 美しく、儚く、それでいて生きた人間のものとは思えない、命の熱さが感じられない彼女のことを。

 

 美由希が吸いつけられるようにその「天使」をじっと見ていると、彼女は大きな岩で祭られた塚の前まで歩みをつづける。

 それなりに猛者であると自負する自分にも感じ取れない、音も気配もない静かな歩み。

 それが、塚の前で、びたりと止まる。

 手を伸ばし、塚に指をかけ、寄りかかろうとして、何かに気づいたように彼女は一度動きを止めた。

 そして彼女は、くるうりと美由希を振り返り――

 

「美由希ー。どうした、薪はあったか? ……美由希?」

 

 兄の声が聞こえた。

 どうやら、薪拾いから一向に戻らない義妹を心配し、様子を見に来たらしい。

 だが、美由希は返答することもそちらを向くことも忘れ、その天使の姿がその塚に溶けるように入っていく様を、ただ呆けたように見つめていた。

 目の前で起きた映像は一瞬。

 初夏の熱気によって生まれた陽炎のように、淡く、儚く、どこか切なささえ思わせて、消えていく。

 全ては美由希の、空想だったように。

 彼女の見据えた先にあるのは、ただいつもどおりの風景があるだけ。

 

 白昼夢といわれればそれまでだ。

 何かの見間違いといわれてもしかたないことだ。

 自分自身ですらも、あれはただの幻といわれれば、納得してしまうくらいに、現実感がないのだから。

 

 だが、それでも。

 

 それがだたの一夜の幻、真夏の夜の夢であったとしても。

 

 

 消えた彼女の最後に見た顔が、とても哀しそうだったことを、美由希は覚えている。

 

 

 

 


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